艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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【CHARLIE】-CYCLE

 峻の左手に握られたCz75が立ち上がった陸山の眉間あたりに照準される。

 

「ようこそ。思ったよりも早いじゃないか」

 

「これでも急いだんでな」

 

「なるほど。せっかちなのは若者の特権だ。懐かしく思うよ、本当に」

 

 狙いをつけられているとは思えないくらい落ち着き払った様子で陸山はソファを指し示す。

 

「どうした? 座り給えよ。ここまでは長旅だったろう?」

 

「遠慮なく」

 

「そうかね。茶の1杯でも、と思ったが君はいらなさそうだ」

 

 陸山がぐるりと腕を回す。ベキベキと妙に威圧感のある音が鳴った。元帥執務室の隅にある小さなティーセット一式に陸山は近づくと1人分の湯呑みを用意する。電子ケトルから熱湯を急須に注ぎ込むと、場違いなほど優しい緑茶の香りがふわりと漂った。

 

「私はこの緑茶の香りが昔から好きでね。コーヒーよりもつい緑茶を、と頼んでしまう」

 

 自分の手で淹れるのは久方ぶりだ、と目を細めながら陸山が湯呑みと急須を持ってくる。それらを接客用のテーブルに置くと、自らはテーブルの正面にあるソファに腰を下ろした。

 

 無表情なままで峻がCz75を構え続け、陸山が茶を啜る。ことん、と湯呑みがテーブルに戻された音が明瞭に響いた。

 

「旧チェコスロバキアのチェスカー・ズブロヨフカ社のCz75。それもファーストモデルかね」

 

「俺の大昔の申請を見たのか」

 

 海軍の公式採用は9mm拳銃だ。だが申請が通れば別のものを持ってもいいことになっている。そして9mm拳銃も峻の使うCz75も使用弾はパラベラム弾だ。

 

 申請書類には持ちたい拳銃をできるかぎり詳細に記入することが求められる。過去に峻はCz75を持つにあたって申請をしているため、調べるのは容易だろう。加えて陸山の地位は元帥だ。

 

「そのような市場にほとんど出ないものをよく持っていたものだ」

 

「問題があるか?」

 

「私にとってはどちらでもいいことだ。だが君にとっては違う」

 

 落ち着き払って陸山が峻の構えるCz75の銃口をまっすぐに見据える。

 

「そこまでして自らを縛るのか、君は」

 

「だとしてもあんたには関係ない」

 

「その通りだ。そしてすぐに私を殺さない、ということは少なくとも利用価値はあると捉えられているわけだ。こんな老人でも価値があると見てくれていて嬉しいかぎりだよ」

 

 もう一口、陸山が緑茶を飲んだ。ゆったりと口の中で転がすようにして香りを楽しむと喉が小さく動いた。

 

「君は『かごの目計画』を知っているか?」

 

「知らない。だがどうだっていい」

 

「果たしてそうかな? 君は館山基地の司令官だったな。ならば知っているだろう。深海棲艦との戦いは防衛ラインを敷いて以来、たった1度の例外を除いて進退をまったくしていないことを」

 

 もちろん知っていた。常に均衡状態。攻めては撤退し、攻められては撃退する。そんなことが何度も何度も繰り返されてきた。

 

 たった1度だけ、峻が落としたウェーク島を除いて。

 

「ウェーク島だけは計算外だった。常に艦娘の戦力は深海棲艦と均衡を保つように調整してきたつもりだったのだがな」

 

 調整。その言葉だけで峻の中の絡まった糸が解けていく。

 

 艦娘はクローンを素体として改造をくわえたバイオロイドである。これはもう1人の叢雲で確認済み。

 

 記憶を自由に定着させる方法がある。これももう1人の叢雲が確かに証言した。

 

 常に保たれていた均衡状態。そう、不自然なまでに続く深海棲艦との睨み合い。攻め落とせず、かといって落とされず。

 

「狙いは均衡そのものか」

 

「そうだ。わざと深海棲艦との戦争を終わらせないことだよ。それが『かごの目計画』だ」

 

「目的はなんだ。軍需による金か? 艦娘技術の独占は国家にとっても旨みのある話だからな」

 

「もちろん違う」

 

 陸山が間髪を入れずに否定する。

 

「君は内地で国民がどのような生活をしているか知っているかね? 普通に会社に出勤し、普通に帰宅し、そして普通に食事を取り、普通に寝る。まるで海で熾烈な深海棲艦との戦いが展開されているなんて想像だにしないだろう」

 

「それがどうした」

 

「実に平和じゃないか。深海棲艦が出現する前は我が国にまでテロの魔手が伸びてきていた。爆破テロが起きる度に多くの『普通』が壊れていったよ。だが深海棲艦が現れてからはどうだ? 人と人の戦争といえるものはまったく起きなくなった。戦争は無関係な人間にとって平和だ」

 

「屍の上に成り立つ平和だな」

 

「だが事実としてこんなにも平和だろう。不幸は1人に背負わせるから重い。複数人で分担して背負わせればそれは不幸ではない」

 

 当たり前のように作られた平和が享受できる。気が向けばちょっといいレストランで外食することもできる。もちろん我慢しなくてはならないこともある。だが、周りも我慢していることならば諦めもつく。

 

「そのための艦娘システムか」

 

「その通り。平和の維持には代償が伴う。そのための(いしずえ)こそが艦娘だ」

 

「深海棲艦とのシーソーゲームに興じるための艦娘。使い潰しても再利用が効くのならさぞかし便利だろうな」

 

「事実として便利なのは変わらない。艦娘はクローンだ。後から艦の記憶を定着させているただのバイオロイドだよ」

 

「なら妖精とは何だ? そもそもあいつらはいるのか? 今まで見たことすらない」

 

「妖精はあるとも。ただし羽の生えた小人のようなメルヘンチックさはない。もっと物質的だ。だが確かにある。そうでなくては艦娘の超人的なタフネスさに説明がつかないだろう」

 

 高速修復材の存在もある。実際に艦娘が高速修復材で怪我を治している姿も峻は見ているし、深海棲艦の砲撃を食らっても平然と立ち上がる姿も見た。ただのバイオロイドにしては頑丈すぎる。クローンはあくまでも生身なのだから。

 

「妖精は艦娘の体に宿り、艤装にある妖精共振装置がダメージを逃がす、か」

 

 峻は館山基地において司令官と技術士官を兼任していた。艤装のメンテで妖精共振装置を触ったこともある。あれは嘘偽りなく艦娘の体とリンクするためのものだった。

 

「あまりに近くで攻撃を受けるか、過剰すぎるダメージは逃せないが、砲撃を受けて四肢が千切れ飛ばないのは妖精共振装置のおかげだ。これがなくてはクローンを前線に出したりは出来んよ。攻撃を受けるたびに吹き飛んでいるようではまともな盾にもならない」

 

「妖精は物質。艦娘における同時期一個体原則も嘘。妖精が艦娘を建造すると言っておきながら実態はクローニング技術を応用したバイオロイド。すべて嘘で塗り固めたシステムで作られた平和だ」

 

「仮初めの平和であることは重々承知のことだよ。だが現実としてつり合いは保たれている。人と人との戦争は消えた。犠牲は軍人と兵器である艦娘のみだ。国民のための盾となって死ぬのは軍人の務めだろう? 国民の盾であり矛であれ。そのための軍人だ」

 

 犠牲は軍人と兵器の艦娘だけ。危険な沿岸部は封鎖し、内地に人を住まわせる。これだけで周囲を海に囲まれた島国である日本すら立派に陸山の言うところの『平和』を享受できているのだから。

 

 これが『かごの目計画』の全貌なのだろう。平和の創造を目的としてすべての被害を艦娘に肩代わりさせる。そしてどうしても生まれてしまう不幸は全体で分担させて負わせることでなんでもないありふれた『普通』を取り繕う。

 

 これが『かごの目計画』。

 

「『かごの目計画』……かごめかごめ かごのなかのとりは いついつであう よあけのばんに つるとかめがすべった

 

うしろのしょうめんだあれ。そうだ、そのかごめだよ。やはり君は頭が回る」

 

 ここまでヒントを出しておいて何を、と腹の中でつぶやく。明らかに峻が答えに行き着くように誘導していた。始めに峻か殺さないとわかった時点で陸山はただ無駄口を叩いているわけではないはずだ。

 

「いつか東雲に聞いた艦娘を実戦段階に持っていくためのプロジェクトの名前が『海鳥計画』だった。仕組まれた戦争という『かご』の中で艦娘、つまり『とり』は深海棲艦と『であった』。それがテロとの戦争に終止符を打ち、深海棲艦との戦争という新しい時代の幕開けである『よあけのばん』。そしてテロとの戦争において軍隊を派遣していた国家もテロ組織も一斉に弱体化した。つまり『つるとかめがすべった』わけだ」

 

「実に聡い。続けたまえ」

 

「だが深海棲艦は進化する。同じ戦力を整えておくだけではすぐに限界を迎える。それに対応していくために『うしろのしょうめん』が艦娘の戦闘力を調整し続け、あたかも拮抗しているかのように演出する。なんとも泣かせる話だ」

 

 かごめかごめの歌詞である『うしろのしょうめん』は影の権力者を意味する言葉という説がある。海鳥計画と『かごのなかのとり』。すべてが歌詞をなぞっているのだ。

 

「それでもって調整。どこまで隠匿するつもりだ」

 

 記憶の定着方法があるということは戦闘技術の植え付けも可能だと考えてもいいだろう。少なくとも脳に対して干渉する手段があることは確実だ。

 

「艦娘システムを支える技術は素晴らしいものだよ。だからこそ機密性が重要だ。悪用しようと思えばいくらでもできてしまうものだからだ」

 

「あんたの使い方が悪用じゃないと?」

 

「それを決めるのは私ではない。後の世に生きる者たちが決めるだろう」

 

「そして俺でもない、か?」

 

「君、現実を見たまえ」

 

 ソファから陸山が立ち上がると、なにか行動するのではないかと警戒した峻がCz75を構える。だが陸山は大仰に両手を広げただけだった。

 

「世界は平和だ。見事なまでにね。独善だということくらいは承知の上だよ。だが人はどうしようもないくらいに争う。だから別の争いを起こしてやればいい。別の争い。それも人類の生存を賭けた戦いだ。人が争う余裕をなくしてしまえばそもそもとして戦争など起こりえない」

 

「何人の犠牲者が出た?」

 

「言い訳はしない。だが救える人間には限度がある。私は神や仏ではない。手の平に水かきがついていない以上はこぼれる水はある。いや、水かきがついていたところで変わらないだろうな。すべての水を保持することはできない。水かきの隙間からこぼれていくし、小さな震動が起こるたびにまたこぼれ落ちる。犠牲なくしては己の身すら守れはしない。それがわからない君ではあるまい?」

 

「……」

 

 峻がただ沈黙を守る。だが知らないわけではなかった。死にたくなければ手を染めなくてはいけないことぐらいは知っている。ヨーロッパで銃口を向けてきたテロリストを容赦なく屠ったのは他ならぬ自分自身だ。

 

 だが陸山が言っているのがそれでないことを察せないほど鈍なわけではない。いや、それだけでないと言った方が正確か。

 

 フラッシュバック。ザザ、と脳裏に様々な光景が蘇る。引き金は引いていない。そのはずなのにCz75から硝煙が立ち上っているように幻視した。

 

 そんなことはありえない。今日は誰一人として殺してなんかいない。だから右手にこべりつくこの血は過去の記憶が見せている幻影だ。

 

 邪魔だ。失せろ。

 

 苛立つ峻が記憶の残滓を振り払う。鬱陶しいことこの上ない。こんな幻を見せられたところでなにを思い感じろというのか。

 

 そんな峻の内心などいざ知らず、陸山は言葉を続けていく。

 

「もちろん水をこぼさずに済むのならそれに越したことはない。だができないものは仕方があるまい。最大数を守るために少数を切り捨てるのは世の常だ。仕方のない犠牲だよ」

 

「犠牲者にとってこれほど腹立たしい言葉もないだろうな。『あなたのおかげで多数が救われました』ってか?」

 

「死者の怨念などいくらでもこの身に受けよう。生ある人間を死なせないことの方が優先だ。私とてすべてを救いたいものだよ。だがどう足掻いても世界は優しくならない。人は死ぬ。すべてを救う手段などあるならば欲しいものだよ。だがそれを見つける間にもやはり人は死んでいく。現実は非情だ。無情だ。どうしようもないくらいに世界は残酷にできている」

 

「理解は示してやるよ。あんたの言うとおり、世界は残酷だ。誰もが喜ぶハッピーエンドなんて存在しやしねえ。他方が生きるならもう一方は死ぬ。もしくは2人とも死ぬ。ああ、その通りだろうな」

 

 反論の余地もない。世界が動いている原動力は人の死ではないかと思うくらいに毎日、人は死んでいる。

 

 そういった意味では死を艦娘に肩代わりさせるのは選択肢の一つとしてかなり有用性の高い部類に入るだろう。

 

 たった1度だけボタンを押し込むだけで生産される、単価にして20万円ほどの生体兵器。カモフラージュ用の擬似記憶と、深海棲艦の進化に合わせた戦闘技術を脳に定着させ、『妖精』を体内に取り込ませる。それだけで深海棲艦と互角に渡り合える艦娘の一丁上がりだ。

 

 あとは防衛ラインを維持したい箇所に送り込み、沈んでしまったら新しく作り直す。このサイクルを延々と回すだけだ。

 

 世界を覆うようにすっぽりと被せられたかごの中で出会うように意図された存在。深海棲艦と出会った艦娘という海鳥は設計された通りに戦い、そして散っていってはまた新しく製造される。

 

「ずっと引っかかっていたことがある。深海棲艦が出現してから艦娘が現れるまでたった1年しか経過していないことだ。いくらなんでも早すぎる。深海棲艦が出現することをあらかじめ知ってたんじゃないか?」

 

「ご明察だ。初めの数ヶ月で人は人類間で戦争をしている余裕がないことを察した。残りの時間で各地の紛争が空恐ろしいほどの速度で収束していったよ」

 

「それが今やアンコントローラブルとは笑えてくる」

 

「放ったのは私ではない。私が『かごの目計画』に参加したのは深海棲艦の出現以降なのだから。それにしてもまだ何も言っていなかったが深海棲艦も艦娘のように作られた存在だとよくわかったものだ」

 

「半分は勘みたいなもんだ。だが話を聞いていくと確信に変わった。深海棲艦はいろは歌で名付けられている。駆逐イ級、ロ級、ハ級、みたいに。名付けたやつに言ってやりたいね。ブラックジョークがお上手だってな」

 

 いろはにほへとちりぬるを。日本国民なら誰しも聞いたことがある平仮名をすべて1回だけ使うことで作られた歌だ。

 

 これを7文字ずつで区切ると、

 

 いろはにほへと

 ちりぬるをわか

 よたれそつねな

 らむうゐのおく

 やまけふこえて

 あさきゆめみし

 ゑひもせす

 

 となる。そしてそれぞれの最後の文字を拾い、適切な場所に濁点をつけると

 

 とがなくてしす

 

 になる。漢字に変換すれば『咎なくて死す』だ。

 

 まるで深海棲艦は初めから艦娘と殺し合い、あたかも戦争を取り繕うためだけに作られた存在だと言っているようではないか。

 

「名付けたのは私ではないから言われても困る」

 

「そうか。で、さんざん付き合わされたわけだがなぜ教えた?」

 

「君、こっちにつかないかね? 『かごの目計画』の維持に使える人材だ。頭が切れ、能力もある。ただ放置しておくには惜しい」

 

「さんざん人を追いかけ回していざ目の前に危機として俺が来れば仲間になれ、か。ずいぶんと都合が良すぎるな」

 

「承知の上だ。しかしだね、事実として君の持つ開発技術は相当なものだ。今後も『かごの目計画』を継続していくにあたって若い世代を取り込んでおくにこしたことはない」

 

 長々と話したのはこれが目的か、と峻が内心でつぶやく。どれだけ歯の浮くようなお世辞まがいのことを言ったとしても陸山は若いといえる部類にはいない。一方で峻はまだ20代。十分すぎるほど後がある。

 

「どうだ? 次に海軍を、いや世界を背負ってみないか?」

 

「断る」

 

「ほう?」

 

「何度も言わせるな。断るって言ったんだ。支配に興味はない。その器も資格もない」

 

「……残念だよ。次の世代のスカウトはやはり君の目を信じるとしよう、若狭陽太中佐」

 

 背後でパタン、とドアの閉じる音がした。そして同時に小さな金属の擦れ合う音が。

 

 峻が陸山から目を離さずに体の向きを変えてドアを確認する。

 

 そこにはたった今、9mm拳銃を取り出したばかりの若狭がいた。




こんにちは、プレリュードです!
世間では夏休みの学生が部活動やニートライフを謳歌しているころですね。自分はのんびりと執筆してますが。最近のストレス発散が執筆になっているので書いてることが1番リラックスできてるという。まあ、頭は使わないといけないんで疲れるのは確かなんですけどね。

それより文月改二が実装されましたね。ちょっとだけ練度が足りなかったので全力でレベリングしてます。睦月型はよいぞ。にゃしいにゃしい。改二グラに心がぴょんぴょんするこのごろです。ところで叢雲のコンバート改装の実装はまだですか(たぶん来ない)

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