賑やかだった街並みを抜けてもまだ歩き続ける。辺りの雰囲気は心なしか寂れたものになり、綺麗に舗装されていたはずの道はコンクリートにヒビが幾条も入っている。
「ここ……人は住んでるの?」
「住んでたらここまで荒れ果てたりしねえよ。まあごろつきはいるかもしれねえが、そのレベルなら簡単に倒せる」
「確かにかなりボロボロね……っと」
大きな割れ目を叢雲が飛び越える。たまに峻は後ろを向いて叢雲がしっかりと付いてきていることを確認しつつ、先へと進んでいた。
「こういう人工物は人の手が入らなくなったら脆い。あっという間に廃墟へと変わっちまうんだ」
道の真ん中に転がる瓦礫をタンッ、と峻が身軽に跳んで越えた。軽々と、という風ではなかったが叢雲もその後に続く。
「なんかあんた慣れてるわね」
「ん? こういう廃墟を歩くのがってことか?」
「それだけじゃないわ。追われているはずなのに妙に落ち着いてるわよね」
「……まだ感覚が追いついてないんじゃねえか?」
「だったら憲兵隊との戦闘はあんな結果にならないわよ。あんたはとても冷静に対応していた。感覚が追いついてない人間の動きじゃないわ」
むしろ私の方が感覚は追いついてない、と叢雲は内心で付け加える。初めてこういった廃墟を歩いたが、つまづかないように歩くことがこんなに大変だったとは知らなかった。普段の舗装されている道のありがたさが身に染みる。だいぶ叢雲も慣れてはきたが、峻は最初からひょいひょいと何でもないように歩いていた。
「仮に、だ」
「?」
「仮に俺が手慣れていたとして、何か問題があるか?」
「別にないけど…………」
「じゃあいいだろ。ほらそこの鉄筋、危ねぇぞ」
峻が振り返らずに手だけでコンクリートから飛び出している鉄筋に注意をするように促す。だが明らかに気をつけなくとも気づく位置だ。強引に話を切られたと理解するのにさして時間はかからなかった。
沈黙の幕が降りる。人の気配がない廃墟をただただ歩く。その度に小さな瓦礫が蹴飛ばされて転がるか、踏み砕かれる。
「日が落ちてきたな。寝床でも探すか」
「やっぱり野宿よね……」
「諦めろ。ホテルに泊まれると思ったか? もう向こうも本気になってるからな。人相書も回ってる頃だろ」
「私のも回ってるのかしら……」
「確実にな。失態を隠すためにニュースとかにはなってねえだろうが、もしなってたらメディアはどんちゃん騒ぎだろうな」
ウェーク島の英雄などと言われて持て囃されていたところから一転して『堕ちた英雄!』のような見出しが出るのだろうか。そう考えると英雄などと呼んで欲しくない自分としては悪くないんじゃないかと峻は自嘲的な笑みを零した。
「カミサマに翼をもがれた
「何か言った?」
「いや、なんでも。あそこでいいか」
適当に誤魔化して手近な建物を指し示す。かなり古くなってはいるが、建物自体に大きな破損は見られず、しっかりした造りだ。これなら倒壊する危険もあまりないだろう。
ひとまず、中を捜索して安全に寝れる場所を探すことにした。
「1階は……ダメか。窓ガラスが散乱してる。危なくて横になれねえ」
「寝返りするだけで傷だらけになりそうね」
峻が破片を蹴り飛ばす。破片は壁に当たって破砕した。いくら寝袋があるとはいえ、確かにごめんだった。
「2階に賭けるしかねえな。階段、階段……おし、あった」
ギシギシと軋む階段を登る。だが穴が空いて嵌ることはなかった。途中で壁を軽く叩いてみるが、案外しっかりした音が返ってくる。
「お、2階はガラスが散ってないな。しかも窓ガラスははまったままか。こいつはなかなかいい」
「そんなに?」
「少なくともすきま風に苦しめられることはない。思ったよりいい物件だ。放置された年数がそこまできてないのか? ま、どうでもいいか」
可能な限り小さく纏められた荷物の中から峻が寝袋などを取り出す。適当な空き家などを何軒か漁って拝借したものだ。意外としっかりしたものが残っていてラッキーだった。
「メシにするぞ。ってもインスタントだがな」
「何があるのよ」
「雑炊とか、缶詰めとかだな」
峻が荷物から取り出したのはお湯にパッケージごと入れて温める雑炊と、缶詰めの秋刀魚の蒲焼き。ガスボンベを取り付けたコンロに火をつけると小さな鍋に水を入れて火にかけた。
これらの道具も空き家から拝借していた。もちろん、賞味期限が切れていないことを確認はしたが。ちなみに水やガスボンベはちゃんと買ったものだったりする。
ロクに出汁もとっていないであろう雑炊に味が濃すぎる缶詰めの蒲焼き。だが空腹時に食べればそれなりにいけるものだ。多いわけでもない夕食はすぐに峻と叢雲の胃に収まった。
「見張りは3時間交代だ。いいな?」
「ん。あんたが先に寝る?」
「いや、俺が先でいい。目が冴えてるからな」
「ちなみに見張りってどうすればいいのよ?」
「ここに近づく人間がいたら俺を起こせ。お前はそれだけでいい」
「……わかったわ」
峻がランタンの明かりを頼りにマガジンに弾を込める。長く伸びる影を見ながら叢雲は寝袋に潜り込んだ。
時間をかけずに弾を込めるとマガジンをCz75に叩き込む。峻は立ち上がると窓を覆うように布を被せた。これで外に明かりが漏れることはないだろう。暇つぶし感覚で間借りしている部屋を細かく捜索してみるが、特にこれといったものはなかった。ガスも水道も電気も通っていないことが確認できたことくらいだろうか。
「埃っぽいな」
足音を忍ばせて階段を降りる。ふと、ここで叢雲を置いていってしまおうかという考えが脳裏に浮かぶ。
「だめだ。この方法だと叢雲は処分される」
頭を振って甘えきった考えを追い出す。殺させるわけにはいかない。逃げる発端は叢雲にあるとはいえ、すべての始まりは峻にある。ならば叢雲を生きて返すのは自分の責務だ。
「死ねた方が楽だったなあ……」
思わず峻がぼやく。だが叢雲に言われてしまったのだ。勝手に人を生かしておいて、勝手に死のうとするな、と。
死んだ方が楽だった。それなのに死ねない理由ができてしまった。
見張りを続けながら暇つぶしに建物を探索する。特に何もないことはわかっていたので、本当にただの暇つぶしだ。
階下の適当な部屋のドアノブを握る。放置されて時間が経っていたのか、かなり軋む音を蝶番が立てた。
そこは台所だった。クモの巣が張り、戸棚は外れ、皿が床に落ちて割れていた。
「っとに何もねえな」
何か使えるものがあれば拝借しようかと思っていたが、想像以上になにもない。ここの住人はちゃんと持っていくものを纏めてから出ていったのか、床下収納庫の中にも、缶詰めひとつ見当たらない。
隣の部屋へ。今度は寝室のようだ。ダブルベットほどのサイズから察するに住んでいたのは夫婦だったのだろうか。軽く右手で押すとマットレスが沈みこんだ。ずいぶんと沈んでいくと思ったら中でスプリングが錆びて折れてしまっていたらしい。
他の部屋も回ってみるが、1階の部屋には特に何も無く、あるものと言えば壊れて使えないものか、大きすぎてとうてい持ち運べないようなものばかりだ。
別に期待していたわけではないが、つまらないと言えばつまらない。
「……戻るか」
叢雲の寝ている部屋へ。見張りならばここからで充分だった。荷物の中から水やガスボンベを買った時、一緒に買ったコップ酒を取り出してフタをナイフでこじ開けると嚥下した。
「っはぁ……」
喉を焼くようなアルコールの感覚。酔うわけにはいかないが、少しくらいアルコールを入れても大丈夫だろう。そもそも峻はアルコールには強い体質だ。コップ酒の1杯ていどで酔うことはなかった。
ぐいぐいと酒を煽る。そのたびに体がぼんやりと熱を帯びた。
「うまくはねえな……」
空になった瓶を傍らに置いた。まずいわけでもないが、うまくもなかった。だが体内にアルコールを入れたという事実さえあればそれでよかったのだ。悪夢を見ずに済むのなら、アルコールに逃げることくらいは許されるはず。
穏やかな寝息が聞こえた。叢雲はもう眠りについたようだ。峻はランタンの明かりを絞り、部屋を薄暗くした。
「ん、なんだこりゃ」
部屋の隅に転がっている箱を拾い上げる。表面に積もった埃を払ってやると、それはまだ未開封のタバコだった。ここに元々いた住人が忘れていったものだろう。
ビニールを剥がして箱を握り潰すようにして開ける。1本だけタバコを飛び出させるとそのまま口に咥えて上下に動かした。
「タバコか……あんまり好きじゃねえんだけどな」
口に咥えたまま、ランタンにタバコの先端を近づける。ガスランタンにちょっと当てるだけですぐに火はついた。
「っと、ここで吸ったら臭いでバレるな」
なによりタバコの煙は吸わない人間に不快感を与える。寝ている叢雲のいる部屋で吸うのはあまりよくはないだろう。急いで空になったコップ酒の瓶を引っ掴んで、隣の部屋に駆け込み、肺に煙を送り込んだ。
「ひっさびさだな。吸ったのなんて……」
ふぅっと吐き出す。煙がわだかまりながら上昇し、ぱっと辺りに散っていった。人差し指と中指で挟んでいたタバコをもう1度、口へと運ぶ。
息を吸うたびにニコチンが肺を満たす。いつも吸っていた銘柄はなんだったかと思い出そうとして、あったものを適当に吸っていただけだったと気づいた。
右手でホルスターに収められているCz75をそっと撫でた。煙を吸うたびに頭に浮かぶことはどれも嫌なことばかりだ。ずっと目を背けたていたかった。忘れたことにして逃げ続けたかった。そんなものばかりが底から浮かび上がる。
逃げることなど叶わないとわかっていたはずなのに。
右手を持ち上げる。峻はその手にべったりとこびりついた血を幻視した。嫌になって拳を強く握りしめる。
──本気で逃げられると思ってた? だとしたらずいぶんと甘ちゃんだねえ。
「うるせえよ」
──どれだけ酷いことをしてきたのか知らないなんて言わせないよ? なんたって自分かやったことなんだからさあ。
「わかってんだよ」
──あのさ、もしかしてこの後に及んでまだ逃げられると思っちゃってる? だとしたら滑稽なこと極まりないよ?
「うるさい……」
──いい加減に認識しなよ。もう過去には戻れないんだって……
「うるさいって言ってんだよ!」
空瓶を力任せに投げつける。大きな破砕音を立てて瓶が割れ、頭の中に響いていた声も聞こえなくなった。いつの間にかタバコはフィルター近くまで燃えていた。
「くそっ……」
床に燃えさしのタバコを押し付ける。最後の煙を上げてタバコはその火が消えた。
「やっぱり吸うもんじゃねえな」
残ったタバコを捨てようかと思ったが、もったいないと思い直して胸ポケットに入れた。たぶん捨ててもすぐに手元に置くことにするのだろう。
セーフティをかけてあることを確認してからCz75を手でもてあそぶ。くるりと回してはグリップを握る。そしてまたくるりと回してを繰り返した。
叢雲は帰さなくちゃいけない。絶対に。
だが具体的にどうすればいい。叢雲をただ帰させたところで、叢雲が素直に情報を渡して情報提供者になればいいが、そんなことをするタイプでないことはわかりきっている。なにより本人はバイオロイドのことなどを話そうとはしないだろう。誰かに話していい案件でないことは重々承知のはずだ。
「今のまま帰しても反逆者のラベルは剥がれねえ。それをなんとかしなくちゃいけないんだが……」
だがどうする。方法を探せど探せどまるで暗闇の中で手探りをしているかのようで、見つかる気配もない。こうやって庇いながら逃げるのもいずれ限界がくる。
今回は殺さずに切り抜けられた。だが次回もうまくいく保証はどこにもない。いや、むしろ切り抜けられる可能性はぐっと低くなるだろう。今回の戦闘を見て、投入する数も武器も増えるはずだからだ。
「だが叢雲を帰すまで絶対に殺しはだめだ。叢雲に殺しの疑いがかかった時点で戻すのが難しくなる」
だから抑えている。本当なら殺してしまった方が楽だ。それに手っ取り早い。反逆者の名を背負った今更になって、殺しを躊躇う理由はないし、そもそも人を殺してはいけないなんて倫理観はとうの昔に捨ててきた。
何か切り札になるもの。何か。なんでもいい。
艦娘がクローンだと暴露するか? 浮かんだ瞬間、即座に否定する。そんなことをすれば各方面から一斉にバッシングが飛んでくる。艦娘を前線に出す国防体制は世論によって崩されるだろう。そして崩れた防衛線を立て直すことのできる代わりが現状において存在しない。
そして艦娘が出せなくなれば深海棲艦と人類の生存競争はあっという間に解決するだろう。人類の滅亡というエンドロールと共に、だ。
それは防がなくてはいけないことだった。
正義ヅラしたいわけじゃない。そんな資格が自分にはないのだから。ただ犯した罪は償わなくてはいけない。そのために自分は戦闘に身を置くことしかできなかった。それ以外の方法はわからなかった。
『さようなら』
「っ!」
目の前で笑って死んでいった少女の顔が浮かんだ。叢雲と同じでありながら、別物の少女はどうして死ななくてはいけなかったのか。
そんなこと簡単だ。自分が切り捨てたから。たったそれだけの理由。
「それを言い始めたらキリがないか……」
それにその死を憂う資格もないのだ。何もしようとしなかったのは自分だから。今まで何人も殺し、切り捨てた自分には今更になってそんなことをしても、滑稽に映る。
それよりも先にすべきはどうやって叢雲を安全に帰すかを考えることだ。
この状況をひっくり返せるジョーカー。手札にそれがない。
ピン、と旧式のメモリーカードを弾く。重力に従って落下してきたメモリーカードを手のひらで受け止めては、コイントスの要領でまた弾く。
「伊豆狩恭平の記憶……在り処は知ってるんだがなあ」
どうしたものかと思考を巡らす。そもそも向こうが交渉のテーブルに着く気がないのなら交渉しようといったところで成り立たない。今の段階で海軍本部の上層に連絡を取りに行くのは自殺行為だ。
このまま手をこまねいているわけにもいかない。
手段はふたつ。追手を出させないようにするだけの何か、もしくは身柄を保証させるだけの何かを差し出す。
そしてそこまで持っていくために、まずは上とのコンタクトを取る方法を見つけなくてはいけない。追手に通信手段を求めるわけにもいかないため、もっと別の手段を考えなくてはいけないが。
時間はあまりない。ここに隠れているのもいつまで持つかわからないのだ。
だから頭が焼き切れようとも回転させなければならない。恫喝でも取り引きでも何でもいい。状況を打開できる策をなにがなんでも考えつかなくてはいけないのだ。
何のためにその頭の中に脳味噌は詰まっている。考えるためだろう。それが思考を止めていいわけがない。
ここまで来たらもう止まれない。進む以外の選択肢はないのだから。
自らに向かって言い聞かせるように囁く。とにかく何としてでも叢雲を無事に帰す。そのために峻が死体の山を築くことになるのは覚悟の上だ。
だがその殺戮劇に叢雲を巻き込んではいけない。
あの少女は死の間際に言ったのだ。「『私』をお願いしていい?」と。少女を切り捨てた峻にできることはそのちっぽけな願いを守ることだけだった。
「俺はまた殺すだろうし、俺の犯した過ちのためなら何度でもまたこの手を血に汚すだろう。だがな、屍を背負って血の川を渡るのは俺ひとりで十分だ」
まだ叢雲の手は汚れていない。なら人殺しという重荷を背負わせるようなことは絶対に避けなくてはいけないのだ。手遅れになった者ができるのはこの程度しかない。
「償いはまだ遠く……か」
もう一本だけ峻はタバコに火をつけた。
こんにちは、プレリュードです!
なんだか独白だけのシーンになってしまいました。ぶっちゃけここでそんなに使うつもりなかったのに気づいたら文字数がこんなにいってたのでそのまま投稿です。
それにしても春は忙しいですね。いろいろ誘われたり、いろんな準備があったりして。なかなか筆が進まなくて大変ですが、更新速度は落とさないようにいきたいとおもいます。
感想、評価などお待ちしてます。それでは!