灰と幻想のグリムガル 聖騎士、追加しました   作:2222

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注:原作4,5巻要素あり。
オリキャラと捏造設定満載


24話  迷走エスオーエス

 

「――チッここも埋まってやがる」

 

 クズオカが苛立ち紛れに砕けた鍾乳石を蹴りつけ、唾を吐く。

 乳白色の岩で覆われていたはずの鍾乳洞は、砕けた岩で半分ほど埋まっていてこれ以上先に進めそうもない。

 今日はずっとこの調子。まったく稼げていない。

 

 このパーティに入ってからそこそこの日数が経ったが、こんなに稼げないのは初めてだった。

 

「しかも妙な臭いがすんな、なんだこれ」

 

 カトーも暗闇を透かすよう見渡し、鼻をひくつかせ眉をしかめる。

 

「ああ?しねえぞ。臭いなんて。淫売にビョーキでも移されたんじゃねえか?」

 

「はァっ!?キモいこといってんじゃねえぞクソが死ねッ死んで詫びろッ」

 

「図星かよ。安いのばっかり買うからだろ」

 

 恐る恐るアイラも嗅いでみたが、よくわからなかった。

 

「チッ休憩だな。オイ新入りぃ足揉めよ」

 

 全身鎧に身を包んだ大柄な戦士であるキクチは、早くも座り込んで革袋を取りだしている。

 この男はモグゾーを彷彿とさせる大柄でかなり強い戦士だが、控えめに言って人間性に問題があるし近寄りたくないので聞こえないふりをしてそっと離れる。

 

「クソ、今からコブラナってわけにもいかねえしな。やってらんねぇどーにかしろよクソオカ」

 

 石に潰されたらしい虫の死骸を念入りに踏み潰しているカトーが、クズオカに因縁をつけている。

 この男も瀕死の獲物をじわじわと苦しめて殺したり、パーティに対しても笑いながら背後から技をかけてきたり首を絞めたり、一歩誤れば相手が死ぬようなことをしてくる。

 おかげで油断している隙はない。常に気を張っていなくちゃいけない。

 この二人に比べればクズオカは―――

 

「誰がクソオカだボケがッくたばれ下等の分際でッ!」

 

「カトーだっつってんだろしね!死んで詫びろ×××が!」

 

「ウっううるせえ黙れキモヒゲ天パ野郎×××××!」

 

「てってめ一番言っちゃいけないこと言いやがったなぶっ殺す!!」

 

「何度でも言ってやる×××××!×××××!」

 

 クズオカが比較的マシに見える気がしたけど気のせいだった。

 

 しばらくしてクズオカは、近くの石に腰掛けて、珍しく背負い袋から地図を取りだして書き込みを入れはじめる。

 

 今日はコブラナを狩りに行かなかった。

 というか、ここ数日は行っていない。

 あまり通い過ぎると個体数が減り過ぎて元の数まで戻るのに時間がかかる。

 それに警戒されるようになったのでしばらく間を置くとさも知ったような顔でクズオカが言っていたが、おそらくほとんど自分の考えた事ではないだろうと思う。

 

 なんとなく、予想がつく気がした。

 

 パーティ内は以前よりも些細なことで喧嘩っ早くなっている。稼ぎがよくないせいだ。

 

 稼ぎさえあれば、比較的みんな機嫌がいい。

 機嫌がいいから喧嘩しないとか仲が良いとかそういうことは一切ないけど、過剰に神経を使わなくて済む。

 

 けど今日はもうだいぶ歩き回っているし、野営してもっと先に進んでもいいけど道が塞がっている件に関しては少し情報を集めたい。

 ここだけなのか、ワンダーホール全体がそういう状態なのか。

 稼げるルートがあるのかどうか・・・・・・一通り考えながらアイラは連中から離れたところに腰を下ろした。

 

 苛立っているサクマの傍にいる彼を見て、ひっそりと息をつく。

 一見すると神官と魔法使いのカップルのように見える。

 もしかしたら本当にそうなのかもしれないし、違うのかもしれない。

 

 サクマの女嫌いは度を越していて、彼に直接確かめることもできない。

 普通の会話ができないのだから、相当なものだと思うが・・・・・・。

 

 しばらく考えてから、なけなしの知恵を絞る。

 

「クズオカさん、私、ちょっと考えたんですけど」

 

 ***

 

 炭を固めて作られたような姿の亜人、スプリガン。

 ワンダーホールに入ってすぐのところに居を構える彼らは、駆け出しの義勇兵にとっては最初の関門。

 普段は他の亜人、デュルガーとボギーと常にテリトリー争いをしている。

 種としてはそんなに強くはないけれども、群れをつくり次々と仲間を呼び出すところが厄介。

 ただし、彼ら配分達の脅威となり得る義勇兵の存在を察知すれば姿を見せない程度の知能があるので、普段はさして脅威ではない。

 

 ときおり宝石のように輝く眼球が高く売れるので、乱獲されることがある。

  

 まぁ・・・つまり、今見ている光景がそれで。

 目玉だけくり抜かれたスプリガンが、飽きて打ち捨てられた人形みたいに点々と散らばっている。

 さらにたくさんのデュルガーとボギーの死体、それと地面にごろりと横たわっている戦士のキクチとカトー。

 ふたりとも怯える相手が巣穴に逃げ込まないように追いかけるのに夢中になり過ぎて、力尽きたらしい。

 

 幸か不幸か時間帯的に引き上げるには早いし今から入るには遅いから、他の義勇兵に見られる心配もないからいいやと考えるのを止める。

 もしも他の義勇兵に見られれば、間違いなく雑魚相手にと揶揄されて血の雨が降りそうだから、早く引き上げてしまいたいところだが・・・と考えてアイラは兜の内側でため息をついた。

 

 中央では狩人の男と魔法使いの女がいがみ合っている。

 

「おらサクマッてめぇ!さっき一個やったのにまたパクろうとしただろっ!」

 

「ハッ!こいつらはアタシが倒したんだ!これぐらいアタシがもらって何が悪いっ!」

 

 クズオカに注意されて逆ギレしているサクマは、威力の高い攻撃魔法を何度も使うことのできる凄腕だから、たいていの場合、クズオカの方が退く。

 サクマは奪略品がキラキラしたものだと、時々こういう事をする。

 宝石に限らず、衣装も金がかかっていて豪華だし、自分自身を飾り立てることにも熱心だ。

 鉤爪のように尖らした赤い爪先でしっかりとつかんでいる目玉は、手の中にあると本物の宝石そのものに見えた。

 

 いや、案外本当に宝石として流通しているのかもしれない。

 ただ飾られているのを見たことがないだけで。

 

 意外と薬の材料だったりするかもしれないけど。

 

 とりとめのないことを考えつつ、魔法で焼き焦げて折り重なったスプリガンの死体を引っ張り出しては目をくり抜いていると、神官が近寄ってきた。

 今自分は兜を被ったままだから誰にも表情を読まれる心配がない。

 それでも目が合ったことが分かった。

 

 いつも通りの薄い笑い。

 あんまり顔色が良くない。

 ふだんちゃんと食べているかまでは確認していない。いつも休憩の頃、魔法使いと神官の二人は見えない位置に行ってしまうからだ。

 そして、彼は時々怪我をして戻ってくる。

 魔法で治すまでもない、小さな怪我だったが、誰にやられているのかは明白で、それがアイラの悩みの種だった。

 

「さっき、腕やられただろ」

 

 そう言って彼は、痛々しいほどざらついた声で少しだけ指先を動かす。

 思わず周囲を見渡す。まだサクマはクズオカと言い争い、キクチもカトーも寝ころんだまま。

 

「要らない」

 

 できるだけはっきり突き放したいい方をすると、相手は微かに眉を顰めた。

 確かに、さっき囮で走り回っている間にデュルガーに殴られた右腕はかなり痛む。

 

「けど」

 

 彼のこの声は、おそらく喉の負傷なのだと思う。一体いつからそんな状態なんだろう。

 パーティに入ったときからほとんど治る様子もない。

 つまり他の神官や聖騎士と接する機会が今までなかったのか、そのままでいいと思っているか。

 

 彼は常にサクマと行動を共にしている。サクマがいると何も聞くことが出来ないことが、アイラはつらい。

 

「自分を治せば」

 

 彼の左手は爪が割れていて、出血はないもののひどい痣ができている。

 

「これは、あとでやるよ」

 

 そうして何でもないように肩を竦めるので、胸ぐらをつかんで大声で怒鳴りつけるかわりに彼女は息を吐いて頷いて見せる。

 

「問題ないから」

 

 もう一度頷いて見せると、彼も僅かに頷く。

 彼は、自分の怪我をあまり治そうとしない。

 魔法力の節約もほどほどにしてほしいと彼女はずっと思っている。

 

「おいブスっアタシのモノに手出す気じゃないだろうねッ!」

 

 つかつかと足音荒く近寄ってきたサクマが前振りなく彼を強く掴んで引き寄せ、燃える眼で聖騎士を睨み付ける。

 いつの間にか話が終わっていたのに気がつかなかった自分の迂闊さに内心苛立ちながら、アイラは何でもないように肩を竦めて見せる。

 

「怪我あるか聞かれただけです」

 

「フンっクソ売女が。アタシのモノに近寄るんじゃないよ」

 

 そういって、サクマは彼を掴む手の力を強める。

 大事な相手を手放さないようにしているというよりは、財布を引き寄せるような仕草だとぼんやり思った。

 もしもシホルなら、きっと怪我の具合を心配するはずだ。

 

「お前はアタシのモノだ。そうだろ?」

 

「そうだよ。サクマ」

 

 彼はそうさらりと言ってのけ、サクマの頬を軽く撫でる。

 

「俺は神官だから怪我の具合くらい聞くのは当然だし、それ以上の事は何もないよ。サクマの方がずっと美人だしね」

 

 彼は爽やかに微笑んで見せる。

 アイラは、知らず知らずのうちに視線が下がった。

 嘘をついているようには聞こえないし、嫉妬する恋人をなだめる言葉にしか聞こえない。 

 

 サクマは鼻を鳴らし腕をつかんだまま物陰の方へ歩いていく。

 二人の後ろ姿は多少問題はあっても恋人同士に見える。

 

 恋人や家族に暴力を振る人間なんか、ありふれている。

 だから今そのことに関して悩んでも仕方ない。

 彼が助けを求めてくれなければ、動きようがない自分の無力さがアイラは嫌で仕方ない。

 

 舌打ちしながら稼ぎを袋に詰めているクズオカに近寄りながら、彼女は再びため息をついた。

 

 

「おつかれ。稼ぎ、どうだった?」

 

 彼女が屋台で食事していると、顔見知りの二人がやって来た。

 ふわふわした赤毛がうさぎみたいで可愛らしい娘と焦茶色の長い髪が綺麗な娘。

 口がふさがっていたので軽く手を上げて椅子をずらして場所をあける。

 二人は横に腰掛けると、お勧めである魚のフライが挟まったパンと野菜のクリームスープを注文した。

 化粧は薄め。食べ終わったら最後まで仕上げるのだろう。彼女たちにとってはこれからが稼ぎ時だ。

 

「微妙。道が使えなくなってて、よくあることなの?」

 

 スープに固いパンを浸して食べる。とても美味しい。

 

「ん~どうだろ。昨日の客はチカクヘンドー?があったからしばらく休むとかいってたけど」

 

「地殻変動?」

 

「でっかいモグラが動くと道が変わるって話だよ。昨日までなかった道が急にできるんだって、昔義勇兵だったジジイが言ってた。新しい道を見つけられたら一攫千金も夢じゃないって噂」

 

 付け合わせのなんだかよくわからない球根がたくさん入った酢漬けもおいしい。

 ぱりぱりとかじりながら、アイラはしばらく考える。

 

「そうなんだ・・・なら落ち着くまで稼ぎが下がるかもね」

 

 娼婦二人は顔を見合わせて、少し残念そうな顔をした。

 二人分の料金を支払ってから残りのフライに取り掛かる。半身が手のひらくらいある大きな魚だ。

 この魚は前哨基地を囲む濠で育てられているらしい。オルタナの屋台よりも香料が効いていてちょっと癖になる。

 二人が軽い咳をしているのに気がついて、追加料金を払って柑橘類のミックスジュースを三人分頼む。

 ちょっと高いが、冬場だし、近隣には農家もないので仕方ないと彼女は思う。

 

「風邪には果物がいいんだって」

 

 変な顔をする二人にそういうと、何故かもっと変な顔をされた。

  

「・・・・・・アンタ、変わってるよね」

 

「ヘンだよねー」

 

「よく言われる」

 

 アイラの答えに笑っていた彼女が不意に思い出した顔になった。

 

「そういえば、辻屋、通り掛けに見たけど今なら空いてるよ」

 

 通称〝辻屋″人間相手に稼ぐ義勇兵。毎回のように怪我を治してもらいに行っているのですっかり常連だ。

 主な客筋は、辺境軍や神官と縁遠い人々。彼女たちと知り合ったのもそこだ。

 客に怪我させられた上、料金を踏み倒されたので手持ちがなく困っている姿をアイラはまだ覚えている。

 

「わかった。ありがとう」

 

 礼を述べて残り少なくなったスープを匙で混ぜながら飲んでいると、焦茶色の髪の娘の方が何か言いたげな顔をしていたのに気がついて顔を向ける。

 

「どうしたの?怪我あるなら治すけど」

 

 辻屋は結構高い。オルタナのルミアリス神殿まで行けばお布施で済むのにと思うが、仕方ない。

 ところが彼女は首を振って座ったままにじり寄り、声を潜めた。

 

「そうじゃない。アンタ、パーティ抜けない?その気があるなら、客に空きないか聞いてみてもいいよ。仲介料とか要らないからさ」

 

「うちらの客だから、スケベなのばっかりだけどねー」

 

 隣の彼女もこくこくと頷いて続けるので、聖騎士はびっくりして手を止める。

 顔を合わせたときにこうやって晩御飯を奢り、他の義勇兵や辺境軍の様子を教えてもらうぐらいの浅い関係だ。

 

「パーティの話、したことあったっけ?」

 

「ないけど、クズのとこでしょ。アンタのこと心配してる義勇兵もいるよ」

 

 アイラは思わずまじまじと彼女たちの顔を見つめた。

 二人はそれぞれ眉を顰め心配そうな顔をしている。

 

「ああ、うん。割と最低だけど・・・稼ぎはいいから。大丈夫」

 

 そう答えても二人の顔色は優れないままであることに、アイラは不思議な気持ちになった。

 まぁ、もしも私の知り合いがこのパーティに入りたいというなら、間違いなく止めるから気持ちはわかるか、と自身を納得させる。

 

「けどさ、アンタのパーティ評判悪いってもんじゃないよ。本当に」

 

 アイラが黙っていると、彼女は一層声を低くして囁いた。

 

「本当にさ、やめた方がいいよ」

 

 思わず数度瞬きして彼女たちの顔を見つめる。

 上手く笑顔が作れず、少し困った顔になってる気がした。

 

 彼は思い出よりも髪の色が褪めていて、少し痩せて、いつかすれ違うことがあっても、他人の空似なのだと思ったかもしれない程度には、変わってしまっていた。

 

 もしちゃんとわかったとしても、他人の振りをしてしまうほど、二度と会いたくないと思われているのかと。

 そう思われて当然だし、憎まれているかもしれないと思ってる。

 しかもどうやら恋人も作っているし問題のあるパーティとはいえ、それなりに馴染んでいる・・・ようには外からは見えた。

 それなら早いところ見切りをつけて、居心地の悪いパーティに固執せずに、命が惜しいなら早く別のところに移るべきだとも思う。

 けど。

 

「ありがとう。私は大丈夫」

 

 アイラは、不安を押し殺して笑って頷いた。

 

 ***

 

 

「やったぜ!さすが俺!予想通りじゃねえか!」

 

「スッゲッ!やべえ!」

 

 興奮して小躍り状態のクズオカとカトーの前には、人が二人ぐらい通れるくらいぽっかりとあいた穴。

 おそらく、今のところ他の義勇兵が知らない道がこの先に広がっている。

 

 いわゆる【発見】。ワンダーホールで稼いでいる義勇兵の夢でもある。

 

 翌日のことだった。そこへたどり着いたのは。

 ここはワンダーホールの中でもすっかり寂れてしまった通路の一つ。

 

 寂れる理由はいくつもある。

 稼げる獲物を根こそぎ獲り尽してしまっただとか、以前の地殻の変動時に主要な道が塞がれてしまったとか、並みの義勇兵では太刀打ちできないモンスターが住み着いた、とか

 ここが寂れた理由はアイラはよく知らない。

 ただずいぶん前から使われなくなっていたらしく、小さな虫がそこかしこで巣を張っていた。

 

「本当にここ新しい穴なのかよ?勘違いじゃねえのか」

 

 訝しげな顔で近くの壁の匂いを嗅いでいたキクチは無精髭の生えた顎を撫でながら欠伸をする。

 離れていてもひどく酒臭い。

 同じように思ったのか、クズオカが嫌そうにした。

 

「間違いねえ。ここは確かに前はなかったとこだな」

 

「・・・クズオカさん」

 

 先に呼びかけ顔を上げてから近寄ると、狩人は地図から目を離して胡散臭そうな表情で聖騎士を見る。

 普通、マッピングは後衛の仕事だ。

 ただ魔法使いのサクマはそういうのが苦手らしくクズオカが描いている。

 他の理由も思いつくが、まあいいとアイラは思っている。

 

「ンだ?」

 

「この辺りって、前は何が出てたんですか?」

  

「ああ、んなもん・・・」

 

 クズオカは顎に手を当ててしばらく考える仕草をした。

 目を細め口元に手を当て今にも吐きそうな顔になる。そして、それを見られていること気がつくと思いっきり表情を歪めた。

 

「ンなもん、どうでもいいじゃねえか。稼げりゃ」

 

「そ、ですか」

 

 知らないのか、思い出したくないのか、どっちだろうと考えながら、彼女はニヤついてるキクチの視線から逃げるようにランタンを掲げ暗闇の中に入っていくカトーの後を追う。

 

 

「散々歩き回って、結局アリンコかよ」

 

 揶揄交じりの言葉とともに大剣が振り下ろされると、固い両腕を構えていた赤いムリアンが真っ二つに裂けた。 

 

「うっせぇボケクソがっ」

 

 上手に構えられた鉈剣が金色に変異した脚を持つソルジャーの首を切り落とし、背後にいた鮮血色のサムライの背中もついでに引き裂いていく。

 力任せに叩ききるには硬すぎる外骨格に顔を顰めながら≪光刃≫を唱えて切れ味が増した剣で動きの鈍ったサムライの頭部に切りつけ蹴りを入れて引き倒してから何度も突き刺す。

 地面に転がった白い筋の入った黒刃をクズオカがすかさず拾い上げる――。

 

 未踏破の地をしばらく進んだあとに現れたのは、ワンダーホールでおなじみの巨大な蟻、ムリアンの巣穴だった。

 普通、ムリアンはもっと地上部に近い外気に触れる部分に住んでいるが、ここは完全に地中に埋没して日が当たっていないせいか、体色も葡萄色というよりはもっと赤みが濃い。

 それから

 

「おいサクマそっちのは魔法使うんじゃねえ!せっかくの金頭が台無しになるだろ!」

 

「ヒヒっすっげぇこいつもキンピカだぜ?信じられるか」

 

「メッキじゃなきゃいいがなッっと」

 

 キクチが大剣を振り回されてムリアンが三匹纏めて壁に叩き付けられる。

 ギチギチ言いながら動きの鈍った虫たちをカトーがすかさず止めを刺していく。

 そしてその中の一匹、背中が広範囲にわたって緑がかった金色になっているソルジャーをひっくり返して嬉々として剥ぎ取りにかかった。

 

 一方、魔法使いのサクマは欠伸交じりで火炎を放ちムリアンを丸焦げにしている。

 辛うじて死ななかったとしても、隣の神官によって錫杖で叩き伏せられ、あるいは神官のスキルとは思えない、むしろ戦士めいた動きで関節を叩き壊されていく。

 

「やべえなぁ、マジで大発見じゃねえか。さすが俺」

 

 自画自賛しているクズオカの様子を横目で見ながら、倒したソルジャーにアイラも剣を入れる。

 他に比べれば少ないが、これも金色に変異した部位があった。

 なんとか切り離して眺めていると、すかさずクズオカが回収に来る。

 

「てめぇネコババする気じゃねえだろうな」

 

「クズオカさんに任せた方が高く売ってくれるのに?」

 

 めんどくさくなりながら彼女がそう答えると、クズオカはつまらなそうに顎で先を示す。

 

「次行くぞ」

 

 辺りはムリアンの死体でいっぱいだ。

 足場が悪いから少し離れてまた狩りなおすという事だろうと頷いて後に続く。

 

 ムリアンは元来そんなに稼げるモンスターじゃない。

 売れる部位というのが、サムライの持っている黒刃やまれにソルジャーの体が一部金に変異してるところぐらいだからだ。

 

 だけどこの日見つけたムリアン達は違った。

 巣穴の入り口を守るソルジャーたちの大多数が、赤色の外骨格に金色に光る部位を持っている。

 少しばかり通常のムリアンよりも硬いこと、この場所自体が出口から遠いことを考えても悪くないのだろうと彼女は推測した。

 

「おいクズオカ、もっと先行かねえか。アリンコの相手も飽きたぜオレは」 

 

 何度か休憩を取り荷物が重くなったころ、ムリアン狩りにカトーが飽きた。

 とはいっても魔法使いのサクマに至っては、瞑想するといって戦闘中もほとんど動いていない。

 

「あぁ?今日はこの辺で十分だろ。早漏野郎」

 

「あぁっ!?先行くのが怖いのかよチキン野郎。小便漏らしそうなのかクズオカちゃん」

 

「ハっくたばれ死ねッ小便漏らしはそっちだろゴミが」

 

「そういやよぉ、小便といやーこないだオンナが」

 

 

 そうやって巣穴の周囲で休みを入れながら狩り続けしばらくして、急にムリアン達が波が引くように巣穴に戻っていくのに気がつきキクチは無精髭に覆われた口元をべろりと舐めて笑った。

 

「そろそろか?」

 

 座り込んでせっせと戦利品を奪っていたカトーが立ち上がり周囲を見渡し、クズオカは弓矢を取りだした。

 キクチは足元に転がっているムリアンの死体を蹴り転がして欠伸する。

 周囲はヒカリバナのお陰で明るいが、ムリアン達の巣穴のない奥の方は真っ暗だ。

 そちらの方から、ゆっくりと何かが近寄ってくる気配がある。

 

 何が来ているかは重々承知だったが、それでもアイラは緊張で手のひらが汗ばんだ。

 

 あれは何なのだろうと思う。

 ムリアン達を捕食しているのか、それともムリアン達の上位者で、彼らを敵から守っているのだろうか。

  

「サクマ、てめえも準備しとけよ」

 

「言われなくてもわかってるよ!口煩いんだよこの愚図ッ」

 

「グズじゃねえ!クズだっ」

 

「来たよ」

 

 無関心な笑みを浮かべていた彼がかすれた声で警告する。 

 真っ暗な暗闇から、影を切り取ったようにウストレルが現れた。

 

 おそらく2メートル以上はあるか。

 以前戦ったものよりも小さく感じて、アイラは内心首を捻る。

 ムリアンもウストレルもあまり大きさや戦法に関して、個々の差異のない種族だ。

 ゴブリンやオークに比べておよそ個性というものがない。・・・と思っていたが、前見たのに比べて様相が異なっている。

 

「小っせえな」

 

 カトーも同じことを思ったのかと思い、彼女はさらに気を引き締めた。

 

「所詮虫けらだ。潰しゃ一緒だろ」

 

 キクチは大剣を振りかざして緊張感のない様子でぼやき、カトーも剣を抜いて壁際によりながら笑っている。

 

「ひひっ、確認してみるか」

 

 ウストレルは杖のように薙刀を持ち、コツコツと鳴らしながら近寄ってくる。

 足が弱いのかと思うがそんなことはない。

 だぶついた布を頭から羽織っているように見える。頭部半分隠れているが、そこから覗くのは銀色に光る頭蓋骨と真っ黒な眼。

 人型で腕は一対、脚も一対。肩幅の割に腰回りが細い、脚は長く、確か跳ね上がるはずだ。

 ワンダーホールに潜りはじめたばかりの頃に、頑丈な腕で殴りつけられ死にかけたからよく覚えている。

 

 びゅんと風を切って矢が飛び、ウストレルの広い胸に五本刺さるがすぐに引き抜かれてしまった。

 うっすら体液が流れているのは確認できたが、致命傷にはならなかったのか。わずかに速度を増して黒い姿が迫ってくる

 

「くそっキモウザのくせに硬いな」

 

 少し緊張した様子でクズオカが剣鉈に持ち替える。

 背後では魔法を使う気配。

 サクマが杖を振り、呪文を完成させる。

 

「デルム・ヘル・エン・リグ・アルヴ」

 

 逆巻く火柱がウストレルの巨体を覆いつくした。

 ごうごうと燃える音と恐ろしい熱気がこちらにまで押し寄せ、冷たい汗が背中を濡らす。

 サクマは仲間を魔法に巻き込むことに躊躇しない、魔法使いとしては最悪の分類だ。

 それでもこうやって義勇兵をやっていられるのは、有無を言わせぬ実力があるからに他ならない。

 

 声なき絶叫と共に、ウストレルの焼ける異様な臭気にアイラは思わず顔を顰める。

 のたうちまわる巨体が壁にぶつかると、わずかに通路が揺れた。

 

「へったいしたことねえな」

 

 クズオカの虚勢を張った声を無視して盾を持つ手に力を込め、聖騎士は炎の向こう側に注意を切らさない。 

 黒い身体が縮んだような気がして、思わず目を疑う。

 何か叫ぼうとしたと同時に、弾丸のように真っ黒い塊が飛んできて、キクチの大柄な体が吹っ飛ばされた。

 

 とばされた?キクチが?とアイラは息をのむ。

 

「んなっ!?」

 

 真横にいたカトーが焦りの声を上げながらとっさに剣を振り下ろすしたが、薙刀が剣を叩き落し炎の残滓が周囲に散らばった。

 

「うおぁっ!」

 

 剣の行方を目で追ったカトーが、続けざまに長い腕の一振りをまともに食らって壁にぶつかる。

 

「なんだコイツ!聞いてねえぞ!」

 

 クズオカの喚く声を聴きながら祝詞を唱え、盾を構えて剣を水平にして突進する。

 横からの突進にウストレルは避けるのではなく迎え撃つことを選んだ。

 盾と長い腕が同時にぶつかり合い、光輝く剣がウストレルの腹を抉った。でもそれ以上は一歩も進むことはできない。一歩でも下がれば薙刀で掻っ切られる。

 真っ暗な眼孔を兜の下から睨み付けながら踵に力を込める。押し負けそうだ。

 ロンなら力負けしない。レンジならきっと、ここで脛に蹴りを入れる。サッサならこの状況に持ち込まないように身を躱す。ランタなら間違いなく他に押し付けてる。

 今のモグゾーやハルヒロなら、どうするかな?そんなことを思いながら、アイラはぎりぎりと力を込める。

 

「そのまま粘ってろッ」

 

 視界の隅で仰向けに倒れているキクチは治癒魔法を掛けられている。

 カトーが頭を振りながら立ち上がり、短剣と剣の二刀流でじりじりと距離を詰めている。

 

 ウストレルの焼かれたから身体から立ち上る鼻を刺す異臭。

 ぎちぎちと噛み鳴らす口からは黒い唾液がだらだらと垂れて顎を濡らしている

 

「・・・ぐっ」

 

 思わず声が漏れる、力があるわけじゃない。速さだって足りない。体力も頑丈さも頭の良さも、思い切りの良さも優れた判断力もない。

 誰かにはなれない。きっと一生懸けても誰かのようにはできないけど。

 

 けど。

 

 聖騎士である以上、引くことはできない。

 

「デルム・ヘル・エン」

 

 後方でサクマが呪文を唱えているのがきこえ、視界の隅で彼がはっとした顔で立ち上がり、サクマに走り寄るの見えた。

 新手の敵だろうか。

 彼を援護する人間がいない。彼を守ってやんなきゃいけないのに。

 

 そうやって集中が切れてしまった瞬間、背筋がぞわりとしてすぐ近くの壁が轟音と共に爆発し、岩もろとも吹き飛ばされた。

 

 もろに地面にぶつかり、一瞬意識が飛びかける。

 ウストレルも同様か、すぐ真横に光る頭があってとっさに体を蹴りつけ転がる。

 

 剣はどこだと霞がかかった頭で考えながらアイラは様子をうかがう。

 

「死ねクソおらぁッ!」

 

 クズオカが前方宙返りから剣鉈をよろめきながら立ち上がるウストレルの無防備な背中に叩き付け、深々と十文字に切り裂く。

 ウストレルの腕が伸ばされ、クズオカの顔をかすめた。

 

「早ッなんなんだよこいつ!」

 

 立ち上がりかけた位置に薙刀が振りかざされ、とっさに後転する。

 捻った体のすれすれのところで薙刀がかすめていく。

 片手をついて立ち上がり、剣を掴み直して足へ切りつける。浅い、だがウストレルの体は斜めに傾ぐ。もう跳べない。

 

「しゃおらァ!」

 

 カトーは風に舞う綿毛のような身軽さで側面から襲い掛かり、嵐のような連打を加える。

 アイラは絞り出されるウストレルの悲鳴が早く止むように硬い肋骨を避けて、肺がありそうな辺りに剣を差し込み、引き抜きながら捻ると黒ずんだ血があふれ出した。

 

「オラどけザコどもっ!」

 

 怪我の治ったキクチが薙刀ごとウストレルに大剣を叩き付け、鞠のようにウストレルの体が吹っ飛び地面に叩きつけられ口から黒い体液が大量に吐き出される。

 キクチが罵声を浴びせながら剣を振り下ろし、固い首の骨を完全に砕く音が聞こえた。

 

 

「チッ蟻どもも戻ってこねえし・・・進むか、仕切り直すか」

 

 クズオカがめんどくささと名残惜しさで迷った顔をしてぐりぐりと首の後ろを揉んでいた。

 

 つかの間の休息だ。

 

 鞘に納める前に大切な武器を確認する。剣が少し刃毀れしていた。

 もっと鋭い剣が必要だ。相手を腕力で圧し切れないなら、道具の質を上げて切り裂くしかない。いい剣も腕のいい研ぎ師も、高い。

 けれどもひとりで天幕は危険なので宿屋で泊まらざるを得ないから、節約するにも限度がある。

 

 サッサ達は、今どうしてるだろうと、アイラはまた思った。

 

「・・・・・・私は、どっちでも」

 

「てめえにゃ聞いてねえ。おいキクチてめえまだ昨日の酒抜けてねえんだろ。なんださっきのザマはよ、このボケナスっゴミがっ」

 

「うっせーオレのせいじゃねえ。オレ様があの程度で酔うはずがねえんだ。あの酒屋が変なモン混ぜたせいだ。オレのせいじゃねえ」

 

 座り込んでいるキクチがクズオカに怒鳴り返す。乾いた血の張り付いた無精髭はかなり汚らしい。

 だけど傷の痕はもうないが、さすがに衝撃が激しかったのか、いまいち覇気がない。

 

「おいみろよ。こいつ、肉がきっちり半分ウェルダンになってやがる。サクマ、てめえコックにでも転職したらどうだ?」

 

 いつものようにカトーが、はしゃいだ声を上げている。

 ちらりと彼女が確認すると、カトーは死骸をもてあそんでいるせいで、全身ドロドロになっていた。

 偵察の時とか、あんなに臭いがついたら問題があるんじゃないだろうかと思うが、口には出さない。

 

「黙りなクソ野郎。耳障りなんだよッ」

 

 呼びかけられたサクマは恐ろしげな目付きでカトーを一瞥し、顔をゆがめていた。

 隣の男はいつも通り。

 黙って佇み視線を宙に漂わせていたが、顔には殴られたような痕があるのに気がついてしまった。

 なにが、あったんだろうと考えるだけえ、気分が悪くなる。

 気にしているのがバレれば、サクマの機嫌が悪くなって、とばっちりが彼に向かうのはわかっている。

 アイラは息を吐いて立ち上がる。

 

 クズオカも腹を決めたらしい。

 戻ってこないムリアン達を諦め、さらに奥へ進むようだ。

 

 ムリアンの巣穴を越えて歩いていくと、徐々にヒカリゴケの群生も消え周囲は闇に閉ざされた。

 狩人のクズオカが斥候に立ち、元盗賊のカトーがランタンを掲げる。

 

「明かり、一つかよ」

 

「今んとこ一本道だから別に要らねえだろ」

 

 今のところは一本道だけど、いつ分かれ道になるかわからない。

 兜をしていると視界が狭いし、足元が不安なので明かりが多い方が安心だけど、帰りの事を考えるとあまり使うのも不安があるなとアイラは思った。

 

 あるいているうちに周囲の地層も少し変わった。

 足元が妙に柔らかいように感じる。

 道幅も狭くなり、いまやかろうじて荷馬車が通れるぐらいだろう。

 挟み撃ちにされたらかなりやばいと聖騎士らしく考える。

 

「おい、止まれ。なんか聞こえた」

 

 クズオカの低い囁きに全員が足を止める。

 

「聞こえねえな、何の音だよ?」

 

 しばらくして周囲を見渡していたカトーがランタンで周囲をあちこち照らしながら訊ねると、夜目の利くクズオカも同じようにきょろきょろと周囲を伺いながら首を捻った。

 

「背中が痒くなるみてえなキモい感じだな・・・でも固い感じじゃねえ。変な音だ。聞こえねえのかよ」 

 

 アイラはモンスターかなと思いながら何気なしに触った土壁がぼろりと崩れ、手が汚れた。

 相当柔らかい地盤なのだろう。いやだなとまた思った。いやな感じがして仕方ない。

 

 周囲を見渡しても何も見えない。

 ランタンが照らすのは一部だけだ。

 ふと考えてアイラは兜を外して周囲を見渡す。何か聞こえたような気がする。

 

「俺も聞こえた」

 

 背後からかすれた声が聞こえて、アイラは一瞬どきりとした。

 頬を擦って気持ちを落ち着かせる。

 兜がない方がやっぱり楽だけど、仕方ないと心を決めてまた兜を被り直す。

 兜をかぶることで怪我を防げるなら、多少の不快感は仕方ない。

 

「私も、なんか聞こえたんですけど。・・・なんか足音っていうかんじではないけど・・・」

 

 当てはまる表現が見当たらずに言い淀むと、カトーが再度ランタンで周囲を照らした。

 

「聞こえねえ。お前ら耳腐ってんじゃねえか?」

 

「逆だ。逆」

 

 言い返すクズオカも周囲に気を取られている。

 陰影が深いせいで、ありえないようなものが見える気がして、みな落ち着かない様子だった。

 

「おい、やっぱり明かり増やすぞ。たいまつでいい。サクマ、下手な魔法使うなよ。爆発系とか本当にやめろよ。壁が崩れるかもしれねえ。生き埋めは御免だぜ」

 

「は?あんたに命令する気かい?」

 

「・・・・・・お・ね・が・い・し・ま・す。これでいいかよクソ女」

 

「口の利き方に気をつけな。クズ豚野郎」

 

 クズオカがギリッと歯を鳴らして反論を我慢する。

 短い付き合いながら、そのクズオカの態度はものすごく珍しい。

 

 もしかしたら、以前落盤に遭った経験があるのかもしれないとアイラは思った。

 

 

 さらにたぶん二時間か、一時間か、もしかしたらもっと短い時間歩き続け、やがてかなり広いスペースに出た。

 とはいっても相も変わらず明かりらしきものは何もない。

 カンテラとたいまつだけではとうてい全体を把握できない暗闇の中、聞こえるのはパーティの息遣いや装備の擦れ合う音だけだ。

 

 なんとなく先を歩くことに気が進まない。

 

 カトーが無言で地面にランタンを置いた。

 周囲二メートルぐらいだけぼんやりと明るいが、それ以上は何も見えない。

 クズオカはしばらく何か確かめるようにジャンプしたり壁を叩いりしてしばらく考えてからにやりと笑った。

 

「穴があると厄介だな。おいカトーてめえ縄巻いて壁沿いに右から回れ。新入りはその後をたいまつ持って、残りはここで待機だ」

 

 そういいながらクズオカは周囲を見渡し、弓を取りだす。

 

「げっ!なんでオレが」

 

 悲鳴交じりの声にクズオカがせせら笑う。

 

「バカかてめぇ。俺よりお前の方が軽いからに決まってんだろ。安心しろよ。何が出てもいいように戻ってくるまで弓構えててやる。サクマ、お前も準備しとけよ」

 

「おいおい、勘弁しろよ。ノーコンサクマじゃオレごと燃やしかねねえぞ・・・」  

 

「消し炭にしてやる。ゴミクズ野郎」

 

 低い声に純然たる殺意を込める魔法使いにカトーは鼻で笑った。

 

「やってみろよ。その前に手足の腱切って裸で土下座させてやるぜババア」

 

「いくら優しいアタシ相手でも、それ以上そのタン壺から御託並べるなら、腹の中から焼き尽くしてやってもいいんだよ」

 

「あぁ!?なんだとクソババア。化粧の下からしわくちゃの面が見えてんぞババア」

 

「どうやらここで燃やされたいらしいね●●野郎」

 

 クズオカが溜息をつき、唾を吐くカトーへ顎をしゃくる。

 

「カトー。サクマの魔法は避けられない方が悪いんだぜ。なあキクチ、おい、聞いてんのか?」

 

「ああ、酒が飲みてえ。クズオカ、持ってねえのか?」

  

「持っててもやらねえ」

 

「クソッタレ」

 

「うるせえアル中」

 

「俺様はアル中じゃねえ!ぶち殺すぞ!」

 

 いきなり激昂するキクチがクズオカの肩を押した。先には、睨み合うサクマとカトー。

 キクチはかなり力が強い。クズオカはサクマとカトーを巻き込んで地面に転がる。

 

「ざけんなオラってめぇ!ぶっ殺すぞ!」

 

「あぁん?!クソ蛆虫どもの分際でアタシに触るんじゃないッ!」

 

「てめえら全員頭腐ってんじゃねえのか!イカレてるぜっ」

 

「死ねクソども!」

 

 ヒートアップした罵り合いに、アイラは息をのんで思わず後ずさる。

 なんでこんな状況で大声で騒げるのか理解不能だ。

 

 明かりが減れば喧嘩が収まるかもしれないと思い、たいまつを持つ手を下ろし距離を取る。

 背後はまだ安全を確認していない。

 あまり離れると危険かもしれないと思いながら機をうかがう。

 殴り合いになれば止めなきゃいけないだろうが、多分、彼も手伝ってくれる。

 

 それでもいやだなと思っていると、覚束ない足取りだったキクチが地面に置かれていたランタンに後ろ足でぶつかった。

 

 ガシャン

 

 という音がしてランタンが倒れ、火が消え、周囲が一瞬にして暗くなる。

 

「げ」

 

「あっ」

 

「なっ」

 

 たいまつを持っているので、完全に暗闇に包まれたわけじゃない。

 4人の沸騰した頭を覚ますのには十分な暗さ。

 しかしここがワンダーホールで、その上何が出てもおかしくない場所だという事を思い出し、込み上げたのは怒りだった。

 

「ちょっこのボケッキクチ死ね!死んで詫びろ弁償しろよマジで!」

 

「オレのせいじゃねえ。こんなとこに置いといた奴が悪いんだろッ」

 

「クソっおい新入り逃げてんじゃねえよ、たいまつよこせ!」

 

 たいまつの明かりだけになり、つまらない争いが一瞬に沈静化したことに心底安心し、アイラは足元を照らしながらクズオカの方へ恐る恐る近寄る。

 ここで誰かの足でも踏めば、また喧嘩が再発しそうだという不安がよぎった。

 

「確認するから、お前ちょっとそこで照らしてろ。火を落としたらぶち殺すぞ」

 

 しゃがみ込み、ぶつぶつ言いながらランタンの様子を見ているクズオカの手元を照らすように、中腰になってたいまつを掲げる。

 揺らめくたいまつの下、ランタンの蓋を開けて中身を確認するクズオカ。

 さすがにキクチもカトーもおとなしい。

 ちらりと見たサクマだけは無言で何か考えている風だったので、少し緊張しながらその隣を見る。彼は背負い袋を下ろし中を探っていた。

 

「クズオカ。念のために、こっちでもたいまつを用意しておくよ。元々そういうつもりだったんだろう?」

 

「あ、当たり前だろ。やっとお前も俺のレベルに追いついてきたじゃねえか」

 

 たいまつに照らされたクズオカの顔は焦っているように見えたが、気がつかないことにする。

 ツッコミを入れてきそうなカトーは、何かに気がついたように周囲を見渡しはじめた。

 

「おい、誰か、なんか言ったか?」

 

「は?何のことだよ」

 

「そういや、なんかにおうぜ。だれか屁でもこいたか?」

 

「うっせー。集中できねえだろ。ちっとは黙ってろ」

 

 キクチに言い返しながら、クズオカはまだランタンをいじくっている。

 器用だけど道具を治すことに出来るに結び付くわけじゃない。

 

「火、分けて」

 

 押し殺したささやきと共に布の巻きつけられた棒が差し出されたので、黙ってたいまつを寄せる。

 火はすぐに燃え移り、明るい範囲が増える。思わず息が漏れた。

 

 思ったよりもだいぶ緊張している。

 クズオカはまだガチャガチャとやっているが、この状況で治すのは難しそうだと考えていると、何かがぽとりと地面に落ちる音がした。

 思わずたいまつを確認するが、こっちのもあっちのもちゃんと布を巻きつけているし、何かが垂れるような様子もない。

 アイラは眉をひそめて周囲をうかがおうとした。

 

「おい馬鹿火動かすな。見えねえ」

 

「・・・・・・すみません」

 

 松明の位置を戻し、顔だけ上げた先の天井は光が届かず暗闇に覆われている。

 地下水、とかだろうか。

 地面が濡れている様子はないけどとしばらく考える。

 

 どさっと何かが崩れ落ちる音がした。

 

 誰かが息をのみ、全員の動きが止まる。

 もう一つのたいまつが揺れ動き、めいめいの姿を照らしはじめた。

 カトーが落ち着かなそうに短剣を抜いて周囲を見渡し、杖を持ったサクマも緊張した面持ちで同じように首を回して周りを見ている。

 クズオカは腰を上げて、目を光らせて周囲を伺い始めた。

 

「おいキクチ?」

 

 クズオカの向いた方、壁際で巨体が座り込んでいるのが見えた。

 

「なんだキクチかよ。寝てんじゃねえよウドの大木が」

 

 カトーの言葉に反論がない。

 よく見れば手足を震わせ痙攣している。

 誰も動かない中、彼が近寄りたいまつを更に近づける。

 

「キクチ?」

 

 彼はたいまつをカトーに手渡してから横に立ち、巨体を軽く揺さぶる。

 

 周囲を見渡し変わったことがないか慎重に伺って初めて、周囲から腐敗臭が漂っていることに気がついた。

 それから、何かが落ち葉が擦れ合うようなかさかさという音。何かがいる。

 

 たいまつで壁際を照らしても見えるのはごつごつとした岩壁と、それが作る深い陰。 

 彼がしゃがみ込み、キクチの首筋に手をやる。

 

「≪浄化の光≫」

 

 毒、

 続いて足に手を当てて≪癒し手≫。やがてキクチが大きく息を吐いて身動ぎした。アイラは黙ってたいまつで周囲を照らし始める。

 

「オイ何があった?」

 

 緊張した声のカトーにキクチがよろよろと壁に手をついて立ち上がる。

 彼もまた、油断なく周囲を見渡し始めた。

 

「くそっわかんねえ。足だ。足になんか触ったら、急に息が出来なくなって」

 

 そう言われてカトーがたいまつで周囲の地面を照らすが、何も――

 

「大ムカデだッ!」

 

 びゅんと耳元で矢が唸りを上げて、暗い壁に突き刺さる。

 かさかさという音だけ間近で聞こえ、カトーもアイラもたいまつを振り回す。

 かすかに見えたのは両手を広げたほどの幅を持つ平べったい影、松明の明かりに反射する滑らかな背中、壁を捉えきれないほどの速さで駆け回っている。

 

 思わず棒立ちになって立ち尽くすなかで、最初に動いたのはキクチだ。

 大剣を振りかざして壁にぶち当てるが、恐ろしく長い体を僅かにかすっただけ。

 

「畜生ッやっぱりかよくそったれ!」

 

 カトーがクズオカを押しのけてもと来た道を戻ろうと走り出す。

 

「なんだよ!このデカさはよぉ!きめええええええ!!!」

 

「撤収だ!」

 

 上ずったキクチの声にクズオカがそう言って身を翻す。

 松明を持ったカトーを先頭にクズオカ、キクチが続く。

 彼がこっちを見て、同じように走り出したのを見てアイラは心底安心する。

 

 最後尾で走る背後からかさかさという音という音が迫ってくる。

 こっちへ振り返ったカトーが顔を引きつらせてぎゃあっと叫び声をあげて、たいまつを投げ捨て速度を上げていく。

 

「てめっカトー!たいまつ捨ててんじゃねえ!!!」

 

 クズオカは振り返りもせずに猛然とスピードを上げて走っていくし、キクチもあの鎧の割にかなり早い。

 彼が心配そうな顔でこちらを振り返る。

 

「なにか足止めしないとっ追いつかれる!」

 

「いいから!走ってマナトっ」

 

 前にもそういう事あったな。

 

 目の前のサクマの頭を見ながら、そんなことを思い出した。

 その時に比べれば、かなりマシだと思うと急に気が楽になる。

 

「足止め」

 

 サクマがそう呟いて突然立ち止まったので、追い抜きかけて慌てて足を止めた。

 サクマはベテランの魔法使いらしく周囲をざっと見渡し杖を振り上げる。

 

「――― カルト・フラム・ダルトッ」

 

 凄まじい轟音と目がくらむばかりの青い稲妻辺り一杯に広がり、暗闇に閉ざされた道が一瞬白く浮かび上がる。

 

 一瞬、周囲の壁は赤黒くメタリックな色合いをしているのかと思った。

 だけど、それは巨大なムカデが壁を半分以上覆い隠しているだけだった。

 

 あまりの巨大さに息をのみ、身体が強張る。

 

 人ぐらい丸のみにできそうな大きな口、あまりの長さに感覚がおかしくなりそうな巨大な胴体に付随する本当に百本ありそうな歩肢。

 

 それが、無数の雷光に打たれてずるりと地面に落ちる。

 

 雷撃に体中を焼かれ、かなり効いたようだ。多分、時折使う≪暴威雷電≫よりも高度な魔法

 道いっぱいに広がった白い腹が見え痙攣している。たくさんの足がむなしく宙を掻きうごめく様は、生理的な嫌悪感を掻き立てた。

 

 ムカデはまだ息があるが、今は動けない。

 あの速度からして、この直線距離だ。ムリアンの住処に行くまでに追いつかれるだろう。

 

 今しかない。

 

 そう思ったアイラはたいまつを思いっきりムカデの悶える頭を叩きつける。

 固い表皮が弾けてわずかに肉が飛び散った。 

 痛みに悶えるムカデの口に大鎌を思わす顎が一対。挟まれれば腕くらいは簡単に引き千切れるはずだ。

 

 絶対に追いつかれるわけにはいかないと思い定める。

 

 たいまつを捨て剣を抜き、まっすくに剣を下ろしてムカデの頭から剣を地面に刺し貫く。 

 痛みに悶えるムカデの長い体が狭い通路の壁を縦横無尽に振り回されて、そのたびに周囲の壁がはじけて土塊が飛んでくるが、ここで負けるわけにいかない。

 体重をかけてぐりぐりと剣を押し込み、頭の動きを何とか抑える。

 

 固い感触がして、頭の皮を破って刺し貫いたことはわかったが、それ以上切り裂けない。

 抜けば応戦される。暴れれば、長い胴であっという間に反撃される。

 

 転がったたいまつの火が消えそうだ。

 

「誰かっとどめを!」 

 

 アイラが振り返りそう叫ぶと、そこには魔法使いがいた。

 サクマしかいなかった。

 美貌の魔法使いは杖を掲げて、赤い唇を三日月のように歪めてにっこりと笑う。

 

「デルム・ヘル・エン」

 

 こちらを見る眼は獰猛な殺意でぎらついている。

 けれどしっかりと見据える先は、ムカデではなく―――

 ふとクズオカの言葉を思い出し、アイラは剣から手を放してムカデを踏みつけ暗闇に向かってひた走る。

 

「ギズ・バルク・ゼル・アルヴ!」

 

 ≪大爆轟≫ 

 

 脆い地盤を砕く大爆発とともに押し寄せる火炎と無数の石礫が押し寄せる。

 何かを叫んだ、自分の声すら聞こえない。

 最後に大量の土と砕けた岩が降り注ぎ、周囲が真っ暗になる。

 

 


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