狼剣士のロキとフェンリル   作:山吹 色

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11.夜襲の狼剣士

──地下道を進むこと数十分。

曲がりくねり、複雑に入り組んだ薄暗い道を体調が戻ったローザに続く。

突如、俺の小さな手が持つランタンの先に何の変哲もない赤い煉瓦の壁が姿を現した。

扉も無ければ窓といった物が全くない、ホントにただの壁が俺らの目の前に現れた。

訝しげに眉を潜める俺を見てローザは意地悪そうに笑う。

なるほど、ただの行き止まりと見せかけて実はこの壁のどこかに隠し扉があるんだな。

ローザのあの顔は、俺たちにその扉のスイッチを探してみろということらしい。

……まぁ、答えは察しているが。

一見、ただ綺麗に並んでいるように組み上げられた赤煉瓦の壁だが、一つだけ薄くてわかりづらいが色が違う煉瓦がある。

そこまでなら凡人でも見分けがつく──が、あれはブラフ。

つまりは本物のスイッチを模して作られた偽物だ。

レジスタンス組織の本拠地とも言えるこの大切な場所で考えられることは、侵入者がこれ以上入ってこれないように敢えて1ヶ所だけ薄く色を変えたのだろう。

侵入者の目を欺くための仕掛け。

恐らくそのスイッチを押すと侵入者を排除するためのトラップが発動する仕組みになってると思う。

そうなると本物のスイッチは別にあると考えるのが妥当だな。

しかし、壁を作り上げている数百もある煉瓦の中から正解のスイッチを探すとなると、いくら頭がキレる奴だって至難の業。

いや、煉瓦の中から探すというのはただ単に俺の先入観の問題かもしれない。

……となるとその周りか?

ランタンで周りを照らしながら目を凝らす俺。

壁の周りは工事を中断したため、脆くなって崩落しないように補強するはずだった地下道を形成する壁。

土や岩がが剥き出しになった、何の変哲もない壁だけだ。

不自然な物は何も……いや、ある。

それはローザの足元に。

俺が注視する視線の先を辿り、気付いたという事に驚きを隠せないローザ。

 

「ま、まさか気づいたの!?」

「あぁ。そのまさかさ」

「嘘よ!そんなはずないわ!レジスタンスの連中でさえ、私が答えを教えるまで誰1人として分かった人はいなかったのよ?」

「そうだろうな。ルイス……いや、ローザの足元に転がってるその石ころが隠し扉のスイッチなんて誰も分からんだろ」

「なっ!?なんで分かったの!?」

 

驚きの声を上げるルイスに、そのやり取りを見ていたロキは何が何だか分からない顔をして俺の隣に突っ立っていた。

簡単な話、偽物のスイッチで煉瓦の壁に注目させ、数メートル離れた場所で周りの雰囲気に合わせて本物のスイッチをカムフラージュしていただけだ。

やたら小石やらが落ちているこの地下道だが、本来ならば水路を作るために、俺たちが立っている場所は真っ平にしなくちゃいけない。

まぁ、もう使われていないだろうが。

とにかく小石は細かいから集めるのにも運び出すのにも手間と時間が掛かる。

先に大きな石や岩を避けてから小石の除去の作業するものだが、先ほど見た時には小石に混じって足のサイズぐらいの石が一つだけ不自然に地面へ埋まっていた。

普通なら既に撤去されていてもおかしくない。

それとローザの立ち位置に違和感を感じたのも確かだ。

別にスイッチを探させるぐらいなら、俺たちについてまわっても怪しまれることは無い。

だが、ローザはここに到着し、今までそこから1歩も動こうとしなかった。

裏を返せば、無意識に本物のスイッチを隠そうとしていたのかも知れない。

そのおかげで俺はそのスイッチの場所を見つけ出したわけだ。

 

 

「信じられない……まさかサザナミ、女の子になって余計に観察力が上がったのかしら?」

「……ローザ。俺が女の子になったこととそれは全く関係ない」

「いや、馬鹿には出来んぞお前さまや。魔力も男の時と違ってすこぶる安定しておるし、身体能力に多少の向上が見られてもおかしくないんじゃないかえ?」

「どうだろうな。俺の気のせいかもしれないけど、イザナミになってからずっと身体が軽いんだ」

「ふーん。まぁ、いいわ。中に案内するから付いてきて2人とも」

 

そういうとローザは足元に転がってる石ころを軽く踏み付けた。

ガコン、という何かが外れた様な音と共に真正面の煉瓦の壁が半分に割れ、音を立てて左右に開いた。

突然、話は変わるがロキにはルイスもといローザ=レジストリ、つまりはヘルズヘイム公国を支配する暴虐の姫君でフェンリルを攫った張本人のロベリア=レジストリの妹だという事は、先ほど歩いてきた道中に秘密を暴露する上でローザ本人から説明した。

俺たちと一緒に戦うのに隠し通せないと思ったのだろう。

さすがにロキの直感は侮れなかったらしく、ロキは彼女に会った時からなんとなく察していたみたいで「やはりな」の冷たい一言で終わってしまった。

その直後、「今回協力するのは超お人好しのバカ旦那様がお前とした約束だからな。あちきたちの目的を果たしたらもう協力はしないわい」と彼女の前であくまでも、傘下に入るのではなく、今回手を貸すのは一時的なことだとハッキリと言い切った。

簡単に言うなら俺たちと彼女の目的が違えど利害が一致しているので、互いの目的を果たすまでの間だけ共闘戦線を張るということだ。

それを聞いた彼女は黙ってうなづいた。

なぜそこまでするのか、なぜそこまで彼女を警戒するのか、俺には分からない。

それよりも改めて思ったのだが、怖いな直感って。

こういうのってなんて言うんだ?

女の勘ってやつなのだろうか?

それにしても恐ろしいの一言に尽きる。

……今の俺も一応、見た目だけは女の子って扱いだけどな。

そもそも、元は男である俺に女の勘なるものがあるのか?

その疑問はさておき、招かれるまま誘われるまま、ローザに続いて開いた扉を潜ると豪華絢爛なシャンデリアがぶら下がる天井、床に敷き詰められた高そうな赤いカーペット。

奥の左手には妖艶な電飾で彩られたカウンターバーがあり、遠巻きに見ただけでも高級感あふれるボトルやワインが所狭しと並ぶ。

数々のアンティークな家具たちが静かに佇むそこは、まるで一級ホテルのような豪華なエントランスが俺たちをお出迎えしてくれた。

3人で静かに過ごせる安住の地を求めて野宿しながら世界各地を転々と旅をし、突然、ルシュクル王国にエレナーデ王妃殿下へ仕えるようになって早数十日。

放浪人から一国の将兵になってからというもの、度々見てきたこんな光景には慣れたと思っていたが、俺の予想した光景を軽々と超えていったので思わず唖然としてしまった。

なんだよこれ……ここは本当に拠点なのかと目を疑ってしょうがない。

 

「なぁ、ローザ?」

「何?」

「ここはホントに拠点なのか?」

「えぇ。そうよ」

「そうなのか。俺には拠点には見えないんだがな」

 

苦笑いを浮かべ、隠しながらも苦言を呈するように言う俺。

詳しく話を聞くと参加してもらってる人々に英気を養って貰えるように皆の憩いの場となるエントランスはこんな風にしたらしい。

しかし皆出払っているのか、ここには俺たち3人しかいない。

食糧難が長年続き、国民の不安が爆発して地上では今、内戦が起こっているヘルヘイム公国の真下にこんな場所を作っていいものだろうか?

甚だ疑問が残るが、これを見る限り流石としか言いようがない。

どうやら俺は彼女が王族の姫の片鱗を目の当たりにしたようだ。

 

「改めてようこそ!我が秘密結社『楽園(エデン)』の本拠地『アウターヘヴン』へ!」

 

とエントランスの中央に立ち、高らかに宣言するローザ。

……秘密結社『楽園』だと?

レジスタンスグループと話では聞いてはいたが、秘密結社なんて何一つ聞いていないぞ。

まさか、俺たち羽目られたのか?

そう宣言されて身構えるロキ。

急に眉を潜める俺に、ローザはびっくりしたようにこちらを見る。

秘密結社とはその存在を知られてはならない、目的はいろいろあれども文字通りの組織のことを指す。

その秘密を知った者の末路も俺は知っている。

 

「おいローザ。これはどういうことだ?」

「謀りおったな!この女狐め!」

「いやいや、違うわよっ!?秘密結社という名前通りの組織ではない。名称はそうだけど、活動目的はレジスタンス運動そのものだわ」

「なるほど……公国側に悟られない様にするための口実というわけか」

「お前さまや!あやつを信じると言うのか!?この胡散臭い話を!」

 

冷静になった俺を見ていきり立つロキ。

確かにおかしい点はいくつもあった。

レジスタンス組織というだけあって、その詳細はここに来るまで何一つ聞かされていない。

それは公国側に悟られない様にするための隠蔽工作だ。

公国側がレジスタンス組織があると分かれば、既にここは潰されている。

それに秘密結社と呼称すれば、参加してもらってる人々は絶対にその存在を公には露呈しない。

いや、秘密結社と呼称する以上、そんなことは出来ないのだ。

仲間を騙すと言ったら悪いが、同じ志しを持って集った仲間達を絶やさぬようにそうやって彼女は守っていた。

この国を、かつての平和だったヘルヘイム公国を取り戻すために。

それはやり方や結果は違えど五年前のロキもそうだと思った。

魔導が使えないから悲惨な生活の中で生き残るために剣の道を極め、伝説の二刀流騎士『双刀の黒騎士』と謳われた、たった1人の少年を処分する目的で大軍を率いて理不尽に攻めいられ、ずっと平和だったあの島を守るため守り神として戦った時のように。

今にもローザに殴り掛かりそうなロキを俺はそっと宥める。

まるで獣ように唸り声を上げていたロキは少しずつ落ち着いていった。

俺たちはエントランスにあったテーブルにランタンを置き、向かい合うようにソファーに座り、ローザが説明する事に耳を傾ける。

ここ、アウターヘヴンは今の悲惨なヘルヘイム公国の政治や環境を打破するための秘密結社『楽園』の大規模な本拠地兼地下要塞だと彼女は言った。

聞くところによれば、正規構成員は総勢5000人強で公国軍の半数以上がローザの息のかかった者で構成され、いまもなお軍内部に潜伏している。

また、食糧難で家族を失った者や孤児など数百人もここで保護しているという。

巨大な食糧貯蔵庫や栽培施設、武器製造工場などを完備し、他に必要な物はローザが声を掛けた他国と提携して特別なルートから搬入している。

その代わり、他国と取り交わした契約で必要に応じて人材派遣を行っている。

要は物を貰う代わりに、必要に応じて人を貸す、つまりは物と人との物々交換だ。

聞こえは悪いかもしれないが、通貨を必要としない点では互いにメリットがあるだろう。

だが、疑問が残る。

武器製造や栽培をしているのであれば、それを他国の市場に流して利益を得れば良いのではと?

そうした場合、今のヘルヘイム公国が政権が倒れ、新しい国になった時に提携していた国に逆手に取られてその国の軍事力を強化、よりこの悲惨な戦争を続けさせるための手助けになってしまう。

利益を得て国を豊かにするのが目的ではなく、いかに戦争を終結させ、いかに生き残る事が彼女たちの目的である。

栽培施設はあくまでも新しい国が独立する時の自国の自給率を高めるため、武器は他国を攻めるためでなく自国自衛のためと彼女は言う。

それは他国と取り交わした数百ある事細かな誓約によって確実に守られ、そうしてこの巨大な地下要塞『アウターヘヴン』はちゃんと機能しているというわけだ。

それを聞いて俺は納得してしまった。

綺麗事とも受け取れるが、彼女たちはそれを現実にしようと頑張っている。

それだけはよく分かった。

だから敵国の兵である俺たちに、反乱軍での共闘を依頼したのか。

そして暴虐の限りを尽くすロベリアを打ち負かし、残り少ない命を削ってまで姉に元に戻って欲しいと説得するために。

しかし、俺達にはまた別な目的もある。

ロベリアに拉致されたフェンリルを奪還、救出すること。

ローザと同じように、俺たちにも残された時間が無い事も。

 

「ローザの成し遂げたいことも重々分かった。しかし、俺たちも時間が惜しい。これからどうするか教えてくれ。俺たちはその指示に従う」

 

彼女の話を聞き終え、そう切り出した俺。

俺の隣に座ったロキはどうやら落ち着かないのか、腕を組んだまま獣耳と尻尾をヒクヒクさせ、やたらとそわそわしている。

指定された日は明日の夜12時だ。

ここに到着するまでで、もう既に残り28時間を切っている。

ローザはスラリと伸びる美脚を組み、少し考えたような仕草をした後、ゆっくりと俺の方を向く。

 

「そんなに焦ってどうするのよ?サザナミ?」

「焦ってなんかないぞ」

「いや、内心焦ってるわ。顔を見れば分かる。それに時間が惜しいのはわかるけど、今日の長距離移動やら戦闘で心身ともにだいぶ疲れているはずよ。だから作戦を決行するまで休むといいわ」

「ちょっと待て。俺たちは何もすることがないってことか?」

「違うわよ。勝つためにはこっちもいろいろ準備が必要なの。それはサザナミ、あなたも一緒。あなたはこの戦いでの切り札。ちゃんと身体を休めてから万全を期して挑むつもりだわ」

 

真剣な眼差しでそう告げるローザ。

彼女は絶対に勝つために、切り札である俺の体力の回復を優先させるのか。

指定された時間までの残り時間を心身の回復に回し、無駄な体力の消費を抑えてその時まで極力温存する。

普通ならば魔導を繰り出すため、集中力と精神力を消耗するが、俺の場合は肉体を強化させるため体力を極限まですり減らす。

……確かに妥当な考えだな。

いくら最凶最悪の魔導剣士と呼ばれた俺でさえ万全を期して挑まないと、例え今の様に女の状態であっても勝ち目は無いかもしれない。

一国を丸々焦土と化すほどの強力な魔導を操る蒼き煉獄の鬼姫……ロベリア=レジストリに。

 

「というわけで私は残っている準備作業を終わらせに行くわ。二人は……そうね。まずお風呂にでも入って来たら?」

「お、お風呂っ!?」

「やっぱり疲れてるときはお風呂でしょ?サザナミも今は女の子なんだから遠慮しなくとも大丈夫っしょ!」

「なっ……旦那様と一緒にお風呂だなんて……////」

「女の子でも遠慮するわっ!」

 

金切り声に近いような叫び声で突っ込む俺。

一方、ローザは聞く耳持たず。

言われるがまま俺達はこの巨大な地下施設……アウターヘヴンの大浴場に案内された。

エントランスの奥にある大きなドアを潜り、矢印の案内板の指示に従って歩いた先には、大浴場へ続く男女別の脱衣場があった。

このまま男湯に行きたいのは山々だが、身体が戻ってない以上、あちらには行けない。

元々はあちら側だったのだが。

理不尽だ、ホントに。

しかし……だ。

正直、ラッキースケベとかそんなものではなく、堂々と風呂場に入って異性の全裸を見れるというのは不本意ながら嬉しい気もする。

そもそも今現在、俺も身体が女の状態だからか、胸が高ぶるような感情とかそういうのは特に感じない。

口では全力で拒否はしているが。

……何故だろうか?

道中、ふと我に返ってみてとても不思議に思う。

やはり男と女とでは感性が違うから女の子になった事で感性と言うか性質がそっちに寄ったとか?

うーん、わからん。

とにかく、今言えるのは女の子の裸を見ても何とも思わない。

……つーか、今さらながらだけど俺は女の子に性転換する意味がなかったよね。

そう思考を巡らせながら魔装具を取り外し、俺は何食わぬ顔で下着を脱いで大浴場に向かうロキに付いていく。

ブラジャーやパンツなら、いつもロキの物を見てるから慣れてしまったようだ。

おかしな話だが。

ガラリと扉を開けるとシャワー台がずらりと並び、その奥にはだたっ広い浴槽が現れる。

まるで極東の国にある銭湯のようだ。

俺は適当に場所を選び、頭を濡らしてからシャンプーを容器から出すとそそくさと髪を洗い始める。

頭に生えた獣耳に水が入らない様に手で抑えながら、反対の手で長くなった髪の毛を手ぐしを通すように丁寧に洗い、蛇口を捻って出てきたシャワーの流水で洗い流す。

その行程を数回繰り返し、次はリンスを馴染ませるように髪に付けては丁寧に洗い流す。

その行程が終わったら次は身体だ。

下を見なければっ!

鏡を見なければっ!

どうということはないっ!

一時的に女の子になったとはいえ、そんな自分の体を見て落胆したくはない。

男としてのプライドが、それを許さないっ!

そう覚悟を決めた瞬間、目にも留まらぬ速さで身体を洗ってシャワーで流す。

洗い終わったあと、湯船に髪が浸からないように後ろで纏めて持っていたヘアゴムで結った。

近くでシャワーをしていたロキは赤い目を丸くして俺を見ていた。

 

「……だ、旦那様や?い、いつからそんなことが出来るようになったんかえ?」

 

若干、震え混じりでそう問うロキ。

浴槽に向かう途中だった俺は、振り返りながら首を傾げる。

 

「そんなこと?」

「うむ。髪の洗い方といい、結い方といい、妙に手慣れていたように見えたが?」

 

……髪の洗い方?

そう……なのか?

俺は無意識にやっていたから自覚がないが、思い出してみればそれは実に不自然な事だった。

元々、男である俺が女の子に性転換してしまってすぐに順応するはずが無い。

男と根本的に異なるため、ドギマギしたり、戸惑ったり、どうしていいか分からなくて困惑したりするのが普通だ。

髪の洗い方とか結い方、そしてケアの仕方までまったく違う。

それを踏まえると、俺は何食わぬ顔でその行動を実行した。

言うなればもはや既に女の子になってしまっていた。

先程、心の中で男のプライドとか抜かした俺は、男のプライド以前の問題だと知り、ショックのあまり音もなく床に膝から男のプライドと共に崩れ落ちる。

……それは何故だろうか?

原因はすぐに分かった。

母親であるロキが居なくなってからずっと、つい最近まで俺はフェンリルの世話をしていたからだ。

お風呂とか着替えとか……ね。

その時に髪の洗い方とか結い方を自然と練習して身体が覚えてしまってたのかもしれない。

だから無意識に出来てしまったのか。

湯船の入りながらそう答えると、それを聞いてロキは納得したように頷く。

 

「5年も放っておいた……いや、放っておくしか無かったのじゃからの。あちしのいない間、ホントに迷惑を掛けたの」

「何だよ?急に?」

「あちしは思った事を言ったまでじゃ。また会えたのにこんな形で引き裂かれるなんて夢にも思わなかったわい。フェンリル、今頃どうしているのかえ?」

「……俺も心配だよ。一刻も早く会って顔を見なくちゃ落ち着かない」

 

湯船に身体を沈めながら、天井を眺めてロキとそんな話を交わす。

ロキもまた5年もの間、まだ当時15歳だった俺に幼いフェンリルを預け、ずっと姿を消していたことを未だに後悔しているようだった。

俺も五年前の起きた事を、ミルカン諸島の大虐殺の事を未だに思い出すことがある。

初めて感じた死の感覚……ふと我に返ると山積みになったオルメルト帝国兵の亡骸が脳裏を過ぎる。

喚き叫ぶ兵士達の断末魔、大地を真っ赤に染め上げ、流れ飛び散る大量の鮮血。

風に乗って鼻を掠めていく、吐き気を催すくらいの濃い血の匂い。

圧倒的なまでの力に酔いしれ、逃げ惑い許しを乞う兵士達をまるでゴミのように切り伏せる。

血脂が着いた銀狼刀が肉を切り裂き、骨を断ち、躊躇なく肢体を切り刻む。

なんの迷いもなかった、当時の俺は。

自分の人生をめちゃくちゃにしたアイツらに募る、憎悪と復讐の想いが俺を大殺戮マシーンへと変貌させた。

凄惨な光景が鮮明に脳裏へ焼き付いてなかなか離れてくれない。

その後、俺はトラウマになるくらいの衝撃を心に受け、旅先で夜中に何度も魘されて目を覚ます毎日。

そんな苦悩する日々は約2年も続いた。

あまりにもつらすぎて何度も命を絶とうとするが、ナイフを持つだけであの凄惨な光景がフラッシュバックして発狂しそうになる。

……薄々どこかでわかってはいた。

もしも神様がいると仮定するなら、この耐え難い苦しみは神様が俺に与えた最も重い刑『生きる罰』なのだと。

俺が犯した無慈悲で残虐極まりない行為に悔い、改めるためにその罰を受け続ける覚悟を決めた。

彼女達と生きて、戦争のない、憎しみ合い、恨み合う事の無い平和な世界を取り戻すまで。

長い間、苦しみ続けていた俺をずっと傍らで可愛らしい笑顔を絶やさず、見てきたフェンリル。

気を使っていたのだろうが、彼女のその笑顔に何度助けられた事か。

本当に救われたと、心の底からそう思える。

 

「そうだったのかえ」

「あぁ。彼女が、フェンリルが居なかったら今のように俺はなって無いだろう。だから戦える。俺の大切な家族を、そして国を守るために」

「あまり無理はしないでほしいがの」

「そうだな。気をつけるよ」

「分かれば良いのじゃ。あちしももう未亡人にはなりとうないからの」

 

くしししと意地悪そうに笑いながら冗談を言うロキに苦笑いする俺。

 

「して旦那様よ?」

「なんだ?」

「今さら言っても仕方ないが、本来ならば湯に浸かっとる場合じゃないぞ。こうしてる間にも旦那様のかわいい部下達、そしてあのお姫様が戦いながら旦那様の帰りを待ってる」

「死ぬことは許されない……か。何も起きなければいいが」

「そう祈っておくかえ。あちし達は今やるべき事を全うするだけじゃ」

 

自信満々に言うロキ。

やるべき事を全うする……か。

確かにそうだなと心の中で納得する俺。

ここまで来てうじうじ悩むなんてらしくないし。

過去は過去、今は今だ。

長々と話し込んだせいか、意識が朦朧としてきた。

俺はゆっくりと湯船から出て、同じく顔を真っ赤にしてふらふらしているロキに肩を貸し、一緒に脱衣場まで歩く。

脱衣場にあるベンチでしばらく休むと、用意してあったエデンの制服を着てエントランスへ戻る。

俺はサイズぴったりだったのだが、ロキはどうやらサイズが間違っていたらしく、胸がきついようでよく良くみてみるとボタンが今にも弾けそうだ。

まぁ、仕方ないとしか言い様が無い。

エントランスへ戻ると、組織の集会なのかそこには大勢の人が集まっていた。

耳障りな喧騒の中、何気なくその顔ぶれを見ていると、雰囲気でどれも屈強そうな男女が集まっていると把握する。

さすが軍隊の連中を引っ張って来ただけあるな。

緊張感が全然違うぞ。

その中央の演台にローザは凛々しく佇む。

何かパフォーマンスでもするのか?

 

「皆、よく集まってくれた!礼を言う。さて、本題に入る。明日の深夜0時より……ヘルズヘイム公国軍の司令部へ夜襲を仕掛ける!」

 

高らかに宣言するローザにエントランス内はざわめき始める。

それもそのはずだ。

いきなり敵の大本営を夜襲すると言い出したのだから。

夜襲とは読んで字のごとく、警備が手薄になりがちな夜間に襲撃することだ。

何せこのご時世、夜勤で拠点を警備させるには当然、人件費に夜勤手当などついて払う側が高くなる。

一方、割に合わない低賃金ではやる人もいなくなるし、軍部としてはどうしても高くつく経費を少しでも削減したい。

そういう訳で簡単な結論から言うと、夜間警備は貧乏な国の基地ほど勤務させる人員が少なく、夜襲を成功させやすい。

……それが世の常だな。

ローザの考えでは、その夜襲の時に俺とロベリアをかち合わせるという目論見だろうな。

 

「おそらくかつて無いぐらいの激戦となるだろう。しかし!私はその戦いにおいての切り札となる人物を見つけてきた!」

「切り札だと?」

「あぁ、そうだ。その人物の名はイザナギ。かつてミルカン諸島でオルメルト帝国兵を全滅させたあの最凶最悪の魔導剣士。『狼剣士』の異名を持つ男『サザナミ』の妹君だ!」

「マジかよ!そんなのデタラメだろ!」

「なるほど。面白い。ならば試して見ようか……言うよりも見た方が早いだろ?イザナギ。ソイツの相手をしてやってくれ」

 

自信満々のローザにそう言われ、人混みを掻き分けて皆の前に姿を現す。

その姿を見て唖然とする群衆。

はたから見たら背の小さな普通の獣耳少女だからだ。

ローザから投げられた木刀を受け取ると、観客は俺としゃしゃり出て来た兵士を囲むように位置を変えた。

見せ物じゃねぇと言いたいところだが、アイツに赤っ恥をかかせるにはベストな状況かもしれない。

だが、場の空気は明らかに悪かった。

遠巻きに見ている観客は俺がこの兵士に負けると思っているのだろう。

体格差だけでも圧倒的、鍛え上げられた肉体、それにここからでも分かるぐらいに指や手には血豆の跡が見える。

そんじょそこらのチンピラとは違い、剣を極めるために励む手練の剣士か、はたまた人殺しを愉しむ殺人鬼か。

やつは木刀の柄を両手で握って正面に構え、こちらの動作に直ぐに対応できるように適切な距離を保ちながらすり足で移動しつつ攻撃する隙を窺ってる。

一方、俺は木刀を利き手ではない左手に握ったまま仁王立ち。

まるで岩になった如く、微動だにせずにどっしりと構え、じっと奴の目を見据える。

……いわゆる無形の構えだ。

相手の動きを先読みし、間合いに入り込んだら瞬発的に木刀を振り抜き、攻撃の僅かな隙間を縫って全身のバネをふんだんに使った強烈なカウンターを放つ。

このカウンター攻撃は木刀を使って模擬戦をしていた時に全身鎧を着た大の大人でも、4メートルほど吹き飛ばして失神させたこともあった。

もちろん、真剣の打ち合いなら敵を鎧ごと一刀両断してしまうだろう。

例え木刀だとしても、もしも当たりどころが悪かったら意識不明の重体か、最悪の場合、死ぬこともある。

それか木刀が耐え切れず真っ二つに折れるか、軽傷でも骨折は確定だな。

しかも今の俺の身体はロキのせいで人間ではない種族になっている。

動体視力や聴覚などの五感が発達し、通常の人間の何倍もあると言われる森の民『獣人』という種族に変わった。

いや、正確に言えば変えられた、だ。

生死を賭けた戦いの中で常に一手先の攻撃を読み切り、掻い潜って生き抜いてきた俺の身体が、今や獣人になった事でさらに五感が冴えた状態にある。

行動を先読みすることなんて、もはや雑作に過ぎない。

ゆっくりと微動だにしない俺の様子を窺い、間合いを確かめていたやつは急に姿勢を落とし、低い位置から大きく踏み込むと木刀を持たない右側から懐へ潜り込んで勢い良く下段から斬りあげて来た。

刹那……まるでそよ風に揺れる鮮やか銀色の長髪が皆の目に留まる。

俺は見えたその木刀の切っ先の軌跡を目で追い、数センチ身体を右側へ捻っただけで下段から斬りあげられた木刀をヒラリと躱す。

……その差は紙一重。

捻った勢いに乗せて左足で振り上げた彼の木刀を握る手を思い切り蹴飛ばす。

 

「ぐっ!?」

 

痛みを堪えるように声を殺す彼だが、木刀は握っていた手からするりと抜け落ち、カラカラと乾いた音を立てて床を転がっていく。

──チェックメイト。

ゆっくりと木刀を突き出すように構える俺を見て誰もがそう思ったその時、諦めたくなかったのか彼は素早く踵を返して木刀に駆け寄り、足で蹴り上げて手で掴むと振り返りざまに横一閃。

だが、体格差が仇になった。

俺はそれを屈んであっさり避けると、屈んだ状態で木刀を使った足払いを掛ける。

その一撃は見事に脛を捉えた結果、彼は木刀を上に放り投げ、情けない悲鳴を上げながらその場で盛大にすっ転ぶ。

脛を打たれたんだ、無理もないだろう。

宙を舞う木刀を右手で掴むと、脛を抱えながら泣き叫び、悶え苦しむ彼に木刀の切っ先を向ける。

 

「す、脛を攻撃するなんて……卑怯だぞ!」

「このド素人が……卑怯もクソもあるか。命懸けの戦場で生き残るにはそんな綺麗事なんて言ってられねぇんだ。もちろん今までやってきたマニュアル通りのチャンバラなんて絶対に通用しねぇ」

「なんだと!このガキ!」

「木刀だったから良かったんだぞ?真剣だったらどうなるんだ?お前の足は既に切り落とされていたな」

「……ちっ!」

 

こんな小さな女の子に負けたのが悔しいのか、舌打ちを響かせて彼は足を引きずりながらその場を去っていく。

遠巻きに見ていた者達は黙ってその勝負を見届けていた。

彼の実力を知っていた者は静かに佇む俺を唖然と見つめている。

本当の戦場で敗者に待っているのは死。

死にたくなければ、どんな方法や手段を用いて勝たなくちゃいけない。

俺もそうだが、もちろん彼らも。

……勝ち続けなければ生き残れない。

しかし、それが戦争だ。

──お前らにその覚悟があるのか?

言葉には発していなかったが、今の一連の打ち合いではっきりしただろう。

一部始終見ていたローザは静寂を払うように再び話し始める。

 

「組織の中でも一二を争う剣術を使う者ですら彼女の前ではこの有り様だ。皆が見て分かる通りこれが実力の差……経験の差とも言える。勝つためには必要不可欠なカード。ぜひとも彼女は今回の夜襲作戦の際に先行部隊で活躍してもらいたいと思う……皆、異論はないか?」

 

真剣な眼差しで見詰め、心の底から皆に問うローザ。

黙って顔を見合せる面々。

確かにこんな得体の知れない奴を、急に仲間に加えるという提案は皆からしてみれば不安だろう。

用心するのに越したことはないが。

もしもみんな反対なら単騎がけも最悪、考慮する範囲に留めておかなければならない。

どちらへ転んだにせよ、俺達は時間が惜しい。

ここは一つ、この嫌な空気をうち溶かすために皆へ自己紹介の1つでもしておこうか。

さて、どうしたものか。

黙って皆を見下ろすローザへ近寄り、耳元で小声でその旨を伝える。

ローザは納得したように再び皆へ問いかける。

 

「えーと……イザナギから話があるそうだ。皆聞いてくれ」

「どうも。ご紹介に預かったイザナギです。あの、さきほどはすみませんでした。びっくりさせて申し訳ありません。それでですね。私から皆さんにお話があります」

 

とりあえず自分が何故、ここに来たかという経緯を話し始める。

みんなに怪しまれないためにも、イザナギという少女を自分の中で作り出し、あることない事を上手く混ぜ合わせてその経緯を語り始めることにした。

自分が女体化したサザナミだとバレてしまうことのないように。

まずは自分の生い立ちを話す。

自分はとある村に生まれ、両親を殺されてロキに拾われ、フェンリルという女の子と共に育てられた。

世界各地で戦争が勃発している最中、両親を殺されるということは良くあることだ。

それを引用して俺は生い立ちを誤魔化した。

近くで聞いていたロキやローザは、その嘘に完全に気づいていたが場の空気を読んで便乗する。

国を転々としている中で、ロキの娘であるフェンリルの話、そして拉致された事を話す。

全てはでっち上げだが、自分の正体を隠すためなので仕方ない。

そこでローザに出会い、ここに来れば自分が欲しい情報が手に入ると言われ、付いてきたと。

現に今、その子がヘルズヘイムにいるという事。

その道中、最近再び戦場へ姿を現したと噂されているサザナミの異母兄妹……つまり自分の親が違う兄妹だと知った。

自分が何故、これほど戦い慣れているかというとそれは生きる術として戦い方をロキに教わり、数々の戦場をくぐり抜けてきたと伝える。

友達のフェンリルの救出に協力する代わりに、自分はこのクーデターに参加して今のヘルズヘイム公国を変える手助けをするという約束をローザにしたと宣言した。

だから皆にも協力して欲しいと、私は頭を下げる。

するとピリピリした雰囲気が和み、皆が少しだけ俺を理解してくれたらしい。

よかった。

これで全て上手く行きそうだ。

後は明日の夜襲を成功させてフェンリルを助けて直ぐに戻る。

それまで頑張るとするか……。


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