──翌日の早朝。
俺はヘルズヘイム公国へ潜入するため、朝早くに起きて支度を済ませ、寝惚け眼のロキと共に鍛冶屋『セレイジア工房』に向かった。
部屋を出る時に気づいたのだが、扉に手紙が挟まっていた。
その差出人はエレナーデ王妃殿下だった。
内容はそちらは任せた、魔導剣士隊の面倒は任せて思う存分暴れて来いと書かれていた。
昨晩、殿下に届けさせた脅迫状を読んで絶対に俺が動くと察したのだろう。
まず潜入という事で敵国の兵士にバレないように、農民みたいな貧相な格好で行くつもりである。
酒場で聞いた話によるとヘルズヘイム公国の国境付近には何カ所かにわけて軍の関所があるという。
簡易的らしいが厳重で無いにせよ、気を付けて置くことに抜かりは無い。魔導、さ、
工房に着くと昨晩のうちに殿下から連絡が行っていたらしく、担当したセレイジアさんが既に出来上がった魔装具を直ぐに持ち出せるように準備していてくれた。
その魔装具一式をリュックに入れ、背負って店の外に出ると、何故かローザが店の前で俺達を待っていた。
まるで俺達の行動をあらかじめ先読みしていたと思わんばかりの偶然に、正直にいうと驚くのと同時に気味が悪いと感じた。
「やっほー。ここで待ってれば会えると思ってたよ!」
「……お前様や?誰じゃ?このいやらしいデカ乳娘は?」
「デカ乳って……おいおいロキ。そういきり立つなよ。これからヘルズヘイム公国への侵入を手伝ってくれる水先案内人だ。名前はルイス。ヘルズヘイム公国で勃発した、内戦のレジスタンス組織のリーダーってところか」
「まぁ、そんな感じだね!ところでこのちょっと小さい乳の獣耳の方は?」
「……ごほん。この子は俺の戦精霊のロキ。見知らぬ人に直ぐに噛み付こうとするけど悪い奴じゃない」
顔を合わせた瞬間に、何故か胸の大きさで喧嘩みたいな女同士の熾烈な応酬が始まった。
俺は男なのでよく分からないが、別にそんなことで張り合う意味があるのかと疑問で仕方が無い。
やれやれだ。
「そう言えば今気付いたんだけど、サザナミって昔、魔導回路はあったらしいけど、魔導回路を起動する魔力を持ってなかったって聞いたよ?なんで戦精霊と契約出来たの?」
「五年前にいろいろあってな。話す気はないけど、なんやかんやでロキと契約出来たんだ」
「あぁ。五年前ね……」
「そういうことじゃ。さぁ、さっさとヘルズヘイム公国まで案内せい」
「もうなんでこう、せっかちなんだかなぁ。言われなくても今から行くよぉ」
何故か露骨に不機嫌なロキに催促され、しぶしぶ言うことを聞くローザ。
喧嘩ではないんだろうが、こういうギスギスした雰囲気を感じるとなんか先行きが不安になって来る。
……一体どうなる事やら。
悩みが尽きるまもなく、俺は2人に挟まれてまるで緩衝材のような状態で、城下町を歩きながら目的の場所まで向かう。
その間、2人は全くと言ってもいいほど顔を合わせることも無く、辺りは不自然といってもいいような不気味な静寂が広がる。
……まさかの犬猿の仲ってやつか。
この2人を上手く連携させなければ任務遂行に支障が出てくる。
明後日までにフェンリルを助け出さなければいけないのに、しょっぱなからこんな状況になるなんて。
もう既に絶望的である。
「なぁルイス?ヘルズヘイムに侵入するため、俺達2人は変装するつもりだが、最悪の場合、見つかる可能性はあるのか?」
「……充分あるわね。むしろ顔が割れてるからたとえ変装していたとしても関所を通過するのは至難の業だわ。狼剣士・サザナミはある意味有名人だからさ」
「顔が割れてる……か。確かにな。んじゃどうすればいい?」
「完璧に別人になれば問題は無いと思うけど……」
「完璧に別人になる?」
そう言いながらまじまじと俺の顔をのぞき込むローザ。
……な、なんだよ?
あまりにローザの整った綺麗な顔が近いのでたじろぐ俺。
それを見ていたロキも何故かローザに敵対心むき出しで俺の顔をのぞき込む。
恥ずかし過ぎて見てられないので視線を下げたら、やたらと見える谷間をすごく強調してくる。
近い近い近い深いっ!
「あ。いい事を思い付いたぞ旦那様や」
「……ん?なんだよ?」
「完璧に別人になれば良いのだろう?あちしにいい案がある」
「だから何なんだ?いい案って?もったいぶらないで教えろよロキ」
「男の魔導剣士として世界的に有名人なのだろう?旦那様は?だったら……」
このあと、ロキは衝撃的な発言をする。
俺にとって、最悪とも言える提案を。
「女になってしまえばいい話ではないか。無論、旦那様は肉体強化の魔導しか使えぬ。じゃがあちしが性転換の魔導を使えば良い。これしき御茶の子さいさいじゃよ。これで完璧に別人になれる。どうじゃろ旦那様や?」
女の子に……なる。
まさかの提案に言葉を失う。
隣で聞いていたローザは、その提案に納得したように相槌を打つ。
世界には太古の昔から肉体を変化させる魔導がいくつも存在すると聞いた。
その中に性別の男女を入れ替える、性転換する魔導も存在すると言われている。
過去、いろいろな国で重大な罪を犯した罪人に課せられる、罪を戒める刑罰の一種『性転換刑』として用いられたこともあるらしいが今はあまり使われないという。
その内容は性転換の魔導を用いて、獄中にいる間、ずっとその性転換した姿で生活させるというもの。
罪人に今までとは違う異性の体を与えて、とてつもない精神的なダメージを与えることで自分の罪を戒めると魂胆があったのだが、あまりにも酷いという事で自殺する者が続出。
そんな理由で廃止になったとか。
……そんなの俺に対する辱めだ。
今まで自殺した罪人の死にたくなる気持ちは分からないでもない。
男として生きてきたのに突然、女の子になって生活するなんていろんな意味で無理だ。
嫌だ、ゼッタイに!
「却下!女の子になるなんてゴメンだな!もっとマシな案を考えてくれよ!」
「それじゃ豚にでもなるか旦那様や?性転換の他にも肉体を変える魔導はいくらでもあるぞ?あちしは旦那様の事を考えた上で選んだのじゃが?」
「うぅ……」
「そうね。それに女の子三人だったら、いろいろ言い訳すれば関所ではバレない可能性が高いよサザナミ」
「ぐがががが……」
さらに追い打ちを掛けるように続けるローザ。
この二人は多分、女になった俺の姿に興味があるのだろう。
この瞬間、二人がとてつもなく凶悪な悪魔に見えたような気がした。
だが、選り好みしている暇はない。
今日中にヘルズヘイム公国に入り、ローザの仲間達と合流しなくちゃ、フェンリルを助けるためのタイムリミットには間に合わなくなってしまう。
最初の難関は国境付近にあるという軍の関所だ。
それなら見つかるリスクを減らすのに越したことはない。
……仕方が無いか。
「仕方ない。見つかるリスクを減らすにはやむを得ないか。わかった。一思いにやってくれ」
「おぉ、そうか!相得た。人に見られてはまずいでの。ちょっと脇に逸れて人気のない路地に入るぞ」
そう言うロキの後を追うように、細い路地に入り、奥の突き当たりまで来る。
ロキは目をつぶっていれば直ぐに終わるというので俺は立ったまま瞼を閉じる。
するとなにやら小さな声で呪文を唱え始め、俺の額をツンと人差し指で押した気がした。
一瞬、目が眩むような白い光が閉じていた視界を覆う。
びっくりして目を開けると、目の前にいた二人の視線が同じくらいにまで来ていた。
肩になにやらふさふさしたものが掛かっていてちょっと気持ちが悪い。
恐る恐る下に視線を下げても、胸が出ているわけでもなく、何も変化がない。
強いて言うなら、指とか足が少し細くなったような感じがする。
その他は何も変わったような感じがしない。
しかし、こちらを見ていた二人は口を開けたまま俺を見ている。
そして放った二人の第一声が。
「「か、かかか可愛いっっ!!////」」
その言葉に唖然とする俺。
……可愛い?
何も変わって無いような気がするが。
「可愛い?何も変わって無いようなっ!?」
自分で発した声に思い切り驚いて慌てて口を塞ぐ俺。
声の違いがはっきりしていた。
明らかに高い……そしてあどけない幼さが残る透き通った声だ。
簡単に言えば、鼻につくようなロリ声になっている。
本来の俺の声はもっと低い。
まさか……本当に?
「おいロキ!鏡はどこだ!」
「鏡かえ?手鏡ならあるが……」
「貸してくれ!」
「……お、おう」
ロキがリュックから取り出した手鏡を受け取り、覗いてみるとそこには見知らぬ少女が写っていた。
前髪ぱっつんの銀髪ストレートヘアに長いまつげ、赤い真ん丸な瞳、人形みたいに整った綺麗な顔。
どうやら性転換しても童顔は変わらないんだな。
軍服も身体に合わせて小さくなっているが、本物の軍人というよりもただのコスプレに近い。
そして……何故か頭と尻から生えてる銀毛の獣耳と尻尾。
……こんなオプションいらねぇ。
つーか性転換どころか種族まで変わってないか?
「うむ!これであちしとお揃いじゃの!」
「……って
ニコニコ満足げに微笑むロキに思い切りツッコむ俺。
それを見ていたローザはツボに入ったのか、腹を抱えて笑い転げる。
「とりあえず用は済んだろ?さっさとヘルズヘイムに向かおう。時間が無い」
「それもそうだけど、さすがに他国の身分を表す軍服はまずいから着替えようかサザナミ」
「……き、着替える?」
「そうだね。リュックに入ってる魔装具とかは?」
「これかぁ……仕方ない」
俺はリュックを下ろし、一回指を弾くとリュックから魔装具が勝手に飛び出して各パーツごとに身体へ装着され、着ていた軍服は自動で自室のクローゼットに転送される。
性転換したせいで小さくなった身体に合わせて魔装具自体も変化していく。
初めて使って見たが、凄いな。
思っていたのと全然違うのにびっくりする。
とりあえずルシュクル王国の所属を表す紋章が刻まれた装飾とかは、あらかじめセレイジアさんに頼んで外してあるからバレることは無い。
狼をモチーフに作られた軽装の魔装具なので、試着した時よりもちょっと肌の露出が多い。
男の時はあまり気にしていなかったが、今の状態だとなんだか恥ずかしい。
まぁ、獣耳が生えた獣人族が着ている民族衣装みたいでバレる事は無いだろうけど。
二人もさっさと着替えを済ませ、目的地である郊外の馬車置き場まで歩いて行く。
ローザが用意していた馬車に乗り込むと、そのまま王国の外へ走り出す。
戦場と化したエスツィムル樹海を通ることを避け、迂回してヘルズヘイム公国の関所へと向かう。
ヘルズヘイム公国の領土に近づいていくにつれ、次第に草木が無くなり、荒涼とした土地が馬車の窓から見える。
殺伐とした風景に言葉を失っていると、颯爽と走っていた馬車が急に停まった。
「な、何事じゃ?」
「まさか……こんな時に盗賊が出たとか」
「盗賊?」
「そう。この荒野を根城にする盗賊だ。手当り次第、ここを通る馬車を見つけては停めて金目のものを強奪する。反抗すれば殺されることもある」
「……そうなのか。俺が盗賊を追っ払うよ。立ち止まってる時間なんて無いからね」
唖然と見上げるローザを尻目に俺はゆっくりと立ち上がり、静かに扉を開けて外に出る。
案の定、覆面をした複数人の盗賊と思われる人物が、馬車を囲んで動けないようにして武器を構えていた。
「そこのチビ女!大人しく金目のものをよこしな!そうしたら命は見逃してやるよ!」
「もしも嫌だと言ったら?」
「あぁん?もちろん歯向かったら皆殺しだ!それが嫌だったら早く寄越せ!」
「ふむ。んじゃ答えはNOに決まってるね。どれどれ……君達に俺達を殺せるか試させてもらおうかな?君達に構ってる時間が無いからね」
「ちっ……良いんだな?どうなっても知らねぇぞ!」
盗賊のリーダーと思われる人物が合図すると他の連中が武器をギラつかせる。
それを横流しに見た俺はロキの名を叫ぶと、馬車から飛び出したロキがあの大太刀に姿を変え、空を舞いながら俺の左手に収まる。
銀狼刀を担ぐ俺の姿を見た奴らは、奇想天外な光景にびっくりしたのか固まって動かなくなる。
威勢が良かったリーダーも、突然現れた八重刃の大太刀を見てビビったのかこちらを見たまま硬直している。
数秒後、不意に我に返ったリーダーは突撃の号令を叫んだ。
その合図に固まっていた連中が次々と襲い掛かって来る。
ゆっくりと両手で柄を握り直して構えを変える。
そして心の中で、剣形態になったロキに話しかける。
(……ロキ?聞こえるか?)
[聞こえるぞ?どうした?]
(無駄な殺しはしたくない。セーフティモードでアイツらを気絶させといてくれるとありがたいんだが)
[相得た!任せておけい]
(悪いね。お願いするよ)
剣を片手に飛びかかって来る1人目の顔面を、思い切り飛び膝蹴りをして昏倒させる。
小さな膝頭が覆面を被る奴に数センチめり込んでメキメキと嫌な音を立てた。
続け様に2人目がなぎ払った剣撃を可憐にブリッジで躱し、素早く起き上がると大きく前へ踏み込んで同時に両手で握る大太刀を峰に返して胴体に打ち込み、後方へ5メートルほど叩き飛ばす。
魔装具のアビリティのおかげか、身体が軽くなって思ったよりもスムーズに動く。
まるで風のように俺は素早く踵を返し、脳天に目掛けて振り下ろされた剣を振り向きざまになぎ払った大太刀で一刀両断。
真っ二つにされた切っ先はクルクルと宙を舞い、着地点にいたリーダーの足元に突き刺さった。
リーダーは情けない悲鳴を上げ、飛び退いて尻餅をつく。
突然、甲高い音と共に刀身が欠けた剣を片手に佇む盗賊の子分は呆ける。
まるで赤子の手を捻るように簡単に屠られる盗賊連中は驚きを隠せない。
「な、なかなかやるじゃねーかテメー!テメーの名前はなんてんだよ?」
「うーんとね……俺の名はイザナミ。狼剣士サザナミが俺の兄貴だ。あと一つ忠告。本当に痛い目みたくなければさっさと帰ったほうがいいよ。あんまりしつこいと死人が出るから」
「お、おう……ってあの狼剣士の妹だぁ!?冗談じゃねーよ!聞いてねーぜ!仕方ねーな。こ、今回はテメーの忠告に免じてこれくらいにしてやる」
「うん。わかった」
「……覚えてろよイザナミ!次回は負けねーからな!撤収!」
三流のセリフを叫びながら、子分を担いで撤退する盗賊達。
剣形態から元に戻ったロキは何故かくすくすと笑いを堪えてる。
その理由に俺はもちろん感づいてはいた。
この姿の俺の名前、そして咄嗟に思い付いたサザナミの妹と言う設定だろう。
自分なりには上手く誤魔化したつもりだが、そんなに不自然だったろうか?
ふと俺は考えてみてある事を忘れていたことに気づいた。
……あ、そうか。
この獣耳と尻尾のことをなんて説明すればいいんだ?
獣耳と尻尾をヒョコヒョコと動かしながら考える。
それでは兄であるサザナミも獣人じゃなければ、説明がつかないじゃないか。
咄嗟に作った設定が矛盾だらけだぞ。
やれやれ、いろいろとややこしくなりそうだな。
それに女の子に性転換して何個か気づいたことがある。
まず始めに男の時よりもより柔軟に、そして機敏に動ける様に感じた。
魔装具のアビリティのサポートかはよくわかんないけど、体感できるほど身体が軽くなった。
二つ目は何故か力の加減ができなくなってしまったようだ。
先程、盗賊の子分の顔面に飛び膝蹴りを浴びせた際、加減はしたつもりだがとてつもなくえげつない音がした。
自分よりも長い獲物を振り回した時、いつもよりもスマートかつコンパクトに振り抜けていた。
振るスピードや精度に関しても、若干の向上が見られ、通常とは異なるので何か違和感を覚える。
違和感……と言うよりも言ってしまえば僅かに体感できるほど、男の時よりも強くなっていると言える。
あぁ、そうか。
本来ならば世間一般で魔導剣士は魔導が使える女の子がなるもの。
俺が感じた違和感というのは男から女に性転換したおかげで、無いに等しいぐらい不安定だった魔力が安定し、本来あるべき状態に戻っただけと言う証拠なのだろう。
だからそれに合わせて本来の能力値に戻るべく多少の変動が生じたため、殴る蹴るにしてもちょっとの力加減が難しいわけだ。
それならば説明が付く。
逆を言えば、もしも俺が女の子で生まれてきていたら、これくらいの能力値を持つ魔導剣士になっていたと容易に想像できると言うことになる。
自分で想像して俺は身も毛もよだってしまった。
「見事に盗賊も追っ払った事だし、先を急ごうかサザナミ?いや、イザナミ?」
「そうだな。急ごう」
「ルイス?関所まであとどれくらいじゃ?」
「あとどれくらい?んー、4時間は軽く掛かるくらいかな」
「よ、4時間じゃと!?」
ローザが言うには、戦場と化した樹海を通らずに迂回してヘルズヘイム公国に向かっているため、通常2時間掛かるルートの倍は掛かる計算らしい。
そうなるとローザの計算が正しければ関所に着く頃にはお昼になっている。
そうなると約束の時間までに残された時間はあと1日半になってしまう。
時間に換算すると残り約36時間。
残された時間の中で出来る限り多くの仲間を集め、できる限り多くの武器を準備し、軍の本部に攻め入る事ができるだろうか。
いや、絶対にやらなくてはいけない。
ただでさえ戦力では足元にも及ばず、劣勢もいいところで負け戦になるかもしれない。
エスツィムル樹海での戦いでさらに援軍を呼ばれては、今度こそ勝ち目が全くなくなってしまうからだ。
今回の俺の任務は敵国に潜入してローザが率いるレジスタンス組織と合流する。
その晩に夜襲の狼煙に乗じ、レジスタンス組織の仲間と共に温存している戦力を片っ端から殲滅する。
つまりは戦場へ新たな援軍を派遣できなくすること。
そしてロベリアを打ち倒し、囚われているであろうフェンリルを助けることだ。
俺達三人は馬車に乗り込み、再びヘルズヘイム公国の関所を目指す。
盗賊強襲を経た俺は窓から外を見ながら異常がないか、監視を続け、周囲への警戒を強めていた。
また盗賊に強襲され、馬車を止められたら今度こそ時間の無駄だ。
できる限り、俺はどんなに遠くでも盗賊を見つけたら排除する腹づもりだった。
しかし、張り詰めた緊張感も裏腹にこの後は何も起きず、馬車に乗り始めてからちょうど距離にして半分程度の場所へ差し掛かった。
どこを見ても同じような風景、何も無い荒涼とした大地を延々と眺めながらの馬車の旅は肉体的にも精神的にも疲れる。
さすがにいつまでも気を張ってはいられないのが、人間というものだ。
気が付かないうちに俺は深い微睡みの中にいた。
──今から数年前。
幼かった俺はオルメルト帝国に拉致され、とある機関の地下にある研究施設の牢に幽閉されていた。
その前はどこに住んでいたかなんて全く覚えていなかった。
その研究機関の研究というのが……絶対的な力をものにする為、太古から伝わる戦精霊と契約できる男の魔導剣士を人の手で造る、というものだった。
つまり、簡単に言うと人工的に男の魔導剣士を造るということ。
もちろん、その事を知っているのは国王とその部下だけだった。
かつて魔導を操る男は禁忌とされ、神への反逆、世界を破滅させる破壊者と言われている。
例えば大昔、産まれたばかりの男の赤子とて、魔力を有したら有無言わさずに即殺されていたという。
それだけ恐れられ、疎まれ、忌むべき存在として言い伝えられてきたのだろう。
俺が読んだことのあるとても古い伝記の話になるが、過去、魔導を操れる男は実在した。
その男は世界各地の神殿や遺跡に眠る7人の戦精霊と契約を交わして従えさせ、自分が世界を統べるために、世界で唯一無二の王となる為に戦精霊を用いて世界の国々を攻め入り滅ぼしていった。
しかし、自分勝手で傍若無人な目論見もあと1歩のところで叶わなかった。
……その男の結末は、神の逆鱗に触れたのか分からないが、突然起きた魔導回路の暴走によって身体が粉々に吹き飛んだそうだ。
身元も分からないぐらいの細かい肉塊になって。
……そりゃそうだ。
おそらく7人の戦精霊と契約を結んだら呼び出す度に莫大な魔力を消費する。
使えば使うほど流動する膨大な魔力の負荷に魔導回路が耐えられず、何かの弾みで魔導回路は決壊または崩壊し、それが魔導回路の暴走を引き起こしたのだろう。
魔導を操れる男は持てる力が極めて強大なのだが、反面、不安定で想像以上に魔導回路や肉体への負荷が掛かる。
魔導を操れる男は禁忌と知っていたにも関わらず、オルメルト帝国は目を付けた。
──オルメルト帝国の研究者達はさらなる人としての禁忌を冒した。
さらに『自らの手で男の魔導剣士を作る』という暴挙に踏み切ったのだった。
まず問題があると睨んだのは、操れる魔力の不安定さと魔導を使った時の反動、つまり魔導回路や肉体への負荷を取り除くことだった。
片っ端から町中の子供を集め、訓練と称して彼らの身体に魔導回路を埋め込むという前代未聞の実験が始まった。
魔導回路は使い手に合った形、適合する魔導回路が必要不可欠なのだが研究者達はお構い無しに、小さな子供達の身体に次々と埋め込んでいった。
……結果は見えていた。
適合する魔導回路ではない魔導回路を埋め込んだ為にその小さな身体が激しい拒否反応を引き起こした。
気を失ったりするのはまだいい方で、肉体や四肢の欠損、最悪の場合、魔力の暴走で肉体がバラバラに飛散することが多かった。
実験室は常に血にまみれ、いつも悲鳴と断末魔の声が響き渡っていた。
オルメルト帝国はそんな悲惨な実験を目的を達成する為に明くる日も明くる日も続け、何十回、何百回、何千回、何万回とくり返し、実験の非検体となった多くの子供の命を奪っていった。
その手は国内に留まらず、国外の子供たちにまで及び始めた。
そんな中、他国から拉致されてきたと思われる俺の番がとうとうやって来た。
実験の後、身体に魔導回路を埋め込んでもなんとも無く、拒否反応すら起きなかったのだ。
それが地獄のような日々の始まりだった。
毎日、その小さな身体に様々な魔導回路を埋め込むという拷問の様な実験。
拒否反応は起きないといっても、魔導回路を身体に埋め込むということはその構造上、大人でさえ気を失う程の激痛を伴うのだ。
俺の場合、紋様を身体中にに彫るという形がとられた。
普通は何か別な媒体からその形質ごと移し替える方法がとられるのだが、実験の為に俺は身体の至る所に魔導回路を彫られた。
診察台の上に手足を拘束され、不気味な光が放たれる研究者の指が俺の皮膚をなぞる度に、真っ赤になるまで熱せられた鉄板を押し付けられたような灼熱と激痛に俺は声にならない悲鳴を上げた。
その声は次第に掠れていった。
だけど、俺は耐え抜くしかなかった。
誰も頼れない、信用できないこの地獄のような空間で、1人でも生き残る為にはこうするしかなったのだ。
いつしか自分が生まれてきた事さえ、酷く恨むようになっていた。
何度も何度も数えられないほど気絶しても、耐えられない激痛に再び現実に引き戻され、また気を失う地獄のループ。
その日の実験が終わってから寝るというよりも、何時間も気絶していたという方が正しかった。
だが、いくら俺の身体に多種多様な魔導回路を埋め込んでも魔力は発生せず、魔導は何一つ使えなかった。
気がついたのはいつだったろうか。
散々、身体を痛め付けられた後、何とか生き残った俺はその研究施設の中でいずれ戦力として戦場に出た時に戦う為の訓練をしていた。
……その頃だろう。
非検体番号4416番と呼ばれる様になったのは。
魔導が使えないのは廃棄処分される。
つまり魔導が使えないと待っているのは必然的な死。
その訓練というのもまた、死が付き纏うものだった。
……非検体同士の殺し合い。
つまり、身内同士で殺し合い、最後に生き残った者だけが正式にオルメルト帝国の軍隊に配属されるということだった。
そうした命のやり取りをする様な切迫した空間を作る事によって、戦場での生存率を上げるという魂胆だったのだろう。
魔導が使えない以上、俺は戦う事で生き残るしかなかった。
幼い頃から培った、天才的な剣の腕を使って。
その当時、研究施設には4000から5000人の非検体がいたとされている。
この中で生き残らなければ、俺に明日は無い。
……だから毎日戦い、そして暇を見つけては己の身体を限界まで鍛え上げた。
支給されたなまくらの剣で同じような境遇を歩んだ人々を、無我夢中で男女関係なく容赦なしに斬り刻んだ。
正直、同じような事をされた彼等とは戦いたくはなかった。
しかし、情に流されれば待っているのは死。
生き残るには他人を殺すしかなかった。
あちらも同じく必死だったのだろう。
俺を敵と見た瞬間、容赦なく襲い掛かってきた。
狭い空間の中で時には数十人を同時に相手した事もあった。
響き渡る断末魔、漂う錆びた鉄の様な血の匂い。空を斬る音、飛び散る血飛沫、血で赤く染まり、斬殺体が積み上がる訓練室。
何度、忘れようとしてもあの凄惨な光景は脳裏に焼き付いて離れなかった。
そんなこともあり、しばらく経った時には研究施設にいた非検体の数は数百人程度まで減っていた。
鬼神の如き強さを誇った俺に軍の上層部は目を付け、軍隊に配属する為にある試験を催した。
その試験こそ後に俺が『双刀の黒騎士』と呼ばれる由縁になった。
試験の内容はとてもシンプルだ。
襲って来る大男を倒せ。
武器や魔装具は制限なし、必要あれば軍から支給する。
そこで俺は大小2本の刀を支給し、あらかじめ用意されていた黒い甲冑の様な魔装具を付けて試験に臨んだ。
試験当日、開始の合図と共に斧を持って迫ってきた大男。
俺は振り下ろされた斧を軽々と右手に握る短い刀で払い除け、背中の鞘に納めていた長い刀を左手で一瞬で抜刀。
大男の脳天目掛けて振り下ろされた刀はなんの迷いもなく、自分よりも2倍以上の身長差がある大男を脳天から真っ二つに斬り捨てたのだった。
試験開始数秒の出来事だったという。
窓から見下ろしていた軍上層部の幹部らは唖然として彼を見ていた。
その後、試験に合格した俺はオルメルト帝国の軍隊の精鋭部隊に配属され、『双刀の黒騎士』として数多の戦場に駆り出される事になった。
……あんなことが起きるまでは。
「……はっ!」
な、なんだ……夢か。
突然、目を覚まして周りを見渡すとそこは止まった馬車の中だった。
ゆっくり息を吸い、荒くなった呼吸を整える。
どうやら目的地『ヘルズヘイム公国』に無事に着いたらしい。
向かいの座席に座っていたロキは心配そうにこちらを見る。
「おはよう旦那様や」
「あ、あぁ」
「悪い夢でも見たのかえ?ずいぶん魘されとったし顔色も悪いぞ?」
「大丈夫だ。ちょっと昔を思い出しただけさ。ところでもう着いたのか?」
「着いたは着いたが……妙に街の中が騒がしくてな。余所者であるあちし達は迂闊に外に出られんのじゃ。ルイスが仲間を連れてくるまでここで待機した方がええじゃろ」
そう言いながら外を眺めるロキ。
この獣耳のおかげか、目を閉じると馬車の外の音がはっきりと聞こえる。
騒がしい雑踏、ドタバタと忙しなく動き回る無数の足音、時折聞こえる怒号。
この情報から察するに、ヘルズヘイム公国は内戦状態にあるのは本当らしい。
ローザの話では王位継承者の派閥争いから発展したというが、ローザの姉・ロベリアが魔導で獲得する前の敵国を焦土と化したために、何年も続いた食糧難なども折り重なって民の怒りが爆発し、クーデターになったというわけか。
それも頷ける話だった。
だが、こんな所で油を売っているワケにはいかない。
早い所、ローザ率いるレジスタンス組織に合流しないと時間が無い。
馬車の中から見えた時計塔の針は午後2時半を指していた。
残り時間は……30時間を切った。
俺の顔を見たロキは深くため息をつく。
「焦っておるな?旦那様や?」
「あぁ、時間が無い。早く動かないとフェンリルが」
「分かっておる。落ち着け旦那様や。しかし、見た感じ街の道は複雑に入り組んでおるぞ。同じような形の建物も多い。今ここから飛び出して行ったところで初めて来たあちし達は道に迷うのがオチじゃ」
「……でも!」
「最悪、兵隊にでも見つかって捕まってみぃ?明日の約束の時間まで牢から抜け出すことは不可能。今は大人しくしといた方が身のためじゃ旦那様や」
俺の頭を撫でながら優しく笑むロキ。
そういや、性転換の魔導は解けてないらしい。
全く気付かなかったというか、忘れていた。
それともう一つ、忘れていた事があった。
「なぁロキ?」
「なんじゃえ?」
「俺はいつになったら元に戻れるんだ?」
「そうじゃな。だいたい明日までには戻るんじゃないかえ。ま、あちしは女子の旦那様も悪くないと思うが」
「だいたいって……はぁ」
俺はため息を吐きながら深く項垂れた。
ロキ曰く、この性転換の魔導はどうやら解除される期限が曖昧らしい。
短ければ24時間、長くて1週間だそうだ。
両極端過ぎるだろ、それ。
しかも魔導は掛けれるが、術を掛けた本人ですら解除できないと来た。
する前にあらかじめ言っとけや。
内心、ツッコミを入れつつ、ルイスもといローザが来るのをしぶしぶ待つ事にした。
ロキが言うことも一理あるのだ。
複雑な道同士が絡み合って入り組むだだっ広い町で、初めて来たヤツが当てずっぽうに走り回っても道に迷うだけ。
ましてや今、ヘルズヘイム公国は王位継承者の派閥争いが激化し、国民の暴動やらクーデターやらで内戦状態にある。
最高潮の警戒状態にある中、うろちょろして怪しまれ、兵士に捕まってしまったら元も子もない。
時間が惜しいがこればかりは仕方が無い。
この潜入作戦は一つでも判断・選択を間違えたら自分たちの命に関わり、もとよりこれからのルシュクル王国の存亡にも関わる重大なこと。
先を焦るあまり、俺が判断を誤ればみんなの死に繋がる。
焦るな、落ち着け。
冷静さを欠かすな俺。
常に多方面から物事を見て考察し、精査して慎重に答えを導かなければ、この戦いにおいて俺達は生き残れない。
ゆっくり目を閉じ、深く深呼吸をくり返し、心の中の淀みを晴らす。
そしてその時を静かに待つ。
戦いは古今東西、敵国との情報戦を制し、敵国の思考の先を読み切って逆手に取った者が勝つ。
いくら戦力に差があったとしても形勢逆転は可能だ。
そんなことを考えていると突如として馬車の床がゆっくりと持ち上がり、なんと馬車の下からランタンを持ったローザが現れた。
「「ルイス!?」」
「お待たせ。ちょっと時間がかかっちゃった」
「まさか地下から出てくるとは」
「アジトまで直通の地下道だよ。地上はなんだかんだで警備の目が厳しいから私達はとても移動しにくいんだよね。さぁ、行くよ二人とも」
そういうとニコニコ笑いながらローザは手招きしながら梯子を使ってゆっくりと地下道へ降りて行った。
俺達も後を追うように梯子を降りていく。
そして薄暗い地下道を通り、レジスタンス組織のアジトへ向かった。