男はツケを払ってから気づきます。目を
でももう遅かったのです。失ったものは戻りません。
男は自らを責めました。自分が永遠に続くと愚かにも信じ、続かせるための努力をいつしか忘れていたことを。
最後に男は謝りました。すまなかった、と。
そして自らの命を自らの手で断ったのでした。
名無しの民話より。
それはなるべくして起きた、というしかないんだと思う。叢雲が沈んでから一週間、誰も提督の姿をまともに執務室以外で見なかったと言っても過言ではないくらい提督の姿を見た人はいなかったしね。当然鈴谷たちも提督が動かなければ特に哨戒などの任務も来ないから仕方なくただ待ち続けたのがいけなかったのかな。
8日目の昼食の時に天津風が大慌てで食堂に駆け込んできたの。鈴谷が生姜焼き定食をぼんやりとつついてた時にね。
天津風は肩で息をして膝に手を当ててしばらく呼吸を整えたかと思ったら叫んだんだ。
「提督が倒れた!」
一気にさっきまで静かだった食堂が騒然となった。でもみんなこうも思ったはず。”やっぱりこうなっちゃったなぁ”って。だってずっと塞ぎ込んでたもん。いずれこうなるかもしれないって心のどこかでわかってた気もするんだ。
とにかく生姜焼きをご飯と一緒に口に詰め込んで味噌汁で押し流す。冷たい麦茶で口の中をさっぱりさせると病室に向かった。
他のみんなも心配だったのか全員が病室の前に集まり、医務長を質問攻めにしていた。
「あの、落ち着いてくれるかな?説明するから。あと患者の体に響くからもう少しボリュームを絞って欲しいんだけどね」
一斉に口を噤み黙る。患者かぁ。そうだよね、倒れたんだもんね。
「帆波中佐は今は寝てる。倒れた原因は過労と過度のストレスだね。食道が荒れて胃に穴も開いてた。それに目の下のクマも酷いところを見るとまともに睡眠もとってないみたいだね。すこし栄養失調の気もあるかな。とにかく今は安静に、だよ」
過度のストレス。うん、そうだよね。叢雲がいなくなってからずっと執務室に缶詰めだったからまともな食事もしてなかったんじゃないかな。
あの提督のことだから自分を責め続けていたんだと思う。でも言ってくれればいいのに。そうすれば鈴谷でよければ喜んで相談相手になったのにな。
ともかくまだ寝てるなら面会したって意味はないし1人ずつ交代で着くことになった。起きた時に隣に誰もいないんじゃ寂しいからね。
あとみんなで相談して秘書艦は交代制で、とりあえず最初は経験がある陸奥がやるってことで決定した。
いい加減決めないといけなかったのを先延ばしにしていたのも提督にとって良くなかったのかもしれない。
無茶ばっかりしないでこれで少しはゆっくり休めたらいいんだけど。
鈴谷はそう祈らずにはいられなかった。
鼻の奥を消毒液の匂いがツンと刺す。
この匂いは病室か?でも俺は執務室にいたはずじゃ……
ゆっくりとまぶたを上げると白い天井が視界に入る。ああ、やっぱり病室か。
「目が覚めましたか?」
首だけ右に動かして横を見るとスツールに腰掛けた加賀がいた。栞の飛び出た本を片手にしているということはさっきまで本を読んでいたらしい。
「俺は……」
「執務室で倒れたんです。天津風が見つけてくれてここに運び込まれたんですよ」
そういえばそうだった。何徹したのか忘れたが、立ち上がったと同時に酷い立ち眩みに襲われて意識が遠のいたところまでは思い出した。ゆっくりと上体を起こしながら加賀に尋ねた。
「今何時だ?」
「午後3時半です」
確か最後に時計を見たときの時間は12時ちょい過ぎだったはずだ。
「ってことは俺は3時間ちょっと寝てたのか…」
少し寝すぎた。まだやらなきゃなんねえことがあるのにしっかりしねえと。
「いいえ、違います。提督、あなたが寝ていたのは
「何だって!」
昨日?つまり27時間も寝てたのか。休みすぎだ!
「いい機会です。私たちに任せて、少しゆっくり体を癒したらどう?」
「そんなわけにはいかねえ!まだ執務が──」
「それなら交代制の秘書艦がやっているので問題ありません。今は夕張が担当しているはずよ」
俺の言葉を遮って加賀が言った。でも違うんだよ。
「俺がやらなきゃいけないんだ」
「なぜですか?今まであなたは他人によく押し付けていたと思うけど」
「だから、だ。今まで叢雲に押し付けてばっかだったんだ。そして俺があいつを沈めたんだ。なら俺がやらなくちゃなんねえ」
ふぅ、と加賀がため息をついた。
「その結果が提督が倒れて艦隊に迷惑をかけている。それくらいわからないんですか?」
「だがあいつを沈めたのは俺だ。俺なんだよ!」
「いいえ、違う」
違う?違わない。俺が沈めた。愚かな自分が悪い。それ以外何がある。
「あの時の状況を聞きました。提督、あなたが沈めたのではありません」
「違う!俺が────」
「違わないでしょう?彼女があなたの制止を振り切って、命令無視をして、独断で、無断で出撃して1人で勝手に沈んだ。そこにあなたの責任なんて1つたりと無いわ」
「加賀!お前はッ────」
加賀を責める言葉を叫びかけてハッとした。加賀は暗にこう言っているのだ。”そういうことにしておきなさい”と。自分が叢雲を貶すという泥を被ってでも俺を無理やり立ち直らせようとしてくれている。
それなのに俺はまったく。
「……悪いな、そこまで言わせちまって」
「別に……。損な役回りは慣れているので」
プイと加賀がそっぽを向いてしまった。それを見てようやく少し笑えた。
ダメだな、俺は。こんなに心配かけちまった。こんなんでよく司令官なんて名乗れたもんだ。
叢雲のことは忘れられないだろう。
一生俺が背負い続ける罪だ。でもそれで生きてる奴らに迷惑かけてあいつが喜ぶわけがない。むしろブチギレるだろうな。
「すまん、明日まで寝させてもらってもいいか?」
「明日どころかしばらく寝ていてください。少なくとも医務長の許可が出るまでは」
「……そうさせてもらうよ」
「ただ秘書艦だけ決めておいてくれると助かるのだけど。さすがに曖昧にし続けるのは限界があるわ」
「そうだな。じゃ、加賀にする」
「え、それは……」
「なんだよ、私たちに任せろって言ったのはお前だぜ。なら断ったりなんかしないよな?」
ニヤリと笑う。その笑い方はいつもの相手を煽るような笑い方だ。
「はぁ……あなたはまったく……。わかりました。航空母艦加賀、秘書艦の任、務めさせていただきます」
加賀が呆れたようにこめかみに手を当てつつ、了承した。
「しばらく寝てるから俺が見るべきものとかここに持ってきてもらえると助かる」
「それぐらいはやりましょう。そうね、手の空いてる者に頼めばできるでしょう」
「なら俺はもう寝る。加賀、もう行っていいぞ。もう誰か見張りにつけとかなくてもいいからな」
「……お見通しってことかしら」
「まあな。その…なんていうか…ありがとな」
加賀が起きてすぐ隣にいたのは多分俺の自殺防止だろう。あの精神状態なら可能性はある。
「いいえ、構いません。では私はこれで。大人しく寝ていてくださいね」
カランコロンと下駄を鳴らして加賀が病室から出て行ったのを見計らってゴロンと寝転がり直した。そばの机の上には睡眠薬が転がっているのを見ると薬を投与しないといけないレベルでまずい症状だったらしい。
腕には点滴までされている。これで酸素マスクでもしてたら完全に末期患者と区別がつかないかもしれない。
まだここで頑張ってみるとするか。それにバカなことしようものならどっかから怒鳴り声が聞こえてきそうだ。
ならそのためにやるべきことは1つだ。
大人しく寝て治す。それだけだ。
ただ治るまでの間が暇だ。そうだな、誰かに戦術書でも持ってきてもらうか。久しぶりのお勉強と洒落込むとしよう。
加賀さんってこういうかっこいいことできる人だと思うんです!
感想、要望はお気軽に。
ではでは。