艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜   作:プレリュード

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Opus-22 『Returning point』

 

 海面で仰向けになったまま漂う叢雲をゴーヤが見下ろす。もう既に勝敗は決した。

 

 叢雲は敗北したのだ。ついに潜水どころかその場から1歩も動かなかったゴーヤによって。

 

「何よ、強いじゃない」

 

「強い? 叢雲が弱くなっただけでち」

 

「言ってくれるわね」

 

 苦笑することしかできない。気づけば強く握りしめられていた拳は解かれていた。

 

「1度でも見せたことのある手は同じ相手に2度目を出すな。聞き覚えがあるはずだよね?」

 

「……」

 

「てーとくが言った言葉でち。忘れてるわけないよね?」

 

「そう、ね」

 

 小さく叢雲が首肯する。いつだったかは思い出せない。ただ確かに言っていたことだけは記憶していた。よもやゴーヤが知っているとは思わなかったが。

 

「叢雲が浮力力場を利用して飛び上がることで魚雷を避ける手をゴーヤは1度、見てるんだよ? それも忘れたでち?」

 

「……ヨーロッパね」

 

「そう。ビスマルクさんとの演習で叢雲が使った手だよ」

 

 魚雷が発射できる戦艦ビスマルク。彼女と演習をする際に不意を突くため、叢雲は浮力力場を足がかりにして飛び上がっていた。

 

 ゴーヤはあの演習に参加していない。だがあれは大画面で視聴することができるようになっていた。

 

 叢雲が意図せずともあの演習によって飛び上がって魚雷を避ける手法をゴーヤは知っていた。

 

 つまり叢雲はゴーヤに踊らされたのだ。潜水しなかったのも、挑発的な事を言ったのも叢雲を激昂させて冷静な判断を奪うための罠。始めから模造刀の使用許可に踏み切ったのは叢雲が得意の近接戦闘を選択肢に入れた場合、真っ先それを選びとる傾向が強いことを知っていたから。

 

 演習を挑まれ、挑発に乗ってしまい抜刀した時点で叢雲の敗北は確定したのだ。

 

「ぜんぶ読まれてたのね」

 

「見てたからね。てーとくも叢雲も」

 

「なるほどね。勝てないわけだわ」

 

「……そんなことない」

 

 ゴーヤの声に剣呑さが宿る。明確な怒り。しかしやるせなさのような悲しさも混じり合う。

 

「こんな騙し討ちみたいな手が通じるのは1回目だけでち。2回目以降は通じないよ」

 

「だから私が弱くなったってわけね」

 

 立ち上がろうとする気力も湧かなかった。ゴーヤの言っていることは間違いではないのだろう。だが勝負は1回。そして負けは負けだ。

 

 きっとゴーヤは勝つために何回も考え続けたのだ。潜水艦という艦種上、武器になるものは魚雷くらいしかない。いかにしてそれを身のこなしがいい叢雲に当てるか。ひたすらひたすら考え続けてようやく見つけた方法。それに叢雲はまんまと引っかかった。

 

「えっと、なんだったかしら? 私が負けた場合は」

 

 わかっていることを敢えて叢雲は聞いた。なんとなく自分で口にするのは嫌だった。理由はわからないがなんとも幼稚だ、と自嘲する。

 

「ねえ、叢雲」

 

「何よ? 祝いの言葉がほしいの?」

 

「今回は運良くゴーヤが勝ったよ。でも2回目はどうなると思う? 3回目は? それ以降は?」

 

「たぶん私が負けるわね」

 

「このままだったらの話でち、それは」

 

「でも事実として私は負けたわよ」

 

「違う、違うよ……ほんとなら叢雲にゴーヤは勝てるわけないんだよ!」

 

 ゴーヤが顔をくしゃりと歪めながら言葉を海面に向かって叩きつける。

 

「ゴーヤができるのはここまでだよ! この方法だってどれだけ考え込んでどれだけいろんな人にアドバイスをもらったと思ってるの? これだけやっても叢雲が万全の状態だったら負けてた!」

 

「そんなこと……」

 

「慰めなんていらないでち! だって叢雲はさ! 主砲も! 機銃も! 爆雷も! 魚雷も! 何も使わなかった! もし刀以外を使われたらどうなってたと思う? そんなのすぐにわかるよ!」

 

 仮に叢雲が飛び上がった後、魚雷に対応されたら。そもそも飛び上がらずにサイドステップで魚雷を避けられたら。

 

 意味のないイフだ。結果として叢雲は対応せずに魚雷をもろに食らい、大破判定をもらった。そしてその結果、ゴーヤに敗北している。

 

 それでもゴーヤは叫ばずにいられなかった。

 

「ゴーヤは支えになれなかった! どこまで行ってもてーとくに守ってもらうばっかりだよ! でも叢雲は違うんでしょ? 叢雲だけだよ! てーとくが何か頼む時に『任せた』って言うの!」

 

 ゴーヤが思い起こしていたのは輸送作戦の時だった。結局のところ自分は峻の『目』までしかなれなかった。

 対して叢雲は、万全の状態だった時は部隊そのものを任されている。

 

 それは全幅の信頼を寄せられていた証拠じゃないのか、とゴーヤは叢雲に突きつける。

 

「なら見たことがあるっての? あいつの感情が抜け落ちた目を。一切の躊躇いなしに人を殺そうとするあいつを。あんなの目の前で見せつけられたら気づくわよ。自分の無力さくらい」

 

「じゃあ叢雲はそれが本当のてーとくだと思うんだ」

 

「そう考えなきゃ説明つかないでしょ」

 

「だから何もしないんだね」

 

 そうよ、と叢雲が肯定する。今度はゴーヤにやるせなさなど微塵も介在することない本気の怒りが瞳に宿った。しゃがみこむと叢雲の胸ぐらをゴーヤが掴む。

 

「ふざけないでよ。こっちはどれだけ手を伸ばしても届かなくて、諦めたんだよ! 叢雲は手が届くんだよ? それなのに手を伸ばすことすらせずに身を引く? いい加減にしてよ!」

 

 目の前にいながらも遠すぎる存在。どれだけ手を伸ばしても、どれだけ求めても手に入らないというのに。

 

「本音を押し殺さないでよ。状況を見た賢い判断なんていらない。だからなんにも考えずに言ってよ。ねえ、叢雲はどうしたいの? どうなりたいの? どう思ってるの? 答えなよ!」

 

 何を言っているのだろう、ゴーヤは。

 

 胸ぐらを掴まれていた手を離され、再び海面に仰向けになった叢雲に浮かんできたのはそんな言葉だった。

 

 理解不能だ。どうしたいか? どうなりたいか? どう思ってるか? ただの司令官と秘書艦の関係でそれ以上もそれ以下もない……

 

 本当に?

 

 響いた声が思考に歯止めをかける。それは違う、と異論を唱えるように。

 

 そうだ、思い出せ。

 

 なんで私は憲兵隊が本部へ連行しようとした時に、自分の立場を危ぶめてまで逃がそうとしたんだっけ?

 

 どうして付いていくという選択肢以外がなかったんだっけ?

 

 置いていかれた時にどうしてあんなにも胸を締め付けるような苦しさを感じたんだろう?

 

 すべてにおいて叢雲が行動する義務なんてひとかけらも存在しなかった。加えて叢雲が苦しむ理由は自分自身で未だにわかっていない始末だ。

 

 思えばなぜここまでしたのだろう。

 

 峻が庇おうとしなければ叢雲は今も反逆者のラベル付けをされたままだったはずだ。峻を逃がすために行動を始めた時点で、叢雲は軍に刃を向けることになると理解していた。それでも実行したのだ。

 

 合理的理由なんてそこに介在する余地はない。理論や理屈では証明できないのだから。

 

 思い返せ。理論理屈なんて七面倒臭いものは抜きにして、ただ何を望んだのかを。

 

 初めてあった時の印象は最悪だった。なんだこの軽薄そうな男は、としか思わなかった。

 

 だが叩き出された結果でその評価は覆った。峻は自分の能力を生かしきった上で勝利を収めて見せたのだから。

 

 その後に数年ほど時間が開いて、峻が館山に配属されたと同時に叢雲も館山へ送り込まれた。悪くないかもしれない、と思いながら着任したのはいつごろだったか。

 

 本当にいろんなことがあった。銚子基地に殴り込みをかけたこと。基地に侵攻してきた深海棲艦を叢雲の指揮によって撃退したこと。

 

 そしてウェーク島まで助けに来てもらったこと。迎えに来てくれた時には強がりながらも安堵していたものだ。

 

 ヨーロッパではまざまざと己の無力さを見せつけられた。だから必死になって力を求め続けた。けれど輸送作戦では大失敗を演じてしまった。

 

 ギギ、と追憶が錆び付いたように止まる。感じたのは小さな違和感。それの正体を確かめるためにゆっくりと思い出の糸を手繰っていく。

 

 助けに来てもらった時に感じたあの感情は果たして本当に安堵だけ? 力を求め、強くなりたいと願ったのは本当に無力な自分が嫌だったからだけ?

 

 確かに何もできない自分が嫌だった。しかし違う。それだけかと自らに問いかけても、納得しきれない自分がいる。

 

 ゴーヤは何も考えるなと言った。考え込んでみてもわからないのならばその言葉に従ってみよう。ややこしい事など投げ捨てて。

 

「……ああ、そういうこと」

 

 自己嫌悪が滲む。どうして今まで気づかなかったのか。いや、違う。気づこうとしなかったのだ。

 

 見て見ぬふりをし続けて。そして言い訳のように別の理由で本音をコーティングしていた。

 

 けれど1度でもわかってしまえばこれほど簡単なこともなかった。

 

「私はあいつに惚れてるんだ」

 

 言葉にしてしまえば早かった。すとん、とモヤついていたものが落ち着いていく。

 

 寄せる信頼も、生きてほしいと願う理由も、ついて行きたいと思ったわけも。

 

 すべては好意からくるものだった。

 

「それが叢雲の答えなんでしょ?」

 

「そうみたいね」

 

 自分でも信じられない。だが抱えていたものが好きだと口にしただけですっきりとしたのだ。

 

 なにより叢雲が納得していた。これが人を好きになるということなのか、と。

 

「で、どうするつもりでち?」

 

「あいつのこと?」

 

「もちろん」

 

 仰向けの姿勢から叢雲が立ち上がる。演習を始める前よりも心なしか体が軽い。認めてしまうただけでこんなにも違うとは想像だにしなかった。

 

「手を伸ばしてみるわよ。少なくともちゃんとした形でケリがつくまでは。どうでもいいとか言っておいてどの口がって思われるかもしれない。でもわかっちゃったから。けど……」

 

「……? どうしたでち?」

 

 ふい、と叢雲がゴーヤから視線を外す。不思議に感じたゴーヤが首を傾けた。

 

「さっきの演習で私は負けたのよ。それで私が負けた時の条件が身を引くことだったの忘れたわけじゃないわよね?」

 

 ゴーヤが叢雲に突きつけた演習。そのルールで敗北した場合、叢雲は潔く身を引いてゴーヤに譲らなくてはいけないことになっていた。

 

 そして事実として叢雲は負けた。前提条件を守らなければ何のための演習かわからなくなってしまう。

 

「ねえ、叢雲。いいこと教えてあげるでち」

 

「いいこと?」

 

「口頭における契約はね、第三者が証言しないかぎり証明することは難しいんだよ?」

 

 ここは海上。仮に横須賀鎮守府から演習を見ている者がいたところで何を話しているかまでは聞こえない。さらに口約束を交わした時も周りには誰もおらず、ゴーヤと叢雲のみだった。

 

 端的にゴーヤは約束を破れ、と叢雲に言っていた。口元に特上のいたずらを成功させた子供のような笑みをこぼしながら。

 

「譲るって言うの?」

 

「嫌だった?」

 

「……」

 

「今更になってプライドが傷ついた? 本当に今更だよ。さんざんボロボロになったでしょ? これでもかってほど叩きのめされたでしょ? ならもういいじゃん。汚泥を啜っても、屈辱を味わうことになったとしても決めたんでしょ?」

 

 譲られた。確かに屈辱だ。そんなことは絶対に認められないと突っぱねるだろう。

 

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 表面を取り繕うだけの時間はここまでだ。目的は明確化された。何が引っかかっていたのかもすべて理解した。何が望みなのかも。

 

「戻るわ」

 

「先に戻ってて。もうちょっとだけゴーヤはここにいるでち」

 

「そう……ありがとう」

 

 ゴーヤがここまでやったのにも関わらず、確認を取る行為は無粋だ。だから叢雲は小さく礼を言うに止めると、踵を返して鎮守府へ戻っていく。

 

 迷いのなくなったその足取りを見てゴーヤはふっと短く息を吐きだすと座り込んだ。

 

「まったく手がかかるでち」

 

 足をばたつかせればパシャリと海水が跳ねる。キラキラと海面に陽光が反射して眩しかった。

 

「イムヤ、いつまで潜ってるつもりでち?」

 

「なんだ、バレちゃってたの?」

 

 海面が盛り上がるとイムヤが赤い髪を幾条かまとわりつかせながら浮上した。軽く水気を切ると張り付いた髪を摘んで外す。

 

「悪いかなとは思ったのよ? でもほら、演習って監督する人が1人は必要じゃない?」

 

「監督者は潜水しろ、なんて規則は初耳だけどね」

 

「そこを突かれるとちょっと痛いわね」

 

 気まずそうにイムヤが頬をかく。またもゴーヤは呆れたようなため息をついた。

 

「どうする? 私が証言すればさっきの契約とやらは証明できるわよ?」

 

「ならずっと口をつぐんでおいて」

 

「ゴーヤはそれでいいのね?」

 

 確かめるようにイムヤが告げる。黙ってゴーヤはそれを首肯した。

 

「これはね、イムヤ。別に叢雲のためにはっぱをかけたとかそういうのじゃないんだよ」

 

「じゃあなんのため?」

 

「ただの嫌がらせでち!」

 

 とびきりの笑顔を浮かべたゴーヤが戻ろっか、とだけ言うとゆっくりと鎮守府の方向へ航行を始めた。その後ろ姿をイムヤはじっと見つめた。

 

「嘘ばっかり。まったく無理して……」

 

 どれだけゴーヤが様々な言葉を並べ立てたところでそれが虚飾だと気づかないイムヤではない。

 

 しかし止められるわけがなかった。その道はゴーヤが自身で選んだ道だ。どれだけの意志を持って推し量ることはできない。だがらその決断に口を出す権利はないように思われたのだ。

 

「ゴーヤはそれでいいんだよね?」

 

「聞こえてるでち、イムヤ」

 

 イムヤが困ったように肩を竦めた。声が大きすぎたらしい。だがゴーヤの答えを内心では期待していた。

 

 口を挟む権利はない。しかし納得できるかどうかはまた別の問題だ。

 

「ねえ、イムヤ」

 

「……なに?」

 

「好きだった人が幸せになって欲しいって願うのは変なことかなあ?」

 

「……イムヤにはわからないわ。そういう経験がないから」

 

「そっか」

 

 声が震えているのは気のせいだ。イムヤはそう思うことにした。ざあっと波をかき分けてゴーヤの数歩ぶん後ろをゆっくりと航行していくことにするのだった。

 

 それを遠目から見つめている少女がいた。

 

「これが『お姉ちゃん』としてできる私の精一杯」

 

 横須賀鎮守府の埠頭で吹雪がぽつりと呟いた。ゴーヤたちがドッグへ消えていくところを完全に見送ってから自虐的に表情を歪める。

 

「だからこんな役回りをやらせてごめんなさい、ゴーヤさん」

 

 果たして本心からそう思ってるのか。そう自らに問いかける度に、吹雪の顔は余計に自虐で歪んだ。

 

 靴底がジャリ、とコンクリートを踏みしめる。可能性なんて信じられるほど甘い考え方はしてこなかったはず。

 

 けれど今回ばかりはその可能性を信じたかった。

 

「がんばってね、叢雲ちゃん」

 

 もう、これ以上はお姉ちゃんがなにかできそうにないから。

 

 

 

 

 

「吉と出るか凶と出るか。あとは結果をご覧あれ、だな」

 

 横須賀鎮守府の執務室で男が1人、腕を組みながら窓の外を難しい顔で睨んだ。

 

「思い通りにさせはしないさ」

 

 どこかで緑髪の少女が強い決意を滲ませた声で誰にというわけでもなく宣誓した。

 

「…………」

 

 某所の潜伏地で男がCz75のマガジンに無言で弾を込めていた。

 

「もう迷ったりしないわよ」

 

 横須賀鎮守府の一室で青みがかった銀髪の少女が、その燃えるような赤に近いオレンジの瞳にきらりと磨きあげられた刀身を写した。

 

 

 

 それぞれが全く異なった第一目標を掲げている。それは個人によって何のためかすらズレてしまうほど大きく違うものだ。

 

 だがそんな彼らにもたった1つ共通点がある。

 

 己の願いをかけて争う場所だ。

 

 東雲が叢雲に頼んで峻へ送ったメッセージは単純明快。

 

 来るべき日、海軍の権力構造をひっくり返す。その導火線に付ける火になってくれ。

 

 それは海軍本部を巻き込んで起こすクーデター。





こんにちは、プレリュードです!

ちょっと安易すぎるかな、と思わなくもない話でしたがいかがでしょうか。ストレートな恋愛ものに持ち込むのに躊躇いはあったんですよ? でもなんだかんだ言って自分は王道が好きみたいです。かねてより考えていたストーリーラインを結局はねじ曲げずに突貫してしまいました。

そしてこれでこの章は完結です。次回に座談会を挟んでから新章に突入していきます。気づけばもう7月です。はたしてカルメンの完結はいつになることやら……

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