冷静に1度、峻は自身の状況を確認することにした。
満身創痍とは言えずとも、そこそこの怪我は負った。それは峻のみならず叢雲も同じこと。そして叢雲の攻撃能力は半減してしまっている。
けれど叢雲はまだいけると言った。撤退も続行も判断するのは峻だ。叢雲からストップがかけられるような様子は見受けられない。
そして叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの目は峻に告げていた。次はどうするつもり、と。そこに強制力はない。ただ問いかけのみが存在していた。
「お前はこんな俺ですら信じてくれるんだな」
叢雲へ聞こえないように峻はこっそりとつぶやいた。無条件ではないことはわかっている。だがそれでも信頼の一端を寄せてくれているのだ。
「叢雲、なにができるっ!」
「一撃、与えられるわよ! とびっきりのをね!」
互いに散開して攻撃をかわす。物音に紛れてしまわないように叫ぶことによって意思疎通を図った。
「一瞬でいいの。時間をちょうだい」
「隙は作る。任せていいな?」
「ええ」
折れた刀を峻に見せて叢雲が勝気な笑みを浮かべる。それは峻の背中を押すに十分すぎる。それだけ叢雲に自信があるという紛れもない事実であり、峻に勝利の方程式を組み立てさせるには十分すぎる。
「今度こそ決めるぞ」
「そうね。それにお互いあんまり時間はかけられないし」
叢雲がちらりと峻の怪我を見る。深手とまではいわないものの、傷は負っている。このまま長期戦に雪崩れ込んでしまうのは得策といえないだろう。出血は表面的にみれば大したことがなくとも流し続ければ命にもかかわる問題へと発展していっていく可能性もある。できるものならば早期に片をつけてしまいたいというのは当然の思考だ。
だから峻も覚悟を決めた。
「叢雲、俺を見捨てろ」
「わかったわ。信じてるわよ」
叢雲が短く肯定した。その事実だけでよかった。峻はさっとマガジンを換装したCz75とコンバットナイフを手に一気に前方へ踊りだす。
当然、攻撃の手は峻に集中した。
「っ……らああっ!」
攻撃の軌道を見切り、そして捌け。すべては同時並行で。
初手あたりはその無茶も成り立たせられた。だが出来ているのは叢雲にもまだ攻撃の手が伸びているから。
「俺を見ろ!」
足元に迫っていた触手を義足で踏みつけつつ、さらに前へ。嫌でも目から離させまいと、威圧するかのように強く踏み込んだ。
ついに叢雲がターゲットから外れた。すべての攻撃が峻に向かう。
さすがの手数だと賞賛せずにはいられない。それほど圧倒的だった。事実として、峻の反応速度を超えはじめ、だんだんと対応しきれなくなってきている。
「ぐ、おっ……」
触手が体にぶつかるたびに、その要所要所が悲鳴をあげる。
真正面から不利な相手とぶつかるのは逃げ場がない時だけ。そして今は逃げようと思えばいくらでも逃げ場がある。それでも引くわけにはいかない。
ああ、まったく。
苦笑まじりの自嘲を心の中でつぶやく。だがそれは今まで自分に刃を立ててきた自嘲ではない。
「おかしくなっちまったのかね、俺は」
こういう状況だって初めての話じゃない。勝ち目のない戦闘だって何度も経験した。その度に選んだ手段は逃走と騙し討ち。幾重にも巡らせた罠にかけ、無理やり自分が勝てる状況に持ち込んだ。
正面から切った張ったをしようと自分から思ったことなどないというのに。それなのに今まさにそれをやっている。
ただ叢雲の「信じてる」という一言に応えるためだけに。
馬鹿だ、愚かだと昔なら言っただろう。さっさと叢雲を抱えて逃げればいいのに、ズタボロになりながらも踏ん張り続ける姿を嘲笑ったはずだ。
人というやつは本当に変われるものらしい。鮮血を迸らせて暴れ回りつつ、どこか遠くで峻がそう考える。
あれだけ自分の戦いを忌んできた。見下げた醜いものだと自虐し続けていた。
それをまさか誇らしく思う時がくるとは。
叢雲は信じたのだ。峻が一手に引き受けることができるのだと。引き受けて死なずに耐え抜けると。信じた上で叢雲は峻に奥の手を食らわせてやる隙を作って欲しいと頼った。
「なら……応えないわけにはいかねえよなあ!」
あれだけ叢雲を騙した。挙句の果てには嘘までついた。それでも叢雲は信じた。そして好意をまっすぐに峻へぶつけた。
これを無碍にすることを峻は許容できなかった。
捌ききれない攻撃は着実に峻を削っていく。吹き出した血は服を染め上げ、痛覚が全身を蝕む。
それでも動きだけは鈍らせなかった。
喀血し、骨の折れる音が鼓膜を揺らし、神経が悲鳴をあげる。片目が見えないのはやはり不利だ。距離感がうまく掴めないため、対処行動にどうしても時間差が出てしまう。
致命傷になるものだけ対処し、末端に掠るだけのものは捨て置く。ただ凌ぎきればいい。自分は死にさえしなければそれでいい。
そうすれば。
「やああああっ!」
叢雲が決定打となる楔を打ち込んでくれる。
峻の影から叢雲が駆け出した。折れた刀で触手を弾きつつ、迷うことなく接近していく。
「あんたが作ってくれた時間、無駄にはしないわよ」
それは決意だ。奥の手を使うとまで豪語し、それを信じてその身を呈することで時間を稼いでくれた峻の献身を無駄にはしまいという確固たる意志。
折れた刀は攻撃に使えない。それでも叢雲は手放さずに握り続けた。それはまだ刀が役に立つからだ。
鍔の根元付近にある出っ張りを強く押し込むと目釘が吹き飛び柄が落ち、切羽とはばきだけが残る。するときらりと刃が外気に晒された。本来ならば刀工の銘が刻まれているはずのなかご。そこが刃になっているのだ。
今まで刀身としていた箇所を掴んで振るえばそれは槍となる。
当然、刀身を掴めば手に傷がつく。だからと言って鞘を嵌めて振るっても力が込められない。
今さら傷なんて構うものか。指がなくなるわけでもなし、たかが傷が残る程度。
必中の距離まで叢雲が間を詰めた。手の平から血が吹き出るがその痛みは感じない。ただやれることをやる。それだけだ。
突き刺せば指が飛ぶ。それを峻が望まないことくらいはわかっているつもりだ。この刀の機構を峻が知らないわけがない。叢雲がやろうとしたことくらい周知の上だろう。
「悪いけど指はあげられないのよ。だから私の刀、持っていきなさい!」
この指はあいつと手を繋ぐために残しておかなくちゃ。
そしてもし、もらえるのであれば指輪のためにも。
だから。
「せやああああ!」
叢雲は右腕を大きく引き絞った。関節が軋んで悲鳴をあげる。体がもう休めと訴えかけてくる。それでも止まるつもりなんてない。
触手が束なって横に薙ぎ払いをして叢雲を弾き飛ばそうとする。だが束なった瞬間、ワイヤーが巻きついて動きを止めさせた。
「二度も同じ手を食うかよ」
ナイフを捨ててワイヤーガンを持ち替えた峻が引っ張って止めていた。ピンと張ったワイヤーがブルブルと震えた。ゆっくりと、しかし確実に峻が引き摺られていることがその膠着が長くはないことを示している。
それでも十分。
思いっきり、全身の力を込めて右腕を振り抜いた。
叢雲の手から刀だった槍が離れる。叢雲の血が槍の軌跡をなぞって赤い道しるべを記す。そして槍は触手の中核であった人形兵の脇腹を深く貫き、突き刺さった。
だができたのはそこまで。峻が抑えていなかった触手が叢雲を襲った。両腕をクロスして頭部などを含めた急所の酷い怪我を防ぐが、すべてを守りきれるわけもなく後方へ体を吹き飛ばされていく。
吹き飛ばされながら叢雲が口元を綻ばせた。楔は打ち込んでやれた。そしてあれの注意を自分へ引き付けることにも成功した。
「ぶちかましてきなさいよ、峻」
やれるべきことはやった。だからあとはもう託せる。
かしゃん、と床にワイヤーガンが落ちた。血飛沫の向こう側で峻が駆け出している姿が叢雲の視界に映った。
シャツに血のシミがいたるところにあった。相当な負傷だってしているだろう。それでも目だけはまっすぐ目標を捉え続けていた。
地面に倒れこみながらも叢雲は笑っていた。笑っていられた。
安心していられたのだ。心配なんてしなくていい。確信を持って言えた。これで詰みだ。
峻が人形兵に接近する。ただ接近を許してくれるわけがない。迫り来る触手を防ぐために左腕を全面に押し出して盾にした。肉が裂け、骨が砕けた。
そして長い期間に渡り、峻を支え続けたCz75のバレル部が貫かれた。
峻がCz75を投げ捨てる。最後に左脚で踏み込むと、まさに叢雲が投擲した槍が刺さっているその場所へ右脚で人形兵を蹴りつけた。
直後にブースターを点火。ガスの残量など気にすることなくひたすらに吹かして叢雲の槍にあてがうようにして食い込ませていく。
「私があんたを真似て近接格闘型の姫級を落としたからその踏襲かしらね……」
叢雲が明らかに刀だけで斬れないようなものを斬り落としている時の手法と同じだ。小さな傷口をつけて、あとはそこから傷口を押し広げていくようにして裂く。そうすれば相手の自重も味方して斬り裂くことができる。
そしてその手法を峻は利用しようとしているのだ。
「悪いな」
ブースターが勢いを増して燐光が一際、強く瞬いた。ピシっとヒビが人形兵の胴体に入っていく。峻がそれをさらに押し広げるように力をこめた。
そしてついに人形兵の体が両断された。
叢雲の刀だった槍が床に転がる。同時に人形兵とその触手が力なく地に落ちた。青いぬめりのある血飛沫が吹き上がる中で峻が立っていた。
「終わった?」
「まだだけどな。でもひとつ片付いた。怪我は大丈夫そうか?」
倒れこんできた状態から起き上がり、座り込んできた叢雲に寄った峻が同じように座り込む。
「どっちかって言えばあんたの左腕がきついんじゃないの?」
「お前も腹とかけっこうもらってたろ。大丈夫なんだよな?」
「大丈夫よ。でもとりあえず簡易的に止血だけした方がいいんじゃない?」
「だな」
とはいえしっかりした医療器具もないため、やれることといえば布で上から押さえてやることくらいだ。それでも何もしないよりはましになる。とはいえ布でといえるものが多くはないので峻が上着を犠牲にすることであて布を調達すると、互いに黙々と作業していく。
「さて、と。立てるか?」
あらかた手当が終わった頃合いにそう言うと立ち上がった峻が叢雲へ手を差し出した。叢雲が刀を握らなかった左手でその手を掴むと、ぐいっと上方向に力が加えられて立ち上がる。
「っ、とと……」
だが峻も血を流しすぎたのか完全に叢雲を手助けしきれずによろめいた。叢雲が急いで掴んだままの手を引っ張って倒れないように支える。
「締まらないわね。大丈夫?」
「ありがとな 」
持ち直した峻がなんでもないことのようにさらりと礼を言った。これだけでも変化だとこっそり叢雲は思う。
名残惜しいがいつまでも握りしめているわけにもいかない。手を離すと峻の左隣を再び占拠する。
「奥に行く?」
「ナノデバイスの散布を止めなくちゃな。きついならここで休んでてもいいが、どうする?」
「冗談。行くに決まってるじゃない」
「そう言うだろうと思った」
叢雲の返答をわかっていたという様子で峻がちょっと笑いながらうなづく。わかっているのなら言わないでよ、と文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが連れて行くつもりであるのなら見逃してあげよう。
「さっさと済ませちゃいましょ。あんまり時間をかけても旨みはないわ」
「もういけるのか」
「完全じゃないわよ。でも急ぎでしょ」
ここから後も戦闘が続く可能性があることはわかっている。それでも先に進むことを峻は選択し、叢雲に選択権を与えた。その上で叢雲は峻と共に進むことを選んだのだ。
奥に繋がっているドアへ伴って進む。使える武器はもう峻のナイフくらいしか残っていない。ワイヤーガンも変な力を加えてしまったせいか、無理に治していたパーツが再び曲がってしまったらしい。一応は折れた刀も鞘に戻して腰から下げているが、殴る目的以外ではまともに使えないだろう。
だがこの身がひとつあればいい。それだけでも十分に暴れまわってみせる。
隣には信頼できる人が共に戦っているのだから。
「いくぞ」
峻が呼吸を整えると、ドアを蹴破る。なにか来るのではないかと叢雲は身構えつつ、峻と共に部屋へ転がり込んだ。
だが予想されたような戦闘はなかった。
「なに、これ?」
そこには血管のごとく張り巡らされたパイプと配線。そしてそれらがいかにも大切そうなに中央へ安置されたカプセルへ繋がっていた。
「これがお前か、岩崎」
《……あれを倒すとは思わなかった》
さっき聞いたばかりの声が部屋の中を満たした。電子的な音だ。スピーカーから出力された声だというのは間違いない。
峻が慎重に中央のカプセルに近寄った。叢雲も同じように近寄るとカプセルの中を覗く。
そこにはほとんど残っていない白髪とシワだらけになった老人が目を閉じて横たわっていた。
つまりこれはただ意識だけが生きている状況なのだ。肉体の檻に閉じ込められている意識を守るために朽ちていく檻を必死になって繋ぎとめている。そのためだけに用意された設備がこの部屋に集約されているのだろう。
《私の傑作だった。敵なしの完成だった》
「だが負けた。認めてやるよ。俺だったら勝てなかった。確かにあれはバケモノじみてたよ」
《なぜだ。ならばなぜ……》
「俺たちの独善の方が上で、俺たちの方が強欲だった。それだけだろ」
生命維持装置らしきカプセルに繋がるパイプのうちひとつに峻がナイフを突き立てる。心音や脳波を測定していたらしき機材から一律の電子音がすると、ぷつんと途切れた。
「終わったのね?」
「まだだよ。ロケットの発射を止めるのが目的だ。近くにコンソールとかないか?」
さも平然と問いかける峻に叢雲が嘆息する。
「私にそっち系統の知識がないのわかってる? 怪しいのはこれかしら?」
「どれ? ……なんだ、わかってんじゃねえか」
「偶然に決まってるでしょ」
それっぽそうなものを適当に指さしてみただけで、それがコンソールだとは微塵も思っていなかった。当たったのは偶然も偶然。まさか本当にコンソールだとは叢雲自身もまったく予想していなかった。
「どうするのよ」
「ちょっと侵入して発射プログラムを弄って止める」
「そ」
安易に言ってのけるが難易度の高いことをやろうとしているのはわかった。少なくとも叢雲はこれをやれと言われたら無理だと突っぱねる自信がある。
やることもなく、コンソールを触る峻の右隣を占拠して立ち尽くす。いまいち何をやっているのかわからないがきっと峻はなにをやっているのかわかっているのだろう。叢雲のやれることは成り行きを見守りつつ、周囲の警戒を続けることくらいだ。
「くそっ」
「どうしたのよ!」
峻の焦ったような一言に鋭く叢雲が問いかける。コンソールから峻が離れて髪を掻き毟った。
「やられた。バックドアを作った瞬間にトラップが起動しやがった」
「どういうこと?」
「すべての文字を暗号化しやがった」
峻がコンソールから退いたので叢雲が液晶を覗き込んだ。そこには意味を成しているとはとうてい思えないような文字列が延々と連なるばかり。
「よくわからないけど戻せないの?」
「戻そうとしたさ。全部、独立したアルゴリズムで暗号化されてる。解除しようと思ったら何年かかることか……」
「システムに割り込んで止める事はできないってこと?」
「そう、なるな。すま……」
「はい、謝るの禁止」
少し背伸びして峻の口を叢雲が塞ぐ。明らかにすまん、と言いかけていたことくらいはすぐに察していた。けれど謝ってほしくなかった。謝罪を求めているわけでもない。
「起きたことは仕方ないわ。次を考えましょ」
「ん……だがどうする。これで止める手立てはないぞ。時間もあまり残っちゃいない」
「じゃあ止められないなら壊すしかないわね」
「壊すって言ったって……ナノデバイスを全て破壊でもしなけりゃ今後が怖いぞ。システムに介入してナノデバイスの機能を殺した上で止めるつもりだったんだ」
峻が叢雲へ視線を注ぐ。確かにと思いつつ、叢雲が唸った。
ナノデバイスの機能を残しておけば万が一、流出したときに厄介だ。だから壊したいところではあるのだが、肉眼で捉えることができないようなものをプチプチと破壊することはできない。
つまり圧倒的な火力をもってすべてを破壊し尽くす選択以外はないのだ。だがそんな方法が今の叢雲にあるかと言われれば見当たらないと答えるしかない。
「艤装……はあるけど魚雷も砲弾もすべて突入で撃ち尽くしたから使え、な、い……ああっ!」
「どうした?」
「あるわよ、方法! 発射を止めてナノデバイスを破壊し尽くすとびっきりが」
よく閃いたものだと自分を褒めかけた。だがあまりいい方法でないのは冷静になればすぐわかった。だが奇声をあげてしまった以上は峻が見逃すわけもなし、せっかく思いついた手段を相談もせずにボツにすることも躊躇われた。
「どんな方法だ?」
「ロケットってことは飛ばすための燃料があるわよね?」
「まさか火をつける、とか言わないよな? 今から解体して燃料タンクまでこじ開けるのは骨だぞ」
「まさか。まあ、やり方はもうちょっとダイナミックかもしれないけどね」
「話を進めようぜ。どうするんだ?」
「リーパーシステムで私の艤装の機関を暴走させて爆発させれば燃料タンクまでぶち破って点火させられない?」
そうすれば内部に格納されているであろうナノデバイスごと燃やしつくせるはず。そう考えての提案だった。
「……」
峻が黙りこくる。時間は経過していく。だが最後に峻は小さく頷いた。
ほんっっっとうにすみませんでした!!
いつも通りの時間に投稿するのをすっかり忘れてしまい、こんな時間になってしまいました。本当に申し訳ないです。
もうあと数話で終わるというのになんとも情けない……日付は跨いでいないのでセーフってことにしてくれませんか?お願いします。