艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

130 / 134
葬送曲

 

 静寂が破られるのは突然だ。そしてそういう時は順調さが崩壊していく瞬間であったりもする。

 

 時間がそこだけ停止したかのように何事も起きず、平穏を演じる部屋。そこに通じる扉が何の前触れもなく唐突に吹き飛んだ。

 

「あーあ。また壊した」

 

「こうする以外に手があったか?」

 

「……ピッキング?」

 

「五十歩百歩じゃねえか」

 

 ふざけているようにしか思われないであろう掛け合いをしながら峻と叢雲が広間になっている部屋に足を踏み入れる。

 

「さて、と。そろそろ何かあると思ったんだが……ビンゴかどうかわからねえな、これじゃ」

 

 口調とは裏腹に警戒しながら峻が部屋の奥でじっと動くことなくこちらの様子を窺っているものを観察する。一見はさっきまで戦ってきた異形の兵隊たちとほとんど変わらない。けれど問答無用で襲ってくる気配がないところが明確に違う。

 

《本当に来るとは思わなかったよ》

 

 作られた声が室内に響く。スピーカーから響いているのだろうと峻は予測をつけた。そして誰が話しかけてきたのかも当たりをつける。

 

「三文芝居だな。誰も来ると思っていないのならこんな大掛かりな人工島なんざ用意しないだろ。なあ、岩崎満弥」

 

《ふむ。それもそうだ。確かに私は廊下に警備の兵を配備した。侵入者を嫌ったことも認めよう。ずいぶんと早かったがぶつからなかったのかね?》

 

「さぁな。あまり記憶に残ってない」

 

《……すべて殺ったというわけかね》

 

 十二分に察した、ということか。だがその推測は正しい。今しがた峻が吹き飛ばしたせいでドアのなくなった入り口から廊下を除けば事切れた異形の兵隊たちが転がっている姿が見られるだろう。

 

《なるほど。君はずいぶんと腕が立つようだ。あれはそう簡単にやれる設計にはしていないはずなのだが》

 

「お褒めにあずかり光栄至極だ」

 

 素っ気無く峻が言い捨てる。同時に動きかけた叢雲を視線だけで制した。同じくあいコンタクトだけで叢雲が確認してくる。小さく頷き返すと叢雲も頷いて引いた。柄に手はかけたままだが、それでも引いたのだった。

 

《見事だよ。世辞でもなんでもなく見事だ。まるで勇者のようだ。ふふ、そうなると私は魔王か》

 

「くだらないこと言うためだけに引き止めてるならさっさと片つけて帰るぞ」

 

《なら聞こう。君は世界をどう思う? 果たしてこのままでいいのか? いつまでたっても人類は変わらない。深海棲艦という脅威が現れていながらも争いを繰り返していく。力あるものが抑圧し、力なきものが喘ぐ。そうして弱者を排し続けてどうなる? このままでは人類はやがて人類を滅ぼす。そんな世界のままでいいと本当に思えるか?》

 

 答えはまだ求められていない終止疑問文だ。まだ話すな、と言外に告げられている。

 

《私の答えは否だ。そんな世界は間違っている。だから変わらなければならない。人類も、そして世界も》

 

 ぱちぱち、と乾いた拍手を峻が送る。

 

「ご高説どうも。ああ、あんたが言う通りかもな。道理で世界は回らない。どうしようもないくらい世界ってやつは悪意に満ちているのかもしれない」

 

 その上で、

 

「世界? 知るか。んなもんはどうだっていい」

 

 くだらないと峻は斬り捨てた。

 

 そもそも自分は叢雲に指摘された通りの人間だった。世界なんてものはどうでもいいと感じていた。それは今ですらなおも。

 

《ならなぜここに来た。君は私を止めに来た。ただ海軍の上に言われたままに、唯々諾々と。違うかね?》

 

「違うね。ああ、まったく違う。的外れもいいとこだ。俺は俺の意志でここにいる」

 

 初めてかもしれない。自分自身で自分の意志を表明したことなんて。左隣の叢雲がそっと笑った。そんな気がした。

 

《私を挫きに来たのでないのならば私に付く気はないかね。他ならぬ君だ。君はこの世界が憎いだろう。ごくありふれた生活を送れたはず。そんな生まれでありながらテロリストに仕立て上げられ戦わせられた。子供が武器を持って戦わなくていけない世界を君自身の手で変えてみたくはないか?》

 

 峻をこちらへ来い、といざなう。峻が前かがみになって小刻みに震え始めた。

 

「はは、ははは!」

 

 そして峻が腹を抱えて、哄笑する。訝しげな様子がスピーカーから空気を震わせて伝わってくるかのようだ。

 

「とんだ勘違いだ! 俺はそんな高尚な人間じゃない! 俺は世界なんてもんのために戦える人間じゃない。……まあ、これは教えてもらうまで気づかなかったことだけどな」

 

《軍の狗ではない。だが私に付くつもりもない。なら君は何がために武器を取った?》

 

「俺のためだよ」

 

 なんて簡単なことだろうか。たったこれだけでよかった。そのはずなのにずいぶんと長くかかってしまった。

 

「認めてやる。てめえの言うとおり世界なんてクソッたれだ。ああ、そうだよ。俺は世界を憎んだ。はっきり言って大嫌いだ。世界ってヤツはどうしようもないくらい悪意に満ちていて、残酷だ。すべてが敵だった。敵の敵は味方、なんて言葉があるがくだらない。敵の敵はただ敵だ。寝首を掻かれるくらいなら殺せ。そうやって生きていた。そんな生き方しかさせてもらえないのが世界なら壊れてもいい」

 

《ならば君の手で変えてしまえばいい。正しい世界のあり方へ》

 

「なんでそんな七面倒臭いことしなくちゃいけないんだ。やるわけないだろう」

 

 峻がやれやれと呆れ返る。叢雲が隣でふふ、と笑った。

 

「確かに俺は世界ってヤツが嫌いだ。だがこんな世界だっているんだよな。俺みたいなろくでなしを受け入れてくれるやつが」

 

 叢雲が身じろぎする。どんな顔をしているのか見てみたいという誘惑に駆られるが、意識を目の前の敵性らしい人形とスピーカーから逸らすことは躊躇われたので制止をかける。

 

「どうしようもないかもしれない。でもそんなどうしようもない世界を否定することは俺を受け入れると言ってくれたこいつを否定することになる。それは許容できねえ」

 

《私の想像以上に君はヒューマニズムに浸っているようだ。もはや陶酔だよ、それは》

 

「それがどうした。知ってるよ、そんなことくらい。だがてめえと何が違う? そっちもただのエゴイズムだろうが」

 

 ヒューマニズム、大変結構だ。ただ峻は叢雲を否定する行為をしたくない、と駄々をこねているだけ。それがわからず言い放ったわけではない。

 

 ヒューマニズムなんて言われたところでピンとこない。ただ利己的に、ただ己がために動いているだけなのだから。

 

「世界なんてどうでもいい。守るものなんて端末のアドレス帳に登録できる範囲で十分だ。そしててめえがやろうとしてる事は俺が守りたいものを否定する行為だ。だから俺はここに来た。そうだな、世界はことのついでに守ってやるよ」

 

 もしもナノデバイスが世界中にばらまかれたら。それはさぞかし美しい平和が創造されるのだろう。

 

 ただしそこは思想から何から何まで調整され続ける管理があるだけだ。

 

「俺は家畜になるなんて御免だね。動物園のように檻の中の平穏を延々と繰り返すのなんざ願い下げだ。俺は否定するぞ。俺のために。俺が肯定したいもののために」

 

《そのために排除するのか》

 

「ああ、するね。俺は俺のやりたいようにやる」

 

《……決裂、か。君は賛同してくれるものかと思ったよ》

 

 本当にそう思っていたというのならとんだお門違いだ。以前までの峻ならば納得し、さっさと鞍替えをしていたかもしれない。

 

 けれど、もうありたい姿が固まってしまっている。

 

「荒事抜きでやれるならそれに越したことはないんでな。いちおう確認させてもらうぞ。ナノデバイスの場所とロケットの停止方法を教えろ」

 

《私とて引けないのだ》

 

「だろうな。だから力づくでやらせてもらうぜ」

 

 峻が再びCz75とコンバットナイフを抜く。今まで沈黙を保ち、微動だにしなかった人型がようやく動き始めた。

 

 ピシピシ、とひび割れのような音。表皮に亀裂が入っていく。脱皮の如く表皮が剥けてその下に留め隠されていた無数の鞭状のものが飛び出し、峻に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと叢雲は沈黙し続けていた。いずれ来るであろう決定的な状況の変動に備えて。

 

 そして状況は動いた。叢雲が予想していた通り、とは言えない。それでも何かしらの形で攻撃らしきものがくるであろうと備えていた。

 

「下がりなさい!」

 

 叫びながら峻の前に叢雲が飛び出す。しなやかな動きで迫り来る鞭状の何かを抜刀して迎え撃つ。

 

 迫り来る初撃。振りかぶった刀が鞭状のそれを叩き落した。

 

「っ! 嘘でしょ!?」

 

 斬り落とすつもりで刀を叢雲は振るった。だが結果は叩き落しただけ。確かに連続で迎撃しなくてはいけないことを考えて、渾身の力は込められなかった。それでも十分に斬れるものだと叢雲は思っていた。

 

「硬すぎ……よ!」

 

 仕方がないので方針転換。斬り落とすつもりだった。だがそれはうまくいかなさそうだ。だから軌道を変えることにした。

 

 雨霰のごとく繰り出される連撃を叢雲が捌いていく。斬り落とせないことに意表は突かれた。そこに固執していたら動きは鈍っていたかもしれない。瞬時に切り替えてひたすらに叩き落していく。

 

 まずい。思いの外、手数が多い。刀一本で捌ききれるような物量ではなくなってきた。

 

「叢雲、右よこせ」

 

 割り込む声。ふっと叢雲は微笑みを零しつつ、左に避ける。

 

 そして叢雲が空けたスペースに峻が飛び込んだ。銃弾が連続で命中すると鞭を弾き、ナイフが軌道を逸らす。叢雲が一撃の重さなら峻は手数で攻撃をいなしていく。

 

 わずかな時間でありながら相当な攻防を叢雲と峻は凌ぎぎった。呼吸を整えるためにふたりが呼気を吐く。

 

「なによ、あれ!」

 

「知らん! だがろくなもんじゃなさそうだ」

 

ぞぞぞぞ、と床に叩き落としたり軌道を逸らして背後の壁に突き刺さっていたそれが引き戻されていく。

 

「イソギンチャクとかタコとかイカの足みたいね。深海棲艦にもあんな器官があるのは寡聞にして初めてだけど」

 

「触手って言いたいのか」

 

「そうそれ、よっ!」

 

 襲い来る触手を叢雲が叩き落としていく。一瞬の隙を狙って峻へアイコンタクト。コンマ数秒の躊躇いが生じた後に峻が叢雲へアイコンタクトを返すと、姿勢を低くして後方へ下がった。

 

 それを確認するや否や意識を防衛に割く。先の攻防で自分が全力を出したところで捌ききれないことは証明済み。どうあってもこの触手のような襲来を無傷で抜けることはできない。

 

 先刻承知の上。それでも峻を行かせた。

 

 捌ききれない攻撃が叢雲の頬を、肩を、腿をと捉える。それぞれの箇所がぱっくりと裂けて鮮血が滲み始めた。

 

 痛い。ただただ痛い。

 

 それでも刀を振るう手は止めない。致命傷になりうるものを重点的に対処し、軽傷で済むと踏んだものは、対処せずに食らうことを選択する。

 

 痛みは重なれば重なるほど増幅していく。通常であれば耐え難いであろうものへと変貌を遂げて叢雲の体を蝕む。

 

 でも、こんなものぜんぜん大したものじゃない。もちろん痛い。けれどこんなものと比にならない痛みを私は知っている。

 

 無力感に打ちひしがれる方が、こんなものより何十倍も痛かった。

 

 残るところ数本。斬り上げ、斬り下ろしの連撃でそのうち2本の軌道を逸らしこんだ。

 

 だが追いきれなくなった1本が叢雲の左肩を穿った。刀を振る速度が急激に鈍る。

 

「っ……ああ!」

 

 最後の1本が叢雲の胸の中心へ目掛けて空間に齧り付くように迫る。

 

 やられてたまるものか。

 

 左足の踏み込みで跳躍。体を空中でぐい、と捻れば触手の刺さった左肩が鋭い悲鳴をあげる。その痛覚を叢雲はねじ伏せて、回し蹴りの要領で最後の触手を蹴り飛ばした。荒い息を吐きながら左肩の触手を引き抜き、床に刺した刀を体の支えにする。

 

「あとは任せたわよ」

 

「ああ」

 

 峻が飛び出して触手の大元へと駆け込む。すべての腕が伸びきった状態から再び攻撃に移行するためには、伸びきった腕を引っ込める必要がある。引っ込むまでの隙を狙えば本体へダメージを与えられる。

 

 だから叢雲は無茶をやった。1人で裁けないこともわかっていながら、あえて峻に下がるように伝えた。

 

 危険な賭けではあった。自分ひとりでやった結果、致命傷を負う可能性も十分すぎるほどにあった。それでも後ろに峻がいる。ならやれると思った。

 

「行け」

 

 峻の背中が遠くなっていく。右脚に青白い燐光が点る。まだ解放はせずに留め起きながら、左脚で強く踏み込んだ。真横に右脚がブースターの後押しを受けて振り抜かれていく。

 

 そして峻の体が吹き飛んだ。

 

 なにが起きた。その思考が答えを得る時には叢雲にその原因が迫っていた。

 

 なんのことはない。ただ叢雲が受け流したと思い込んでいた触手が束なって、振り払われたのだ。咄嗟に床から引き抜いた刀で受け止めることを試みる。

 

 均衡はすぐに破られた。あっという間に叢雲は押し切られ、その小柄な体躯は速度を与えられて飛ばされる。壁に叩きつけられて叢雲は血液の混じった呼気を無理やり吐き出させられる。

 

 壁に手をついて息を整えている最中にピキ、という歪な音がした。音源は探るまでもない。

 

 叢雲の愛刀『断雨』からだ。

 

 切っ先からおよそ10cm程度だろうか。稲妻状のヒビが刀身に走り、折れて床に突き刺さった。

 

「無事なんだろうな、叢雲」

 

「生きるわよ」

 

 苦悶の色が滲みつつも峻が立ち上がって叢雲へ呼びかける。ダメージに震える膝を叱咤して立ち上がると叢雲はそっけなく返す。

 

「怪我はどう?」

 

「アバラが何本か逝った。血を吐いたから内臓(なか)も傷ついてるかもしれねえ」

 

「私も似たようなもんよ。ただ刀は迷子(MIA)どころかお亡くなり(KIA)だけど」

 

 気丈にも笑ってみせる。だが決してただ無理にひねり出したものでもない。確かに叢雲の持っていた唯一である刀は折れてしまった。だがそれで終わってしまったわけではない。

 

 気力十分。体は怪我があれども、動く。右隣の峻の様子を窺うと、痛みにしかめっ面を作っているが、それでもまだ瞳の焔は宿ったままだ。

 

 もし峻が怪我のため限界を迎えているようならば。もし戦意が途切れてしまっていたのなら。

 

 そうであれば叢雲は峻に一撃を入れて、引っ張ってでも撤退するつもりだった。人工島から出る手段が思いつかないが、少なくともこのままやり合い続けるのではなくて、どこか別の部屋に逃げくらいはした方がいい。

 

 けれど叢雲の余計なおせっかいなど峻は必要としていないらしい。

 

「仕切り直しだ、叢雲。まだやれそうか?」

 

「勿論」

 

「怪我は大丈夫なんだろうな? 無茶はしてくれるなよ」

 

「心配しすぎよ。刀が折れたところで私は動ける。まだ終わってなんかいないわ。私たちは帰るのよ。私たちの場所へ」

 

 叢雲が強い口調で言い返す。それを聞いた峻がしかめっ面を緩めた。どこか愉快そうに峻が笑みを零す。

 

「お前がそう言うんならいけるか」

 

 そう小さく呟くと、峻は目前に存在する敵性生命体を正面に捉えた。叢雲も峻に倣って折れてしまった刀を構えなおす。

 

 一度は失敗した。叢雲も峻もその失敗の結果として怪我という代償を払うはめになり、叢雲の愛刀はへし折れてしまった。

 

 それでも。

 

 まだ終曲(フィナーレ)には早すぎる。

 




こんにちは、プレリュードです。

どうしてこうなった、と何度も繰り返してきた気がしますが本当にどうしてこうなった。たまに自分の思考回路がイカれているんじゃないかと真剣に心配になります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。