授業前の休み時間、僕は職員室で次の授業のための準備をしていた。僕には少し大きかった椅子にも慣れてきたし、いくつかの書類が重ねられている机は、まさに「先生」という感じがして好きだった。周りにいる先生達はそれぞれ事務的な話から世間話までしているけれど、生徒達と違って静かで大人しい雰囲気が漂っている。
「ネギ先生、もう学校には大分慣れたかい? 」
声に反応して後ろを振り向くと、瀬流彦さんがコーヒーを片手に僕に笑みを向けていた。瀬流彦さんはいつもこうやって僕を気にかけてくれて、先生達の中でも若くほんわかとした雰囲気から話しやすい人だった。
僕は手に持った資料を一纏めにし、トントンと机とぶつけ、紙束の角を合わせてから返事をする。
「えと、まだまだ大変ですけど、楽しくやらせてもらっています」
僕がそう答えると、瀬流彦さんはコーヒーを一飲みしてから目を細めて笑った。
「はは、確かにあのクラスは楽しいね。その分大変さも学年1だけど」
「この前は高等部の生徒と僕を賭けてドッチボールをしてました……」
「あの子達らしいねぇ」
困ったように笑って済ます所を見ると、この位の問題は日常茶飯事なのかもしれない。
「そろそろ期末テストもあるけど、どーだい? 」
「……あー。…………どーでしょうか……」
何に対してどーだい、と聞かれているかは分からなかったけど、僕は言葉を濁すようにして、頬を掻きながら返した。
僕自身初めてテストを作るわけであり、その出来も上手く作れるかは気にはなっている。でも、瀬流彦さんが聞きたいのは多分そのことじゃない気がする。
僕の担当するA組は、えー、と、あんまり成績が良くない。超さん、七海さん、葉加瀬さん、委員長さんと学年トップクラスが四人もいるのに、同じように成績下位者が五人もいて、上手く相殺されている、いや一人分マイナスされているかもしれない。残りの人達は悪いわけじゃないんだけど、平均すると少し下に位置する人が多いからどうしても総合成績上位のクラスにはなれない。
僕が教師となって以前より更にどんと成績が下がってしまったらと思うと、少し恐ろしかったりする。
「ネギ先生、少し良いですか? 学園長がお呼びで」
職員室の扉から僕の指導教員であるしずな先生が顔を出して、僕を手招きする。僕は授業までの時間にまだ余裕があることを確かめてから、瀬流彦さんに一礼してしずなさんに付いていった。
○
「え!? 課題ですか? 」
学園長室に僕の声が響く。長い頭をした学園長が、高そうな椅子と机に挟まれながら、ふぉっふぉっふぉと笑い声を上げて頷いた。
「ど、どんな課題なんですか…………? 」
学園長は、立派な魔法使いになるための試練と言っていた。その言葉から僕が想像したのは、魔法を200個覚えろだとか、ドラゴン退治だとか無理難題ばかりであった。
「なぁに、そんなに難しいことではない。内容はこの紙に書いてあるからの、頑張っちょくれ」
そう言って、学園長は僕に一枚の封筒を渡してから、左右に手を振った。ここではなく廊下に出てから見ろということなんだろう。後ろにある大きな窓ガラスから射す光でおでこを照らす学園長に、失礼しました、と頭を下げてから僕は部屋から出る。
廊下に出て少し歩いてから、すぐに封筒に手をかけた。一緒に部屋を出たしずな先生も中身が気になるようで、後ろから覗き込む。
中に入っていた一枚の紙を広げると、大きくこう書かれていた。
『ネギ君へ
期末テストの総合得点において、A組を学年一位に出来たら君を正式な教師にしてあげる 麻帆良学園学園長 近衛 近右衛門』
「こ、これは…………」
しずな先生が、僕の後ろで息を飲んた音がはっきりと聞こえた。
僕はしっかりとその紙を見つめながら思った。
まだドラゴン退治の方が楽だったかもしれない、と…………
○
「明日菜さーん! 勉強しましょ勉強!! 」
ちょうど日が沈んだ頃、学校から明日菜さんが寮に戻ってきて部屋の扉を開けるのと 同時に、僕は大量の参考書を持ちながらそう言った。
「ネギ、あんたねぇ。帰って早々それ……? 私はねぇ、寮にいる時くらい勉強のことは忘れたいのよ」
明日菜さんはスタスタと僕の横を素通りして、自分の机に向かいがてらに言う。そのまま持っていた荷物をどさりと机の上に置いて、今日もつかれたー、と言いながら身体を上に伸ばしている。
「で、でも、期末テストも近いし……。あんま成績悪いと中学卒業出来なかったり……」
「心配しなくても私らはエスカレーターで高校まで行けるから」
「そ、そんなぁー」
僕は泣きつくようにして、明日菜さんにすがり付く。このままじゃまずいことは明らかだ。どうにかして成績下位の五人には頑張ってもらわないといけないのに。
「……もう!一体どーしたのよ。そう言えば今日の授業でも皆に期末頑張れ頑張れ、って言ってたわよね」
余りに必死な僕の姿を見て流石に気になったのか、明日菜さんは腰を落として僕と視線を合わせる。
本当は試練の内容を言わずに皆に頑張ってもらうべきなのだろうけど、今はそんなこと言ってる場合じゃなかった。
「実は、学園長から課題が出まして……」
「……課題? なんの? 」
「正式に教師になるためのです。これを合格しないと立派な魔法使いにもなれないかもしれない……」
僕がそう言うと、明日菜さんは少し考えた後手をぽんと鳴らした。
「あー。そう言えばあんた魔法使いだったわね」
「ええー……。忘れてたんですか……? 」
明日菜さんには、ここに来た初日にはもう僕が魔法使いだということはばれていた。
宮崎さんが階段から足を踏み外して転びそうになった時、慌てて僕が魔法を使って助けた所を見られてしまったのだ。どうにか誰にも言わないように約束してもらったけれど、まさか明日菜さんが忘れているとは思わなかった。
「だってあんた魔法使いっぽいこと何もしてないじゃない。魔法もあの時使ったキリだし。……あとはたまにくしゃみでスカートめくってくるとか」
ジロッと明日菜さんに睨まれて僕は小さくなりながらも答える。
「あ、あの、一応魔法は人前で使ってはいけないことになっているので……」
「へぇー。スカートは人前でめくるのにねぇー。ふーん」
「……す、すみません…………」
意地悪い顔をして、明日菜さんは僕に迫ってくる。明日菜さんはよく一緒にいるから、何度かスカートをめくってしまっていて、その度に僕は怒られていた。タカミチが近くにいる時なんか鬼のようだった。
「……ぷっ。ま、いいわ、今はそのことは置いといて。それで? 試練の内容は結局何なの よ」
明日菜さんはたじたじと怯む僕の姿を見て一度笑った後、乱暴に僕の頭を撫でてから尋ねる。なんだかんだこうやって許してくれる明日菜さんは、やっぱりいい人だ、と再確認する。怒ったらやっぱり怖いので、くしゃみは気を付けないといけないのだけれど。
僕は一息ついて、明日菜さんをじっと見つめながら告げる。
「期末テストでA組を一位にすることです」
「無理ね。さよなら」
「あわわ! 待って下さいって! 」
即答して身を翻す明日菜さんを、引き留める。明日菜さんは溜め息を吐いてから、また此方を振り返る。
「一位ってあんたね、今までビリかケツ2がいい所だったのに」
「だからこそ、明日菜さん達に頑張ってもらわないと! 」
「そうは言っても……。あ! それこそ魔法を使えばいいんじゃない! なんか急に頭が良くなる魔法とか! 」
まるで名案が思い付いた、とでも言いたげな表情で明日菜さんが僕に提案する。でも僕はゆっくりと首を左右に振って否定の思いを伝えた。
「そういうズルは駄目です。他の学生は皆勉強してるんですから」
「そりゃそうだけど……。あんたって真面目よねぇ」
悪いことじゃないんだけど、と続けて明日菜さんは自分の椅子にどさりと座る。
「……それに、もし魔法が使ったことがバレたらとても不味いです」
「……どうなるんだっけ」
急に真剣な声を出す僕に合わせて、明日菜さんも重みのある声で尋ねる。
僕は、ごくりと息を飲み込んでから、明日菜さんに近寄ってゆっくりと言う。
「…………オコジョになっちゃいます」
「…………なんでオコジョ? 」
「…………さぁ」
僕が首を傾げながらそう言うと、明日菜さんはどうでもよさそうな顔になった。
「いいじゃない、オコジョ。可愛いと思うわよ」
「嫌です! ……オコジョになったらお姉ちゃんに嫌われちゃうかも…………」
「お姉ちゃんってネギがいつも手紙書いてる相手よね。何? あんたの姉さんはオコジョが嫌いなの? 」
そう聞かれて、僕は少し前を思い出すようにしながら話す。
「……実はですね、僕にはオコジョの友達がいるんですが、その子はいつも女性の下着を盗んでいたんです」
「最悪なオコジョね」
「それでお姉ちゃんも怒ってしまって、その子にはいつも厳しくなりました。……僕もオコジョになってしまったらお姉ちゃんに厳しくされちゃうかも……」
「……オコジョが嫌いって言うより下着を盗むことに厳しくなったんだと思うけど」
「なになに? 二人で何の話しとるん? 」
不意に、トリートメントの香りが鼻を掠めた。花の匂いを感じつつも、背後から聞こえた声に反応して、僕は反射的に後ろを見た。
するとそこには、髪を濡らし、身体に大きなバスタオルを巻いた状態の木乃香さんがいた。隠されていない部分は綺麗な肌色が見え、胸部はふっくらと盛り上がり、両サイドに結い上げた髪はいつもと違って色っぽく見える。
「こ、木乃香さん! あの! ふ、服は! 」
僕は目を両手で覆いながら叫ぶ。そういえば、放課後美術部に寄っていた明日菜さんを置いて、木乃香さんと僕の二人で寮に戻ってきていたんだった。その後大浴場が掃除中だからと木乃香さんが部屋にあるシャワーを浴びていたことを、僕はすっかり忘れていた。
「脱衣場に着替え置くのわすれてたんよー。ねぇ、何の話しとったん? 」
目を閉じていても、声の元が近付いたのを感じて、僕の顔は温度を上げる。さっきよりさらに良い香りがする。
「はいはーい。木乃香ー。着替え持ってってあげるから戻りなさーい」
離れていく足音からすると、見かねた明日菜さんが木乃香さんを脱衣場に連れていってくれたようだ。二人の声が遠くなったのを聞いてからもう少し時間が経った所で、僕はゆっくりと顔の前にある手を開いて、ふぅと息をついた。イギリス紳士としても、教師としても、乗り越えなければならない所を乗りきったようだ。
○
「期末テストで学年一位? 」
木乃香さんはオレンジ色で暖かそうな寝間着に着替えて、僕と一緒にソファーに座り、クッションを両手で抱えながら首を傾げる。
「それが出来ないと教師じゃなくなっちゃうそうよ」
明日菜さんは椅子の背もたれを両足で挟むようにして座りながら答える。……学校のスカートを着たままであるため少し危ない角度ではあるけれど、僕は紳士として目を向けないようにしていた。
当然、木乃香さんには魔法使いの課題だとは言っていない。正式に教員となるための課題だとだけ言って、木乃香さんにもどうすべきか意見を尋ねていた。
「うーん。とりあえずバカレンジャーの成績をあげなあかんなぁ」
「まぁそりゃそうよねぇ」
「…………明日菜さん」
バカレンジャーの一人だと言うのにまるで他人事のように明日菜さんを、僕はじろっと見つめる。
「でもなネギ君。うちらも万年学年最下位って訳じゃないんよ? 確か何度か二位くらいはなったことがある気がするんやけど」
木乃香さんは人差し指を顎に当てて、記憶を探るような仕草をしていた。
「……あ、確かに! 今までの成績表を見たらいつもあまり良くない人たちが何回か点数を取れてた時がありました! 明日菜さんそのときは何したんですか! 」
僕が迫ると、そんなことあったかなー、と明日菜さんは頭の中の過去を洗い出そうと、上を見ながら椅子を回転させて考えた。
「あー! 七海に勉強を見てもらった時よ。テスト前の課題出さなきゃ先生に怒られるって時に七海に手伝ってもらって、その時のテストはいつもよりいい点取れてたんだっけ! 」
急に椅子の回転止め、記憶を思い出せたからかすっきりした表情で僕達の方を向いた。
「とりあえず、七海に話を聞きにいってみたらええんやない? 」
木乃香さんはいつものように微笑みながら、柔らかく言う。
課題達成への一筋の光が、見えた気がした。
小ネタ
『弟妹』
○
「ネギ君も大分麻帆良に慣れてきとるなぁ」
「そうねぇ」
「明日菜、最初はあんな嫌がってたんに、今じゃネギ君のことそんな風に言わんくなったなぁ」
「……まぁ、ね。あいつそんなに悪いやつじゃないし、なんかほっとけないのよ」
「分かるわぁ。ネギ君かわいいもんなぁ」
「私はそういう意味で言ったんじゃないけど」
「もし弟がいたら、こんな感じなんかなぁ」
「……弟、かぁ」
「……ふふ。明日菜、今結構嬉しそうな顔しとったよ?」
「はぁ!? べ、別に嬉しそうな顔なんてしてないわよ!」
「まぁまぁ。うちは嬉しいよ。一人っ子やったから、兄弟とかおらんかったもん」
「……私も、そうだけど」
「それに、今はうちと明日菜とネギ君の三人で暮らしとるやろ? だから、明日菜も一緒に家族になったみたいで、うち楽しいわぁ」
「……! そうね……。楽しい、かもしれない」
「ふふふ。うちの方が誕生日遅いから、明日菜が一番お姉さんやね」
「……全く、世話の焼ける弟妹ができちゃったものね」
○
せっかくな小ネタなので本編にあまり出ないキャラクターとも絡ませていけたらいいのですが……