躊躇いを覚えさせない足取りで榛名がいざよいの艦内をずんずんと突き進む。ほとんど人とすれ違わなかったのは、ミッドウェー戦後の補給や艤装の補習などで人手が出ずっぱりだからだろう。いくら快勝を収めたとはいえ、被害が完全にゼロだったわけではない。
そして人がずっと補給作業などに駆り立てられている今、誰かに見られたくはない榛名にとってその状況は好都合だ。
迷うことなく峻のいる部屋へ榛名が到達する。思いっきりドアを開け放とうかとも考えたが、さすがにまずいと思いとどまった。息を整えてからノック。入室許可の返事が来る時間すらもどかしく、返事とほぼ同時に室内へ。
あまりにも素早く身を滑り込ませた榛名に峻が眉を潜める。乱暴であった自覚はあるため、何も言い返すことはできない。
けれどそんなことで折れてあげるようなつもりは榛名にない。
「榛名か。何をしにきたんだ?」
「どうして誤魔化したんですか?」
「はぁ?」
「叢雲ちゃんです。ぜんぶ聞きました。叢雲ちゃんが本部の騒乱で伝えたことを」
その言葉を榛名が言った瞬間に峻が露骨に顔をしかめる。触れるな。そんな言外の意思をひしひしと感じたが、榛名は流した。
「どうして曖昧な言葉で濁したんですか、と聞いているんです」
「ぜんぶ聞いたってのは本当のことらしいな」
「はい」
短めの肯定。それだけ十分すぎるくらい峻には榛名が叢雲から話を聞いたことを察することができただろう。
「叢雲ちゃんが告白したんでしょう? それに対して大佐返した答えの内容も聞きました」
「そうか。だとしてもお前が何をするって言うんだ。関係のない事柄に踏み込むなよ」
「ええ、榛名もそのつもりでした」
でした、という過去形。その語尾が榛名の行動指針を表している。
ずっと見守っていくだけで口を挟むつもりは榛名になかった。相当前から叢雲の感情にはうっすらと気づいていた。けれど余計なちょっかいだけは出さない。そのつもりで榛名は沈黙を貫き続けていた。
だが今回だけ、今回だけは榛名の中にある免責事項だ。
「別にただ断るだけだったり受け入れるだけだったら、榛名は何もしなかったでしょうね」
「なら……」
「でもうやむやにしようとしたでしょう?」
榛名が疑問の形式を取るが、その言葉に込められた語気の強さははっきりと断定していた。峻に何かを言わせることすらせずに畳み掛ける。
「……」
「やっぱり。否定しないんですね。関係を持ちたくないのなら嫌いだ、とでも言って拒絶すればよかったじゃないですか」
「それは……」
「できませんよね。だって『嘘』になってしまうから。だから口が裂けても叢雲ちゃんのことを嫌いと言えなかった。違いますか?」
何かを言いかけた峻を遮って榛名が上から被せる。じり、と榛名が詰め寄ると峻が気圧されたように距離を保ちつつ引いた。
峻は口を貝のように閉ざしたままだ。否定も肯定もしていない、なんの意味も内包しないはずの沈黙。だがここで峻が沈黙を守ってしまっていることが榛名に確信を与える。
「『仲間に嘘をつかない』でしたっけ? 笑わせないでくださいよ。きれいごとを言ってごまかしているだけでじゃないですか。あなたは嘘をつかないことで相手に寄せる信用を示しているわけじゃない。ただ他人を傷つける覚悟がないから逃げているだけです。耳触りのいいことばかりを並べ立てて取り繕っているだけじゃないですか」
「お前に何がわかる!」
堪えかねたように峻が怒鳴る。躍起になっていることそのものがむしろ榛名にとって疑念を確固たるものにしてしまっていることに気づかずに。
「わかりませんよ。わかるわけがないじゃないですか。だってあなたは何を話したって言うんですか? 言わなければ何も伝わりませんよ」
「知ってほしいわけじゃない。知らないほうがいいことだから言わないんだ。それがどうして……」
「だったら最初から嘘を言って遠ざければいいでしょう。そういう感情を抱けない、とでも言えば十分です。まさかこんな簡単なことも思いつかないわけありませんよね?」
聞かれたくないなら突き放せばいい。たったそれだけのことのはずだ。それをなぜしない。そう榛名は詰め寄る。そして峻はその問いかけに返すことができない。
榛名が言っていることはすべて事実だからだ。聞かれたくないなら突き放せ。知られたくないなら拒絶しろ。たったそれだけのことしか榛名は言ってない。難しいことなど何一つとしてないのだ。
「どうしてですか?」
有無を言わさぬ口調。榛名の逃がさないという意図がありありと見て取れるその言葉に峻が半ば強制的に口を開かされる。躊躇い、そして揺らぎ。されども押し黙っていたいという思いを強制的にこじ開けられる。
「知ったら……聞いたらどうなる。無関心じゃいられないだろう。それが嫌なんだよ、俺は」
「……ああ、ようやくわかりました」
またしても榛名が詰め寄った。峻が引き下がろうと足をさげるが、背中が壁に触れる。もう下がることすら許されない。
「どうもおかしいと思っていたんです。いくら言っても話がどこか噛み合っていないんです。当然ですよね。そもそもお互いの認識に齟齬があるんですから」
「なんのことだ」
「もしかしてまだ叢雲ちゃんを傷つけずに終わらせる方法があると勘違いしてませんか?」
榛名の言葉が冷酷に響く。背が壁についてしまっている峻はもう下がることはできない。だが仮に下がる場所があったとして、榛名は逃がす余地を与えるつもりなんてなかった。
今までひたすら峻は無表情に徹していた。けれど榛名の言い放った一言で明確にそれが揺らぐ。
「人と人が関わった以上、いえ関わらなくても無自覚に人は存在するだけで人を傷つけます。傷つけることなく終わらせるなんて無理なんですよ。あなたに与えられている道は傷つけるか傷つけないかではありません。どう納得して傷つけるか、です」
「ならどうしろって言うんだよ!」
「叢雲ちゃんを傷つけてください。自分の選んだやり方で」
叩きつけるような峻の言葉をさらりと榛名は受け流すと突きつけるように言い返す。自分がこれでいいと思えるような形で叢雲を傷つけろ。曖昧にすることなんて許さないと逃げ場を塞いでいく。
峻が榛名を睨むように見つめる。しかしその鋭い眼光も榛名はなんでもないといわんばかりに正面から視線をぶつけた。
「なら俺が叢雲を遠ざけるためにあの告白を拒絶したっていいんだよな?」
挑戦的に峻が切り返す。榛名がこれで何も言えなくなるだろうと思った上での切り返しなのだろう。
だが峻は根本的な間違いを犯していることに気づいていない。そう思って榛名は内心で嘆息をこぼした。
「ええ、それでもいいんです」
「……」
今度こそ峻が何一つとして言い返せなくなる。そこの思い違いをしていることに気づいていないのだ。
別に榛名は峻と叢雲がどうなろうとも関係ないとすら思っていた。いや、今でもそう思っている。この2人がどのような形になるかなんて結局のところ他人である榛名が口を出すことは本来、許されない。
「私は叢雲ちゃんのことを受け入れろなんて強制するようなことを言うつもりはないんです。どっちを選んだって構いません。選ぶことが大事なんですから」
「選ぶ、こと……?」
「叢雲ちゃんは選んで進みましたよ。傷つくことも、打ちのめされることも、ぜんぶ覚悟した上でそれでも選択して進むことを選んだんです。そして進んだ先に見据えているのははあなただけです。そのあなたがぼかしてしまったら叢雲ちゃんはどうやって整理をつければいいんですか? あなたが選んだ結果を求めているのに、それも得られず、いつ答えがわかるかすら告げられないままに保留されたら叢雲ちゃんは何に納得して何を思えばいいんですか。ただ困惑することくらいしかできませんよ」
榛名が問題にしているのはただ一点。峻が頑なに選ばないこと。それだけだ。選んで、その上で叢雲のことを拒絶するならば口出しをするつもりは一切ない。選ぶことから逃げているから榛名はこうして問い詰めている。
「あなたはわかるか、と問いましたよね? あなたこそわかるんですか? 曖昧なままに放置されてしまっているのに、戦術の勉強をしてあなたの代わりに指揮が執れるように不測の事態へ備えていたその内心が。答えすら得られないままにそれでもあなたが指揮を執れなくなることを見越して準備することがどれだけ自分の困惑を押し殺すことだと思っているんですか。どれだけの負担だと思っているんですか。あなたはこれから先、ずっとこうやって真綿で首を絞めるように叢雲ちゃんを傷すらつけないで殺すつもりですか」
「っ…………」
ガン、と峻が力なく後頭部を壁にぶつけると、何か遠くを見るような目で天井を仰ぎ見た。榛名は言いたいことを言い切った。そのために誰も口を開かない静寂が流れる。
その静寂は峻が何も反論を上げられないことを示していた。これは決して武器を行使するような戦闘ではない。だが、確かに峻は榛名に敗北したのだ。
「……今夜です。今夜、叢雲ちゃんへここにひとりで来るよう伝えます。それまでに選んでください。あなたの答えを」
「待て…………」
「待ちませんし、待てません。わかっているでしょう?」
まだ前哨戦が終わったばかりなんですよ、と榛名が続ける。あくまでミッドウェーは前座。本命であるハワイ本島はまだ始まってすらいない。
そして明日に本土から送られてくる補給物資を受け取ればすぐさま本島への作戦行動が開始されるようになる。そうなってからではもう遅い。
ミッドウェーは叢雲だけで凌ぎきれた。だが次もうまくいくような保証はない。正規の司令官たる峻が動けるようにしておかなくてはいけない。
もし、取り返しのつかないような失敗をしてしまえばそれを背負うのは峻だけでも叢雲だけでもない。そうなってしまえば向かえるのは破局だけ。
ふっと榛名が険しかった表情を緩める。もう十分に厳しい現実を突きつけただろう。そう判断した。
「もう見たくないんです。私たちみたいになるのは私だけで十分です。だから納得してください。飲み込んでください。そして進んでください」
踵を返して榛名が立ち去る。振り返ることはしなかった。絶対に峻のことを見ないようにしながらドアを開けて出て行く。ドアを閉める音と同時に何かが崩れ落ちたような音がしたような気がしたが、空耳だったということにした。
「理解できでしょう。きっとわからないんでしょう。だって知らないんですから」
榛名がつぶやきながら一人だけで廊下を歩く。峻は知らない。榛名は知っていて、そして他の誰もが知っていることを。
「恋する乙女は最強、なんですよ」
だからこそ危なっかしい。最強であっても向こう見ずならばそれはただ指向性を持たされず暴走するだけだ。
感情。それは自らを奮い立たせ、実力以上の力を引き出すことを可能とする秘薬だ。
だが時にその秘薬は猛毒へと姿を変貌させる。
ただ感情の昂ぶりに身を任せるあまりに飲み込まれてしまえば身を滅ぼす。
そして榛名が最も危惧しているのは後者だった。
「感情に飲み込まれた獣になったら、仮に勝ててもそこに残るのは虚しさだけです。だから……」
「榛名、自分に向かって言ってる?」
榛名が角を曲がろうとすると、背後から瑞鶴が声をかける。少し意表を突かれた榛名が足を止めて瑞鶴と目を合わせる。
「恨みがましく睨まないでよ。それに私が見たのは榛名が執務室から出てくるとこだけだって。中の話までは聞こえてないから。かなり遠目に見て何かあったと思って追いかけただけだし」
「話しませんから」
「別に話してなんて言わないってば」
頑なな榛名の態度に瑞鶴が苦笑する。峻と叢雲の問題だ。そこに口を挟んでしまったことですら、榛名の中で今回は免責事項と言い訳をしたが禁忌であったことに変わりは無い。それにも関わらず軽々しく口走るわけにはいかない。
「瑞鶴さんは怪我、大丈夫だったんですか?」
「機動部隊はほとんど無傷で済んでいる人が多いかな。前衛の打撃部隊がかなり引き受けてくれたおかげで交戦も最小だったし」
「戦果は上々でしたか?」
「ふふん。機動艦隊の旗艦を落としたわ! ……まあ、総旗艦は翔鶴ねえに取られちゃったけど……って話を逸らそうとしてるでしょ」
じとっと瑞鶴が榛名を見つめる。すたすたと榛名が歩く速度を落とすことなくすまし顔で歩いていく。
「まあ、いいけどさ。うまくいきそう?」
「わかりません。それに榛名はどっちでもいいんです」
「そうだよね。知ってる」
瑞鶴がただ肯定する。それ以上のことはしない。だが榛名の昔を知っているからこそ出る一言。だからこそ榛名も黙って受け入れる。
「ねえ、榛名。少し付き合ってよ」
「……お酒は嫌ですからね」
「私もアルコールはパス。ちょっと甘いものが欲しくなったの」
ひらひらと瑞鶴が軽く手を振った。榛名がちょっとあごに手を当てて考え込む。
「わかりました。少しだけなら」
「そんなに長くは付き合わせないってば。私も寝たいし」
隣を歩いていた瑞鶴が歩みを速めて榛名の前を行く。榛名も置いていかれないようにそれに付き従いつつ、こっそりとメッセージを送るためのホロウィンドウを端末から表示させる。
《今夜、大佐の部屋に行ってください》
それだけ打ち込むと叢雲の端末に送り込む。これで十分に意図は伝わるはずだ。素早く端末を懐に滑り込ませると、榛名は瑞鶴の後を追った。
「どうせもう知っているんでしょうね」
「何か言った?」
「いえ、なんでも。瑞鶴さんは優しいですねと思っただけです」
「そう? よくわかんないけど早く行こ!」
にこやかに微笑む瑞鶴と共に榛名は歩く。舞台は整えた。結果はどう動くかわからない。ただ結果が出てくれさえすればいい。
願わくばその結果が互いにとって最も傷の浅いものであらんことを。そう内心で榛名は祈るばかり。
こんにちは、プレリュードです!
みなさん、イベントどうですか?まだe1すらうちは完了しておりません。いやはや、夏より小規模とは言っていましたが、あやしいものです。