人っ子ひとりと居ないはずの廃墟。そこにこそこそと動く人影があった。ボロを被り、まるで浮浪者のような格好をした男が寒そうに口元を布で隠した。
そして布の中に仕込まれた通信機に口を近づける。
「捜査本部へ。こちら第108憲兵隊。ターゲットの潜伏している廃屋を発見しました」
『その場で待機。引き続き監視を』
「はっ」
寒風が吹き荒ぶ真冬。物乞いのような格好をしてカモフラージュしている憲兵には堪える寒さだった。
だがそんなものは関係ない。彼にとっては些細なことだ。
「さあ、年貢の納め時だ反逆者」
彼は僅かに明かりが漏れる廃屋を睨んで小さく囁いた。
「報告します。ターゲットの場所が判明しました」
「へえ、意外とかかったね」
「廃墟に潜伏していたため、捜索に手間取ったとのことです」
「そう。気取られてないなら結構だよ」
常盤が爪にヤスリをかけながら報告を受ける。深爪にはならないように短く切られた爪が丸みを帯びていく。
「動けるのは?」
「現状で即応可能な部隊は107憲兵隊、第109憲兵隊、第110憲兵隊、第113憲兵隊から第115憲兵隊までの6つです」
「108は捜索で各地にバラけてたから再集合をかけなきゃいけないからねー。6、かぁ……」
磨きあげた爪に短く息を吹きかける。頭の中で算盤を弾いた。
「前回の105は全隊員を投入したわけじゃないし、残りは動かせない?」
「105も捜索班に編入していたため、難しいかと」
「うーん。まあ、ないものねだりしても無駄か……」
6つなら数は200を超える。たったふたりを相手にするには過剰すぎる戦力だ。
「ほんとは引っ張ってこれるなら戦車くらい持ってきたいとこなんだけどね。さすがにちょっと難しいや」
陸さんに出してもらえないか打診してみようか? とふざけた口調で常盤が続ける。
「さすがに問題になるかと」
「わかってるって。冗談が通じないなー」
すっと常盤が肩をすくめる。ヤスリを机にことんと置き、部下の男に視線を注いだ。
「即応可能部隊に通達。8時間後に『オペレーション・イーカロス』を開始する。全部隊に作戦概要を回して」
「了解」
部下の男が報告書を常盤の机にそっと置くときっちりとした回れ右で退出した。すぐに常盤が報告書に手を伸ばす。
「そういえば結局、若狭クンから連絡はなかったなー。彼の右脚のスペックがわからないのは痛手だけど、まあなんとかするしかないね」
ぺらぺらと報告書のページをめくる。どうも各地方にいる憲兵隊の集合率があまりよくない。本当ならばもっと数を投入したかったが、ターゲットが発見された以上はあまり時間を引き延ばすのは得策と言えなかった。
これから先を読み進めても大した収穫は無さそうだと見切りをつけて常盤が机に報告書を放った。叩きつけられた報告書は磨きあげられた常盤の机をなめらかに滑った。
「っ!」
滑らせてるがままにさせていた報告書が机の上に伏せていたフォトスタンドをビリヤードのように弾いた。慌てて常盤が身を乗り出してフォトスタンドを掴んで、机の上から落ちることを防いだ。
ふ、と一瞬だけ詰めた息を吐き出してフォトスタンドを伏せるように置いてから、再び報告書に視線を投げる。
常盤は峻のことを認めていないわけではない。ヨーロッパで生き残ってきた時は自分の評価が不当なものだったと思って改めたし、技術士官としての腕も特筆すべきものがあると思っている。
だからこそ腹立たしい。
自分とどこか似通った匂いがする。それでもって実力もある。それなのに何もしない。自分から何もしようとしない。
力があるくせになぜ何もしない。それがどうしようもなく苛立たせる。
どういう感情なのかいまいち明瞭にならなかった。だが今ならはっきり言える。
私は帆波峻という人間が大嫌いだ。
「だからこそ、ここで仕留める。『ウェーク島の英雄』サマの翼をもぎ取って地にたたき落としてやらなきゃね」
常盤が笑みを深めた。1度は取り逃がした。だがもう逃げる余裕は与えない。
第105憲兵隊は確かに峻に負けた。だが持ち帰ったものは貴重だ。帆波峻の戦闘。この情報があるとないでは大きく違う。
わかったことはふたつ。
殺さずを貫いていること。そして遠距離攻撃の手段を多くは持っていないこと。
ひとつめは期待できないだろう。追い詰められたら悠長に殺さずなどせずに攻撃してくる可能性が高い。
だがふたつめは違う。
105との戦闘において、峻はほとんどすべてを格闘戦でカタをつけている。ハンドガンは決め手として使っていたのではなく、ほとんどが牽制目的や、小銃などの脆弱な部分を正確に撃ち抜いて、武器を破壊することに使用していた。
仮に本気を出して拳銃を決め手にし、銃撃主体に切り替えてきたとしても、たかがハンドガン。射程はナイフよりあっても、弾幕を張ることはできない。
ならば打つべき対策は何か。答えは簡単だ。
そもそも近づかせなければいい。届かない場所から撃ち続けてなぶり殺しにする。なにも相手の得意な距離にあわせてやる必要性など、どこにもないのだ。
「
誰もいない部屋に常盤の声が木霊する。
「君はただの反逆者で、ただのテロリストだ。それ以上でもないし、それ以下でもない」
だから死ね。
そう続けた常盤の目は暗く燃えていた。
同期だから。そんな情はそこに微塵も介在しない。
「太陽に灼かれて堕ちろ、イーカロス」
ただそこにあるのは剥き出しの敵意。そして憎しみの感情だけだ。
『オペレーション・イーカロス』開始まであと5時間……
夢を見ていた。
それはとても温かく、ずっとそこにいたいと思わせるものだった。
楽しい。そう感じながら、ずっと引っかかるものが胸の奥にあった。
自分にこれを享受する資格はあるのか。さんざん人の人生を奪ってきた自分には資格がないのではないか。
どこかで距離をとっていた。適度に親しく、それでも最後の一線は引き続けていた。
自分のせいで夢をめちゃくちゃにしてはいけない。そのために身を引いた。
だから。
だから巻き込んでしまった叢雲を無事に帰すことが責任を負うということだろう。
「ぅん……」
もぞもぞと叢雲が寝袋の中で小さく動く。峻がガスランタンを片付けて荷物を纏めていく。
「起きろ。ちょっとやばそうだ」
「……見つかった?」
「だな。かなり遠いところにいたから気づくのが遅れた」
小鍋をしまい、峻の寝ていた寝袋をくるりと巻いてコンパクトにする。かなり手早く纏めているその様子から焦りが窺えた。
「今朝になって展開を始めたから気づけた。かなりの規模だ。憲兵隊は本気らしいな」
「どうするつもりよ」
「また俺が前で暴れて突破口を作る。それでいいだろ」
「じゃあ、私は……」
「待機だ」
きっぱりと言い切る。ショルダーホルスターからCz75を引き抜いてスライドを往復させると、セーフティをかける。マガジンを引き抜いて弾倉に空いた1発分を込めた。
「さて、どう出てくる……?」
2階の窓からちらりと外の様子を覗く。動く気配はない。だが小さく見える人影はフルフェイスのメットを被り、ボディーアーマーも装着していた。
「フル装備かよ。ずいぶんと気合いの入ったことで」
皮肉っぽく峻が言い捨てる。前回は市中であったためか、小銃こそ持っていたが軽装といってもいいレベルだった。だが今回は前回と同様に小銃も持って、そこに防具も固めてきた。本格的にやり合うつもりのようだ。
「……こっちも温存できるような状況じゃなさそうだ」
叢雲を帰すまでは殺すことができない。だがナイフとCz75だけで、なおかつ不殺を貫いて突破できるほど甘いわけでもない。
「出方次第で対応を変えるしかないな、これは」
1階に駆け下りていつでも飛び出る準備を整える。その後に荷物を抱えた叢雲が下りてくる。
「叢雲、お前はこっちだ」
「えっ?」
叢雲を連れて、ここに潜伏した初日に探索したキッチンへ。思っていたよりも重い床下収納の戸を持ち上げると中のものを掻き出す。
「この中に隠れてろ。流れ弾がないとも限らねえ」
「私は……」
「始めに言ったことを忘れたか? 終わったら……そうだな。2回ノックして、ワンテンポ空けてからもう1回ノックする。それ以外は開けるな。もしそれ以外で蓋を叩くやつがいたら、そいつをなぎ倒せ。その後は俺がやられたものとして逃げること」
「っ……わかったわよっ」
キツい口調でまったく心にもない納得の言葉を叢雲に口にさせると床下収納へ押し込んだ。
完全に蓋を落としてから峻が自嘲的に笑う。
なにがついてくるなら言うことを聞け、だ。お前は何のために戦うつもりだ? 叢雲が無事に帰れるようにする環境を整えるまでの場繋ぎだろう?
「うるせえ」
余計な思考を頭から追い出す。やらなければいけないことは明白だ。叢雲を傷つけることなく、そして叢雲に傷つけさせることなくこの場を、更には今後を切り抜ける。
これは叢雲の知る戦場じゃない。艦娘が知っていい戦場じゃない。
「俺はもう戻れん。戻るつもりもない。だがお前はまだ引き返せる」
返事は返ってこない。聞こえないように言ったのだから当然だ。
「勝手に死ぬな、か……」
左手のCz75をじっと見る。何度も使い込んでしっくりと手に馴染んだ拳銃。
これを自分に向かって撃つだけで死ぬ事が出来る。
「誰かを守れた。そんな自己満足と共に死ねたらどんなにいいだろうな」
だが死ねない理由が与えられてしまっている。だから死ねない。
「あまり悠長に構えてる暇もないか」
ズボンの右裾をまくり上げる。右の靴下と靴を脱ぎ捨てると滑らかな人工皮膚が露わになった。
「痛覚神経カットオフ。義足戦闘用プログラムオン」
峻がつぶやくと、義足の表面を覆っていた人工皮膚が剥がれ落ち、磨きあげられた金属が顔を覗かせる。関節は途中で引っかかるようなことはなく、非常になめらかに動く。
「さすが明石と夕張の仕事だ」
峻が鋼鉄の右脚を叩いた。きちんと動く。初めて戦闘用プログラムを使ったが、今の所はうまく起動している。まだ装着してから2週間ほどしか経っていない。戦闘用プログラムで動くのはリスキーだが、やるしかない。
「だが近づいてくる気配がねえ……ひょっとすると遠距離からきめるつもりか?」
だとしたら厄介だ。こちらに遠距離攻撃の手段はない。いや、ないわけではないが、小銃とCz75では手数が違いすぎる。狙って撃ってくるのならやりようもあるが、近づかせないことを目的に撃ってくるのなら、はっきり言って接近戦に持ち込むことは難しい。
そして近づく余裕も与えてくれないということは、コンバットナイフとCz75、加えて憲兵隊の車からかっぱらったC-4と手榴弾しかない峻には非常に喜ばしくない状態だ。
「どうしたもんかな……」
じゃり、と鋼鉄の右脚がガラス片を踏みにじる。得意の土俵に引きずり出す必要がある。それまでの過程を見つけなくてはいけない。
「とりあえずは様子見……っとぉ!」
バン! と玄関のドアを開け放つ。同時に素早くバックステップ。そして継ぎ目を感じさせないほどなめらかに左ステップで部屋へと飛び込む。
その一連の動きの最中に、連続した銃声が何十と響く。峻がいた場所に突き刺さり、床に穴を穿つ。
峻は部屋の中に転がり込むと、姿勢を低くしたままで部屋の窓に近づき、外の様子を顔が出ないように覗いた。
「狙いを定める気がない……どちらかというと退路を塞ぐ撃ち方をしてくるか」
廃屋に穿たれた穴の位置から誰がどう撃ったのかを推測。扇のように撃たれたようだが、かなりの密度で撃ち込まれている。
放射状に撃たれてしまえば左右に避けることは難しくなる。そしてそれぞれの銃撃の間隔が狭く、峻の体を入れ込めるほどのスペースが存在しないのだ。やはりそもそもとして近づかせるつもりがないのだろう。
「相手の得意なレンジに付き合ってやる義理はねえってか。妥当な判断だな」
憲兵隊の指揮官を峻は内心で称賛した。不必要に味方を危険にさらさず、そしてなおかつ有効な手段だ。取ってきたやり方は実に正攻法とも言える。真正面からぶち当たっていくには少々、いやかなり峻にとって部が悪い。
だが今更その程度で屈するようなつもりは微塵もない。これぐらいの危機なら何度だって乗り越えてきた。その場にあるものと自らの頭を振り絞ってどうにかしてきた。
五体満足。頭もクリア。手元には愛銃のCz75とコンバットナイフ、手榴弾にC−4爆弾と鋼鉄の義足。
武器もある。脳も回転してくれる。体も動く。
「つまりベストコンディションだ」
峻が嗤う。右の口角を吊り上げてぐにゃりと挑発的に。
自分との戦闘のために練られた対策。自分の土俵に持ち込めないという、なんとも苦しい状況に追い込まれた。
だが正攻法だけが全てではない。
正攻法が通じないのなら、どんな搦手を使ってでも引きずり出せ。足りない脳なら出涸らしになるまで絞り尽くせ。絶対条件を出し、その上で全てを満たし切る方策を暗中から探り出せ。
今までもそうやって生きてきた。何も変わりはしない。
ただ場所が変わっただけ。自分自身の腕に頼るしかないというところは何一つとして変わっていない。
口の端に火の着いていないタバコを咥える。ほこりっぽくはあるが、それでもいい。
「まったく……なんも変わんねえ」
ちらりと窓から外を覗く。相も変わらず近づいてくる様子はなく、こちらの出方を見ているだけのようだ。
もっと近づいてこなければやりようがない。わかってやってきている分だけなおのことタチが悪い。
二、三発ほどCz75を撃って威嚇してみるも、無反応。
「さあて、本当にどうしたものかね……」
峻が悩ましげにつぶやいた。
ブーツが廃れてひび割れた道路を踏む。目の前に展開した部下たちにいつでも銃撃させられるようにじっと目標のいる廃屋を見張らせていた。
1度目の銃撃から何かをしてくる気配はない。3度ほど銃声がしたが、それも特に何かあったわけではなかった。一応と思い、警戒はさせたが無意味に終わりそうだ。
「向こうも様子見か」
「隊長」
「……なんだ」
「目標が105と戦闘をし、たった1人で薙ぎ倒したというのは本当でしょうか。自分は未だに信じられません」
「……事実だ。残念だが我々の個々人では目標には敵わん」
だからこその集団戦法だ。作戦概要を見せられた時は大袈裟なと思ったが、その直後に見せられた105との戦闘記録を見せられて驚愕すると同時に納得した。
「それでは……」
「だが、だ」
弱気なことを言おうとした部下の言葉をきっぱりと遮る。
「我々には戦略というものがある。わざわざ正面からぶつかる必要はない。戦術というものは時に強大な敵を容易く打ち倒せるものだ」
「つまり……」
「勝てる。必ずな」
これだけの人員を投入し、装備も徹底しているのだ。これで逃げられるわけがない。
「そのまま監視を続けろ。何が何でも逃がすな。ここでケリをつけるぞ」
「はっ!」
駆けていく部下を見送りながら心に誓う。もう逃がしはしない。憲兵隊の威信にかけて。
こんにちは、プレリュードです!
まーた戦闘かよと思われたそこのあなた。安心してください。自分もまーた戦闘書いてんのかよと思ってます。どったんばったん大騒ぎしてるわけですが仕方ないよね。だって反逆者だもの(み〇を)
まあ、言い訳がましく並べ立てましたが避けられないんですよね、戦闘回。まあ、今回はそこまでド派手にならないことを祈りますよ。
無力さを突きつけられていく叢雲の心情やいかに。それをよそにすべて1人で片付けなくてはいけない帆波は持つのか?といったところでしょう。
感想、評価お待ちしてます。それでは!