その1
「継続のやつら、薄情ですねえ。なにも言わず逃げちゃうなんて」
隣でペパロニが口をとがらせる。
「まあ、そう言うな。あいつらにはあいつらの事情があるんだろう」
アンチョビは、双眼鏡で下界を見下ろしながら言う。
ふたりは山の頂上近くに止めたCV33から、並んで上半身を出している。
うかがうのは下界。プラウダの動向。
時刻はすでに午後。
空は青く、大地では緑の草花が風にそよぐ。
宣戦はすでに発されたというのに、やけにのんびりした光景だ。
それもそのはず。
両軍は、山の上と下でお見合いをしたまま、今朝から一歩も動いていない。
「あいつら、なんで攻めてこないんですかね?」
「こちらの出方を見ているんだろう」
「あっちのほうが数が多いのに? ガンガン攻めて来りゃいいじゃないですか」
「まあなあ」
ペパロニにこういうのは難しいか……と、アンチョビはこっそりため息をつく。
「むこうの攻め口はこの緑の斜面ひとつだけだろ? こっちからは丸見えだ。ということは、当然、最初に来たやつが狙い撃ちにされちゃうだろうが」
「それでも攻めましょうよ。数で上回ってるんだから、多少の犠牲は覚悟の上っす。物量で押し切るってそういうことでしょ、ドゥーチェ」
「そうはいかん。この斜面はあまり幅がない。大軍で一気には攻められないし、先頭の一輛か二輛がやられたら、それがそのまま障害物になって、後続は動きが取れなくなる。狭い坂道で立ち往生したところで、上から撃ちこまれて終わりだ」
なるほどー、とペパロニが感心した声を出す。
「じゃあこっちは、どうして攻めていかないんです?」
「そんなもん、攻められるわけがないだろ。まともに撃ち合えるのが何台いる。T-34/85とKV-2の二輛だけだろ? それならここで籠城してたほうがマシだろう。攻めるよりも守るほうがやりやすいからな」
「カルロベローチェだっているじゃないっすか!」
いや、いるよ。
いるけどさあ。
おまえ、本気でCV33をこういう場合の戦力に数えてるんだな……
ペパロニの戦車愛に半分あきれ、半分感心するドゥーチェである。
「じゃあ結局、どういうことになるんです?」
「さあな」
もったいぶったのではない。
アンツィオの頼れる
「下手をしたら、ずっとお見合いのまま終わっちゃうかもしれん」
「ええー。せっかく派手にドンパチできると思ったのに」
あからさまにがっかりしたペパロニが、CV33の天板にくずれ落ちる。
「それって、負けってことですよね?」
CV33の中から、仮眠中だったカルパッチョが言う。
なんだ起きてたのかと、ドゥーチェが車内に視線を送る。
「そうなるな。ドローの場合はこっちの負けだ」
「じゃあ、うちらから攻めるしかないじゃないですか。うちのちっこい大将はなにしてんのかなあ」と、ペパロニ。
たしかに。
ペパロニの言うとおりではあるのだ。
アンチョビは双眼鏡の方角を動かして、自分たちのすこし下、T-34/85の車長ハッチから上半身を出したカチューシャを観察する。
さっきから難しい顔で、ずっと腕組みしたまま。
――はたしてなにを考えているのやら。
#
カチューシャにどういう思惑があったにせよ、それが発揮されることはないまま、夜が来た。
変わったことと言えば、夕刻、サンダースのC-5Mが、またもや轟音をあげて上空を通過したことくらい。
さすがに今回は、プラウダ生も落ち着いたもの。
動揺したりはしなかった。
だから、それを期にカチューシャが攻撃をしかけたりすることもなかった。
山上ですごす二日目の晩。
大洗の戦車道履修チームが、廃艦の決まった学園艦から追い出され、疎開先の小学校で初めての不安な夜をすごしていたころ――
緊張の糸がゆるんだのは、相手から攻めてくることはないだろう、という読みが、小隊全体に広がったからだ。
昼間、アンチョビがペパロニに説明したように、戦力上は相手が有利で、決着がつかなかった場合は相手の勝ちなのだから、攻めてくる理由がない。
勝つにはこちらから攻めるしかない。
が、いつ攻めるのかを決定するのはリーダーのカチューシャであり、自分たちではない。
そして、攻撃命令は出されていないのだから、今は落ち着いていていい。
そういう理屈である。
いっぽうのいらだちは、じゃあ、いつ攻めるんだ、という疑問に起因する。
いらだちを振りまいているのは、もっぱらペパロニ。
あいかわらず、CV33のハッチから上半身を出して、いつでも出撃できる体勢だが、外から見えない車内では、貧乏ゆすりを続けている。
「夜襲すんのかなあ。夜襲ならうちらでも活躍できますよねえ?」
「まあ、昼間よりかは可能性あるな」
CV33車内に腰かけたアンチョビの声にも、多少うんざりした調子がある。
なにしろ、このやりとりも十数回目なのだ。
「夜襲するなら、はやく命令してくんないかなー。こっちにも心の準備があるんだけどー」
ペパロニがそう言いながら体をゆする。
と、横から声。
「夜襲はしない。休んで英気を養いなさい」
坂の下のT-34/85へ向かう途中、CV33の横を通りがかったカチューシャの声だ。
「おい。じゃあ、むこうの攻撃を待つのか?」
起き上がったアンチョビが、ハッチから頭を出して尋ねるが、カチューシャはふり向きもしない。
「ええ。攻めてくる。ノンナなら絶対にそうするわ」
「ホントかよ」
アンチョビは、隣のペパロニと顔を見合わせる。
#
深夜。
カチューシャの予言通り、プラウダの猛攻が始まった。
それも予想外の方向―― 上空から。
最初に聞こえたのは、なにかが空気を裂いて飛ぶ、細く、高い音だった。
ついで、炸裂。
山頂付近の地面が勢いよく弾けて、土砂が高く舞いあがる。
一発や二発ではない。
四方八方で、やたらめったらに爆発が起きる。
「だんちゃーく!!」
小隊は大あわて。
寝ていた者は飛び起き、起きていた者はてんでばらばらに戦車の中に避難する。
CV33の内部では、寝起きのアンチョビが混乱する。
「なんだ! なにが起きた?!」
アンチョビはひたいをさすっている。起きたときにぶつけたのだ。
ヘルメットを押さえながら、ペパロニが答える。
「くそ、あいつらこれを待ってたんですよ! だから動かなかったんです!」
「だから、なんなんだ、これは?!」
「カチューシャです!」
「カチューシャ?! うちのちびっ子の?」
「ちがいます! 音聞いてください、ドゥーチェ! カチューシャロケット! BM-8ですよ!!」
BM-8。
プラウダの自走多連装ロケット弾発射機。
ロケット弾を設置したレールを並列にいくつも並べ、射角を調整するためのフレームに乗せて、車輌に搭載しただけの兵器。
構造はシンプルきわまりない。
軍用トラックにのっけたやつなど、寝ぼけた兵士が遠目に眺めたら、ものほし竿売りと間違えるかもしれない。
しかし、威力はあなどれない。
精度はたいしたことないのだが、問題は速射能力と面制圧能力。
トラック型のBM-8は三十六連装もしくは四十八連装だが、全弾を撃ちつくすのに要する時間はたったの十秒前後。
しゅうしゅう、うぉんうぉんという、冬の魔女のうめきにも似た特徴的で規則的な発射音とともに、一面に降り注いでは炸裂する。
戦場の兵士に与えた恐怖心には、物理的な破壊力以上のものがあったという。
「戦車じゃないじゃないか!!」と、アンチョビ。
「だから、取り決めです。継続のトラックを使えるようにって、こっちが申し出たんじゃないですか」と、カルパッチョ。
そうだった、とアンチョビが頭をかかえる。
「じゃあ、むこうは、試合が決まってからあれを呼びよせたってことか?」
「そうなりますね」
えー、とペパロニが不満を表明する。
「ずっこいなー。ほかにも来てるんじゃないですか、それ」
「そういや、台数の上限決めてなかったな」アンチョビが腕組みする。
「どーすんすか。相手が百輛とかだったら、いくらうちらでも相手しきれないっすよ?!」
「考えてなかったなあ」
いっぽう、T-34/85の車内では、カチューシャがいささか錯乱中。
「ノンナはもうカチューシャがいらないんだわ! こっちにいっぱいカチューシャがあるから、カチューシャなんかいなくていいって言いたいのよ! カチューシャが泣いても、カチューシャが鳴いてるから気にしないんだわ!!」
「ちょっと! 落ち着いて!」
砲手席のエリカになだめられても、まだ涙目。
爆発、爆発、また爆発。
遠くで、近くで、爆音がはじけ、まるで竜巻に吹き飛ばされたみたいに、戦車ががたがたせわしなく揺れる。
「カチューシャさま! カチューシャさま!」
通信機から、なまりのある声。
エリカにも聞き覚えがある。
朝食後に話しかけてきた狩猟帽の子だ。
カチューシャが涙を拭いて、マイクをひっつかむ。
「なに! どうしたの、ニーナ!」
「申し訳ねえです! 砲撃で砲塔が故障しました! 回りません!」
「白旗は?!」
「上がってません! だけど、履帯もおかしくなったみてえで……」
「どっちが!?」
「両方です」
「両方?!」カチューシャがうめく。
「外れただけかもしれねえです。それなら修理できます!」
「だめよ!」
カチューシャがニーナの言葉をさえぎる。
「砲撃が続いている間は、ぜったいに外に出ちゃだめ!
マイクを置いたカチューシャがほぞをかむ。
「やってくれたわね、ノンナ!」
エリカにもカチューシャの焦燥の理由はわかる。
BM-8の射程は五・五㎞。
わざわざ見える場所から撃つ理由はないから、いるのはどこか遠く。
いちばんの対抗手段が射程の長いKV-2なのに、よりによって、最初に故障してしまうとは。
しかも――
砲撃が止まらない。
ある部隊が撃ち終わると、ほとんど間を置かずに、ほかの場所にいる別の部隊がミサイルを発射しはじめる。
それが終わったら、また別の地点から閃光が生じる。
そのくりかえしだ。
おかげで修理する時間もなければ、反撃の糸口もつかめない。
「撃ち終わった後はすぐに移動。再装填のスピードも良好。今年の一年はなかなか練度がいいわ」
ペリスコープをのぞきまわしながら、カチューシャがどこか嬉しそうに言う。
なに自慢してんの、いまは敵なのよ――と言ってやりたいエリカではあるが、たぶん言うだけ無駄なので、かわりに尋ねる。
「何輛いるの」
「そんなに多くないわね。多くても六輛くらい。撃った後に場所を移動してごまかしてるのよ」
「……で?」
「で、ってなによ」
「どうするの。どうやって対抗するの」
「まあ、やることないわね」カチューシャの声はあっさりとしたものだ。「好きに撃たせておくわよ。エリカだってわかってるでしょ。本番はこの後だって」
もちろん、エリカにもわかっている。
これが本攻に先立つ準備砲撃であることが。
「待ってる間ヒマね。ばば抜きでもする?」
ふたりでやって楽しいものでもないだろうが、ほかにやることもないので、エリカは同意することにした。