灰と幻想のグリムガル 聖騎士、追加しました   作:2222

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注:原作4,5巻要素あり。
オリキャラと捏造設定満載


23話  言えないことがたくさん

 

 宿屋の前で佇む一人の女に気がつき、レンジは少し目を細める。

 すらりとした聖騎士だ。

 白を基調としたいコートの中はロンに比べると軽さを重視した部分鎧。

 寒そうに首と顔半分は淡い色のストールで隠れているが、眼鏡の奥からの視線がこちらをしっかりと見ている。

 

 何か違和感を感じたが、理由は分からなかった。

 

 向こうもこちらに気がつくと、風に弄られていた髪から手を放してこちらに軽く振ってみせる。

 背後を歩いていたアダチが咳払いし、歩調を変えないレンジを通り越してアイラの前に立った。

 

「何か用?」

 

「そんなところ。レンジさん、ちょっと話をしたいので時間もらっていいですか?」

 

 僅かばかりこちらを見上げ訊ねてきたので、レンジは頷いた。

 よく飲みに誘ってくるロンと違って、女連中がこうやってくるのは珍しい。

 

「・・・・・・僕はもう寝たいんだけど」

 

「夜はこれからだよ。なんてね」

 

 そういってアイラが笑いかけると、アダチはレンジに振り返る。

 不機嫌さ丸出しの顔をしていた。

 

「どこか近い所にしてよ。レンジ」

 

「別に無理しなくていいのに、アダチ君。低血圧の人は早く寝た方がいいよ?寝れないの?良く寝れるお茶いる?そういえば、ロンは?」

 

 軽く袖を引っ張って言い募るアイラを無視してアダチは眼鏡の縁を押し、レンジに向かって頷く。

 ロンは、別の用事だ。一応レンジとアダチも誘われたが、速攻断ったので結局どうしたかは知らない。というか興味ない。全然ない。

 

「早く決めてよ」

 

「レンジさん、なんか食べられるところお願いします。お腹減ったー。で、ロンは?」

 

「一応言っておくけど、得体の知れないもの出すところはやめてよね。レンジ。ちょっと、服を引っ張るなよ。ロンなんか知らないよあんな馬鹿」

 

 吐き捨てるアダチにアイラは瞬きして苦笑する。

 服を掴んでいた手を放してストールをしっかりと巻きなおした。

 

「・・・前から思ってたけど、アダチ君てば、ロンに愛情込め過ぎじゃない?」

 

「気持ち悪いこと言わないでくれない?」

 

「ツンデレ」

 

「どこをどう見ればそう思えるのかわからないな。目が節穴すぎるんじゃない」

 

 好き放題言っている二人にレンジは一瞬、このまま放置してもう寝ようかと思った。

 

 

 レンジに連れられやって来たのは、南区にある職人街の屋台村だ。

 仕事帰りの男達の姿が目立ち、若い女の姿はあまりない。

 落ち着かなそうな顔で周囲を見渡しているアイラの背中を軽く押して、アダチは軽く息を吐く。

 

 近くでと注文を付けたはずなのに。

 

 レンジは振り帰らずに一つの屋台に目星を付けると、軽く顎をしゃくって二人を促す。

 アイラがふらふらとよそ見していたので、アダチは再び背中を押した。

 油の滲みたのれんの文字は読み取り難い。アイラが首を捻り困惑した表情でアダチを伺う。

 

「アダチ君。ここなにやさん?」

 

「オデン屋」

 

 屋台は狭い。カウンターの前も三人ぐらいしか座れない。

 なのでいったん席が埋まってしまえば、他人が近寄らないという点は評価できる。

 そしてこのオデン屋は以前も来たことがあるので、味も知っているし多少安心感がある。

 レンジが右手に腰掛けたので、アダチはカウンターの中に埋め込まれた鍋の中で煮えたぎっている謎の食品を凝視しているアイラを押して左端の椅子に腰掛ける。

 

「早く座んなよ」

 

「はーい」

 

 小さな椅子に腰掛けたアイラは目を丸くして狭い屋台の中を見渡していた。

 タレや色々なものの浸み込んだ飴色のカウンターと、アダチを見比べ再び煮えたぎる鍋に目を向ける。

 しばらくして何か納得したらしく、それ以上は不審そうな顔をしなかった。

 

「いつものやつ三杯だ」

 

 レンジが人相の悪い店主に指を三本立てると、アイラはストールを外しながら首を横に振った。

 

「あ、私の分はお茶か水かその辺でお願いします」

 

「は?」

 

「だって飲めないし」

 

 アダチの声にアイラはけろりとした顔で返し、折りたたんだストールを膝の上に重ねる。躊躇も罪悪感は微塵も感じられない。

 そういう性格なのだ。この女は。流石のレンジも一瞬引きつっていた気がする。

 

「普通、最初くらい飲むよね。いくらなんでも」

 

 眉を顰めてアダチが咎めると、アイラは心底不思議そうな顔でレンジを見つめ、ふと口の端を緩める。

 

「・・・・・・つまり、私を酔い潰したい、と。えぇー・・・ごめんね。いいお友達でいましょうね、みたいな?」

 

「馬鹿?何言ってんの?」

 

 冷たいアダチの否定に、アイラは俯き肩を震わせて笑った。

 その間に店主はコップを三つ出し、それぞれに渡す。

 ひとつは薄い茶色をしていたので、両手で受取ったアイラは店主に笑顔で礼を言う。

 

 そういえば、チームで食事をしているときもアルコールの類は飲んでいなかったことをアダチは思い出した。

 それどころか、食べることにも興味がないような顔をしていた。

 なのに時々手料理を振る舞ったりして、いつか、義勇兵宿舎で当時の仲間がとても料理上手だったからだと漏らしたことがある。

 

「そんなに飲めないの?」

 

「二日酔いを経験すると、二度と飲みたいとは思えないんですけど・・・あのーなんか、みんな茶色い・・・・・・よ・・・?煮過ぎ?」

 

 レンジは無言でコップに口を付けて一気に呷る。

 その様子にアダチは目を細めて少しばかりコップを傾け、アイラは身を乗り出して鍋の中を覗き込む。

 あっという間に白くなる眼鏡。

 アイラは真剣な顔で店主を見上げてあれこれと尋ねてから串に刺さった卵を手に取り、おそるおそる一口かじって顔を綻ばせる。

 あっという間に一串食べ終わってから、今度は根菜をぶつ切りにしたものに手を伸ばす。

 

「わー・・・おいしー。チビちゃんたちもここ教えていいですか?」

 

「好きにしろ」

 

「これ好きだな。私」

 

 早くも卵を食べきると魚を磨り潰したものや小麦粉と何かを混ぜて団子状にしたものなど、次々に食べていく。

 勢いに押されて、夕食を済ませていたアダチとレンジも串を手に取り口に運んだ。

 

 

「それで、話って」

 

 アダチが尋ねると、三角形に切られた灰色の物体に辛子をつけて口いっぱいに頬ばっていたアイラの動きがピタリと止まった。

 口元を押さえて慌てて呑み込み、茶で流し込みけふけふと噎せる。

 

「・・・うん、うん。話ね、うん。ちょっとおまちください」

 

 レンジは軽く息を吐き、アダチは見下すような冷たい眼をした。

 二人の責める気配にアイラはそっと視線を落とし、眼鏡を外すとハンカチでレンズを拭う。

 なんとなく見下ろしていたアダチは、ふと気がついてコップの酒に口を付けた。

 

「別に君の勝手だけど、眼鏡やめて兜をつけたら?欠損したら魔法で治らないし」

 

 アダチは視力が悪いので眼鏡が手放せないので、視力が悪いわけでもないのに眼鏡をつけているアイラの事がいまいち理解できない。

 もっとも、それを差し引いても色々と理解できない不可解な人物ではあるが。

 それに一応前衛、全身鎧は無理だとしても、石頭のロンと違って頭部を守る防具が必要だ。

 

「・・・・・・考えとく」

 

 眼鏡をかけ直しアイラは頬を擦り、口元に手をやってしばらく考えるそぶりを見せる。

 

「で、話、なんですけど。明日からみんなスキルを覚えに行ってその後は影森、ですよね」

 

「ああ」

 

「それが?」

 

 影森は風早荒野を越えた先にあるエルフたちの住む森だ。

 オルタナからはおそらく6日、下手すれば10日近くはかかる。

 

 少し前にその森に棲んでいたキマイラという強大な怪物が討伐された影響で、急激にモンスターの数が増えたらしい。

 どうやら以前はキマイラにエサとして食われ数が減少していたのが、天敵がいなくなり増殖したようだ。

 それらを狩るとそこそこの金になるのだが、距離が遠い事と遠征するにはつらい冬であることもあって穴場である――とのはなしだった。

 これはかなり限られた情報であるらしく、もしも知らなければワンダーホール辺りであまり金にならない相手を延々と狩る羽目になっていただろう。

 

「変更する予定は?」

 

「今はない」

 

 レンジの答えに淀みはない。

 影森に出るモンスターは場合によってはオークなどよりも強く、賢いらしい。

 もっと先に進むためには、もっと遠くに行ってもっと強くなる必要がある。

 

「・・・・・・」

 

 アイラは黙って脂の染みたカウンターを見つめ、少し笑った。

 

「森に行くなら、狩人がいた方がいいんじゃないですか?普通の偵察だけならサッサがいればいいけど、森じゃ勝手が違うから負担が大きいし」

 

 レンジとアダチは思わず目を合わせる。

 

「狩人に転職する気が?」

 

 目を見開いて驚くアダチをアイラがきょとんとした顔で見上げた。

 

「なんで?転職したら回復魔法使えないのに」

 

 今チームには、聖騎士が二人いる。

 ロンは盾を持った前衛として十分に活躍しているが、アイラの方はサッサと側面から攪乱したり援護したり場を掻き回しているが、おそらくそれは聖騎士としてあまり正しい動きではないのだ。 

 サッサ程身軽ではないし、かといってレンジほどの攻撃力もロンのような防御力もない。

 聞くところによれば、暗黒騎士ならば暗黒魔法で敵を翻弄し隙を突くし、狩人であれば弓などの遠方からの攻撃や多彩な体術を使う。

 アダチはもっと戦術に幅を持たせる必要があると思っている。

 

 だから、彼女は狩人に転職すればいいとずっと思っていた。

 

「神官はいるし、聖騎士だって自分を治せないなんだから、君の実力じゃ大差ないよ」

 

 アダチの辛辣な言葉は、肩を竦められただけで流された。

 レンジのように強いわけでもないのに、命なんか惜しくないと言わんばかりの戦い方をするくせに。

 おそらく、何も考えてないのだろうとアダチは思って苛立つ。

 

「実は用事が出来て別行動するつもりなんだけど、そういう場合どうなのかと思っ・・・いまして」

 

 狩人探すなら、早い方がいいでしょうと、冷静に言葉を続けるアイラにチームの頭は軽く頷いた。

 

「そうか」

 

 レンジはあっさり言って、アイラに視線を向ける。

 アイラは真っすぐにレンジを見つめ返した。

 

「抜けるのか」

 

「まぁ、私にとってそっちが最優先だから。そういう事なら、そうなりますね」

 

 そういって、両手で持ったコップを少し傾けてお茶を飲み、何がおかしいのか少し笑う。

 

「たまには二人もロンに付き合ってあげたらいいのに。たとえどうしょうもない下ネタばっかり聞かされるとしても、だけど」

 

「・・・たまには行ってる」

 

 ぼそりと応えた苦々しいレンジの横顔をアイラは少し驚いた顔で見つめて、それからまた安心したように再びくすりと笑った。

 

「ならよかった」

 

 そういって、皿に残っていたオデンを口に運ぶ。

 

「・・・一応、聞くけど。サイリン鉱山にまた行こうっていうの?」

 

 俯き酒をちびちび飲んでいたアダチがややきつい口調で訊ねる。

 6人から5人になったって、チームはこれからも十分やっていけるだろう。最初は5人でやってこれたのだ。

 アイラがいなくても戦力的には別に何の問題もない。

 本人もそれが分かっているから、こんなあっさりと言い出すことが出来るのだろう。

 そういうところにだけは頭が回るのだ、この女はとアダチは思う。

 

「サイリン・・・?あ、ああ・・・うん、でもさすがに・・・・・・さすがに無理があるかなぁ・・・・・・ない、でしょう。さすがに、それは」

 

 アイラは驚いた表情を浮かべてから、かなり悩んだ表情をして首を振る。

 薄い唇を引き結び、長い睫毛を伏せた横顔にアダチはさらに酒を飲む。

 かなり強い蒸留酒をレンジは飲み干してお代わりを頼んでいる。

 

「なんていうか、・・・拾ってもらった恩もあるし。この前はハルヒロを助けてもらったし、チームの不利益にはならいないようにするよ」

 

 アダチは、楽しくもない癖にいつも笑ってる厭な女だとずっと思っていた。

 

「なんであの盗賊の件まで」

 

「だって、友達を助けてもらったら、普通感謝するよ。そうでしょう?」

 

 そんなことを平然と言ってのけるから、アダチはこの女が理解できない。

 

 

「それじゃあ、さよなら」

 

 そういって、彼女は男二人を残し、銀貨を数枚店主に渡して席を立つ。

 

 暖簾をめくって見上げた粉雪のちらつく夜空には月は見えない。

 近くの屋台も、遠くの屋台もどこも満員だ。

 吊るされた提灯の明かりのせいで、温かいように感じたがしたが、人込みを抜けると一気に気温が下がった気がした。

 

 吐いた息の白さに目を細めながら歩いていると、背後から息を切らして走ってくる気配がした。

 腰の短剣に手を這わせながら振り返ると、暗闇の中から真っ黒い服を着た男が現れ思わず目を丸くする。

 

「・・・どうしたの、アダチ君。大丈夫?」

 

 怜悧な容貌に息を切らせている魔法使いにアイラは近寄り様子をうかがう。

 彼が一人息を堰切って足るのは凄く珍しい。

 いつもならば、なんだかんだ理屈をつけてロンを使い走らせてるのだ。

 心配そうに見守っていると、しばらくしてアダチは息を整えて顔を上げ、いつもの通り眼鏡の位置を整える。

 

「あのさ、こういう事は、きっちり済ませないといけないと僕は考えてるんだけど。もちろん、お金の話だよ。結局、金銭の縺れでパーティが解散することだって少なくないわけだし、ちゃんとけじめっていうものをつけるべきだよね。だいたいさ、いきなりチームを抜けるだなんて言い出したきみがちゃんとその点も話すべきなのに言わないきみが悪いよね。僕だって準備もなしにいきなり対応するのは難しいわけだし」

 

 アダチの険悪な口調に、アイラは以前ロンがアダチは酒癖が悪いと愚痴っていたことを思い出して少し身構える。

 

「・・・・・・私、お金借りてたっけ?」

 

 ちらちらと様子をうかがっていく通行人の姿が気になって、アイラはアダチを道の端に引っ張った。 

 店仕舞いした天幕の前なら、邪魔にはならない。

 正面に向き合う少し自分よりも背の高いアダチの蒼褪めた顔を見て、アイラが目を瞬き懐かしいものを見る顔をする。

 

「なに」

 

「アダチ君もなんか、喋りやすい身長なんだなって、今頃気がついただけ、ほんと今更、だけど」

 

 意味の分からないアダチは、不愉快そうな顔のまま懐を探る。

 

「これ」

 

 アダチが差し出したのは、金色に光る硬貨が一枚。

 

「とりあえず、細かい分の84シルバシルバーと73カパー。僕としてきっちり分けたいところなんだけど、あいにくヨロズ屋は7時までで今日はもう両替できないし金も引き出せないから今渡す」

 

 アイラは不機嫌そうに早口で言うアダチを見上げる。

 

「次会うときに細かいのは返してもらうしまだ清算していない残金も渡すから、そのつもりで。きみの事情は知らないし、どうせチームには関係ない事だろうから僕はわざわざ尋ねたりしないけどね」

 

 きつい口調で言い切って口を噤むアダチに、彼女は無言で表情を緩める。

 アダチは黙ってその顔を見つめた。そんなふうな顔をしたことはなかった。

 いつだって張り付いた薄っぺらな笑顔で、がらんどうな暗い眼をしていたのに。

 

「ありがと。また会えるように、頑張るね」

 

 そういって、季節外れに咲いてしまったことを自覚している花のような顔をした。

 

 ***

 

 ワンダーホールに近い寂し野前哨基地は、風早荒野の中にある。

 

 風早荒野というくらいだから周囲に人家などもなく、物資の大半はオルタナから運ばれているという事に気がつく事が出来て幸いだった、と彼女は思う。

 35キロほどだから、一人で歩いてもなんとかなりそうだったが、結局オルタナから物資を運ぶ荷馬車に同行することにした。

 明け方に出て休憩を挟み日暮れに到着するゆったりとしたペースだが、確実だし安全だ。

 

 舗装されていない土の道を荷馬車の速度に合わせて歩いていく。

 荷馬車は三台。

 他にも徒歩で同行する物売りがいたので、道中で困ることも特にない。

 ガラガラと賑やかな音を恐れたのか、話で聞いていたモンスターの姿は見えなかった。

 雪が降れば一面の銀景色でさぞ見物だったかもしれないが、風に吹かれ枯れた草木がまばらに見える風景が物悲しい。

 

「今日は、巨人もいないみたいだね」

 

「巨人?」

 

 話しかけてきた物売りは厚手の頭巾を被り口元もスカーフで覆っているので、顔も歳もよくわからない。

 

「割と――  うかでっ―― 、――ね あいつらが――― オオカミとか―――が ――― ない―― ね」

 

 話し続ける物売りに時折頷きながら、周囲を見渡す。

 風の音で人の声も吹き消されてしまう。

 

 どこにも生き物の気配はない。

 

 冬の世界だとおもった。

 

 荒野の先には台地があり、そこを上っていくときは全員で荷馬車に手を貸す。

 泥濘と雪の残る坂道に苦戦しながら顔を上げて目を眇めると、遠くに見張り台らしいものがいくつか見え、目立つ色の旗が掲げられていた。

 自分の押している荷馬車にも、似たような旗がついている。

 ただのおしゃれじゃなかったのかと思いながら、なんとか坂道を上がりきると、窪地にある前哨基地が一望できた。

 オルタナほどでもないにしろ、思っていたよりも建物の数が多い。

 

 オルタナと違って高い壁がない代わりに、外側に濠があって水が張られ、頑丈そうなトゲ付きの柵も見える。

 濠には一本だけ橋がかけられて、門では兵士たちが常に監視しているのもわかった。

 覗き込んだ水面に氷が浮いている所を見ると、定期的に割っているらしい。

 なんで割るのかといえば、濠の水面が凍り付いたら困るからで、それはつまりその上を渡れたら困るからで―――。

 

 オルタナよりも、襲撃などが多いのかもしれないとアイラは思った。

 

 門の前で商人たちは荷を改めるそうなので、橋を渡る前に別れた。

 

 前哨基地の外、濠の外側にはいくつか天幕が張られており、義勇兵らしき人々が出歩いている。

 なんだかいい匂いがして視線を向けると、天幕の前で火を焚き鍋を持って、調理をしている義勇兵の姿。

 そういうやり方もあるのかと思いながら、基地の周辺をしばらく散策してから、橋を渡り門番に義勇兵章を見せて中へ入った。

 

 門の辺りはかなり物々しく、通りも広い。なにせ馬車が二台触れずにすれ違える。

 厩舎や物資を運んでいる倉庫、その先に見える広場から同じような鎧姿の男達が規律正しく歩いてくるのが見えたので、道の傍に佇み通り過ぎるのを待つ。

 あからさまな値踏みと侮蔑の視線に微笑みを返すと、毒を抜かれたような顔をされたのが意外だった。

 

 辺境軍の関係していそうな大掛かりな施設を一通り見回ってから、やや安っぽい兵舎のある通りを抜けるとそこは一気に見慣れた風景に変わった。

 ただオルタナほど分類が別れていないらしく、飲食店の隣に服屋があったりする。

 

 焼き立てのパンを売っている屋台があったので、適当なものを買い込むついでに宿屋の事を聞いた。

 風呂屋もあるそうなので、宿を決めてから行くことにする。

 隣の屋台では酒を飲みながら今日の稼ぎの事を吹聴している義勇兵がいるし、こちらを手招きしている商人もいる。

 鍛冶屋もあるし、防具や武器を扱う店、故買屋、野営用の用品を扱う店が目立つ。

 装飾品や日用品はあまり見かけないところを見ると、おそらくほとんど義勇兵と辺境軍に供するものばかりなのだろう。

 

 しばらく考えて、暇そうに路地裏に立っている薄着の女に声をかけ銀貨を差し出し、思いつく限りのことを訊ねた。

 

 ***

 

 その日も朝だというのに、重苦しい鉛色の空だった。

 

 酒臭い息を吐きだし、眠そうな顔で無精髭の生えた顎を触っているキクチに対して、小柄なカトーは時々小さくジャンプしては地面に這っている虫を踏み潰している。

 サクマの機嫌は微妙だが、まだ大丈夫だろう。

 パーティのリーダーであるクズオカ待ちだ。

 これは結構珍しい。

 

 三日ばかりワンダーホールへ潜り、一日休憩を入れてまた三日ばかり潜るというスタイルで最近はやっていたが、人数が減ったせいでまたやり方を変えなくてはいけない。

 彼は気がつかれないように口元に手を当ててこっそり息を吐く。

 右の肋骨の辺りが痛むが、問題はない。

 

「おう、またせたな」

 

「おっせーんだよこのクズっ!」

 

 悠々とやって来たクズオカに対し、カトーが罵声を浴びせるが上機嫌のクズオカはにやにやと笑って背後を振り返る。

 彼は目を瞬いて、僅かに眉を顰めた。

 もう新しい義勇兵を見つけたのか、と、かなり擦り減ってしまった感情が少しだけ揺れる。

 寂し野前哨基地はオルタナに比べれば義勇兵の数は少ないし、生活費が嵩む事もあって、フリーの義勇兵はあまり多くない。

 前の奴が入るまでしばらく時間がかかったので、今回もそうだろうと思っていた。

 そう覚悟していた。

 しかも服装からして聖騎士で、更に女だ。腰のところで兜と盾を吊るしている。

 聖騎士は光魔法が使えるから、そこそこ重宝される。

 それに女の義勇兵のソロは珍しい。

 少なくとも、女がいるパーティを選ぶからあまり縁がないと思っていた。

 自分以外の女が嫌いなサクマが露骨に顔を顰め、彼は身体が強張るのを感じた。

 

 自慢げなクズオカに対して、カトーとキクチが値踏みし、顔を寄せて批評し合う。

 サクマは舌打ちして、腕を組んでいた。

 

「見た通り聖騎士だ。俺んところのが稼げるって聞きつけて他蹴ったんだぜ」

 

 稼げてるように見えるのは、パーティのために貯金したりせずに稼ぎはすべて分配するからだ。

 特にカトーとキクチは、その日の稼ぎをほとんどその日のうちに使い果たすから金回りがいいように見るが、実際、ほかのパーティと似たり寄ったりだ。

 

「リップサービスだろバカ。いくら積んだんだ」

 

「いやわかんねえ。あえてクズオカを選ぶヘンタイなのかもしれねーぜ」

 

「ちっげーよ。このボケカスども!」

 

「誰がボケカスだクソがー!」

 

「キモ過ぎんだよ。乳臭いガキ相手に盛りやがって●●●臭い●●が」

 

 クズオカの背後に立つ聖騎士の暗い落ち着いた色合いの髪が肩の長さで揺れていた。

 少々目付きが鋭いが、驚くと子猫のようになることを彼は覚えている。

 眼鏡をしてないからか、思い出よりも幼く見えた。

 

 なんでいるんだよ。何考えてるんだと怒鳴りつけたかった。

 そう言えたら、どんなに良かっただろう。

 みんながオルタナにいると思っていたから、今まで我慢できたのに。

 

 適当に挨拶してワンダーホールへ向かう途中に、彼女が近づいてきた。

 

 彼は何もない草むらに視線を固定する。

 

 いつか、こんな日が来るんじゃないかと恐れていたが、まだずっと先の事だと思っていた。

 だってさ、ハルヒロ達は結構慎重だから。

 ワンダーホールでひと稼ぎなんて言い出すのはきっとランタぐらいで、それでも全員から反対されれば来ない・・・だろう。

 きっともっと慣れて、自信がつくまで。普通に考えても、まだ早いはずだ。

 

 そしてきっと、その日までに俺は―――

 

 サクマが険悪な表情を浮かべ、刺すような視線を向けているが、彼女は気がついていないように振る舞っていた。

 知らんぷり、得意なんだよな。

 

 彼女は笑みを浮かべず、少し躊躇ってから口を開く。

 

「・・・・・・ホーネン師って、知ってますか」

 

 ホーネン師は、知ってる。ルミアリス神殿で、彼にスキルを教えた修師だ。

 あの日から、オルタナには帰っていない。今まで知り合いの顔も見ていない。名前だって名乗らないようにしていたからそっちの線でバレたとは思えない。

 

 なのに彼女はここにいる。たったひとりで。どうやって知ったんだという心配しか湧かなかった。

 ひとりぼっちが嫌いなくせに。何やってるんだよ。馬鹿だな。ハルヒロたちはどうしたんだと言いたかったが、彼は口をつぐむ。

 

 質問の意図が分からずに彼は黙って相手の顔を見る。

 

「私の友達の師匠なんですけど。共通の知人かと思って」 

 

「・・・・・・さあ」

 

 彼の掠れた声に彼女は視線を逸らさずに少しだけ口の端をゆがめて見せる。

 大丈夫だよといって、仲間を安心させるために気遣う笑顔の残滓。

 何もわかってない癖に。馬鹿だな、と彼は思った。

  

「そ。じゃあ、あなたの事は何て呼べば?」

 

 どこまで事情を把握しているのか。

 一切合切ここでぶちまけたら、どうなるだろう。

 どうなるかなんて、分かってる。

 わかっているから、絶対に言えない。

 サクマが見ている。そう思いながら彼は視線を落とした。

 

「・・・・・・ユダ」

 

 少なくとも彼の持っている義勇兵章には、そう記されている。

 仲間を見捨てた男の名前だ。

 

 


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