次の日。
とうに8時を過ぎ、朝食の時間も過ぎた中で、峻は一人で昨日の食器を片付けていた。
まだ寝ている者、というか自分以外の全員は毛布をかけて眠らせておいてある。
ついさっきまで峻も寝ていたが、さすがに寝っぱなしというわけにもいかず、仕方なく起きた次第だった。
だが、いやだからこそ言おう。
超絶眠い、と。
理性を飛ばすほど飲んではいないし、そもそも結構強い方ではあるので二日酔いで頭が痛いとか気持ち悪くて吐きそうなどということはない。
しかし夜遅くまで騒いだだけあって眠気はすごい。油断したら瞼が落ちるかもと思う程度には。
少なくともさっきから何度あくびをしたかわからないレベルで眠い。
けれども起きねばならぬ。他を寝かせておいてやるために。
「あいつらのために簡単な朝飯くらい作っといてやるか」
さんざん矢田の件ではあいつらを駆り立てちまったからにはこういう時くらいは俺が動いてゆっくり休ませてやりたいもんだ。
厨房に入り、常備菜としておいてある浅漬けを取り出し一口サイズに切っておき、味噌汁を作り始める。
「ふあぁ、早いわね、あんた」
「叢雲か。まだ寝ててもいいぞ」
「もう9時過ぎたわよ。昨日遅かったとしてもさすがにおきないと。で、何作ってるのよ?」
「味噌汁。米は今炊いてる。何か口に入れたいとおもってな」
事前にとっておいた出汁を火にかけて豆腐と油揚げをちょうどいいサイズに切って投入し、味噌を準備する。
「あ、味噌の量は────」
「少なめの薄味で、だろ。わかってるって」
こいつの好みはだいたい把握している。なにせ初めて会ったのは5年以上前だし秘書艦になってから1年以上が経ってる。
薄味を好んで酒はそれなりにいけるクチ。苦手なものは生の玉ねぎ。ただし辛味が苦手なだけだから火が通ってれば大丈夫。
「ほれ、味見」
小皿に味噌汁を少し入れて叢雲に差し出す。
くいっと傾けて飲んだ後、一瞬顔がほころんだのを見ると合格のようだ。
「悪くはないわ」
「素直にうまいって言えよ。頬がだるっだるに緩んでんぞ」
「うっさいわね!」
繰り出された右ストレートをおたまを持っている右手ではなく左手で受け流す。
本気で打ち込まれたらきついが加減されているとわかる強さの打ち込みだ。
「飯がダメになったらどーする」
「どうせ止めることくらいわかってたわよ」
「そんなことしてる暇あるならそこの洗い物でもやっといてくれ」
顎をしゃくって示した流しにはまな板や汚れた器などが水を張って置いてある。
「人使いが荒いわよ」
「そう言いながらもやってくれるところはいつも感謝してるさ」
結局ぶちぶち言いながらも流しに立ち、叢雲が皿を洗い始めた。
なんだかんだやってくれるんだよな、こいつは。味噌汁はもう完成でいいだろう。米は後少しで炊けるな。
お、そういえば。
「おい、ずっと前の何でも奢る約束、あれ何がいい?」
「あー、あんたが芝居くさい土下座した時のやつね。忘れてたわ。どうしようかしら?」
ぶっちゃけ俺の手の届く範囲のものなら何でも買ってやってもいい。それぐらいに今回といい、今までいろいろやってもらっている。
「んー、そうね。どこまでならいいの?」
「基本何でもいいぜ。ただ常識の範囲内で頼むがな。ビルの所有権とか言われたら俺はたぶんひっくりかえる」
そんなものいらないわよ、と叢雲がおかしそうに笑う。
「そうね、じゃあそろそろ私の艤装の新しい装備とかが欲しいかしら」
「もっと日常的なものでもいいんだぞ。別に装備とかにしなくてもな」
「わかってないわね」
叢雲がぶすっとした顔になり俺をジト目で見てきた。いや、普通こういう時ってランチ奢るとかそういう流れじゃないかなと俺は思ったんだが。
「今の日常を楽しむために装備が欲しいのよ。少しでも早く深海棲艦を殲滅できればその分楽しいことも増えるでしょ?だからよ」
俺は呆気にとられた。そこまで考えてたのか。
「……わかった。なんか考えとく」
「ええ、よろしく」
叢雲が皿を拭き、俺が棚に片付けていきながらおもった。
こいつにゃ一生敵わなさそうだな。
ともかくオーダーは駆逐艦用の新しい装備。さあてなにを作ろうか。技術士官として腕がなるねえ。
俺は頭の中でイメージを膨らませ始めた。
小さな身体にたくさんの書類を持ち、緑の髪を揺らしながら歩く。カツカツと足音が廊下に反響する。
駆逐艦”長月”。ここである人物の補佐をしている艦娘だ。
目的の部屋の前に着くと、念のためドアの横に貼られたプレートを確認し、控えめにノックした。
「どうぞ」
「失礼する」
部屋の主の許可が出たところで入室する。手が塞がっていて開けづらかったが身体を押し当ててなんとか開いた。
「ん?どうした、長月?」
自分のことを長月と呼ぶ男が革張りの椅子に座っている。しかしゆったりと腰掛けているように見えて手は忙しなく動いている。
だが若狭は司令官ではない。海軍にいる人員は司令官だけでは決してなく、事務、広報などの仕事に従事する者も多い。その中で若狭はカウンターインテリジェンス、つまり防諜部に所属している。
ここは埼玉県南中部にある海軍本部の防諜対策部の建物の中だった。
「頼まれたものを持ってきた」
抱えていた書類の束を光沢を放つ高そうな机にドスンと置く。
「矢田情報漏洩事件に関するレポートかい?ありがとな、長月」
伸びてきた手が私の頭を撫でる。やめろと前までは言っていたが慣れと満更でもなかったので今はもう言わなくなった。
「うん、長月の髪は綺麗だな」
「若狭の髪の色も今のは私はなかなかいいと思うぞ」
若狭はしょっちゅう髪の色や髪型を変えるのだ。元々の色はなんなのかは知らないが今は落ち着いた茶色だ。以前は黒のロングだったし、金のソフトモヒカンだったことも銀のショートボブだったこともある。
銀髪は似合わないと私にダメだしをされ、早々に変えてしまったのだが。
「さて、一息いれるとしようかな」
若狭が真剣に見ていたファイルをどけて私が持ってきたレポートに手を出した。
「帆波の奴、よくもまあ、あんな無茶を注文してくれるよ、まったく」
「それをやれる若狭もすごいと私は思うが……」
若狭は帆波少佐…おっと今は中佐に依頼されて銚子基地のセキュリティにハッキングを仕掛けている。どうやら潜水艦を潜り込ませるのが主な目的だったようだ。
パラパラと若狭がレポートをめくり目を通していく。
「そうだ、長月。そっちの任せた仕事は首尾よくいったかい?」
「ああ、この間ここのデータバンクに違法ハックをかけようとした者は確保した。だがハズレだな。あれは少しこういう系に強い民間人のイタズラだ」
「やっぱりそうだったね。予想通りといえば予想通りだ」
「だから私に任せたのだろう」
「まあね。どう処置した?」
「きっちりと絞っておいた。別に中を覗いたわけでもないからな」
「うん、それでいいよ」
「……なあ、私にも若狭の今の仕事を手伝わせてくれ。そろそろ信じてくれてもいいじゃないか」
「信じてはいるよ。ただ危ないからね」
「覚悟はしている。私は艦娘だ」
うーんと若狭が悩み始めた。いい加減、雑用ばかりしているわけにもいかない。私も協力したいんだ。
「そろそろいいか。なら今追ってる対象仮称名”シャーマン”の確保の手伝いをしてもらおうかな」
「本当か!」
「うん、本当。とりあえずここの資料全部頭に入れてきて。メモは無しね」
喜んだのも束の間、目の前に置かれたファイルの束をみてげんなりとしてしまった。そして置かれなかったファイルをみておや、と思う。
「若狭、さっきまで見ていたファイルはいいのか?」
「ん?ああ、これは個人的な調べ物。”シャーマン”とは関係ないよ」
「そうか。なら私は自分の仕事場に戻ろう。こいつを暗記しなくてはいけないからな」
貸してもらったファイルを丁寧に持ち上げドアを開けて退室した。
ようやくだ。ようやく若狭の力になれる。
「長月は行ったかな」
彼女の置いていったレポートをもう一度みる。
矢田の個人端末への非通知アクセスについて、跡を辿ったが着いた先は以前”シャーマン”が海軍本部のハッキングを仕掛けてきたポイントと同じ、実在しない住所の会社だった。
やはり”シャーマン”は矢田を使って何かをしようとしていた。そして失敗したと知って切り捨てた。
さしずめ矢田は使い魔といったところかな。使えなくなったから見捨てたのだろう。矢田が深海棲艦に殺されて胸をなでおろしているかもしれない。
どのみち尻尾はまだ出してはくれそうにない。もう少し探ってみるしかないだろう。
パラパラと長月には個人的な調べ物といったファイルをめくる。長月はああいうところは察しがよくて助かる。
確かに個人的なものではある。中身は、
「帆波峻の来歴…か」
生後間もなく母親を失い、6歳で父親を失う。その後は施設に引き取られている。そこまでは不幸ではあるがいたって普通だ。
「でも、その後の足取りがぱったりと途絶えてるんだよね」
若狭は友人となる人物の過去を調べるようにしていた。友人を疑うことのないように。裏切られてもすぐに気づけるように。東雲は割とすぐに来歴がわかった。でも帆波だけはわからない。
帆波、君は一体なんなんだい?
君はなぜここまで調べても出てこない?
君は本当に味方なのかい?
またまた新キャラ登場。
今度は若狭陽太さんです。
そして次回から新章突入の予定です。