真夏のエリカチュ作戦です!   作:ばらむつ

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1:エリカとカチューシャ、出会う
その1


 逸見エリカは大洗に来ていた。

 目的は、県立大洗女子学園による、戦車道全国高校生大会優勝記念のエキシビションマッチを観戦するためである。

 

 大洗女子――

 決勝で黒森峰女学園を破った、次の大会で雪辱を果たすべき相手。

 でも、尊敬する西住隊長は、次は―― 来年はもう、いない。

 いなくなってしまう。

 

 西住隊長は、二年連続で優勝を逃した。

 黒森峰の中にさえ、そのことを悪く言う者がいる。

 隊長の素質がないとそしり。

 西住流の後継者にふさわしくないと陰口をたたく者が。

 それが悔しい。

 そうでないことを―― 隊長こそ西住流の体現者であることを、今年こそ証明したかったのに、あんなことになってしまった。

 私たちがふがいないばかりに。

 だから、来年こそ。

 来年こそ全国大会で優勝して、西住隊長の戦車道が間違っていなかったことを証明してみせる――

 そんな決意を胸に、エリカはこの地を訪れたのだった。

 隊長にも、チームメイトにも内緒で、こっそりと。

 

 大洗女子は、本来それほどのチームではない。

 けして負け惜しみではない。あくまで冷静な分析の結果だ。

 純粋に戦車のスペックを比較してみよう。

 こちらにはティーガーがいる。

 パンターがいる。

 Ⅲ号もⅣ号も、ヤークトティーガーもヤークトパンターもエレファントも、なんだったらマウスもいる。

 

 大洗はどうか。

 まともな戦力はⅣ号とⅢ突くらい。

 残りは――?

 おこがましくも中戦車を自称する軽戦車。

 走っているだけで火を吹く失敗戦車。

 装甲がちょっと厚いだけのカモ。

 甲羅を脱ぎ替える節操のないカメ。

 アリクイ形の遮蔽物。

 ラッキーだけの初心者ウサギ――

 黒森峰の足元にもおよばないではないか。

 

 今年、黒森峰が破れたのは、奇策につぐ奇策にしてやられたからにすぎない。

 そして、奇策にしてやられたのは、相手が新興チームで、情報が少なく、動きが読めなかったからだ。

 対して、相手はこちらの戦術を知りぬいていた。

 だから、相手を研究すれば。

 相手を過不足なく研究さえできれば、戦術面の条件は対等になる。

 そうなったら、もう、負けない。

 負けるはずがない。

 負けたくない。

 西住隊長のためにも、負けられない。

 

 エキシビションは四校による二対二のチーム戦。

 ほかの高校の来年度のチーム編成や戦術を探るチャンスでもある。

 

 (セント)グロリアーナは、クルセイダーの軽快な走行性を間近で確認できたのが大きな収穫だった。

 あれを上手に運用して、マチルダやチャーチルときっちり連携できる指揮官が出てきたら、今年以上にやっかいなチームになる。

 

 プラウダは、三年生の存在感がいまだに大きすぎる。そして、下級生が小粒だ。

 来年、主力が抜けた穴を埋められないようなら、うちにとってはありがたい。

 

 知波単は……あいかわらず。

 あそこの突撃馬鹿は病気という表現でもなまぬるい。血に染みついたなにかだ。

 おまけに一斗缶並の紙装甲に豆鉄砲。

 百回当たっても負ける気がしない。

 

 心残りは、参加の噂があった継続高校の姿がなかったこと。

 容易に手の内を見せないチームなので、おそらく出てこないと予想はしていたが、やはり残念ではある。

 来年の全国大会までに、一回でも多く試合をチェックしたい相手なのに。

 

 そう。そうだ。

 私は情報収集と分析に来たのだ。

 これは任務だ。

 仕事だ。

 間諜(スパイ)だ。

 夏らしいワンピースを着てきたのは、目立たないための変装だ。

 髪をポニーテールにしてきたのだって、そうだ。

 知波単の連中が総突撃したとき、なにやってんのよと思わず叫んでしまったのは、統率を乱す無謀な戦術に腹が立っただけ。

 不利なほうを応援したのは、いわゆる判官びいきというやつ。

 群衆にまぎれてエールを送ったのだって、集団心理に流されただけだ。

 なにもおかしくない。

 自然なことだ。

 

 ともかく、試合は終わった。

 試合の采配について、どこかの誰かさんに文句のひとつでも言ってやりたい気もするが、考えてみれば、そんなことを言える筋合いではないし、間柄でもない。

 

 もう夕方だ。

 

 どこかもやもやした気分のまま、まいわい広場と隣のショッピングモールを回っているうちに、私は気がつく。

 ああ、そうか。

 私はおみやげを買いたいのだ。

 それも西住隊長に渡したいのだ、と。

 

 干しいも。

 ……だめだ。大洗の生徒会長の顔がちらつく。

 

 海産物。

 ……ああ、めんたいこがある。

 でも、黒森峰は博多が近いからな。

 

 干物。

 ……これなら日持ちがする。

 でも、渋すぎる。

 いくら隊長が大人と言っても、これはない。

 

 大洗と言えば、あんこう。

 ……あれって冬のものよね。夏場もあるのかしら?

 冷蔵で送ってもらって、隊長とふたりで鍋を囲むとか。

 シチュエーションにはひかれるけど、この季節だとガマン大会になってしまう。

 

 これはマスコット?

 ……ふうん、アライッペっていうの。

 こういうのは隊長より元副隊長の領分ね。

 あの子、かわいいの基準が妙だから、この手のゆるキャラを見たら変なテンションになりそうだけど……

 ああ、だめだ。

 ちがうちがう。

 私は元副隊長を喜ばせたいのではない。

 隊長を喜ばせたいのだ。

 

 それに――

 何でもいいから、おみやげを買ったとしよう。

 買ったとして、どうやって隊長に渡すのだ。

 いや、わかっている。

 悪事を働くわけではない。

 季節の贈答品なんて、世間の人がみんな月並みにやっていることだ。

 練習前か後のちょっとした空き時間に、自然に隊長に近づいて、夏休みに旅行したときのおみやげですって、さりげなく渡せばいい。

 それだけだ。

 

 でも、私にはわかっている。

 自分にそんな、器用な真似ができないことくらい。

 どうせ、声を掛けようとしたあたりで、自分の行為がひどくわざとらしく思えてきて、ぎこちなくなって、いたたまれなくなって、別の用事で来たふりをして、下手をしたら練習内容のダメ出しなんか始めちゃうのだ。

 そうしたら、またチームメイトにいやな顔をされてしまう。

 

 隊長は……

 隊長はいやな顔なんか絶対しないけど。

 でも、ああいうときの隊長の目は、ちょっと苦手だ。

 まっすぐで。

 静かで。

 力強くて。

 すべて見透かしているようで。

 それとも私のふがいなさを怒っているようで。

 あの瞳で見つめられると、自分がすごく小さな、だめな人間に思えてしまう。

 だから、そんなもの買っていかないのが一番なのだ。

 

 あきらめよう。

 人間には分相応というものがある。

 家族と、それと自分用に、なにかちょっとしたものを買っていこう。

 それで十分ではないか。

 

 そう結論づけて、しょぼくれた買い物をすませ、市場から外に出たときだった。

 私が一番見たくなかったものが、まっすぐ視界に飛びこんできたのは。

 

 

 ちょうちんあんこう。

 腹が立つくらい、まぬけな顔をしたやつ。

 

 そのパーソナルマークを、砲塔側面のシュルツェンにプリントしたカーキ色のⅣ号戦車が、まいわい市場に隣接する大通りを、軽快に走り抜けてゆく。

 学園艦へ帰るところだろう。

 試合は終わったのに、フラッグ車の印である青い三角の旗を、まだつけたまま。

 

 そして――

 

 あの子がいた。

 砲塔上部の車長用ハッチから上半身を出して、前を見ていた。

 

 あまり長くない、明るい栗色の髪。

 黒のスカーフ。

 襟元に緑が入った白のセーラー服。

 普段あわあわしているくせに、戦車に乗っているときだけ不思議と凜とする瞳。

 大洗女子の隊長、西住みほ。

 距離が離れていても、彼女であることは一目でわかった。

 

 私は、いつの間にか口を開けていた。

 声をかけようとした―― のだろうか。

 

 でも、何のために?

 

 私だって戦車乗りだ。

 走行中の戦車が、とにかくうるさい乗り物で、ハッチから頭を出していたとしても、外の人声――しかも、遠くにいる相手の声を聴き取るのが難しいことくらい、よくわかっている。

 

 だから私は、本気で彼女に気付いてもらおうとしたのではなかった。

 口を開けたのは、単に反射的なもの。

 深い考えがあってのことではなかった。

 

 でも、次の瞬間。

 私は唇を閉じていた。

 

 Ⅳ号の砲塔の側面左右にひとつずつあるハッチ。

 それが両方開いて、女の子がふたり身を乗り出したからだ。

 

 知っている子だ。

 名前も覚えている。

 装填手の秋山優花里と、砲手の五十鈴華。

 

 秋山優花里は、大会前に戦車喫茶で会ったとき、私に突っかかってきた子だ。

 五十鈴華は、あんなおっとりしたなりをして、すご腕の砲手だという。

 

 車体前方のハッチから顔を出して頰づえをついたのは、通信手の武部沙織。

 その隣のハッチから頭のてっぺんだけをのぞかせているのは、いつもなにを考えているのかわからない、操縦手の冷泉麻子。

 

 あれが彼女の今のチームメイト――

 

 どうしてだろう。

 そう考えると、胸がきゅっと痛んだ。

 秋山とかいう子が、横からひと言ふた言話しかける。

 彼女はそっちを向いて――

 

 笑った。

 

 屈託なく。

 ふわりと、自然に。

 黒森峰にいるときは一度も見た覚えのない、何の気負いも、憂いもない表情で。

 まるで、そこらへんにいる、ごく普通の女子高生みたいに。

 

 キュラキュラと履帯の音。

 

 はっとわれに返ったとき、Ⅳ号はもう、いなかった。

 とっくに通りすぎたあと。

 見えるのは背中だけ。

 

 M3リーに三式中戦車、カモのマークのB1bis――

 

 大洗の後続が走ってゆく。

 でも、私は見ていなかった。

 きびすを返してずんずん歩いていたから。

 

 だから、大洗の子たちはあいかわらず規律がない、なんて思わなかった。

 場所が校外で、誰が見ているかわからないのに、どの戦車もハッチを開けっぱなしにするなんて、とも思わなかった。

 好き放題に顔や体を出して、風を浴びたり、無駄話に興じたり、あさっての方角をぼんやり眺めたり、別の子にお菓子を投げて渡したりなんかして――とあきれたりもしなかった。

 黒森峰で同じことをしたら、先輩にどやしつけられて、懲罰として、練習後の戦車清掃かじゃがいもの皮むきを命じられているところなのに、とも。

 

 さっきからサンダルのひもが足に食い込んでいる。

 痛くはない。

 ぜんぜん痛くなんかない。

 なぜこんなに心が乱れるのか、自分でもわからない。

 とっくにふっ切れたと思っていたのに。

 全国大会で決着がついて、きれいに別れたと思っていたのに。

 

 なによ。

 なによなによ。

 なによなによなによ――

 

 なぜだかわからないけど、心の中でそうくり返す自分がいる。

 

 気付いてほしかったのだろうか。

 こっちを向いて、私を見つけたとたん、目を丸くしてほしかったのだろうか。

 戦車を止めて、なんだったら世間話でもしてほしかった?

 

 私が?

 あの子と??

 

 馬鹿馬鹿しい。そうじゃない。

 そういうことじゃない。

 だいたい私は偵察に来たのだ。

 見つかって喜ぶスパイはいない。

 私を傷つけたのは、彼女の笑顔だ。

 

 そう。そうだ。

 私は傷ついた。傷ついている。

 あの子があんな笑い方をするから。

 あんなふうに笑うなんて知らなかったから。

 それを見て、もしも、なんて思ってしまったから。

 思いついてしまった「もしも」が、とてもとても重かったから。

 

 馬鹿だ。

 私は馬鹿だ。大馬鹿だ。

 

 今さらそんなことを考えても、何にもならないのに。

 私は足元に視線をやったまま、速度を落とさずに角を曲がろうとした。

 そして、そのとたん、誰かにぶつかった。

 


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