艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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放縦者たちのカルメン

 

 消毒液が持つ独特の匂いがツンと鼻腔を突いた。ずいぶんと久しぶりに嗅いだ気がするし、大した間を開けていないような気もする。漫然とした思考回路で峻はそんなことをぼんやりと考える。

 

 まさか失敗してお陀仏になったかとも思いかけたが、それならばあの世というやつはずいぶんと消毒液がたくさんあるようだ。もしかすると三途の川を流れているのは消毒液かもしれない。

 

と、そんなことがあるわけもなくここが病院であることは至極当然の帰結であって、聴覚が追いつけばすぐに心音をモニタリングする電子音が聞こえ、視覚が蘇れば峻の右目は白い天井とベッドを囲うカーテンを捉えるし、触覚が柔らかな布団の肌ざわりをこれ幸いと楽しんでいた。

 

 五感が再び息を吹き返すと同時に痛覚ものっそりと顔を出すことになったが。相変わらず痛み止めはあまり効いていないらしい。最近では、というより叢雲に説教されて以来というものの少しは自分の技術や薬剤耐性も便利かもしれないと思い始めていた手前でこれかと苦笑いした。

 

 ナースコールを押そうとして左腕がガッチリと固定されていることに気づく。仕方なく、というのはややオーバーな表現になるが右手を緩慢な動きで伸ばすとボタンを押し込んだ。

 

 間もなく音を極力、立てないように入室してきた看護師によってバイタルチェックが行われていく。それが片付けば今度は包帯の交換だ。手馴れた手つきで手早く替えの包帯を巻かれると安静にしているようにと、お大事にという常套句を残して看護師が退室した。

 

 どうやら生きているらしい。五感が早々に周囲の情報を収集していたに対して峻の認識はかなりの遅れを見た。

 

「よう」

 

 ひょい、とカーテンをまるで暖簾でもくぐるような気さくさで東雲がくぐった。行儀悪くお見舞い用に置いてある椅子をつま先で引っかけてちょうど峻から見て左側へ引き寄せると腰をそこへ落ち着けた。

 

「叢雲は?」

 

「……お前、もっと聞くことあるだろうがよ。作戦はうまくいったのか、とかどうしてここにいる、とか自分の怪我の容態とか」

 

「後で聞く。で、どうなんだ」

 

「反対側のカーテンを捲ってみろ……ってもできねえか」

 

 東雲が腰を上げて右側のカーテンを開ける。そのさらに奥にあったもう1枚のカーテンを開けた。

 

 そこに叢雲はいた。目を閉じて穏やかそうにベッドの上に横たわっている。

 

「おい、マサキ……」

 

「安心しろ、寝てるだけだ。ってかお前より元気だしな。先に目を覚ましたのも叢雲ちゃんだったよ。お前とまったく同じこと聞いてきたぜ? 『あいつは?』ってな。命に別状はないって伝えてやったらそのまま寝ちまった」

 

「そうか……」

 

「ゴーヤちゃんに感謝しとけよ? まだ残存勢力が相当数いる中でお前と叢雲ちゃんを回収し、深海棲艦の隙間を縫って連れ帰ったんだからな」

 

「ああ。あとからちゃんと伝えておく」

 

 ようやく記憶も蘇ってきた。あの後、叢雲の艤装に組み込まれていたリーパーシステムを発動した。そして峻がコネクトデバイスと艤装を接続して高出力を維持し、暴走状態に陥らせると解放した。

 

 予想した通り、叢雲の艤装の機関は暴走状態を維持しきれずに内部から爆発し、ロケットの燃料に引火。そのままさらに爆発の規模が拡大した。一方で峻と叢雲は全力で走り、最後は峻に叢雲がしがみ付き、峻が右脚のブースターを吹かして海に向かって飛び込んだ。

 

 だが完全に逃げ切ることはできなかった。最後は爆風に煽られて半ば海面に叩きつけられるような形で着水したはずだ。そこまでは覚えている。

 

 つまり海へ落ちた峻と叢雲をゴーヤがその身を削って回収し、いざよいなのかはわからないが艦船まで連れて行ってくれたのだろう。すぐに叢雲も峻も2人揃って医務室送りにされたであろうことは想像するに難くない。

 

「マサキ、あの後はどうなった?」

 

「ああ? ハワイ本島攻略作戦は成功。世間にはそう発表された。目的は深海棲艦の大規模侵略を実行する兆しが確認されたため、勢力の漸減ならびに牽制。これが世間体だ。新聞でも見るか? お前の名前がでかでかと載ってるぞ。よかったな、『ハワイ海戦の英雄』どの」

 

「勘弁してくれ。ウェークの時も嫌がったの忘れたか」

 

「わかって言ってるんだよ。嫌味のひとつやふたつくらい言わせろ。土壇場で回収してくれとか言いやがって」

 

 そういいつつも、恨みがましさは東雲から感じられない。もう少しくらい隠せとこちらが言いたくなるくらいに口元が笑っていた。それは自分自身も同じなのだろうと峻は思う。叢雲の安否がわかったことはそれくらい峻に安心感を与えていた。

 

「よく無事だったな」

 

「叢雲がいなければ人工島で死んでたかもな」

 

 帰られたのはゴーヤのおかげ。だが中で死なずに済んだのは叢雲がいたからだ。ひとりで中に潜り込んでいたら死んでいただろうと思う。

 

「で、だ。何か用事があるんだろ。わざわざお前がお見舞いなんて……するヤツではあるが、忙しい身ではあるはずだ。そうすぐには来れないだろ?」

 

「まあ、そうだ。お前に辞令だよ」

 

「意識が戻って早々、か。どこに飛ばされた?」

 

「自分で読めって言いたいとこだが今はその体だもんな」

 

 東雲が言うとおり、平然と話してはいるが峻の怪我は軽いとは言いがたい。特製の義足が壊れ、左腕は最後に攻撃を受け止める盾にしたせいでうまく動かない。右手だけで読めなくもないだろうが、封を開けるのが面倒だ。

 

「帆波峻を本日付で館山基地基地司令から海軍本部監査局局長へ異動とする。……本部勤めの栄転だ。おめでとう」

 

「わかってた話だ。もう前線に俺は置けないわな。この様子だと辞表も受け取って貰えないな?」

 

「お前はいろいろと知りすぎてる。放すことはできない。そしてそのとおり、前線に置き続けることもできない。知りすぎているがゆえにな」

 

 艦娘の秘密を知っている。それだけで指揮に迷いが出るかもしれない。そして現に峻はミッドウェーで指揮ができていない。ハワイでもそのフォローができたかと言われれば微妙だ。

 

 前線の艦娘指揮を担う司令官から外すのは真っ当な判断だろう。秘密を知っているからこそ、死なせるわけにもいかない。殺してしまえば簡単だが、安易に殺せる人間でもないことはさんざんの逃走劇でわかっているだろう。

 

「俺を消さずに監査局か。監査局なんて新設の局を作ってまでそこに送り込んだのはお前だな」

 

「……どうしてわかった?」

 

「なんとなく。俺を殺してもいいはずなのにわざわざそんなポストを用意するお人よしはお前くらいなもんだ。普通だったらもっと閑職に飛ばすところを新設である監査局の頭に就任なんだからな」

 

 けれど実際に飛ばされたのは閑職どころか局の長。局そのものが窓際職というのならまだしも、監査局というからには閑職にはならないことは明白。

 

「俺はこのシステムを変えなきゃならねえと思ってる。まずは現行の艦娘だ。バイオロイドを続投させるのではなくて、志願兵制度に切り替える」

 

「どれだけ難しいことかわかっているんだろうな」

 

「ああ。だがやらなきゃならないんだ。だが間違えるかもしれない。どこの誰かが悪用するかもしれない。だからそれを見張るやつがいる。そしてそれは俺の意志で動かないやつじゃなきゃならない。内部監査を入れられる権限のある場所は作った。あとは人だ。前までなら頼めなかったが、今のお前ならやれるだろ」

 

 東雲が辞令をベッドの毛布に置いた。書いてある内容を見て峻は気づいた。そこに自分の名前がないことを。

 

 この空欄に名前を書けば異動。そういうことなのだろう。叢雲に対してやったこととまったく同じことを返されるとは思わなかった。思わずちょっと笑ってしまう。

 

「わかった、受ける」

 

「意外だな。もう少し粘るかと思った」

 

「前線にまだいたいからってか? そうだな、以前ならそうしたかもしれない。前線で戦わなきゃいけない。戦わなきゃ存在価値が俺にない。そうでなくては俺の手にかかった人たちに申し訳が立たない。そう思ってた。だがもういいんだ。俺がどうしようと過去は変わらないし、殺めた人たちはなにも思わない。それにな」

 

 峻が東雲の方を向いた。東雲の瞳が先をそっと促した。

 

「俺は十分すぎるほど厄介を味わったよ」

 

 戦うことは続く。だがそれは前線でドンパチすることではない。もっと別の形がある。そう、ようやくわかった。今までやってきたことがただ無駄だったとは言わない。けれど正しかったとも言えない。

 

「いいんだな?」

 

「さんざん待たせたんだ。今度は俺が待つ番だからな」

 

「そうか」

 

 それしか東雲は言わなかった。だが何も言わなくとも理解していた。

 

 叢雲は艤装が壊れたとはいえ艦娘。今後も前線に居続けることになるのだろう。だから待つ。いつか志願兵制度は整って叢雲が前線から引くことができるようになるその時まで。

 

「ま、気長に待つさ。時間はたくさんある。俺もあいつも生きてるんだから」

 

 そこに叢雲が轟沈するという不吉な思考は一ミリたりとなかった。叢雲の実力なら沈まないだろう、という理由ではない。

 

 叢雲ならどんなことがあろうとも生き足掻いてみせることがわかっているからだ。

 

「退院するまでまだじっくり話せばいい」

 

「いや、いい。どうせ話しても喧嘩しかしねえよ。まだ完全に片付いたわけじゃないしな。それに……」

 

「それに?」

 

「こういうのはびしっと決めたいだろ」

 

 峻が悪戯っぽく笑う。東雲がつられて笑った。

 

「部屋を用意してやるよ」

 

「退院日程は……明日でいいか」

 

 それを聞いた瞬間、東雲が目を剥いた。だが指を折って数えると納得したように頷いた。

 

「相変わらず無茶を……まあ、5日もずっと眠り続ければ治るか」

 

「動くぶんなら支障はねえよ。一戦交えてこいって言われたらさすがに死ぬかもしれないけどな。じゃ、そういうことで頼む」

 

「おう。手配しとく。忙しいからまたな」

 

 立ち去る東雲の背中を見ながら5日も意識がなかったのかと知らされなかった事実を改めて認識した。しかし冷静になってみれば怪我も深手で叢雲の艤装に直結してリーパーシステムのせいで機関が早い段階で爆発しないように演算し続け、その上で全力ダッシュをやり、最後はほとんど爆風に吹き飛ばされるような形で海面に叩きつけられたのだから順当といえば順当かもしれない。

 

「さて、ひと眠りするか」

 

 明日に退院と決めたとはいえ怪我人は怪我人。体力を温存して回復するように努めるべきだ。

 

 全部が片付いてから。峻は大方が片付いた。だから叢雲の方が片付くまでのんびりと待つことにしよう。

 

 

 

 

 

 結局、翌日に退院はできなかった。しようとはしたがドクターストップがかかったのだ。医者から「正気ですか」とまで言われて仕方なく踏みとどまり、1週間の入院を経てようやく退院に至る。

 

 叢雲は怪我がそこまで酷くはなかったらしく、早々に退院したらしい。病院では話さなかったのであまり詳しいことはわからないが、峻よりも先に退院したことは確かだ。

 

 互いにわざと接触しないようにしていた。今、なにかやったとして何ができるのか。言葉を交わす過程はさんざんやった。叢雲も敢えて話しかけにこなかったのは自分がまだ片付いていないとわかっているからだ。

 

 難儀なものだが全部が片付いてからという約束は生きている。叢雲が前線から身を引けるその時まで。それでようやく終いだ。

 

「ここです、帆波准将」

 

「ん。案内お疲れ様」

 

 「准将」という呼称をムズ痒く感じながらも軽く労うと案内した軍人が敬礼をしてから立ち去った。本部の地図はクーデターの時に頭へ叩き込んであるため、場所さえ聞ければひとりで行けたが案内役がすでにいたのでそれを無下にもできなかった。

 

 真新しい金属製のプレートには『監査局』と彫られている。無駄に予算をかけなくてもと思ったが体裁も必要ということだろうか。部屋に入るとこれまた凝った調度品が峻のことを出迎えた。

 

「帆波『准将』ね……出世コースからは外れたもんだと思ってたが」

 

 調度品の質は館山基地のそれを明らかに上回っていた。与えられた椅子に座ってみるがなんとなく落ち着かないのは貧乏性だからか。これもいつか慣れる日が来るのかもしれない。

 

 とりあえずはひとり。他に人員は後々に補充されるだろう。まあ、滑り出しなんてこんなものだ。おいおいなんとかしていけばいい。

 

 そういえば家がない。しばらくはここに寝泊まりするとしてもどこかに小さなアパートの1室くらいは借りた方がいいかと考えているところにドアのノックが遮った。

 

 なにか渡し忘れたものでもあったのだろうか。それとも伝え忘れだろうか。疑問に感じながらも返事をしつつ、ドアを開ける。

 

 真っ先に見えたのは青みがかった銀髪。そして悪戯っぽく踊る燃えるような赤に近いオレンジの瞳。

 

「本日付けで海軍監査局局長補佐官に着任した吹雪型駆逐艦五番艦の叢雲よ。あんたが監査局局長なんてね。ま、せいぜいがんばりなさい。つきあってあげるわ。これからも、ね」

 

 立っていたのはどれだけどの角度で見直そうとも紛うことなき叢雲だった。何が起きたか理解できず思考に穴が空く。そしてようやく犯人に至った。

 

 こんなことをできるのは峻が局長に就任することを知っている人物のみ。そして艦娘の配置もある程度、自由度がきかせられる立場にいて叢雲も峻も知っている人間なんてひとりだけ。

 

 ハメやがったな、マサキ。

 

 あとで恨み言の20や30くらい言ってやる。わかってこんなことをしたのだからそれくらいは許されるだろう。

 

「返礼、まだかしら」

 

 敬礼の姿勢を作ったまま、叢雲が催促する。もしや叢雲もグルか。いや、絶対にそうだ。さっきからの言い方は明らかにわかっている。

 

 つまり峻は袋小路に追い詰められたのだ。癪なことに逃げ道も完全に封鎖されている。

 

「ったく……やられたよ」

 

 そんな感想しか出てこない。だがその一言を叢雲は聞こえないフリをする。早くしなさいよ、と言われているような気分だ。

 

「同じく本日付けで海軍監査局局長に着任した帆波峻だ。補佐官の着任を歓迎する。……これからもよろしくな」

 

 手を差し出すと叢雲がそれを握った。今回は躊躇うことなく叢雲の手を握り返せた。小さな手だ。それでもとても落ち着かせてくれる頼もしい手だった。

 

「いいのか?」

 

「ええ。私がこうしたいのよ」

 

「そっか」

 

 互いに握り合った手を離す。そして峻がゆっくりと叢雲に歩み寄った。叢雲はただ微笑んでそれを受け入れた。腕の中にすっぽりと収まった叢雲が壊れ物を扱うように優しく峻の背中へ手を回していく。同じように峻も叢雲の腰あたりに手を回した。

 

 そして…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 序曲(オーバーチェア)があれば終曲(フィナーレ)がある。それは当然の帰結だ。

 

 長く続いた演奏会にも幕を下ろすべき時が来た。哀歌(ブルース)に始まり、挽歌(エレジー)遁走曲(フーガ)と続き、交響曲(シンフォニア)バルカローレ(舟歌)、そして狂詩曲(ラプソディ)によって締めくくられた組曲(カルメン)は終幕を迎えた。

 

 数多くの演奏者が舞台にいた。それは語っている俺も例外に漏れない。ただ通常の演奏と違う点があるとすれば指揮者がいないことだろうか。放縦者たちが自由勝手気ままに各々の音を奏でて回った。

 

 時に不協和音であったかもしれない。しかしそんなハチャメチャな音でも聞き心地のよい音になることもある。

 

 ころころと演奏者の気分によって曲調を変えてしまうこれら一連の曲に名前を付けようと思う。そう、『放縦者たちのカルメン』と。

 

 繰り返すがこの演奏会はもう幕だ。だが本来、締めの挨拶をすべき指揮者はこの演奏会にいない。だから僭越ながら俺がその大役を担わせてもらおうと思う。

 

 だが演奏会は終わっても演奏者の物語は続いていく。舞台を去ってもそれは変わらない。

 

 なのでごくありふれた言葉で締めるつもりだ。様々な物語において使われる締めの一言。

 

 おやおや、まだ騒がしい日々は続くようですよ?

 

ーーーーこれにて終幕。

 





はい、そんなわけで最終回です。

長かった。本当に長かった。それが最初の終った感想でした。思えばもう2年近くになるわけですから長いと感じて当然かもしれません。

最初は軽い気持ちで書き始めたカルメンもお気に入りが200を超えられたのはひとえに読者の皆様方がここまで付いてきていただけたからです。

感想や評価。そのひとつひとつが作者にとって本当にありがたく、モチベーションの維持にも繋がりました。

作者はこれが艦これ二次創作の処女作のため至らないこともあったと思います。それにも関わらず着いてきていただけた読者の皆様には頭が上がりません。

自身の作品を駄作と貶めるつもりはありません。しかし、つたない出来であったことは否めません。これを反省材料にしつつ、今後もなにかの形で書いていけたらと思います。

それではみなさん。またどこかでお会いしましょう。

ご愛読ありがとうございました!

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