ガリ勉少女を愛くるしげにするためには、   作:ひょっとこ_

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プロローグ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリス! アリスじゃない!」

「うぇっ!?」

 

 どこか見覚えのある少女がコンパートメントと通路を仕切るドアを開き、僕の眼前まで来たかと思うと、声を張り上げてそう言った。

 突然のことで体が固まり、膝の上にのっけて読んでいた分厚い本――アドルバート・ワフリング著の「魔法論」を思わず取り落としてしまう。

 

「ね、アリス、私のこと、覚えてるかしら? 私、ハーマイオニーよ。ね、覚えてるでしょ?」

 

 あっ、と思う隙もないくらいの機敏さで、その少女は、少しばかり大きい前歯と茶色の縮れ毛が特徴的な顔に満面の笑みを浮かべつつずずいと詰め寄ってくる。

 

「え、っと……はーむ、おうん……ににー……?」

 

 おそらくは名前であろう単語が聞き取れず、曖昧な返しになってしまった。

 ぼさぼさの髪の毛と同色の瞳がこちらの瞳と重なって、その奥に光る興奮の色にやはり既視感を抱く。

 

「ふふっ、そういえば、あなた私の名前をうまく言えないんだっけ。ハーミー。ハーミーよ。これで思い出すでしょう、アリス」

 

 花が咲いたようなその笑みにもやはり既視感を覚える。そして、頭の深いところを掻き乱すその呼び名(ハーミー)

 数秒の間考え込んで、それで、ようやっと思い出した。

 ハーミー。ハーマイオニーだ。ハーマイオニー・グレンジャー。

 そうだ。僕はこの少女のことを知っている。

 五年前、僕がまだイギリスで暮らしていた頃だ。家の近くで歯医者を営んでいたグレンジャーさんとこの一人娘と僕はよく一緒に遊んでいた。それが彼女、ハーマイオニーだ。

 生まれてから、両親が言う諸事情とやらで日本に移り住むことになるまでの五年間、いつも隣には彼女が居た覚えがある。

 

「ハーミー……ハーマイオニー! おー、久しぶり!」

 

 頭の中に根付く言語のスイッチを切り替える。幼い頃、イギリスで過ごしていたのは伊達ではない。

 

「ええ、アリス、久しぶり! 五年ぶりかしら。背、伸びたわね。にしても、驚いたわ。まさか、ホグワーツ行きのこの列車であなたに会えるだなんて」

 

 饒舌、というか矢継ぎ早に捲くし立てるハーマイオニーは、記憶の中にある幼い頃の彼女の姿とぴったり一致して、思わず笑いが込み上げる。

 遊ぶのも、ご飯やお菓子を食べるのも、寝るのも一緒だった。時にはお風呂だって……いやいや、これは忘れよう。

 とにかく、楽しいものばかりの彼女との記憶。日本で過ごした五年の間に、どうやらそれは頭の奥底に仕舞い込まれていたらしい。

 

「それを言うなら、君もだよ。たしかグレンジャーの小父さんと小母さんさんはマグルだったよな」

「そうなの! だから、初めてふくろう便が来たときなんか、もう驚いちゃって……って、そうじゃないわ。ねぇ、アリス、少しいいかしら?」

 

 喜色に満ちていた顔を真剣なそれへ変えたハーマイオニーの話を聞きながら、ふと僕の思考は脇へ飛んだ。

 アリス。ハーマイオニーは僕をそう呼ぶけれど、それは幼い頃の名残りだ。

 僕の名前は、クラレンス・A・オブライエンといって、ミドルネームのAが日本人である父さんの姓、有栖の意味を持っている。

 それで、「不思議の国のアリス」を愛読書としていた当時のハーマイオニーが、有栖の部分を気に入って、僕のことを名前ではなくアリスと呼ぶようになったのだ。

 変な謂われではあるが、僕自身、わりと気に入っている呼び名だった。

 

「……というわけなんだけど。って、アリス、聞いてたの?」

「あー、うん、ヒキガエルでしょ? そっちの、えっと、ネビルだっけ?」

 

 ハーマイオニーに紹介されるまで気づかなかったが、このコンパートメントの中にはもう一人、少年がいた。

 ネビル・ロングボトム。どうやら、彼のペットのヒキガエルが逃げ出してしまったのを彼とハーマイオニーの二人で探していたらしい。

 それで、そのうちに僕を見つけて、思わず舞い上がってしまったと。

 

「わかった。手伝うよ、カエル探し」

「本当!?」

「ありがとう、アリス」

「さ、そうと決まれば早く行こうか」

 

 すでに泣きべそをかいているネビル。さすがに捨て置けなかった。

 と、その前に床に放りっぱなしだった「魔法論」を拾い上げ、埃を払ってから、栞を挟む。

 

「あら、それ、読んでたの?」

 

 ネビルを先に行かせ、自身もコンパートメントから出ようとしていたハーマイオニーが、目敏く僕の手元を覗き込む。

 

「うん。結構おもしろいよ」

「知ってる。もう読んでしまったもの」

 

 そう言って笑う彼女は、昔、よく本から仕入れてきた知識を僕にひけらかして驚かそうとしていたときと同じ顔をしていて、なんだか胸が温かくなった。

 

「さ、早く行きましょ、アリス」

「うん、そうだね」

 

 どことも知れぬ草原を、目的地――ホグワーツ魔法魔術学校へ向けて走るホグワーツ特急。

 その中で、物語は始まる。

 不思議な不思議な魔法の物語であり。

 運命の因果とそれを断ち切る意思の物語であり。

 僕たち魔法使いの奇っ怪な人生を綴った物語である。

 

「トレバー、出ておいでよー……トレバー……ぐすっ……」

「ああっ、もう、泣かないの、ネビル!」

「トレバーやーい、どこだー」

 

 アクシオ、使えたら楽なのになぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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