真夏のエリカチュ作戦です!   作:ばらむつ

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その2

 肩車したまま坂を登った後で、エリカはようやくカチューシャから解放された。

 地面に両手両ひざをついてぜえぜえ息をついていると、アンチョビが言う。

 

「なんだ、肩車くらいでへばったのか? だらしないな」

 

 違うわよ。

 肉体的な疲労じゃないんだってば。

 あなたにはわからないでしょうけど、こっちはね、ついさっきまで、深淵に通じる井戸をのぞき込んだら向こう側からのぞき返している誰かと目が合ったような、宇宙的な恐怖を味わってたのよ。

 

――とは、言いたくても言えないエリカである。

 

 

「で、どうなった」

 

 恨めしげな目で見上げるエリカをさらっとスルーして、アンチョビがカチューシャに尋ねる。

 

 アンチョビは、なぜか白のエプロンを着けて、片手にトングを持っている。

 アンチョビの後ろには、同じくエプロン姿のペパロニとカルパッチョ。

 離れたところで、KV-2の搭乗員たちが、不安げにこちらを見守っている。

 

「試合をするわ」

 

「試合!」

 

 カチューシャのひと言で、ペパロニが目を輝かせる。

 

「勝てば無罪放免。大手を振ってここから出て行けるわよ」

 

「われわれとの約束は」と、アンチョビ。

 

「もちろん守るわ。わたしたちが勝てたら、の話だけど」カチューシャがあたりを見回す。「それより、お腹が減ったわ。食べながら話をしましょう」

 

「それはいいが」

 

 アンチョビが腰に手を当てる。

 

「うちが提供できるのはパスタだけだし、三人のつもりで持ってきたから、これだけ人数がいるとな…… 何日持たせればいい」

 

「すくなくとも、今日を入れて三日」

 

「三日ぁ?!」

 

 腹が減っては戦ができぬ――

 

 それがアンツィオのモットーである。

 エキシビションの観戦に出かける前、もしもの場合にそなえて、CV33の後部に乾麺をぎっしり詰め込んでおいたのが、思わぬところで役に立った。

 すこし下った森の中に、小さな清水が見つかったので、それでお湯をわかすことにして、アンツィオの統帥(ドゥーチェ)がじきじきに朝食を準備中なのである。

 

「割り当て減っちゃいますねぇ」と、ペパロニ。

 

「それより重要なのは栄養バランスだ」と、アンチョビ。「炭水化物は偉大なエネルギー源だが、それだけではいかん。たんぱく質やビタミンをきちんと摂取しなければ、育ち盛りの肉体を維持できんぞ」

 

「栄養ならサプリでいいじゃない。タブレット持ってるわよ」と、エリカ。

 

「サプリだと?!」

 

 黒森峰のやつらはこれだから、とでも言いたげに、アンチョビが天をあおぐ。

 

「なによ、どこが悪いの。食品より効率的に栄養をとれるのよ」

 

 エリカが反論していると、カチューシャが横から言う。

 

「それより、エリカ。あなた、食べ物持ってるでしょ」

 

「どうして知ってるのよ!?」

 

「知ってるもなにも、戦車の中がずっと魚臭いったら。夏なんだから、さっさと食べないとだめになっちゃうわよ」

 

 そんなことないわよ、干物なんだから――と思うエリカではあったが、出さずにいるのも気が悪いので、昨日まいわい市場で買った魚の干物をしぶしぶ供出する。

 

 アンツィオ一同が喜びにわきたつ。

 

「魚!」

 

「どうします、このまま焼きます?」

 

「小さく切ってパスタと絡めたら合いませんかね、バッカラみたいに」

 

「アリだな! やってみるか!! おい、トマトピューレの缶出せ」

 

「オリーブオイルもありますよ」

 

「パセリもあるとよかったのになー。乾燥のやつを荷物に入れときましょうよ」

 

「お、見ろ。大洗産だぞ。シールが貼ってある」

 

「あ、いいなあー。エキシビション見たかったなぁー」

 

「まだ言ってるのか。いいかげん機嫌をだな……」

 

「大洗の名産品でパスタを作るのもおもしろそうです」

 

「あ、それいいなあ」

 

「大洗の名物といったら何だ。はまぐり? 干しいも?」

 

「干しいもパスタってどうでしょうね、ねーさん?」

 

「うーん。悩ましいな。パスタに練りこむか、それとも具材にするか……」

 

 わいわい楽しそうに調理にはげむアンツィオの三人を横目に、エリカはビニール袋に残ったお土産を取り出す。

 

 自分用に買った、アライッペのキーホルダー。

 結局これだけになってしまった。

 

 輪っかのところをつまむと、鎖でつながった小さなそれが、ゆらゆら揺れる。

 

 白い、丸っこい身体。

 黒いつぶらな瞳。

 顔の中央にはまぐり。これは鼻? それとも口なの?

 しっぽは潮干狩りにつかう熊手。

 全身に触手めいた太い毛が生えていて、まるでモップみたい……と思いきや、この毛に似たものはしらすだという。道理で、目のような黒点が付いている。

 

 ぶさかわいいという形容がぴったり。

 どこに出しても恥ずかしくないゆるキャラである。

 

(……なによ。なにを見てるのよ)

 

 私は、ぶらぶら揺れる小さな怪物をにらむ。

 人の気も知らないで、のんきなものだ。

 

 どうして買ってしまったんだろう。

 こんなもの、私には全然、これっぽっちも似合わないのに。

 私がこれを鞄に提げて、学校に行ったとして。

 それかわいいね、なんて言ってくれる人がどこにいるのだ。

 なにイメージに合わないことしちゃってるのと、陰で笑われるのがオチなのに。

 

 いや、それを言えば――

 

 隊長にだって。

 隊長にだって、似合うとは思えない。

 

(……じゃあ、どうなろうが結局無駄なんじゃない)

 

 そう自嘲しながら顔を上げる。

 

 カチューシャが青い瞳で私を見ていた。

 

「な、なに? 用事?」

 

 すばやくキーホルダーを隠して、何もなかったように装う。

 

 見つかってしまっただろうか。

 きっとからかわれてしまう。

 似合わないわね、とかなんとか――

 

 私は心の中で身構える。

 だから、彼女の次の言葉は、私にとって青天の霹靂だった。

 

「それは自分用? それとも、だれかにあげるのかしら?」

 

 ギクリとする。

 この子、ときどき不思議なくらい鋭い。

 

「あなたに関係ある?」

 

 なんとか言い返す。

 皮肉のひとつでも返ってくると予期していたのに、カチューシャは、言われてはじめて気がついたというように、肩をすくめる。

 

「そういえば、ないわね」

 

 かと思ったら。

 ぱっと表情を輝かせて、こんなことを言いだす。

 

「そうだ、エリカ。あなたにもあだ名があったほうがいいんじゃないかしら」

 

「はあ? どうしてよ」

 

「だって、あだ名のほうが親しみがもてるわ」

 

「いいわよ別に、そんなの」

 

 断ったのだが、この子ときたら聞いちゃいない。

 

「そうね。なにがいいかしら。カチューシャはカチューシャでしょう。西住みほはミホーシャ。あなたは逸見エリカだから……」

 

 エリーシャとか言いだしたらどうしてくれよう。

 警戒する私にむかって、プラウダの少女は言う。

 

「エリカ…… エリ…… エリツィンっていうのはどうかしら」

 

「それだけは絶対に嫌」

 

#

 

 やがてパスタがゆであがって、遅い朝食が始まる。

 

 アンツィオの子が作っただけあって、料理はおいしい。

 緑髪の隊長が、どうだどうだと何度も尋ねてくるので、まあおいしいけどと返事をすると、そうだろうと胸をそびやかす。

 戦車道の試合で勝ったときより、よほど嬉しそうだ。

 

 むこうでは、おそるおそるパスタを口に運んだKV-2の搭乗員たちが、驚きのあまり目を見張ったり、盛大にむせたりしている。

 たしかに、これよりまずいパスタを出すトラットリアだって、世間にはある。

 だが、あそこまで感動するなんて。

 プラウダの子たちはふだんなにを食べているのだろう。

 

 あの子はどうなのかしら――

 横目でちらりとうかがってみる。

 

 あきれた。

 フォークを握りしめて、すごい勢いでがっついている。

 本当に子供みたい。

 

「なによ」

 

 私は本当にあきれていたのだろう。

 ずっと見ていたせいで目が合った。

 

「別に」

 

 因縁をつけられてはたまらない。

 目をそらし、フォークを回してパスタを巻いていると、ばかにされたとでも思ったのか、おちびさんが口をとがらせる。

 

「黒森峰では、パスタがそんなに珍しいの?」

 

「そんなわけないでしょ。プラウダこそ、生徒になにを食べさせてるの? パスタなんて食べたことないんでしょ」

 

 むっとして言い返す。

 相手もむっとした様子で言い返してくる。

 

「ばかなこと言わないで。プラウダでは、すべての生徒が、平等に配給を受けられるの。パスタだってもちろん出る。ほかの料理だってたいしたものだわ」

 

「たとえば?」

 

「ボルシチとか。それに、ビーフストロガノフもある。ピロシキも」

 

「どんくさい田舎料理ばっかりじゃない」

 

 つい鼻で笑ってしまった。

 直後にしまったと思ったが、もう遅い。

 金髪の少女が、顔を真っ赤にして怒り出す。

 

「ぼ、ボルシチはすごく栄養のある、立派な食べ物だわ! 食べると身体が温まるのよ! 黒森峰こそ、ソーセージと黒パンくらいしか食べ物がないくせに!」

 

 そんな言い方をされると、こっちだって黙っていられない。

 

「そっちこそばかにしないで! 黒森峰には、ソーセージと黒パン以外にも、誇れる料理が山ほどあるんですけど!」

 

「たとえば?」

 

「は、ハンバーグとか」

 

 ちびっ子がぷーっと吹き出す。

 

「ハンバーグ! あなたったら、高校生にもなってハンバーグが好きなの?」

 

 顔がかーっと赤くなる。

 

「な、なに。なにが悪いの?!」

 

「だって、いつも小難しい顔して大人ぶってるくせに、よりによって好物がハンバーグ? ハンバーグ。ああ、ハンバーグ。逸見エリカの好物はハンバーグ」

 

「ボルシチよりましよ!」

 

「そんなことない! ハンバーグとボルシチだったら、ボルシチのほうがおいしいわ!」

 

「いいえ、ハンバーグのほうがおいしい!」

 

「ボルシチ!!」

 

「ハンバーグ!!」

 

「ボルシチ!!!」

 

「どうでもいいけどなあ、おまえたち」

 

 緑髪ツインテールというへんちくりんな髪型をしたアンツィオの隊長が、横からあきれ顔で口をはさむ。

 

「黙って食え。食事の席で喧嘩なんて、料理にも、同席している人たちにも失礼だろうが」

 

 私は黙る。

 アンツィオの生徒に従うのはしゃくだけど、この場合は正論だ。

 

 でも、プラウダのおちびさんは、まだ不満げな表情。

 矛先をアンツィオの隊長に転じて、追究を続ける。

 

「じゃあ、あなたは、ボルシチとハンバーグのどちらがおいしいと思うの?!」

 

 軽い質問ではない。

 尋ねる瞳が真剣だ。

 

「そうだな……」

 

 アンツィオの隊長もそれを悟ったらしい。

 ちびっ子にちらりと視線を送り、考えるように黙りこむ。

 

「どっち?!」

 

 返答によっては焦土作戦も辞さないと、おちびさんの表情が物語っている。

 ゆっくりと咀嚼を終えた後に、アンツィオの隊長がようやく口を開く。

 

「たしかに、どちらもおいしい料理だ。甲乙つけがたい」

 

「そんな答えじゃ……」

 

 カチューシャが口をはさもうとする。

 アンチョビが途中で制する。

 

「うん。だからいっそのこと、ハンバーグの上からボルシチをかけたら、両者の美点を兼ねそなえた、もっとおいしい料理ができるんじゃないか?」

 

 その答えは予想していなかったのだろう。

 カチューシャが、あっけにとられたように口を閉じる。

 アンツィオの統帥(ドゥーチェ)の大岡裁きによって、一触即発の危機はみごと回避されたのであった。

 

#

 

「おめ、勇気あんなぁ」

 

 食事が終わった後。

 私がひとりでいるときに、KV-2の搭乗員が話しかけてきた。

 

 この子も背が低い。

 黒髪を頭の後ろで短いお下げにして、狩猟帽をかぶっている。

 

「カチューシャさまに口答えなんて。後でどうなっても知んねえから」

 

「どうなってもって、どうなるのよ」

 

 私が尋ねると、狩猟帽の少女は恐ろしそうに身を縮ませる。

 

「どうなるって、そりゃ、恐ろしいことになるに決まってるべ。以前、プラウダの大食堂で、カチューシャさまはチビだって叫んだ生徒なんか、卒業まで永遠にシベリア送りになっただ」

 

「侮辱罪にでも問われたの?」

 

「んでねぇ。機密漏洩罪だ」

 

 なんだ、その、くだらないプラウダジョークは。

 

 私があきれていると、むこうで誰かが大声を出す。

 

「おーい! ドゥーチェ、大変です。こっち来てください!」

 

 ヘルメットをかぶったアンツィオの子だ。

 継続のトラックのそばで、大きく腕を振っている。

 

「なんだなんだ、どうした」

 

「なに。大声出しちゃって」

 

 アンツィオの隊長やカチューシャがそちらに集まる。

 

 私も行ってみる。

 

「寝てると思ってたんだ」

 

 私が近づくと、ヘルメットの子が言う。

 

「でも、いくらなんでも寝坊すぎると思ってさ。起きてこないなら、おまえらの分まで食っちゃうぞーって言いに来たんだ。そしたら」

 

 ヘルメットの子が、トラックのドアを開いて、車内を指ししめす。

 

 運転席と助手席が見える。

 前夜使った毛布が、くしゃっと乱れたまま放置されている。

 見えるのはそれだけ。

 

 つまり、誰もいない。

 

「近くにいるんじゃないのか?」と、アンチョビ。

 

「ひととおり探してみたんですけど、見つかったのは……」

 

 ヘルメットの子が、一歩森に踏み込んで、地面を指さす。

 

 やわらかい下生えに残っているのは、ブーツの跡。

 六足、つまり三人分の足跡がある。

 どれもふもとの方に向かっている。

 戻ってきた形跡はひとつもない。

 

 私は、アンツィオの隊長と、無言で顔を見合わせる。

 

 いったい、いつの間に――?

 

 ミカ、アキ、ミッコ。

 継続の三人は、トラックを山頂に残したまま、姿を消してしまったのだ。

 


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