いくつもホロウィンドウを浮かべては消すを繰り返す。映し出されているのは街頭カメラの映像だ。その全てを若狭は瞬時に確認していく。
「若狭、東京第3区画街頭カメラの確認が終了した。対象は見つからずだ」
「了解。この様子だと帆波は市街地から姿をくらましたかな」
「まだ確認できていない区画があるのにそう断定するのは早計じゃないか?」
「確かにね。やっぱり僕と長月のふたりだけでは時間がかかりすぎるか」
街頭カメラは無数に設置してある。それら全てを確認して、その中に映る無数の人間から峻か叢雲を見つけ出さなくてはいけないのである。
「これは別のツテをあたったほうがいいかな」
「……あるのか? これは他の防諜部の人間に頼める案件だと私には思えないんだが」
「防諜部には頼まないよ」
「ならどこに?」
「僕にもいろいろとコネクションがあるってことさ」
「まあ、そうだろうな」
長月が監視カメラの映像に目を走らせながらうなづく。人と人との繋がりというのはこういう仕事において必要なものであることは長月も察していた。
そしてその繋がりを躊躇いなく切れる非情さも必要であることを若狭と仕事をすることで学んでいたのだった。
「若狭は帆波大佐……いやもう大佐ではないが、あの人を捕まえたらどうするつもりなんだ?」
「東雲はお人好しだからね。帆波には何か逃げるだけの理由があると思い込んでる。でも僕はそこまで楽観的じゃない」
「答えになっていないぞ」
「前置きだよ。少しくらい付き合ってくれてもいいじゃないか」
責めるような長月の声色に若狭が肩をすくめる。手も目も休めることはないが、軽口を叩き合う余裕くらいは若狭にも長月にもあった。
「東雲はさ、逃げる理由が知りたがってる。そのために帆波を捕まえて聞こうとしているんだよ。でも僕はそんなものはどうだっていいんだ」
「気にならないのか? まったく?」
「まったくと言ったら嘘になるかもね。でも二の次であることは確かだ。僕の懸念はね、帆波から機密が国外に漏れることだよ」
「……なるほど。今の状態では軍の庇護下にない。つまりスパイやらエージェントが接触したい放題ということか」
「そういうこと。それを危惧しているから早くなんとかしようとしてるのさ」
「だが見つからないな」
「……そうだね」
見つからないことに関しては若狭も認めざるを得ない。渋い顔で首を縦に振るしかなかった。
「ところで若狭、頼まれていた件だが」
「ああ、相模原の持っていた写真の話かな?」
「それだ。えっと……そうだ、ここだ」
ごそごそと長月が服のポケットを探り、1枚の写真を取り出す。そこに写っているのは若かりし頃の相模原貴史と右の口角を吊り上げて笑う男、そしてあどけない顔を浮かべる幼い子供の3人。
「この相模原の隣で写っている男は誰だかわかった?」
「そっちはまだ。だがこの少年ならわかったぞ」
「誰だった?」
「帆波峻」
「…………へえ」
「なんだその反応は」
長月がじとーっとした目で若狭をにらむ。
「いや、意外な人物が出てきたと思って。確かかい……って聞くのは失礼か」
「確かだとも。骨格照合でもコラージュ写真でもほぼ確実に同一人物だと言われたんだ」
バシッと長月が照合結果を机に叩きつけるようにして置いた。ちらりと若狭は目をやっただけだったが、それだけで理解したようだ。
「なんの因果だろうね。相模原の持っていた写真には帆波の幼少期らしき姿が写ってる。結局のところ相模原の目的はいまいち掴めないよ」
「殺された理由がわからないということもあるな。ここはまださっぱりだ」
「そうだね。まあいいさ。ことが終わったら少し本腰を入れて調べてみるよ」
「それならそろそろ別の方法に移らないか? 監視カメラを見続けてもふたりでは無理があるぞ」
「……わかってはいるつもりだけどね。少し考えさせて」
露骨に若狭がため息をついた。長月の整った眉が小さく動く。
「どうするつもりなんだ?」
「本当にどうしようね……っとと、向こうから来るなんて」
監視カメラの映像を映していたホロウィンドウが全て閉じて、通信用のウィンドウを開いた。知った名前が浮かび上がり、数回ほどのコール音。タップして通信に応じるとかけてきた相手は出た。
『はいはーい。若狭クン、ご機嫌麗しゅう。まっさか通信に出てくれるなんてねー。明日は深海棲艦の本土侵攻でもあるかにゃん?』
「なんの用事だい?」
『女の冗談を無視する男は嫌われるよー?』
「面白味に欠ける冗談ばかり言う女性はタイプじゃない。手短に僕は済ませたいんだ。常盤」
『何?』
おどけた様子で常盤が返す。
「
『……へえ、さっすが若狭クン。もう知ってるんだ』
憲兵隊に戻ったことを知っている。遠回しにそう告げた若狭に常盤が皮肉っぽく称賛した。
「仕事柄、耳は速いつもりだよ。で、その憲兵隊特犯官の常盤中佐が僕になんの用事?」
『ひとつ聞きたいことがあるの』
「聞きたいこと、か」
『そそ。若狭クンならさ、彼の右脚に装着された義足のスペックが記された仕様書、手に入るんじゃない?』
「……仮に、仮にだよ。それが入手できたとして僕が常盤にそれを流してあげる理由は?」
『そうだねー。若狭クンはもう知ってる?』
「なにを?」
『空惚けちゃって。憲兵隊は近々、大規模に作戦展開するのよん。で、アタシとしてはもちろん成功させるために情報はあるだけ欲しいの』
「で、寄越せってわけかい? そんな虫のいい話が通るわけないじゃないか」
そもそも応じてやる義理は若狭にない。若狭自身にメリットもない要求を飲んでやるわけもなかった。
『ま、そうも言わずにさ。東雲クンが持ってるでしょ、仕様書は。だから東雲クン側にもメリットを提示しようと思ってね。』
「なにを提供するつもりだい?」
『
「かわりに義足のデータが欲しいってわけだね」
『そーゆーこと。どう? 悪い話じゃないと思うけど』
互いに提供し合っているという点では確かに平等といえる。だが常盤は作戦を失敗したらと言ってはいるものの、失敗させる気など露ほどもないだろう。メリットらしきものをチラつかせて欲しい物を釣り上げる魂胆だということは見え透いていた。
「わかった。東雲に話は回してみよう。纏まったら連絡するよ」
『こっちから持ちかけといて悪いけど、そっちが纏まらなくてもこっちは動くからね?』
「わかってる。最初からこっちもそのつもりだよ。協力体制は敷く。でも……」
『味方じゃない、でしょ?』
「理解しているようでなによりだよ」
底冷えのする声で若狭が言った。目的は似ているようで違っている。そもそもが相容れるわけがない。
「じゃあ、そういうことで」
『待って若狭クン』
若狭は通信を切ろうとして常盤に呼び止められた。通信終了のボタンをタップしようとしていた右手が空中で所在なさげに止まる。
『若狭クンはさ、第105憲兵隊の戦闘データ見たんでしょ?』
「見たよ。それが?」
『どう思った?』
「こういうことを聞くのは常盤が最後の人間だと思ってたよ」
『あんなふうに戦う彼、見たことある?』
「ないね。ここまでできるのは予想外だった」
『それだけ?』
「何を聞きたいんだい? ここからは追加料金になるけど」
『ちぇ、ケチー。まあ、何を見返りに求められるかわかんないしいいや。それに確証はなくても十分』
「そうかい」
『ん。あ、最後にひとつ。昇進おめでとう、海軍中佐防諜部対内課対策室室長若狭陽太クン?』
プツンと通信が切れた。通信終了の旨を告げるホロウィンドウを黙って若狭が見つめる。
「常盤中佐は最後、なにが言いたかったんだ……?」
「挑発の方かい? それとも戦闘記録の方?」
「戦闘記録の方だ」
「それなら説明するよ。僕も話しながらの方が考えをまとめやすいし」
若狭がちょい、と長月を手招きする。意図をくんだ長月が素早くファイルを開き、第105憲兵隊の戦闘記録を寄越した。
「長月、説明すると言っておいた手前でなんだけどあくまでこれは推測なんだ。オフレコにできると誓える?」
「誓おう」
まったく間を空けずに長月が首肯。あまりの早さに若狭がちょっとだけ笑った。
だがその綻びはすぐになりを潜め、仕事の引き締まった顔にすり変わる。
「映像記録として残ってるのがこのデータ。長月も見たよね」
「ああ。たった1人で憲兵隊を打ち倒していくのは映画みたいだと思った」
「ちなみに長月、拳銃ってどっちの手で持つ?」
「何を言ってる? 右に決まってるだろう」
「じゃあそれを踏まえた上でもう1回この映像を見てみて」
ぱっと映画が再生された。一コマたりとも見逃すまいの長月が一生懸命になって睨む。だがそこまでする必要もなく、すぐにはっと長月が目を見開いた。
「左手で撃ってるぞ」
「そう。帆波は左手で拳銃を撃ってるんだ」
拳銃は構造上、空になった薬莢を右に排出するものが多い。そして映像のものは右に薬莢を排出している。
右手で拳銃を持っていれば、薬莢は体の外側へと飛んでいく。だが左手で撃てば薬莢は体の内側へ飛んできてしまい、邪魔になるのだ。
「撃てるものなのか?」
「撃てないとまでは言わない。でも普通なら絶対にやらないね。左手だとリコイルショックを抑えられない場合がある。ハンドガンだって反動は結構なものなんだよ。訓練を受ける時、最初に叩き込まれるのは銃は右手で持つことなんだ。どこの国でも必ずそう教えるものなんだよ。両手で持つことから教える場合も多いけど、左手は絶対にない。左利きも右で持つように矯正するくらいなんだ」
「私たちは拳銃を持つことはあまりないから少し新鮮だな。左で撃ったらどれくらい当たるものなんだ?」
「右で撃つことに慣れているならまったく当たらないよ。静止している的でも難しいのに、ましてや相手は動き回る人だ。おまけにちゃんと訓練された憲兵なんだよ」
若狭が難しそうに顔をしかめる。それがどれだけ難易度が高いことなのかは拳銃をあまり持つことのない長月にはうまく伝わらない。
「わかりやすく言おう。長月の利き手は右手だね? じゃあいつも右手でやることを左手でやってみるところを想像するんだ」
「…………それは難しそうだ」
「少し大袈裟な例だけど、そういうこと。で、話を戻すけど左手で拳銃を持つなんて絶対に教わってないはずなんだ。なのに帆波は緊急時において左手で持った」
「知らなかった……ということはなさそうだな。しっかりと当てている」
「そう。帆波は左手で撃ちながら当ててるんだ。おかしいだろう?」
「だが海大では右手で持つように教えるんじゃなかったのか?」
「そうだよ。でもこの命中率はその場でやったにしては高すぎる。もしかしたら……」
「もしかしたら?」
長月が声を潜めながら先を促す。
「帆波は海大に入る前に軍事訓練を受けていたのかもしれない。それも非正規な訓練を」
「どうして非正規と言える?」
「僕の知る限り、というよりはどんなところでも正規な訓練なら絶対に左手で拳銃を持たせることはさせないからさ」
「だとしたら……どこで?」
「そこまではわからない。けどいい線いってると思うんだ。長月、ここを見て」
「どれ」
若狭が再生したいところまで早送りした。そして一時停止を解除すると映像が動き始める。
その中では峻が左手に拳銃を持ち、右手にナイフを持っていた。大きく踏み込んではナイフの柄頭で憲兵の顎を弾いて気絶させていく。
「これか?」
「そう、これ。ところで長月、ナイフってどれくらいの範囲なら有効だと思う?」
「そうだな……投擲を考えないのならこれくらいか?」
長月が若狭との間を調整。腕を伸ばして少し届かないくらいの場所に陣取った。ちょうどその距離は踏み込んで刃が届く距離くらいだった。
「刃渡りも考えるならそれくらいだと僕も思う。じゃあ拳銃だったら?」
「少なくともこの部屋にいたら危ないな。射程はものにもよるだろうが……なにが言いたいんだ?」
「ふたつの武器はあまりにも
長月の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。艦娘には無縁のことだったと若狭は思い当たり、苦笑した。
「遠くに敵がいるなら拳銃を使えばいいだろう? で、近くに敵がいるならナイフを使えばいい。それだけの理屈でいけば至極まっとうなものに見えるよね。でも、もし一緒に戦ってる仲間が何十人もいたとしたら?」
「…………あ」
「気づいたかい? そう、
そこまで言われれば長月にもわかった。戦場において同士討ちは絶対に避けなくてはいけないことだ。
そして集団で格闘戦を主体としている中で発砲すればどうなる? 目まぐるしく敵と自分の位置が変わり続ける格闘戦の最中に拳銃を撃って外れたら? その銃弾は絶対に味方に当たらないと保証できるだろうか。
「じゃあなんでそんな装備を……絶対に外さない自信があるのか?」
「絶対、なんてことはありえないよ。どんな達人でもミスをする。その時の体調や心の持ちようで簡単にね」
「それならばなぜ……」
「有効性が皆無に感じる装備だけどね、ひとつだけ有用な場合があるんだ」
「それはどんな時だ?」
長月が若狭に詰め寄った。
「ひとりで多人数を相手にする時さ」
「そんな状況にはそうそうならないだろう。部隊同士の連携という概念があるのに単独、もしくは少人数行動をするのはスパイくらいだ。そしてスパイはスパイだと見破られた時点でおしまいじゃなかったのか?」
「そうだよ。でも僕は帆波がスパイだとは思わない」
「じゃあ、いつなら……」
「ゲリラ戦」
若狭の感情が消えた声で長月が凍ったように静止する。
「小規模な部隊運用で撃破する敵を定めずに待ち伏せや奇襲、後方支援ラインの破壊などを行う戦法のことだね。これなら多人数対一人の戦闘を想定していてもおかしくはない」
「だがそれは……」
「ジュネーブ条約でも戦闘員とは扱われない。つまり、捕まっても捕虜としての待遇じゃなくて、犯罪者として裁かれることになるね」
「違う。そういうことがいいたいんじゃない。明らかに非正規の部隊じゃないか!」
「そうだね。もしも帆波がゲリラ戦のために訓練されたという仮定があっているなら、確実に正規の部隊じゃないよ」
なんだかきな臭くなってきたね、と若狭が続けた。だが長月としてはそれどころではない。
「きな臭い、だと? そんなレベルか? これが!?」
長月が声を荒らげる。感情の起伏がないわけではないが、決して激しいわけではない長月にしては珍しい。
「深海棲艦が出現してから、暴動を除いて起きた大規模な戦闘は多くない。日本においてはトランペット事件のみだ! だがさっきの話を聞くに、帆波峻は海大に入った時点で既にゲリラ戦を想定した訓練を受けた後だった!」
「そうなるね」
「じゃあ一体、いつ訓練を受けたんだ? 1ヶ月やそこらではものにできない戦闘訓練をいつ? 深海棲艦の出現は10年と少し前。なら訓練を受けて、戦闘に参加していたのは、遅くてまだ10代前半だった少年の頃じゃないか。しかもここ30年、日本の本土ではテロや暴動を除いて戦闘は起きていない。つまり……」
「帆波はいわゆる少年ゲリラ兵だった可能性がある。しかも日本ではなく海外で戦っていた、ね」
しん、と水を打ったように静かになる。
「……期せずして若狭の知りたがっていたことがわかってしまったな」
「確証はないから推測にすぎないよ。裏付けもないわけだし」
「だが限りなく近いものじゃないか」
「可能性が高いとは思うよ? でも確証に至ったわけじゃない。せめて帆波が海外で戦ってる画像でもあればいいけど、どの戦いに参加していたのか、そもそも記録が残っているのか……」
やれやれと若狭が首を横に振った。
「とにかく、今はこっちに集中すべきじゃない。帆波が多人数との戦闘に慣れていることがわかったのは収穫だけど、奥に踏み込む必要は皆無だからね」
「先に捕縛準備、というわけか」
「そういうこと。常盤が持ちかけてきたことは少し考えるよ。慎重にならなきゃいけない案件だ」
若狭があごに手を当てて考え込む。自分の目的と照らし合わせてどう行動するがベストか。常盤の提案には乗るべきか反るべきか。
「……なあ」
「なんだい、長月」
若狭の思考を長月が遮った。じっと真剣味のこもった目を若狭に向かって投げかける。
「若狭は少年兵と聞いて何も思わないのか?」
「例えば?」
「別に表面に出せというつもりはない。ただ……酷すぎないか?」
「子供を戦争に出すことがかい? それを僕たちに言う資格はない。艦娘という見た目が年端もいかない少女を使い潰して戦争している僕たちにはね。長月だって初代じゃないだろう?」
初代。それは深海棲艦と対抗するために作られた最初の艦娘。轟沈しては新しく建造されるために、便宜上でこういう呼び方をする時があるのだ。
「……若狭、私は睦月型だ。認めたくはないが、特型が台頭してきた今においては時代遅れなんだ。もともと駆逐艦の損耗は激しいことを知っているだろう? もう私は自分が何代目の『長月』か知らない。どのみち、沈んだ『長月』の記憶があるわけでもないしな。記録を見ればわかるかもしれないが、あえて知りたいとも思わない」
「……少し意地が悪かったね」
「構わないさ。私はこんな時代遅れの艦娘にも居場所をくれた若狭には感謝してるんだ」
「長月、忘れたかい?」
「そんなつもりはない」
「ならいいけどね」
少し口調を厳しくした若狭に長月がきっぱりと言い返す。わかっているつもりならいい。そう言外に匂わせながら若狭は緊張を解いた。
長月に若狭は昔、しっかりと言っていた。「僕を食らって越えるつもりで行動すること。でなければ食われるのは長月だ」、と。
盲信だけはしてくれるな。それは思考放棄と等しい。その先に待つのは滅びだけだ。
「背中を刺す刃たれ」
言葉を発したのはどちらだったろうか。
こんにちは、プレリュードです!
若狭と長月だけで終わってしまうなんて思ってなかったよ……常盤は通信だけで出てきてるけど。
そしてこれを投稿しながら日付を見て気づいたんですけどね。
カルメン1周年、過ぎてるじゃん!!!!!
確か3月15日に投稿を始めたので1年と6日が経ってる計算になります。まっさかここまで続くとは思ってませんでした。正直に言うと、カルメンは完結までお気に入りが50件いったらいいとこ、くらいに考えてたので200を越えるなんてまったく思ってなかったなんですよね。そう思うと感慨深いものです。そして完結まではまだ少しかかりそうなので、もうしばしお付き合いをば。
感想、評価などお待ちしてます。それでは!