艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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それでも叢雲は

 峻が1枚の書類にペンを走らせる。あらかた書き終わったが、一項目だけ何を書けばいいかわからずペン先が空中でふらふらと漂った。しばらく悩んだ末、空欄にしたままでペンをしまう。

 

 じっと書類に視線を落とす。これでいいと言えるのだろうか。しかしこれ以上の手段は思いつかない。そんな迷いばかりが心を支配する。

 

 いくら考えてもだめだった。それでも無情に時間は過ぎていく。気づけば時計の針は何周もした後。とっぷりと、という表現は行き過ぎだとしても陽の光はとうの昔に水平線の下へと隠れている。

 

 榛名は夜になったら叢雲をここへ来させると言った。言ったからにはやるのだろう。

 

 暑くなってきた室内に冷房を効かせる。日本では冬だが赤道に近い位置であるミッドウェーの気温は高い。しばらく回していると適温になり、じっとりと汗ばんでいた体もその生理活動を停止させた。

 

 もう来ないのだろうか。そんな身勝手な考えが脳裏をよぎる。来ないなら来ない方がよっぽどいい。榛名が伝え忘れるということはないはずだから、戦闘の疲労で寝たままなのだろうか。それならそうあってくれた方がよっぽどいい。

 

 けれどそんな淡い期待はドアをノックする音でいとも簡単に裏切られる。もしや東雲あたりが次のハワイ本島攻略に向けて話をしにきたのではないか。そんな一縷の希望すらも直後に入室を求める旨を告げたソプラノボイスによりくだらないと一笑に付された。

 

 聞き覚え、なんて陳腐な言葉で表現できないくらい聞いた声。間違えるわけもないその声の持ち主が入室を求めたということは逃げ場はない。

 

「開いてるよ」

 

 諦観を滲ませながら峻が入ってくれと続ける。向こうもこちらがここにいることはわかっているのだ。居留守を使ったところで時間稼ぎにもならない。

 

 滑らかにドアが開く。照明を絞って薄暗くしている室内に叢雲が歩み入った。さもここに自分がいて当然だというくらい堂々と。

 

「そこにでも掛けてくれ」

 

「わかったわ」

 

 適当に峻が1人がけのソファを叢雲に勧める。叢雲が腰を下ろすと峻も立ち上がって対面の複数人用のソファに。さり気なく書類を掴むことは忘れない。

 

「話があるって榛名が言ってたけど何かしら」

 

「……こいつだ」

 

 そしてついさっきまで書いていた書類を叢雲と峻の間を隔てている机の上に置いた。叢雲が疑問符を浮かべながらその書類を受け取ると目を通し始める。

 

「なによ、これ」

 

 叢雲の目がすっと細められて剣呑な光を宿す。口調には怒気が孕んだ。

 

 ルビコンの河は渡っても渡らなくてもいい。その場で足踏みすることが悪徳だ。そう榛名に言われたのだ。ならばここで叢雲がきつい口調だったとしても足踏みしてはいけないのだ。

 

「転属命令だ。そこの空欄にお前が望んでる転属先を書けばそこに配属になる」

 

「言い方が悪かったのかしら? これが何かを聞いているんじゃなくて、あんたの意図を聞いたのよ」

 

 微塵も悪いと思っていない様子で叢雲がひらひらと書類をはためかせる。叢雲が来る前に峻が書いていた書類。そして結局は転属先を書き込まなかった未完成のそれを渡した。

 

 そして転属命令書を叢雲に渡した意図を答えろと迫られた。当然のことだろう。わかりきっていたことだ。

 

「……邪魔なんだよ」

 

 ぼそっと峻がつぶやく。叢雲の表情が硬くなったような気がした。

 

「どこまでも付いてきやがって迷惑なんだよ。お前のことなんて別に俺はどうも思っちゃいない。だからどこか他に行け。それだけだ」

 

 それだけ言うと峻が目を伏せる。叢雲が強く握った転属命令書がくしゃりと歪んだ直後、拳の力がふっと抜けた。それでも書類を掴んだまま、伏せた峻の視界を横切って消えていく。

 

 これでいい。叢雲はこれ以上、関わってはいけない。この選択で間違っていない。

 

 そう内心で繰り返していた峻の隣で何の前触れもなく青みがかった銀髪が踊った。叢雲が峻のとなりに座ったのだ。そう理解することすら一瞬の時間を要した。

 

 視線を上げた峻の目の前で叢雲が転属命令書に手をかけると勢いよく2つに裂いた。重ねるとさらに破く。何度か裂くことを重ねると叢雲が手を離してバラバラになった紙片を床に降らせた。

 

 正式な命令書なら従うしかない。破くことは軍規違反だ。だが峻が叢雲に渡したものは転属先の書かれていない不完全なものだ。正式なものではないため破っても問題にはならない。

 

「嘘、下手なのよ」

 

 叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの瞳が峻の明るい茶色の瞳を捉える。叢雲の瞳に映った峻はひどく疲れているようだった。

 

「嘘? なにがだ」

 

「さっきのくだり、まるまる全部よ。わかりやすいったらないわ。だからもう一度だけ聞くわよ。あんたの意図は、なに?」

 

 隣に座った叢雲が見つめてくる。口調に荒らさはない。だがきちんとした説明がない限り引くつもりは無いという確固たる意思が見て取れた。

 

「お前は俺なんかといたらだめだ」

 

「どうして? それを私が望んでいるのに何がだめなのかしら」

 

「お前は俺のことを測り損ねてる。俺は、俺は……」

 

 逡巡。ひた隠しにし続けたし、今も言いたくはなかった。そして今後も誰かにいうつもりはなかった。

 

 だがもう、言わなければ叢雲は引いてくれないだろう。ならば軽蔑をもって全てにカタをつけよう。

 

「俺はテロリストだ」

 

「反逆者の汚名は晴れたはずよ」

 

「そうじゃない。欧州で襲われたWARN。忘れてるわけないよな?」

 

「……ええ」

 

 忘れているわけがない。そう確信していながらあえて聞いた。初めて叢雲の目の前で峻が手を血に染める姿を見せたのだから。

 

「俺はそこにいた」

 

「計算が合わないわ。海大に入ったのが18なら……ああ、そういうこと」

 

 ようやく得心がいったのか叢雲が発言の途中で言葉を切り替えた。理解したのだろう。峻が少年兵だったと告げたことに。

 

「俺はお前の、お前たちの命を狙ったやつらの仲間だった。何百で済むか、それ以上の人をこの手にかけてる。中には抵抗しない民間人もいた。お前と同じくらいの年頃の女子を容赦なく殺したことも数え切れない」

 

「……」

 

 叢雲が沈黙を守る。峻にとっては好都合だ。途中で遮られたくない。話すならいっそのことすべて流れで言ってしまいたかった。

 

「命だけはと請う親子を殺した。抵抗すらできない老人の首を掻き切った。そして……俺は嗤ってたんだ」

 

「そう」

 

 短く叢雲が言った。峻が叢雲から顔を背ける。その短い返答に何も感情が込められていないような気がした。だから直視することを避けた。

 

 だがこれでいい。軽蔑によって叢雲が離れてくれるのなら最善とはいえないが次善の策としては十分だ。

 

「で、それから?」

 

 そんな十分だという峻の確信は叢雲の放った短い一言で粉々に打ち砕かれた。

 

「それ、から……」

 

「どうして私だけ転属なのかはまあ、いいわ。私が告白しちゃったからでしょうし。その答えとして遠ざけるという選択なら意味合いもわかるから」

 

 叢雲が言いながら詰め寄る。峻がソファに座りながら叢雲との距離を離そうと下がればさらに詰め寄ってくる。

 

「その上で転属命令が失敗したから次の手として昔を公開して私から軽蔑されることによって私が自ら離れていくことを狙った。まあ、そんなところでしょ。わかりやすいのよ。だから嘘だってすぐに気づかれる」

 

 叢雲がなんの迷いもなく峻が考えていたことを言い当てる。何も反応はしていないはずだが、峻の顔を見てどこか満足げに叢雲がうなづく。

 

「別にあんたが昔、何をやっていたなんてどうだっていいのよ。私だってこの手は血塗られてるわ。でもそれとこれに関係性はまったくないのよ」

 

「数が違う」

 

「一人殺した方が上等で百人殺した方が下等なの? 違うでしょ」

 

 なおも叢雲が詰め寄る。榛名にもこうして距離を縮められた。だが榛名の時とはまったく違う。何がと聞かれても答えられない。ただ漠然と違うように感じた。

 

「殺したら一緒よ。何人だろうが殺した事実は変わらない。あんたは人を殺した。私も人を殺した。差なんてないわ」

 

「……かんねえ」

 

「なに?」

 

 ぼそりとつぶやいた峻の声を聞き落とした叢雲が聞き返す。俯きがちの峻が口を開く。困惑極まった。そんな様子で。

 

「わかんねえ。わかんねえよ。どうしてそこまで言えるんだよ。なんで引かないんだよ。もうほっといてくれていいんだ。軽蔑してくれればいい。とにかくお前は俺のそばにいたらいけないんだ。だから……」

 

「引くわけないじゃない。軽蔑? するわけないじゃない。ほっておく? 寝言ね。そんなことするくらいならとうの昔に軽蔑してるし、引いてるわよ」

 

「ならなんでだよ! なんでそこまで出来るんだ! 俺みたいなやつのためにどうしてそこまで!」

 

 押さえ込んでいたものが怒鳴り声という形で吐き出される。理解ができなかった。こうまで叢雲を突き動かすもの。それがさっぱりわからない。

 

 慣れない嘘もついた。遠ざけるための手段も講じた。にも関わらず叢雲はその頭をもって峻のくだらない姦計をすべて看破してせしめた。

 

「なんで、って……」

 

 叢雲が含みを持たせる。呆れたようで寂しげな色が覗いたのは気のせいか。ようやくじりじりとにじり寄ることを止めた叢雲がまっすぐに峻の瞳を捉える。

 

「私があんたのこと好きだからよ」

 

 微笑んだ叢雲がさも当然のようにさらりと言った。あまりにさっぱりした調子に峻の思考に空白が生じる。

 

 いけない。これはだめだ。そんな思考が頭をよぎり、口を突いて言葉を紡ぎだされた。

 

「その『好き』という感情さえ、司令官に対して好意という感情を抱くようにプログラミングされている偽物かもしれないだろうが」

 

「……その言葉だけは聞きたくなかったわね」

 

 叢雲が瞑目してつぶやきつつ、閉じたまぶたに右手を当てて覆った。ゆっくり手を下ろしていくと、きっと目がつり上がる。

 

「偽物、ね。私は確かにクローン(にせもの)よ。どうあってもオリジナル(ほんもの)にはなれないまがいもの。でもこの感情だけは違う。抱いた感情は私だけのものだ。それだけはあんたにも否定させやしない、私だけが持つ私だけの感情(ほんもの)よ」

 

 きつい口調では決してない。しかし確かに叢雲は怒っていた。静かでありながらも怒気の孕んだ剣幕で叢雲が峻に詰め寄った。もうソファの端まで来てしまった峻にこれ以上、下がる場所はない。

 

 そして言い返す言葉もなくなった。

 

「ねえ、あんたはどうして私を離そうとしたの? あんたの本物は何? あんたをそこまで駆り立てるものはなんなの?」

 

「……俺は戦わなきゃならない。だけど……」

 

 笑えているだろうか。ああ、笑えている。叢雲の瞳に映る峻は確かに笑えていた。

 

 乾ききって抜け落ちたような、そんな笑みを浮かべた帆波峻が重々しい口を開く。

 

「少し、疲れたよ」

 

「じゃあ、やめればいいじゃない」

 

「やめる、か……」

 

 峻が少し考え込む。ふっと体から力が抜けて強張っていた肩が落ちる。

 

「いいかもな」

 

 意外そうに叢雲が軽く目を見開く。そんなことを口走った峻自身も意外だと感じていた。峻の抱えている内心を知ってか知らずか叢雲の目が穏やかなものに移る。

 

「このままだと次の作戦に駆り出されるから、逃げるしかないか。まあ、私の艤装とあんたのホログラム発生装置のモルガナ、だっけ。ここらへんを使えば海軍の追手は撒いて逃げられるでしょ」

 

「逃げてどうする?」

 

「そうね……例えば東南アジアあたりなら監視の目も緩いんじゃないかしら。そこに逃げれば羽を伸ばせるんじゃない? 日なたで転がって、おいしいものを食べて。争いのないところでのんびりと過ごす。どう?」

 

「……悪く、ないかもな」

 

「でしょ?」

 

 叢雲がぽふっとソファの背にもたれかかる。峻もそれに倣ってさっきまで叢雲の方を向いていた体を正面に。

 

 本当に悪くない考えだと思った。何もかも投げ捨ててしまえば、解放される。自明の理だ。

 

「うん、悪くないかもしれないな……もしできれば、だけど」

 

「できるわよ」

 

「できないんだ……できないんだよ……」

 

 峻が絞り出すような声を出す。叢雲が体の向きを変えて峻を見つめた。顔に手を当てて峻がうつむきがちになっている姿が叢雲の瞳に映る。

 

「きっと楽しいんだと思う。でも、きっと心から楽しめない。脳裏にチラつくんだ、手にかけた人たちが。他の人を殺して生きてる。ならこの命は罪を贖うために使わなきゃいけない」

 

 自制することも叶わず、自らの意思に反して口が動く。こんなことを言いたかったわけじゃない。そのはずなのに、止まってくれる気配もない。

 

「彼らに許してもらうことはできない。でもこうでもしないと望みに答えることなんて……」

 

「死者は望まないわよ」

 

 叢雲が言葉を紡ぐ峻を途中で遮る。稲穂のように垂れていた峻の頭が上がると天井を仰いだ。

 

「死者は死者。この世に干渉することはできない。望まないし、思わないし、物言わない。だからあんたが縋っているものはあんたの作り出した虚飾よ。それがわかってないあんたじゃないでしょう?」

 

 峻が叢雲の顔に顔を合わせた。もう自身を制御することなんて、とっくの昔にできなくなっていた。

 

「なら()はどうすればよかったのかな?」

 

 くしゃくしゃに歪んだ顔で峻が囁くように言った。何を言っているのだろう。そんな言葉が頭の中でうっすらとよぎるが、すぐに打ち消された。

 

 叢雲が呆気に取られたように目を張る。ぽかん、と口が開いた。一人称の違い。たったそれだけのこと。けれど叢雲にとっては大きな違いだ。

 

「……私はあんたじゃないし、ましてやあんたが殺した人たちじゃないわ。だからどうすればよかったかなんてわからない。なにより私はあんたのことを知らなさ過ぎる」

 

「そっか。そう、だよな」

 

 当然だ。頑なに話そうとしなかったのは峻自身。知るわけがないのは至極当たり前。それなのに答えを求める方が間違っている。

 

 何をしていたのだろう。榛名に言われるがままに叢雲と話して、何か変わると思ったのか。何もあの頃から変わりはしないことくらいとっくにわかっていたはずなのに。

 

「もういい。十分だから……」

 

「でもあんたが苦しんでいることくらいはわかる」

 

 十分だから出て行ってくれ。そう言い終える前に叢雲が言葉を差し挟む。

 

「もちろん、私はあんたじゃない。だからあんたの苦痛はわからない。でも苦しんでいることはわかることができる」

 

「別に苦しんじゃいねえよ」

 

「……だから嘘が下手だって言うのよ。本当に苦しくないなら、その涙は何?」

 

「は……?」

 

 信じられない。そんな思いと共に右手を自身の目元へ。せいぜい少し潤んでいる程度だろう。そんな考えすらも打ち砕くほどに零れ出していた。

 

「いや……悪い。すぐ止めるから…………」

 

「泣けばいいじゃない。なんで堪えようとするのよ。……ほら」

 

 叢雲の腕が峻の頭を包み込む。そのままそっと胸元へ。壊れものを扱うように優しく抱きとめた。

 

「離してくれ」

 

「離さない」

 

 峻が叢雲の抱擁から逃れようともがく。叢雲は力を込めていない。そのはずなのにどれだけ抵抗しても抜け出せなかった。

 

「ほっといてくれ」

 

「ほっとかない」

 

「どうしてだ!」

 

「惚れてるって言ったでしょ」

 

 抱きかかえたまま、叢雲が穏やかに告げる。体の動きが錆びついたように鈍った。

 

「だから……だから嫌だったんだ。話したらもう戻れない。どういう形になるかなんて予想もつかない。だがお前は聞きたがるに決まってる。そしてお前を受け入れるならば俺は話す義務がある」

 

「なら話さなくていい」

 

 峻の手がソファの布地をきつく握る。絞り出すような峻の声に叢雲は慈愛をもって答えた。

 

「結局ね、あんたが抱えてるものを聞いたところで私が背負えるのは一割くらいなものよ。私はあんたじゃない。だからどれだけ聞いてもあんたの記憶は私の経験にはならないもの」

 

 だからね、と叢雲が続ければ柔らかな言葉が耳朶を伝って峻の全身に伝播していく。布地を強く掴んでいた手から力が抜けた。

 

「私ができることはこれくらい。話を聞くことだけ。あんたを抱きしめることだけ。そしてあんたが泣きたい時にその涙を受け止めてあげることだけ」

 

 そっと叢雲の手が峻の後頭部に回される。そして髪を梳くように優しく撫でた。

 

「今くらいはあんたもぜんぶ吐き出しちゃいなさい。誰もあんたの事を蔑んだりはしないから。笑ったりはしないから」

 

 峻の抵抗が止まった。叢雲に抱きかかえられたまま、もがくために消費されていた力が、ずっと肩に入ったままだった力が。

 

 そして最後に張り詰めたままだった内側が。

 

「……悪い、叢雲」

 

「こういう時は別の言葉がいいわ」

 

「…………ありがとう、叢雲」

 

「ん」

 

 叢雲が峻の体をさらに引き寄せる。正体なくさまよっていた峻の手がためらいがちに叢雲の背中へ。

 

 今まで溜めに溜め続けた葛藤。それが形となって目元からこぼれ落ちた。




こんにちは、プレリュードです!

とりあえず一言。

おいそこ変われ!

なに叢雲の胸に顔埋めとんじゃああん?そこは俺の居場所とちゃうんか!


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