その変化は唐突だった。
なんの前触れもなく、ゆえに誰も予想できなかった。ただ、敢えて言うのならいずれは起きることであり、ただ時間の問題にすぎなかったのだ、と表現する以外に方法はない。単純に想像よりも早いか遅いか。たったそれだけの違いがあるのみだ。
「おい、シュン。ありゃどういうことだ」
「俺に聞くなよ。見たまんまってことだろ」
いざよいの司令室で東雲と峻の男2人が半ば信じられないといった様子でホロウィンドウを呆然と見つめる。
順調だった。叢雲が厄介である姫級を一手に引き受け、叢雲を除いた帆波隊が両舷に展開している通常種の深海棲艦を相手する。この方法で一時的に他の艦隊た立て直す余裕ができていた。かなり無理のある方法であり、峻と帆波隊への負担が大きすぎるためあまり時間をかけられないという即席な手段ではあったが。
だがその順調さを裏切るように人工島に動きがあった。
地獄の釜の蓋が開くように重々しく人工島の中心部がスライドしぽっかりと口を開けていく。だが最大の問題はその奥にあったものだった。
「……ロケット?」
「待て、マサキ。結論を焦るな」
ホロウィンドウを操ると、光学映像に拡大をかける。峻の持ちうる限りの知識を総動員して細部に至るまで調べていく。
「どうだ?」
「ロケットに近い。だが成層圏以上はこの仕様だと出ないはずだ。おそらく例の生物性ナノデバイスをばらまくためだろうな」
「こんなもんまで秘匿してたのか」
東雲が信じられないといった様子でつぶやく。ここまで来てまさかの航空機。しかも大量の姫級や対叢雲用の格闘型深海棲艦まで準備してきている。
「妥当だろ。なにせ岩崎満弥の本体には時間がたっぷりあったんだ。深海棲艦が出現してから10年以上。航空機のひとつや全生物にばら撒ける生物性ナノデバイスを生産するも、好きに深海棲艦を弄る技術を確立させることもできただろうさ」
なにせ深海棲艦の生みの親だ。加えてかなり自由度は確保できている。なにせハワイ本島は深海棲艦が大量に守ってくれている。深海棲艦でナノデバイスの実験をすることはできただろう。
このタイミングで動いたということは向こうも焦っている。ここまで峻たちが粘るとは思っていなかったのだろう。そもそも準備ができているのならとっくに打ち上げてナノデバイスをばら撒いているに決まっている。それが戦闘開始の後、艦隊が立て直され始めた途端にこの行動。
おそらくナノデバイスの量は十分でない。それでも自己繁殖をするからこそ、ここで散布する選択に踏み切った。
「シュン、打ち上げまで短く見積もってどれくらいだ」
「準備の段階にもよる。燃料も入っていないのならナノデバイスの搭載から動作テスト、燃料の注入でおおまか2時間ってとこだ」
「2時間じゃ、これを突破して人工島に到達するのは不可能だぞ」
ホロウィンドウの向こう側で蠢く深海棲艦の数は減っているはずなのに、そんな雰囲気は微塵もない。その様子を東雲が親指で突いて示した。
「空爆は? 遠距離砲撃で航空機もろとも破壊することは不可能か?」
「難しい、だろうな。お前が知ってるとおり、制空権が取れていない以上は十分な数の攻撃隊は送り込めない。遠距離砲撃だって観測機も飛ばせずに精密な砲撃は難しいぜ」
わかっていたことだが、東雲から返ってきたものは不可能に近いという返答。峻は額にシワを寄せて脳を回転させる。
打つ手はある。まだ終わってしまったわけではない。ならきっと光明はあるはずだ。どこかにあるそれを必ず見つけ出せ。
こんな自分ですら戦うことができた。初めて理由らしき断片を見つけられた気がした。こんな陳腐な困難、理由さがしなんかよりよっぽど簡単に決まっている。
動かせる脳味噌をフルで回転させている最中に小さな鈴の音のような電子音。通信であることはすぐにわかったが、こんな時に誰だと苛立ちを隠しきれずにホロウィンドウを手前へ乱暴に引き寄せる。
そして誰がかけてきたのか認識すると、一瞬の間も惜しいと言わんばかりに残像すら残さんとする速度で応答の欄を右手がタップした。
「若狭、解析結果は!」
《……怒鳴らないでくれないかな。耳が痛くなるからさ。出たよ。説明するけどその前にデータ》
若狭が頭痛を堪えるような声で文句をつける。だがそんなクレームをまともに取り合うことなく、峻は送られてきた画像データをダウンロード。完了した直後に開く。
《驚くことにこの人工島は生きているよ》
「生きてる?」
《そう。人工島から生体反応がある。一、二発くらい砲撃を試しに入れてみるといいよ。おそらく一瞬は壊れるだろうけど、すぐに再生される。攻撃オプションの類は見つからないし、過去に妙な再生能力を持った深海棲艦が一度、確認されてる。それと同質の装甲で外部を覆っているんだろうね。事実として多層構造になってる》
つまり島ごと破壊してしまう、という強引な手は使えないということだ。撃って壊したとしてもすぐに再生されてしまうのではいたちごっこ。キャパシティはあるだろうが、妨害を受けることなく攻撃を続けられるような状況があると考えるのは現状では楽観視がすぎる。
《あとはご覧の通り、滑らかな外壁が海面から直角に伸びてる人工島だ。登ることはできなくもないだろうけど、深海棲艦に狙い撃ちにされるのは言わなくてもいいよね?》
「早い話、侵入経路はあったのか?」
《あったよ。マーカーで印がつけられてるところがあるだろう? そこだけ長方形にうっすらと切れ目が入ってる。物資の搬入口かな。うまく隠されてるけど、そこからなら内部に入り込めると思う。ただ開けるとなったら力づくだろうね。大和砲を1発くらいじゃ厳しいはずさ》
指摘されたマーカーのポイントを目を細めて睨むように見つめるが、若狭の言うような切れ目は見つからない。だがあるというからにはある。若狭の観察眼と解析は伊達でないことは身をもって知っている。
「若狭、今の状況は聞いてるか?」
《いや。なにか起きたのかい?》
「例のナノデバイスをばら撒くためのロケットまがいの航空機が発射しそうだ。お得意のハッキングで止められないか?」
東雲が割り込んで若狭に打診をかける。もしここからハッキングで止められるのであればそれほど楽なこともない。
しばらくの沈黙。向こう側で何かが忙しなく動き回る気配が数分ほど続く。何をやっているのかはわからないが、ひとまずは待つしかない。同時並行で艦隊の指揮も執りつつ、東雲と峻は待ち続ける。
《待たせたね。結論から言うと無理だったよ》
「無理か」
《不可能、と言い換えてもいいかもね。そもそも介入する糸口がない。完全に内部だけで成立しているスタンドアロンネットワークだ。外部からはそもそもシャットアウトどころか接続口すら必要としてないから存在していないね》
「つまりやるならあの中に行くしかないわけか……」
唸りながら東雲が頭を抱える。若狭は力になれそうにないけど何かあったらまた呼んでくれればいいよ、とだけ言い残して通信を切断した。
外部からの介入は不可能。何をするにしろ、内部に潜り込むことが前提となった。だが潜り込もうにも防衛している深海棲艦の層が厚いため、そう安易に通してもらえない。
「不味いな……どうする」
「マサキ、作戦を承認してくれ」
考え込みかける東雲に峻がたった今、立案したばかりの作戦説明書を送り付ける。若狭のおかげでプランが立った。これ以上の手は存在しないだろうと峻は言えた。
「作戦名『ファントム・スラスト』……これ正気か、お前」
「他に手段がないだろ」
なにより時間が無い。これ以上の作戦が即座に出てこないのなら、実行する他に選択肢はないだろう。
「承認してくれとは言ったが、お前が認めなくとも俺はやるからな」
「命令無視だ」
「どっこい、元帥のお墨付きだ。あの中にあるナノデバイス拡散装置を破壊しろってのは元帥からの命令だからな」
想定された切り返しを素早く受け返す。互いの視線がぶつかり合って火花を散らした。
先に引いたのは東雲だった。いや、引かされたのが東雲だった。
「他の突入部隊は待機。数を出したら失敗する」
「成功するんだろうな」
「させるんだよ」
椅子から立ち上がると、引っ掛けたままの上着を一瞥だけして羽織ることなく司令室を後にする。ホルスターのCz75を確かめ、腰の鞘にきちんとコンバットナイフがあることを確認しつつ、格納庫へ繋ぐ。
《なんですか?》
「明石。あれの用意、できてるか?」
《いつでも。高速艇も整備できてますよ》
「すぐ行く。機関、回し始めといてくれ」
《わかりましたっ!》
景気のよい明石の返事。準備は万端。次にすべきは作戦を実行に移すのみだ。
作戦書を送信しつつ、歩みを速めた。残されている時間は既に秒読み。ここから大事になるのはスピーディーさであり、丁寧さだ。一手のミスがすべてを狂わせるかもしれない。そんな不安要素はいくらでも出てくる。正解なんて素晴らしいものは存在せず、ただ無数の選択肢が乱暴に与えられているだけ。そんな状況下でただひとつだけ確実なこと。
もう、やりたいことは定まった。
なにこれ。
それが叢雲の初見で抱いた感想だった。そして直後に湧き上がってくるのは笑い。
「ふふっ、面白いことしようとするじゃない」
「叢雲、これ提督さんは正気?」
「正気でしょ。まあ、やれるんじゃない?」
「そんな適当な……」
瑞鶴がため息まじりに言うが、叢雲はどこ吹く風だ。どうせ止めたところで止まるはずもないことくらいわかってる。自分の意志で峻が動いたのだ。ならば止まるわけもない。
「『ファントム・スラスト』……私は面白いと思うわよ」
どのみち時間があるわけではないことは叢雲も理解していた。人工島の変貌は戦闘をしつつ、監視していた叢雲が気づかないわけがない。
「止めないの?」
「止めないわよ。このメンツならやれるもの」
「……そういう言い方ってズルくない?」
責めるような瑞鶴の言葉も気の張り詰めたものへと切り替わる。いつの間にか周囲に集まってきていた仲間の表情に疑念の色は一片たりとも浮かんでいない。
「指示どおりに私は動くわ。もうそろそろ……ああ、始まったわね」
いざよいの中から高速艇が飛び出してきた。ぐんぐんと速度を上げると一直線に人工島へ向かっていく。
順調に峻を乗せたらしき高速艇は人工島へ進んでいる、と言いたかった。だが簡単に深海棲艦が人工島への接近を許してくれるわけがない。
即座に高速艇へ砲撃が降り注ぐ。右へ左へと高速艇が蛇行するように航行し、あともう一寸で当たるか当たらないかの危うさを孕みつつも避けていく。
高速艇をその顎をもって噛み砕かんとするイ級が海面から跳ね上がる。直後に天津風が操る自律駆動法によって風穴を開けられ、海面へ力なく横たわった。
攻撃隊が接近すれば、瑞鶴と加賀の差し向けた艦戦隊が交錯し、高速艇まで近寄らせることを許さない。
ソナーに反応があった瞬間、矢矧と夕張が即座に爆雷を投射して攻撃態勢に移らせない。
遠方で戦艦クラスが砲撃姿勢を作れば、砲撃される前に陸奥と艤装が半分ほど傷んでいる榛名が遠距離攻撃を叩き込んで撃つ隙を与えない。
高速艇に気づき、攻撃を加えようと意識を取られた深海棲艦は鈴谷の砲撃と北上の雷撃が突き刺さり、目を離させたことを後悔させた。
ただの武装もしていない高速艇を無傷で守る。しかと深海棲艦が跳梁跋扈する戦闘海域で。それができているだけで上等。無理無茶無謀をゴリ押ししている綱渡りじみた芸当だ。
だがそんなギリギリのバランスで成り立つものがいつまでも続くとは限らない。むしろ成り立ってしまっていることが不自然なのだ。
人工島へ近づけば近づくほど弾幕は濃くなり、攻撃は激しくなっていく。なんとしても取り付かせまいという強迫観念にも似た気迫がビリビリと空中を伝播している。
それでも粘り続けた方だ。ここまで集中的に狙われていた割には。
限界点を超えかけてもなお食い止めていた堤防は決壊した。
どの深海棲艦が撃ったのかすらわからない。ただその砲撃は直撃コースだった。
砲弾がまっすぐに高速艇へと飛来していく。回避は間に合いそうにもない。
そして砲撃はあまりに呆気なく。
誰かを嘲笑うかのように。
高速艇の表面と接触してすり抜けた。
「あいつの二つ名、忘れてんじゃないわよ」
叢雲が遠く離れた場所でつぶやく。高速艇がいたはずの場所には円盤状の機械が海上を走っていた。
帆波峻の十八番。過去にウェーク島を攻略した際に使用し、その二つ名である『幻惑』の由来になった帆波峻自身が開発した立体映像投影装置のモルガナ。それが高速艇のホログラムを投影し続けていた。
「本体はこっちよ」
同じようにホログラムの薄膜を剥ぎ取って今度こそ本物の峻が操っている高速艇が叢雲のすぐ側に現れる。海面をかき分けて進む舳先が深海棲艦だった頭部を弾き飛ばした。
ニセモノをホンモノだと思い込まされて深海棲艦は釣られた。あたかもホンモノだと思い込ませるためにわざわざ守るような行動のカモフラージュもかけて。
ホンモノはニセモノに集中した結果として生まれた小さな隙に付け入っていた。叢雲がリーパーシステムを使用した上で気づかれないほどの速度で薄くなった防衛陣を一時的に一掃。あとはその通路を峻は悠々と進むだけでいい。
すべては
「叢雲、リーパーシステムはもう切っていい! 来い!」
「ちょっと先頭、空けときなさいよ!」
ほんの少しだけ起動させていたリーパーシステムを叢雲は終了させると、高速艇の先頭に飛び乗った。同時に叢雲の視界にターゲットマーカーが浮かび、人工島のある一点を照準し続ける。
「そこに向かって全火力を叩き込め! 魚雷も含めれば吹っ飛ばせる!」
「衝撃で船がひっくり返らないように気をつけないよ!」
叢雲がターゲットマーカーに従って艤装に装着されているすべての火砲を開放する。砲身が熱で曲がるのではないかというくらいひたすらに撃ち続け、残っている魚雷は惜しむことなくすべてを発射。機銃から爆雷に至るまで、とにかく何から何まで持てる限りの火力をたった一点に集中させた。
大和の搭載する46cm三連装砲よりも魚雷の方が単純に火薬量は多い。それを叢雲が搭載できる限界数、すべて余すことなく使用した。
「開いたわよ」
爆煙が晴れると、人工島の壁が長方形にポッカリと口を開けていた。若狭の解析は正しかったのである。
あとはこのまま高速艇で乗り上げる。そのつもりで叢雲は不安定な高速艇の先頭から安定した足場に腰を下ろして対ショック姿勢を作る手筈となっているはずだった。
だから操縦席から峻が深刻な表情で飛び出してきた理由はわからなかった。
「掴まれ叢雲!」
それでも弾かれたように叢雲は伸ばされた峻の手を掴む。もっとしっかり、と言外に峻の目が告げていたので体を密着させて峻の胴体に腕を回した。ほとんど同時に峻の腕が叢雲をホールドする。
峻が高速艇の舳先から跳び上がる。峻たちが離れて幾ばく後か、高速艇は爆発した。そのため爆風に煽られる。目指すは叢雲が開けた人工島への侵入口。しかしふたりぶんの体重によってどうしても失速していく。
だがそれを想定していないはずがない。そう信じているから叢雲は躊躇いなくしがみついた。
そして峻も当然のごとく想定済みだった。
右脚の義足が起動するとブースターが青白い燐光を空中に描き上げる。ぐん、と失速していたふたりの体が後ろから支えられたように安定し、勢いを取り戻した。
既に再生が始まりかけていた侵入口へ峻と叢雲が消えた。直後に何事も無かったかのようにその侵入口は何食わぬ顔をしてのっぺりとした壁面を晒していた。
あけましておめでとうございます、プレリュードです。
投稿が遅れてすみません。理由はありませんが、強いて言うなら正月気分ですっかり頭から曜日感覚がなくなってしまったからでしょう。
ついに2018年に入りました。ようやっと終わりの目処も立ってきましたし、年内に完結できると思います。