艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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第八章 回生のバルカローレ
かくして人は牙を研ぐ


 

 峻が船のデッキにもたれかかる。手すり越しに見下ろすと蒼い海が飲み込むように口を開けていた。

 

 『いざよい』というのがこの船の名前らしい。ぼんやりと目の前に浮かぶホロウィンドウに表示されている船舶情報に何度目ともわからない目の往復運動をさせた。

 

「さらしなの妹として開発されてたもんまで引っ張ってくるあたり、本気度が伺えるな」

 

 ウェーク島攻略戦の時に乗せてもらったさらしな。そして輸送作戦で沈んでしまったあの船の姉妹艦にあたる船が今まさに峻が乗っているこの船だった。

 

 もちろん、これだけではない。見渡せば同系統の艦娘を戦場まで運ぶための船がいくつか周囲に艦列を組みながら航行している姿が目に入る。

 

 それぞれには今回の作戦に参加する部隊が収容されている。ギリギリまで船で接近することで艦娘の余計な負担を避けることが目的になる。当然のことではあるが、深海棲艦と一戦を交えることもある。全ての船はある程度の武装は施してあった。

 

「リニアカタパルトの増設、収容能力の拡張、小型無人観測機の運用、使用缶の性能向上……さらしなよりも少しでかくなったのと全体的なアップデータが施されてるってとこか」

 

 適当に指でホロウィンドウをスワイプして閲覧していく。別に性能を確認する必要性はさほど高くはないのだから単なる暇つぶしだ。

 

 船上でやることがそもそもない。到着するまで、そして戦闘が開始されるまでは峻の仕事はないのだ。

 

 操舵やら進行方向の確認をして指示を出すのは艦長の仕事。となればやることなどほぼない。

 

 武器を分解清掃もした。右脚の義足にもブースター用の燃料を改めて入れ直した。視力以前に切り裂かれた左眼ばかりはどうしようもないが、体のコンディションも問題ない。ハワイ本島に乗り込むことに関しても準備は万端だ。

 

 そうなれば英気を養っておけ、とでも言われるのだろうがあれほどまでに何をすればいいのかわかりにくい命令もないだろう。寝ておけばいいのかと思えば寝てて体が鈍らないのかと言われ、かといって鍛錬していてもやりすぎて体を壊すから休めと言われる。

 

 一体、やればいいのかやらなければいいのかどっちなのか。はっきりしろと言わざるを得ない。

 

 やることもなく海を見てぼんやりと佇んでいると、コネクトデバイスが電子音を発する。これは通信が来た時になる音だ。

 

《聞こえるか?》

 

「聞こえてるよ」

 

《シュン、ブリーフィングルームに来てくれ。最終確認をする》

 

「わかった。すぐ行く」

 

 簡易な返答のみでぷつん、と通信を切る。ようやく今まで身を預けていた欄干から峻は体を起こした。

 

 仕事だ。招集されたからには動かないわけにはいかないだろう。

 

 反逆者になったり、クーデターに参加したりといろいろな過程を経てきたが最終的に峻の立場は反逆者になる前の海軍大佐に戻っている。いや、戻っているという言い方は間違っているかもしれない。あくまでも落ち着いた、と言うべきか。

 

 少なくとも以前にあった館山基地基地司令の文言はなくなっているのだから。

 

 あくまでもともと指揮を執っていた艦隊の指揮権が戻り、立場としての地位が与えられたのみにすぎない。

 

 つい先程までいざよいの艦内情報を閲覧していたおかげで特に道に迷ったりすることもなく、東雲が指定してきたブリーフィングルームに辿り着く。

 

 念のためノックした方がいいだろうか。少し考えるが、ブリーフィングルームということはこれから会議だ。そしてそこにいるのは東雲だけとは限らない。東雲だけならば遠慮なくドアを開け放つのだが、それ以外にも人間がいるのならば控えるべきだ。

 

 そもそも友人とはいえノックせずに入室することがおかしいのではあるが。

 

「空いてるぞ」

 

 入室許可らしい東雲の返答を受けて峻が手をかざすと横開きのドアがスライドして開く。

 

 将校やら佐官やらがずらりと並び待ち受けている状況を覚悟していた。だが峻を出迎えたのは東雲ひとりのみ。

 

「他は?」

 

「ぜんぶ通信で片付けるんだよ。そもそもいくつかの船に分けて艦娘を乗せてるんだ。司令官とて分けてあるに決まってるだろうが」

 

 言われてみればその通りだ。わざわざひとつの船に司令官を集結させるメリットは少ない。特にこれから攻勢にうって出ようという時に、いざよいが沈んだら司令官は全滅なんてことが作戦開始直後に起きようものなら笑うに笑えない。

 

 峻個人としても大量にお偉いさん方が並んでいる事態は手を鳴らして歓迎はできない。その意味で言えばこれはかなり助かる状況だ。

 

 一応、反逆者の汚名を晴らしたことにはなっているがそれでも憲兵隊に真正面から喧嘩を売ったことに違いはない。本人が望んだ望まなかったはさておき、一時は全力で海軍に向けて反旗を翻した峻を快くないと感じるものは少なくないはずだ。

 

 ひとまず気まずい雰囲気の中で参加する憂き目に会うことはなさそうだ。それだけでも十分にありがたい。

 

「そろそろ繋ぐからお前も座っとけ」

 

「そうさせてもらうさ」

 

 東雲が適当に指さした椅子を引いて腰掛ける。さほど時間もかからないだろうが、座っていられるというのは楽でいい。

 

 事前に作戦要綱は渡されているはずだ。ということはこれからするのは配置の確認やら全体の大まかな動きの決定。誰かが異議申し立てをしない限り、話が長引くことはない。

 

「これよりブリーフィングを始めたいと思う。まずは今回の作戦についてだが……」

 

 ヴン、と立ち上がったいくつものホロウィンドウにそれぞれの船にある会議室らしい風景が映る。やはり、それぞれに数人ていどの人が映り込んでいた。

 

「連戦になることを考えると、下手な消耗をするわけにはいきません。少なくともここで艦娘が戦線離脱することになる事態は避けたい、いや避けなくてはいけないでしょう」

 

 説明している東雲を他所に峻が頭の中に入れた作戦要綱を反芻する。いろいろと長ったらしく書き連ねてはあったが、集約するならば機動艦隊を主軸とした航空戦だ。

 

「なので機動艦隊と前衛艦隊に艦隊を二分します。機動艦隊の航空隊により敵を撃滅。前衛艦隊は航空隊の攻撃により沈まなかった残党が機動艦隊へ攻撃を仕掛けられないように仕留めることが仕事となります」

 

 そして峻の配置された場所は前衛艦隊だった。近づこうとする深海棲艦は容赦なく海中へ叩き込め。それを徹底するだけのことだ。

 

 そのゆえあってか、艦隊編成は打撃部隊寄りだ。事実として加賀と瑞鶴は編成から引き抜かれている。当然だ。空母として加賀と瑞鶴の戦力は非常に高い評価を得るに足るものがある。

 

 残っている艦娘はどれも空母と比べれば射程が短いものばかりだ。だからこそ残ったというべきかもしれないが。

 

「接敵する予定は翌日です。各員、備えるように」

 

 ぼんやりと考えているうちに会議もたけなわとなっていたらしい。だが事前に作戦要綱くらいは頭に入れてあるため、特に聞き流してしまっても問題はないだろう。

 

 ぷつん、と宙に浮かぶホロウィンドウが閉じていく。すべてが消えたことを確認すると峻はゆっくりと腰を上げた。

 

「待てよ。お前の大まかな動きくらいは確認しとかなくちゃなんねえ」

 

「別に必要か? ただ向かってくるやつを潰すだけだろ」

 

「できるんだな?」

 

「やれと言うならやるしかない。どのみち選択肢なんてないんだろ」

 

「そうでもないさ」

 

 東雲の告げた言葉に峻が意表を突かれる。そしてここまで連れてきておいて今さら何をと同時に思う。

 

「逃げ道なんてないだろう」

 

「適当にやり合ってる風を装う、くらいは考えるかと思ったんだが。お前にして珍しいな。サボりの天才がこんな簡単なことに気づかないとは」

 

 すいぶんと不名誉な二つ名がついたものだ。けれど見に覚えがあることではあるため、反論の余地はない。

 

「できると本気で思ってるのか?」

 

「モルガナ、なんて人を騙す前提の装置を作ってるやつがよく言う」

 

 懐かしい名前を聞いたものだ。この船にもあるか峻は管理していないが、明石が乗っているのを確認した以上は明石の手によって持ち込まれていても不思議ではない。

 

「お前の腕ならできるだろ。いかにも戦っているように見せかけることくらいな」

 

「前線で今作戦の司令長官を任されている中将サマの言うこととは思えないな」

 

「誰が中将として発言してると言った。東雲将生個人として、だ」

 

 中将としては問題しかないどころか最悪だ。しかし、この場にいるのは峻と東雲の2人のみ。そして峻はその発言を取り上げて騒ぎ立てる

 

「便利な言い分だ」

 

「誤魔化すなよ。で、もう一度あらためて聞くぞ。できるんだな?」

 

 背中を向けているにも関わらず、鋭い視線が投げかけられていることを感じる。ドアノブにかけた手がぴたりと止まる。移動しようと思っていたはずの足が根でも生えたようにその場に釘付けになった。

 

 何を答えろというのだろう。できるかできないかを問われたところで、実際にその事態に遭遇しなければ確実なことなど言えるわけがない。

 

 だから自分なりにミッドウェーにいるであろう深海棲艦の勢力を予想し、自身の艦隊と実力を鑑みた上でどれほどの戦果をあげることができるのかを言えということなのだろう。

 

「知るか」

 

 結果としてそれだけ言い残すと峻はドアノブを回した。それ以上に何かを伝えることなんてできるはずもなかった。立ち去っていく峻を東雲はなんとも言えない複雑そうな顔で見送った。

 

「……らしくないな、本当に」

 

 たったひとり残されたブリーフィングルームで東雲がつぶやく。軽く探りをいれただけのつもりだったが、返ってきたのはらしくない返事。

 

 らしさがないのがアレらしさと言われればそれまでかもしれない。そういう意味では正常な返答ではあるのだろう。そのはずだ。

 

「長い付き合いだったはずなのに、俺はお前のことをなんもわかっちゃいねえんだな」

 

 そもそも人が人をすべて余すことなく理解することなんて土台は無理だ。ならばその答えが予想できないものであったとしても意外の念を抱くことはお門違い。

 

 なにがあっても失敗することだけは許されない。一つの失敗が歪みを生じさせ、そして予想し得る最悪の終局へと導かれてしまう。

 

 余計な懸念ごとばかり持ち込まれたこちらの気持ちを考えて欲しい。もう作戦開始時刻まで24時間を切っているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激しい運動は控えろ、と艦娘は全体的に伝えられた。つまり下手に鍛錬することは封じられた。

 

 けれどそう言われることはさんざん今まで戦闘に参加してきた経験がある叢雲は初めからわかっていた。そうでなくては事前に東雲から戦術指南書を教えてもらったりしない。

 

 せっかく手元にあったお金を切り崩して買った高い戦術指南書だ。それゆえ叢雲は一心不乱に読み込んでいた。

 

 というかどのみち艤装を装着した上で待機という命令が下った以上、鍛錬なんてできるわけもなく、せいぜいがこうして書物でも読み漁ることくらいしかない。

 

「叢雲……」

 

 そんな叢雲の様子をゴーヤがそっと窺っていた。もちろん叢雲は気づいている。だがあえて声をかけようとは思わなかった。そしてゴーヤも声を掛けあぐねていた。

 

「どしたのよ?」

 

「しーっ、しーっ! イムヤ、しーっ!」

 

 ゴーヤがイムヤの口を塞ぎながらこっそりと振り返る。ただ叢雲は気づいていないのか、一心不乱に書物へ目を走らせ続けたままだ。

 

「んー! んー!」

 

「あ」

 

 あやうく窒息しかけたイムヤが目だけでゴーヤに放せと訴える。手を放した後も恨みがましく睨んでくるイムヤにゴーやが無言で手刀を切って詫びる。ようやく解放されたイムヤが新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで一息をつく。

 

「で、どうしたのよ」

 

 いくぶんか声のトーンを落としてイムヤがゴーヤに問いかける。イムヤの視点ではさっきから忙しなく叢雲の様子をちらちらと窺い続けている様子が異様に映り続けていた。

 

「や、叢雲をあれだけ焚き付けた結果がアレということに、ちょっといろいろ感じるところがあるというかなんというか……」

 

「ああ、そういうこと」

 

 だが今更になってなかったことにもできない。ゴーヤ自身もまさかこうなるとはまったく考えてもみなかったのだから。

 

「流れに任せるしかないんじゃない?」

 

「それしかないよね……」

 

 ゴーヤがめんどくさいと言わんばかりの様子で肩を落とす。進み始めはしたのだろう。だがその進みがあまりに鈍足なのだ。

 

「あれ、戦術書だったわよね」

 

「でち。本っ当に回りくどいなあ……」

 

 またしてもゴーヤが叢雲の様子をこっそりと覗き見た。無心になって読みふけっている姿を見てこめかみを押さえる。

 

「あと作戦開始予定時刻までどれくらいだっけ?」

 

「そろそろ1時間を切ってるはじでち。そうでなきゃ、さっきからこんなに艦内が慌ただしい雰囲気に満ちてないよ」

 格納庫にいながらも察することができる。それくらい艦内には緊張感が漂っていた。どうしようにも隠し切れないその空気は肌でピリピリと感じられるほどだ。

 

「……ゴーヤ、今回の作戦はかなり厳しいものになりそうね」

 

「ミッドウェーって聞いた時点でかなりのものになることは察しているでち」

 

 名前はさんざんに聞いてきた場所だ。ハワイ本島と比べれば少ないが相当な戦力があることを確認されている。そしてハワイ本島と同じように深海棲艦の発生初期から奪われた場所だ。

 

 太平洋戦線における深海棲艦側の主要な拠点として機能してきたハワイ本島とミッドウェー。この2つを相手取るというのだから慌しさも緊張感も漂うというものだ。

 

「気負いすぎてないといいんだけど」

 

「それが一番の心配事でち」

 

 戦闘になったらゴーヤにもイムヤにも気にかける余裕はなくなる。他人を気遣っているような余裕が出せる戦場だとはとても思えない。そうなれば後は叢雲のことをなんとかできるのは叢雲自身だけだ。

 

 いや、もうひとりだけいる。

 

「てーとく、叢雲のことを頼んだでち」

 

 峻ならば。違う。峻しかいない。そう思ってゴーヤは届かない言葉をつぶやく。それがきっと届く。そう信じて。

 

「もしゴーヤの言う通りだったらよかったんだけどね」

 

 その言葉を聞いていた叢雲が戦術書から目を上げずにひっそりと囁く。誰にも聞こえないその言葉は叢雲の中でのみ消費された。




こんにちは、プレリュードです!

新章突入ですよ。おかえり深海棲艦。ずいぶん久しぶりだね。長期休暇お疲れ様。

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