「みなさーん! 帰るまでが修学旅行です! 節度を持って新幹線にのりましょー」
「「はーい!」」
時間は、9時半を少し過ぎた頃。ちょうど出勤ラッシュが落ち着き始めた時間ではあるが、周りにはまだスーツ姿の人がちらほらと見える。また朝が来てしまった、という表情の人もいれば、やっと朝が来た、という表情の人もいる。
そんな中で、プラットホームの合間から射す僅かな光を浴びている生徒の声が、元気よく響く。隣にいた会社員らしき男性は、その声の大きさにびくりと肩を揺らしてから、怪訝な目で私達を見た。その視線を感じとった長谷川さんは若干恥ずかしそうに、幼稚園児かよ、と愚痴る。
新幹線がホームにつくと、手を挙げて先頭を立つネギ先生の後ろをぞろぞろと生徒達が連なり、その中へと入っていく。それぞれの持つ荷物が行きよりも随分大きくなっているのは、買いすぎたお土産のせいなのだろう。順に生徒を目で追うと、京都らしい和紙で出来た紙袋をいくつも手に持った龍宮が新幹線に乗り込むのが見えた。確かあの袋は、京菓子として有名な店のものだった覚えがある。
どんどんと生徒が新幹線へと吸い込まれていき、私もそこに飲まれようと足を上げた所で、声が聞こえた。
―――楽しかった、また来たいね。
―――うんうん。ほんとほんと。
誰かの呟きに釣られて、他の子達も頷きながら去るのを惜しむように答える。そんな無邪気な声を聞いて、私は一人満足げな顔をした。
修学旅行5日目。今日で、短くも長くも感じたこの旅は終わりを告げる。
○
先日、エヴァンジェリン達が別荘から出ていった後、私達は家の中で少し待った。音沙汰のないネギ先生達を心配した明日菜達は何度か外を覗こうとしたが、それらは全て茶々丸によって妨害されていた。力では茶々丸が圧倒的で、いくら明日菜とあやかと言えどもそれを突破することは敵わなかった。
理由も分からず、むしろ室内に閉じ込められたような圧迫感を感じていた様子の明日菜だが、茶々丸の真剣な表情を見ると大きく文句も言えなかったようだ。不満げな表情を浮かべることしか出来なかった明日菜が、不満を苛々に変換させる少し前のタイミングで、ネギ先生が戻ってきた。
明日菜は即刻ネギ先生に詰め寄り、何があったのかと肩を揺すりながら尋ねた。
「え、えっとですね…………」
横暴に激しく揺らされたネギ先生は、目を回しながら説明を始めた。
「…………へ? 事故? 」
「……はい。女性が一人怪我をしてしまったので、桜咲さんとエヴァンジェリンさんは、……えー、病院まで連れていきました。彼女達が戻ってくるまでここで待ちましょう」
微妙にしどろもどろになりつつも、ネギ先生は言った。その話を聞いて、彼女達はそんな事情だったの、と曖昧に返事をした。明日菜も長谷川さんも、納得しきれない表情であった。ただ、それを否定する材料もなく、事実桜咲とエヴァンジェリンはこの場にいないので、私達はその場で待つしかなかった。
…………私は、ネギ先生の話し方から外で何か言いにくいことが起こったのは察することが出来た。しかし、彼が言うべきでないと判断したなら追及しない方がよいのだろう。
そう考えた私は特に追及することなく、皆と共にエヴァンジェリン達を待った。
それから、エヴァンジェリンと桜咲が帰ってきた。何故か、エヴァンジェリンの顔は不機嫌である。どうしたのだ、と桜咲に視線で聞くが、彼女は微妙な顔でしか答えてくれず原因は分からなかった。
ともかく、私達はネギ先生の父親の別荘を後にした。
外に出たはいいが、次の目的地ははっきりとしていなかった。先ほど観光場所について声を荒げたエヴァンジェリンを皆でじっと見るが、眉を寄せながら特に何も言わなかった。そんな彼女になんとなく気を使って、とりあえず銀閣寺でも向かおうか、と誰となく提案した。彼女の機嫌をこれ以上損ねることはないと皆の中で意見が一致していたのだ。
それから、全員で京の街を再び歩いた。歩く。…………歩くのだが、私だけ明らかにペースが遅い。原因は、私にぴったりと張り付くエヴァンジェリンだ。彼女は昨日以上に私の側にいて、それはもう歩きにくい。さらには、周りをギラギラとした目で注意深く観察していた。
「ちょっと! エヴァンジェリンさん! 七海に引っ付きすぎなんじゃありませんか!?」
いよいよ気になったあやかがエヴァンジェリンを引き剥がそうとする。しかし、彼女はびくともしない。
「うるさいぞ。私は集中しているんだ」
「何にですの!? 」
目の前にあやかまで加わって、言い争いを始めた。つまり、歩きにくさが倍増した。その上着物まで着ているのだ。このままでは目的地につく前に私の体力が底をつくのは火を見るより明らかであった。
助けを求めるために、他の子達に視線でこの状況の辛さを告げた。しかし、私と目の合ったものは順に首を振った。どうにもできない、と。二人の間に割り込んでも一蹴されるのが目に見えていたのだろう。
……ああ、そうだな。やはり最後は自分で言わねばならぬものなのだ。二人が私を思ってくれるのは分かるのだが、このままでは私が倒れてしまう。
そう考えた私は、意を決して口火を切った。
「エヴァンジェリン、あやか」
目前で未だに口論を続ける二人を、私は呼び掛けた。
「……………………頼むから一度離れてくれ」
ガーン、と本当に擬音が聞こえるかのようにショックを受けた二人の表情は、はっきりと脳裏に焼き付いた。
○
その後は、本当に平和な修学旅行であった。
エヴァンジェリンと前よりほんの少し距離を作ったまま銀閣寺に行って、色々と観光をした。そうこうしているうちにエヴァンジェリンはテンションを取り戻していったし、池田屋でご飯を食べてるときには初日のようなはしゃぎっぷりを見せた。
普段の教室では見せないようなその姿は、他の生徒との距離を縮めるのにも有効だったようだ。
新幹線の中で挑発されながらトランプを誘われる程度には、以前より壁が無くなった気がする。負けるの怖いの、と聞かれたらすぐにゲームに乗ると分かる程度の仲にもなったように思える。
「七海。はやくひけ」
という訳で、現在トランプ中である。三人用の席を一つひっくり返し6人で座れるボックス席を作って、私達は向かい合って座っている。繰り広げられているゲームは、同じ数を二枚揃えれば勝ちという最も単純で明快なものだ。
エヴァンジェリンは、ほら、と私の前でヒラヒラと札を揺らした。どうやら、最後の一枚のようである。
相手を勝たせると分かっていながらも最後の一枚を引かねばならぬとは、負けたときの悔しさを倍にするシステムだと思う。私このゲームに性の悪さを感じながら、すっとその札を抜く。自分の手札と見比べると同じ数字はなく、更に損した気持ちになった。
「くはは、また私の勝ちだな! 」
「え、もう!? エヴァちゃんやっぱズルしてんじゃないの?」
「五回やって五回一位か……。一応運ゲーな筈なんだが」
怪しむ様に睨んだ明日菜と長谷川さんに対して、エヴァンジェリンは鼻で笑った。
「バカめ。そう考えている時点で間違いなのだ。バレないサマはサマではない。更に言えば、視線と手の動きだけで誘導を仕掛ける高度な遊びだぞこれは」
「イカサマしておいて何で偉そうなんですの……」
「マスター、本気の出し所が変わってきましたね」
「………その場合、私はまんまと誘導されてた側だな」
「七海。悲しいが、勝負の世界は非情なんだ」
会話をしながらも、私達は誰かのもつトランプにトランプにと手を伸ばしていく。求めるように手を伸ばすが揃えば捨てるというのは、ある種悲しみを覚える。
明日菜は長谷川さんから札を取ると、ゲッ、と声を漏らす。どうやら最も嫌われている札はあそこにあるようだ。
私達のやり取りを見るのにも飽きたのか、手持ちぶさたとなったエヴァンジェリンは、捨てられたトランプ達の側にあった菓子袋へと手を突っ込み、チップスを掴んだ。
「あ、それ! 私のお菓子! 」
「私だけとる札がないんでな。代わりにこれを一枚とろう。大体、お菓子ごときに執着するな」
「そういう訳じゃなくて! 最低限の礼儀ってのがあるでしょ! 」
「残念だが、敗者にかける礼儀はない」
ボリボリと咀嚼する音を立てながら、エヴァンジェリンは得意気な顔をする。明日菜はそんな彼女を睨み付けながら茶々丸の持つ最後の一枚を引いた。
「上がりです」
「……え? あれ? 他の人は? 」
「とっくに上がってますわ。つまり、明日菜さんがまたビリです」
「五回やって五回ビリか……。神楽坂もサマしてんのか? 」
「してたらこんなに負けないわよ! 」
「明日菜は挙動が分かりやすいからな」
昔から、明日菜は絶望的にババ抜きが弱かった。ジョーカーを持ったら即座に顔をしかめ、相手がジョーカーを抜こうとしたら笑みを抑えきれなくなる。つまり、明日菜にジョーカーが渡った時点で勝負がついてしまうのだ。エヴァンジェリンが、よくその腕で挑発出来たな、と最早呆れていた。
「皆さん元気ですねぇ」
もう一回、と明日菜がトランプを切り直してる所で、ネギ先生が私達に声を掛ける。彼に目をやってから周りを見渡すと、流石のA組でも疲れたのか、すやすやと眠っている生徒が何人かいた。
あやかがネギ先生も参加するように誘うが、席の間の通路に立っている彼は、見回り中です、と笑った。
「もう終わってしまいますが、修学旅行はどうでしたか? 」
ネギ先生は、私達皆に尋ねた。恐らく、起きている人皆に聞いているのだろう。彼も教師という職業が板についてきている気がした。
「うーん。あっという間だったわねー」
「……四泊五日と聞いた時には長く感じたが、過ぎれば短く感じるもんだな」
長谷川さんが思い返すように目を伏せて答える。
「何より、木乃香さんと桜咲さんが仲直り出来たのが良かったですわ」
あやかがしみじみと言った。その視線を追うと、桜咲と木乃香が肩を寄せあって眠っている姿が見えた。二人が仲を取り戻したという事実だけでも、この旅行に価値はあったと思えた。
「七海さん。あなたはどうでしたか? 」
ネギ先生が、私に顔を向けた。
「…………そうですね」
―――思い返せば、色んなことがあった。前世で住んでいた京の街は、やはり懐かしかった。虫取はあまり出来なかったが、それでも少し珍しいものは取れた。気付かぬ間に私も狙われていたらしいが、結局よく分からなかった。友が仲直りするなどの良いことが沢山あった。多少バタバタとしたが、やはり、感想はこの一言である。
「…………楽しかったです」
捻りのない答えだが、素直にそう思う。皆と来れたこの旅行は、楽しかった。
「そうね! 楽しかったわ! 」
明日菜ははしゃぐように私に同意した。
「茶々丸さんもエヴァちゃんも、楽しかったよね? 」
「……はい。楽しかったと、思います」
「ふん。普通だ、普通」
強がるように答えたエヴァンジェリンに、長谷川さんが溜め息をついてから突っ込む。
「どうみてもマクダウェルが一番楽しんでたぞ」
「っば、バカを言うな! ガキじゃあるまいし旅行くらいではしゃぐか! 」
「マスター、動画を再生して確認できますが」
「いらんわ! 」
わあわあと彼女達はいつも通り騒がしくなった。他の生徒は眠っているのに、元気が過ぎるようだ。その姿に苦笑しているネギ先生を見て、私は尋ねた。
「ネギ先生、あなたはどうでしたか? 」
ネギ先生は、すぐに嬉しそうに笑った。
「はい! 色々ありましたけど、すっごく楽しかったです! 」
「…………それはよかった」
私も笑いながらそう返した。