艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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Opus-16 『Moving point』

 横須賀鎮守府の執務室に到着すると、叢雲は深く息を吸った。

 覚悟は決めた。ここから先は今まで叢雲の味わったことのない戦場だ。失敗は許されない。

 でもやると決めた。吹雪(あね)にやってみろと背中を押された。

 ドアをノック。高鳴る鼓動を抑えながら返事が返るのを待つ。

 

「誰だ?」

 

「私……叢雲よ」

 

「ああ。なんか用か? まあ入れ」

 

 東雲の許可が降りたので、叢雲は執務室に足を踏み入れる。館山の執務室と比べるとかなり広い。それに調度品の質が良いような気がする。ある程度の質がないと格好がつかないと言う理由もあるのだろう。これらが東雲の趣味なのかどうかはわからないが、細かなディテールが施されたりしているあたり、相当のものだと思われた。

 

「どうした? 叢雲ちゃんが俺を訪ねてくるなんて思わなかったがな」

 

「協力してほしいの」

 

「協力?」

 

「私が持ってる情報を渡すわ。なにもかも渡せるものすべて。あいつに関するものからね」

 

「あいつを確保する手助けをするってか?」

 

「殺すつもりはないんでしょ? 利害は一致するはずよ」

 

 東雲の目的は一貫して峻を生きたまま確保することにあった。そして叢雲は峻に真意を問い正したい。そして叢雲の目的を果たすためには峻が生きている必要がある。つまり東雲と叢雲の目的は完全な一致とは言えないが、似通っているところが大きい。

 そしてそれがわかっているからこそ、叢雲は交渉を持ちかけていた。

 

「……話を先に聞かせてもらおうか。判断するのはそれからだ」

 

「その前にひとつ、いいかしら」

 

「なんだ? いまさらになってなしか?」

 

 怪訝そうな顔で東雲が書類から視線をあげた。叢雲から持ちかけておいて急に止められれば変に感じるのは当然だろう。

 

「先に確認よ。ここから先に私が言うことは機密どころの騒ぎじゃない内容ばかりよ。知ったら消されるレベルの。それでもいいか聞きたいの」

 

「……それはあの野郎をとっちめるのに必要な情報なのか?」

 

「あいつが逃げている理由がそれよ。どうして逃げているかわからなくてもいいなら話を聞く必要はないわ。ただ私の提供できる情報が減るだけ」

 

 わずかな時間、東雲は思考した。だがようやく持っていたペンも置いて深く椅子に腰掛け直した。

 

「…………話せ」

 

「ならひとつめ。私はあいつに人質にされることはわかってたわ」

 

「どういうことだ?」

 

「私が自分を人質にして逃げるようあいつに言ったのよ。置いてかれるとは思ってなかったけどね」

 

「おい、それは……」

 

「私は決してずっと人質だったわけじゃない。館山に来てあいつを本部に連行しようとする憲兵隊を打ち倒したのは私だし、私があいつに逃亡するよう促したわ」

 

「っ……! なんのためにだっ……」

 

 東雲の目に敵意のかけらが一瞬だけ現れた。だがさすがは中将と言うべきか、すぐに表層からその感情は覆い隠された。

 

「あの時に逃がさなければあいつは死んでいたのよ。いえ、殺されていた」

 

「誰にだ? あいつが本部に連行されることは決まっていた。事情聴取と、場合によっちゃ軍法裁判のためにな。だが殺されることはねえ。だいたいどうして殺されなきゃなんねえんだ。いくら軍とはいえども無条件に殺すなんてことはできねえ」

 

「だとしても自殺して、みたいに適当な都合をつけて殺されるわよ。口封じのためにね」

 

「なんの悪い冗談だ?」

 

「私も最初はそう思ったわよ。でも違和感はあったはず。横須賀を介さずに館山に直接、憲兵を送り込むのは間違ってはいないけどなったやり方じゃない」

 

「……」

 

 黙ったまま東雲が先を促した。東雲自身も感じていたことではあったのだろう。だが、問題に取り上げるより先に峻の確保を優先したので目を閉じて見ないように背けていた。

 

「私を正当化するつもりはないわ。ただあいつは殺されていたことだけは確実に言えるのよ。あいつは自分が死ぬことで事態を収束させようとしていたんだから。これはあいつ自身が認めたことよ」

 

「海軍が他方から不信感を抱かせてまでするメリットがないだろ。そもそもなんでそこまで躍起になってあいつを殺す必要がある?」

 

「あいつは知ってしまったのよ」

 

「何をだ」

 

 抑え切れたものではなかった。直感というものかもしれない。ただ東雲の背中にぞくりと走るものがあったことは確かだ。

 

艦娘(わたしたち)はクローン素体を戦闘用に調節されたバイオロイドよ」

 

「……それをどう証明する? 今の段階では叢雲ちゃんの言葉だけだ。何も裏付ける物的証拠がない。それをはいそうですかと信じてやれるほど俺はお人好しじゃないつもりだ」

 

 叢雲の言っていることは突拍子もなさすぎる。東雲が信じるわけもなかった。だが叢雲は証明することができる。東雲を信じさせて協力関係に持ち込み切れる自信がなければそもそも執務室に乗り込んだりしなかった。

 

「横須賀中央病院の近くにある商店街。そこから少し外れたところにある廃工場の位置、わかるかしら?」

 

「……待て。地図を出す」

 

 急な話題の変換に東雲が眉をひそめる。だが深くは聞かず、プロジェクターにコネクトデバイスから伸びるケーブルを接続。すぐにホログラムの地図がぼうっと浮かび上がる。それは横須賀中央病院の周辺地図だった。叢雲が少し目をこらして探すと、峻ともう一人の叢雲が入っていたイタリアンレストランがすぐに見つかった。そしてそこが見つかってしまえば、目的地を見つけるのは簡単だ。

 

「ここの廃工場よ」

 

「そうか。で、この廃工場がどうかしたのか?」

 

「ここでもう一人の私、つまり私じゃない『叢雲』が海軍の極秘部隊に銃殺されてる。調べればすぐにわかるはずよ。床も洗浄したはずだけど、ルミノール反応は検出されるはずだし、コンクリートの表面にわずかに付着しているいる血を精密機器で調べれば私のDNAと一致するはずよ」

 

 ピッ、と目の前で叢雲は自らの青みがかった銀髪を1本、顔をしかめながら引き抜いた。そして抜いた髪を東雲の机に叩きつけるように置いた。これで照合するための素材は十分だ。

 そしてDNAが一致した瞬間に、同時期に遺伝子レベルで同じ叢雲が2人いたという証明になる。この証明ができてしまえば、クローンの叢雲がいたと東雲は認識せざるを得なくなる。

 

「あいつは目の前でもう一人の叢雲ちゃんが殺されるところを見てたのか」

 

「お察しの通りよ。私は影からこっそり見ただけだけど」

 

 だから館山に帰ってきた後にすぐ動かない峻に叢雲は疑問を覚えた。なにかしらのアクションを取るなり、取り引きを持ちかける準備をするだろうと思っていたのに、なにも行動しなかった。ただじりじりと迫りくる白刃を受け入れようとしていた。

 本当に最後になってから叢雲は気づいたのだ。峻は自らの命を捨てることで厄介事を引き起こさせないで収束させるつもりなのだ、と。

 

「私に話せることぜんぶ話したわよ。なにかまだ聞きたいことはある?」

「まずひとつ。どうして叢雲ちゃんはもう一人が殺される現場に立ち合えた?」

 

「もう一人はあいつが退院する日に接触し、私のフリをして連れ回した。だけど私も退院の日に病院まであいつを迎えに行ってたのよ。私とそっくりなのがいて変に思ったから、こっそりと後をつけたら現場に行き着いたのよ」

 

「ふたつ。あいつは叢雲ちゃんを逃がすために奮闘していたのなら、あいつが今も逃走を続ける理由はなんだ?」

 

「…………それはわからないわ」

 

「ならそういうことにしといてやるよ」

 

 叢雲は内心で虚を突かれていた。完全に東雲にはお見通しということらしい。

 どうして峻が逃走を続けているのか。その理由はわかっている。

 

 たぶん私があいつに『死ぬな』と言ったから。

 

 叢雲が自分を生かしたのなら、勝手に死んで逃げるなと言って峻を縛った。

 

 おそらくその事情まで東雲は気づいていない。だが叢雲が言い淀んだことから、ぼんやりと察したようだった。物理的要因ではなく、なにか叢雲が原因であり、知らなくとも問題がないことである。そこまで推測したからこそ、東雲は追って聞こうとしなかったのだろう。

 

「もうこれでいい。ただ話はすぐ鵜呑みにしねえからな。こっちで裏付けも取る。話に乗るのはそれからだ」

 

「私は部屋にいるわ。用があったら呼び出して」

 

「そうさせてもらう。わざわざお疲れさん」

 

 踵を返して執務室を後にした。もうすべきことはすべてやった。あとは東雲が乗ってきてくれることを祈るのみだ。

足早に部屋に向かって歩みを進める。電気が落ちて真っ暗な部屋に入ると、照明を付けた。

 

 そして途端にベットへ倒れ込んだ。

 

 想像以上に疲れていた。こういう駆け引きは叢雲にとって未経験のことなのだ。それをぶっつけ本番で挑戦したのだから、当然といえば当然だった。

 

 だがやれることはやった。あとは結果待ちだ。そしてうまく運べば忙しくなることは明白。

 だから今のうちに体を休めておこう。

 

 

 

 

 

 叢雲が立ち去った直後、東雲は頭を掻きむしった。ワックスで固めていた髪が乱れるがそんなこと今はどうだってよかった。

 

「くそったれ、なんの冗談だ」

 

 叢雲が来た時、まさかこんな爆弾を放り込まれるとは思っていなかった。これを嘘だと切り捨てることは簡単だ。だが果たして叢雲がこんな嘘をつけるとは東雲には思えない。それだけでなく、作り話にしてはできすぎている。一笑してしまうには少し早いように感じられた。

 

「艦娘がバイオロイド? しかも知ったシュンを口封じだと?」

 

 きな臭いどころの騒ぎではない。まだ確証のないこととはいえ、証拠が出て来てしまえば信じるしかない。そして叢雲はその証拠を見つける方法すら東雲に提供してきた。

 

 机に置かれたままの青みがかった銀髪を東雲が摘まみ上げる。先ほど叢雲が抜いて残していった毛髪だ。

 

「鬼が出るか蛇が出るか……いや、そんなかわいいもんじゃねえかもな」

 

 恐ろしく危険な橋だ。見ないふりをした方がいいに決まっている。このまま知らないふりで続けた方が今後も安泰だ。明らかに海軍の上層部が噛んでいる案件に首を突っ込もうものなら、東雲の職どころか命も危険だ。

 

 だが。

 

 こんなことを見逃すのか? この事態を見過ごしてしまうことは東雲将生の正義に反することではないのか?

 

「いや、正義だなんだとのたまうつもりはねえよ。だがな、これを許すつもりもないね」

 

 もしクローンという事実が真実だとしたら東雲に許容できないことだった。そしてその事実だけで東雲が動くには十分すぎる理由だ。

 

「……やるか」

 

 知ったからには引けない。引くつもりもない。なら選ぶ道はもう決まりきっている。

 

 まずやることは調査班と科学解析班の呼び出しだ。完全な証拠もなしに信じることはできない。信じるに足るものであると判断してから叢雲の持ちかけてきた話に乗る。ことは重大すぎる案件だ。慎重に慎重を重ねたってまだ足りない。

 

 ハイリスク。リターンはないかもしれない。それでも東雲は突き進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長月が一人、密室でホロウィンドウを開く。ぶるりと肌寒さを感じて震えたが、すぐに暖かくなるはずだと思い、意識から排除する。

 

「さて、始めるとしようか」

 

 ホロキーボードを出現させていくつものウィンドウを一斉に開いて目を走らせる。すぐに大型のコンピュータが唸りを上げて動き始め、冷却用のファンが激しく回転した。

 

 これだけの機材を用意した時点でもう何をするかは決まっていた。長月はこれから電子の海へ飛び込むのだ。

 これまでは若狭の隣で見ているだけだった。だからこれは長月がはじめて完全に一人で仕掛けるハッキングだ。

 

 仕掛け先は憲兵隊。常盤の所在を探るためだ。

 正攻法は既に試した。だが回答は得られないままだ。長月としても時間に猶予があるわけではない以上は、強硬手段ではあるがこの手をとるしかなかった。

 

 気づかれないために、数多くのサーバーを踏み台にした。防壁も用意してある。あとは長月自身にどれほどの腕が伴っているかどうかだ。

 

 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。今から危険な橋を渡るのだ。焦ることなく、だが気づかれないように素早く。

 

 憲兵隊の中央サーバーから関東地方の管理端末の方へアクセス。張り巡らされている防壁とトラップをくぐり抜けて目的の情報を探す。

 求めている情報はそこまで深くなくても見つかるはず。そう考えていた長月の読みは当たりだった。

 

「常盤美姫は憲兵隊資料室勤務……だが勤務記録はなしか」

 

 改竄された様子はない。そしてこれ自体が偽装である可能性も、ほぼ皆無だ。そういった痕跡は完全に消し去ることはできない。

 長月が勤務記録を表示させる。ここ最近はずっと有給を取っているようだ。

 

 つまり常盤は仕事に出ていない。なにかしらの事情で有給を取っている。それもずっと出勤することなく。

 

 ここまで調べてから長月はアクセスを切った。完全に切断されたことを確認してから詰めていた息を解放して少しだけ気を緩ませる。

 

 左遷されてから、常盤は足取りをすっぱりと絶ってしまった。今どこにいるのかわからない。だが長月はその所在が知りたいのだ。

 

「仕方ない。なら次だ」

 

 この手は少しばかり手間がかかるから取りたい手では無かった。だがなりふり構っている暇はない。

 

 常盤の顔をスキャニング。そして関東区の街頭カメラに検索をかける。

 今までのデータすべてに検索をかける以上は時間がかかる。ホロウィンドウが別で開き、表示されたバーが左から緑色に変わっていくが、そのスピードもゆっくりだ。

 

「処理には5分か……」

 

 十分に早くはあるのだが、それでも長月にとっては遅く感じる。けれどこればっかりはコンピュータにがんばってもらう案件で、長月の出番はない。ただ根気よく待つのみ。

 

 常盤はどこに消えたのだろうか。このデータを見ている限りは資料室に一度でも現れたような形跡はない。

 

「ん、出たか」

 

 そうこうしている間に5分が経ったようだ。じっとバーを見つめていた時はなかなか進まないとじりじりしたものだが、目を離すと早いものだ。

 街頭カメラとはいえ、すべての道をフォローしているわけではない。どうやっても見えない部分というのが存在してしまう。だが見える部分だけでも少し頭を捻ればわかることもある。そして若狭と仕事をした今までの時間が長月に捻る頭をくれていた。

 

「常盤美姫は自宅にいない……やはりか」

 

 しかも、もうしばらく帰っていない。憲兵隊の宿舎にいる様子もなく、その他の軍に関連がありそうな施設に寄った様子も見受けられない。今は足取りがつかめないところを鑑みると、街頭カメラの類の範囲外にいるのだろう。

 

 見つからないというのは、予想していたことではある。だからこそ最悪のケースを想定する必要が出てきたのかもしれない。

 

「はじめて一人でやった案件がいきなり荒事か……」

 

 うんざりとした表情で長月がぼやく。別に長月は荒事が好きなわけではない。むしろ回避すべきことであるとすら考えている。一度、起きてしまった荒事は隠すのが難しい。データの上のものなら気づかれないようにしやすいが、実際に起きてしまうと目撃者などが出てしまい、箝口令などを敷いたとしても人の口に戸は立てられないためにどうあっても漏出してしまう。

 

 だが避けられそうにない。若葉の話を聞いたあとでは余計にそう思わされるのだった。




こんにちは、プレリュードです!

さあ、ようやくゆるゆると動き始めました。叢雲と東雲が動き、そして長月も長月で動きました。もう誰も止められないし、止められません。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!

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