ずいぶんと久しぶりにこのアラートを聞いた気がする。戦闘待機から切り替わる時のアラート。本格的に戦端を開くという決定が為されたことを如実に示すものだ。
当然、峻も艦内を散策したり部屋でのんびりするような事はもう許されない。艦娘が出撃するに際して指揮を執る人間がすぐに動けるように待機する必要がある。
なので峻は駆け足で指揮を執るために用意されているブロックへと向かった。手をかざすと自動ドアがスライドして開く。
「遅い」
「お前が早すぎるんだよ」
まだアラートが鳴ってから大した時間は経っていない。それにも関わらず、すでに東雲は待機していた。
別に不自然なことではない。このアラームを鳴らすように指示したのが東雲なのだから。指示した本人が最も早いのは当たり前だ。なにせ全体に指示が出る前から行動を開始している。スタート地点が違えばゴール地点までの時間も変わる。要はただそれだけのことだ。
「ずいぶんと急だったな。動きでもあったか」
「いざよいの無人観測機が敵艦隊を捕捉した」
「予定通りのタイミングだ。いや、完璧に一致したわけじゃないが、多少はご愛嬌だろ」
一分一秒にいたるまで全くのズレがなく、時間を特定してのけるのはさすがに難しい。だからこそ、事前に開始の予定時刻よりも手前に警戒態勢を整えさせておいたのだろう。
「ひとまずは手はず通り行くぞ。機動部隊を出す」
「俺はギリまで待機か」
「もし深海棲艦が戦線を押し上げてこなけりゃ、出番はねえよ。だがそうそう考えた通りにうまく行くとは思えねえだろう」
「…………」
峻が黙り込むことで肯定の意を示す。もちろん、狙ったとおりに進んでくれればこれ以上のことはない。被害は最小限に抑え込まれおり、なおかつ敵の損害は大きい。これほどの理想はないだろう。
できるとは言っていないが。
そんな思った通りに戦闘が進めば、そもそも深海棲艦との戦闘がここまで長引くようなことはない。むしろ、火蓋が切って落とされてから1年と経たずに終結を迎えているはずだ。それができないからこそ、こうして人類は深海棲艦と戦火を交わし続けて
いる。
つまりどういうことかと言うと、最初の航空隊による攻撃だけでミッドウェー諸島が片付くという安易な想定で動くことは危険であり、誰一人としてその想定を元にして動くつもりがないということだ。
「全艦へ通達。これより機動部隊による強襲作戦を開始する」
東雲による作戦開始の宣言。それは機動部隊の出撃命令と同義だ。峻にはわからないが、おそらく艦娘が展開を始めたはず。
「お前もさっさと窓を開けばいいだろ」
「ああ、そうだったな」
東雲に言われて、投げやりな返答をしながら峻がホロウィンドウを開く。そしてサーバーにアクセスを試みた。アクセス許可という形でその返答は為され、ホロウィンドウ上に海域マップが映し出された。続いて無数の動く点が表示される。それら動く点のひとつひとつが艦娘の位置情報だ。
試しに適当な点をタップしてみれば、その艦娘の詳細情報が別のウィンドウで開かれる。
作戦開始までに東雲は準備してホロウィンドウを開いてスリープモードにしておいていた。だが峻は開いていないし、サーバーに接続することすらやっていなかった。
東雲は機動部隊の指揮に集中し始めていた。そのせいか峻が異様にホロウィンドウを展開するために時間を食っている事態には気づいていない。
単に最初から開いていないだけなのだが、それ自体がそもそも間違っている。作戦参加をしていないわけではなく、むしろ峻は仮にも機動部隊が撃ち漏らした敵艦隊を掃討する役割だ。機動部隊の指揮と比べれば主とした仕事ではないが、決して軽視してもいいわけでもない。
ようやく立ち上がったホロウィンドウで峻が状況を総覧する。すでに艦載機は発艦済みで、空中戦に突入したらしい。繰り広げられる艦載機同士の戦闘が光学カメラにより映し出された。
異形な深海棲艦の艦載機と艦娘が放った艦載機が空中で交錯する。鉛弾が互いの陣営を突き刺すように降り注ぐ。制空権確保とまではいかずとも、優勢くらいは取れる。そう峻は大まかにだが見立てを立てる。これならば攻撃隊の爆撃や雷撃もそれなりに通るだろう。
そんな風にどこか他人事な視点で状況を俯瞰していた峻の予想とも希望ともつかないものはあっけなく裏切られた。
ホロウィンドウ上に表示されている深海棲艦を表す点は確かに減った。だが優勢を取ったにしては減りが悪すぎる。どれだけ多めに見積もっても1割すら減少しているかどうか怪しい。
隣にいる東雲の表情をちらりと窺う。焦っているような様子はないが、内心で舌打ちくらいならしていそうだ。
だがその心情はこの戦闘に参加している艦娘も指揮官も全員が抱えたことだろう。なにせ討ち漏らした深海棲艦はどこへ行くかといえば、艦載機を飛ばしている機動艦隊を潰すために向かって来るに決まっている。
「シュン、出ろ」
「わかってる」
首を捻って骨を鳴らす。すでに峻が指揮を執るべき艦娘はいざよいから飛び出した後だ。だから後は峻が指揮に入るだけである。ホロウィンドウの視点を俯瞰した図から艦娘との視界共有画面に切り替える。
「接続状況確認」
《クリアよ》
大昔に読んだマニュアル通りに確認を行うと、定型文のような返答が叢雲から戻ってくる。次にするべきことはなんだったか、と記憶の海を手探りする。
《てーとく! くるでち!》
ゴーヤの警告が峻の思考を塗りつぶして上書きする。急いでゴーヤの視界を映したホロウィンドウを手前に引き寄せる。
そして絶句する。
まだ深海棲艦の先行部隊が近づいているだけ。本隊が背後に控えていることはとっくにわかっている。
「先行部隊に姫級だと……」
いくらなんでも早すぎる。姫級なんて最後になってからようやく出てくるものだろう。
そもそも、正面切ってやり合うことのリスクを承知しているからこそ峻はウェーク島攻略戦で泊地棲姫と戦闘することを避ける方向で進めたのだ。結果として戦闘にはなってしまったが、それでも戦わないで済むのならそれに越したことはない。
けれど現在進行形でもれなく姫級を含む先行部隊は接近中だ。それも3部隊ほどがまっすぐに峻の指揮する部隊がいる場所へ。
《提督! 早く指示を!》
「あ、ああ……」
矢矧にせっつかれてようやく思考停止しかけた頭を回転させ始める。そうだ。任されている仕事は迎撃。敵が何であろうとも、関係なく倒さなくてはならない。
「巡洋艦の射程に入るまで抑えろ。総員、砲撃準備。目標、敵先行部隊。砲撃後の回避行動を忘れるな」
ひとまずは指示として砲撃命令を選択。とりあえずはこれで様子見だ。深海棲艦もすでに砲撃準備に入っているのだろう。だからこそ、撃った直後に回避行動をする心構えをさせておく。今できることはせいぜいこれくらいだ。
「撃て」
いざよいの中にいても聞こえてくる砲撃音。それが何発も同時に響く。雷の如く轟いた音だけでどれだけの規模で砲撃をしているのかわかる。
まだ始まったばかり。最初の砲撃がうまくいってくれたことを祈るのみだった。
「報告。どれだけ落ちた」
《えっと……嘘でしょ? 敵先行艦隊の被害軽微。依然として接近中よ》
陸奥が疑わしげな様子であることが手に取るようにわかる言い方で告げる。だが信じられないのは峻もだった。当たらないだけならまだわかる。だが向こうは砲撃もせずに突っ込んでくるのはどういうわけだ。
回避することを前提にして砲撃の着弾点を指定したので、命中率が落ちることは当然だ。深海棲艦が回避行動を取らないなんて峻はこれっぽっちも想像していなかった。
そして紛れ込んでいたはずの姫級が先行艦隊の中から姿を消していたことにすら、今の今まで見直すまで気づかなかった。
「姫級がいない……? いや、大型艦系もいなくなって……」
《自爆艇よ! 迎撃! 早く!》
これまでは必要最低限のみで沈黙を貫いてきた叢雲の叫び声が唐突に通信を支配する。まさか。信じられない気持ちでホロウィンドウの深海棲艦を拡大する。
叢雲が言ったとおり、回避をするような様子をまったく見せず突っ込んでくる。そしてその中に姫級の姿はない。
「迎撃! 急げ!」
焦燥感の滲み出す声で峻が叫ぶ。あの数を通すわけにはいかない。あれが機動部隊にぶつかったら機動部隊はまるっとダメになってしまう。それだけはなにがなんでも防がなくてはならない。
機動部隊が落ちること。それはすなわち作戦の失敗を意味する。そして峻の仕事は機動部隊のいる場所まで深海棲艦を通さないことだ。
「敵の目標は機動部隊だ。1隻たりとも通すな。すべての砲撃を集中させろ」
《待っ……》
何かを言いかけた叢雲の声が砲撃で掻き消える。何を言おうとしたのかわからないが、追及するのは後でもいい。とにかく任された仕事だけをやればいいのだから。
ホロウィンドウに表示されている深海棲艦の自爆艇が着々とその数を減らしていく。回避する前提で最初は着弾点を指定したが、回避しないのだとわかっていればそんな回りくどいことをしなくともいい。初めの砲撃で得た感覚を元に修正をかけ、進行方向と速度を計算に含めた上で撃ち込んでやればおもしろいようにほいほいと当たる。
一度は意表を突かれた。だがこれで取り返した。峻の護衛すべき機動部隊に接近している自爆艇をすべて沈めることに峻は成功したのだから。
そう、安堵した一瞬を続報が塗り潰す。
《うわっ!》
《痛っ!》
《きゃっ! な、なによこれ!》
鈴谷、北上、天津風。3人の状態を示すアイコンが被害状況を訴え始める。ここまで来てようやく峻も思い出した。
いなくなっていた姫級の存在に。
《あなた、はやく指示をちょうだい!》
《てーとく、どうするでち?》
《提督、榛名たちはどうすればいいですか?》
「それは……」
気づけば三方向から姫級に囲われていた。そしてその状況を打開してくれと艦娘たちからせっつくように催促の言葉が降り注ぐ。
なんとかしなければいけない。そう、早急に手を打たねば峻が指揮している帆波隊は全滅だ。
それがわかっているはずなのに。
何も思いつかない。動けと頭に命じても、まったく回転してくれる様子はなく、まるで凍りついたようだ。
打開策も思いつかず、峻はただ立ち尽くす。何もできない。何一つとして思いつかない。
今までこんなピンチは何度も遭遇してきたはず。ウェークの時も輸送作戦の時も、そして反逆者として逃走していたあの時も、ありとあらゆるものを使ってピンチを潜り抜けてきたはずだ。
まだ何も使っていない。いくらでも手段は残されているはず。
にも関わらず、まったく解決策をこの頭は提示してくれないのだった。
《ねえ》
落ち着き払った叢雲の声が嫌に明瞭に響く。呼吸が荒い。心拍数が変に上昇していくことが手に取るようにわかる。何か返さなければ。わかっているはずなのに、ガチガチになった体はまるで動いてくれない。
《どうにかできる?》
以前ならまかせろ、といったニュアンスの言葉を投げかけて豪語していたはずの問いかけ。そう、そうだ。なんとかしてきたじゃないか。
考えろ。まだ開始のホイッスルは鳴ったばかりじゃないか。使っていない手段など探せばいくれでも出てくるに決まっている。だから探すんだ。重箱の隅を突き、器を引っくり返せ。
《ちょっと、提督!?》
《まだなの?》
イムヤがもどかしげに、そして夕張が早くしろと峻を急かす。向こうは命を賭けているのだ。そして当然、死にたいわけではない。命を預けた峻を頼るのは至極、当然のこと。
「ひとまず、攻撃開始だ」
《攻撃目標はどこですか?》
「それは……」
榛名に聞かれたことすら返せない。別になんでもないことのはずだ。どれを攻撃すればいい。たったそれだけの問いなのだから、どこのどいつを倒せとたった一言、伝えるだけで事は済む。
《てーとく、どれに向かって魚雷を放てばいいでち?》
これだってとても簡単なはずだ。潜水艦たるゴーヤとイムヤに命じてどこに魚雷を放ってもらい、包囲に穴を開けるなり、敵の戦力を削ぐなりすればいい。北上もいるのだから雷撃に関して不安を抱えることもないだろう。
戦力が十分かと言われれば完璧とは言えない。しかしそれでも不十分すぎて何一つとして行動することができないほどでは決してない。
なぜ何も思いつかない。なぜ打開策の一つすら提示できない。
相手は姫級。それも3隻。真正面からただ力のゴリ押しでぶつかり合うにはリスクが高すぎる。この後にハワイ本島戦が控えていることを考えれば、損害はできるかぎり低く抑えておかなくてはいけない。
それがわかっていて、なぜなにもできない。なぜこの頭は策のひとつを捻り出そうとしない。
早く、と急き立てる声が聞こえる。そうだ。時間的な余裕なんてないことはわかっている。時間をかけたぶんだけ艦娘たちは傷つき、最悪の場合は沈んでしまう。
《仕方ない、か……》
叢雲がつぶやいたようだ。緩やかにしか回転をしてくれない頭でどこか他人事のように気づく。
《いい? 今、このチャンネルを使っているのはあんたと私だけよ》
なんの必要性があるのかわからない前置き。叢雲が何を考えているのかわからないままに峻はああ、と半分は口を突くように返答する。
叢雲側に一瞬の逡巡。しかし意を決したのか口を開いたらしい。しばしの確認作業ともいえるような会話。それが終わってからようやく本題に叢雲が切り込んだ。
その内容に峻は目を剥くこととなる。
こんにちは、プレリュードです!
原稿落とす、原稿落とす。そう言い続けてなんだかんだとギリギリで間に合わせております。この話も今朝、書き上がったものです。けれど次回あたりはそろそろ危ないかもしれませんね。
急に更新が止まったら「ああ、こいつ間に合わなかったんだなあ」と思ってください。