「七海さん、遅いですよ」
大学にある会議室に足を踏み入れた時、蛍光灯の光を眼鏡から反射させながら、葉加瀬が私に言った。
私は部屋の壁にある時計に目を移す。何の特徴もない銀色の壁掛け時計は、一定のリズムで秒針を動かしていた。
「悪い。だが、まだ集合の五分前だろう?」
「私達は10分前からここにいるからネ。だから、私達と比べたら遅いヨ」
笑いながらそう言う超の顔は楽しそうだった。私はなんと言い返せばいいかも分からず、とりあえず苦笑を返して椅子に座る。
会議室には私達三人しかいない。
長机を四つ使って四角形を作ってあり、それぞれの辺に一人ずつ座っているので、誰もいない辺が一つある。贅沢な使い方だ。
「じゃあ、全員集まったところで、始めようカ」
「全員と言っても三人ですけどね」
「余計なことを言わなくていいヨ、葉加瀬。全員と言う言葉に人数の定義はないダロウ?」
「なんとなくですけど、私の感覚的に全員って大人数が必要な気がするんですよねー」
「感覚で言葉を選ぶのはよくないヨ。本当に大切な時に相応しい言葉を使えなくなってしまう」
「ですけど、意外と感覚で伝わるような言葉こそ後世に残っていく気もしますよね」
「議論の路線がずれているガ、まぁそれには同意しよう。だが、だからと言って本来の意味を疎かにするのがいいとは思わないネ。きちんとした定義のある言葉はそのままで存在するべきダ」
「……なぁ、もういいから始めないか?」
私が話の腰を折ると、二人は小さく笑った。
「ふむう、七海は遊び心か足りないネ」
「真面目ですもんねー」
くすくすと声を漏らす葉加瀬と超はやはり楽しそうだった。私は彼女達の笑みの理由が分からず、溜め息をついた。
「悪かったヨ七海。では……」
「はい。始めましょう」
二人は私を見て頷いたので、私も頷きを返す。
「第二回、火星救出会議を、開始する」
○
第一回火星救出会議を始めたのは、一週間ほど前だ。
超は私と葉加瀬に声を掛け、今と同じこの部屋に集めた。
何事かと思ったが、会議の議題を聞いたときに納得がいった。
超は、自分が戦うべき問題に、再びぶつかることにしたのだ。
しかし今度は一人でではない。私達三人で、だ。
因みに第一回の会議の内容は、火星の現状と未来についてだった。
第二回は、それを受けて大雑把に解決の方向性を決めるという話になる。
「確認ですが、超さんの目的としては、未来に起こる火星と地球で起こる資源を巡る紛争を止める、と言うことですよね。そのためには、いつか起こる火星の難民問題と食料問題を解決しないといけないという」
「まぁ、実際にはその問題によって更に悪化した各地域での小さな紛争を含めて、だが。そうネ。遠くない未来に、魔法世界は崩壊し唯一生き残れた住民達は火星に放り出される。それにより生活する環境を失った人達は、物資と土地を巡りこの地球と争うこととなる」
「……超は、事前にこの世界に魔法世界の存在を知らしめることによって、火星にいた人々の受け入れを容易くさせようとしていたということか?」
「まぁ、かなり大雑把に言えばそうなるネ。他にも色々考えていたしもっと細かいとこまで計画はしていたが」
「それも解決策の一つですよね。今のうちに難民の受け入れ体制を整えておくというのも」
「だが、根本的な解決にはなっていない気がするな」
私がそう言うと、超は真剣な面立ちで口を結んだ。
「そう、ダネ。結局、それだけでは魔法世界の崩壊は止められていなくて、多くの命を犠牲にすることは防げていない」
超は、幻想世界の生命だと分かっていても、決してそれを容易く扱っていいとは言わなかった。
「とすれば、魔法世界の崩壊を防ぐ、という方向に話を進めていく方がいいんですかね」
「魔法世界の崩壊は魔力の枯渇によって起こるって認識なんだが、合っているか?」
超と葉加瀬が同時に頷いた。
「これは、ネギ坊主から貰った助言を元にした考えだが、いい作戦が一つあるヨ」
「なんですか?それは」
「火星に緑を作る」
「テラフォーミング、ということか」
「確かに魔力の源は生命なので、火星に命を作れば魔力の枯渇は防げるかもしれませんが。うーん。問題が山積みになりそうな作戦ですね。資金、技術、国際問題、環境変化、どれも国家レベルで協力し合うことが必要になりそうです」
「テラフォーミングと言っても、人間が住める星にすることが必須ではないヨ。生命さえあれば地球環境とは大きく異なっていてもいいし、植物、水、あとは小さな生き物くらいがいればいいんじゃないかと思っている。例えば昆虫とかネ」
超は、私をちらりと見て小さく微笑んだ。
「その作戦で行くならば、大きな問題は三つか。火星までの技術や物資の移動、到達方法。火星で環境を整えられる種や生き方の選別。あとは、地球の国際問題。流石に、勝手に火星に緑を増やしておいて、地球で話題にならない、ということはないだろう」
「一つ目は、私と葉加瀬が中心となって考えよう。二つ目は、七海に協力してもらいたいナ。幸いに、七海のおかげで世界樹の魔力を使う方法は見つかっている。あの魔力ならば宇宙環境でも生きていけるような適応力を身に付けれる生命を見つけるのも、不可能ではないと思っている」
世界樹を、セミロースを分解できる腸内細菌によって処理させれば、ある程度はその魔力を引き出せるのは、今までの研究で分かっている。それによって生物の潜在能力をあげれることも実証済みだ。
だが、だからと言っても簡単な問題ではない。
「ある程度研究が進んでる種で検討していくのが正攻法か。少なくともゲノムは読まれている種がいいだろうな」
「モデル生物でいいんじゃないですかね。ほら、ゲノムを弄れれば適した環境に生きれるようにしやすいかもしれませんよ」
「決め付けるのはまだ早い気がするネ。モデル生物じゃなくても今やゲノムが読まれている種は多い」
「だが少なくともゲノム編集の実績がある種の方が融通が利きそうだ。TALENでもCRISPRCasシステムでもいいからノックインが出来る種の方が色々と便利だろう」
「そもそもどうやって変異させる遺伝子を特定するつもりですか。言い出した私がこう言うのもあれですけど、環境に生きれるようにゲノムを変えるのって簡単に出来るんですかね?」
「勿論簡単とは言えないな。だが、通常と違って世界樹の薬と魔法が使えるとなれば、かなり色んなことが出来る気がする。最近魔法生物学にはまってるんだ」
「魔法が使えないのに、ですか?」
「学ぶのは自由じゃないか」
「まぁ、その辺を絞っていくのはもう少し色々と検討していってからでいいダロウ。七海、頼むヨ」
「最善を尽くすよ」
「三つ目は、多くの人の協力が必要となりそうですね」
「そうだネ。とりあえず各国の権力者に話が出来たらと思っている。それは魔法関係者を通してでもいいし、作戦がある程度固まったらそれをプレゼンして信用してもらう、という手もなくはない」
あまり現実的ではないが、と超は付け加えた。
「うーん。やっぱり、現状だとこの作戦が一番いいんですかねぇ」
「そうだネェ」
「一つ、いいか?」
私が小さく手を挙げると、二人は此方に注目した。
「一応私も作戦を考えてきたのだが。少し、いやかなり荒唐無稽ではあるが」
「聞かせてほしいヨ」
超は、私の話を楽しみにしている様子で、待った。
「私達で、星を創る」
二人は、私の眼を覗き込むようにして見た。決して即座に否定することなく、一度その言葉を自分の頭の中にインプットする時間を作っているようだった。
「詳しく、話して欲しいですね」
「魔法世界とは、火星を触媒として存在している世界なんだろう? ならば、私達がその代わりになるものを創ればいいと思ったんだ」
「星を創るって、どうやって創るつもりなんですか」
「小さな惑星を上手く軌道に載せて環境を整える、というのなら万歩譲って納得できるヨ。だが、火星の土地の広さは、地球の約4分の1ダヨ。それほどの土地をどうやって用意するつもりなのカナ」
「まず、現実にそこまで広さが必要か、という話だ」
「どういうことですか? 」
「私も最近知ったのだが、エヴァンジェリンは別荘を持っているらしい。それは、実際は模型ほどの大きさしかないのだが、中に入れば何十倍ほどの広さになるらしい。加えて時間の感覚も外とは大きく異なるのだとか」
「……なるほど。異空間、別次元と呼ばれるものに世界を移す、ということですね」
「……それなら、確かに広さについては心配ないのかもしれないネ。それほどの広さの空間を用意出来れば、という前提の話だが」
二人とも、訝しみながらの発言であった。それでも、不可能だとは言い切らない。ほんの0.1%でも可能性があるならば、完全に否定することが出来ないということを、科学者である二人はよく分かっているのだ。
「仮に別次元に星を創るとしましょう。地形は火星と大きく変わるだろうでしょうが、それは大丈夫なんですかね」
「……まぁ、そこは問題ないような気がするネ。最初の火星の状態を触媒にして今の魔法世界があるだけで、広ささえあれば触媒を移した所で魔法世界にまで影響があるとは考えにくい。事実、魔法世界の大戦によって土地が削られた所が火星に傷が付くわけでもなかったし、火星の砂を蹴りつけた所で魔法世界の砂が舞う訳でもない。
それよりも、別次元に移した所でそこに魔素がなければ同じことを繰り返すだけだ。どうやってそこに生態系を創る」
「それこそ、世界樹の魔力を借りる。水を用意し、プランクトンや魚を存在できる世界とする。それから、植物を繁栄させ、小さな生き物達に世界を廻させる。それこそ、昆虫のような。イメージ的には、とてつもなく大きなアクアリウムを創るという感じか。全てに世界樹の魔力を分けるようにして、環境の変化と進化を多様に行える世界にする」
「……生態系のコントロール。まるで、神になったかのようですね」
皮肉的な言い方をした葉加瀬の顔は険しかった。
現実的に考えて、無謀であり障害がありすぎることを分かっているのだ。勿論倫理的にも問題があることも。
だが、今回はそこまで深く議論する気がないことをお互いに分かっているからか、つらつらと問題点をさらし挙げるようなことはしなかった。
今回の会議はブレインストーミングに近い形で行われていて、とりあえずアイデアを出すことに意味があることを知っているのだ。
「……ふむう。今日の所はとりあえずこんなものカナ。それじゃ、次は今日出た二つの作戦についてもう少し掘り下げた話をしよう。何か資料となるもの持ってきてくれたら助かるネ」
超がまとめに入ったので、時計に眼をやる。
気付けば予定の時刻になっていた。そうですね、と言いながら葉加瀬が立ち上がったので、私も席を立った。
○
廊下に出て、私がもう一度研究室に顔を出そうとしたところで、超に呼び止められた。
「七海。ちょっといいカナ」
「さっきの話の続きか」
「そうだヨ」
次の会議の時でもいいのではないか、と思ったが、超がわざわざ声を掛けるということは今言いたいことがあるのだろう。
私は足を止めて超の方を向いた。
「……面白い意見だったヨ。まさか星を創ると言い出すとは」
「……出来るかどうかはまた別だがな」
そうだネ、と超は笑いながら言った。
「でも、駄目だとしても、議論としてはとても面白い気がするヨ」
「議論だけ面白くても仕方がないんだがな」
「フフ、それでも、いいんだよ」
超は、眼を細めてしみじみとそう言った。
学園祭が終わってから、超の雰囲気は少し変わった気がする。
憑き物が取れた、ではないが、背中に置いていた大きな荷物をやっと下ろせた、という表情をしている。
「私ネ、今、とても楽しいヨ」
超は、静かに語り出した。
「初めて前を見てるという実感がある。過去をどうにかするのではなくて、未来を自分達で作っていくというのはこういうことなんだと、はっきりと分かる。過去にきて行き先を変えるという、やってることは変わらないのにネ。それはやっぱり、七海や葉加瀬のおかげなんだと思うヨ」
「私は別に大したことしてないよ」
「ふふ。私にとってはそうではなかったヨ。
星を創る。面白いじゃないカ。出来る出来ないの話じゃなくて、本気でそんな馬鹿げたことを議論出来るということが、面白い」
「馬鹿げたこととは、ひどいな」
超はまた笑った。
「テラフォーミングの件と同じように、私はそっちも真剣に考えてみるヨ。結果どうなるか分からないけれども、楽しい会議になることを期待しているネ」
ただ。と付け加えて、超は私の前に人差し指を置いた。
「魔法世界の触媒の移送。そもそもそれが可能かどうかは、しっかりと調べて欲しいネ。現実になり得ない夢を語るのも楽しいだろうが、やはり追うならば手に届くモノがイイ。それが天ほどの高さにあろうがネ」
「……一応、あてはあるんだ」
ほう、と超は少し驚いた表情をした。
「身近に魔法について詳しい人物がいてな。その人に話を聞いてみようと思っている」
「それは、エヴァンジェリンか? それともアルビレオ・イマか?」
「彼らにも話は聞きたいと思っているが、あてというのはどちらでもないよ」
私が首を振りながらそう言うと、超は不思議そうにした。
「とりあえず、話を聞いてみてから結果は報告するよ。次の会議でな」
超は、考えるように間を置いた後、楽しみにしてるよ、と私に告げた。
○
世界樹の中の世界は、いつも通りだった。
真ん中には堂々と雄々しい一本の大樹が立っていて、そこに絡まるようにして黒いフードの人物が捕まっている。
私がここに来たことに気付いたのかその人物は一度だけ顔を上げたが、すぐに興味を無くしたようだった。
「……やぁ」
私が挨拶をするが、返事は来ない。これも、いつも通りのことであった。
私がこの者から自分の体を取り戻した後、前と同じようにフードの人物はここに封印された。ただ、ひとつ変わったことは、ネカネもここに来ることが出来るようになった、という点だ。同じ薬を使用しているのだから当然のことなのだが。
「私は、君に謝りたいことがあるんだ」
そう話掛けると、此方に少し顔を動かしたように見えた。だがやはり表情までは分からない。
「君は、女性だったんだな」
ネカネに聞いてやっと気付いたのだが、ここに捕まっている人物は、彼ではなくて、彼女だったのだ。シルエットではそんなことはまったく分からなかったので、女性だったとは考えもしなかった。ネカネが分かったのは、同じ女性ということで勘が働いたのだろうか。
「すまなかった。てっきり、男性だと思っていたよ」
私が頭を下げると、彼女はようやく、私に言葉を掛けてくれた。
「……そんなこと、どうでもいいことだ。私が男だろうと、女だろうと、今更に何かに関係することはない」
「……そうか」
世界樹の葉が、ひらひらと舞う。
私達の間をゆらりゆらりと落ちていって、ぱさりと音を立てて地面にゆっくりと着地している。
「実は、君に頼みたいことがあるんだ」
「魔法世界の移送、という話か」
彼女は、私の中から話を聞いていたらしい。説明が少なくて済むので助かった。
「もし、方法があるならば、教えてくれないか? 君は凄い魔法使いなんだろう」
ふん、と彼女は鼻を鳴らした。彼女と面と向かってここまで長く会話するのは初めてかもしれなかった。
「知らんな、そんなもの。例えそんな方法があったとしても、何故私が貴様にそれを教えなければならない」
予想していた通りの言葉が一言一句違わず返ってきたので、だめか、と呟いて私は苦笑してしまっていた。
「……やはり、今も世界が憎いのか?」
そう訊ねると、彼女は黙った。
背筋が、凍るような感覚がした。
彼女からどす黒いガスが溢れているように見える。それが彼女の持つ憎悪なのだと、私は分かってしまった。
「……貴様は、拷問の歴史を知っているか?」
溢れるガスは止まることを知らず、私の周りをねっとりと覆う。緑に富んだ世界樹の世界が、黒く悲しい色へと変わっていく。
「初めは、秘密を吐かすための方法でしかなかったのかもしれない。だが、年月を経ていくにつれて、それは進化していった。どんどんと残酷な方法にな。ただただ拷問者が快楽を求めるように被害者の叫び声は増していく。死ぬよりも辛いことは何かと、笑顔で話し合う奴等がいる。肉体的な苦痛も精神的な苦痛も全て与えて、どうすれば壊れる直前まで行くのかを本気で考える奴等がいるんだ。それが、人間だよ」
それでも私は、彼女から目を逸らさなかった。きっとこの言葉こそが彼女の本気の言葉だと、分かった。初めて私に吐いてくれたその言葉を、私はしっかりと受け止めたかった。
「人間は残酷だ。結局最後に考えるのは自分のことだけになる。その被害者の気持ちを考える奴などいない。その痛みを全て負うものがいるだなんて、気付く筈がない」
だから、私は嫌いだ。
そう最後に呟いて、彼女から溢れるガスは止まった。
段々と視界は開いていって、再び世界樹に捕まる彼女の姿が見える。
先程までと違って、その姿には多少の哀愁が漂っているようにも思えてしまった。
「……私には、分からない。君に何て言えばいいのか」
本当に、分からなかった。
彼女は、どんな気持ちで人間の歴史を見てきたのか。
残酷な時代もあっただろう。悲痛の時代もあっただろう。それを彼女は全て経験して、生きてきたのだ。
非道な人間や卑怯な人間をきっと沢山見てきたのだ。
私が、優しい人間もいるよ、なんて、言葉にしたところで、彼女に伝わる筈もない。
私より彼女はずっとずっと多くのものを目にしてきたのだから。
だから、私は、こう言うしかなかった。
「だけど、見ていてくれよ。私を。私の人生を」
言葉にしても伝わらない。
それなら、私は彼女に体感してもらうしかなかった。
「私がこれからどんな人間に会って、どうやって関わっていくのかを」
口では、決して言えないけれど。
私の目を通して、この世界の明るい所に触れてほしかった。
「私の周りに生きる人間がどんな人で、一人の人生がどうやって終わるのかを、見ていてくれ」
私は、沢山の優しさに触れてきた。
彼女にも、その優しさを感じて欲しかった。
「全てを滅ぼすのなら、それからでもいいんじゃないのか」
彼女が、初めて顔を上げたように思えた。
やっと、私の目を見てくれようとしたのが、感じられた。
「…………馬鹿だよ、貴様は」
そう言った彼女の表情は、残念なことに、やはりはっきりとは分からないままであった。
だが、私は少しでも彼女が微笑みながらそう言ってくれていると、信じたかった。
いつか彼女が、憎まずにいられる世界が訪れますようにと、私は本気で願った。
今回で書きたい話は大体書き終えることができました。
改めて、最後まで読んでくださった読者の皆様には深い感謝を。