逸見エリカに憑依したある青年のお話   作:主(ぬし)

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ガルパンはいいぞ


そのエリカ、狂犬につき

 言わずと知れた黒森峰女学園の副隊長、逸見エリカ。

 西住流次期家元と称される西住まほの忠実な副官としてよく知られる彼女だが、この世界(・・・・)では少し事情が違った。

 

 

 雲一つない晴天の下、眩しい陽光が照り付ける広大な富士演習場を舞台に、二列に並ぶ少女たちが睨み合う。

 かたや強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を見事導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして島田流宗家の一人娘、島田愛里寿(・・・・・)

 かたや彼女と真っ向から正対するのは、その名の知れた強豪校にして、歴代最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住みほ(・・)

 

 そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威圧するように腕を組み仁王立つ()、逸見エリカは、忠犬ではなく、黒森峰の狂犬(・・・・・・)としてその名を轟かせていた。

 

 

 

 

 

 時は10年ほど遡り、逸見エリカ幼少時。

 

 

 ()は当初、愕然として自らが置かれた状況を飲み込めずにいた。

 もともと、学生の本分たる講義をボイコットし、文字通り休みなくバイトに励み、ガルパンブルーレイボックスやグッズ、聖地信仰、CD、雑誌収集、さらにはガルパン劇場版及び4DX版をそれぞれ13回も鑑賞した、自他ともに認めるガルパンおじさんだった彼は、なんとガルパンのために過労死に至った初の栄誉ガルパンおじさんとなってしまった。二十歳(はたち)にも満たぬガルパンおじさんの死に、世界中のガルパンおじさんたちが天に敬礼を送った。

 しかしこれも本望、と当の本人は死に際の病床で強く目を見開く。ガルパンのために死ぬのならまた一興であると、死にゆく彼は己の若すぎる死を堂々と受け入れて満足気に息を引き取った、はずだった(・・・・・)

 

 ―――がしかし、彼が次に目を覚ますと、違和感があるのに違和感がない小さな身体で、見慣れないのに見慣れている顔から心配そうに見下ろされ、出し抜けにこう呼ばれたのだ。

 

「強く頭を打ったみたいだけど―――大丈夫、エリカ(・・・)?」

 

 そうして、彼の第二の人生―――逸見家の次女、逸見エリカとしての生は唐突に始まった。

 

 当初は混乱に頭を悩ませて沈みがちになり周囲を心配させていたが、ふと視点を変えてみればこれは僥倖である。愛するアニメの世界を直に体験できるのだ。ガルパンおじさん冥利につきるというものだ。彼は逸見エリカという少女として生きることをまたもや堂々と受け入れ、観客としてしか味わえなかった戦車道への道を喜々として歩みだした。前世では高校大学ともに関東で一人暮らしをしていた彼だが、元は生まれも育ちも逸見エリカの出身地と同じ熊本県熊本市という根っからの九州男児。思い切りの良さと切り替えの速さについては定評がある。特に、熊本県民男子の県民性は激しい気性と愚直さが特徴とされる。その中心たる熊本市なら尚さらだ。前世の分と現世の分、さらには逸見エリカが生まれ持った生来の気質もあったのだろう。前世からして穏やかではなかった彼の性格は見る見る険を増し、日を経るごとに激しくなっていった。なにせ一度死んだ身だ。“死”という根源的恐怖を乗り越えた彼にもはや怖いものなどなかった。その我の強い性格と、工業系大学で身に付けた技術、ガルパン鑑賞で培った豊富な戦車知識が劇的な化学反応を起こした結果、彼は中学生も半ばに差し掛かった頃には戦車乗りとして県大会で優勝するほどの勇名を馳せていた。戦車長として、指揮官として、果ては中破から瞬時に万全の状態まで修理してみせる応急士としても比類ない才を魅せ、九州を超えて全国に噂が流れるほどの実力者となっていた。

 彼は戦車道を大いに満喫した。砲手、操車、車長、指揮官、全てが新鮮で心地の良い経験だった。喜び、怒り、笑い、泣き、全身全霊で楽しんだ。負けることを拒み、ひたすらに勝利を欲し、がむしゃらに強くなることを望んだ。倒される度に強くなって立ち上がり、強敵に挑み続けた。元来、男の子は戦車などのメカが好きで、そして負けず嫌いである。何の因果か、彼はとことんまで戦車道に相性が良かった。

 心身に我流で刻みつけてきた戦い方は、気づけば率先して敵の喉元に喰らいつくというおよそスマートとはかけ離れたものとなっていた。自分が原作の逸見エリカからどんどん乖離しているという自覚はあったが、原作通りに事を進めなければならない理由など無いし、戦いに没頭すればそんなことはすぐに考えられなくなった。

 苦戦を強いられれば強いられるほど、激戦になればなるほど、呼吸が早まり、瞳孔が開き、ぐるると喉が低く唸り、全身の毛が剣山のように逆立つ。砲撃が飛び交う中、腹の底から激情を迸らせるたびに灼熱の充足感が全身を満たす。興奮の絶頂に達した時、戦車が己の手足となり、意識まで融け合って、自分自身が大地を駆ける巨獣と一体化したような万能感に細胞の一片までも燃え上がる。恥も外聞もなく己の凶暴性を曝け出せる戦車道は、麻薬のように全ての矛盾を忘れさせてくれた。

 畢竟、その少女とは思えぬ凶暴な戦い方と荒々しい印象から、彼、つまりこの世界の逸見エリカは、ライバル校どころか仲間からも畏怖の対象となっていった。

 そうして、何時しかこのように賞賛され、または揶揄された。

 

 

“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す猛犬なり”

 

 

 そうして、あれよあれよという間に時は過ぎ、彼は中学卒業と高校入学の時期を迎える。この時、本人の無関心をよそに、狂犬(・・)というアダ名はもはや全国どころか世界に轟く勢いとなっていた。その年の全国大会、彼は切り込み隊長として敵フラッグ車を次々と撃破し、母校を創立以来初となる準優勝に導いたからだ。最終戦では、包囲された自軍フラッグ車の窮状に見向きもせず、逆に手薄となった敵フラッグ車集団に単騎で踊り込んで敵を恐慌の渦に突き落とした。歴戦の強豪校をあわや敗北かと狂乱に陥れる様はアダ名に負けぬハングリーな戦いぶりであった。

 そんな彼の実績を、低迷する戦車道の再興を目論む各高校が見逃すはずがない。周囲の予想を遥かに超えて、逸見家には日本のみならず世界のあらゆる学園からオファーが殺到した。何を勘違いしたのか、知波単学園からの封筒にはご丁寧に「貴殿の突撃精神に感銘を云々~」と隊長直筆でしたためられ、学園長直々の印まで添えられている。

 テーブルの上にズラリと並んだ封筒の束を前にして、逸見家始まって以来の快挙であると親族一同が宴会まで催して彼を讃えた。選り取りみどり、どこを選んでも子々孫々に語り継がれる栄誉となる。しかし、両親や姉から肩をバシバシと叩かれている当人の心は晴れない。黒森峰女学園からのオファーがそこに無かったからだ。

 無論、受験をすれば良い。戦車道最難関の学園だが、チャンスがないわけではない。()()()()()()()()()()()()当然ここに行くべきだ。そうすれば、原作キャラたちとも実際に出会うことができる。ガールズアンドパンツァーの物語が始まっていく。

 ―――だが、あの美しい世界に自分などが立ち入っていいものか。ファンは、あくまで第三者として主人公たちの勇姿を鑑賞するからこそファンであり、その環の中に入ってしまってはもはや観客(ファン)ではいられなくなる。役者として舞台を成功させる責任が生まれる。その責任を果たす覚悟など、考えたこともなかった。そもそも、自分のような原作とはかけ離れた邪魔者が立ち入っては、彼女たちの美しい世界を台無しにしてしまうのではないか―――。

 彼は今さらになって、彼にとって神聖不可侵たる原作キャラたちと濃密に関わることに、憧れ見上げるだけだった舞台(ステージ)に泥だらけの足を踏み入れてしまうことに、途方も無い恐れ多さを覚えたのだ。

 

 気づけば、自分でも理解し難い衝動に突き動かされた彼は、肩まで伸ばした銀髪を振り乱し、驚く親族の制止を振り切って、寒空の下に駈け出していた。

 どのオファーにも返事を出す意味を見つけられず、黒森峰女学園に行くという明確な決意も持てない。かと言ってそれ以外の選択肢も思いつかない。土台、自分の性格も戦い方も規律を重んじる原作の逸見エリカと異なるし、黒森峰女学園の秩序あるそれとも異なる。あちらからしてみれば邪道も邪道だ。到底、伝統厚い学園に受け入れられるとは思えなかったし、自分自身、今さら戦い方を変える気も起きなかった。

 

(―――私は、なんて空っぽ(・・・)なんだろう)

 

 自己否定と自己肯定が胸の内で渦を巻き、どちらも素直に受け止められない頭がズクズクと疼く。何を焦っているのか、どうして走っているのか、何をしたいのかもわからず、先延ばしにし続けた悩みから逃げるように、彼は愛戦車の待つ学校を目指して白い脚で地を蹴り続けた。

 彼はただ自由に戦車道がしたいだけだった。自分がここにいる意味など、逸見エリカとなった理由など知ったことではない。戦車道で強くなりたかった。自分がどこまで行けるのか試したかった。強さの高みに登り詰めたかった。彼はどこまでも愚直な二十歳にも満たぬ青年で、彼女(・・)は、この世界ではまだ15歳になったばかりの未熟な少女だった。

 

 太陽もすでに地平線に隠れ、うっすらと紫色の薄暮が世界を満たす中、彼は歴戦の友たるティーガーⅡの砲塔に腰掛けて己の太ももをじっと見下ろしていた。鋼鉄の装甲は突き放すように冷たいが、走り続けて火照った肉体には心地よかった。ティーガーの巨体に寄り添えば、激戦の臭いと興奮がまじまじと蘇り、雑事を頭から追い払ってくれる。周りを取り巻く煩わしいしがらみは消え去り、戦いの悦に浸ることができる。

 すうっと鼻から深く息を吸い込み、格納庫に滞留する重厚な空気を肺いっぱいに満たす。使い込んだ分厚い鋼鉄と、嗅ぎ慣れた火薬の臭い。瞬間、戦車戦の狂喜を思い出した意識がじわりと熱を帯び始める。瞳孔がギリギリと絞られ、唇からはみ出した八重歯が鋭さを増し、産毛までざわざわと逆立つ。活性化した脳が酸素を求め、浅く早い呼吸がハッハッと肩を小刻みに震わせる。ぐるると喉が低く鳴り、熱い吐息が眼前の大気を白く濁す。

 戦いたい。ただただ戦いたい。もっともっと戦いたい。いろいろな戦場で、いろいろな敵と戦いたい。弱い敵に勝って、弱い敵に負けたい。強い敵に負けて、強い敵に勝ちたい。勝って負けて、負けて勝って、戦い続けたい。ああ―――戦いたい!「戦いたい!!」

 

 

 

「―――なら、我が黒森峰にこそ来るべきよ」

 

 

 

 いつの間に現れたのか。その冷徹な少女の声は、同年代のものにしては奇妙なまでに引き締まり、何より凛々しかった。弾かれるように彼は声の主に向かって一足に跳躍する。心情を声に漏らしてしまっていたことにも気づかず、ましてや他人の接近を許してしまったのも不覚極まる。戦車戦ならとっくに撃破されていた。獣のような俊敏さでティーガーから飛び降りて身構えた彼は、目の前に立つ少女の姿に絶大な驚愕を覚えて思考を空白化させた。

 

 

「―――西住(・・)まほ(・・)

 

 

 ガールズアンドパンツァーの主人公、西住みほの最強のライバルにして因縁深き実姉、黒森峰女学園の隊長、西住まほその人だった。

 まさか、原作キャラとの遭遇を避ける自分に原作キャラの方から接近してくるとは、まったくの予想外だった。しかも、それがよりによって絶対に受け入れられないと思っていた黒森峰女学園の隊長とは。冷水を頭からぶっ掛けられたような心持ちになり、熱を持っていた細胞が冷えて、逆立っていた髪がしゅんと項垂れるのを感じる。

 動揺を隠せずに一歩後ずさった彼を真正面から見据え、まだこの時点では黒森峰一年生のまほは眉を意外気にピクリと動かす。

 

「すでに顔と名を知られているなんて私も有名になったものね。まだ副隊長になったばかりなのだけど」

「―――アンタなら、すぐに隊長になれるわ。絶対に」

 

 西住流の流派を色濃く受け継ぐ西住まほの才能を原作知識で知る彼には確信を持って言えた。それを賞賛と受け取ったまほは、「高く買われたものね」と照れた様子など一切見せない仏頂面のまま応える。

 

「少し驚いたわ。自身の研鑽のみならず他校の生徒の分析にまで余念がないなんて、貴女への評判は少し的外れかもしれない。皆も私も認識を改めるべきね」

 

 「もっとも上級生への物言いは考えものだけど」とふっと鼻を鳴らしたまほはアニメの姿そのもので、彼の内側では感動を主とした様々な種類の激情がマグマのごとく噴出していた。しかし、活性化の余熱が残る思考は目まぐるしく回転し、自分の前に西住まほがいることへの疑念を強く訴えた。彼女はようやく二年生に上がる頃で、自分も今年でようやく一年生。黒森峰女学園に入学すらしていないのに、洋上の学園艦にいるはずの西住まほが逸見エリカの前に現れるのは不自然だ。

 

「なんで、アンタが、私なんかのところに」

「逸見エリカ。貴女は周囲への分析だけではなく、自身にももっと目を向けるべきよ。どんな評価をされ、どんな価値付けをされているのか、もっと知るべきだわ」

「……誰にどう思われようと、興味ないわ、そんなの。私は戦いたいだけだもの」

「そこは評判通りなのね。でも、なればこそよ。戦い続けたいなら、これからの自分の伸びしろを、その実力に見合う居場所を、一緒に戦列を並べるに相応しい仲間を探すべきよ。そうは思わないかしら」

 

 その台詞が黒森峰女学園への勧誘を意味していることは明らかだった。明らかだったが、やはり西住まほが自分を直接勧誘に訪れることへの合点がいかない。オファーの手紙は来ていない。そも、わざわざ人を寄越すのなら専門のスカウトマンでも寄越せばいい。一流の学園なのだからスカウトマンくらい掃いて捨てるほどいるはずだ。現役の、しかも将来有望な生徒を雑用に使う道理はない。それに、原作の西住まほに似合わない積極さにも違和感が募る。

 未だ訝しむ彼を見て、「戦い以外では鈍いのね」と再び呆れ半分面白さ半分といった溜息を落とし、そして声に少しの恥じらいを混ぜて告げる。

 

「私は、犬好きよ」

「……は?」

 

 確かに、劇場版では犬を飼っている描写もあった。しかし、それとこれと何の関係がある? 西住まほは不思議ちゃんというキャラ設定だったか? 

 

「えっと、その……私も、犬は嫌いじゃない、けど」

 

 額面通り、バカ真面目に答えてしまう。考えども考えども首が傾いていくばかりでまったくわからない。ますます動揺して目を白黒させる彼に、まほはこの日初めて表情の変化を魅せた。パチクリと目を開け閉めし、クスリと綻んだ頬で笑う。人間味がグッと増し、目の前の原作キャラが等身大の人間(・・)になる。

 

「なんだ、もしかして、貴女は自分のアダ名も知らないの? 有名人なのに」

「アダ名……?」

 

 そういえば何度か耳にした気がするが、覚えていなかった。戦車道に熱中する彼にとって自分の評判やアダ名など知るべくもない。そんなことを気にする暇があれば戦車道をやっている。己の将来性豊かな美貌にすら興味を示していないのだからそれも必然のことと言えばそうだが、そこまで戦車道に入れ込んでいる少女もなかなか珍しい。だが、笑われる謂われはないはずだ。

 思わずムッと唇をつきだして表情を顰めるも、まほは怖じける様子もなくクスクスと年頃の少女のように前髪を揺らし続ける。こちらの気も知らずに、と直情的な怒りが込み上げ、声を荒らげようと口を開きかけ、

 

「―――狂犬(・・)

 

 スッと見開かれた怜悧な双眸に意識をギクリと縫い止められた。先ほどまでの柔らかな印象を脱ぎ捨て、再び冷徹な声となったまほが続ける。

 

「“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す猛犬なり”―――自分のアダ名くらい知ってて損はないわ。戦う前から敵を威圧できるし、時にはそれを心理戦にも使用できる。アダ名に実力が伴っていれば、尚さらよ」

 

 一歩、彼が引いた分の間合いをまほが詰める。澱みのない武芸者の歩みはこちらが退く隙も与えなかった。ジャリ、という音が二人きりの格納庫にやけに大きく響き、鼓膜を震わせる。原作ではまほとエリカの間には小指一本分ほどの身長差があったが、今はまだ両者とも同じ目線だ。眼球の底まで見透かすような強い視線を目と鼻の先から受け止め、彼はゴクリと息を呑む。鳶色の双眸はすでに誰彼なく引き寄せ束ねる“強者”の光を湛えていた。そして、どこか張り詰めたような正体不明の必死さも滲んでいるように見えた。

 

「私は犬好きよ。どんな犬でも飼い慣らせる自信がある。例え、どんなに獰猛な狂犬でも」

「―――私にリードをつけるっていうの?」

「察しが良いわね。その通りよ」

「―――でも、アンタの学園は、黒森峰女学園はそうは思ってないんでしょう?」

「……それも、察しが良いわね。その通りよ。正直に言うと、こうして貴女に会うのも一苦労だった。家元にも言われたわ。貴女の戦い方は、黒森峰の伝統にも西住流の流派にも合わない邪道だそうよ」

 

 厳しい言に、「当然ね」と彼は目線を落として肯定する。永遠に続く落とし穴に落ち続けているような空虚感が足元から這い上がってくる。

 今にして思えば、原作の逸見エリカの戦い方こそ、戦車道における正道中の正道だった。規律正しく整然と行動し、隊長の命令に忠実に従い、緊急時には隊長の身を真っ先に案じて駆けつける。忠犬そのものの在りようは、だからこそ、個々のスキルよりチームワークが重要視される戦車道の戦いにおいて“統率の要”という極めて優れた武器となる。中学までは個人のスキルが大いに通用したが、高校からは、特に全体の統一された戦術を重んじる黒森峰では、狂犬の我流は通用しまい。何より、肌に合わない。でも、これからどうすればいいのかもわからない。

 肩を落とした彼に諦観の気配を察したのか、まほは取り繕うように少し早口になって捲し立てる。

 

「でも、私は貴女を使いこなしてみせるわ。全国大会での貴女の戦いを見たの。ただの自暴自棄の突撃とはわけが違う。貴女が魅せた純粋な攻撃力は世界にも類を見ない。こんな凄い子がいるのかと心から驚いたわ。“これだ”と確信した。あの苛烈さと強さは、我が校にとって絶対に有用になる。間違いないわ。学園は説得してみせる。家元もなんとかする。だから―――」

 

 熱が篭り出したまほの言葉尻を、彼はすっと掲げた手で制した。彼女が自分に何を見出してくれたのかは定かでないが、自分は大それた期待をされるような人間ではない。しょせんはまがい物(・・・・)に過ぎない。原作キャラの足手まといとなってしまうことだけは絶対に避けたい。自己否定に苛まれながら、卑屈に唇を歪ませる。

 

「お断りよ」

 

 落とした視線の先で、まほの指がピクリと震え、花が枯れ萎むようにぎゅっと握りしめられる。小さな拳は今にも格納庫の薄闇に溶け消えてしまいそうだ。胸が締め付けられる思いを味わいながら、せめてなるべく傷つけないよう努めながら拒絶の言葉を紡ぐ。

 

「西住流次期家元からの直々のお誘いはとても光栄に思うわ。自慢して言い触らしたいくらい。だけど、断るわ。“狂犬”が貴女たちの戦い方に染まれるとは思えない。今さら染まるつもりもない」

 

 目を合わすことが出来ない。きっと彼女を失望させてしまった。原作キャラと会えた興奮は完全に冷えきり、後に残ったのは寂しさと申し訳無さだけだ。自分のような不純物が逸見エリカになってしまったせいで、我の強い戦い方にばかりかまけてしまったせいで、西住まほは妹以降の忠実な副官を失うことになってしまった。その痛手は物語にどれほどの悪い変化を与えてしまうだろう。せめて、これ以上悪くならないように、自分は身を引くべきだ。

 

「黒森峰は生徒数も多いし、優秀な生徒ばかりなんでしょう? 私よりもよっぽど良い人材がいるわ。心配せずとも、私なんかがいなくてもアンタならどんどん勝ち上がっていける。聞いているわ、妹さんも優秀なんでしょう? それなら、私がいても迷惑になるだけよ。せっかく来てもらったのに申し訳ないけど―――」

 

「みほは、優しすぎるんだ」

 

 唐突にポツリと零れ落ちたそれは、今にも消え入りそうなほどに小さく、苦しげで、思い詰めた声だった。アニメですら聞いたことがないような弱々しい声音にハッと顔を上げた彼は、目の前に晒された表情にドキリと心臓を掴まれた。どんな窮地に立っても精悍さを崩さなかった目が、顔が、今にも泣き出しそうに澱み、引き攣っていた。

 みほ(・・)―――西住みほ(・・・・)。西住まほの妹であり、隊長となった姉を支えることになる未来の副隊長。優しさ故に油断し、学園の敗北の原因を作り、姉の元を去っていくことになる、悲しい宿命を背負った少女。

 

「みほには―――妹には、戦車道の才能がある。ずっと傍にいた姉の私にはわかるの。私以上の天賦の才能を持ってるわ。いずれ隊長になるに相応しい。でも、優しすぎるの。誰も見捨てられない。それはとても良いことだと思う。けど、時には仲間を犠牲にしてでも勝利する黒森峰の戦い方は、あの娘にはつらいかもしれない。いえ、今もつらさを覚えているかもしれない。私がそれを慮ってあげられるうちはいい。でも、私の責任が増えていくに連れて、みほばかりに目を向けていられなくなる。今ですら副隊長として隊をまとめあげるのに手一杯なの。いつの日か、私の目の届かないところであの娘は孤立していくわ。限界が来たその時、優しいみほはきっと深く傷ついてしまう」

 

 その通りだ。まほの予感は的中している。これから一年後、記念すべき10連覇がかかった黒森峰対プラウダ戦で、みほの目の前で仲間の戦車が川に落ちることになる。激戦の中でその場に駆け付けられる余剰戦力はなく、回収車も間に合わない。溺れかけている仲間を助けられるのはフラッグ車を任せられたみほだけだった。みほは迷うこと無く戦車を乗り捨てた。結果、動きを止めたフラッグ車は撃破され、戦況を有利に進めていた黒森峰女学園は敗北を喫してしまった。浅慮な愚行で学園と西住流の双方に泥を塗ったとして、みほは周囲からも母親からも激しく責められ、そのせいで強いトラウマを抱えてしまった。意気消沈する彼女は、逐われるように黒森峰を後にすることとなった。隊長だったまほは、その役目と責任からみほを擁護することも出来ず、小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。

 原作知識で未来の顛末を知る彼だが、姉まほが事前に抱えていた苦しみは原作には描かれていなかった。驚きとともに呆然とする彼を、「だけど、」とまほが再び見詰める。強者の波動が失せ、懇願の色が混じる。

 

「だけど、優しさを実現させうるだけの“戦力”があれば……。今の黒森峰では、まだ上手く噛み合わないかもしれない。でも、みほが隊長になった時、あの娘の臨機応変な作戦を支える強力な武器(・・)となり、弱点となる甘さを補って余りある攻撃力(・・・)があれば―――」

「―――みほは傷つくことなく、笑ったままでいられる」

 

 結論を先んじた彼の台詞に、今度はまほが視線を落として頷いた。どうして彼女が直接スカウトに来たのか、その不自然な必死さにも納得がいった。一人が優し過ぎるのなら、その優しさを犠牲にするのではなく、もう一人の激しさで補う。自分にそれが出来ないのなら、それが出来る誰かに助けを求めるしか無い。まほが“狂犬”を必要とした本当の理由は、黒森峰や、西住流や、あまつさえ彼女自身のためでもなかった。妹みほを護り支えるに足る“番犬”として、彼に助力を乞うたのだ。

 黙して何も言わない彼に、まほは絞りだすような声で縋る。

 

「貴女が、必要なの」

 

 必要(・・)。その言葉にはたしかに言霊が宿っていた。空っぽだった肉体(タンク)に燃料を注ぎこみ、心臓(エンジン)に火を入れる“熱”が詰まっていた。

 自分の戦い方を、自分の人生そのものを、他ならぬ原作のキャラクターから肯定される。憑依者(にせもの)だった彼を一人のキャラクターとして求め、認めてくれるその言葉は、今まで感じたこともない喜びを、安堵感を、地に足をつける充足感を漲らせた。

 

「逸見エリカ、貴女が必要よ。貴女の力がいるの。貴女以外では絶対に務まらない。我々には―――、いいえ、あの娘には、きっと貴女こそが必要なのよ」

 

 お前こそが必要だ(・・・・・・・・)。男なら誰もが鳥肌を立てて覇気を漲らせる、魔性の言葉。魂のギアを全開にし、死ぬまで走る覚悟を与える魔法の呪文。

 西住まほは、無意識かつ本心からそれを使ってしまった。ようやくガールズアンドパンツァーの大地(せかい)を踏みしめたばかりの彼に対して、その呪文がどのような結果を招くかも知らずに。

 

「もしも貴女が黒森峰女学園に来てくれると言うのなら、私は全力で入学を実現して、我が隊に入隊させて、そして貴女を使いこなしてみせる。貴女の有用性を証明し、周囲に貴女を認めさせ、我が隊の戦力に完璧に組み込んでみせる。だから―――」

 

 

 

 ぐるるるる……

 

 

 

 獰猛な獣が獲物を前に喉を鳴らしたような、地響きにも似た唸り声が格納庫に響いた。ティーガーのエンジン音かと聞き紛うて正面に目を向けたまほは、それが間違いであり正解でもあることを瞬時に悟った。

 今、彼女の目の前にいる少女の皮を被った“狂犬”は、まさしく戦場の王虎と畏怖されたティーガーⅡの心臓部(エンジン)に他ならないのだ。

 闇を切り裂いてギラつく凶暴な瞳孔、触れれば切れそうなほど鋭い八重歯、雪山の白狼の如く逆立つ銀の髪―――。

 

これだ(・・・)―――!)

 

 その凄みに気圧されながら、まほはむしろ不敵な笑みを浮かべて武者震いに震えた。紛れも無い。これこそ、彼女が妹のために探し求めた純粋な力―――“狂犬”逸見エリカの真の姿だった。

 

 

 

 

 ガルパンおじさんなら誰しもが想像しただろう。“もしも、西住みほが黒森峰を去ること無く残留していれば、どうなっていたか”―――。おそらく、みほにはいずれ限界が訪れただろう。少女たちの輝かしいドラマは生まれず、黒森峰に栄光の光は差さなかったかもしれない。

 だが、この世界では少し事情が違った。

 

 雲一つない晴天の下、眩しい陽光が照り付ける広大な富士演習場を舞台に、二列に並ぶ少女たちが睨み合う。

 かたや強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を見事導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして島田流宗家の一人娘、島田愛里寿。

 かたや彼女と真っ向から正対するのは、その名の知れた強豪校にして、歴代最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住みほ。

 

 そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威圧するように腕を組み仁王立つ彼女(・・)、逸見エリカは、忠犬ではなく、黒森峰の狂犬(・・・・・・)として―――そして、誰よりも西住みほが信頼を寄せる副官兼親友として、このIFの世界にその名を轟かせていた。

 

 果たして、彼女たちがこれからどんな物語を紡いでいくのか―――それは、ガルパンおじさんの夢のみぞ知ることかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の一部を、少しだけ。

 

 

 

『―――大洗女子学園、ポルシェティーガー、89式中戦車、走行不能! 残りフラッグ車一両!』

『―――黒森峰女学園、ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、走行不能! 残りフラッグ車一両のみ!』

 

 

「―――結局、隊長同士の一対一に持ち込まれたか」

 

 

 ティーガーⅡの装甲に背を預け、そういえば原作通りだな、と彼女(・・)は心中に独り言ちた。ぐっと顎を傾けて頭上を見上げれば、焦げだらけの愛戦車の上部装甲で“走行不能”を意味する白旗がのんびりと風にはためいている。

 彼女は、久しぶりに自分がこの世界への転生者であったことを思い出した。この2年間、必死になり過ぎて、自分の正体すら頭からスッポ抜けてしまっていた。苦笑しつつ、土埃に塗れたスカートをパタパタとはたく。世界の修正力とでも言うのか、部外者がどんなに邪魔をしても物語の流れを元に戻そうとするような未知の力でも働いているのかもしれなかった。けれども、結末までは世界の思いどおりにはならない。最後を決めるのは、いつだって人間の底力なのだから。

 ティーガーから伸びた無線機に口を近づけ、崩れかけた廃校舎の方角に目を向ける。時折轟音と猛煙が上がるそこでは、彼女の隊長であり親友が今まさに敵のフラッグ車と一騎打ちを始めようとしている。

 

「―――隊長、ごめんなさい。やられたわ。残りはアンタのティーガーⅠと敵のⅣ号戦車だけよ」

『ううん、大丈夫。エリカさん、怪我はない?』

「他人のこと心配してる暇があったら、さっさと試合を終わらせなさい。せっかく冷やしてるビールがヌルくなっちゃうわ」

『ふふ、ビールはノンアルコールなんだけどね。―――ねえ、エリカさん』

「なによ?」

 

 無線機の向こうから、意を決するような気配がした。一拍を置いて、聞き慣れた明るい声が弾ける。

 

『―――今まで、ありがとう。エリカさんがいなかったら、私はここまで来れなかった。貴女が副官でいてくれて、親友でいてくれて、よかった』

 

 彼女はまたもや顎を傾けて頭上を見上げる。視界に映る白旗がじわりと滲んで見えた。頬を伝い落ちそうになるのをかろうじて目尻で押し留めながら、絞りだすように応える。

 

「―――馬鹿言ってんじゃないわよ。試合に集中しなさい」

『うん、わかった』

 

 くすっと微笑と共に返ってきた返事は、まるで彼女の様子を覗き見ているかのようだった。いや、本当に見えているのかもしれない。入学して、みほと出会って、今日までに結ばれた二人の絆は、それくらい強固なものだから。

 まるで走馬灯のように、今までの思い出が風となって脳裏に流れる。喜怒哀楽、様々な経験を共に味わい、乗り越えてきた。それら全てが、今日この日に向かって繋がり、結集されているのだ。

 だから―――。そう、特別な今日くらいは、照れ隠しなんてしなくてもいいだろう。

 

「―――私もよ」

『えっ?』

「私も、貴女と出会えてよかったわ。貴女を支えることが出来てよかった。西住みほの副官になれて、西住みほの親友になれて、本当によかったと思ってる」

『―――エリカ、』

「さあ、行きなさい、みほ。どんな結果になっても、私は貴女を誇りに思う。貴女を笑って迎えてあげる。だから、どうか、後悔のない戦いをして」

『―――わかった! 行ってくる!』

 

 覚悟を決めた返答を最後に、無線は途切れた。それでも、そっと瞳を瞑れば瞼の裏に光景がはっきりと映し出される。親友の言葉を力に変換したみほが、目を見開いて全身全霊の号令を咆哮する。「戦車前進(パンツァー・フォー)!!」、と。

 

 

 ああ、私は、なんて幸せなのだろう。ただのガルパンおじさんだった私がここまで至れるなんて、私は世界一の幸せ者だ。

 

 

 

 ドーン、という2つの砲撃音が同時に重なって世界を包み込んだ。Ⅵ号戦車(ティーガーⅠ)とⅣ号戦車が至近距離で撃ち合った音に違いなかった。力強い轟音は、澄んだ空気を伝って遥か地平線まで届くようだ。今日は本当にいい天気だ。こんな日は、きっと、

 

 

 

『―――フラッグ車、走行不能、よって勝者は―――!!』

 

 

 

 

「冷たいビールが、美味しく飲めそうね」

 

 

 

 




 なお、今作の逸見エリカは催眠音声の視聴が趣味であり、ことそれを使用した自慰行為に関しての拘りには決して妥協がない。ハンドルネームは「ハンバーグ」である。

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