IS-イカの・スメル-   作:織田竹和

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「そうだ!!! これが本当の私!! シャルロット・デュノア! 設定性別メス! (デュノア社とは縁を切ったかのように見えたが)フランス代表候補生!」

今回の話はあれです。汚いです。


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「はぁっ……はぁっ……」

 

二人分。まるで周囲の喧騒から隠れるように、じっとりと汗ばむ荒い息遣いが響く。

 

思考が淀む。考えるよりも先に身体が動く。上気した頬。髪を雫が伝う。心臓が早鐘を打つ。

 

「んっ……ぁっ……はあっ……」

 

ふと動きが止まる。目の前の光景から目が離せない。ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。

 

 

 

「いたわ! 織斑君とデュノア君よ!」

 

「絶対に捕まえる!」

 

「ウウウオアアー!!」

 

 

 

 

歴戦の猛者達による肉壁を前に、一夏は叫ぶ。

 

 

「回り込まれてたあああ!」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

くぐもったシャワー音が響く。

 

「あ、あれ……下がってる……?」

 

何かの書類を見つめながらわなわなと震える少女。ベッドに腰掛け、引きつった表情を浮かべている。カーテン越しに差し込む麗らかな朝日も、一日の始まりを告げるような鳥のさえずりも、今の少女には届かない。

 

ふとシャワー音が止まったかと思うと、ふわりと熱気が室内に零れる。豊満な肢体を隠すようにバスタオルを巻いた少女が、しっとりと濡れそぼった髪を拭きながらやってきた。熱を帯び、上気した頬や鎖骨を滴る雫が無自覚な艶めかしさを感じさせる。しかし驚愕に目を見開きながら紙束と睨めっこしている少女は気付かない。

 

「八神? どうかしたのか?」

 

「ほわああっ!?」

 

急に声をかけられたからか、八神と呼ばれた少女はビクッと肩をすくめ、手に持った紙の束をガサガサと強引に丸めて後ろに隠しながら勢いよく振り返った。

 

「い、いや! なんでもないよ! なんでも! ホントだよ!」

 

「お、おお。そうか……」

 

どこか引き気味に頷く。別に何も疑ってなどいないのだが、ああまで必死さを隠そうともせずに叫ばれてはどうにも追求し難い。結局のところ、篠ノ之箒はルームメイトの事情には触れず、熱を冷ますようにパタパタと顔を仰いだ。

 

そんな箒から視線を逸らし、八神優は何かを考え込むようにその顔を渋く歪めた。

 

(IS適性が下がってる……だと?)

 

優にしてみればテストの成績が悪くなったと言われたような気がして、なんとも気分のよいものではない。「A」と表示された紙がくしゃりと音を立てた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります!」

 

教壇に立つ小柄で童顔な女性が朗らかな笑顔を浮かべている。女性──山田真耶の言葉に、教室内がにわかにざわめいた。その反応を嬉しそうに見つめていた麻耶だったが、黒板の脇に立つ織斑千冬の咳払いにハッとし、扉の向こうへと呼びかけた。

 

「では、転校生の紹介です!」

 

扉がスライドする。ゆっくりと足を踏み入れた生徒を見て、クラス内に激震が走る。何割かが息を呑み、何割かは驚愕に間の抜けた表情を浮かべ、何割かは眉を顰めた。

 

一歩、二歩と、ゆっくり進むたびに深い金色が煌めく。

 

注目の的である当の本人は、爽やかな微笑みと共に教室内を見渡す。洗練された動作、表情、それはまるで、絵本の中の王子様さながらだった。

 

教室内の全ての視線が注がれる。誰もが神経を研ぎ澄まし、()の言葉を待つ。

 

「初めまして。フランスから来ました。シャルル・デュノアです」

 

『美……』

 

どこか少女のような面影を残すその生徒は、紛れもなく男子生徒用の制服を着用していた。

 

「どうぞよろしく」

 

『───美形だっ!!!』

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、デュノア君もISを使えるの!?」

 

「二人目の男性IS操縦者! うちのクラスは神か!」

 

「しかも華奢で織斑君より小柄で守ってあげたい系! むしろ織斑君が守ってあげてるところを見たい系!」

 

「おちんちんランドはっじまっるよ~」

 

「わ ぁ い」

 

ハイエナが草食動物に群がるかのように、クラスの大半が一か所に押し寄せた。見ると、教室の外からも大量の視線が向けられている。群れと視線の中心、質問攻めにされているシャルル・デュノアは、引きつった笑みを浮かべながらもなんとか対応していた。男子高校生としては確かに華奢な体躯で、顔つきもどちらかというと童顔。声変わりもしていないようだ。

 

そんな漫画のような展開を外から眺めながら、どこかぼーっとした少女が一人。

 

(男性操縦者、か。まあ、実際前例はあるし居てもおかしくは無いのか……?)

 

八神優は彼女らの群れには加わらず机に頬杖をついていた。どうやらそれ以上の興味は湧かなかったらしい。

 

「あれ、ユウはあっちに行かないのか?」

 

そう言いながら優へと近づいてきたのは、もう一人の男子生徒。織斑一夏だった。そんな彼を見ながら、優は内心でげんなりする。

 

(そりゃあ、今は転校生より他のことでいっぱいいっぱいだからな。お前のこととか)

 

優は気付いてしまったのだ。何かを守ることそのものを目的とする織斑一夏にとって都合の良い状況が整っていることに。そしてそれに自分が巻き込まれていることに。

 

一夏は優を守ることを願い、優を脅かす脅威が発生し、一夏がその脅威を撃退する。これらを止めるには織斑一夏の不幸を心の底から願えば良い。しかし……

 

(結構毎日祈ってるけど全然効いて無さそう……)

 

優は密かにわら人形を作ってみたりしているのだが、一夏はこうしてピンピンしている。

 

(何か他の手を考えないと。これ以上俺の幸運で好き勝手されてたまるか)

 

そしてそんな内心などおくびにも出さない。

 

「うん、ちょっと考え事してて。そういう一夏くんは? 同じような境遇みたいだし、せっかくだから話して来たら?」

 

にこにこと笑みを絶やさない優。しかしどこか突き放すような言動になってしまうのも仕方なかった。

 

そして丁度そんな会話をしていたからだろうか。

 

「ねえ、織斑一夏クン、だよね?」

 

気が付くと、一体どうやってあのハイエナの群れから抜け出してきたのか。件のシャルル・デュノアが、彼女らの目の前に立っていた。

 

「キミも確か、ボクと同じで男性IS操縦者だって聞いたんだけど」

 

「ああ、ちょっといろいろあって偶然動かしちゃってな。あ、俺のことは一夏でいいぜ」

 

「ボクのこともシャルルでいいよ。よろしくね、一夏」

 

そんな二人の会話に一部の者達が薄い本を厚くしている一方で、間近で見ていた八神優は全く別の感想を抱いていた。

 

(近くで見ると、なんというかあれだ。女にしか見えん)

 

実はこの金髪美少年は男装した女子生徒なのではないか。そんな妄想に等しい考えが優の頭を過る。

 

(いや、ないな。いくら立て続けにセキュリティを乗っ取られてるIS学園でもさすがにそこまでガバガバな審査はしてないだろ。こいつは多分、ただのリアル男の娘…………待て。そう考えるとなかなか熱いな)

 

同じ穴の狢だった。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

放課後を告げるチャイム。それを皮切りに解放感が教室に充満する。

 

「ねえねえ一夏。ボク、この学校のことまだ全然わからないからさ、良かったらいろいろ教えてほしいな」

 

柔和な表情と謎のキラキラ粒子を放ちながらそう言うのは、プリティでキュアキュアな可愛い系美少年っぷりで転校早々多くの女子生徒たちのハートをキャッチしてみせたシャルル・デュノアだった。

 

「ああ、分かった。弾、お前も来いよ。せっかく男子が増えたんだし、今日は男同士の付き合いといこうぜ」

 

「えぁっ、あ、い、一夏? 五反田クンにも用事があるんじゃないかな? 二人でいいんじゃないかな? ね?」

 

まるで狙ったかのような一夏の言動。一部の女子生徒が「突き合う?」「3P?」などという奇特な聞き間違いをしてしまうのも仕方なかった。

 

そして当の五反田弾は、相変わらずニヒルに口元を歪め、自身の赤い髪をふぁっさあと掻き上げた。

 

「フッ、やはり俺の力が必要らしい。だが一夏、今日はちょいと野暮用でな。実は今世界の命運は俺の……いや、俺たちの手に握られている。俺は仲間と共に世界を救って来なきゃならねえ。悪いな」

 

五反田弾は光の戦士となったのだ。光の戦士である彼に、休息など許されない。

自らの仕事(ジョブ)に一切の妥協を見せない弾の姿に、一夏は心を打たれたのか、「そういえば新しいネトゲ始めたんだっけ。いい加減ゲーム以外の趣味見つけろよな」そう言って弾を静かに見送った。弾の背中を見つめる一夏。真の男は背中で語る。彼の後ろ姿は愚直で武骨で、それでいて何物にも侵されぬ鋼ような、まさしくプロフェッショナルの背中だった。

 

「さて、邪魔m……五反田クンも行っちゃったし、ボクたちも行こっか」

 

そう言って一夏に微笑みかけるシャルル。その微笑みはまさしく天使のそれだった。一切の含みを感じさせないそれは、シャルルの裏表のない素直な性格を如実に表していた。

 

「そうだな。と言っても、俺もまだ入学して1か月だからなあ。案内するとなると、とりあえず食堂と寮は必須として……」

 

頭の中で虫食いだらけの地図を広げる。しかし一夏が利用する場所など、精々教室とアリーナと食堂くらいだ。やはり無駄に島一つを使い潰しているIS学園という広大なダンジョンを案内するというのは些か荷が重かったのだろう。一夏の眉間に皺が寄る。

 

うんうんと悩む一夏に、シャルルが何かを閃いたかのようにぽんと手を打った。一夏はそんなシャルルに目を向ける。きっと助け船を出してくれるのだろうと期待して。

 

しかし一夏は気付かなかった。

 

「そういえばさ───」

 

この言葉が後に、ちょっとした事件を引き起こすことを。

 

 

 

「───ここって学校でしょ? クラブとか無いの?」

 

「クラブ? ああ、部活のことか。さあ? 俺は入ってないから何とも」

 

ざわりと空気が脈打つ。

 

「男同士でとは言ってみたけど、やっぱ俺一人だと無理か。よく考えたらこの学園のこと全然知らないし。あ、そうだ。ユウはどっかに入ってたりするのか?」

 

「え、あっ、私? いや、入ってないけど……」

 

「じゃあせっかくだしユウも一緒に部活見に行こうぜ」

 

「え゛っ、いや、私は別に……」

 

「ね?? 八神サンもこう言ってるしやっぱり二人で、って一夏!? 今度はどこ行くの!?」

 

ひそひそと人波が揺れる。

 

「なあ箒、箒ってたしか剣道部だったよな?」

 

「うぇっ!? あっ、ま、まあ、名前だけ、だが……」

 

「部活って今からでも入れるのか?」

 

じりじりと緊張が走る。

 

「多分、大丈夫だ。……そっ、そうだ一夏! よ、よよ良かったらまたい、一緒に剣道を……」

 

 

 

ぶつりと、糸が切れた。

 

 

 

「ねえ良かったらテニス部で「ラクロスとか興味な「料理部とか「ぜひうちのジャーマネに」吹奏楽で青春を「演劇部もよろし「園芸とかどうかな」ESS!ESS!」忍道部で森羅万象を「今夜星を見に行こう「文芸部もあるよ!」麻雀で全国大会を「美術部でヌードモデルに「バスケットはお好きですか?」おい、デュエルしろよ」サッカーやろうぜ!「篤志(ギャング)部「弁論部どうですか「かへたんていぶは「軽音部部員募「新聞部でーす! 写真一枚いいですかー!?」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

走る。走る。走る。ただひたすら我武者羅に、脚を動かし、腕を振り、歯を食いしばる。景色が後ろへと流れていく。しかしそんなものは気にも留めない。ただ前を見て、前へ進む。立ち止まるわけにはいかない。停滞は即ち、死を意味する。

 

「ど、どこまで追いかけてくるんだ……!」

 

一夏はシャルルと共に学園内を走り回っていた。理由はただ一つ。一夏はちらりと背後に視線を投げる。

 

「お願い話を聞いてー!」

 

「大丈夫! 先っちょだけ! 先っちょだけだからー!」

 

「せめて名刺だけでもー!」

 

「磯野ォッ! YAKYUしようぜェェッ!」

 

学園の有名人がまさかの帰宅部という事実が判明。何とかして確保しようと、ほぼ全ての団体が我先にと動きだした結果が、この学園の敷地を贅沢に使用した大規模鬼ごっこだった。

 

「はあっ、はあっ、人気者だね、一夏……!」

 

「冗談言ってる場合じゃなあああい! いいから今は逃げるんだよオオオッ!」

 

肺がきりきりと悲鳴を上げる。どうしてこんなことになっているのか。自分が一体何をしたというのか。理不尽な状況に対する文句が一夏の脳裏に浮かんでは消え、再度浮かび、消える。

 

しかしこうして走っていたところでジリ貧だ。いずれ追い付かれてしまうだろう。

 

「そこを曲がってすぐの部屋に入るぞ!」

 

「分かったよ、一夏!」

 

曲がり角を折れる。ぐっと踏み込み、ブレーキをかけながら、目の前の扉を勢いよく開いた。

 

「えっ?」

 

「な、何ですか!?」

 

中にいた者達のざわめきが聞こえるが、一夏もシャルルもそれどころではない。扉を閉ざし、膝をついて肩で息をする。

 

「はぁ、はぁ、ここなら、もう、安全だろ……」

 

息も絶え絶えにそう言う一夏は、教室よりも尚広い室内を見渡し、呟いた。

 

 

 

「織斑にデュノアか。どうした、こんなところで」

 

そう言ってやってきたのは、彼らのクラスの担任である織斑千冬。そう、ここは───

 

 

 

「それよりお前達、職員室に入る時にはノックをしろ」

 

──《職員室 総務》。ホログラムがふわりと躍った。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

教室のような姦しさとはまた違った、ほのかな緊張感と若干の忙しなさが支配する部屋の中。織斑千冬は自身のデスクの前でイスに深く腰掛け、静かに足を組んだ。マグカップを手に取り、ブラックコーヒーに軽く口をつける。ほんの少し、撫でる程度に啜り、盛大に眉を顰めた。砂糖に手を伸ばしかけるが、すぐさま目の前にいる弟の存在を思い出し、その手を引っ込める。砂糖の代わりにデスク上のクッキーを一瞬で口に放り込んで目にも止まらぬ速さで咀嚼する千冬。もはやコンマ1秒の領域に至る早業。ブリュンヒルデの名は伊達ではない。

 

「ふう……それで、部活動についてだったな」

 

「千冬姉。ブラック飲めないのは知ってるから。変なところでカッコつけないで砂糖入れなって。それともミルク出そうか? 多分冷蔵庫にあるよな?」

 

「(一夏のミルク……?)……部活動についてだったな。それと織斑先生だ」

 

教師として、そして何よりも姉としての威厳にかけて、決して譲れない一線というものが存在するのだ。千冬は再度ブラックコーヒーに口をつけ、軽く啜る。あまりの苦味にきゅっと目を閉じる千冬。しかし負けてはいられない。弟が見ているのだ。ここで諦めては、世界最強ブリュンヒルデの名が廃る。黒々とおぞましいこの世のありとあらゆる苦痛を濃縮したかのような液体をぐっと飲み込んだ。

 

「教師としては、特に何もゲッホゲッホォァ言うことは無いな。好きゲホッな所へ入るといい」

 

「いや、そういうことじゃなくて、行き過ぎた勧誘を規制したりとかさ」

 

「学業に支障が出るならともかく、今のところ表立って動くだけの理由が無い。というのが正直なところだ」

 

千冬個人としては思うところがあるのだろう。しかし男子生徒の出現によってこうも勧誘が激化するなど、今まで想定していなかった。その事態を収拾するための規則などあるはずもない。教師が動くための建前が存在していないのだ。精々廊下を走るなというのが関の山だろう。

 

余談だが、IS学園は部活動全般に関する規則が全体的に曖昧である。というのも、IS学園は海外からの入学生も多く、日本と海外における部活動文化の捉え方は大きく異なる。

 

文化的差異が存在し、またそもそもIS学園はISに関する修学こそが本分である以上、部活動に関する規則が後回しにされ、曖昧なまま放置されていたのも仕方のないことだった。

 

実際現状の制度で今までは特に問題など起きていなかったのだ。様々な国籍の生徒が集まるとはいえ、立地が日本であることからやはり日本人の生徒が数多く在籍し、部活動の雰囲気や内実も日本のそれに近い。その結果海外からの生徒達が面白がって積極的に参加していったため、わざわざ積極的な勧誘期間を設けることも無かった。

 

「織斑先生でも駄目か……。でもそうなると、最悪捕まっちゃったら今追いかけてきてる全部の部に入れさせられたりしそうだよね……」

 

ひとたび捕えられてしまえば、そのまま雪崩れ込んできた他の部の者も、「自分たちの部にも是非!」と言いながら入部届を押し付けてくるだろう。シャルルの言葉を受け、その光景を想像した一夏は分かりやすく顔をしかめた。

 

「断ったら断ったで、暴動が起きそうだしなあ」

 

仮に全てを断るのではなく、どこか一つに入ると言ったところで、あそこまで膨張してしまった熱が簡単に収まるとは思えない。恐らく彼女らの行動が鬼ごっこから争奪戦へと変わるだけだろう。

 

八方塞がり。万策尽きたとはこのことか。

 

しかしここで終わらないのが織斑千冬という女である。

 

「聞け。私にいい考えがある」

 

「何だって!? それは本当か!?」

 

一夏とシャルルの瞳に希望が灯る。千冬はそんな二人を見ながらニヤリと笑った。

 

「ああ。表立って動くのが無理なら、暗にお前達が私の庇護下にあると思わせればいい。そうすればやつらの動きも収まるだろう」

 

「つまり、俺達はどうしたら……」

 

「簡単だ。私が顧問を務める部に入るといい。とはいえまだ設立したばかりでな。部ではなく研究会という位置づけになっている」

 

IS学園においては、設立年数や部員数、活動実績などから、研究会、同好会、部といったようにランクアップしていく。

 

「会員もまだ2人。しかしそういった環境の方がかえって気が楽だろう。それに2人共他団体との掛け持ちだ。お前達も何か他にやりたいことが見つかれば掛け持ちするといい」

 

「それで、なんていう部活なんだ?」

 

急かすような一日の声に、千冬は表情を引き締めて、徐に、はっきりと芯の通った声で告げた。

 

「お姉ちゃん研究会だ」

 

「なるほど! 今のは聞かなかったことにしてやるよ千冬姉! それじゃ!」

 

「わっ、ちょっ、一夏?」

 

ビシッと片手を挙げ、さわやかな笑顔と共にシャルルの手を取って職員室の出口へと踵を返す。一刻も早くこの場を立ち去らなければならない。一夏の防衛本能がそう告げていた。

 

「まあ待て」

 

回り込まれる。一夏は知らなかった。お姉ちゃんからは逃げられない。

 

「一夏、お前は何か誤解している。たしかに一見部活動には見えない名称だが、活動内容はしっかりしているぞ。まず姉属性というものがどういった層に受け、またどこにその魅力があるのかということを客観的に分析しつつ今度は弟妹属性を持つ者たちの攻略方法について」

 

「そこに誤解はねえよ! むしろ誤解であって欲しかったわ! というかなんで逆に二人も入部したんだよ! 何者だよそいつら!」

 

「そいつらもまた、ただの姉だ。私と同じな。ちなみにそいつらが掛け持ちしているのは生徒会だ」

 

「この学校もう駄目だ!」

 

一夏が叫んだ、その時だった。

 

「お、織斑先生」

 

何処からともなく差し伸べられる救いの手。

 

「そろそろ職員会議の時間ですので、準備を……」

 

おっかなびっくりといった様子で千冬に進言したのは、彼らの副担任。他ならぬ山田真耶その人であった。

 

「もうそんな時間か……」

 

そう言って千冬は真耶に向き直る。そしてその隙を逃す一夏ではない。

 

「今だ! 逃げるぞシャルル!」

 

「う、うんっ!」

 

「出たら二手に分かれよう! 俺が囮になる!」

 

脱兎の如く駆け出す2人。ハッと気付き振り返るも一歩出遅れた千冬。

 

「あっ、待て二人共! まだ話は終わって……」

 

「先生、先日の案件のデータ、どこにありましたっけ?」

 

そんな千冬に追い討ちをかけるように、山田真耶の言葉が再度千冬を呼び止める。そして扉の開く音。既に2人の影はない。

 

「………………………………」

 

「えっ、ちょっ、ど、どうして無言でこっちを見てくるんですか? そ、そんなに見つめられると照れちゃいますよぉ……」

 

この女どうしてくれようか。千冬は静かに怒りを滾らせた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

シャルルと別れた一夏は、わざと女子生徒達の目につくようにして校舎内を移動し続けた。

 

「俺はッ、逃げ切ってッ、みせるぅぅぅッ!」

 

腕を振り、脚を持ち上げる。それだけの動作がひどく重い。汗を流しながら、背後に迫るハンター達から目を背けながら、一夏はひたすら走る。

 

一人分の足音に続く、もはや足音とは呼べない地響き。通りがかった職員が注意を促そうとするも、凄まじい気迫に蹴散らされ、思わず逃げ出す始末。

 

シャルルは逃げられただろうかと一瞬考えるも、そんなことより今は走れと本能が命令する。

 

「一夏! 大変なことになってるわね!」

 

ふと隣を見ると、いつの間にいたのだろうか。中国代表候補生である凰鈴音が一夏にぴったり寄り添うように並走していた。

 

「鈴! 助けに来てくれたのか!」

 

「当たり前じゃない! それにこのシチュエーション、なんだか愛の逃避行みたいで燃えるじゃない!」

 

「弾みたいなこと言ってないで何か手を考えてくれ!」

 

振り返らずとも分かる、否、分かってしまうほどの地響きが背後から迫りくる。それは先程よりも大きくなっており、ハンターの数が増えたことを嫌でも一夏に悟らせた。

 

「とりあえず外に行きましょう! いつまでも校内にいたらそのうち追い込まれるわ!」

 

「なるほど! 一理ある!」

 

「それとはぐれないように手を繋ぎましょう! 今から隠れ場所に案内するわ!」

 

「なるほど! ところでその手にある手錠は何だ!」

 

「手を繋ぐアイテムよ! 他意は無いわ!」

 

「なるほど! 隠れ場所ってどこだ!」

 

「あたしの部屋よ! 安心して! 一夏用の着替えもあるから数日はいけるわ! サイズもピッタリなはずよ!」

 

「なるほど! それじゃ、俺はこれで!」

 

「ええ! 了解!……え、あれ? 一夏?」

 

鈴が気付いた頃には、一夏は忽然と姿を消していた。ニンジャめいたそのワザマエに、思わず舌を巻く鈴。そのバストは平坦であった。

 

「一夏の匂いは……こっちか!」

 

ハンターが一人、増えた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「行ったか……」

 

八神優は静かに呟き、掃除用具入れの扉をそっと開いた。

 

あの時、大勢の生徒達が一斉に群がってきたその刹那、どさくさにまぎれて包囲網をかいくぐり、一夏とシャルルが注目を集めている隙に掃除用具入れに飛び込んだのだ。多くの生徒は男子2人が逃げ出した方向へと誘導され、結果として彼らを囮にした優は、こうして平然と寮へ帰ろうとしていた。

 

(あいつらと一緒にいたら俺まで巻き込まれるところだった……)

 

ハンター達をやり過ごしたというより、一夏とシャルルに見つからないようにという目的があったようだ。実際優の目論見は成功したと言って良い。

 

(ま、俺一人でいる分には逃げ回る必要もなさそうだな)

 

結局のところ、彼女達の興味関心は織斑一夏とシャルル・デュノアに集中している。優の存在は蚊帳の外だ。

 

鞄に荷物を詰め込み、悠々と教室を後にする。

 

「さて、早く帰って「あーーっ!! 八神さん発見!」

 

廊下に響き渡る甲高い叫び声。びくりと肩をすくめ、今まで見たこともないような顔で固まる優。

 

「いやー、織斑くん達と一緒じゃないと思ったら」

 

「まさか教室とはね。完全に盲点だったよ」

 

馬鹿な。おかしい。何がどうなっている。優の錆び付いた思考回路がギチギチと回る。

そうこうしているうちにわらわらと増え始める生徒(ハンター)達。優の額に冷や汗が滲む。何だか分からないが追い詰められている。また面倒事に巻き込まれるのか。優はそう理解するや否や、たまらず声を上げた。

 

「ちょ、待って! 話せば分かる! 私は別にいいでしょ!? というか男子が欲しいんじゃないの!?」

 

命乞いである。

 

しかしそんな醜く矮小で情けない願いが聞き届けられることはない。

 

「いや、うちはむしろ八神さんが本命だし」

 

「是非ヌードモデルに!」

 

「八神さんが来てくれれば織斑くんも入ってくれるし一石二鳥」

 

「織斑くんが来たらデュノアくんも誘ってもらって一石三鳥だね!」

 

「美少女がいるだけでテンション上がるだろ。常識的に考えて」

 

「第一印象から決めてました! お姉様と呼ばせてください!」

 

それぞれがそれぞれの理由を胸に、一歩ずつ前へと踏み出す。

 

「家が遠いから部活はちょっと……」

 

「いや、ここ全寮制だし」

 

「うぐぅっ……」

 

彼女らしからぬ呻き声。誤魔化しにすらなっていないバレバレの嘘に正論が突き刺さる。もうどこかに入ってしまおうかと、諦めかけたその時だった。

 

 

 

「うおおおお! 部活くらい静かに選ばせてくれええええ!」

 

穏やかではない叫び声。そして廊下を伝う地響き。優にとって非常に聞き覚えのあるその声の主は、丁度優を狙う者達とは反対側からやってきた。

 

(オウフ……マジか……)

 

どこぞのゴルゴもびっくりするほど渋面になる優。それもそのはずだった。声の主、織斑一夏は、その背後に夥しい数の追手を引き連れて優のいる方向へと走ってきているのだから。

 

「ユウ! ここにいたのか! って挟み撃ちィッ!?」

 

教室の前まで駆けてきたと思いきや、優の背後にいるこれまた大勢のハンター達を目の当たりにして急ブレーキをかける一夏。

 

教室前の廊下は一本道。そして教室を中心として、優と一夏を挟み込むように生徒達が集い始める。

 

「ハアッ……ハアッ……もうっ……ここまでなのか……っ!」

 

息を荒げ、汗をぬぐう一夏。その目は既に諦念に染まっている。万事休す。絶体絶命。もはや逃げることは叶わない。

 

「いや───」

 

しかしまだ諦めない者がいた。

 

「───まだ、終わりじゃない」

 

「ユウ……?」

 

八神優は毅然とした態度で言い放つ。

 

「今、いいこと思いついた。むしろなんで今まで……いや、なんでもない。とにかく行こう」

 

告げるや否や、優は満身創痍に等しい一夏の手を取って教室へと駆け出した。

 

「一夏くん! ISの部分展開は出来る!?」

 

走りながら訊ねる。机を避け、窓際に辿り着くや否や、目の前の窓を開け放つ。

 

「あ、ああ。できるけど……ってうおあっ!?」

 

疲れと絶望からか、いつもよりも遥かに弱々しい一夏の声。しかし優はそんなもの知ったことかと言わんばかりに、一夏の腕を取り、ぐっと引き寄せた。そうこうしている間にもハンター達は迫ってきている。

 

「降りるよ!」

 

「えっ、ちょっ、ひいっ!?」

 

状況に追いつかない一夏を強引に抱きかかえる優。そしてそのまま……

 

「せーのっ」

 

「えっ」

 

優は窓から飛び降りた。

突如一夏と優を浮遊感が包む。目の前には青い空。まるで何物にも縛られない鳥のような、自由に満ちた全能感。

 

「とん、で──」

 

そしてそれは一瞬にして奪われる。

 

「ってうおわああああああっ!?」

 

落下。風が頬を切り、地面が急速に近づいてくる。自由の剥奪。本能的な恐怖が一夏を襲う。思わず優の身体にしがみつく一夏。優の柔らかなそれが一夏を包み込んだ。

 

「一夏くん! どこでもいいからIS起動して!」

 

「え、あ、お、おう!」

 

急かされ、咄嗟に片手を地面に向ける。流れ込む情報。門が開くように展開されていくイメージ。

 

「白式───っ!」

 

一夏の腕が輝き、光の粒子に包まれる。そしてそれが弾けたかと思うと、その腕を起点にしてピタリと落下が止まった。見れば、一夏の腕は白い装甲で覆われている。

 

余談だが、アリーナ等以外におけるISの完全展開及び武装展開は原則禁止されている。理由は単純明快。危険であるためだ。

 

「ふう。着地完了っと。もう離しても大丈夫だよ」

 

「えっ、うわああっ! す、すまん!」

 

ISを解除する一夏。再び一夏の腕から光の粒子が舞った。

 

「今離れ、うわっととっ」

 

優から離れようとするも、たたらを踏み、バランスを崩して尻餅をつく。

 

「えっ、どうしたの!?」

 

突然倒れてしまった一夏に、何事かと優が訊ねる。当の一夏はというと、力無く困ったように笑い、ぽりぽりと頭を掻いた。

 

「あ、あはは。どうもさっきので腰が抜けたっぽい……」

 

「oh...」

 

ピンチである。逃走中に腰を抜かすなどあってはならない。この男は一体何なのか。逃走者の風上にも置けない。

 

(どうする? どうすればいい?)

 

周囲を見渡す。目の前には校庭。自分達の他には誰もいない。

 

上を見上げる優。先程まで自分達がいた教室の窓から、覗き込むようにしてこちらへと向けられるいくつかの視線。やがて視線が引っ込み、くぐもった叫び声は遠ざかっていった。恐らくここまで降りてくるのだろう。追い付かれるのも時間の問題だ。

 

ちらりと一夏を見下ろす。このままではこの男は逃げられない。しかし直に追手はやってくる。

 

(ああーっもう! くそっ!)

 

優はへたり込んでいる一夏の腕を取り、肩を貸すようにして立ち上がった。

 

「ゆ、ユウ? そんな、俺のことは置いて……」

 

「いいからとにかく移動しないと! あそこに隠れよう!」

 

優が指さしたのは、校庭の隅にひっそりと佇む倉庫だった。恐らく授業や部活に使用する用具を収納するための物だろう。優よりも少し背の高いそれにゆっくりとした速度で辿り着き、がらがらと古臭い音を立てながら扉を開く。埃と泥が混じったような臭いに一瞬顔を顰めるも、一夏を支えながら一歩一歩踏み込んでいく。

 

(思ったより物が多いな……)

 

堆く押し込められたそれらを見て、内心で呟く優。倉庫内は用具がスペースを圧迫しており、隅の方に辛うじて空間が残されている程度だった。

 

『──!─────!』

 

『───。──────!』

 

人の気配。今にも校舎の外に出ようとしているのかもしれない。

 

「やばっ……!」

 

優は背後を確認する間も惜しんで扉を閉めた。音がやけに大きく響く。隙間から漏れる僅かな光を残し、倉庫内が黒く染め上げられる。

 

サッカーボールの詰まった金属の籠を押しのけ、何とか通路を作り出し、奥へ奥へと移動する二人。何とか扉から見て右側手前の角に辿り着き、ゆっくりと腰を下ろした。優によって強引に押しのけられたせいか、元々沢山詰め込まれていた用具達が微妙に傾きかけたりしつつも、絶妙なバランスを保っていた。

 

「ちょっと暑いね……」

 

「えっ! あっ、そっ、そうだな!」

 

パタパタと手で扇ぐ優。そんな優を見ながら、一夏は身体をなるべく動かさないようにして、目線を盛大に逸らした。

 

至近距離。スペースの関係上ほぼ密着している。清々しく晴れた5月の空の下。高校生二人が密着していれば暑くもなるというものだ。

 

仄かにざらついた床の感触も、細い光に照らされちらちらと舞う埃も、今の一夏は気にも留めない。彼にとってはそんなことよりも、隣から漂う華やかな香りや、小さな息遣いと共に僅かに動く唇や、ぱたぱたと扇ぎながら少しずつ緩められる彼女の制服の方が遥かに重要だった。

 

そしてそんな桃色の内心などお構いなしに、脅威はやってくる。

 

『もしかしてこの中にいたりして』

 

薄い壁越しに響く声。どきりと背筋が伸びる。

 

『うーん、そうかな? たしかここって要らなくなったのを詰め込んだんだよね?』

 

どちらともなく目を見開き、呼吸を止める。鼓動がばくばくと激しく主張する。

 

『まっさかー! ないない! さすがに無いよー! そもそもこん中ろくにスペース無いじゃーん!』

 

まずい。優がそう思った時には既に遅かった。

明るく溌剌とした声で言いながら、女子生徒は目の前にある倉庫の壁を勢いよく叩いた。バンバンとそれなりに大きな音が響く。

 

倉庫に振動が走る。そしてそれは絶妙なバランスを保っていた体育用具達をぐらぐらと揺らす。

 

(やばい! このままだと倒れ────)

 

優が咄嗟に手を伸ばすと同時に、積み上げられた用具の城が、轟音と共に崩れ出した。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「え、ちょっ、何、今の音」

 

先程までの明るさはどこへ行ったのか。自身が叩いた倉庫を見て固まる女子生徒。

 

「もしかして……やっちゃった?」

 

「あー、そういえばかなりいろいろ適当に放り込んであったしなー。むしろ今までよく崩れなかったなって感じ」

 

「どこの部も物置みたいに使ってたし、いらない物とかどんどん入れちゃってたよね」

 

「物置っていうか、もはやでっかいゴミ箱みたいな扱いだったわ」

 

「……とりあえずどうしよっか」

 

 

 

 

 

 

引きつった雰囲気が漂う倉庫周辺。倉庫内にいる八神優は、そんな外の様子に耳を欹てながら息をひそめていた。

 

(くっそあいつらふざけんじゃねえぞ……)

 

苛立つ内心を落ち着けるように、深いため息をつく優。

 

「ふう……」

 

「ひあっ!?」

 

優の吐息が耳に当たり、彼女の下敷きになっている一夏はたまらず声を上げた。

 

「ちょっ、一夏くん静かに!」

 

「んっ、そ、そんなこと言われたって……ぁっ……!」

 

くすぐったそうに小さく身を捩る一夏。

 

用具が崩れ出した瞬間、優は咄嗟に一夏に覆い被さった。傍から見れば一夏を押し倒しているような格好だ。

そしてその上にガラガラと土砂崩れかのように荷物が降り注ぐも、ボールの入った籠が横転する途中で、その縁が壁に当たり、偶然にもそのまま停止。斜めになった籠がうまい具合に盾の役割を果たし、尚且つ横から見ると、床と壁と籠を辺とする三角形のようなスペースに、一夏と優がちょうど収まる形となった。

 

そしてスペースと姿勢の関係上、優の顔は一夏の顔のすぐ近く、ほんの1センチ程度の距離にある。さらさらとした髪がしな垂れかかる。ふわりと漂う香りやちょっとした身じろぎや吐息も全てが近くに感じられる。スペースと姿勢の関係上仕方のないことだった。そして一夏の胸の上には、丁度同じように優の胸が乗っている。スペースと姿勢の関係上仕方がないのだ。柔らかな双丘がぐにゃりと形を変えて一夏に押し付けられる。緩められた制服の隙間から谷間が覗き、目の前の少女の温度が伝わる。あまりの生々しさに、どくんと心臓が跳ねた。

 

しかし当の八神優はというと、外の様子ばかりに気を配っており、そんな一夏のある意味危機的状況に全く気付いていない。緊迫した状況の中、沈黙とむわっとした熱が支配する倉庫の中で、一夏は孤独な戦いを強いられていた。

 

『とりあえずあれだ! 私達は何も見なかったし何も聞かなかった。いいね?』

 

『そうだね! そもそも倉庫に近づいたかどうかも疑わしいよね!』

 

『どちらかというとここには居なかった! うん!』

 

薄い壁を隔てて、勝手なことを抜かす声が倉庫内に響く。そして遠ざかっていく声と足音。優は神経を研ぎ澄まし、じっと動きを止める。手の平にじわじわと汗が滲んだ。

 

(……大丈夫そうだな)

 

足音が完全に聞こえなくなったところで、緊張を解くように、優は再び大きく息を吐いた。

 

「はあぁ……もう行ったみたいだね」

 

「ぁんっ……そ、そうだな……」

 

優が口を開く度、生温い吐息が一夏の耳元をしっとりと舐め上げる。一夏は背筋に走るぞくぞくとした何かを感じながら、同時に危機の一つが去ったことに確かな安堵を覚えていた。

 

そして安堵は思考に冷静さを取り戻させる。

 

ふと優と一夏の目が合った。改めてその距離の近さを認識する。文字通り密着状態。鼻と鼻が触れあいそうな距離。黒く艶やかな髪、白い肌、真紅の瞳。一夏の視界全てを八神優という少女が埋め尽くす。一夏の顔が朱に染まる。せっかく取り戻した冷静さを速攻で奪われてしまったことすら、認識が追い付かない。

 

そしてふと冷静になってしまったのは優も同様だった。とはいえ彼女の場合、思ったより距離が近くて多少驚いている、という程度だ。

 

「ああ、ごめんね。今どくから……」

 

そう言って背中で上にある用具類を押しのけようとするも、彼女は所詮一人の女子高生。持ち上がるはずなどなかった。

 

「くっ……はぁ……駄目だ。全然動かない……」

 

「んんっ……! だ、だったら俺がやるよ。さっきみたいに部分展開すれば行けると思う」

 

そう言って一夏は優の顔の横を通るようにして腕を上に伸ばした。肘が伸び切る前に自分達がいる空間の天井に届く。

 

「白式」

 

小さく呟き、先程落下中に展開した装甲よりも尚限定された部分のみを纏う。しかしそれでも、人間の力などとは比べ物にならない。少しずつ天井が上がっていく。スペースが出来たからか、優は腕立ての要領で、身体を天井に合わせて一夏から離れるように上げた。優の顔が丁度一夏の真上に来る。再度目と目が合う。ふと、夕焼けに染まる教室の中で、初めて彼女と会話した日のことを思い出した。

 

(あの時も俺の上にユウが居たんだっけ。それで……)

 

余計なことまで思い出し、思わず籠を押す手に力が篭る。その時、ギシッと、何かが軋む音が響いた。

 

「ん?」

 

上を見ていたからだろうか。或いは籠に触れていたからだろうか。気付いたのは一夏だった。恐らく用具を押し退けようと持ち上げた際、他の物のバランスを崩してしまったのだろう。何かがバウンドするような感覚がボールの籠越しに伝わってくる。そしてそれは徐々に大きくなり……

 

(あれは……野球ボール?)

 

ついにその姿を捉えた。

正確には、野球ボールよりも一回りほど大きいソフトボール用のボールだった。それが土砂の上流から、ポンポンと跳ねてこちらへ降りてくる。

 

一夏の目の前にあるのはサッカーボールが入った籠だ。当然網目は荒い。それが悪かったのだろう。一夏が何かを言う隙も無く、降りてきたボールは目の前の金属の籠の網目をすり抜け、そして吸い込まれるように八神優の後頭部へと激突した。

 

「っ────────」

 

ぽかんとした表情の優。痛い、と、優がそう口にすることは出来なかった。

 

後頭部への不意の衝撃により、優の頭はかくんと下にずれた。そして数センチ下あるのは一夏の顔であり、即ち──。

 

「ッ!!!?!??!???!?!!???!?!!??!?」

 

驚愕に表情をころころ変えながら目を見開く一夏。一部で思考回路がショートしながらも、しっとりと柔らかい優の唇の感触を確かめている下心も存在し、また同時に「そういえば今唇かさついてるかも」、「ちょっと歯当たった?」などという心配をし始める理性も僅かながらに残っている。そんな内心で大忙しな一夏を余所に、優は若干のショックを受けながらも、状況を理解するや否や、そっと唇を離した。

 

「…………」

 

「…………」

 

無言。しばし見つめあう二人。互いのぎこちない息遣いだけがこだまする中、先に沈黙を破ったのは優だった。

 

「……えっと、なんか、ごめん」

 

口元を隠すように手を当て、目を逸らす優。同時に一夏もふいと目を逸らし、一方で「何か言わなければ……!」と焦燥に駆られ、つい勢いに任せて口を開く。

 

「あ、いや、俺の方こそ、その……あ、ありがとうございます?」

 

倉庫という密室の中、どこか気まずい雰囲気が流れる。赤い熱が冷めない唇を、一夏は無意識のうちに指先でそっと触れていた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

慌ただしい喧騒に包まれる校舎。放課後だというのに人の気配が無くなる様子は無い。ばたばたと足音が廊下に響く。そんな生徒達の動きに待ったをかけるように、バサッと、まるで扇子か何かを広げたような音が、突如として校内の全スピーカーから同時に響き渡った。

 

『あー、てすてす。よし、聞こえてるわね!』

 

最新にして高性能なマイクが、ふんすという鼻息まで拾う。

 

『せーとかいよりお知らせよ! 今日から部活動についての規則が改正されたわ! くわしくは正面玄関前、および職員室前の掲示板を確認すること!』

 

威勢のいい声が校内全域を支配する。呆けた表情でスピーカーを見つめている生徒達。やがて『いじょう!』と一際大きく言い放ったかと思うと、放送者当人はこれで終わりとでも言わんばかりにガタッと音を立てて立ち上がった。

 

『あー終わった終わった! ふふん、これくらいの仕事、せーとかいちょーたるわたしにかかれば楽勝ね!』

 

『会長、スイッチ切り忘れてますよ。丸聞こえです』

 

『え、うそ!? スイッチ!? どれ!? これ!? えいっ!』

 

『今ので校舎内だけではなくアリーナや校庭にまで拡大しましたね』

 

『ええっ!?』

 

学園の敷地内全域に、とある女子生徒の叫び声が響き渡った。




現1話目で運を貰える話をしてて、現2話目で「優がいなくなるんじゃないか、離れたくない」と一夏が不安に思っていることを言ってて、そこから一夏がISを手にしたりIS学園に一緒に行くことになったり今まで離れ離れになってしまったやつらと再会できたり云々は全部優から貰った幸運によるものであってさらに誘拐事件を切欠として離れたくない→守ればいいじゃないという発想が生まれさらにそれを後押しするように現7話目にて優が一夏にとって最良の結果に繋がるようになんていう祈り方をしてしまったために優は自分の首を絞めるはめになったという脳内設定。

あと自分の運を信じて直観とフィーリングで何となく生きてた方が優は基本強くて逆に幸運を信じ切ることなくあれこれ自分の力で考えて行動した結果は割と裏目に出てる。

これらは全て仕様であって緻密な計算の下に成り立っており別に深く考えずに書いていたら結果こうなっていたからどうにかこじつけて理屈っぽくまとめようとしたわけではない。

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