艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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Opus-15 『Hypocrisy point』

 そう簡単に行くわけがない。そんなことはわかりきっていた。だが、まさかここまで手応えがないものなのかと思うと、長月は愚痴をこぼしたくなった。

 

 

 だがまったく収穫がなかったというわけではない。長月とて何もなければ諦めかけていたかもしれない。

 

 

「常盤中佐の左遷後の勤務状況か……」

 

 

 常盤の付近を漁ってみようとはした。だが常盤は資料室勤務になった途端に出勤しなくなっていた。もしかすると憲兵の上層部から自宅謹慎を言い渡されているのかもしれない。もしくはただ単純に有給休暇をとっているだけか。

 不信感はある。だが問題は常盤と接触することができないことだ。

 

 

「これでは何も聞けないじゃないかっ……」

 

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめる。手がかりがひとつ消えてしまった。貴重とも言える手がかりが、だ。こうなってしまえば、また方針を固め直す必要が出てきた。

 

 

 だが帆波峻に話を聞くことは現状において無理だ。そこに関しては長月が頑張ったところでどうしようにもないため、待ちぼうけするしかないだろう。

 

 

 だが、全ての糸が途切れてしまったわけではない。

 

 

 だからこそ、長月はいまひとりで海軍本部からかなり離れた場所を歩いている。若狭にはどこに行くか告げずに。

 もちろん、外出する以上は報告義務がある。だから外出するという旨だけはしっかりと残してきた。

 

 

「さて、ついたわけだが……」

 

 

 着いた場所は常盤が以前に所属していた基地。すぐに乗り込みたいところではある。だが長月としては探りを入れていることに気づかれたくない。つまり公式な方法は取れない。

 公式に乗り込めるのならば、基地司令に挨拶をしてそれから調べ回ればいい。その手が使えない今、長月に残されている選択肢はひとつ。

 

 

 待ちぼうけだ。

 

 

 まだ日がのぼってから大して時間が経っていない。ならば長月が話を聞きたい人間が基地から出てくるまで外で待つ。これくらいしかなかった。

 さすがにしっかりとしたセキュリティのある基地にこっそりと侵入するのはリスクがあるし、見つかった時に非常にやっかいなことになる。

 

 

 つまり常に基地の出入口に気を配りながら気長に待つ。それしかない。

 

 

 いくら朝早いとはいえ、開いている店がないわけではない。適当に目に付いた店に入って、なんだがよくわからない長ったらしい名前のコーヒーを頼む。

 あとは基地が見張れる席に陣取ってコーヒーを啜りながら待つだけだ。さすがに基地全体が見渡せるような席はないが、出入口だけくらいならなんとかなる。

 

 

 ちょうどよさげな席を見つけると、店内でマフラーと手袋は変に目を引くため外す。もこもこした明るい色のニット帽子と度の入っていない伊達メガネはそのままにしておくことにした。

 

 

 長月は今、制服を着ていない。つまり完全に私服だった。少しばかり見た目は幼いが、格好にさえ気を使えば、ある程度年齢はごまかせる。

 

 

 つまりは変装。長月は喫茶店に長く入り浸る女子のように見せかけていた。服装も最近の流行りに合わせたものにしている。あまりこの手の服は個人的嗜好として好きではないが、流行りに乗った格好をしておけば周囲に溶け込める。

 

 

 油断なく見張りを続けながら手に持ったコーヒーを口元に運んで傾けた。口の中に広がる砂糖味のオンパレードに思わず顔をしかめる。

 

 

「……甘すぎないか、このコーヒー」

 

 

 ここまで甘いともはやコーヒーなのかどうかも疑いたくなってくる。よいコーヒーとは悪魔のように黒く地獄のように熱いのではなかったのか。色は何をミックスしたのかわからないが茶色っぽくなってしまっているし、上に乗っている泡立てた牛乳(スキームドミルク)のせいでかなり冷めてしまっている。

 こういう容姿で、これくらいの年齢層がよく飲んでいそうというだけの理由でそれっぽいものを頼むより、ふつうにブラックで注文したほうがよかったかもしれないと後悔したがもう遅かった。

 だが、頼んでおいて残すのもよくない。残せばこれは捨てられてしまうのだ。それは嗜好品ともいえるコーヒーをドブに捨てる行為に等しい。

 

 

 適当にタブレット端末をいじりまわす。特に目的があるわけでもないし、集中して基地の出入りを見落とすわけにはいかないので、あくまでも振りだ。

 

 

 だんだんと日が昇っていく。だが正午まで待つ必要性はない。

 

 

「よし、きた」

 

 

 急いで長月はコーヒーの残りを飲み干して、返却口に荒々しく突きかえす。甘ったるさにまた顔をしかめながら、喫茶店から飛び出す。

 

 

「待て!」

 

 

 声をかけられた人物がピタリと足を止める。明るい茶色の髪の毛がふわりと揺れた。

 

 

「話が聞きたい。悪いが時間をもらうぞ」

 

 

 有無を言わせない調子で長月が告げる。そして確信を持ってその人物の名を口にした。

 

 

「初春型駆逐艦3番艦『若葉』」

 

 

 そして少女──若葉が怪訝そうな顔で長月に振り向いた。

 

 

「……若葉に何の用だ?」

 

 

「常盤美姫。知らないとは言わせないぞ」

 

 

「若葉の司令官……いや、元司令官だ」

 

 

 若葉が言い直す。どこか複雑そうだ。まだ変わって間もないため、つい口をついてしまったのかもしれない。

 

 

「常盤美姫のことが聞きたい。元秘書艦だったことはすでに調べがついている」

 

 

「確かにその通りだ。だが見ず知らずの人間に教える義理は若葉にない」

 

 

「見ず知らずではないがな。同じ艦娘だ」

 

 

「……そうは見えないが」

 

 

「訳ありだ。変装しているだけだから問題はない」

 

 

 長月がニット帽子を取ると、まとめていた緑色の髪が広がった。

 

 

「それで信じろというつもりか?」

 

 

「こっちとしても身の上は明かしたくない。だから話せる事情だけ話そう」

 

 

「話せる事情?」

 

 

「常盤美姫は今、憲兵隊に所属していることは知っているか?」

 

 

「……」

 

 

 沈黙。だが若葉の微妙な表情筋の動きから、知らないと察する。

 

 

「情報交換といこう。そちらも常盤美姫のことを知りたがっていることはわかっている」

 

 

 だから長月は若葉に接触した。情報を欲している。ならば一時的な協力体制に持ち込めると考えた。

 

 

「悪いが、若葉には予定がある。改めて来てくれ」

 

 

「常盤中佐に会いに行っても無駄だ。会うことはできないだろう」

 

 

「なぜわかる?」

 

 

「おそらくは実質的な謹慎処分を食らっていると考えられるな」

 

 

 実際はどうか知らない。だが推測でもいい。足止めさえできれば。

 

 

 そして長月は賭けに勝った。若葉はしばらく黙った後に、長月に向かって一歩ぶん足を踏み出した。

 

 

「話だけなら」

 

 

「それで十分」

 

 

 長月がマフラーの下で詰めていた息を少しだけ吐き出す。だがすぐに口を真一文字に結び直した。まだ気を抜いていい段階じゃない。

 長月が先導し、数歩うしろに若葉があとを追う。ふと若葉が口を開いた。

 

 

「若葉が出てくるまで毎日、張っていたのか?」

 

 

「まさか」

 

 

「ならどうして今日、若葉が外出すると知った?」

 

 

「すまないが、企業秘密だ」

 

 

「……ならいい」

 

 

 別にどうということはない。ただ、長月は常盤の身の回りを調べようと決めた過程で基地のこともざっと洗った。その時に、若葉の外出許可申請が出されていることを知っただけだ。

 そして若葉に接触することを検討に入れ始めた時には、若葉が常盤に会おうとしていることまでは調べをつけていた。

 

 

 適当な場所、ということで公園のベンチを選択。背中合わせになるような位置取りで長月と若葉が腰を下ろした。

 

 

「先に言っておくが、若葉は提督のことは何も知らないぞ」

 

 

「何も、ということはありえない。短い付き合いではないんだろう? 性格、行動、好悪。そういったものを感じ取ることはあったはずだ」

 

 

「……こちらも話すからにはそっちも話してくれるのか?」

 

 

「話せることはそうだな、最初に言った憲兵隊への赴任、そして左遷。ここのラインならある程度は」

 

 

「ひとつ聞かせてほしい。提督は何かの目的のために憲兵隊にもどったのか?」

 

 

「そうだ」

 

 

 何か、の内容である峻の逮捕もしくは殺害は教えることができない。だから長月は具体的な内容に触れることは避けた。

 だが若葉も鈍いわけではない。憲兵隊ということは犯罪者、もしくはテロリスト関連を請け負っていることくらいは察しているはずだ。

 

 

「その目的の如何にもよるが、気をつけた方がいいと思う」

 

 

「なぜ?」

 

 

「……あの人はよほどの理由がない限りは諦めるタイプじゃない。ヨーロッパでは国際関係という理由があったから抑えていたようだが、抑え込む理由がないのなら警戒しないとあの人はどこまでも突っ込んでいくぞ」

 

 

「…………肝に銘じておこう」

 

 

 あとは情報の交換を続けるだけだ。どれだけ若葉から引き出せるか。そしてどれだけ長月は公開してもいいレベルの情報だけで逃げ切れるか。

 長月はこんなところでつまづくわけにはいかないのだ。若狭の狙いを探る為にはたったひとつのミスすらも許されない。

 

 

 有益な情報が得られたかどうかはわからない。だが知っておけば後から後悔することもないだろう。

 話が尽きたタイミングでお互いが何かを言うわけでもなく長月と若葉は別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海。母なる海は色々な顔を見せる。

 

 

 そして叢雲は埠頭でぼんやりと海を眺めていた。横須賀では特にやることもない。帆波隊は解隊になっている。そして叢雲は帆波隊の旗艦だった。

 つまり、新しい配属先に送り込まれるまで時間を持て余しているのだった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 我ながら、らしくないとは思う。ただ日がな一日ずっと埠頭に腰を下ろして海を見ているだけ。叢雲は何かをしようという気力が今はまったく起きないのだった。

 

 

 置いていかれた。見捨てられた。それが叢雲の心に重石のようにのしかかっている。

 

 

 でもどうしてこんな嫌な気持ちなのかわからないのだ。

 

 

 置いていかれているが、峻を生かすという叢雲の当初の目的は果たしている。事実として、峻は未だ逃亡中だ。

 これでいいはず。峻が生き続ける事ができて、叢雲は無事に軍に戻る事ができた。だから最良の結果が得られているはずだ。

 

 

 それでも納得できていない自分がいる。理由はわからないけれど、とにかく腑に落ちていないのだ。

 

 

「どうしてかしらね……」

 

 

 目を伏せて叢雲は呟いた。これでいい。これでいいはずなのだ。叢雲が人質にされていたことは演技だったと話さなければ気づかれることもなく、このまま平穏に生きていける。それでいいはずなのだ。

 

 

「叢雲ちゃん」

 

 

「……吹雪」

 

 

 振り返らなくとも声でわかった。姉妹艦の長女なのだ。わからないわけがなかった。

 

 

「何よ」

 

 

「ずっとこんなとこにいたら体を冷やして風邪ひいちゃうよ」

 

 

「別にいいじゃない。私の体なんだし」

 

 

 風邪を引こうが引かまいが、吹雪は迷惑しない。それに風邪をひいたところでなんだというのか。どうせ叢雲には出撃命令はしばらくの間は下る事はない。それにもう執務をやる必要もない。なら体調管理をきっちりする必要も感じられなかった。

 

 

「叢雲ちゃん最近ご飯しっかり食べてないでしょ。ほんとに体を壊すよ」

 

 

「いいって言ってるのよ」

 

 

 食べたいとも思わなかった。今はせいぜい海をぼんやりと眺めているくらいしかやることがないのだ。もやもやとしたものを抱えたまま、座っていること。それが叢雲の日課みたいになりつつあった。

 

 

「何を気にしているの?」

 

 

「さあ? 私のことなのに私がわからないなんて変よね」

 

 

 叢雲が自嘲的に笑う。吹雪が寂しそうに吐いた息は白かった。

 

 

「……叢雲ちゃんはそれでいいの?」

 

 

「ええ。これでいいはずなのよ」

 

 

「その言い方だとやっぱり納得できてないんでしょ」

 

 

「だとしたらなによ? いまさらもう、どうだっていいじゃない」

 

 

「本気でそう思ってるの?」

 

 

「…………」

 

 

 わかっていた。本気で納得しているのなら、こんなところでずっとぼんやりしているわけがない。いつも通りすごせばいいし、さっさと新しい配属先に送ってくれと言えばいい。

こうやってもやもやとしていること、それ自体が叢雲自身、腑に落ちていないれっきとした証拠だった。

 

 

「そうやって燻ってるのは叢雲ちゃんに似合わないよ。進まなきゃ。わからないなら突き詰めなきゃ。じゃなきゃずっとそのままだよ。叢雲ちゃんはそれでいいの……?」

 

 

「じゃあどうしろってのよ」

 

 

「そんなのそれこそ私にわかるわけないよ。私は吹雪であって叢雲ちゃんじゃないから。でもさ、わからないままは嫌なんでしょ? じゃあ動こうよ。叢雲ちゃんなりのやり方で、さ」

 

 

 叢雲は逡巡した。どうするべきなんだろうか。いや、どうしたいんだろうか。

考えてすぐに答えが出るわけがないと思っていた。だからずっと思考を放棄し続けてきた。そのせいかもしれない。叢雲は驚いていた。まさかこんなに簡単に答えが出るなんて思っていなかったから。

 けれど出ないと思っていた答えは出た。

 

 

 自分を置いていった真意が聞きたい。

 

 

「……吹雪、教えて欲しいことがあるの」

 

 

「なあに?」

 

 

「東雲中将、どこにいるかわかる?」

 

 

「埠頭でタバコを吸ってないなら執務室かな。いなくても少し待てばすぐに戻ってくると思う」

 

 

「そう。ありがと」

 

 

 埠頭の端に腰掛けていた叢雲はすっくと腰をあげると服の裾を軽くはたいて砂を落とした。そして吹雪の横を通って鎮守府の中へと向かっていく。

 そしてそれを吹雪はただ見守り続けた。

 

 

「はぁ……ホントに感謝してるなら『ありがと、お姉ちゃん』って言って欲しかったなあ。やっぱり私は長女っぽくないのかな……」

 

 

「そうですか? さすが吹雪型の長女だと思いましたよ?」

 

 

「翔鶴さん」

 

 

 いつから見ていたんですか、なんて野暮なことは聞かない。最初から聞いていなければ翔鶴の言葉は出るはずのないものだったからだ。

 

 

「沈み込んでいた叢雲ちゃんを救ったのはなかなかできることじゃないでしょう。やっぱりお姉ちゃんだからですかね」

 

 

「やめてください、翔鶴さん。私は叢雲ちゃんを救うことなんてまったくできていないんです」

 

 

「でも叢雲ちゃんは前を向いた。違いますか?」

 

 

「あれはその場しのぎです。沈み込んでいる本当の原因がわからないのに叢雲ちゃんの中につっかえているものを取り除くことはできません」

 

 

 吹雪は空を仰いだ。どんよりとした雲の立ち込める灰色の空は寒々しい。

 

 

「応急処置みたいなものです」

 

 

「応急処置?」

 

 

 翔鶴がおうむ返しに聞く。吹雪は空を仰ぎ続けながら小さくこくりとうなづいた。

 

 

「一時的に傷を覆い隠しただけで回復はしてないんです。鎮痛剤で痛覚をごまかしただけ、包帯で目に見える傷を見えなくしただけ。板で船底に空いた穴を塞いだだけ、傾いた船体を戻すために注水しただけ」

 

 

 だから、と吹雪が続ける。

 

 

「私がやったのは救いなんかじゃなくて、もっとひどい別のなにかです」

 

 

 吹雪はわかっていた。自分のやったことによってさらに叢雲が傷つく可能性があることに。

 それでも見ていられなかった。気持ちの沈み込んでいる妹を目の前に見過ごすことは吹雪にできなかった。たとえその行為が偽善だと知っていてもだ。

 

 

「戻りましょう、吹雪ちゃん。ここは冷えます」

 

 

「……はい」

 

 

 やらない善よりやる偽善。確かにその通りかもしれない。何もせずに傍観しているよりは行動をした方がずっといいという考え方もある。

 だが果たしてその偽善がさらに深く傷を抉ることになるとわかっていても、行動をするのは本当に正しいことなのだろうか。

 

 

「でも私が動いたのは叢雲ちゃんのためなんかじゃない」

 

 

 これが叢雲のための偽善ではないことは重々承知だ。それでも吹雪は動くしかなかった。

 

 

「だからごめんね、叢雲ちゃん」

 

 

 たぶん、この命題は人の数だけ答えがある。だから本当に正しい答えなんてないんだろう。けれどただひとつ、吹雪にわかっていることがあるとするならば。

 

 

 吹雪(かのじょ)は未だにその答えを持たない。

 




こんにちは、プレリュードです!
毎度毎度、迷走することに自分の中で定評のあるカルメンですが本当にどこを目指しているんでしょうね。
そして何話ぶりかで吹雪が登場です。覚えてくれてたら嬉しいですね。ちょこちょこと出してはいましたが、ぶっちゃけると影は薄かったので。若葉とかもお久ですね。まあ、彼女の出番はもうないような気がしますけど。

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