IS-イカの・スメル-   作:織田竹和

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えー、間に合いませんでした。もう終わりまで大筋は決まってるんで年内に完結目指せるかなと思ってましたけど、駄目でした。申し訳ございません。



14後編

「ラウラ……ああ、アレか。さて、どうだろうな。始末は外の連中に任せてある。アレは今回、どうでもいい」

 

生きていれば這い出てくるんじゃないか、などと興味の欠片も無いといった風に口にする。

 

ラウラは敗北した。死んだと明言されなかったとはいえ、上にはまだ数多くの敵が跋扈している。生存は絶望的だろう。

 

(俺のせいだ……)

 

きつく唇をかみしめる優。顔から血の気が引いていく。現実を拒絶しようと思考が鈍る。自分が幸運なんて願ったせいで。後悔の叫びが胸の奥で折り重なり、燻り、腐り、膿となる。そもそもの元凶たる彼女に、泣きわめく暇も権利も無い。

 

しかし今の彼女には戦うための力も無い。彼女では、この状況を打破することができない。

 

(結局他人任せか。本当、嫌になるな)

 

客観的に見れば、織斑一夏と山田真耶、そして使えるかどうかはさておきシャルル・デュノアがいる。3対1。数の上では有利だ。ここは3人に任せて、せめて足手纏いにならないようにさっさと逃げるのが得策だろう。

 

などと自己嫌悪に塗れながら考えていると、ふと声が響いた。

 

「お、おい、お前……」

 

一夏だった。狼狽、動揺。或いは──例えるならそう、恐怖だろうか。絞り出すような声から滲み出た感情を読み取ったのか、彼の姉のような少女は、睨み付けるような視線を一夏へ向けた。

 

「私は、一夏(お前)だ」

 

まるで機械のような印象を抱かせていた少女が、初めて見せた感情だった。

 

 

「──ッ!」

 

次の瞬間、少女の表情が強ばったかと思うと、優達の視界の端で何かが煌めいた。咄嗟に頭を伏せる。

 

ちらりと見えた武骨な深緑の装甲。フランスの第二世代型IS『ラファール・リヴァイヴ』。いつの間にかISを展開していた真耶が、上空から銃弾をばら撒いた。

 

銃声が優の鼓膜を殴打する。掃射によって土煙が上がり、周囲に破片が飛び散る。完全に不意を取った。これではあの少女も無事では済まないだろう。

 

しかしそんな優の予想を踏みつぶすかのように、小さく足音がこだました。

土煙を切り裂いて現れたのは一機のIS。蝶のような姿のそれは、手の中で小さな端末を操作した。

 

その直後、

 

「な、何が……っ!」

 

絞り出すような真耶の声。ラファールが不自然な軌道を描き、壁や天井にその身を打ち付け始める。下手くそな喝采のような激突音の末、やがて動作が緩慢になったかと思うと、徐々にその身を折りたたむようにして地にひれ伏した。

 

物言わぬ鉄塊と化したラファール・リヴァイヴ。呆然とする面々。何が起きたのか分からない。正しくあっという間の出来事だった。混乱のさなか、真耶の呻くような言葉がこだまする。

 

「ぅ、っく、そんな、なんで動かな……」

「蜘蛛の毒だ。あれも少しは役に立つ」

 

傍らに立つ冷たい視線が真耶を見下ろす。

ほんのワンアクション。戦闘が始まってから数秒。介入する間も無い僅かな時間。たったそれだけで簡単に戦力が削がれてしまった。

 

「山田先生! クソッ、だったら俺が!」

 

光が瞬き、弾ける。現れたのは白い剣士。右手に一振りの剣を携え、ぐっと足に力を込める。

 

しかし──

 

(ぁ、れ……?)

 

身体が動かない。装甲が重く軋む。最初の一歩に届かない。その一歩がひどく遠い。何かが雁字搦めにのしかかる。何故だ。何故動かない。白式に何も問題は無い。ならば何故。あの少女と戦うことを忌避しているのか。あの少女に刃を向けることを恐れているのか。

 

「──っぉおおおおおおおお!」

 

否、そんなことは有り得ない。あの少女のことなど知らない。知りもしない相手を恐れる道理などありはしない。

 

刹那にも満たない僅かな時間。逡巡の後、何かを振り切るように叫ぶ一夏。青白い軌跡を描き、一直線に飛翔する。閃光が如き速度。しかし一歩の遅れは、かの少女に取って致命的なまでに好機となる。

 

「きゃっ!」

 

短い悲鳴と共に、一夏の動線上に突如として深緑の影が現れる。少女が真耶を蹴り上げたのだ。反射的に剣を放り捨て、一夏は真耶を抱き留めた。

 

抱き留めてしまった。

 

「甘いな」

 

小さく、されど鋭利な呟き。いつの間にか一夏のすぐ傍まで移動していた少女が、横から蹴りつける様にして一夏を吹き飛ばす。

 

「がはッ!」

 

真耶を庇っていたためか、受け身も碌に取れずに壁に激突する一夏。放射線状に亀裂が走る壁から、その身を引き剥がそうと小さくもがく。しかし真耶のラファールが邪魔になっているようだ。

 

「甘い。そして弱い」

 

そしてそこへさらに追い打ちをかけるように、少女が一夏に向けて腕を伸ばした。光の粒子が爆ぜ、その手の中に巨大なライフルが現れる。

 

「まずい! 逃げろ一夏!」

 

弾が今にも飛び出しそうな勢いで叫ぶ。絶体絶命の危機。息を呑む優。

 

このままでは一夏がやられる。どうにかしないと。どうすればいい。何ができる。

 

「実のところ、上からはお前を殺すなと言われている」

 

淡々と降り注ぐ言葉。一夏の視線の先では、姉と瓜二つの少女の手に大型のライフルが握られていた。

 

「しかし、どうにも抑えられそうにない」

 

白式が警告を発する。武骨な銃身の奥に、エネルギーが犇めいている。この距離では躱せない。

 

「私は思った以上に、お前に腹を立てているらしい」

 

きゅっと口元を引き締める一夏。ゆっくりと引き金が絞られる。今にも一夏と真耶を射殺さんと、バイザーの奥でどろりと殺意が渦巻く。

 

「私から奪ったお前が、『織斑一夏』であることが気に入らない──ッ!」

 

 

 

 

「もうやめて!」

 

張り裂けるような叫び。悲痛なそれが、ぴたりと戦場に沈黙を齎す。

 

「ボクが行けばいいんでしょ?」

 

シャルルはきつく手を握りしめた。眼尻には涙が浮かび、その顔は蒼白に震えている。

 

「なっ、シャルル! やめろ!」

「一夏は黙ってて!」

 

声を荒げるシャルル。一歩踏み出す時、シャルルの口が小さく動いた。

 

「キミが居なければ、こんな……」

 

優がそれを聴きとることができたのは、たまたま近くに居たからだろう。他の者は気付いていないようだ。

 

シャルルは呼吸を整えながら、ライフルを持ったままの少女をゆっくりと見据えた。

 

「ボクを捕まえて、ISを動かせる理由を調べるつもりなんでしょ?」

「さあ、どうだろうな」

 

淡々と機械的に返す少女。平坦なそれに、シャルルの震えた声が続く。

 

「悪いけど、調べたって無駄だよ。大したタネなんて無いんだから。何だったら今ここでタネ明かしをしてもいい」

 

薄く浮かんだ笑み。どこか自棄になったようなシャルルの言葉。周囲の視線が集中する。

 

シャルル・デュノアは、言わば被害者である。

織斑一夏のIS適性が発覚しなければ、世界中で男性操縦者の捜索が行われることなど無かっただろう。

織斑一夏が居なければ、その流れに乗じて彼がシャルルとなることも無かっただろう。

 

そのもしもが彼にとって幸福であったかは分からない。しかし少なくとも、今ここで命の危機に直面することが無かったであろうことは間違いない。

 

故に、シャルル・デュノアは被害者である。

織斑一夏、そして八神優によって運命を狂わされた被害者である。

 

「半陰陽だろう? 知っているとも。シャルロット・デュノア」

 

じろりと、少女の殺意がシャルルを射抜く。

短い言葉ではあったが、周囲の面々を凍り付かせるには十分だった。

 

デュノア社の社長が愛人との間に儲けた半陰陽の子供。存在を秘匿され、織斑一夏の出現によって思い出したかのように男にされ、この学園へと送り込まれた産業スパイ。それがシャルル・デュノアという存在だった。

 

「上のやつらは公になっていない男性操縦者を欲しがっていた。故に2年前は……あの人の妨害という名目でその男を浚い、今回はIS排斥、そしてあの野蛮なアメリカ人共の言う『無人機のコア』とやらを隠れ蓑にお前を狙った」

 

さらにはシャルルの存在を盾に、デュノア社、及びシャルルの件を国家ぐるみで隠蔽したフランスを傀儡化し、国一つの後ろ盾を得ると同時に、ISを横流しさせる腹づもりだったのだと言う。

そして織斑一夏には今後も注目の的で居続けてもらった方が都合がいい。故に少女の上司は殺すなと言ったのだと。

 

少女も自棄になっているのか。地上にいた時とは打って変わって、殆ど謀反にも等しいことを饒舌に語る。

 

「私がやつらに協力していたのは、その男を殺すためだ。今ここで達成できるならもう何も関係ない。邪魔をするのであればお前も殺す」

 

瞬間、浮遊していたビットからレーザーが放たれ、シャルルの足元を穿った。どろりと床が溶け、喉の奥で小さく悲鳴を上げるシャルル。

 

少女が行っているのは立派な命令違反。事が終われば、少女もまた殺される。電波が遮断され、監視役のオータムもいない今、この好機を逃すまいと、銃を持つ手に力が篭る。

 

焼け爛れた金属片が異臭を放ち、駆動音が緊張を煽る。シャルルは自責の念にとらわれながらも、ただ立ち尽くすことしかできないでいた。

 

 

 

(なんで、ボクばっかり……)

 

俯くシャルル。今まさに剥き出しの殺意に晒されている一夏から目を逸らし、じっと爪先を見つめる。まるで凍り付いたように動かない足。その数センチ先には、爛れ、抉れた破壊の痕跡が冷たく自己主張している。

 

シャルル・デュノアは被害者だ。本来ならばこんな場所にいるはずのない人間だ。事の発端は全て織斑一夏にある。一夏さえ居なければと、何度思ったことか知れない。一夏さえいなければ何も問題は起こらなかったのだ。そのはずだ。一夏さえいなければ、こんな状況に陥ることも──

 

(なんでボクのせいで、キミが傷つくんだ……っ)

 

──こんな後悔に苛まれることも無かった。

 

いっそのこと、全て一夏が悪いと思うことができれば、どれだけ楽だろう。

 

 

「さて」

 

少女の声に、シャルルの意識が瞬時に浮上する。

 

「終わりを前に、私も高揚しているのか。少し喋りすぎたな」

 

どこか自嘲気味な言葉。どこかコミカルさを伴って滲む人間臭さに、一瞬ではあるが空気が緩みかける。しかし引き金にかけられた指先が、再度その空間を緊張と圧迫感で支配した。

 

どうする。どうすればいい。揺れ動く視線が周囲の状況を嫌でも認識させる。ISを持たない八神優と五反田弾。戦闘不能となった山田真耶。そして真耶を庇い、動きを封じられた織斑一夏。今ここで戦う力を持っているのは自分だけだ。汗が一滴、シャルルの青白い頬を伝う。

待っていたところで事態は好転しない。今動かなければみんなが死ぬ。

 

ごくりと、小さく上下する喉。

 

(一か八か、やるしかない──!)

 

胸元のペンダントが、静かに揺れた。

 

 

 

「これで全て────ッ!?」

 

言葉が途切れる。勢いよく振り返る少女。視線の先、そこには閃光を放つ橙色のペンダントがきつく握られていた。

 

「いくよ、ラファール……!」

 

シャルルの身体が光に包まれ、一瞬で装甲を纏う。フランス製第二世代型『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』。まだ一次移行も済んでいない初期状態のそれを展開し、サイレント・ゼフィルスへと直進する。

 

「えっ!?」

「なっ!」

 

驚愕し、目を見開く優と弾。それもそうだろう。もはや戦意を喪失したと思われた人間が、一夏やラウラですら敵わなかった相手へと立ち向かったのだ。さらに相手は第三世代。第二世代の──それも、まだ一次移行も済んでいない初期状態のISで、果たして太刀打ちできるというのか。

 

(っく、思うように、動かない……!)

 

今のラファール・リヴァイヴはシャルルに最適化された状態ではない。そしてシャルルは、本来専用機持ちが受けるような訓練を受けていない。それでも尚、がむしゃらに、不格好に向かっていく。

 

(怖い。嫌だ。逃げたい)

 

きつく唇をかみしめる。

 

(けど──!)

 

恐怖を振り払うように腕を振りかざした。

 

「これは、ボクが招いたことだ……だからっ!」

 

シャルルの手に現れたのは武骨な杭──盾殺し(シールド・ピアース)

 

「くっ、させるか!」

 

焦りが浮かぶ少女の声。予想外の展開に対応が遅れ、接近を許してしまったものの、咄嗟にビットへと命令を飛ばす少女。4機のビットが同時に攻撃を放つ。この近距離では躱し様が無い。しかし集中砲火を受け、装甲が弾き飛ばされながらも尚ラファールは止まらない。

 

レーザーの雨を押しのけるようにして飛翔するシャルル。時間にして僅か数秒の交錯。やがて盾殺しが、その切先で少女を捉えた。

 

「ボクがやらなきゃいけないんだあああああッ!」

 

激昂と共に、重く鋭い轟音が地下通路を揺らす。杭の先端がサイレント・ゼフィルスの装甲を砕き、シールドを突き刺した。トリガーを引くようにして、地下通路に盾殺しの轟音が重なる。少女の表情に苦悶と焦りが滲んでいく。

 

「っ、が……ッ! くそっ、舐めるなァッ!」

 

片手に持った大型ライフル『星を砕く者(スターブレイカー)』。その銃口の奥が静かに煌めく。急速にエネルギーを削られながらも、武骨な音と共に銃身を持ち上げる。そして今にもその銃弾がラファールを撃ち抜こうとした、その時。

 

 

 

────ゴトリ。

 

 

 

どこか間の抜けた音を響かせ、銃身がずれ落ちた。

一瞬何が起きたのか分からず、互いに呆けた表情を晒すシャルルと少女。しかし少女は一瞬で我に返ったかと思うと、大きくシャルルを飛び越えるように跳躍した。

 

「ぇ、うわっ!」

 

跳躍の勢いに押され、後ろへ倒れるシャルル。その隙間を縫うように、青白い軌跡が少女を追う。

 

「俺はまだ、やれる!」

「くっ、貴様ァ……ッ!」

 

少女の注意がシャルルに向かっている間に真耶の下敷きから抜け出したのか、そこには青白い剣を構える白い剣士が佇んでいた。どこか鬼気迫る視線を少女へと向ける。ちなみに真耶はやはり動けないようで、あられもない姿勢で床に転がされていた。

 

「ぼ、ボクだって!」

 

盾殺しを収納し、今度はサブマシンガンを両手に展開するシャルル。そして何の躊躇いもなく引き金を引いた。

 

ところで、先程から何度も言っているように、シャルルは碌に訓練を受けていない。そこにはシャルルに力を持たせないようにしようという彼の祖父の思惑が絡んでいるのだが、今回は割愛する。それはそれとして、握り方も構え方も碌に知らない素人が、両手でマシンガンを乱射すればどうなるか。

 

即ち──

 

「ぁぁぅわっわわわわわわわわわわわあわわわわわわわっわ」

「ちょっ、うおおっ!? シャルル! 俺を撃ってどうする!」

「ごごめんいちかかかか」

「うわああ! だからなんで俺を狙うんだ!」

 

がたがたと手元を揺らしながら手当たり次第に銃弾を叩きつける。壁や天井に銃痕が刻まれていく。ぱらぱらと破片が降り注ぐ中、少女は回避行動を取りつつ、さらに奥へと飛翔した。

 

「えっ」

「っ! しまった!」

 

そう、戦闘の余波を受けないようにと下がっていた、優と弾の元へ。気付いた頃にはもう遅い。少女は優と弾の背後に降り立ち、

 

「動くな。攻撃を中止しろ」

 

そう告げて、乱暴に二人を抱き寄せた。

 

強く引っ張られたからか、体勢を崩す弾と優。

その時、弾の懐から白い箱のような物が零れ落ちた。

 

「騒げば二人とも殺す。今すぐISを解除しろ」

 

眉間に皺を寄せながら、努めて機械的に告げる少女。

それ自体にPIC制御能力があるのか、ゆっくりと下降を続ける箱。

 

「駄目だよ! 私達のことは良いから!」

「ピッコローッ!早くしろーッ! 俺ごと撃てぇーッ!」

「黙れ。貴様から先に殺すぞ」

 

足手纏いになるまいと、必死に声を上げる優と弾。手が出せず、歯がゆい思いをしながらも武装を解除するシャルルと一夏。

誰一人として白い箱には気づかない。緩慢な落下。緊迫した状況。白い箱がくるくる回る。

そして遂に、箱の角が、サイレント・ゼフィルスの一端に触れた。

 

 

 

『IS反応確認 剥離剤(リムーバー) 起動』

 

 

 

次の瞬間、謎の駆動音が高速で響く。音の発信元は、先程まで宙を舞っていた箱のような物だ。否、既に半分ほど原型を残していない。瞬く間にその姿を変えていく箱だった物。そして元六面立方体は、やがて正六角形の盤のような物へと変形した。大きさは40cm程。色は純白。そして最大の特徴は、中央から伸びる数本の『足』。

 

それは誰かが言葉を発するよりも早く、最も手近に佇む獲物へと絡みついた。

 

「ぇ……」

 

小さくこだまする少女の声。どうやら状況が掴めていないらしい。

 

「今だ! 何だか分からねえが逃げるぞ!」

「う、うん!」

 

一瞬の隙をつき、転がるように少女の腕の中から抜け出す弾と優。しかし少女はそんなことすら気づかない程、目に見えて動揺していた。

 

「な、なぜこれが……っ、ぐああああああああああああッ!!」

 

サイレント・ゼフィルスを捕食するかのように蠢く白い物体。触手のように絡みつく足からは電流が流れ、少女の動きを完全に封じている。苦し気な叫び声を上げる少女だったが、やがて声を上げる気力も失ったのか、ふと四肢が力無くだらりと垂れ下がった。そして装甲がパーツ毎に光の粒子となって弾け、消えていく。最後には物言わぬ白い物体と、装甲を剥がれ、床にへたり込んだ少女が残されていた。

 

「クッ、一体なぜ剥離剤がここに……」

 

ぼそぼそと呟く少女。まさしく不運としか言い様の無い状況。しかしどうやら彼女は幸運の女神に悉くそっぽを向かれてしまっているらしい。

先程シャルルが銃弾をばらまいたせいか、壁や天井はどこもかしこも傷だらけで、大きくひび割れている場所もある。先程から彼らの頭上には、小さな破片がいくらか降り注いでいた。

 

そして当然、その中にはそれなりの大きさの物も混じることはあるわけで。

 

「だが、ISが無くなったところで、ここで終わるわけには……ッ!」

 

腰にある銃へと手を伸ばす少女。しかしその銃が抜かれるよりも早く、頭上からくぐもった音が響いた。

 

「あ」

 

それは誰の声だったか。もはや少女へ向けられた視線などありはしない。皆一様に、少女の真上に振り下ろされようとしている死神の鎌を呆けた表情で見つめていた。

そして鋭い視線と共に銃口が向けられたことにも、誰一人として気付いていなかった。

 

「私は──お前をころがふっ!」

 

拳よりも一回り大きい程度の石塊。物言わぬ灰色の乱入者によって、地下通路の戦いは幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

あれから、集団襲撃事件は学園側の勝利に終わった。

 

シャルル・デュノアの確保に失敗したと判断したオータムは戦闘を中断。エムと呼ばれる少女を捜索後、発見不可と分かるや否や、少女ごと学園を爆破しようとするも、セシリア・オルコット、凰 鈴音の両名の防衛により失敗。逃走を図るが、校舎外にてラウラ・ボーデヴィッヒと交戦。後に捕縛される。

 

米軍部隊と思わしき者達については、情報収集が不十分だったのだろう。教師部隊、及び生徒会長更識 楯無による防衛もあり、目的を達成することが困難だと悟り、撤退した模様。一部を捕えたものの、指揮官を取り逃してしまう。

 

誰がどのような目的を持って起こした事件なのか。詳細は生徒達には語られず、学園内にはそこはかとない不安と不完全燃焼感が漂っていた。そして同時に、本件の対処に当たった者達は、どこか己を責める者達が数多く見られた。

 

学園は生徒達が避難した棟を除き、5割以上が倒壊。避難先の棟もまた、盛大に大穴が空いてしまっている。曲がりなりにもエリートとして度重なる訓練と操縦経験を積んできた彼女たちが、こうもしてやられたのだ。『もっと上手くやれたのではないか』、『なぜここまで被害が出てしまったのか』と。

 

誰もが己を責める中、一際強い後悔と自責の念に囚われる少女が一人。

 

(ああっ、クソッ! なんでもっと早く気付かなかったんだ! こうなることを予測できなかったんだ! 一夏のせいとかISが怖いとかほざいてる場合じゃねえだろ! みんなを巻き込んだのは俺だ! 俺が動かないでどうする!)

 

どこか憔悴した表情で廊下を歩く黒髪の女子生徒。荒れた足取りが雑に床を踏みしめる。

 

(そうだよ……俺が動くべきだったんだ……)

 

戦うべきは真耶でもなければシャルルでもなければ一夏でもない。他ならぬ優自身だ。シャルルが飛びだした時、無理やりにでもシャルルからISを奪って自分が戦うべきだったのだ。

 

終始役立たずだったことを何度も思い出し、ひたすら自己嫌悪に陥る優。

 

(いや、腐ってる場合じゃない。今度こそ俺がどうにかしないと)

 

今回の件において、シャルル・デュノアや無人機コアという原因が挙げられたらしいが、優はそう思っていなかった。どちらもやはり、織斑一夏にも原因があるのではないか。ちなみに当の一夏は戦闘終了後、よほど精神的に負担がかかっていたのか、気を失うようにして倒れてしまった。

 

さて、本を正せばそもそもの原因は優にあるのだが、そちらに関しては現状手立てがない。

しかし人為的なものならどうにかなる見込みはある。一夏の『誰かを守りたい』という思想の根本。なにかそこに至った理由があるはずだ。それを解決する。そしてその理由を知っていそうな人物といえば、やはりあの人物しかいない。

 

「出来ることからやっていかないとな。自分で蒔いた種なんだから」

 

 

 

§

 

 

 

「先生。今、お時間大丈夫ですか?」

「……八神か。入れ」

 

一言告げ、地下にある一室の扉を開いた。ふと、クスリの匂いに混じってコーヒーの香りが漂ってきた。どうやらこの部屋にる誰かが飲んでいるらしい。

 

地下施設内に用意されている緊急時用の仮設医務室。そこで優を待ち受けていたのは、本日の数少ない負傷者であるラウラ。頭に包帯を巻きつけ、ベッドに拘束された少女。戦闘後に倒れた一夏。

 

そして泥のように眠っている3人を見守るように、傍らに腰掛ける1人の女性。

 

「やはり一夏は、お前と出会って変わったよ。八神」

「……織斑先生」

 

ため息がてら、そんなことをぼやく千冬。白い指先が、ゆっくりと一夏の頬を撫でる。

 

「っ、あの」

 

千冬の行動を遮るかのように、優が乗り出し気味に声を上げた。世間話をしに来たわけではない。次の事件が起きる前に問題を解決しなければならないのだ。

 

と、口を開きかけて固まる。聞きたいことがあるのは事実だが、一体何をどう訊ねれば良いのだろうか。

 

「……とりあえず、今回の事件は何だったんですか? 無人機のコアとか、デュノア君が狙われたり。それから、その子も……」

 

そう言ってベッドに拘束された少女を見る優。見れば見るほど織斑千冬と瓜二つだった。

 

(聞いておいて何だけど、ちょっと本題から遠すぎたか……)

 

しかし今回の事件に不可解な点が散見されたのも事実だ。情報を得ておいて損は無いだろう。またこの少女は明らかに織斑家の関係者だ。もしかしたら一夏の思想に迫ることができるかもしれない。

 

そしてどうやら優の質問は、あながち的外れというわけでもなかったようだ。

 

「後半の質問については少し説明に時間がかかる。先に今回の件について教えておこう」

「えっ、いいんですか?」

 

予想外の好感触に、思わず驚きの声を上げる優。そんな優に対し、千冬はどこか悟ったような笑みを浮かべた。

 

「ああ。学園が最も秘匿しておきたかった情報は、既に掴まれているようだからな」

 

恐らくコアのことを言っているのだろう。これが山田真耶のうっかりミスによる情報漏洩だと知ったらどのような顔をするのだろうか。優は少し考えて、やはり口を噤んだ。

 

「それに、今回は男性操縦者であるデュノアも狙われたと聞いている。一夏の近くにいればそうしたことに巻き込まれることも増えるだろう。恐らく今、最も一夏に近い場所にいるのは八神、お前だ。用心もかねて、情報を持っておくに越したことは無い」

「はあ、まあ」

「そして今回の件で気付かされた。どうやら私にも弟離れの時がやってきたようだ。正直に言うと悔しくて憎たらしくて今すぐお前をぶん殴りたい気分だが、まあそれは一旦置いておこう」

「えっ、えっ、……えっ」

 

ちなみにこの時、一夏のことを任せ、頼る相手として千冬が優を認めたのだということに、優自身が気付く日は永遠に来ない。

 

 

 

 

 

 

ことの発端は、一夏が男性操縦者として世間に知られたその日。亡国企業が一夏を取り逃したことから始まった。どうやら亡国企業は何らかの方法で、一夏が男性操縦者として覚醒することを知っていたらしい。

ISは女性にしか扱えないという神話が出来上がっている現代において、公になっていない男性操縦者という存在は、犯罪組織にとって喉から手が出る程欲しい人材だった。

 

一夏を取り逃した後、今度はシャルル・デュノアの存在が亡国企業の情報網に引っかかった。公になっていない男性操縦者は軍事的価値が高い。今いる人員を性転換したところで足がつきかねない。その点シャルルは15年以上前から存在を秘匿され、今や国家ぐるみの隠ぺい工作によって生まれたときから男だということになっている。ここまで都合の良い人材もそういない。

 

しかしようやく得られた情報は、シャルル・デュノアがIS学園へ向かうという物。このまま学園へ向かわれては、外来客を招くイベントの際に大勢の目についてしまう。

そこで提案されたのが、IS学園襲撃だった。学園が隠蔽した無人機のコアについての情報を米軍特殊部隊アンネイムドへと流し、万が一の時の囮として学園を襲わせる。そしてその襲撃に混ざり、シャルルを回収しようという寸法だ。そして最後には関係者もろとも情報隠蔽のために吹き飛ばす腹づもりだったようだ。

 

本来の予定では、襲撃に乗じてシャルルを浚い、一夏を取り押さえた後に学園を爆破。その後国連に紛れ込ませた工作員の手引きによって一夏を国連の研究施設に引渡し、その情報を流出させることによってメディアの注目を一夏に集中させる。その間にフランス政府と交渉し、手続き上はシャルルはフランスへ送還されたことにして、亡国企業の駒としてシャルルを手にいれる。と、そうなるはずだった。

 

しかしここで何らかの誤算が起こり、学園内の情報を入手することができず、コアの場所が分からないまま作戦が開始されてしまった。またエムと呼ばれる少女による命令違反もあったのだろう。その結果中途半端な襲撃となり、辛くも学園側に軍配が上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

「──と、いうわけだ」

 

千冬から聞かされた事件の概要は、まだ裏付けが取れておらず、所々に千冬の推論が混じっていたものだった。情報を得られたのは良いが、しかしここに来て新たな疑問が浮上してしまった。

 

「えーっと、その子、エムって名前なんですね」

 

やんわりと指を指す優。その先では、エムが静かに眠っている。本当に生きているのか分からないほど、微動だにしていない。

 

「それでその、またいくつか聞きたいことがあるんですけど」

 

結局エムと一夏はどういった関係なのか。そして亡国企業は何故一夏のことを知っていたのか。続けざまに口を開こうとする優を制するように、千冬が手で待ったをかけた。

 

「いや、皆まで言うな。それを今から説明する…………とはいえ、どこから話したものか」

 

机の上に淹れてあったインスタントコーヒーを一口煽り、渋い顔で何やら考え込む千冬。やがてちらりとエムと一夏を見ると、優を伴って廊下へ出た。廊下の壁を背もたれに、コーヒーの入ったマグカップを片手に思案し、ややあってその重い口をゆっくりと開いた。

 

 

 

 

 

 

「誤解しないで聞いてくれ。実は織斑一夏は、私の妹だ」

 

 

 

 

 

 

時が、止まった。

 

静まり返った空間に、コーヒーの香りがゆらゆらと漂う。

 

(待て。つまり何だ。どういうことだ)

 

唐突なカミングアウトについて行けていない優。必死に情報をかき集め、脳内で整理していく。

 

(一夏はそこで寝てるヤツで、妹というのはつまり英語で言うとsisterとなる。ここから導き出される結論は1つ……)

 

ごくりとつばを飲み込む。静かに息を吐きだし、結論を出した。

 

「つまり一夏くんは妹だった……?」

「だから誤解するなと言ったのだ。馬鹿者」

 

再度コーヒーで口を潤す千冬。ちなみにそのインスタントコーヒーには砂糖が大量に投入されている。

 

「一つ聞きたいんだが……八神、お前は夏と聞いて何月を思い浮かべる?」

「えっと、ぱっと思いついたのは8月、ですかね……?」

 

優の回答に、小さく鼻を鳴らして笑う千冬。一体何がおかしかったのかと、自身の答えを思い返す。

 

「えーっと、7月とか? あ、もしかして旧暦の話ですか?」

 

思いつくものを挙げてみるが、千冬の笑いは深くなるばかりだ。やがて満足したのか、千冬は再度言葉を続けた。

 

「まあ、そんなところだろうな。夏至があるのは6月。それ以降は8月までが世間一般で言う夏だ。9月の半ばまでは暑さは残るかもしれんがな。だがまあ、少なくとも9月の終わりを夏と呼ぶ人間はそういない」

 

要領を得ない千冬の言葉。

 

「あの、つまり何が言いたいんですか?」

「まあ聞け。ところで一夏の誕生日を知っているか?」

 

不意に訊ねられ、虚をつかれたようにきょとんとする優。そういえばいつだったか。脳内の記憶を探る。確かそう、中学のころに一度聞いたことがあるような、ないような。そんな朧げな記憶捜索を待たずして、千冬が口を開いた。

 

「ふっ、まだまだだな。そんなことでは一夏はやれんぞ?」

「……結局いつなんですか?」

 

業を煮やした優の言葉に、千冬はどこかおどけた様子で答えた。

 

「9月27日だ」

「……9月?」

 

優の様子に、我が意を得たりと言わんばかりに腕を組む千冬。

 

「まあ、そういうことだ。あの日のことは今でも覚えている。そろそろ神無月に入ろうという頃だ。ついひと月前まで35度以上が当たり前の毎日だったのが、気づけば猛暑はすっかりなりを潜めて、あんなにうるさかった蝉の声もみんなどこかへ消えてしまったかのように静まり返っていた」

 

無意識のうちに情景をイメージする優。どこか涼し気な風が頬を撫でる。それは夏の風のような熱気を孕んだそれではない。

 

「お前はそんな日に生まれた子供に、『一夏』などと名付けるか?」

 

 

 

(……駄目だ。何か余計分かんなくなってきた)

 

与えられた情報に、ただただ混乱する優。何とかさらなる情報を探ろうと、懸命に言葉を探す。

 

「えっと、なんでそんなややこしいことに……?」

 

優の言葉に、千冬はどこか遠い目をして答えた。

 

「あれは、そうだな。一夏も私も、まだ幼かった頃の──私達の両親がいた頃の話だ」

 

ここに来てようやく本題が始まるのかと、優は密かにほっと息をついた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

一夏と千冬、そして■■の両親は科学者だった。

 

一夏は病弱で、ずっと病院で入院生活を強いられていた。もう自力では手足を動かすことすら困難で、なんとか会話が出来るといった状態だった。

 

 

 

『一夏、何か欲しいものはあるかい?』

『何でも言ってね。お母さんもお父さんも、あなたのためなら何でもしてあげるから』

 

 

『……おそと、いきたい』

 

 

 

しだいに衰弱していく一夏のために、両親はある物を作り上げようと決意する。

 

操縦者の生活を補助するパワードスーツの様な物で、微弱な脳波を感知し、それを学習。また操縦者の成長にも合わせられるように、前述にある学習したことを基に自己進化を続けるAIを搭載するというものだ。

 

もはや一夏の病を完治することは不可能だった。ならばせめて普通の生活を送れるようにしてやりたい。仮にそれで、死への歩みが止まらなくとも。

 

しかしそのAIの部分が問題だった。どうしても机上の空論の域を出ないのだ。通常のスーツでは衰弱しきった一夏には扱えない。スーツそのものが一夏を動かせなくては駄目だ。そしてそのためには今までの物を凌駕する学習能力と脳とのリンク、そしてそれを反映することのできる自己進化能力を持つ必要がある。

 

 

 

『あれ? ちふゆねえ、とーさんとかーさんは?』

『二人とも一夏のためにずっと研究してるよ』

『ふーん、そっか。おれもさ、いつかとーさんたちみたいに、いちかをまもってやるんだ! なんたってにーちゃんだからね!』

 

 

 

しばらく研究室に籠りきりの生活が続いた。その間、■■と千冬の二人のことは篠ノ之家の母親が食事時などに顔を出して面倒を見ていた。ある時両親の事を心配した千冬が当時友人だった束にその事を相談した。最近両親が何かを作ろうとしている、そのせいでずっと研究室から出てこない、と。

 

束の提案により、研究室を訪れることにした二人。そこで束は千冬の両親が開発しているパワードスーツのデータを見てしまう。そして言った。自分ならばコレを完成させられる、だからしばらくこの施設を貸してほしい、と。

 

そして数日後、確かに理論は完成していた。あとはコレを現物にするだけだ。

 

しかし、ここでいくつか問題が発生していた。

 

一つ目に、二人がそのパワードスーツを作った理由を、束は理解していなかったこと。するとどういう事が起こったか。

束が作成したパワードスーツは、その性能、見込まれる用途、何もかもが二人の想定していたものとは大きくかけ離れていたのだ。共通していたのは、AIが受信する脳波の基準として使われていたのが一夏の脳波だったという程度だ。

 

二つ目に、束はパワードスーツを完成させることに集中しすぎて、他の事に目を向けていなかった。すると何が起きたのか。

簡単に言えば、情報の漏洩である。束が作成したパワードスーツは、その性能の高さ故に、大量破壊兵器と見なされた。その情報をとある組織が察知したのだ。幸いだったのは、AI――後にコアと呼ばれるソレの情報が流れなかったことだろう。

 

その組織は研究室の主である二人に、自分達に協力するように要求した。しかし二人は当然の如くそれを断った。するとその組織の矛先は思いもよらぬ方向へと向いた。

 

数日後、■■が事故に遭ったという連絡を受けた直後、再度例の組織からアプローチがあった。そこで二人は、今回の事故がその組織の仕組んだものだと気付く。

 

二人が病院にたどり着いた頃には、既に■■の容体は猶予などと言っている場合では無かった。どうも脳に大きな損傷があるらしく、このままでは脳死状態、或いは処置を施したとしても後遺症は避けられないとのこと。助かるにはどこかのドナーから脳を移植する必要があるのだが、都合よく近くにそんな存在がいるはずもない。

 

しかしここで一人、ドナー候補として名乗りを上げた者がいた。

 

 

 

『ねえ、わたしなら、おにいちゃんをたすけれるよね?』

 

 

 

一夏である。

 

一夏は医師と両親に懇願した。どうせ自分の命はもう長くない、だからこそ、最後は誰かのためにこの命を使いたい、と。

 

 

 

『……ちふゆ、ねえ…………いちかは……?』

『一夏は……もう……っ』

 

 

 

こうして移植手術が行われ、■■はなんとか一命を取り留めた。通常脳移植では、意識や記憶に関わる部位は移植しないことになっている。ドナーの人格が移植された人間に出てしまうからだ。しかし一夏の大脳皮質には軽微ではあるもののダメージが残っていたためか、手術後しばらくは軽い記憶喪失に陥っていた。

 

そしてそれだけではない。

 

 

 

『うそ、だ……おれのせいで、いちかが……だって、おれはにーちゃんで、いちかをまもらなきゃいけなくて……うそだ、うそだ、やだ、おれの、ちが、おれのせいで、まもれな……』

 

 

 

あまりの苦痛に耐えきれなかったのか、彼の脳は妹である一夏を犠牲にしたという事実を消そうとした。そして精神の防衛本能なのか、或いは所謂記憶転移なのかは分からない。しかし結果だけ言ってしまえば、一夏がいたという記憶とそれを消し去りたいという意識、そして一夏と■■という彼自身の人格が混濁し──。

 

 

 

『目が覚めたか?』

『……ちふゆ、ねえ?』

『ああ、おはよう。()()

 

 

 

長い昏睡状態から目覚めた彼は、自身を一夏と認識し、それまで持っていた殆どの記憶を喪失した。

 

こうして■■は一夏となった。

 

だが問題は終わらない。まだ組織の目は■■と千冬の両親へと向いている。このまま自分たちがここにいれば、恐らくまた他の人間に危害を加えられる。

そう考えた二人は、■■と千冬を残して姿を消した。当然事情は話していない。下手に情報を与えて巻き込んでしまう事を恐れたからだ。そうして残された二人は篠ノ之家へと預けられることとなる。

 

両親が失踪したのには■■や一夏。そして両親が開発し、束が完成させようとしているパワードスーツが関わっていると何となく察した千冬は、自身の無力さを恨んだ。結局自分は何も出来なかった、もっと自分に力があれば一夏は死なずに済んだのかもしれない、両親が姿を消すことも無かったかもしれない、そんな罪悪感と後悔の念が千冬の頭を廻った。

 

その時から千冬は強さを求めるようになると同時に、■■との間では家族の話題をタブーとした。彼は両親の事も一夏の事も覚えていない、ならばそのままにしておこう、苦しむのは自分だけで十分なのだから、と。

 

同時期、束も同様に自分の作り上げた物が原因で一夏の事故が起き、彼らの両親が失踪したのだと感知していた。一夏達の両親は束にも事情は話していなかったが、彼女は独力でデータが漏れていたことを突き止めたのだ。

 

やがて束は当時関係の深かった千冬とその弟である■■、そして実の妹である箒以外との接触を極力避けるようになる。研究について話していたのは、それこそ千冬くらいだったという。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

織斑千冬の話を聞き終えた優は、どこか放心したように立ち尽くしていた。

 

「一夏がISを使用できるのは、恐らくISを起動するオリジナルのキーである妹の脳を移植したからだろう」

「…………」

「亡国企業は初期ISの設計データを盗み見ていた。やつらも一夏の存在に感づいていたに違いない」

「…………」

「病院内にやつらのスパイがいたならば、妹から髪の毛や皮膚を得るくらい造作もない。あのエムという子供は、恐らく妹のクローンだろう。それならば他の生徒より適性が高く、IS戦でラウラが敵わないのも納得だ」

「…………」

「どうせクローン生成の際に、遺伝子情報を弄ったんだろう。でなければ、あんなに激しく動き回れるはずが無い」

 

優はちらりとエムを見た。微動だにしない寝顔に、優の視線が固定される。

 

(つまり本来織斑一夏として生きるはずだったのはこいつで、けどこいつはクローンで、だったらこいつの居場所はどこに、この状況はまさか、俺が、全部……)

 

「あ、あの……」

 

矢継ぎ早に繰り出す千冬に対し、優は絞り出すような声で訊ねた。その表情はどこか血の気が引いていた。

 

「そうなると一応、あのエムという子は先生の妹さんということですよ、ね?」

 

恐る恐るといった様子の優。しかし千冬はというと、ため息を一つついたかと思えば、首を横に振った。

 

「あれは私の妹ではない」

「えっ、でも……」

「私の妹は死んだ。私に残された家族は一夏()だけだ。あんなもの、妹への冒瀆以外の何物でもない」

「じ、じゃあ、あの子はどうなるんですか?」

 

優の問いに対し、千冬はすっと細めた視線を床に落とした。

 

 

 

「私の知るところではない」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

(クソッ、ふざけんじゃねえよ)

 

内心で吐き捨てる。医務室を出た後、優は校舎の外へ出ていた。誰にも会いたくなかった。何も考えたくなかった。しかし否が応にも思考は回転を始め、先程医務室で眠っていた少年の顔を思い起こさせる。

 

織斑千冬の言うことは理解できなくもない。むしろ問題なのは、エムと呼ばれる少女を救いのない状況に追い込んだのが自分かもしれないということだった。

 

(明らかに出来過ぎてる)

 

織斑一夏の両親が科学者で、偶然篠ノ之束がISを兵器に仕立て上げ、そして情報を漏洩させる。エムという少女は言わば一連の事件による不幸の産物だ。

 

『私は、お前だ』

『私から奪ったお前が、『織斑一夏』であることが気に入らない──ッ!』

 

亡国企業によって歪曲した情報を吹き込まれ、一夏への憎悪を駆り立てるように操作されていたのだろう。

 

そしてこのあまりにも出来過ぎな『流れ』。まるで何者かの意思のような物を感じずにはいられない。

 

『私は……一夏も何か大きな力の流れに巻き込まれて、いずれ巡り巡って、自身の選択を後悔するのではないかと思ってしまう』

 

いつか千冬の言った言葉が脳内に反響する。もしかしたら、既に巻き込んでいるのかもしれない。もはや全てが自分の能力によって仕組まれた壮大なカラクリであるかのような気がしてならなかった。

 

(一夏は誰かを守りたいと、守る対象に依存したいと思っていた)

 

しかしそのためには守るための力と対象、そして脅威が必要だ。

 

(普通の人生を送って、やつが満足できるような環境が揃うとも思えない)

 

どれだけ幸運だろうとも、金を持っていなければ無人のパチンコ店に入ったところで何も起こらない。一夏の運がどれだけ良くなろうとも、そもそも原因が無ければ結果は生まれない。つまり優によってISに触れる機会に恵まれようとも、ISを動かすための原因である妹の死が無ければどうにもならない。優の持つ幸運とは、その原因まで用意してしまうのではないか。

 

 

そして何より、妹の死が無ければ、エムという脅威は生まれない。

 

 

(あああああッ、クソッ!)

 

 

学園が襲撃されたことも、ラウラが敗北したことも、無理矢理学園に連れてこられた挙句、殺されそうになったシャルルのことも、そして一夏とエムのことも。元はと言えば自分が蒔いた種だ。自分が被害にあうのはもう構わない。しかし──

 

(もうこれ以上、誰かに不幸を押し付けるのは嫌だ……ッ!)

 

全ては自分が悪い。故に戦うのは自分一人であるべきだ。全ての事件が優の幸運に起因しているとすれば、もはやこれは幸運などでは無い。他者に不幸を強いるだけの疫病神だ。

 

(頼むから、もう誰も巻き込まないでくれ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて、とある少女は言った。

 

『幸福の定義など人それぞれ、時と場合と立場で大きく異なる。それでも尚、貴様にとっての幸運が訪れないというのであれば、貴様自身が明確な目的を持っていないのだろう』

 

かくして、八神優は幸運を定義した。彼女にとってのそれとは即ち、「彼女自身の能力に他者を巻き込まないこと」。

 

八神優を中心に据え、歯車が音を立てて回り始めた。




つまり一夏の絶対守るマンの原点は死なせてしまった妹だったんだよ!

ちなみにこの話について言い訳させていただきますと、本当はシャルルが死ぬはずだったんですけど、やっぱり生きろそなたは美しいって思って書き直してたらこんなんなりました。
本当はマジでシャルルのISを奪ってユウちゃんが戦う話書いてました。そのためにシャルルのISは初期設定ということにしてました。

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