真夏のエリカチュ作戦です!   作:ばらむつ

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その2

「――待っていてください、隊長!!」

 

 エリカは自分の声で目を覚ました。

 見ていたのは、忘れたくても忘れられない、あのときの夢。

 

 全国大会の決勝戦。

 大洗女子の作戦で、フラッグ車同士の一対一に持ちこまれ、隊長の危機に駆けつけることができずに敗れたときの。

 あんな悔しい思いは二度とごめんだと、心に誓ったはずなのに――

 

(……はずなのに?)

 

 なにが「はずなのに」なのだろう。

 エリカはぼんやりと考える。

 

――そうだ!

 

 閃光のようなひらめき。

 がばっと身を起こす。

 

 夜じゅう続いた、BM-8の砲撃。

 あれが終わったのはいつだったろう。思い出せない。

 考えてみれば、その前の晩もガーガーうるさいプロパガンダ放送のせいで寝不足だった。二晩連続でまともに寝ていなかったせいで、あのすさまじい砲撃の最中にもかかわらず、ついうとうとしてしまったのか。

 

 エリカの目の前では、プラウダのちびっ子隊長が、片手にトランプを握ったまま眠りこけている。

 起きているときは小鬼みたいにやかましいのに、こうして眠っている姿は、皮肉屋として知られるエリカですら、おもわず胸がきゅっとするくらいかわいらしい。

 

 雪のように白い肌。

 長いまつげ。

 ふわりとやわらかそうな金色の髪。

 陳腐な表現だが、本当に天使のように見えなくもない。

 

「ねえ、ちょっと」

 

 揺さぶってみるが、起きない。

 寝言が返ってきただけだ。

 

「んー…… もう…… 伴奏はバラライカにしてって言ってるでしょ……」

 

 どういう寝言なのよ……と思いつつ、ごそごそと移動して、操縦席のハッチを開ける。

 

 空はすでに白んでいた。

 

 まだ日は昇りきっていない……だろうか。

 昨日まで緑におおわれていた斜面は、昨夜の砲撃ですっかり表層をまきあげられて、痛々しい赤土を晒している。

 周囲はしんと静まりかえっている。

 物音ひとつしない。

 

(相手も疲れて寝てしまった……?)

 

 一瞬そんなことを考えてしまったのは、油断以外のなにものでもない。

 相手がそんな甘い考えの持ち主でないことは、理解しているつもりだったのに。

 

 最初に気がついたのは、あまりにも静かすぎることだった。

 

 鳥が鳴いていない。

 はげしい砲撃に晒された頂上付近だけではない。

 下界からもなにも聞こえない。

 

 それに、この、低く重い響き。

 音ではないものになりかけたような、地鳴りのようなこの音は……

 

――いけない!

 

 全身がさっと冷たくなる。

 

 双眼鏡を使うまでもない。

 ほど近い眼下の斜面を、きゃりきゃりと履帯をきしませながら登ってくるのは、朝の暗がりに溶けこむような濃緑に塗られた、冷たい金属の塊。

 

 プラウダの重戦車!

 

 一輛だけではない。

 後ろに数台が続いている。

 こちらに気づかれないよう、わざと砲撃を封印して、なるべく音を立てないように、じわじわと上がってきていたのだ。

 

(来ることは読めていたのに……!)

 

 エリカは、疲労と睡魔に勝てなかった自分を呪いながら、狭い戦車に潜り、車長席のカチューシャをゆり動かす。

 

「起きて! 敵よ! すぐそばまで来てる!!」

 

 さっきは何度ゆすっても起きなかったのに、今度は一瞬。

 ばっと跳ね起きたカチューシャが、頭の戦車帽を押さえながら尋ねる。

 

「何輛?!」

 

「少なくとも三輛! ぜんぶ硬いやつ!」

 

「ニーナ、起きなさい! ニーナ! アリーナ!!」

 

 カチューシャがマイクを握って叫ぶが、通信機から反応はない。

 

「ええい、もう! エリカ、一発撃っちゃって! 目覚ましよ!!」

 

「いいのね?!」

 

 エリカは大急ぎで、下から砲手席に滑りこむ。

 狙いをつけている時間はない。

 先頭の戦車をスコープに入れて、適当にぶっ放す。

 

 ずどぉん―― と、景気のいい音。

 

 惰眠を破られた通信機の向こう側で、混乱した声が入りまじる。

 

「なんだべ?!」

 

「また砲撃だか?!」

 

 カチューシャが叫ぶ。

 

「ニーナ、敵が来てる!! すぐ下! 撃って!!」

 

 だが、返ってきたのは、悲痛な叫び。

 

「カチューシャさま、だめですだ! 砲塔が!!」

 

「ああ、そうだった!」

 

 カチューシャが唇をかむ。

 

 昨晩の砲撃で、KV-2は砲塔と履帯を破損している。

 主砲は発射できるが、肝心の向きを調整できないのだ。

 

 先頭を進むKV-85の主砲が、ゆるゆると上に向き始める。

 こちらが撃ったということは、発見されたということ。

 もはやなりをひそめる必要はない。

 至近距離で重砲の撃ち合いだ。

 

 カチューシャが、なにかを決意したように、マイクのスイッチを入れる。

 

「俯角は取れる?!」

 

「回せねえだけで、そっちならできます!」

 

「じゃあ、砲を下に向けて待機! 相手がいい場所に入ったらすぐ撃つのよ!」

 

 マイクを切ったカチューシャが、砲手席を下りて再装填中だったエリカに叫ぶ。

 

「エリカ、そっちはいい! 操縦して!」

 

「装填は?!」

 

「わたしがやる!」

 

 エリカは大忙し。

 きゅうくつな戦車の車内をごそごそ這いまわって、また操縦席に戻る。

 

「前進!」小さな身体で85㎜徹甲弾を持ちあげながら、カチューシャ。

 

「前進?!」あいかわらず重いギアと格闘しながら、エリカ。

 

「いいから前進!!」

 

 エリカがT-34/85を発進させるのと、KV-85の砲弾がいままでT-34/85のいた場所に着弾したのは、ほぼ同時だった。

 

 履帯が赤土に爪を立て、エンジンがうなりを上げる。

 

 とたたたた、とどこかで機銃の音。アンツィオのCV33だ。

 

 ドライバーシート前のスリットから外を覗くエリカの視界の中で、KV-85の姿がどんどん大きくなる。

 

「ぶつかるわよ?!」

 

「ぶつけるの!!」

 

 避けようと舵を切ったKV-85の横腹に、T-34/85は突進する。

 がいぃぃぃん、と重い金属音。

 

「後退!!」

 

 カチューシャの号令に合わせて、エリカはギアをバックにつなぐ。

 車体が離れる。

 主砲がすべりこむ距離ができたところで、カチューシャがすかさず発射。

 ターレットリングとの継ぎ目を的確に狙い撃つ。

 KV-85が白旗を上げる。

 

 プラウダの後続が撃った砲弾が、KV-85の周囲につぎつぎ着弾する。

 後ろにいたのは、KV-1が二輛。

 だが、T-34/85は再装填が間に合わず、KV-2は向きが合わない。

 

「どうするの!?」

 

「後退! 五時方向!」

 

「え?! そっちは……」

 

「全速!!」

 

 ええい、どうにでもなれ。

 

 エリカはおもいきり左右のレバーを引く。

 

 T-34/85がむかう方向にずでんと構えているのは、動きを封じられたKV-2。

 がいぃぃぃん、とふたたび衝突音。

 下から全力で押し上げられて、KV-2の車体後部が、ずるずると斜面をのぼる。

 

 KV-2は砲塔を動かせない。

 だが、車体の向きが変われば――

 

 ずばうっ!

 

 カチューシャの指示通り。

 敵が射線に入った瞬間、KV-2が152㎜砲を発射する。

 

 榴弾は、今回も直撃しなかった。

 だが、大爆発に至近距離で巻き込まれては、さすがの重戦車も耐えられない。

 KV-1が一輛、おもちゃかなにかのように盛大に斜面を転げ落ちて白旗を出す。

 

 しかし、KV-1はあと一輛生きている。

 おまけに、すでにこちらへ砲塔を向けている。

 KV-2は装填が遅い。

 再装填を終えるまで、むこうに少なくとも一発は撃たれる。

 

「エリカ、砲手お願い!!」

 

「ええ?!」

 

 エリカは、せま苦しいT-34/85の車内を、身を細めるようにして移動して、どうにかこうにか砲手席にたどりつく。

 横ではカチューシャが再装填の真っ最中。

 

「いいわ! 撃って!!」

 

 T-34/85とKV-1の発砲は、ほぼ同時。

 

 だが、T-34/85がすこしだけ速かった。

 砲弾ははじかれたが、弾着の衝撃でKV-1の狙いがずれ、おかげでカチューシャたちは命をつなぐ。

 

「ニーナ、装填は?!」

 

 カチューシャの問いに、通信機越しにニーナが叫ぶ。

 

「もうすぐ! でも、射線が合いません!」

 

「エリカ、また操縦!!」

 

「もう!!」

 

 エリカは狭いすき間を逆戻り。

 頭をぶつけ、ワンピースからむき出しの腕をすりむきながら、操縦席に潜りこむ。

 

「ちょっとだけ前進! がんばって支えるのよ!」

 

 やることはわかっている。さっきの逆だ。

 

 T-34/85が前進する。

 支えをなくしたKV-2の重い車体が、斜面をずるずると滑り始める。

 エリカの仕事は、それを受け止めること。

 

 停車!

 

 ずぐおぉぉん、と後部から重苦しい震動。

 ギアをバックに入れ、重さに負けないように、必死で履帯を回す。

 

「カチューシャさま、いけます!」

 

「よし! ()ぇっ!!」

 

 KV-2が発射した光弾が、T-34/85のすぐ頭上を飛ぶ。

 

 直撃!

 

 KV-1はきりもみしながら吹っ飛んで、白旗を揚げながら斜面の下に消える。

 

「よーし!」

 

 カチューシャが車長席で片腕を突きあげる。

 通信機からも、ウラーとKV-2組の歓声。

 

 だが、広がりかけた楽観ムードは、一瞬でなりをひそめる。

 KV-2の砲塔をかすめて、山頂で爆発した一発の砲弾――

 

「まだいたの?!」

 

 カチューシャがキューポラから外を覗く。

 

 近くには―― 敵影なし。

 

 発砲したのは、下方からゆっくりと上ってくる戦車隊の先頭車両。

 小さな砲塔と、それに不釣り合いなほど長い砲身。

 特徴的なシルエットだ。

 

「……ノンナ!」

 

 カチューシャの顔色が変わる。

 濃緑の戦車は、吹雪のように冷徹な狙撃手が乗るIS-2だった。

 

「ニーナ、狙える!?」

 

「この角度では無理ですだ!」

 

 ニーナの返事に、カチューシャがほぞをかむ。

 

 方角が悪い。

 KV-2の主砲をIS-2へ向けるには、KV-2の車体を押し上げる必要がある。

 だが、さっき斜面を滑らせたせいで、KV-2はアンバランスな角度で止まってしまっている。

 

「どうする!? いったん離れて押し上げる?」と操縦席から、エリカ。

 

「だめ! 支えがなくなったら横転する!」と、カチューシャ。

 

 つまり――

 

 履帯が故障したKV-2だけでなく、T-34/85も動けない。

 この場に釘付けになったまま、超高校級の砲手の攻撃に晒されるしかない。

 

「じゃあ、どうするの?!」

 

「操縦はもういい。砲手席へ!」

 

 エリカも今回は不平を言わない。

 切迫した状況であることがわかっているからだ。

 

 エリカは、手脚をすり傷だらけにしながら砲手席にのぼり、スコープをのぞく。

 視界には、主砲をこちらにぴったり合わせたIS-2。

 相手は122㎜。

 対するこちらは85㎜。

 装甲もむこうのほうがはるかに厚い。

 相手のほうが強くて硬いのに、相手が近づくまで待っているしかない状況――

 初日の対IS-3戦の再現だ。

 

 だが今回、こちらはまったく身動きが取れない。

 

(これは、危ういか……)

 

 口には出さない。

 だが、心の中で、エリカは半分敗北を認めかけている。

 

 夜明けが来ていた。

 太陽にかかっていた雲が晴れ、戦場は明るい朝日に照らされる。

 

 その時だった。

 ふもとの平地で待機中だったT-34/76の一輛が、じわりと移動を開始したのは。


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