IS-イカの・スメル-   作:織田竹和

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工口(こうぐち)だから! 工口(こうぐち)

一夏の更生は次回以降に持ち越し。シャルルの設定はなんか怒られそうだけど二次創作だからってことで許して。

5/21 修正 10話末「円夏」→「一夏」
17/06/02 修正 シャルパパの正式名が原作にて公開されたため、準拠


13

風と日差しを受け、ゆらゆらと揺れる白いカーテン。窓の向こう側にある青い空を、ベッドの上の女はじっと見つめている。

 

「シャルリーヌ! 大丈夫か!」

 

扉が勢いよく開かれる。肩で息をしながら、ワイシャツを汗でぐっしょりと濡らした男は、慣れない全力疾走による疲労のせいか、覚束ない足取りで一歩踏み出した。

 

「病院ではお静かにお願いします」

「あっ、ああ。すまない」

 

ひげを生やした医者らしき男性に窘められ、乱れた呼吸を整える。額から滑り落ちる汗をハンカチで拭い、男は一人の女性が横たわるベッドへと歩み寄った。

 

「シャルリーヌ、さっき電話で容体が急変したって……え、あ……」

「ふふっ、アルベールったら。面白い顔してどうしたの?」

 

ベッドの上で悪戯っぽく笑うシャルリーヌ。アルベールと呼ばれた男の視線は、彼女の腕の中で眠る小さな命に注がれていた。

 

「お喜びのところ申し訳ありませんが……」

 

思わず叫びだしそうだった内心を抑えつけ、医者の言葉を待つ。

 

「今のままでは、お子さんはあまり長く生きられないかもしれません。早急に手術を行うことをお勧めします」

 

 

 

 

 

 

 

「ならん。殺せ」

 

静かな声音とは裏腹に、そう言った老人の瞳には轟々と怒りの色が滲んでいた。あまりの迫力に、思わず息を呑むアルベール。暗い部屋の中、アンティーク調のランプがぼんやりとその表情を照らす。

 

「し、しかし、私は彼女を──」

「どこぞの田舎娘を勝手に孕ませた挙句、生まれた赤子もあの状態だ。貴様の齎した結果がどれほど愚かなものか、理解しているのか?」

 

言われて、言葉に詰まる。自分の行動がいかに身勝手だったことか。それはアルベール自身が最もよく分かっている。自分の愛した女性は、この老人のような者達にとっては到底同族として受け入れられない。それが分かっていたからこそ今まで隠れるように交際を続けていた。しかし子供が産まれてしまった以上、隠し続けるのにも限界がある。

 

いっそのこと逃げ出すか、説得して受け入れてもらうか。アルベールは後者を選んだ。選んでしまった。逃げ出した先に待つであろう後ろ盾のない生活への不安、許してもらえるならそれに越したことは無いという甘い願望。蓋を開けてみれば説得どころか取り付く島もない。

 

「貴様には、このデュノア家を継ぐという使命がある。デュノアの血統にあれは要らん。その阿婆擦れ共々殺せ。妙な噂が立つ前にな」

 

きつく拳を握りしめる。アルベールの手の平に爪が食い込み、じわりと痛みが滲んだ。

 

「安心しろ。代わりの女なら用意してやる」

「私は──ッ!」

 

愛する女性と我が子を侮辱され、ついに我慢できずに言葉を吐き出した。ランプの明かりが揺れる。

 

「私はっ! 彼女以外を妻とするつもりはない! 子供だって殺させない!」

 

一度口を開いてしまえば、堰を切ったように言葉があふれ出す。アルベールは感情に任せて目の前の老人に言葉をぶつけた。

 

「いい加減にしろよ! いつまでも古臭い選民思想に取り付かれた老害め! シャルリーヌもシャルロットもお前らなんかに触れさせるものか! この命に代えてでもあの二人だけは絶対に守ってみせる!」

 

アルベールの言葉を静かに聞き流していた老人は、やがて徐に懐へと手を伸ばした。

 

「そうか。それが貴様の意思か」

 

そっと引き抜かれた老人の手。その手の中で、黒く武骨なデザインの物が、重く光を反射する。

 

「残念だったな。アルベール」

 

直後、響き渡る渇いた発砲音。むせ返るような硝煙の匂い。一瞬何が起きたのか分からなかったアルベールだったが、自身の脚に鋭い痛みが走るや否や、たまらず声を上げた。

 

「ぐっ、あああああっ!」

 

太ももから血が流れ出す。上質な絨毯が赤く汚れていく。膝をつき、痛みをこらえるように唇をかみしめるアルベール。

 

「おい、誰かアルベールを地下室へ連れていけ」

 

扉の外に向けて老人が声をかけると、数人の黒いスーツを纏った男達がするりと室内へと現れ、脂汗を浮かべるアルベールを両脇から持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

あの女を殺す。子供を殺す。殺す。殺す。

 

何度その言葉をかけられたか分からない。アルベールは頭にこびりついた老人の声を振り払うように、がしがしと頭を掻いた。

 

深い金色の髪は乱れ、表情は陰鬱なものとなり、日に日にやせ細っていく。

 

「アルベール」

 

老人のしわがれた声が地下室にこだまする。格子越しにアルベールを見下ろす老人は、あの日と変わらぬ表情で告げた。

 

「いい加減、儂の言うことを聞いてくれんか」

「……………………」

「儂としても、貴様をここに閉じ込めておくのは本望ではない」

 

しかしあの日とは打って変わって、まるでアルベールを慮るようなことを言う老人。俯いたままのクロードの視線が、わずかに上を向く。

 

「……おね……い……す」

 

掠れたアルベールの声が地を転がるようにこぼれ出す。

 

「お願い、します。二人の、命だけは……」

 

アルベールの言葉に、老人の口元がにやりと歪む。

 

「アルベール」

 

重く、しわがれた言葉がアルベールの耳を不快に撫でる。

 

「例の女と子供は既に捕えてある」

「っ! そ、そんな!」

「だが──」

 

ばっと顔を上げるアルベールの目に、老人の醜悪な笑みが映った。

 

「貴様がこれから先、何があっても儂の指示に従うのであれば、命だけは見逃してやろう」

 

心が、折れる音がした。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「────はい、はい。すみません、まだ大きな情報は得られていません」

「────はい。分かりました。引き続き監視を続けます」

「────では、また明日報告します。父さ……社長」

 

 

 

朝。網膜に突き刺さりそうな、白く真っ直ぐな日差し。仄かに夏の気配を感じさせる。

 

「フランスは、今頃日付が変わってるころかな……」

 

シャルルは携帯電話を放り投げ、ベッドにその華奢な身体を預けた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「なるほどねえ。つまり今IS学園にいるガキは、デュノア社長の愛人の息子ってわけかい」

 

そう言って軍服のような物を着た女性は、写真を1枚、テーブルに放る。深い金髪の華奢な少年が映ったそれを、今度はテーブルを挟んで向かい側に座っていた女性が拾い上げ、スールの胸ポケットにしまった。

 

「ええ。さらに言えば、男性操縦者という肩書も、嘘である可能性が高いでしょう」

 

淡々と言う眼鏡をかけた女。軍服を着た女性は、今の言葉にぴくりと眉を動かした。

 

「ほう、そいつはどういうことだい?」

 

身を乗り出し、猛禽のような笑みを浮かべる。対して眼鏡の女は、冷静な表情を崩さない。

 

「写真の人物が本当に男性操縦者であれば、もっと大々的に宣伝するはずです」

 

デュノア社の御曹司がIS学園に編入したという話は、フランス本国においても有名な話()()()()

情報規制がなされているのか、殆どマスメディア等で取り上げられず、学園入学後に至っては一切音沙汰が無い。最初の男性操縦者が見つかった時と比べるとあまりにもその差は歴然としている。

学園に入学してしまった以上、一介のマスコミには情報を入手する術がないというのもあるのかもしれないが、デュノア社がそれを利用して今まで全く何もアピールしていなかった点についての違和感はたしかにあると、軍服の女性も頷いた。

というのも、IS企業としてのデュノア社の経営状況は現在芳しくない。第三世代型の研究に行き詰っているのが原因だとされている。故にわざわざ情報を規制してまで自分達の広告塔を手放す理由が見当たらない。

 

「そうは言っても、実際学園側の審査を通って男子生徒として入学できたのは事実じゃないか」

「ええ。ですから、恐らく何か裏があるのです。デュノア社にとって知られたくない裏が」

「いや、そう言いたくなる気持ちは分かるけどねえ、さすがにそれだけを根拠に動くのは無理がないかい?」

「では決定的な根拠があればいいのですね?」

 

眼鏡の女は、手元の端末を操作し、何らかのデータを呼びだした。そしてそれを見せつけるように、画面を女に向けながらテーブルに置く。

 

「記録上デュノア夫人が16年前に男児を出産したことになっていましたが、病院に残されていたログが最近になって偽造されていたことが判明しました。こちらも念入りに調査したのですが、結論として、デュノア夫妻の間に男児など一人も生まれていません。もちろん、愛人女性との間にも」

 

そこまで言われて、軍服の女性は得心がいったとでも言わんばかりにニヤリと笑った。

 

「なるほどねえ。にもかかわらず、IS学園には男として入学している。そりゃあ裏があるって思いたくもなるわけだ」

「それともう一つ」

「あん?」

 

眼鏡の女は勿体つける様に言葉を区切り、眼鏡を押し上げた。

 

「詳細までは分かりませんが、上手く行けば───」

 

眼鏡の女が呟いた言葉に、軍服の女性は目を見開いた。

 

「へえ、そいつはまた、気前のいい情報をどうも」

 

女性はそう言って立ち上がった。シャツの内側から鍛え抜かれた筋肉が隆々と自己主張する。大柄な女性は、眼鏡の女を見下ろして言った。

 

「今回の件、私達(アンネイムド)も一枚噛ませてもらおうじゃないか。亡国機業さん?」

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

人生とは往々にして、選択肢の連続である。

 

(俺の名は五反田弾。将来プリキュアになることが運命づけられているどこにでもいる普通の高校生……だったんだが、今俺は選択を迫られている)

 

日課である脳内モノローグに、いつもとは違う一節が組み込まれる。PCモニターを凝視しながら、弾は深いため息をついた。

 

その日、五反田弾は悩んでいた。一体どうすればいいのかと。彼の目の前には選択肢が二つ。そして彼が選ぶことができるのは、どちらか一方のみ。

 

「嗚呼、神は俺に試練を与えたもうた……」

 

額に手を当て、苦悶にその顔を歪める。

朝のホームルームが始まる前には結論を出したい。悶々と思考をめぐらせている弾を、扉をノックする音が現実に引き戻す。

 

 

 

 

 

「なあ弾、さっきから難しい顔してどうしたんだ?」

 

(コイツの名は織斑一夏。中学からの親友で将来の夢はプリキュア。イケメンでモテるが鈍感な部分がありラノベ主人公のような男だ。小中の間の9年間で、やつの周りには入れ替わるように女が集う。最初の一人については知らないが、二人目の幼馴染については三人目の女と共に中学時代の俺の友人でもある。両親は不明。厳格な姉と二人暮らしをしていたせいか、本人も多少の影響を受けている。主に悪い方向に。具体的には、ギャグセンスが壊滅している。本人曰く「狙ったギャグでウケたことがない」とのこと。同年代女子3人と美人な姉、さらに学園入学後に早速対立していた英国からの留学生も含めて5人。さらにフランス産の男の娘も含めて6人。こうしてみると、存在そのものがギャグのような男だ。随分俺もやきもきさせられたが、最近は三人目の女とよく一緒にいるところを見かける。ようやく進展が見えたと喜ぶべきか、ハーレム崩壊の兆しと取るべきか)

 

同じテーブルで朝食をとっている一夏に訊ねられ、弾は思わずハッとした。どうやら目の前の親友に心配をかけてしまっていたらしい。弾らしくない失態だった。

 

(これは俺の問題……一夏を巻き込むわけにはいかねえってのに悟られちまうとは……俺もまだまだだぜ)

 

日頃からポーカーフェイスを心掛けている弾は、すぐさま表情をいつものように修正し、一夏に向き直った。

 

「あー、いや、気にするな。大した問題じゃない」

「そうか? 早く食べないと時間なくなるぞ?」

 

弾の考えなど何も知らない一夏は、呑気に箸を動かしている。それを見て静かに苦笑する弾。その目は優しかった。

 

「なあ一夏、そういえばデュノアのお坊ちゃんはどうした?」

「お坊ちゃん?」

「なんだ一夏。知らなかったのか? デュノアって言えばフランスで有名なISメーカーだぜ?」

 

弾の言葉に、目を丸くして箸を止める一夏。

デュノア社とは、フランスに本社を置く企業であり、近年IS関連事業において目覚ましい業績を上げている。ここIS学園でもラファール・リヴァイヴという量産機が一部採用されており、同機のシェアは世界第三位を誇る。少なくともIS界隈に身を置く人間にとって、その名を知らぬ者はモグリやにわかと謗られても仕方ない程度には有名企業である。

 

「へえー。そりゃ初耳だ」

「リアクション薄いな。もっと驚けよ。せめて服が弾け飛ぶくらいの気概を見せろよ」

「驚く度に裸になってたまるかよ。ナニ立てジャパンや食ナニのソーマみたいな期待を俺にかけるな」

「仕方ねえな。手本を見せてやんよ。この俺が」

「やめろ! マジで出来そうだからやめろ!」

 

いつもの会話。変わり映えの無い日常。こんな日々がいつまでも続くと、五反田弾は、そう思っていた。否、願っていた。

 

「それで、シャルル王子はどうしたんだよ」

「シャルルなら朝は弱いから後で来るんだとさ。というか王子って何だよ」

「女子たちの間で出回ってるシャルル・デュノアの呼び名だ」

「マジかよ。王子なんていうクソダサいあだ名つけるやつってマジでいるのか。あと朝っぱらから一度にたくさんの新情報が入ってきて混乱しそう」

 

雑談を交えながら、朝食を咀嚼していく。弾はオムレツを口に放り込み、あまりの甘みの無さに思わずむっと表情を顰めた。五反田弾は甘い玉子焼きを好むのだ。なぜそれが分からないのか。仮にオムレツだとしても、それは変わらない。甘みがあれば許すのだ。寛大な処置だというのに、なぜそれが分からないのか。弾には不思議で仕方なかった。

 

「よっしゃ! じゃあそんな脳内キャパが新OSを使えない老害レベルなワンサマー氏にさらなる新情報だ! 混乱の渦にたたき込んでやるぜ!」

「おいやめろ」

 

弾はやれやれと言ったように手を広げ、首を横に振った。その顔は凄まじくドヤ顔だった。

 

「やめ

 

 

 なーい」

 

「おう弾てめえいつになく腹立つじゃねえかおい」

「まあ落ち着け一夏。とりあえずこれだけは忘れるな。デュノア社とか激ダサニックネームis王子については忘れてもいいがこれだけは忘れるな」

 

弾はチキンライスに刺さっている旗を抜き、どこか様になっている動作で一夏に向けた。

 

「あいつは何かを隠している可能性が高い。気を付けろ」

 

重圧感すら感じさせる弾の視線が真っ直ぐに一夏を射抜く。突然の忠告にぽかんと呆ける一夏。

 

「気を付けろって……どういうことだ?」

 

未だ状況を飲み込めていない一夏に対し、弾は顔を寄せ、周囲に聞かれないように声量を落とした。

 

「あくまで噂だが、シャルル・デュノアが二人目の男性操縦者だと判明した際、報道機関に圧力が掛かったらしい。そのせいか、実はフランスではあいつの存在自体、そこまでメジャーじゃねえんだ」

「……その噂って、どれくらい信用できるんだ?」

「分からん。が、実際今フランスにいる俺の仲間(ギルメン)のエージェントに聞いたところによると、シャルルについては初耳だと言っていた。念のため現地にいる他の人間にも確認を取ってもらったんだが、ネットでそういう話がチラホラ出てるって程度で、テレビも新聞も何も言っていないらしい」

 

弾の言葉に、表情をこわばらせる一夏。ごくりと喉仏が上下した。

 

さらに件のエージェントことコードネーム〈god_rope_prpr〉によると、ここ最近デュノア社の株は少しずつ下落しているとのこと。他社と比べて第三世代型の開発が遅れていることが原因だとされているが、それはともかくとして、現状を鑑みるに、男性操縦者というビッグニュースを使って何もアピールしないというのは不自然だという。

 

「──というわけだ」

「なるほどな……」

 

弾は仲間から得た情報を矢継ぎ早に一夏に伝えた。弾の気迫に釣られたのか、一夏もまた神妙な表情で頷いている。

 

「それで弾」

「なんだ?」

 

互いに真剣そのもの。声を顰め、周囲を伺う。やがて一夏は意を決したように口を開いた。

 

「……その話が事実だったら、何がどうなるんだ?」

 

弾は考えた。ここでどの程度一夏に話して良いのだろうかと。あまり多くを話すと、一夏に本格的に危険が及んでしまうのではないか。目の前の親友を見つめる。果たして自分はどのような選択をすべきなのか。

 

「……もし事実だったら」

 

ごくりと唾をのむ一夏。氷の入ったグラスが涼しげな音を立てる。

 

「事実だったら……?」

 

手に持った旗を徐にトレイに置く。肘をつき、顔の前で両手を組んだ。

 

「事実だったら……」

 

周囲の雑音が遠ざかる。弾の言葉に集中する一夏。やがて弾は一度目を伏せ、ゆっくりとその瞼を開いた。

 

「───ヤバイことになる。これだけはたしかだ」

 

親友に嘘をつきたくない。何より一夏の目を見ればわかる。これは覚悟をした者の目だ。戦士の眼光だ。嘘で誤魔化すことなど許されない。自分の考えを全て伝えよう。その上で親友の判断を尊重、リスペクトしよう。これが五反田弾の選択だった。

 

「ヤバイ、こと……!?」

 

弾から告げられたあまりにも衝撃的な事実に、一夏は思わず目を見開いた。

 

「ヤバイことって……ヤバいことって何だよ! なあ弾! 答えてくれよ!」

 

一夏の悲鳴にも似た悲痛な叫び。絞り出すように吐き出されたそれに、弾は苦悶の表情を浮かべ、トレイに置いた旗を見た。その先端にはチキンライスの色が付いていた。

 

「ヤバいことは……ヤバいことだろ……! 何かを隠してるんだぞ!? それって……ヤバいだろ……っ!」

「そんな……っ、なんで、そんなヤバいことが……!」

 

思わず頭を抱え、テーブルに突っ伏す一夏。そんな一夏の肩に、弾は徐に手を置いた。

 

「一夏、たしかにヤバいことにはなるが……」

 

ニヤリと笑う弾。ニヒルに歪められた口元から八重歯が覗く。

 

「まだ、どれくらいヤバイかは決まってないぜ?」

「だ、弾! それって……!」

「ああ。もしかしたら、多少ヤバイで済むかもしれねえ」

 

一夏の目に希望の光がともる。たしかに弾の言う通り、未だどれくらいヤバくなるかは分かっていない。しかしそうはいっても、本当に『多少ヤバイ』で済むかは分からない。割とヤバイかもしれないし、結構ヤバイかもしれない。所詮は希望的観測だった。

 

そしてそれが分からぬ一夏ではない。一夏は、きっと目の前の親友は自分を励まそうとしているのだと思った。単純に都合の良い可能性を述べて、少しでも前向きに事を見つめようと言いたいのだと、そう思った。

 

しかし五反田弾は、一夏の予想を軽々と裏切ってみせる。

 

「だからお前が何とかするんだ一夏。数多の選択肢を乗り越えて、多少ヤバかったで終わるハッピーエンドまでの道を、お前の力で切り拓くんだ!」

 

弾の力強い言葉に、思わずハッとする一夏。そうだ、何を弱気になっている。未来がどうなるのか分からないのであれば、望む未来のために力を尽くせばいい。

 

「弾……ああっ! 俺、やるよ! 多少ヤバかったなって、みんなで笑いあえるように!」

 

互いに微笑み合う二人。いつしか二人の手はしっかりと繋がれていた。

 

「さて弾、そろそろ冗談は終わりにするとして」

「おう」

「結局よく分かってないんだな?」

「おう」

「しかしシャルルが何かを隠しているのは事実だと」

「おう」

「一体何を隠してるんだろうな……」

「おう?」

「ああ、分かってる。何か起きてからじゃ遅いからな。なるべく注意するよ」

「おう!」

 

トレイに置いた旗を手に取り、くるくると弄ぶ弾。くるくると安っぽい紙が風を切る。

 

(ふっ、成長したな、一夏)

 

頼もしく頷く一夏に、弾は安心したように息をついた。かつてのヒヨッコだった一夏は、いつの間にか自分の手元を離れようとしている。師匠としては嬉しく思うべきなのかもしれないが、どこか一抹の寂しさに似たものを感じるのもまた事実だった。

 

(今のお前になら、話せるかもしれねえな)

 

今朝、弾を悩ませた二つの選択肢。二者択一。どちらを取るべきか。弾は答えを出せないでいた。

 

「なあ一夏。話は変わるが、ちょいと相談があってな」

 

今の親友なら、答えに至るための何かをくれるかもれない。

 

「お前の目の前に二つの選択肢があったとする。片方はかつて通った道。もう片方は未知の道だ」

「未知の道って言いたかっただけじゃ」

「黙れ。選べるのはどちらか一方のみ。お前ならどっちを選ぶ?」

 

うんうんと悩む素振りなど一切見せず、一夏は間の抜けた面でこれまた危機感ゼロの回答を口にした。

 

「詳しくは分かんないけど、そんなの、未知の道だろ。だって一度通ったんならどんな結果になるかも分かってるんだし」

 

一夏のあまりにも事態を軽く見た回答に、思わず舌打ちしたくなる気持ちを抑えつける弾。やはり一夏にはまだ早かったかという考えが浮かぶが、同時に自身の言葉を顧みて、些か説明が不足していたかもしれないと思い直す。

 

「すまん。言葉が足りなかったな。正確には、『かつて同じような道を通った』って感じだ。つまりどんな結果になるかはある程度は予測できるが、僅かながらに裏切られる可能性も秘めている」

「なるほどな。俺としては一生秘めたままでいてもらって構わな」

「黙れ。それで、お前ならどっちを選ぶ?」

 

今度はきちんとうんうんと悩む、などということもなく、再度あからさまに浅慮な回答を口にした。

 

「まあ、俺ならやっぱ未知の道かなあ」

「浅はかアアアッ! 浅はかだぞオオオ一夏アアアアアッ! お前、この選択がどれほど重要なものか……」

「なあ弾」

 

旗をぶんぶん振りながら激昂する弾を諌めるように、冷静な一夏の声が弾の言葉の熱に水を差す。

 

「な、なんだよ?」

「男はさ……」

 

一夏は弾に向けて微笑んだ。その微笑は適当さにあふれていた。

 

「男は度胸。何でも試してみるもんだろ?」

 

その言葉に、思わずハッとする弾。目を見開く弾の手から安っぽい旗が滑り落ちる。

 

(俺は、恐れていたのか?)

 

未知の領域。今まで踏み入れたことの無い道に、自分は恐れていたのかもしれない。そして目の前の親友は、そんな自分の内心を見透かしていたのかもしれない。今足りない物は度胸だと。何でも試してみるフロンティアスピリッツだと。

そしてこの恐怖という感情に気付かせてくれた。一夏に話して良かった。やはり己の目に狂いは無かった。弾はそう思うと、とうとう笑いをこらえきれなかった。

 

「クククク……ハハハハハッ! あー、なるほど。なるほどなあ。いや、さすが一夏だぜ。まさかお前にそんな基本的なことを気付かされるとはなあ」

「度胸で即決が基本って相当ヤバい世界だけどな」

「サンキューな一夏。お前のおかげで俺の選ぶべき道が見えてきた気がするぜ。お前は俺に天啓をくれた。まさしく神に等しい」

 

ニカッと眩い笑顔の弾。引き気味に冷や汗な一夏。

 

「お、おおう。なんかそんな清々しく突き抜けた笑顔で言われるとちょっと不安になってくるな。とりあえず他の人の意見も聞いてくれ」

「わかったぜ! 一夏神が言うなら間違いないぜ! さすが俺と将来(プリキュアになること)を誓い合っただけのことはあるぜ!」

「待って」

「いいや待たないね!」

 

弾の瞳は少年のようにキラキラ輝いている。一夏の瞳は狂気を感じさせる親友に動揺している。

 

「さっそく神の言うこと無視してんじゃ」

「お黙れ。ヒャッホオウ! 俺は他の人の意見を聞くぜぇ! 待っててくれよな、みんな!」

 

言葉の頭に『お』をつけることは相手への敬意を表す。神への敬意を忘れない、五反田弾は信心深い男だった。

既に空になった皿が乗ったトレイを返却カウンターにぶん投げてシュート。せずに、落ち着いた動作でトレイを置く。五反田弾は礼儀正しい男なのだ。そして軽い足取りで校舎へと向かった。

 

 

「初日以降妙に大人しい(シリアスが多い)と思ったら……ついに発作が来たか」

「あれって絶対周りが困ってるのを見て楽しんでるだけよね。あ、一夏。口元にソース着いてる。動かないでね」

「んっ……悪いな。まあ、退屈しないし俺は結構好きだけどな」

「あんたのそのメンタル何なのよ。仏? それはそうと最近ユウと何かあった?」

「さーて、俺もそろそろ教室に」

「一夏? あたしも仏メンタルなつもりだけど仏の顔も三度までよ? もう一度聞くわ。ユウと何かあった?」

 

 

もしかしたらあの男は、ただ単にこの危機を察知して適当に理由をつけて逃げただけなのかもしれない。薄れゆく平穏の中で一夏はそう思った。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

時に、「朝に弱い」という言葉の対義語は何だろうか。「夜に強い」だろうか。それは何とも卑猥だ。

五反田弾はそんなことを一人静かに考えながら校舎の入り口に辿り着いた。

IS学園。本来ならば女子生徒しかいないはずのこの学園に、しかし今は3人の男子生徒が在籍している。そして何を隠そう、五反田弾もまたその選ばれし三傑の一人なのだ。

 

「今日もいい校舎だ。特にこの自動ドアの灰色のボタン的シールが何ともセクシーで」

「閣下? どうなされたのですか?」

 

じっとドアを観察していた弾の背後から、堅苦しい口調が飛んでくる。振り返らずとも弾には分かった。五反田弾は多少付き合いの長い相手なら、わざわざ振り返らずとも声と話し方だけで大体誰か分かるのだ。その的中率は6割5分を誇る。

 

「ラウラか。いや、ちょっと自動ドアの灰色のやつをな……」

 

弾は振り返らずに、灰色のやつの周辺ををゆっくりと撫でまわした。扉そのものにシールか何かを張り付けただけにも見えるそれは、扉との境界を一切感じさせない。まるでどこぞの中華娘のようなフラット感。灰色の部分に触れてしまうと扉が開いてしまう。

しかし五反田弾はそんじょそこらの灰色のやつ撫でシストではない。凸凹が無いせいでほんの数センチ指先がずれると扉が開いてしまうのだが、弾のテクニシャンな指先はそれを許さない。絶妙な縁撫(ふちなで)力を発揮する。

 

一通り堪能したのか、或いは弾の周囲を迷惑そうに避けていく生徒達に慈悲の心を示したのか、弾はついに振り返った。

 

(こいつはラウラ・ボーデヴィッヒ。銀髪で、眼帯の下にオッドアイの魔眼を持つ。ドイツ軍の重鎮にして、近接遠距離なんでもござれな凄腕の戦士だ。しかし一方で、生来の素直な性根のせいか、非常に騙されやすいところもある。ラウラの部下であるクラリッサという女は、よくラウラに日本の間違った文化を吹き込んでいた。そのせいかラウラは未だに、サンタクロースは実在しており、その正体はニンジャだという話を信じている。誰か訂正してやれ。そしてなぜか俺のことを閣下と呼ぶ。一体なぜなんだ? 俺が指示したからか? 一体なぜ俺は閣下と呼ばれているんだ……分からない……。俺が指示したからなのか? プリキュアではない)

 

弾の視線の先には、小柄な体躯に武骨な眼帯。そして雪のような白い肌によく映える銀髪が煌めいていた。

目と目が合う。そして互いに爽やかに微笑み合った。

 

「煩わしい太陽ですね、閣下」

「ふっ、蒼い空の下で咲く一輪の花の調べ(こんにちは。いいお天気ですね)」

 

軽い挨拶を交わし、ゆったりとした足取りで校内へと進む。

 

「体調はどうだ?」

「もう大丈夫です。VTシステムの後遺症も特にありません」

 

朝の校舎。独特の喧騒と空気感。日差しが窓から差し込み、慌ただしく歩む生徒達を白く照らす。こうしてのんびりと廊下を歩いている間にも数多の生徒達が弾とラウラを通り過ぎていく。

 

「その……先日は申し訳ありませんでした。閣下にお見苦しいものをお見せしただけではなく、閣下のご友人にも刃を向けてしまって……」

 

俯くラウラ。いつにもましてどこか小さく見える少女に、弾はアメリカのホームドラマに登場する人物のように、大げさに肩をすくめた。そして片目を閉じ、鼻からため息をつく。口の端がドヤっと吊り上がっている。

 

「気にするな。誰もお前を責めちゃいない。むしろユウなんて、なぜか一夏のことを睨んでたからなあ」

 

五反田弾の観察眼は鋭い。卓越した洞察力で全てを見抜くのだ。

 

「そういえばラウラ、ちょっと相談があるんだが」

「相談、ですか?…………ん?」

 

きょとんと小首を傾げ、弾を見上げるラウラだったが、しばらく静止したかと思うと、今度はみるみるその表情が驚愕に染まっていく。

 

「閣下が……私に……相談……? 命令などではなく、相談!?」

 

小首を傾げたまま口をあんぐりと開け、目を大きく見開くラウラ。背景で雷がゴロゴロピシャーとなるほどの衝撃だった。

 

「そうなんだ。相談だ」

「わ、私で良ければお聞きします! 閣下の御信頼に全身全霊で応えて見せます!」

 

何気に韻を踏んだことをスルーされ、弾は深い悲しみに包まれた。しかしそれは一旦さておき、ぴょんぴょこ元気に跳ねるラウラを見て、弾は何と声をかけようか逡巡する。静かに目を閉じ、内なる己に語りかけた。一体この少女に何と言って伝えようかと。

 

「ラウラ、人は皆、何か困難に立ち向かっていく。それを打倒せんと、知恵を絞り、力を尽くす。しかしそれでも敵わない時もあるだろう。乗り越えられなかった困難。その先に待つのは屈辱だ」

 

ゆっくりと目を開き、無駄に流し目でラウラを見つめる。

 

「ラウラ。お前はそれを良しとするか?」

 

弾の問いに、ラウラは真剣な表情で唸った。そこに適当さは無い。ただ己が敬愛する師の問いかけに誠実に向き合う。清廉とした精神がなせる業である。

 

「そうならないために全力を尽くすのは当然ですが、万が一目標達成に至らなかった場合、そのこと自体を責めても仕方ありません。むしろ、そこからどうするかを考えます。結果の是非を問うのは全てが終わった後です」

「なるほど。起きちまったことは仕方ねえ。だからさっさと切り替えるってことか」

「端的に言うとそういうことです。お役に立てましたか?」

「いや別に」

「それならよか……えっ、あ、そ、そうで、すか……」

 

それはそうである。良し悪しを問うているにもかかわらず、良し悪しなど考えないと返されれば、お役に立てるはずがない。

 

目に見えて落ち込むラウラ。しょぼくれたあまり、先程と比して尚、よりその姿は小さく見える。

どんよりと力のない足取りで自分の教室を目指すラウラを、弾は敬礼しながら見送った。その表情は、まるで殉職した軍人を見送る上官のようであった。

 

「強く生きろ。ラウラ……!」

 

『お前が言うな!』

 

同じ廊下にいた生徒達の心が一つになった瞬間だった。

 

「ハハハ。こりゃ参ったね」

 

こつんと額に拳を当てる動作と共に、廊下は再び怒りで支配された。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

教室に入った弾は、ちらりと時計を見た。まだHRまで幾ばくかの余裕がある。

 

「セシリアアアアアッ!」

「はいいいいいいいっ!?」

 

(こいつはセシリア・オルコット。パツキンのチャンネーでガイジンサンだ。割と良いヤツでスーパーブルジョワジーだが根はちょろくて騙されやすい。そしてちょろいくせにプライドが高くて目立ちたがり屋。入学早々一夏と対立し、対立は惚れるフラグなので恐らく既に一夏ハーレムの一員。このクラスの代表であり、実は対抗戦の実質的優勝者でもある。いろいろあって対抗戦自体は有耶無耶になってしまったが。物語後半から第三のプリキュアとして覚醒。俺たちと共に戦う)

 

バンッと音を立て、教室にあるとある机に勢い良く手を突く弾。その机の主は、金の髪をカールさせたお嬢様ドリルヘアーだった。あまりの剣幕にあからさまに怯えるセシリアを見て、弾は今自分がやってしまったことを思い知った。そして今度は、目の前で怯えているセシリアを落ち着かせるために、弾はどうするべきかと考えた。

 

考えただけだった。

 

「さてセシリア」

「な、なんでしょう……?」

 

びくびくとしながらも、弾の目を見てきちんと対応する辺り、さすがは英国貴族だ。若干涙目になったセシリアの目を弾もまたじっと見つめる。

 

「セシリア……俺の言いたいこと、もう分かってるよな?」

「えっ、それって……」

 

真剣な眼差しの弾に、セシリアはどきりと胸を弾ませた。頬が赤く染まり、もじもじと手を組みかえる。

 

「も、もうっ! からかわないでくださいまし!」

「セシリア、俺本気なんだ……」

「ふぇっ!? お、お気持ちは嬉しいのですが、まだ心の準備が」

「本気で相談があるんだ!」

「ひぅっ!?」

 

再度バンバンと机を叩く弾。どうやら気に入ったらしい。机を叩く度、セシリアがびくりと震え、セシリアのカールしたドリルヘアーもまたびくびく揺れる。

 

「そ、相談? わたくしに、ですか?」

「そうなんだ。相談だ」

「えっと、それだけ……でしょうか?」

「…………それだけ、だ」

「あ、あはは……その、どういった、ご相談ですか?」

 

微妙に噛み合っているようで噛み合っていない会話。

 

なんだかんだ夢見る乙女なセシリアは肩透かしをくらったような気分になりながらも、何とか会話を繋ぐ。ただの相談だけ。一瞬妙な期待感にそわそわしていた自分が恥ずかしく、そして虚しい。その背中は僅かに煤けていた。

 

一方で弾は再び押韻をスルーされ、またしても深い悲しみに包まれていた。それどころか、何気なくかました一撃に対し、急所を抉り取るような壮絶なカウンターを返され、弾は失意の中、自分の髪が真っ白になって行くような錯覚に陥っていた。想像してほしい。ほんの思い付きで口にしたジョークを、「え、それだけ?」で一蹴されてしまった時の気持ちを。しかもその後、「あ、あはは。まあ、それはさておき……」的な感じで、まるで慰めるかのような渇いた笑いと共に軽く流された時の気持ちを。

 

「……? 弾さん、今泣いて……」

「な、泣いてなんかないやい!」

 

男の子は泣かない。何故なら男の子だから。

 

居たたまれない空気を払拭するかのように、弾は一度深呼吸をしてから再び本題を切り出した。

 

「セシリア。仮に、仮にだ。お前に愛した女がいたとしよう。そいつは全く異なる文化の下で、全く異なる価値観を持って生活してきた。食べるものも、髪や肌の色だって違う。ルーツだって違う。お前なら……そいつを理解し、受け入れることができるか?」

 

セシリアは一瞬、弾が何を言っているのか掴み損ねていたが、ややあって、その白い肌は茹蛸の様に紅く染まっていった。今にも湯気が上がりそうなセシリアを前に、弾は依然として真剣な眼差しを送っている。妙な緊迫感が支配する二人の間に、ぽつりと言葉が零れた。

 

「わたくしなら……」

 

ゆっくりと、丁寧に、取り落とさないように言葉を紡ぐ。

 

「わたくしなら、それでも受け入れ、理解しようとしますわ」

 

セシリアの言葉に、弾は一瞬驚いたように目を丸くした。

 

「ほう。何故だ? 価値観はおろか、ろくにコミュニケーションが成り立つかもわからないのに」

「そうですわね。例えば、欧州の島国と、極東の島国。同じ島国なのに、言葉も文化も料理も髪も肌も、何もかも異なります」

「それって……」

「それでも!」

 

弾の言葉を遮るように、セシリアは弾む声で言った。ふわりと、柔らかい笑みを浮かべて。

 

「それでも、今こうして、わたくし達は同じ場所、同じ時を過ごしています。自分と違う、異なる存在だからといって切り捨てなければならないほど、この世界は意地悪ではありませんわ」

 

弾は静かに俯き、佇んでいる。セシリアの言葉を噛み締めるように、何かを考え込むように。やがて顔を上げセシリアを真っ直ぐと見据えた。何かを決意した漢の顔が、そこにはあった。

 

「ありがとう。セシリア。お前のおかげで、決心が着いたよ」

 

ずっと弾を縛り付けてきた難問。

 

「俺は答えを得た」

 

弾は踵を返し、出口へと向かう。

 

「ちょ、ちょっと弾さん!? もうすぐHRが」

「俺、決めたんだ」

 

振り向く弾。憑き物が落ちたような、清々しい笑顔。

 

「セシリアのおかげだ。まさかお前があんなに……」

「弾さん……」

「あんなに、人外属性を推しているとは思わなかった」

「わたくしも……え、じ、人外?」

 

弾は自嘲気味に口の端を吊り上げ、ぽつりぽつりと語りだした。

 

「ずっと購入ボタンが押せなかった」

「こ、購入?」

「なかなか、新しい扉を開く勇気が無くて。でも俺、買うよ。セシリアが背中を押してくれた……モンスター娘とイチャラブちゅっちゅするゲーム」

 

弾は当初、既にアニメ化や漫画化といったメディアミックスが展開されている作品を買おうとしていた。しかしネトゲ仲間からの勧めで、とある作品も購入候補に入れていたのだ。しかしその作品は今までやったことの無いジャンル。そして財布の都合上、選べるのはどちらか一方のみ。

 

だが弾は決めたのだ。未知なる道を進むと。モンスター娘に逆【ピー】プされると!

 

 

「だから一緒にやろうな! もんむすクエスト!」

 

 

飛び切りのサムズアップ。親指を立て、ばちこーんとウインク。コミカルな仕草を呆然とするセシリアに見せつけ、弾は教室を飛び出した。

 

 

 

 

 

結局、弾がただ単にゲームを買おうとしていただけだと気付くのに数分。セシリアの背中は今度こそ煤けていた。

ちなみに弾からの質問がそもそもの前提からしてずれていたことと、弾が買おうと言ったのが所謂工口ゲーだということに、セシリアは最後まで気づかなかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「あ、山田先生」

「おはようございます、五反田君。そろそろHR始まりますよ?」

「すいません、今日はちょっと……」

「ど、どうしたんですか? 何か具合でも……」

「はい。男の子の日なので」

「お、男の子の日?」

「そうなんです。もう3日目なんで辛くて辛くて」

「わ、分かりました! 織斑先生には私から伝えておきます!」

 

余談だが、この後山田真耶は織斑千冬を最も困惑させた女として、IS学園史にその名を刻むことになる。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

寮に戻り、ネットでの購入手続きを済ませた弾は、特にすることも無く、学園内を散策していた。

 

「欠席ではなく遅刻にしておくべきだったか……」

 

途中で副担任である山田真耶とすれ違った際、とっさに欠席だと言ってしまったことを、弾は今更になって僅かに後悔していた。とはいえ想像していた以上に暇を持て余した弾だったが、一方でみんなが授業を受けている瞬間に、自分は同じ学園内にいながらもその輪から逸脱しているという、ある種特別な時間を満喫していた。

 

「お、あそこにいるのは……」

 

どうやらこの特別な瞬間を享受していたのは自分だけではなかったようだ。

弾は見覚えのある後ろ姿に向かって声を投げかけた。

 

「ユウ。こんなところで何してんだ?」

「……五反田くんこそ、どうしたの?」

 

黒髪が揺れる。弾の目線の先にいる女子生徒はゆっくりと振り返った。何かめんどくさいものを見つけてしまったような声色と、何かめんどくさいものを見つけてしまったような表情で。しかしそれも一瞬のこと。ふと見れば、いつもの優等生で優しそうな少女がそこにいた。

 

(八神優。黒髪赤目でスタイルも悪くない美少女という、ヒロインも主人公もこなせそうな外見スペックと「委員長()()()」「()()優等生」「()()に抜けた部分()ある」というなかなか煮え切らない中途半端なキャラを持つ。言動や口調に特徴が無い。キャラが薄いとか立っていないというより、微妙に立ち切っていない。ゲームで例えるならば、メインでもなければサブにもなり切れず、かといって見た目は間違いなくメイン級なのでモブにしておくこともできず、扱いに困った結果そもそも登場しない又はレジェンド的な扱いになるキャラ。もっとガツガツお節介を焼いたり、プライドが高いトップといった方向に突き抜けるか、あるいは何かしらのデカいギャップが欲しいところ。実は一夏というビッグニュースの陰に隠れがちだが、ユウの見た目や戦う姿を見た者、あるいは少し抜けた部分が顕わになったせいか、中学時代同様、既に一定数のシンパがいる。しかし中学時代同様、本人は何も知らないのでユウのキャラ構築に何も寄与していない。いずれ俺と一夏に変身アイテムを授ける役目を持つイケメンマスコットポジション)

 

「俺の方は野暮用でな。そっちは?」

「うーん、じゃあ私の方も野暮用かな」

 

そう言ってにこにこと微笑む優。しかし弾には分かってしまう。日頃からポーカーフェイスを嗜む弾は分かってしまうのだ。その笑顔の裏に何かがあることが。

 

「……野暮用ってのは、対抗戦の件に何か関係あるのか?」

「…………………」

 

一瞬、優の目元がぴくりと動く。当てたとまでは行かずとも、かすりはしたようだ。

 

「そういえばあの時……ユウの動き、おかしかったな」

「……よく見てるね」

 

今度こそ引き当てたようだ。優の笑みに観念したような色が差す。隠し事がバレたとでも言わんばかりに、優はため息をついた。

 

「まあ、ちょっとISを検査に出しただけだよ。何か不調っぽかったし。業者の人がこの時間帯に来るっていうから、先生に言って遅刻させてもらったってわけ」

「……そうか」

 

そう口にする優の表情は、やはりどこか陰がある。まだ何かあるんじゃないのかとも思う弾だったが、さすがにそこまで野暮にはなれなかった。彼女の抱えている物を引っ張りだすのは自分の役目ではない。それよりも弾には確かめなければならないことがあるのだ。

 

「なあユウ、最近一夏とはどうなんだ?」

「え゛っ……いや、ど、どうって何が?」

「そのまんまの意味だ」

「いやいや、だからどうって聞かれても……特に変わったことは無いよ。いつも通り」

 

唐突な質問に一瞬ぎょっとする優だったが、二言目には平静を装い、いつもの朗らかな彼女に戻る。

 

弾は、自分の親友が目の前の女子生徒に懐いているのを知っていた。否、それは懐くというより、依存と執着と憧憬がごちゃ混ぜになった、歪な何かであることを知っていた。

弾が内心で密かに「微妙にキャラが立ち切ってない」と評するこの少女にこそ、織斑一夏は特別な感情を向けている。命の恩人であるこの少女に。

 

そして彼女はその歪さに、何となくではあるものの気付き始めているのではないか。

 

「なあ、ユウ」

 

だからだろうか。

 

「一夏のこと……」

 

前を向いたまま、隣の少女には目を向けず、

 

「……いや、すまん。やめとく。ただ、アイツは悪いヤツじゃない」

 

柄にもなく、そんなことを言ってしまったのは。

 

 

 

 

「……分かってるよ。そんなこと」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ラファールはこれで全てですね?」

「はい。ありがとうございました」

「いえいえ、これが私達の仕事ですから」

「では駅までお見送りさせていただきます」

「あー、いえ、送るのは他のメンバーだけで結構です。私にはまだやる事が残っていますので」

「やる事、ですか?」

「はい。弊社のテストパイロットであり、我が国の代表候補生であるシャルル様の専用機のメンテナンスも指示されておりまして」

「あ、でしたら今放送を……」

「あー、いえ、本人と直接連絡を取りますので結構です」

「……? はあ、そうですか?」

 

学園内にあるデュノア社製の機体を全て整備し終えたメンテナンスチームは、一人を除き、IS学園の職員と数名の警備員によって外へ連れ出された。警備上の都合か、基本的にIS学園の出入りについてはこのように監視が付けられる。本人たちはあくまで『見送り』と言い張るのだろうが、疚しいところのある者からすれば監視以外の何物でもなかった。

 

(メンテナンスチーム、ねえ。本物は今頃、海の底だろうさ)

 

そしてその疚しいところのあるオータムからしてみれば、いつ自分がボロを出さないか不安で不安で仕方なかった。変装用の眼鏡を、中指で小さく持ち上げる。

 

「とりあえず移動すっか」

 

オータムは校舎の中へと、まるで馴染みの喫茶店の扉を開く常連客のように、淀みの無い足取りで侵入した。周囲に全く違和感を抱かせない身のこなし。まるで彼女がそこに居るのが当たり前であるかのような錯覚すら覚える。

 

「さーて、下見下見っと」

 

気怠げな声でそう言う彼女の姿は、先程までの理知的なキャリアウーマンの面影など欠片も無い。まるで休日に散歩でもしているかのように、気負わず、適当で、されどその眼光は、塵一つ見逃さないと言わんばかりに鋭く尖っていた。

 

(しっかし授業中とはいえ、不用心すぎだろ)

 

校舎からは人の気配はしているというのに、廊下には一向に人影が見当たらない。監視カメラの類は確かに作動しているが、変装しているオータムには怖くもなんともなかった。

 

「こりゃ、思ったより早く終わりそうだ」

 

などと呟いた、その時だった。

 

「そういえばセシリアのやつ、あれで案外人外属性もいけるみたいだぞ」

「人外!? あ、いや、えーっと、まあ意味は良く分からないけど、それは何と言うか、すごいね」

 

曲がり角の先から人の気配。男子生徒と女子生徒が一人ずつ。どこかで聞き覚えのあるような気がするその声に、オータムは僅かに眉を顰めるも、それよりも先に今どうするべきかを考えるべく頭を回転させた。オータムは一瞬迷いながら、今の自分の姿と肩書を思い出し、敢えて隠れずにやり過ごすことを選ぶ。ポケットから小さな鏡を取り出し、軽く確認。

 

(よし。どっからどう見てもただの会社員だ)

 

特に歩調は変えず、早すぎず、遅すぎず、あくまで自然体で廊下を進む。曲がり角まであと15秒。14秒。13秒。

 

そしてついに、声の主達が姿を現した。

 

(……ん?)

 

淀みなく前後していた足が動かなくなる。思わず立ち止まり、凝視する。

 

「そういえばユウ、お前マジで最近一夏と何かあっただろ。多分昨日かそれくらいに」

「いやー……何も、無いよ?」

 

二人はまだオータムに気付いていない。しかしオータムは二人に気付いていた。

 

(───ああああああああああああああああっ!!!!)

 

二人の正体に、気付いていた。

 

「お前らに何かあったことくらい、一夏と鈴を見ていれば分かる」

「あはは。そこは私じゃないんだね」

「まあユウの一夏への対応も最近なんか棘があると思わなくも……お?」

 

二人を凝視しながら立ち竦むオータムに、ついに当の二人が気付いた。それはそうだろう。見慣れない女性が自分達を睨み付けるようにして目の前に立っていたら、誰だって訝しむ。

 

(ってしまった! なんでサクッとやり過ごさねえんだよ私!)

 

内心で小さく舌打ち。しかし時既に遅し。弾も優も、二人そろって見慣れない侵入者へと視線を向けている。侵入者は自身の任務失敗を悟った。

 

「あの、何かご用ですか?」

 

女子生徒の方がおずおずと口を開く。オータムは知っている。この女がISの操縦者であることを。かつて自分の前に立ちふさがり、盛大にコケにしてくれたことを。

 

(落ち着け。まだバレたとは限らねえ)

 

オータムは今変装している。もし仮にオータムの正体に気付いたのだとしたら、わざわざこんな問答などせずにすぐさまISを展開すればいい。正体がバレてしまったと決めつけるには些か早いのではないか。

 

オータムは思考を切り替えると、まるでオフィスの受付嬢の様な満面の営業スマイルを浮かべた。

 

「ああ、いえ。すみません。あまりにもお美しい方でしたので、思わず見惚れてしまっていたのです」

 

嘘は言っていなかった。実際オータムの美的感覚に言わせれば、目の前の女子生徒は相当美人な部類に入る。同性愛趣味を持ち合わせいるオータムにとっては、2年前の出来事さえなければ十分すぎるほどにストライクゾーンだった。

 

「ほう。貴様なかなか見る目があるな。俺の美しさに気付くとは」

 

だが何故かレスポンスは別方向から返ってくる。投げたボールが同じ方向から返ってくるとは限らないのだ。営業スマイルで塗り固められた顔面を、ぎこちなくもう一人の男子生徒へと向ける。その男子生徒は、なぜか不敵な笑みを浮かべていた。

 

「そ、そういえばIS学園に男子生徒がいるとは聞いていましたが……」

「あー、皆まで言うな皆まで言うな。分かってる。ま、俺にとっては日常?みたいな感じだから」

 

突然何を言いだすのかこの男は。脳内が疑問符で埋め尽くされるオータムに、弾は精一杯のキメ顔を向ける。

 

「分かる分かる。目と目が合う瞬間好きだと気付いちまったんだろ? 俺の溢れ出るキケンな香りに抗いきれなかったんだろ? 目を見れば分かるぜ? ま、俺にとっては日常?みたいな感じだから」

 

何を言っているのか理解できなかったオータム。しかし、

 

(ま、まさか──っ!)

 

目の前の男のバカにしたようなキメ顔を見て、脳裏に電撃が走ったような錯覚を覚えた。

 

(目が合う、気づく、危険、分かる……まさかこいつ……!)

 

断片的な単語が繋がり、オータムの残念な脳細胞が一つの答えを描く。

 

(気付いてる! 私の正体に気付いてやがる!)

 

愕然と固まるオータム。目の前の男は全て分かっている。それを暗に示され、もはやどうしたらいいのか分からなかった。

 

「五反田くん、この人は五反田くん慣れしてないんだから、もう少し手加減を」

「うるさ~い! 黙れ~~! 今もそしてこれからも俺のターンだ!」

 

オータムの様子を見て困惑していると思ったのか、弾を諌めるように、弾とオータムの間に立つ優。しかしそんな優をまるで軟体動物のような動きで躱すと再度オータムの目の前に現れる。

 

「ところで、お名前を伺ってもよろしいかな? お嬢さん(フロイライン)?」

 

(こ、こいつ……!)

 

オータムは確信した。もはやこの男には自分の素性も、全てがバレている。バレた上でバカにされているのだと。

 

オータム(autumn)は秋を意味する。そして秋を意味する単語はもう一つ、fall。この二つはイギリスとアメリカ、そして使用される場面という違いがある。そしてもう一つ、ルーツが異なるのだ。オータムはラテン語。そしてフォールはゲルマン。つまりドイツ語。そしてフロイラインとは、ドイツの未婚女性に対する敬称。そしてルーツとは即ち過去。自分達の因縁が生まれた2年前(過去)のことも気付いている。全部お見通しだと、その上でこの態度だと、そういうことなのだろう。考え過ぎである。

 

しかしどういうわけか、この男はここで事を荒立てるつもりは無いらしい。

 

「はあ……ま、いいや。私もう行くね? さすがにそろそろ行かないと怒られそうだし」

「あ、待て待て。俺も行くわ……っと、敢えて別れは言わないぜ、子猫ちゃん? 俺達は運命で結ばれている。またいずれ会うことになるだろう」

 

意味深なようで恐らく大した意味など無いセリフを残し、八神優と五反田弾は立ち去った。まるで嵐にでも遭遇したような面持ちで、オータムはため息をついた。

 

(何とかやり過ごした、のか?)

 

否、そうではないだろう。あの男はいずれまた会うと、そう言っていた。恐らく自分達がIS学園に奇襲を仕掛けようとしていることもお見通しなのだろう。もちろん勘違いである。

 

(となるとまさか……増援か!)

 

かの紅い死神はありとあらゆる策を弄すると聞く。きっと今までの振る舞いも策の内。自分はあの男に怯え、後手に回り、まんまと取り逃がしてしまった。既に策に嵌っていたのだ。

 

(今ここで引いて何をするつもりなのか、なんて決まっている。ここにはかの世界最強がいるんだからな……)

 

痛恨のミス。オータムの胸中にじわじわと暗い炎が広がる。かの死神への憎悪が、オータムの手をきつく握らせる。

 

(ここでビビって引けばあの男の思う壺だ。しかし後で攻めればブリュンヒルデも交えた万全の体制で迎え撃たれることになる。クソっ、紅い死神は健在ってわけか!)

 

引いてもダメ。しかしこの後では遅い。下見はまだ終わっていない。もしかしたら事前データに無い情報が現地にはあるかもしれない。隠し通路の類や、思わぬ死角など。慎重派なオータムの上司は、それを見越してオータムを派遣したのだが、

 

 

 

(だったら──!)

 

 

 

どうやら上司の考えは甘かったらしい。

 

 

 

「──今しかねえだろ!」

 

 

 

 

その日、IS学園は2つのテログループによって未曾有の危機に晒されることになる。




本作を何か勘違いしている方がいるかもしれないので言っておきますがね、この作品はたしかにまだ13話目ですけど、IDは4桁台です。
でも1話=5000文字として、各話平均があれだから、実質39話分書いたってことにはならないねそうだね。

5/21 修正 10話末「円夏」→「一夏」

いや、本当は修正するつもりなんて無かったんですけどね。キャラ増えちゃうし。でもやっぱ円夏をキーにするより遥かにそれっぽいんですよね。穴だらけには違いないんですけど、それでも多少はこっちの方がいいかなと。何の話かというと、一夏がISを動かせる理由です。

17/06/02 修正 シャルパパの正式名が原作にて公開されたため、準拠

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