「やあ、帆波。久しぶりだね」
「そういや本部勤務だったな、お前は」
「正確には隣接している情報部だけどね」
薄い笑みを浮かべながら若狭が9mm拳銃の遊底を引いて銃弾を装填する。
「お前が銃を握る姿は長らく見てなかったな」
「僕の仕事は基本的に荒事専門じゃないからね。滅多に持ち出したりはしないさ。なにより疲れるからあまり好きじゃないんだ。やむを得ないから引っ張り出したけど」
「珍しく長月を連れていないんだな」
「長月かい? どこにいるんだろうね? 僕に反旗を翻してからさっぱり疎遠になってしまったからわからないね」
ひょい、と若狭が肩をすくめる。演技臭いはずなのに、それを演技ではないと思わせるのは見事だ。
そろりと峻の右手が腰のナイフに伸びる。柄に手が触れたところでひとまずは動きを止めた。これで仮に若狭が撃ったとしても、陸山がこっそりと忍ばせていた拳銃を撃ってきたとしても弾ける。だが念には念を入れて、1度は停止させた右脚の義足も戦闘用プログラムを起動させた。
「安心しなよ。別に拳銃を持ってるからといって撃つわけじゃない」
「そう言いながら引っ込めないのなら信用できるわけねえだろ」
「そうだね。そこで信じるとあっさり言われたら僕が困惑してたよ」
そこまで仲間意識が高いわけではない若狭としても、安易な信用など鬱陶しいもの以外のなにものでもないはずだ。峻としても簡単に心を許すつもりはないのでお互いに好都合といったところか。
「わざわざ騒動を聞きつけて来たのか」
「野次馬根性ってやつだよ。騒がしいと気になるじゃないか」
「そんな理由で来るほど暇なやつじゃないことくらい知ってる。そもそも野次馬根性を発揮しただけなら拳銃まで持ってくる必要性がないだろうが」
「冷たいね。旧交を温める余裕もないかい?」
「あいにくと今はそんなテンションじゃねえ」
「だろうね。知恵の果実に触れた気分はどうだい?」
「ノーコメントだ」
つれないね、と若狭がまたしても肩をすくめた。だが本当にどうでもいい、というのが峻の抱いた感想だった。気にかかることはある。しかし峻は世界なんてどうでもいいし、わざわざ守ってやろうと思うほど殊勝な性格でもない。そこまで世界に思い入れなんてなかった。
「まあ、いいさ。認めるよ。僕が来たのは別に理由がある」
「だろうな」
峻には若狭が騒動の渦中に理由もなくやってくるようなタイプには見えなかった。自分自身ですら理由があるから海軍本部で騒動を起こしている。ならば若狭が海軍本部の、しかも元帥執務室にやってくる理由があってしかるべきだ。
峻と若狭の間で一通りの会話が途切れたことを確認したらしい陸山が若狭に視線を向ける。落ち着き払った様子で口を挟んだ。
「若狭中佐。状況はどうなっている?」
「東雲中将が中央司令室を抑えたようですね。実質的に乗っ取られたのと同じかと」
「ふむぅ……まあ、まだ手立てはある。ひとまず知ってしまった帆波峻を消さねばなるまい。せっかく有能な人材だと思ってスカウトしようとしてはみたが、いやはやなかなかどうして難しい」
「つまり口封じをかけるしかない、と」
「そういうことだ」
鷹揚に陸山がうなづく。一方で峻は警戒にその身を硬くし、臨戦態勢を整えていく。目的を達するまでは死ぬわけにはいかない。そもそもとして死ぬなと叢雲に言われている。
若狭が大げさに眉をひそめてみせる。すっと銃口が上がり、そして構えられた。
「さて、困りましたね。僕としては帆波に死んでもらうのは非常にまずい」
「……若狭中佐、何をやっている?」
若狭は拳銃を構えた。だが狙いをつけた先は峻でない。
陸山元帥その人に、だ。
「改めて問おう。何がしたい、若狭中佐」
「僕は待ちくたびれた。時間をかけてずっと準備を続けてきた。いくつも布石を打って、いくつも予備プランを立てては修正を繰り返し続けて。それもすべてはこの一瞬を作るため」
9mm拳銃の狙いを陸山の額につけた。けれど引き金は引かない。ただ動くな、という意味合いのみで突きつけている。
「裏切ったのか、若狭中佐」
「裏切るも何も。僕は始めから仲間になどなっていない。言ったでしょう? すべてはこの一瞬を作るため。『かごの目計画』に踏み入れたのは内部からメスを入れていくためであって、それ以上もそれ以下もない。なにより事態をコントロールすることにおいて大将クラスの権力をうまく立ち回れば振りかざせる。これほど便利な立場はない」
参加したことすら利用するためだけ、と若狭は言ってのける。これすらも打った布石のうち一つにすぎないのだ、と。
「俺すらもその布石にすぎないってわけか」
「ねえ、帆波。不思議に思ったことはないかい? ちょっとした違和感を感じたことは?」
「……」
峻が黙りこくる。ほんの小さなひっかかり。言われるまでは気づかない。だがよくよく思い返せば変だと感じられる箇所は存在した。
「考えてもみるといいよ。帆波、君が退院する日に『もう1人の叢雲』が君に接触した。これは説明がつくさ。病院をずっと見張っていれば退院するタイミングは掴めるからね。でも、だよ」
油断なく若狭が拳銃を構えて陸山が動かないように見張りながら笑みを深くする。まるでとびきりの手品の種明かしをしていくように。
「どうして叢雲は帆波が退院する日を知ることができた? 帆波は退院する日を誰にも言っていないのに」
なにより『もう1人の叢雲』と違って叢雲は館山基地の管理を帆波の代わりに請け負っていた。ずっと病院を見張っているような時間的余裕があるはずもない。
「叢雲が言ってたっけな。基地で俺の退院日程が噂として流れてたって。流したのはお前か、若狭」
「ご名答。帆波に義足を渡すために明石と夕張が病院に来ただろう? あの時、2人は帰る道中で看護師たちが話している内容を聞いた。帆波の退院日をね。明石たちに退院日が聞こえるように僕が仕向けたことだよ。そこから噂は波及的に館山基地に広がった。退院日を聞けば叢雲は必ず迎えに行く。そういう心理にあることくらいは察しをつけていたよ」
「ならあの娘が死ぬことをお前はわかってたわけだな?」
「もちろん」
なんでもないことだと言わんばかりに若狭がさらりと淀みなく言った。
「おかしいと思わないかい? ウェーク島の件が起きている最中に製造された彼女は少なくとも1ヶ月以上は追跡用の部隊から逃げ続けたことになる。でもほとんど素人が逃げ続けることなんてできると思うかい? 始末するために設立されている部隊からだよ?」
ウェーク島攻略の後に峻はヨーロッパに飛んでいる。それも3週間ほどだ。加えて日本に帰ってきてからすぐに輸送作戦を回されたのではなく、しばしの期間が空いている。
その間になんの協力者もなく逃げ続けることが可能だろうか。ただの少女が。
「僕がこっそりと潜伏場所を提供した。それも館山基地が見やすい場所を」
「何のためにだ」
「このためにさ。僕の狙い通り彼女は帆波に接触した。そして自分がクローンを素体として改造したバイオロイドだと君に伝えた。これも僕の狙い通りだよ。帆波が僕以外から真実を自然な形で聞く必要があったからね。何より僕は見張られていた。こうでもするしかなかったんだよ」
「そのために使い潰したのか」
「それは違う」
はっきりと若狭が否定の言葉を告げる。少し意表を突かれた峻が小さく眉根を寄せた。
「彼女の意志だったんだよ。自分が最後に話すなら帆波、君しかいないってね。その場を叢雲に聞かせたのもすべて彼女の願いだ。僕としては願ったり叶ったりだったけどね。これで結果的に帆波と叢雲はすべてを知った」
「なぜ叢雲に聞かせる必要があった。なぜ巻き込んだ」
「落ち着きなよ。だって叢雲が逃がそうとしなかったら帆波は館山基地に憲兵たちか来た状況下において自分が死ぬことで事態を丸く収めようとしたんじゃないかな?」
図星も図星。事実、峻は叢雲が逃がすために暴れなければ逃げることはなかった。大人しく本部まで引っ張られ、軍法会議なりにかけられることを選んでいただろう。
「言っただろう? 帆波に死なれたら困るんだ。まだ役目があるからね。だから叢雲に暴れてもらう必要があった。帆波が逃げるに足る理由を与えるのにこれほど有効な人物もいなかったんだ。叢雲なら帆波が死ぬようなことを許容するはずがないからね。理性じゃなくて感情で動いてくれることは予想していた。実際に僕の予想は当たっていたんじゃないかな?」
「なぜ俺だけ事故を装って殺そうとしないのか変には思っていた。例えば不意をついてトラックかなにかでひき逃げしてしまえばいい。戦闘だって最初から俺が戦闘態勢に入る前に気づかないところから狙撃でもすればいくらか殺せる可能性は高かったはずだ。それなのにどいつもこいつも俺に対称戦を挑み続けた。根回しをしたのはお前だな」
「またしてもご名答。『かごの目計画』に潜り込んでいたおかげで根回しをするのは簡単だったよ。気を使ったのはどうやったらいかにも合理的な理由をでっちあげて納得させられるかだね」
「すべて……すべてこのためにだと? 若狭中佐、この日を起こすためだけに?」
陸山が信じられないといった様子で口を挟む。若狭は峻に合わせていた目線をずらして陸山に合わせた。
「ええ、もちろん。叢雲に反逆者の汚名を着せれば帆波は必ず自分が巻き込んだのだからと勝手に背負った責任を果たすために軍へ戻そうとする。誤算だったのは叢雲が気落ちして東雲になかなか知った事実を話そうとしなかったこと。そのせいで僕は吹雪に叢雲を焚きつけるよう命じなくちゃいけなくなった」
「吹雪は東雲の部下だろう」
「東雲は横須賀鎮守府の頭だよ? そんな人物に僕が見張りをつけておかないわけがないじゃないか」
手駒である吹雪が潜り込んでいるおかげで若狭は横須賀鎮守府で起きていることはお見通しなのだ。だからこそ事態の進行を見守りつつ、こうして若狭自身の求めた最適解を手にしている。
「多少の誤算はあったが、マサキは叢雲を通して事実を知ることができたって寸法か」
「そういうことさ。他にも誤算はいくつかあった。例えば常盤は僕のミスとしか言いようがないよ。常盤の復讐したいという執念を甘く見ていたり、ね。憲兵隊の司令部から外してもまだ付け狙うとは思わなかった。結果的に長月を監視に当たらせる対応が遅れてしまったよ」
ただし若狭は長月がフリーに動けるようにさせなくてはいけない。だから若狭はわざと長月が反旗を翻すように演じさせた。
「俺は常盤が憲兵隊にいたなんて知らなかったがな」
「本人も言ってなかったからね。帆波が逃げるとほとんど同時に憲兵隊へ常盤も舞い戻ったよ。追加で教えとくと帆波を殺害しようと向かってきた憲兵隊の指揮を執ってたのも常盤だ。だから僕としては邪魔で邪魔でしょうがなかったよ」
「だから飛ばしたのか。不確定要素だからと私たちに虚偽の報告をして」
こんな状況にも関わらず冷静そのものといったといった声で陸山が割り込む。それに対して若狭は小さく首を横に振った。
「常盤は僕の計画を歪める可能性が高かったのみならず、『かごの目計画』そのものを崩壊させる危険性がありました。常盤は良くも悪くも一本筋が通っています。復讐のために手段を選ばないし、その結果として何が起きるとしても迷わず最悪の手段を選ぶ。だから邪魔と判断し、取り除きました」
よって虚偽の報告などした覚えはない、と暗に若狭が告げる。たが最大の問題はそんなものではない。
全部の事案に若狭は介入している。しかし、肝心なところではまったく手を出していないのだ。
つまり若狭はすべてにおいて全員の性格を推し量った上でクーデターが起こるように事態を裏で絶えずコントロールし続けたということになる。
峻は死んで事態の収束を謀る。だから叢雲という足枷を填めることによって死を防ぐ。
東雲は『かごの目計画』を知れば確実に行動しようとする。そして峻は叢雲を必ず無事に返そうとする。叢雲自身は横須賀鎮守府の支部である館山基地の所属。つまり東雲の手に渡ることは確実だ。
だが叢雲は東雲に真実を告げようとしなかった。だから吹雪を使うことで叢雲を唆し、東雲に情報を与えた。叢雲が峻と東雲の仲介役になると見越して。そして東雲が峻をカードとして切ることも理解の上で若狭はここまで誰にも気づかれることなく誘導しきったのだ。
全員の性格、行動指針、そして願望。把握しきったとしてもそうそう簡単にできるようなことではない。だが現に若狭はやってみせた。
東雲はことを起こした。峻はそれに対して協力体制を敷いた。常盤は手出しができないように隔離された。
「全部、読みきったのか」
「簡単とは言わないけどね。それでも知っているというのは大きなアドバンテージだよ。帆波は良くも悪くも行動に単調さが残る。叢雲は少し複雑だけれど、帆波が死んでほしくないと願う点で一貫性がある。常盤だけは動きが読めないから早々に排除した。なりふり構わない人間ほど行動に法則性がなくなり、読み辛くなるからね。そして東雲の性格からしてクローンなんてものを放置するわけがない。それに東雲も気づくに決まっている。このシステムの穴にね。そうすればすぐに行動することは読めるさ。あとは行動を制御するように要素を作っては打ち込めばいい」
若狭が薄く笑う。無駄なく、そして冷徹に。ただ目的のためにここまでやってきたのだと。
「いくつも予備プランを用意した。仮に計画がずれてもすぐに修正できるようにありとあらゆる場所に手を入れた。失敗したらすべてが終わるんだ。死ぬ気で準備して、身を削って進行していく事態を調整し続けた。そうさ、すべてはこうやって話す場を作るために!」
この一瞬。若狭と陸山、そして東雲に協力する人物としての峻。この3人が揃う場をl構築すること。そのためならなんにでもなるし、なんでもやってのける。吹雪をスパイにして横須賀に潜り込ませていたのを利用するし、偶然に生まれてしまったもう一人の叢雲の命すら使う。
そして若狭はその身さえも虎穴に投げ入れたのだ。
しばしの沈黙。陸山がその静寂を打ち破った。
「穴? 穴だと? バカな」
「紛れもなく穴ですよ。『かごの目計画』のね」
若狭が言い放った言葉に陸山が反応する。だが若狭は自信がないかぎり確実そうなことは言わない。
そして峻もその穴には気づいていた。だが口を挟むべきではないとあえて黙っていた。
「それは悪いひまつぶしというものだ。だがこれは大層よくアロマに似ているから、うちの母さんに見せたらよろこぶだろう。この金をやるから、この絵はわしにくれ」
「フランダースの犬、だな」
「早いね、帆波。そう、フランダースの犬の登場人物であるコゼツの言葉だよ。ネロ少年の描いていた絵を見たコゼツは絵なんて金にならないことはやめるように言った。フランダースの犬が書かれた時代背景は資本主義に移行しつつある時代だよ。それ以前は絵の才能などがある子供は教会が引き取っていた。けれど資本主義経済に変わっていくと共にそんな文化も廃れていく。絵は金にならないからね。それを受けての言葉だ」
「何が言いたい、若狭中佐」
「このシーンでネロ少年は絵を売るべきでした。でもそれをネロ少年は売らないで譲ってしまった。台頭し始めていた資本主義経済を間接的に否定し、旧体制に縋ってしまうように僕には映ったんですよ」
「『かごの目計画』は時代遅れだ、と言う積もりか?」
「過去に成果を出したことは認めましょう。けれど現状に対応できているとは言い辛いと言わざるを得ないでしょうね。事実として欧州で帆波はテロに巻き込まれた。綻びがうまれている証拠でしょう」
ヨーロッパで峻たちはWARNの襲撃にあった。この時点で既にテロは起きてしまっている。抑止力として深海棲艦と艦娘の戦争を展開しているはずなのに、失敗している揺るがない証左だ。
「これが『かごの目計画』の限界ですよ、陸山元帥」
若狭は克明に、そして残酷なまでにそう言い切った。
こんにちは、プレリュードです!
フランダースの犬。みなさんご存知かと思います。そこをちょっぴり引用させていただきました。
本格的に作者すら終着点が見えなくなってきていますが、いかがでしたか? 反骨精神丸出しにした結果がこれです。若狭が作中で一番のチートキャラじゃないかと思いながら書いていたこの頃です。いくら知り合いとはいえ普通ならできませんから。相手の行動を完全に誘導しきるなんて。まあ、本人も完璧ではないと言ってはいますが。