T-34/85が、KV-1の懐に切り込む。
相手の側面か、裏を取る動き。
だが、その意図は読まれている。
T-34/76二輛が、T-34/85の背後に回りこむ。
守りの弱い背面を狙おうというのだ。
それを見て、T-34/85が逃げる。
すでに何度も繰り返されたやりとりだ。
しかし、今回の行動は、ただの欺瞞。
逃げたように見せておいて、T-34/85は、ドリフトでT-34/76のさらに背後に回り込む。
ところが、これも読まれている。
すこし離れたところから様子をうかがっていた別のT-34/76二輛が、砲弾を発射して、T-34/85の行動を邪魔する。
傾斜装甲で弾きはした。
それでも、一発がT-34/85の砲塔にひっかき傷を残す。
操縦手の腕は、まちがいなくT-34/85が上だ。
だが、一対五では分が悪い。
立ち止まることができない。
動きまわることはできても、包囲を突破することはできない。
この状況は、昨日、ノンナが指示した戦術の再現――
こまねずみは罠にかかってしまったのだ。
T-34/85が、考えあぐねたかのように速度を落とす。
前方をふさいだ五輛が、すかさず砲火を集中させる。
が、土煙がおさまったとき、T-34/85はその場所にいない。
履帯を逆転させて、全速で後退している。
逃げているのは、ノンナのIS-2が接近中の方角だ。
(戦闘区域外に出るのをあきらめた……?)
部下から報告を聞いて、ノンナは一瞬そう考える。
鈍足のIS-2なら、足で振り切って別方面へ抜け出せると踏んだのだろうか。
(そうはいきませんよ、カチューシャ――!)
ノンナはスコープをのぞく。
見える。
T-34/85が、装甲の薄いお尻をこちらに向けたまま疾走している。
IS-2なら、この距離でも撃ち抜ける。
ノンナはフットペダルを踏み込む。
だが、発射の瞬間――
T-34/85は、それを読んでいたかのようにドリフトする。
後退したまま、ぐるりと大きく半円を描いて、IS-2の砲弾を回避。
今度はIS-2に正面を向けて、いま来た方角へ、全速後退で逆戻りする。
そうなると、当然……
前方で待ち受けるKV-1とT-34/76からは、弱点の多い側面と背面が狙い放題だ。
相手が自分たちから逃げ出した、という思いこみもある。
完璧に連携してきた五輛の動きが、はじめて乱れる。
二組のT-34/76が突出し、足の遅いKV-1を置き去りにする。
T-34/85は、大きくカーブして戻ってきた。
だから、コースが前と違う。
横にずれている。
それに合わせようとすると、T-34/76の進路もいびつになる。
二輛は、T-34/85の背面を取ろうとする。
残る二輛は、T-34/85の側面へ回ろうとする。
先にいい位置につけたのは、背面を取った二輛。
後進を続けるT-34/85の進路正面に陣取って、次々と主砲を発射する。
T-34/85が、またも大きくドリフトする。
今回は四分の一回転。
着弾を避け、発射したT-34/76二輛の側面に回り込むように動く。
「くそ!」
「横を取られるぞ! 急げ!」
T-34/76は履帯を動かして、車体の向きを合わせようとする。
だが――
T-34/85に、砲戦に付き合う義理はない。
前をふさいでいた壁が横にどいてくれたのだ。
停止するどころか、T-34/76には目もくれずに、境界線の方角へ一直線。
T-34/76の乗員たちは、自分たちの判断ミスを悟る。
「追いかけろ! 逃げさせるな!」
二輛が急発進で追いかける。
側面に回ろうとした別の二輛が、後方から追随する。
動きの遅いKV-1は、斜めに突っ切るルートで、前の四輛に追いつこうとする。
後方から追いかけるIS-2は、味方の戦車が邪魔になって、T-34/85を狙えない。
境界線は、すでに視界に入っている。
数日前にプラウダの本隊が抜けてきた、うっそうとした森――
あそこにたどり着ければ、カチューシャの勝利だ。
T-34/85は、いまだ全速で後退している。
後方から行進間射撃するT-34/76の砲弾は、車体前面の傾斜装甲で受け流す。
そして、追う側にとっては腹立たしいことに、たまにちくちく撃ち返してくる。
ところが――
思わぬ誤算が生じる。
T-34/85の一撃が、たまたまヒットしたのだ。
先頭を走っていたT-34/76が、すぽんと白旗を上げる。
いままでペアで走っていたT-34/76が、一輛だけになる。
後続が追いついてくるまで、まだすこし時間がある。
T-34/85が、ぎいっと車体をきしませて停車する。
砲塔をめぐらせ、狙うは残されたT-34/76。
T-34/76が、前進をやめて、逃げに転じようとする。
その行動が逆に災いした。
動きが止まったところを撃たれて、片側の履帯を破損。
片方だけでもがいている最中に二発目を撃ちこまれて、こちらも白旗を上げる。
もはや、T-34/85は単機。
森は目の前。
まっすぐ走れば、追っ手が到達するより先に境界線を超えられる。
そうすれば、勝利は確定だ。
だが――
T-34/85は意外な行動に出る。
戦闘区域外へ向かわず、追っ手であるT-34/76の方角へ走りだしたのだ。
#
後方からスコープ越しに見守りながら、ノンナは嘆息する。
(――まったく。カチューシャときたら)
逃げっぱなしではプライドが許さなかったか。
らしいと言えば、じつにカチューシャらしい行動ではある。
カチューシャが部下から愛される理由のひとつが、これだ。
ノンナのように、計算一辺倒では動かない。
ときおり、この手の、児戯とも傲慢ともつかない行動をとる。
だが、ノンナはこれまで、口をすっぱくして何度も意見してきた。
その気位の高さが、いつか災いする時が来ると。
けっこう。
逃げずに勝負するつもりなら、望むところです。
きつくお灸をすえてあげましょう。
ノンナは通信機のマイクを握る。
#
T-34/85は、プラウダの追跡隊めざして前進する。
二輛のT-34/76は、ぎこちなく停車。
T-34/85から視線をそらすように、いま来た方向に逆戻りを始める。
かたかたと履帯を回し、のたのたした速度でUターン。
大洗あんこうチームの冷泉麻子や、継続のミッコの操車を見ていると、それが当たり前のテクニックであるように思えてしまうが、戦車でのドリフトなど、簡単にできるものではないのだ。
しかし、いったん走り始めると、T-34/76は快速。
追いかけるT-34/85の足にも、熱が入る。
逃げるT-34/76めがけて、砲弾を発射。
T-34/76も砲塔をめぐらせて応戦する。
そんな追いかけっこが、しばらく続いた後――
T-34/85の近くで、砲弾が炸裂する。
だが、発射したのは、逃げる二輛のT-34/76ではない。
飛来したのは、T-34/85の側面から。
別のT-34/76が二輛、そちらから走ってくる。
「引っかかりましたね、カチューシャさま!」
「今度はこっちの番です!」
先を走っていたT-34/76二輛が立ち止まる。
T-34/76は、逃げるふりをしてT-34/85を釣ったのだ。
指示したのはノンナである。
連れ込んだのは、プラウダの戦車が集結中の地域。
これでT-34/76は、T-34/85の前方に二輛、側面に二輛。
前方の二輛の奥からは、KV-1が迫る。
状況は、またしても五対一。
T-34/85は、能力を過信したせいで、今度は自分から罠にはまってしまった。
事態に気づいたT-34/85が、後進で逃げようとする。
「そうはさせませんよ!」
側面の二輛が、すかさず回り込んで退路を封じる。
だが、T-34/85は後退を継続。
T-34/76の放った一撃を、装甲ではじき飛ばす。
近接したところで、車体を横に滑らせて、ぐるりと大回り。
大洗あんこうチームが得意とするドリフトでの回り込みで、T-34/76の背後に回ろうとする。
平隊員のT-34/76では、T-34/85のトリッキーな動きに追随できない。
一輛だけなら、追随できなかったろう。
しかし、T-34/76は二輛いる。
二輛目の位置取りは、一輛目のぴったり側面。
反対側に砲塔を向けて、一輛目の背中を守っている。
これもノンナの指示だ。
一輛では格上に歯が立たなくても、二輛で力を合わせれば食らいつける。
T-34/85は、その射線に、自分から飛び込む。
「やった、ノンナさま! 指示通りです!」
二輛目が主砲を発射!
砲弾はみごとT-34/85にヒットする。
だが、当たった場所が悪かった。
砲塔前面にぶつかった砲弾は、かぃぃんと高い音を立てて弾かれる。
T-34/85が、一瞬遅れて主砲を発射するが……
こちらも、あらぬ方向に飛んで行く。
「くそぉ! 硬いな、改良型は!」
いったん静止した三輛が、行動を再開する。
T-34/85は、密着した二輛のT-34/76の周囲を、ぐるりと円軌道。
T-34/76はそれぞれ砲塔をめぐらせる。
しかし、味方が近すぎる。
そのせいで、視界も、砲塔の回転も制限されてしまう。
さっきまで囮役だった別の二輛が、遠くから主砲を発射して援護する。
だが、T-34/85は落ち着いたもの。
再装填が終わったところで、いちばん近くにいた一輛を撃ち抜く。
位置取りも憎らしい。
撃破したT-34/76の影に隠れるように停車したせいで、密着したもう一輛からも、後方から迫りつつある二輛からも狙えない。
「どうする、回り込む!?」
「だめ! 待たれてる!」
密着していた一輛は、まず距離を取ろうとする。
角を曲がっても狙い撃ちされると読んだのだ。
しかし、T-34/85の動きは最小限。
車体をすこしだけ動かし、白旗を上げたT-34/76の影から砲塔を出して、逃げてゆくもう一輛に砲弾を撃ちこむ。
直撃はしなかった。
だが、T-34/76は至近弾に転輪を破壊され、足を封じられる。
「じゃあ、これならどうです!?」
残る二輛が二手に分かれる。
左右に分離して回り込めば、どちらか一方がやられても、生き残ったもう一輛が、T-34/85の裏を取れる。
正しい戦術だ。
だがそれは、T-34/85が静止を続けていたらの話。
T-34/85はすかさず前進。
単独になったT-34/76に猛然と接近する。
「ああ!? ずるいです、カチューシャさま!」
やられる前から泣き言をもらす部下を叱りつけるように、T-34/85は主砲を発射する。
この一輛が白旗を上げたところで、すかさずドリフトし……
履帯で草原にきれいな半円を刻みながら、倒したばかりの戦車の影に回り込む。
目的は、もう一輛のT-34/76が背後から放った砲弾を、白旗を上げた一輛を盾にしてかわすこと。
勢いを生かして、反対側から飛び出して止まる。
そのときにはもう、T-34/85の砲口は、最後のT-34/76に合っている。
「だから、カチューシャさまに勝つなんて無理だったんだぁ!」
T-34/76の装填手は、必死で再装填を進めながら、すでに半泣きだ。
――しかし
T-34/85が躍進射撃した砲弾が、T-34/76に到達する寸前。
別の戦車が、横から滑り込んで、厚い装甲で砲弾をはじき飛ばす。
「KV-1だ!」
「KV-1が来てくれた!!」
T-34/85の弾を何度もはじき返した重戦車が、ようやく到着したのだ。
停車したKV-1が、ゆっくりと砲塔をめぐらせる。
T-34/85はふたたび走行開始。
KV-1の裏を取ろうと、曲線を描いて走る。
KV-1が主砲を発射!
T-34/85の砲塔をかすめた徹甲弾が、鐘のような音を立てて跳弾する。
T-34/85も応射する。
KV-1が前面装甲で跳ね返す。
T-34/85が、KV-1の砲塔が回りきるより先に、砲塔の裏側に回り込む。
十八番のドリフトだ。
だが、そこでは、T-34/76が待機中。
当然、砲塔は、T-34/85の砲口に向けられている。
先ほどの状況の再現だ。
おまけに、さっきとは違い、砲身は俯角を取ってある。
砲塔ではなく、より装甲の薄い車体を狙う気だ。
――しかし
T-34/85は、そこまで読んでいた。
慣性がおさまるより先に、履帯への動力伝達を再開。
停止の瞬間、V字を描くように逆方向への移動を開始して、T-34/76の決死の一撃をぎりぎりでかわす。
切り裂くような鋭い回り込み!
停車位置は、KV-1ののど元だ。
至近距離での一撃が、重戦車のターレットリングの継ぎ目を撃ち抜く。
T-34/85は、五対一の不利をものともせず、T-34/76とKV-1に打ち勝ったのだ。
#
しかし、KV-1を撃破した直後――
意外な方角から、T-34/85を砲弾が襲う。
撃ったのは、さきほど転輪を破壊されたT-34/76。
足は奪われたが、白旗は上がっていなかった一輛だ。
砲弾はT-34/85に命中!
鋼鉄を引き裂く重い音とともに、黒煙が上がる。
だが、致命傷ではない。
白旗は上がっていない。
T-34/85は、黒煙を上げながらも、まだ動いている。
後ろから自分を撃ったT-34/76の方向へ、ゆっくり砲塔を回転させている。
そこへ、空気を切り裂いて、もう一発の砲弾が飛来する。
発射したのは、ノンナのIS-2。
その一撃は、装甲の薄い車体後部を、遠距離から的確に撃ち抜く。
T-34/85が動きを止める。
長い砲身が、うなだれるようにがくんと落ちる。
入れ代わりに、ぱたりと、砲塔の上部から白旗が上がる。
#
「ウラー!」
「カチューシャさまを撃ち取ったぞ!」
「われわれがカチューシャさまに勝てるなんて!」
僚機が続々と歓声を上げる。
だが、ノンナは無言のまま。
顔色ひとつ変えず、スコープをのぞき続けている。
ノンナが見ているのは、T-34/85砲塔上部の車長用ハッチだ。
隣で白旗がはためいているのに、誰も出てこない。
ノンナの脳裏に、不安が芽生える。
(まさか、戦闘不能になった戦車に立てこもるつもりでは……)
いや、いくらカチューシャでも、そこまで傲慢ではない。
自分で決めた試合のルールを破るのは、むしろ、プライドの高いカチューシャにとって屈辱であるはずだ。
(では……)
戦車道の採用戦車は、内部に特殊なカーボンコーティングがほどこされている。
乗員の安全は保証されている。
それでも、万が一ということがある。
「近くの車輌、カチューシャの無事を確認してください」
ノンナはスコープを顔に当てたまま、マイクをつかんで命令する。
やがて、一輛のT-34/76が、カチューシャのT-34/85に横付けする。
全員でかかればいいのに、T-34/76から出てきた隊員は、ひとりだけ。
(早く! カチューシャにもしものことがあったらどうするんです……!)
スコープをのぞくノンナのいらだちをよそに、隊員はゆっくりとT-34/85の砲塔にのぼり、ハッチを開けて内部をのぞき込む。
とりあえず、ノンナはほっとする。
内部から、黒煙や炎が吹き出てこなかったからだ。
しかし、顔を上げた隊員は、なぜか眉をひそめている。
彼女は、さっきとは打ってかわったあわただしい動きで砲塔を飛び降り、車体前部の操縦手用ハッチを持ちあげる。
表情が確信に変わる。
隊員が、となりのT-34/76に向けて、口を大きく開けてなにかを叫ぶ。
だが、遠くから見ているノンナには、その声は届かない。
ざーっと、通信機がノイズを上げる。
「どうしました。カチューシャは無事ですか」
ノンナは急いでマイクを取り上げ、早口で尋ねる。
その声に、反対側から、もっと狼狽した声が重なる。
「ノンナさま、やられました! T-34/85にカチューシャさまは乗っていません! 乗っているのは三人、全員継続高校の生徒です!!」
#
ノンナは凍りつく。
スコープの視界の中で、T-34/85の車長用ハッチから、誰かが顔を出す。
たしかに、部下の報告通り。
カチューシャではない。
見えるのは黒髪と、青と白のチューリップハット。
片手にカンテレを携えた、継続高校のエースだ。
腹立たしいくらい、涼しげな表情をしている。
ノンナの心に、あの戦車をもう一度撃ち抜いてやりたいという衝動が芽ばえる。
操縦者用ハッチから出てきたのは、赤毛の子。
こちらも憎らしいくらい不敵な顔つきだ。
最後に出てきたはちみつ髪の少女だけが、申し訳なさそうな表情をしている。
乗り換え。
乗り換えたのか、戦車を――!
ノンナは血が出そうなほど唇をかむ。
カチューシャが見た目に似合わぬ知将であることを、ノンナは知っている。
知っているつもりだった。
だが――
乗り換えのルールを入れたのは、鹵獲戦車を使うためだと思った。
しかし、違った。
そのためだけではなかった。
いざというときに、カチューシャが、愛機T-34/85を降りる。
ほかの人員を乗せて、おとりに使う。
その展開を用意するために、二重に罠を仕込んでいたのだ。
――では、カチューシャはどこにいる。
T-34/85をおとりに使ったとしたら、目的はなんだ。
ノンナの頭脳が、めぐるましく回転する。
脳裏に閃光のように蘇ったのは、朝方に見た光景。
平原のへりを、のろのろと逃げてゆくCV33。
あの、見つけてくれ、追いかけてくれと言わんばかりの姿――
そう。そうだ。
CV33は、見つかった場所も、進む方角も、T-34/85とは正反対だった。
装甲の薄いCV33が、なぜわざと見つかるように逃げたのか。
おとりだと思わせるため。
見え見えのおとりだと思わせて、より本命らしい罠に食いつかせるため。
カチューシャは、用心深いノンナの性格を逆手に取ったのだ。
(――やられた!!)
ノンナはマイクを取り上げて、全軍に号令をかける。
「一杯食わされました。カチューシャはCV33で反対側に抜けるつもりです! 全軍、全速で追跡! かならず捕まえますよ!!」
だが、ノンナが命令を出すより前に、そのことを察知していた生徒がいた。
山麓で待機していたクラーラである。
ノンナの腹心である彼女は、T-34/85にカチューシャが乗っていないという通信が入った時点で、すでに僚機四輛をつれて、自身のT-34/85で追跡を開始している。
だから、ノンナはもちろん、クラーラもまだ気づいていない。
いままで放置されたかのように静止していた山頂の戦車が、砲塔をゆっくり動かしはじめていることに。