IS-イカの・スメル-   作:織田竹和

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おかしい。この作品を書き始めたころはもっと一夏と優がイチャイチャして弾がハレグゥのグゥみたいな感じになって鈴はヤンデレで千冬は頭の悪いブラコンになるはずだったのに。誰のせいでこうなったのか。
投稿してから気付いたけど話進んでなくてワロタ


10

切欠は些細なことだった。

 

「なあ、千冬姉」

 

「どうした一夏。ははあん分かったぞ? さては寂しくて眠れないんだな? よしよし、お姉ちゃんが一緒に寝てやろう」

 

ただ、彼の目が──

 

「そんなわけないだろ! 俺はただ──」

 

 

 

──強くなりたいんだ。

 

 

彼の目が、かつての誰かと同じだったという、

 

 

 

「一夏……?」

 

 

 

ただそれだけ。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

【1週間前】

 

無数のデータの奔流が上から下へと流れていく。まるでイルミネーションのように薄暗い室内を照らしていたそれは、やがてピタリと大人しくなった。

 

「コアの解析、完了しました」

 

織斑千冬は報告を受け、モニターの近くへと歩み寄っていく。

 

「それで、どうだった?」

 

「はい、調べたところ、所属なし。未登録のコアでした」

 

「……そうか」

 

未登録のコア。本来ならば有り得ない無人機。これらを可能にする人物に、千冬は心当たりがあった。

 

(だが……)

 

先日の戦闘を思い出す。映像データは何者かによって消去されてしまったが、千冬自身がしっかりと覚えている。

 

(あれは、下手をすれば殺しかねないレベルだった)

 

千冬は先日の戦闘で酷使された、自身の弟の機体を思い浮かべた。

 

(()()ならば確かに、コア自身が持つ治癒能力で一夏が死ぬことは無かったかもしれないが……)

 

しかしだからといって千冬には、自身の幼馴染である人物が、自身の弟を傷つけるとは思えなかった。

 

(とはいえ奴なら、傷ついた一夏を自分が看病するためだとか、師匠っぽいことをやってみたかっただとか、そんなことも言いそうではあるが……)

 

そこでふと、今度は別のことが頭をよぎった。

 

(そういえば八神はまだ目覚めていなかったな)

 

千冬の弟を庇い、その弟よりも遥かに重症となった少女。弟を狙ったものではないとすると、まさかかの少女を……。

 

(いや、そもそも奴と八神との間に接点はない。何を狙うというんだ)

 

しかし一度火がついた思考回路はぐるぐると回り始める。

 

(そういえばオルコットとの試合では何も起こらなかったな。八神と一夏の戦闘も八神が土壇場で進言したから実施したのであって……いや待て。何を考えている)

 

青白い光に照らされた千冬の横顔を、山田麻耶は何が何だかよく分からないといった表情で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「ドイツ軍特殊部隊《シュヴァルツェ・ハーゼ》隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。気軽に少佐と呼ぶといい」

 

優よりも尚小さい背丈。銀色の髪。病的なまでに白い肌。そして妖精のような容姿を持ちながらも、その中で一際異彩を放つ無骨な眼帯。ラウラと名乗った少女は、軍人然とした態度で背筋を伸ばしていた。

 

一方名乗られた側はと言うと、

 

「あ、はあ。えと、八神優です。よろしく」

 

なぜ名乗られたのかすらよく分かっていない様子で、曖昧に頷いた。どうしたものかと、助けを求めるように共に教室に入ってきた篠ノ之箒の姿を探すも、彼女はどうやら必殺人見知りを発動してしまったらしい。いつの間にか座席で本を読んでいた。

 

しかし何が何だか分からないなりに、優にも一つ分かっていた事があった。

 

(あの眼帯は絶対そこの男の影響だな)

口にこそ出さないが、優の視線はラウラの眼帯と、その隣に立つ赤髪の男子生徒の間を行ったり来たりしていた。

優が眼帯を見ていたことに気付いたのか、ハッとした顔で眼帯を抑え、苦しそうに呻きながら後ずさるラウラ。

 

「くっ、危うく私の左目に宿りし力が暴走するところだった。危ないから私の左目は見ない方がいい」

 

「違うぞラウラ。同じような文意ならそこは『貴様、あまりこの左眼を直視()ない方がいい。危うく我が左眼に宿りし魔眼の力が暴走するところだった。命拾いしたな』の方がいい。目ではなく眼だ。『宿りし』という表現は良く使えていたな。『~し』という表現は今後も多用するように」

 

「はっ! 閣下の慧眼、御見それいたしました!」

 

鷹揚に頷く五反田弾。背筋を伸ばしたまま、これまた軍人然とした洗練された動きで敬礼をしてみせるラウラ・ボーデヴィッヒ。師弟間の微笑ましいやり取りに、優の整った顔にも引きつった笑みが浮かぶ。

 

「えーっと、オルコットさん?」

 

「セシリアで構いませんわ。ユウさん」

 

「あー、そう。じゃあセシリア、これってどういう状況?」

 

優の問いに対し、セシリアはどこか困ったような表情になるも、何とか頭の中で整理しながら言葉を選んでいく。

 

「もうクラス対抗戦が近いということで、5組のクラス代表であるラウラさんがご挨拶に来たんですの。ただ、なぜかこのクラスの代表が弾さんだと誤解していて、そしてなぜか弾さんのことを『閣下』と呼んでいるんです」

 

「あー、うーん。なるほどなー」

 

セシリアの説明に満足したのか、何かを諦めたような面持ちの優。そんな優に、件の少女、ラウラが向き直った。キリッとしていながらも、どこか可愛らしさを残した瞳が優を射抜く。

 

「八神優と言ったな。貴様のことは知っているぞ。我が右腕のクラリッサがよく使っていた、日本のインターネット掲示板とやらで見かけたことがある」

 

そう言ってラウラは制服の中から小型の正方形の物体と、黒く細い棒のような物をを取りだした。

 

「サインをくれ。『クラリッサちゃんへ』と書いてくれればいい。アルファベットで書くときはClarissaだ」

 

小さな色紙とペンだった。

 

ISの国家代表候補生という存在は、例えるならば野球で言うところのドラフト1位選手。さらに拡大するならオリンピック選手候補。その国民にとってはスター選手である。

そして注目される選手は国内にとどまらず、海外にも熱狂的なファンを生み出す。クラリッサという者にとって、優とはそういった存在だった。

 

「さ、サイン? まあ、別にいいけど……」

 

おずおずと色紙とペンを受け取り、キャップを取り外す。

 

「クラリッサは日本好きでな。何を言っているのかよく分からなかったが本人曰く『可愛いは正義(Gerechtigkeit)! 2次も3次もどっちもいけます! めざせ5次元マスター!』とのことだ」

 

「あー、そう……」

 

終始達観した様子の優。さらさらと、ペンと紙が機械的に擦れる。

 

「んっ、こほん」

 

そんな二人のやり取りに割って入る者がいた。セシリアである。ブロンドの髪をかき上げ、チラチラとラウラに視線を向ける。

 

「ん? どうした?」

 

きょとんとした様子のラウラ。あどけない少女のような姿に一瞬言葉を詰まらせるセシリアだったが、目的を思い出したのか、再度咳払いをした。

 

「え、えー、その方は、わたくしのことは何と?」

 

どこか期待を込めた視線。しかしそれをばっさりと切り捨てるように、ラウラは可愛らしく小首を傾げた。

 

「確か貴様はイギリス代表候補だったな。はて、何か言っていたか……」

 

「よかったらわたくしのサインも「あっ!」

 

言いかけるセシリアを遮るように、ラウラはぽんと手を叩いた。

 

「そういえば以前言っていたな。ソクオチ……? が似合うとかなんとか」

 

「な、なんですのそれは」

 

怪訝そうに眉を顰めるセシリアと、まるで「意味を訊ねられてはかなわない」と言わんばかりにセシリアからさっと視線を背ける弾と優、そして数名のクラスメイト。彼女らの行動が、一体何を知っいて行われたものなのかは分からない。

 

そんな周囲の様子など意に介さず、ラウラは朗々と続ける。

 

「それからこうも言っていた」

 

ラウラが二の句を継ぐ前に、先程セシリアから顔を背けた者達の額に嫌な汗が浮かぶ。優は何かを察したのか。足早に教室を後にした。弾もいつの間にか姿を消している。一部の人間に妙な緊張感が走る中、ラウラははっきりと口を開いた。

 

 

 

 

「『イギリス代表候補は「絶対にお【珍】なんかに負けたりしない!」って言いそうですね!』と。そういえばお【珍】とはどういう意味なんだ? 閣下は何か……あれ? 閣下?」

 

 

 

 

空気が、凍った。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「ドイツの方々はほんっとうに品性に欠けますわね!」

 

昼休みの食堂にて。ぷんすかと肩をいからせながら、目の前にいる者たちに声を荒らげるセシリア。フォークを片手に顔を真っ赤にして怒りを表している。

 

「ラウラにも悪気は無い。許してやってくれ。全てはあのクラリッサという女の仕業なんだ……」

 

事のあらましを恐らく誰よりも把握しているであろう弾は、頭が痛いと言わんばかりにこめかみを抑えた。弾が言うには、クラリッサという少女はラウラが所属する部隊の副隊長に当たるらしい。彼がドイツ軍に顔を出す以前からの日本好きであり、また偏った知識を持っていたという。余談だが、五反田弾の登場により、クラリッサの偏り度合いにさらに拍車がかかったのは言うまでもない。

 

「なんか、俺が居ない時にいろいろあったみたいだな……」

 

そして「セシリアお【珍々】事件」が起きた時、唯一その場に居合わせなかった男、織斑一夏は、焼き魚を箸で丁寧に解しながら口へ運んだ。

 

「そ、そういえば一夏、今朝は遅かったようだが、何をしていたんだ?」

 

そう言葉をつっかえさせながら言ったのは、同じテーブルの中、隅の方で一夏と同じ焼き魚定食をこそこそ食べていた箒だった。一応着いて来てみたものの、まだセシリアや弾と打ち解けるまではいかないらしい。

 

訊ねられた一夏はというと、「ああ、ちょっと特訓してた」と事も無さげにさらっと返す。ここで『へぇー、特訓してたんだ。頑張ってるね! 一人で? それとも誰かと一緒だったの?』くらいの返答が可能であれば、会話続行、そして想い人に悪い虫が付いていないかどうかの確認という一石二鳥の結果が得られたのだが、悲しいかな、彼女にはコミュ力が無かった。

 

「……そうか。とっく「なにぃ!? 特訓だとぉっ!?」

 

さらに間の悪いことに、箒の言葉にかぶせるようにして、珍しく大人しくしていた男が凄まじい勢いで食いついてしまった。テーブルに身を乗り出す勢いで、今にも一夏に飛び掛かりそうだ。

 

「そうだけど……それが何か「何かじゃねえだろうが! なあ一夏、俺達は親友だろ? ならばなぜ俺を呼ばない! 特訓の申し子と呼ばれたこの俺を!」

 

誰も申していない。

 

さらに言うと親友であることと特訓に呼ぶ呼ばないという点については何ら因果関係など存在しないのだが、誰にもそんな疑問を挟む余地を与えない勢いと情熱が、この男にはあった。

 

「まあでも、確かにこっそり特訓っていうのもあんまり今まで無かったわね」

 

そう言ってしれっと紛れ込んでいたのは、2組代表であるはずの凰鈴音。いつの間にか一夏の隣に座っている。

 

「もちろんあたしは一夏が誰と何をしてたのか、ちゃーんと把握してるからね!」

 

にっこりと満面の笑み。薄く朱の差した彼女の表情は、それを見る多くの男を虜にするだろうと思わせるほど綺麗なものだった。その笑顔を向けられた当事者である一夏もやはりそう思っているのか、薄く汗を滲ませながら乾いた笑いを浮かべた。

 

ほのぼのとした幼馴染同士の会話に疎外感を感じたのか、セシリアは今日何度目になるか分からない咳払い。一瞬静まり返った隙を狙って口を開く。

 

「それで、特訓というのは一体何をしていたんですの? それとアナタ、たしか2組代表の凰鈴音さんですわね? これから戦おうという者と食事を同席するとはどういう神経です?」

 

眉をひそめながら鈴を見るセシリア。流れるように放たれた言葉は至極ご尤もである。しかし当の鈴はというと、

 

「あ゛?」

 

「ひっ」

 

喧嘩腰丸出しで凄んでいた。小さく悲鳴を上げるセシリアに対し、さも今気付きましたといった風にまくし立てる。

 

「ああ、いたの? ごめんなさい全っっ然気付かなかったわ。ていうかなんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないわけ? そもそもあたしは一夏と一緒にご飯を食べていたのであってアンタとご一緒してるわけじゃないわ。ていうかアンタ誰?」

 

「なっ、なっ、なにをっ……!」

 

ここまで言われて黙っているわけにはいかない。セシリア個人のプライドと国を背負う立場であるというエリートとしての自意識がセシリアのなかでむくむくと膨れ上がる。先程同様怒りに震えるセシリア。

 

しかしそこである人物から待ったがかかる。

 

「お、おい、二人とも、急にどうしたんだよ?」

 

待った、というには弱々しい。おろおろと状況を飲み込めていない様子の一夏。

 

「その……よく分からないけど、喧嘩はやめろって。な?」

 

どうしたらいいか分からないなりに、おっかなびっくり仲裁を買って出る様子の一夏に、鈴のとった行動は迅速だった。ツインテールを揺らしながら凄まじい勢いで一夏に向き直る。

 

「違うのよ一夏! これは演出よ。え・ん・しゅ・つ。これぐらい煽った方がお互い戦いやすいし、盛り上がるでしょ? だから一夏は何も心配しなくていいのよ? ね? 1組代表さんもそう思うわよね?」

 

今度はセシリアへとその笑顔を向ける。否、笑顔ではない。目が1ミリたりとも笑っていなかった。余計なことを言うとコロス。その目は語っていた。

 

しかしセシリアは気付かない。鈴の意図するところなど欠片も。ああ、なんと愚かなセシリア・オルコット。彼女は純粋すぎたのだ。常に他人に期待をかけ、美点を探す。なんと健気で愚かなことか。

 

「ま、まあ、そうでしたの……こほん。ええ、その通りですわ。こんなところではしたなく喧嘩などするはずありませんわ」

 

言葉を額面通りに受け取るセシリアは、鈴の言葉が口から出まかせであるとことも気付かない。そしてセシリアはプライドが高かった。故に自分だけが本気で怒っていたなどと思われたくない。結果、鈴の思惑通りに事が進んでいた。なんと愚かなセシリア・オルコット。人を見る目に自信があるとは何だったのか。

 

そしてもう一人、まったく気付いていない男がここに。

 

「ああ、なんだそうだったのか。迫真の演技ってやつか? まったく気づかなかったよ」

 

呑気に微笑む織斑一夏。その一夏とセシリアを横目に、いつか詐欺に遭うんじゃないかこいつら、という言葉を、箒は味噌汁と共に飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

喫煙室。

 

昨今の禁煙ブームの流れに逆らうように割とどこにでも存在するその部屋は、ここIS学園の片隅にも例外無くひっそりと存在していた。

 

織斑千冬は特にタバコを吸うわけても無く、筒型の灰皿に手をつき、とんとんと人差し指でその銀の淵を叩いた。

 

「すまないな。突然呼び出してしまって」

 

ため息混じりに口にする千冬。そんな彼女に対して、少女はぶんぶんと横に首を振った。先程から部屋の入口で所在なさげに立ったまま髪を指先で弄んでいたのだ。この謎の時間から開放される糸口を与えられた少女はここぞとばかりに口を開く。

 

「あ、いえ! 全然大丈夫です!」

 

八神優は言いながら、にこりと笑みを浮かべる。その完成された美術品のような表情から、さっと視線を背ける千冬。

 

(ありゃ? 俺さん何かミスりました?)

 

内心で自身の言葉を省みるも、特に問題は無さそうだ。では一体どうしたというのか。優の中で静かに疑念が広がる。

 

しばしの沈黙。千冬は何かを考え込むように顔を伏せていたが、やがて優を徐に見据えた。

 

「すまない。私も何から話せばいいのかよく分かっていなくてな。ひとまずお前自身の問題から触れていこう」

 

「問題、ですか?」

 

僅かに表情が曇る。優自身、思い当たる節があるのだろう。千冬はゆっくりと口を開いた。

 

「八神、お前、恐くなったのか?」

 

何が、とは言わなかった。

 

しかし当の本人にはしっかりと伝わっているようだ。赤い瞳は見開かれ、美術品のような相貌には驚愕の色が滲んでいる。

 

「あの一件以来、ISを起動していないらしいな。特に一夏とは、IS関連の話題を避けている節がある」

 

淡々と言葉が続く。優の視線はあからさまに泳いでいる。どうやら事実らしい。

 

「それは、機会が無かっただけで」

 

「だったら今日の午後、実習訓練の時間がある。その時に模擬戦をして見せろと言って、できるか?」

 

優は答えない。答えられなかった。ただ俯き、千冬の言葉に肯定を示す。

 

張り詰めた空気の中、再び千冬の言葉が優をじわじわと締め付ける。

 

「……初めは、ただのお節介で、危険を顧みない無鉄砲なやつだと、ただそれだけだと思っていた」

 

そう言って千冬は、タブレットのような物からホログラムを浮かび上がらせた。いくつかの写真と、数多の文字列。それは優にとって非常に見覚えのあるものだった。

 

「その評価は当たっていたと思う。悪いが少しお前のことを調べさせてもらった。実際、特にどこかの組織とつながりがあるわけでもなかった」

 

ホログラムが消える。千冬の言葉は止まらない。

 

「多少危ういとは思っていたが、特に気にしてもいなかった。その結果が先日のアレだ。これは私の落ち度でもある」

 

「そ、そんな」

 

「しかしだ八神。そこで今のお前の状態が、私からしてみれば疑問なのだ」

 

千冬の目に力が篭る。

 

「お前は思い出したかのように恐怖というものを感じ始めた。だが何故だ? 危険という意味では、2年前の事件だって十分危険だった。あの時は腕を撃たれたそうだな」

 

「あ、あのときは、その……」

 

「あの時はなんだ? 『死なない自信』でもあったというのか? そしてお前の中のその自信とやらが、先日の一件で揺らぎ始めた。違うか?」

 

優が一歩後ずさる。口を開けたり閉じたりしながら、言葉を探すも、何も出てこない。

 

「八神、もしかしたら私はこれから教師として、人間として最低なことを言うかもしれない。ただの八つ当たりに等しいことは理解している。それでも言わせてくれ」

 

空いた距離を、千冬の一歩が詰める。揺れる優の瞳を、千冬の鋭い眼光が貫いた。

 

「なあ八神。お前は何だ?」

 

千冬の言葉がゆっくりと優の中に沈んでいく。自分は、何なのか。

 

「一夏がお前と出会ってから、いろんなことが変わってしまった。まるでお前を中心に何か大きな力が働いているように」

 

「私は、ただ……」

 

「ああ、お前に非がないことは理解している。身勝手で、馬鹿みたいで、妄想にも等しい言い掛かりだ。しかしこの醜く膨れた疑念を私の中ではもう抑えきれない」

 

例えば──。そう前置きして千冬は語る。

 

「そう、例えばだ。この前の一件だってそうだ。あの時お前が一夏と戦っている時に起きた。その前の試合では何も起こらなかったのにだ。もしかしたら八神が一夏と戦うように進言しなければ、あの襲撃は無かったかもしれない。それに恐らくだが、私はあの無人機を作った人間に心当たりがある。しかし奴は、一夏を傷つけるような真似はしない」

 

目を見開く。言葉の刃が、少しずつ優を刻む。

 

「そしてもう一つ。一夏がISを動かした切欠、2年前の誘拐事件。あれも一夏がお前と出会わなければ起こらなかったかもしれない。一夏があそこにいたのは八神、お前がチケットを用意したからだと聞いている」

 

心なしか、千冬の声は震えている。

 

「一夏が危機に陥る時、八神、なぜかお前がそばにいる。しかもその原因となる部分に関わる形で」

 

「ちがっ、私は……っ!」

 

「お前が一夏を守ろうとしているのは知っている。実際お前が関わった一夏の危機は、お前が一夏を守ることによって収束している。それは紛れもない事実だし、感謝もしている。しかしお前のそんな意思とは別に、何か大きな力が働いているようにしか思えない」

 

「力って……」

 

「一夏は、お前と出会ってから、少しずつ変わってしまった。今朝、一夏がなんて言ったか、知っているか?」

 

小さい声で「いえ……」と呟き、首を横に振る。そんな優を見て、千冬は自嘲気味に笑った。

 

「『守りたい人がいる。だから強くならなきゃいけない』と、そう言っていた」

 

優は答えない。一夏の言葉に対する答えを、優は持ち合わせていない。

 

「一夏はもともと弱い。身体的な意味ではなく、精神的に。昔の経験からか、何かを失うことに対してトラウマに近いものを抱くようになってしまってな。それ以降、あいつは常に、誰かに依存するようになった。その誰かを失わないように、日々を過ごすようになった。恐らく、今の一夏はお前に依存している。守りたいというのは、依存の裏返しだろう。それだけならまだ良かった。だが、今朝そう言ったあいつの目は……」

 

「昔の、私と同じだった」そう言って、どこか遠い目をする千冬。

 

「あそこまで、何かに強く依存する一夏は見たことが無かった。もはや『守る』ということに執着しているといってもいい。そんなあいつの目は、我武者羅に力を求め、悪魔に魂を売り払うことも厭わないような、そんな目だった」

 

「悪魔……」

 

「実際私は売ってしまったからな。強力な力を持った兵器をチラつかされ、安易に手を伸ばしてしまった。そもそもの原因というなら、私がISなんぞに手を出さなければ、一夏が危険な目に遭うことも無かったのかもしれない」

 

「そんな……それとこれとは、話が……」

 

「確かに直接の因果関係は無いかもしれないな。だが、なんというか……」

 

千冬はしばし考え込むように沈黙し、やがて「似ているのだ」と呟いた。

 

「似ている……ですか?」

 

「ああ。状況、それから……その悪魔とお前がな」

 

「あ、悪魔、ですか? あはは……」

 

言われて、もしかしたら彼女なりのジョークかもしれないと、愛想笑いを浮かべる優。千冬の表情はしかし、裏腹に厳しいものだった。

 

「冗談ではない。周囲の、何もかもを変えてしまいそうな、そんな大きな力の中心。あの女もそういうやつだった」

 

千冬の眼光に、優は思わず息をのんだ。彼女には類稀なる幸運がある。恐らく千冬の言う力とはこのことだろうと優は考えていた。しかし、自分と同じような『何か』を持つとなると、その悪魔がいかに凄まじい人物かということを嫌でも想像してしまう。

 

「私は……一夏も何か大きな力の流れに巻き込まれて、いずれ巡り巡って、自身の選択を後悔するのではないかと思ってしまう」

 

やけに実感のこもった言葉に、優は何も言うことができなかった。

 

「……八神、私は一夏のためになら、悪魔に魂を売っても構わない。だから……」

 

優をまっすぐと見つめる。千冬はやがて意を決したように、その言葉を紡いだ。

 

「……これだけははっきりさせておきたい。八神、お前は……一夏の味方なのか?」

 

もはや懇願に近い言葉。千冬の表情はどこか悲痛で、それでいて真剣そのものだった。対する優は、震える目で千冬を見つめる。やがてその真紅の瞳を伏し目がちに床へと向け、

 

「……敵ではない、つもりです」

 

絞り出すように答えた。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

放課後のアリーナの観客席で、ぽつんと座る少女が一人。視線の先では、少女よりも一つ二つほど年上と見られる女子生徒たちが、機械の装甲を纏い、縦横無尽に飛び回っていた。

 

「あいつの問題に関わって、戦っていく自信が無くなったと思ったら、案外俺が離れれば全部解決するかも、だなんてな」

 

八神優は儚げに笑う。

 

「俺がそもそもの元凶か。考えたことも無かったな……」

 

10年前に一度、ある人物を中心に世界は姿を変えた。マルチフォーム・パワードスーツ、今優の目の前で飛んでいるISを伴って。

そして2年前、再度世界は変わった。世界最強が姿を消し、今度はそのISを、織斑一夏という一人の男が動かしたことによって。

 

2年前に起きた変革は、織斑一夏を中心として起こっている。少なくとも世間はそう認識していたし、優もまた同様だった。

それが、なんと世界の中心にいたのは彼ではなく、自分なのかもしれない。或いは彼を中心に追いやったのは自分なのかもしれない。そう言われてしまえば、混乱するのも仕方がなかった。

 

「そんなこと言われたって、どうしろっていうんだ……。俺の力は幸運じゃなかったのか……?」

 

或いは、この世界は誰にとっての幸福なのか。

 

考え事をしていたからだろうか。優は背後からやってくる人物に気付くことができなかった。

 

「あれ? 貴女は……」

 

急に聞こえた声に、反射的に振り返る。今の自分を見られていたのだろうかと、そんな懸念が一瞬優の頭を過った。

 

「ああ、やっぱり。八神さんでしたか」

 

ゆっくりと歩み寄るその人物は、その銀色の髪を陽光に煌めかせ、穏やかに微笑んだ。

 

「えーっと、少佐ちゃん、だっけ?」

 

「ふふっ、そちらの方を覚えて頂いたんですね」

 

困ったように笑う少女。妖精のようなその立ち姿と、今朝優が初めて彼女を見たときとのギャップに、優は目の前の光景を一瞬疑った。傾きかけた日の光を受け、少女の眼帯が武骨に光る。

 

「はい、ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐です。今朝、お会いして以来ですね」

 

銀色の妖精は優の隣に歩み寄ると、ちょこんとそこに腰掛けた。倣って、優もまた座り直す。

 

「こんなところで何を?」

 

「何って……いや、別に……」

 

ラウラの問いに、優はただアリーナの床を見つめた。自分は何をしているのか。分からない。とりあえず一人で考え事をしたかった。ふらふらと彷徨い、たまたま辿り着いたのがここだった。

 

しばし考え込んでいた優だったが、やがて徐にその重い口を開いた。

 

「ねえ、ラウラちゃん、だったかな」

 

「ラウラで構いませんよ」

 

ラウラは言いながら、はにかむように、頬を少し染めてくすぐったそうにして笑った。

 

「ちゃん付け、っていうんですよね? そういうの、慣れてなくて……」

 

「じゃあラウラ。これから言うことは冗談か何かだと思ってほしいんだけど」

 

そう前置きして、優は視線を動かさず、抑えきれない不安を溢れさせる様に言葉を零した。

 

「もし自分が、他人や自分の運命を捻じ曲げられるほどの力を持っていたとしたら、どうする?」

 

「運命を……曲げる、ですか?」

 

「うん、例えば……」

 

アリーナの中心で、剣戟が響き渡る。どうやらまだ決着は着いていないらしい。

片方は打鉄という日本の量産機。甲冑を彷彿とさせるデザインで、近接戦闘主体の安定した性能を持つ機体だ。

もう片方はラファール・リヴァイヴというフランスの量産機。汎用性と豊富な後付武装が特徴の機体だ。

 

「ラウラ。賭けをしようか」

 

「賭けですか。賭博は禁じられているのですが、具体的には何を」

 

「簡単だよ。今戦ってる人達のどっちが勝つかを当てるだけ」

 

「なるほど。それくらいなら構いません」

 

了承を得たところで、優は飛び回っている二機をじっと見つめた。現在は互角の様だが、遠距離武装が豊富な分、いざ遠距離戦に持ち込まれてしまうと打鉄の方が不利であるかのように思える。

 

「そうだなぁ……」

 

優の口から小さな呟きが零れる。

 

「打鉄が勝つ」

 

「では私はラファールに賭けます」

 

その直後だった。

 

一度距離を取って遠距離戦に持ち込もうとしたのか、ラファールが軌道を変え、打鉄から離れるように旋回した。しかし──

 

「これはっ……!」

 

──カッと閃光が迸る。咄嗟のことにラウラと優は目を庇うようにして手を翳した。飛行姿勢を変えた直後で不安定になっているところに、打鉄からスタングレネードが放たれたのだ。影響をもろに受け、動きが著しく鈍くなるラファール。そしてその隙を逃すはずもなく、互角の戦いを繰り広げていた二機による模擬戦は、打鉄の渾身の一太刀によって幕を下ろした。

 

「本当に打鉄が勝ちましたね。スペック的にはラファールの方が勝っていると思っていたのですが……」

 

そう言って驚きの表情を浮かべるラウラをちらりと横目に見やり、優は再び床に目を向けた。

 

「今、私が賭けをしようと言わなければそうなっていたかもしれない」

 

もし仮にラファールが勝負を焦らなければ、結果はどうなっていたかは分からない。近接戦で打鉄を弾き飛ばすようにして、相手のバランスを崩しながら距離を置くことができれば、そこからはラファールの一方的な遠距離攻撃が始まったことだろう。

 

「それか……」ぽつりぽつりと言葉が続く。

 

「それか、どちらかが私と一緒に長くいれば、そっちが勝ってたかもしれない。そうなると多分、心のどこかで勝ってほしいって思っちゃうだろうから」

 

沈黙が横たわる。アリーナの中央では、先程訓練機を使用していた生徒達が撤収作業を始めている。

しばらく見守っていた二人だったが、やがて沈黙を破るようにラウラが言った。

 

「つまり、優さんが望めばその結果を得られる、ということですか?」

 

「そんな融通の効くものじゃないよ。ただ、方向性の定まらない幸運を持ってるってだけ。力が強い分、使い勝手の悪い粗悪品だよ。これのせいで困ったこともあるし」

 

自嘲気味に顔を伏せる優。しかし、

 

「でもっ!」

 

「っ!?」

 

対照的に、キラキラした表情で興奮冷めやらぬといった様子のラウラ。今朝とは対照的な、年相応よりも幼く見える彼女から、思わず目を逸らせない優。

 

「でもでもっ! それでもすごいじゃないですかっ! 何にも持ってない人からすれば、きっとすごく羨ましいですっ!」

 

「お、おう」

 

余りの勢いに若干ではあるが腰が引けている優。しかしラウラは止まらない。

 

「超高校級っていうんですよね!? クラリッサが言ってました! Japan(ヤーパン)の『フツーノコーコーセー』は全員特殊な力を持った超高校級の者達だと!」

 

「それは違うよ……」

 

「違うんですか!?」

 

なぜか凄まじいショックを受けたようなラウラ。しかし優の様子から己の情報の瑕疵を悟ったのだろう。「違うんですか……クラリッサにはなんと伝えるべきでしょうか……」そう呟きながら、どこかしょんぼりとしている。

 

そんなラウラの様子に罪悪感が芽生えたのか、優はあたふたしながら話題を切り替えた。

 

「そ、そういえばさ、今朝とは随分その、なんていうか、キャラが違うけど……」

 

言ってから、しまったと言わんばかりに口を押える優。咄嗟の判断とはいえ、なぜこうも面倒くさそうな事情が見え隠れしているところに向かっていくのか。

 

しかし当のラウラはというと、「別に大したことじゃないんです」と照れ笑いのような表情を浮かべている。あまり気負っている様子も無さそうだ。優の勘違いだったらしい。

 

「ただ、閣下みたいになりたくて。閣下の前では、閣下のまねをしているんです」

 

「……ほ?」

 

思わず間の抜けた声が出る。しかし優には信じられなかった。閣下というのは優のクラスメイトである五反田弾のことだろう。その男のようになりたいと、目の前の少女が言った。ただそれだけの事実を、優の頭は処理しきれなかった。

 

「それに、学校にいる間は、一応軍人として振る舞おうと決めてますので。閣下みたいにしていた方が軍人らしいですし」

 

「えっと、そうなると、今が素の状態ってこと?」

 

「えへへ、そうなります……って、ごめんなさい。あんまり、軍人らしくないですよね。私達、ISが出たころから日本語を学ばされてて、軍の施設でも日本語を使うことが多かったんですけど、周りは大人が多くて、自然と敬語が染み着いてしまって……」

 

「あ、あー、うん。なるほどなー」

 

10年前、あるいはそれ以上前から軍に所属しているというこれまた面倒くさそうな事情を耳にしてしまい、早速後悔の念に浸る優。あまりその辺の事情に触れずにおこうと、再度軌道修正を図る。

 

「そういえばさっき、五反田君みたいになりたいって言ってたけど、あれってどういうこと?」

 

「えっ、あっ、それは、その……」

 

優の質問に、急に歯切れが悪くなるラウラ。先程とは打って変わった様子の少女に、優の中で一つの予想が首を擡げる。己の予想に目眩を覚え、優は軽く頭を振った。ラウラはそんな優のことなど気に留める余裕など無さそうだ。

 

「閣下には言わないでくださいね? ……その、閣下は私の憧れなんです」

 

再度、優に衝撃が走る。目の前の妖精のような少女は今、自分に向けて何と言ったのか。

 

「AKOGARE……?」

 

「はい、憧れ、です」

 

聞き間違いでは無いようだ。この少女はたしかに、五反田弾に憧れているのだ。優は納得はできないものの、辛うじて理解する。

 

「憧れねぇ……それはまたなんで?」

 

優の問いに対し、ラウラはどこか、昔を懐かしむように空を見上げた。

 

「閣下って、いつも自信たっぷりじゃないですか」

 

「自信っていうか……まあ、うん」

 

風が吹く。昼間の熱を浚うように、ひんやりと頬を撫でる。いつの間にか、空は赤く染まっていた。

 

「私、昔いろいろあって自分に自信が持てなかったんです。そんな時に閣下と出会って……」

 

優の額にうっすらと妙な汗が浮かぶ。再度これまた妙な予想がむくむくと自己主張を開始する。優の内心を知ってか知らずか、ラウラは言葉を続ける。

 

「閣下は仰ったんです。『貴様は自尊心によって歪んだ自己効力感に支配されている』って」

 

「……え? 自尊心の自己こう……何?」

 

「私も意味はよく分かりませんでした。ただ、閣下は、私が嫌いだった私を、誰よりも認めて、信じて、肯定してくれました。こんな眼になって、訓練も上手くいかなくて、みんなが私を見下す中、閣下だけは褒めてくれたんです。おかげで、私もこの眼が好きになれたし、ちゃんと使いこなそうって思うようになれて、嫌になっていた訓練も好きになって……。それから教官の助けもあって、ようやく軍人として立ち直ることができたんです」

 

ラウラの口元には笑みが浮かんでいる。温かい笑みだった。

 

「閣下の言動を、いろんな人は『チューニビョー』や『勘違い』と捉えているようですが、結局根本にあるのは、自信を持つことだと思うんです。多分閣下は私と同じで、自分に自信が持てなくて、だからこそ、常に自信にあふれた自分を、無条件に肯定できる自分の姿を探してるんじゃないかって、思うんです。『チューニビョー』などは、ある種そのための処世術ではないでしょうか。何が閣下をそうさせているかまでは存じませんが」

 

夕日がラウラの髪に反射してきらきらと輝く。優はその様をじっと見ている。そんなわけないだろ、と、静かにそう思った。

 

「劣等感の塊だった私には、そんな閣下が眩しくて。閣下と一緒にいるだけで、なんだか何でもできそうな気がしてきて……」

 

そっと、ラウラの白い手が眼帯に触れた。

 

「閣下と一緒にいれば、閣下みたいにしていれば、いつか……」

 

小さく息を吐くと、ラウラは淀みない動作で立ち上がり、優を見降ろした。その顔つきは先程までのラウラという少女ではなく、優が初めて彼女を見た時のそれ。ドイツ軍シュヴァルツェ・ハーゼ隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

「今の自分を認めろ! 八神優!」

 

呆けている優に、ラウラは一気にまくし立てる。

 

「手に余る幸運? 素晴らしいではないか! 貴様がその力を全力で振るえば、世界だって手に取れる! 制御できないというのであれば制御できるようになればいい! 粗悪品と掃いて捨てるには過ぎたる力だ!」

 

ようやく優は、目の前の少女が自分のことを認めてくれようとしているのだと、励ましてくれているのだと理解する。

 

「貴様は『方向性の定まらない幸運』と言ったな。それもそのはずだ。幸福の定義など人それぞれ、時と場合と立場で大きく異なる。それでも尚、貴様にとっての幸運が訪れないというのであれば、貴様自身が明確な目的を持っていないのだろう」

 

「目的……」

 

「何が何でもこうしたいという、強き思いだ。明確な目的とは即ち、幸福の物差しでもある。それが無ければ幸福という大雑把な言葉から数多の結果が導き出されるのも無理はない。貴様が例えば世界を支配したいと何よりも強く願えば、全ては貴様の意思に従い、そのための運が巡るだろう!」

 

「そ、そんなこと思ってないよ! 私はただ……」

 

言葉が詰まる。自分がそれを言う資格があるのかと。彼に巻き込まれたのではなく、彼を巻き込んだのかもしれないのに。罪悪感が渦巻く。彼の味方でいていいのか。しかし、それでも……

 

「……ただ、他の人を不幸にしたくないだけだよ」

 

俯いて言う優に対し、ラウラは唸りながら顎に手を当てた。

 

「ふむ、そうなると難しいな……」

 

「難しい、って?」

 

「言っただろう。幸福の定義など人それぞれだと。誰かの幸福が、お前からしてみればそうは見えないという事も有り得るはずだ」

 

「たしかに……」

 

「逆に、お前が誰かの幸福のためにとった行動が、その者にとってはそうでなかったり、といった事もあるだろうがな」

 

言われて、しばし考える。そういえばそもそも、彼にとって今の状況は不幸なのだろうか。

 

「ああ、そういえば」

 

そう呟き、ラウラはぽんと手を叩いた。思考の海から現実へ引き戻される。

 

「私の部下に何人か占い好きがいるのだが、そいつらが言うには『運』というのは伝染するらしい」

 

「伝染……?」

 

「ああ。例えば自身が不幸な人間の近くに長くいれば自身もまた不幸になる。逆に幸運な人間の近くに長くいれば、幸運になれる」

 

ラウラはそう言って、優に微笑みかけた。

 

「そうやって、他人を幸せにしていくこともできるかもしれないな」

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だったな、ラウラ」

 

廊下の曲がり角。身を隠すようにして壁に背を預けている男は、すれ違った少女に小さく呟いた。

 

「いえ、閣下の御命令とあらば」

 

「別に命令って程じゃないさ。一夏のやつがやけに心配しててうるさかったからな。それに、ダチが困ってんだ。何もしないわけにもいかないだろ?」

 

「閣下の御寛大なお心には感服いたす限りです」

 

そう言って、お互い軽くほほ笑む。「しかし──」と、ラウラが再度口を開いた。

 

「しかし何故、私に?」

 

対する男は、髪を片手で掻き上げ、深く息を吐いた。

 

「深い間柄にこそ話し辛いこともあるだろうと思ってな。そもそも大したことじゃないなら誰かしらに話が行くはずだ」

 

「なるほど。そうではなかったため、私に白羽の矢が立ったというわけですね」

 

「ああ。すまんな。使い走りのような真似をさせて」

 

「いえ、お気になさらず。私はただ言われた通り、激励を贈っただけです。それに興味深い話もできましたので」

 

「ではこれで──」そう言いながら、踵を返すラウラ。遠ざかっていく背中に、弾はぽつりと問いかけた。

 

「そういえば、結局何を話していたんだ?」

 

問いかけに対し、立ち止まり、振り返る。夕日に照らされたニヒルな笑みが弾の視界に映った。

 

「組織に所属する以上、私は──」

 

「くくっ、守秘義務か。相変わらずお堅いな……」

 

弾もまた、ニヒルに口元を歪める。終わりかと思われた問答だが、ここでラウラの口元が小さく動いた。

 

「ただ、強いて言うのであれば───」

 

夕日が落ちる。一際強く煌めくオレンジに、世界が一気に染め上げられた。幻想的な光景。まるで昼間とは別の世界にいるようだった。切り取られた世界で、悪戯っぽい少女の微笑みが照らし出される。

 

「───冗談か何か、です」

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり日も落ちた中、優は緩慢な足取りで食堂へ向かっていた。夜の帳に溶け込むような漆黒の髪が、優の歩調に合わせてゆらゆら揺れる。

 

「あれ? ユウ、もしかして今から夕飯か?」

 

ふと声がかかる。彼女にとって聞き慣れた声だ。間違えようもない。振り返ると、やはりそこには、丁度優が今日ずっと考えていた少年の姿があった。

 

「うん、ちょっといろいろあって遅くなっちゃって」

 

見れば、食堂の入り口からは既に食事を終えた生徒たちが出てきている。そろそろ品切れになっているメニューもあるかもしれない、と、何となく考えながら再び歩き始める。優の歩みに合わせて一夏が小走りで隣に追いついた。

 

「なんだそっか。実は俺もなんだよな。一緒に食おうぜ。そういやさっきまで弾を探してたんだけど、どっかで見かけなかったか?」

 

「うーん、見てないなあ」

 

答えながら、つま先に視線を落とす。五反田弾の名前を聞いた時、優は先程交わした、銀髪の少女との会話を思い出していた。

 

(運は伝染する、か)

 

ちらりと隣に並ぶ少年を見る。まるで風邪か何かの様に、彼に自分の幸運が染ったというのか。優の頭に、銀髪の少女とのやり取りが再度過る。

 

「ねえ一夏くん」

 

ピタリと立ち止まる。優の視線の先は食堂の入り口へと向けられていた。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

突然歩みを止めた優を、怪訝そうに見つめる一夏。そんな彼に、優はにこりと微笑みかける。

 

「ちょっとさ、賭けをしようよ」

 

「賭け?」

 

「うん。ルールは簡単。次に出てくる人達が何人グループかをあてる。数字が近い方の勝ち」

 

「ふーん、なんかユウがそういうこと言い出すのって珍しいな」

 

「そう?」

 

「ああ。まあいいぜ。やろう。報酬は?」

 

「おかず一品」

 

「オッケー。了解だ」

 

廊下の端へと移動する二人。両者の視線は、再度食堂の入り口へと注がれる。やがてじっと観察するように見ていた二人だったが、ほぼ同じタイミングで口を開いた。

 

「「3人」」

 

狙いすましたかのように、食堂の入り口に人影が現れる。一人が後ろ向きに出てきた。そしてその一人と歓談を交わしながら、別の二人が現れる。後続はいない。果たして三人という数字を見事的中させた優と一夏は、結果を見るや否や、同時に吹き出した。

 

「引き分けだな」

 

「……そうだね」

 

頷きながら、優は何かを思案するように、指先で髪を弄んでいる。視線は伏せられ、何かを決めかねているようだ。やがて顔を上げ、一夏に向き直った。

 

「ねえ一夏くん」

 

先程とは違い、どこか真剣味を帯びた優の声に、思わず笑いを引っ込める一夏。

 

「一夏くんは今、自分が幸せだと思う?」

 

優の問いに一瞬面喰ったようにぱちぱちと瞬き。そしてようやく優の言葉を咀嚼したのか、今度は笑みを湛えて頷いた。

 

「ああ。もちろん」

 

「なんで? 二年前やこの前みたいな事件があっても、それでも幸運だって言える?」

 

「ああ。言えるね」

 

一夏の言葉に、今度は優が面喰う番だった。思わずといった調子で問い質す。

 

「それはまた、なんで……」

 

「二年前。あの場所に居たから、俺はISを動かすことができた。ISを動かせたから、今こうしてユウやみんなと一緒にいられるんだ。それにISっていう、誰かを守るための力を手に入れることだってできた」

 

目を見開く。目の前の少年の「幸福の物差し」が、予想外だったのだ。

 

「この前の事件だって……まあ、あの時は結局またユウに守られちゃったし、こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、あの事件のおかげで、俺はまだ強くならなきゃいけないって思うことができたんだ。みんなを守るためには、もっともっと強くならなきゃって。正直な話、ユウも無事目覚めてくれた今となっては、力不足を気付かせてくれてむしろ感謝しているくらいだ」

 

絶句。優には彼にかける言葉が見つからなかった。あまりにも価値観が違いすぎる。どこのバトルジャンキーだ。ふと、昼休みに目の前の少年の姉が言っていたことを思い出した。

 

────『守る』ということに執着している。

 

優の目には、今の少年の姿がまさしくそう映っていた。

 

「もっと強くなって、今度こそ、ユウのことだってきっと守ってみせる!」

 

そう言う一夏を前に、優の中で静かに、嫌な予想が浮かび上がった。

 

(一夏には今、俺の幸運が伝染している。そして今の話と織斑千冬の話を合わせると、一夏には『俺を守る』という明確な目的がある。そしてそのために何が必要なのか。即ち────)

 

思考を掻き消す。やめろ、考えるな。そう自身に言い聞かせ、優は曖昧な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

守れなかった。

 

『……ちふゆ、ねえ…………いちかは……?』

 

『一夏は……もう……っ』

 

 

彼の手から、いつもするりとすり抜けていく。

 

『箒! 学校行こうぜ!』

 

『……やあ、一夏くん』

 

『あれ? おじさんだけ? 箒は? 束さんもいないの?』

 

 

彼は失うことを恐れていた。

 

『鈴……』

 

『大丈夫よ。またきっと日本に帰って来られるわ。あ、もし新しい女友達が出来たら逐一報告してね?』

 

『……そ、そうだな! うん、また会おうぜ! 約束だからな!』

 

 

一つ一つ。彼の手から離れていく。

 

そしてついに見つけた。途切れなかった繋がりを。

 

『約束したでしょ?』

 

『約束……?』

 

『うん。『一夏くんを一人にはしない』って』

 

彼は今度こそ、失くさないと誓う。

 

(俺も……彼女の様に……強く……)

 

失いたくないと、勝手に願うだけでは誰も叶えてなどくれない。

ならば己の手で守るしかない。失わないために、彼は守り続ける。

それは一人の少女が見せてくれた理想の在り方。一人の少年が見つけてしまった都合の良い道標。

 

 

「守りたい人がいる。だから俺は──」

 

 

守れなかった織斑一夏は、もう要らない。




まあ待って。まずは言い訳からさせてほしい。別に千冬姉のヘイトを稼ぎたいわけではないということを最初に確認していただきたい。
千冬姉についてなんですけどね、まず自分の弟がISに関わり始めた時点で気が気じゃない訳です。誘拐されたり、世間からめちゃんこ注目浴びて隔離されちゃったり。そこにさらに、曲がりなりにも親友だと思っていた相手からの弟への襲撃事件です。しかも結構危険でした。相当ショックです。そして都合の良いことに微妙に怪しいやつが目の前にいたわけです。そしてことの中心である弟君を千冬姉は病的なまでに溺愛しているのです。じゃあさ、ああなっちゃうのも仕方ない。

ラウラの言ってる弾についてのことは大体間違ってる

真のヤンデレはワンサマ感isある


5/21 修正「円夏」→「一夏」

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