超常の存在との戦いで死ななかったのは久しぶりではなかろうか。
今回、俺の
散々殺す殺す言っておいてなんだが、緒戦の目的はあくまで時間稼ぎ。
人質であった彼女たちの安全を確保し、
そもそも、有利な状況に高い確率で持ち込めるのに、先走って一人で戦うとか無駄な労力だ。
そこら辺のことは、エリカ嬢に付けた闇の端末越しにすでに伝え、安全の確保もその場所の準備も整ったことを、俺は知っている。
正史編纂委員会はいい仕事をした。
そうなったら目指すべきは合流だ。
だから、闇を使ってデコイを作り、自身はそのデコイの影に潜り隠れた。
デコイの作り方自体は簡単だ。基本は闇の操作。それに相応の呪力を与え自立行動ができるように、感覚の同期ができるように作りこむ。正確にはそういう風に作りこんでおいたものを影を経由して呼び寄せたのだ。
入れ替わったタイミングは闇の刃による攻撃の時。派手で広範囲の攻撃は、爺の目をくらませることも目的だったのだ。
一応、その中身の再現が一番難しかった。それでも散々全身ぐちゃぐちゃになっているから、見たことのない臓器は脳みそ位なものだったせいで何とかなったが。
今度はこちらが全力で叩き潰す番だ。
アヌビスの権能が増え、狼公絶対に殺すマンとなった俺の力を思い知るがいい。
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まずは合流。爺は狼を広域に放って索敵している。完全に狩りを楽しむ感じになっている。
闇の端末を経由して、ビルの上のエリカ嬢の近くに降り立つ。
エリカ嬢はいるが護堂君が見当たらない。その代わりにいるのはリリアナ嬢だ。
状況を見るに護堂君は決戦場、エリカ嬢はリリアナ嬢を引き離すためにこんなところにいるという感じだろうか。
転移で現れ、それによって戦場が一瞬止まったのに合わせ、リリアナ嬢を拘束する。
少々言っておきたいこともあった。
「一応、降伏勧告になるのかな。
今、"アナトリアの巨人"と青銅黒十字を筆頭とする東欧の魔術結社の大半は戦争状態にある。
俺は君の敵だ。
死にたくなければ降伏してほしいんだけど」
「…御身は!超越者たる方々はいつも横暴だ!!
己の意志一つで民からすべてを奪っていく!
もう、駒として、道具として扱われるのは嫌なんだ!
もういっそ、殺してくれ!」
「いや、殺したくないから降伏を促してるんだけどさぁ」
泣きが入ってしまった。
あの爺の付き人なんて務めていたら泣きも入るかと思っていたところにエリカ嬢が補足する。
「御身は、私が我が王、草薙護堂の愛人の座に収まり、赤銅黒十字が実質的に我が王の傘下にあることはご存知ですね?」
「ああ。…ああ」
後半は納得の意。物分かりはいい方だ。
「青銅黒十字がそれをまねしようとしたと」
青銅黒十字と赤銅黒十字はある種のライバル関係にある。
その片方、赤銅黒十字が神殺しの恩恵を受けられる状況になったというのは青銅黒十字としては看過できるものではないだろう。
だから、同じことをしようとしたと。
いや、あの爺、そういう俗世の欲望とかいろんな意味で超越してる感じなんだけど、意味はあるのか、などと思いつつ、リリアナ嬢の現状に納得を得る。
「ウチ来る?
ウチ、フレンドリーだよ?
社員扱いになるけど、福利厚生しっかりしてるよ?
超ホワイト企業だよ?」
会社の宣伝になってしまったが意味は一貫している。
勧誘だ。優秀な人材をどぶに捨てるような組織よりはウチの方が絶対にまともだと言い切る自信がある。
「…しかし、わたしは、青銅黒十字、イル・マエストロ…」
落ち着いてきたがとぎれとぎれで語られた言葉の内容は、大体は青銅黒十字における立場。
ここまで来ても、やはり捨てられないものらしい。
「いっそ青銅黒十字ごと聖魔の主様の麾下に馳せ参じればいいじゃない!
…失礼を。ただ、御身が勧誘しなければ、我らが王の名のもとに勧誘させていただくつもりでございましたので」
「フレンドリーな感じでいいよ。
甘粕と俺の話とか聞いたことあるでしょ」
「では、ありがたく。
リリアナ・クラニチャール、あなたが守りたいものは何?そのすべてをこのお方が守ってくださるそうよ」
「…しかし…」
「ああ、もう!」
エリカ嬢がリリアナ嬢に近づき、その耳元でなにがしかをつぶやく。
一瞬で顔が紅潮し、涙が吹き飛ぶ。
「机の引き出し、上から二番目」ってなんだ?
ただ、話ができる程度には回復したようだ。
「どうする?
ここで降伏してくれると嬉しい。
降伏した後は好きなようにして構わないよ。
俺の庇護下に入るのもよし。
そっちのエリカ嬢と同じように護堂君の庇護下に入るのもいいだろう。
ああ、青銅黒十字自体との戦闘はすでに終わっているよ。
死んだ人とかもいないから安心してくれ」
「私は、いえ、我々青銅黒十字は、御身の庇護を望みます」
選ばれたのは俺だった。
--日本、東京、某学校のグラウンド
都市型にしては大きなグラウンドを持つその学校の前では、人間が巨狼に挑みかかるという光景が繰り広げられていた。
「グハハハハ!
堪能したぞ神殺し!
貴様の権能、なかなかによいではないか!
滾るぞ!見せろ!貴様の真の力を!!」
楽しそうで何よりだ。
神も神殺しも、なんで俺とは話してくれないのだろうか。
俺が邪魔ばかりしているからか。
しかし状況はそれほど良くないようだ。
先ほど巨狼が「堪能」したのは護堂君の切り札の一つである白馬が運ぶ天の炎だ。炎は狼に飲まれ、感覚に従うに呪力に変換されているようだ。
感じとしてはビームサーベルもどきで切った時と同じ。ただ、ここまでの規模で無力化できるほどとは思わなかったが。
だが、護堂君の戦意は尽きていない。彼は剣を抜いた。
…隣に万理谷さんがいるのだが、もしかしてその組み合わせでディープなのをしたんだろうか。
「じゃあ、おっさんは若人のための時間稼ぎに邁進しようか!」
巨狼の横合いに降り立つ。最初から神速の権能を発動済み。次いでアンリマンユの権能を発動。朝が近づきつつも未だ暗い、周囲の闇を掌握する。
「貴様は殺したはず!?」
「三流のセリフをありがとよ!!」
言いながら突進する。武器は闇を形成した剣。
光が効きにくいから闇というのも安直だが、少なくとも飲み込まれるようなことにはなっていない。
神速でもって巨狼の爪と切り結ぶ。
護堂君が狼の権能の正体を暴きたてる。
爺が護堂君が剣を研ぐのを妨害するために動く。
それを俺が、やはり邪魔をする。
ここが正念場だ。
翼の消耗を惜しまずに、全力をもって時間を稼ぐ。
手数をもって、巨狼の足を止める。
そして、時は満ちた。
黄金の剣が巨狼の体を袈裟懸けに切り裂いた。
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夜のように歩き回り、人に仇なす狼の神。
光を意味する称号を与えられた神であり、同時に「夜に酷似した」という言葉を与えられたひねくれ者。
姉たる地母神と共に大地母神から生まれ、闇にうごめく数多の獣の姿を持つ神は、同じく地母神から生まれた闇の化身たる蛇の神を弓で射殺し、闇を殺す属性、光を司る太陽神としての神格を得た。
神の名はアポロン。その根源は大地の闇。そして神話によって天の光の属性を与えられたひねくれ者の名前。
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次いで狙い、切り刻まれる対象はオシリスの神格。
アヌビスの権能の歓喜の叫びとともに、期をうかがう。
オシリスも地母神たる姉を持ち、地母神の血族たる神。
八つ裂きにされて蘇り、季節の巡りを体現する神であり、死者の魂を裁く神。
その成り立ちを同じくし、その役割が異なる二柱の神格を切り裂く剣。
しかし、二柱目、オシリスの神格に対するそれは切り裂くまではいかず、ひびを入れるにとどまった。
だが、十分だ。
アヌビスの権能を開放する。
それは裁き。
これまでの自分の行いが行う絶対の裁き。
行使した瞬間、周囲にいる人物の周囲を光球が舞う。
色はさまざま。ふわふわと漂う。
しかし、狼爺だけは違った。
周囲を取り囲む光球の色はどす黒く染まった漆黒。
色が持つ意味は、敵意と悪意。
悪意の元凶に対し、裁きを下す。
護堂君が微妙に弱体化よりになっているあたり、やっぱり苦労させているんだなと思いつつ、爺を見る。
全身が黒い縄のようなもので束縛され、相当に弱体化しているのを感じ取る。
しかし、呪力を収束し、撤退の機をうかがっていることも、アンリマンユの権能越しに感じ取る。
その前に、できることをする。
やることは単純だ。爺の影を掌握し、軽く突き刺すだけ。
攻撃ではない。物理的な攻撃が目的ではない。
目的は、権能の剥奪。
条件は、相応の弱体化と自身の持つ権能との相性、自身がその権能に連なる権能を持っていること、相手の権能が奪われることを望んでいること。
現状確信を持って言える条件はその位。
狙う権能はオシリスの権能。権能そのものも弱体化し、オシリスの息子たる俺の中のアヌビスの権能が望み、そして、オシリスの権能も己の息子とともにあることを望んでいる。
手を差し出す。
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日の出と同時、狼爺は撤退した。
オシリスの権能、死せる従僕の檻は少なくともまともな形で使うことができないであろう状態にした。権能の核はこの手の中にある。
そんな、アヌビスによる弱体化とアポロンの権能の破壊、オシリスの権能の剥奪という状況で、それでも爺は戦い続けた。
そもそも魔術戦となると俺が手を出す余裕はない。
大衆の敵たるヴォバン侯爵に護堂君が裁きの雷を叩き込み、それを疾風怒濤でもって迎え撃つ。
横合いから神速による突撃を仕掛けるも、余波にあおられ、狙った雷に撃退される。
エリカ嬢とリリアナ嬢は万理谷さんの護衛だ。さすがに生身の人間が前に出ることのできる戦場ではない。
しかし、激しいぶつかり合いの勝者は護堂君だった。
思いを力とする神の権能として、オシリスの軛から解放された死者たちの思いと、アヌビスの権能によって呼び寄せられた思念によって強化された稲妻は爺を焼き尽くした。
灰になった状態から復活されたのは肝を冷やしたが、呪力が相当に消耗し、同時に闇を通してある程度の満足を得ている感覚も伝わってくる。
神殺し二人を正面から相手取って"戦争狂"の心を満足させるとか、さすがに狂った爺さんであったが、朝日が昇ったことで撤退したので良しとしよう。
「またしても、またしてもか神殺しィ!
この、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンが認めよう!
貴様はわが生涯の敵に値する!
次は、ルールなど関係なく、正面から粉砕して殺しつくしてくれる!
次で会うときが我らのどちらかが死ぬ時だ!
ゆめゆめ、忘れるでないぞ!!
そして新しき神殺し、草薙護堂よ!
貴様もだ。貴様も我が敵たりえる存在だ。
今回は貴様に勝利をくれてやる!
曲者たる貴様の本質を見抜けなかったゆえの敗北。
そして、すべてを見せ、すべてを見たわけでもなく、貴様の真価を見誤った我の敗北だ!
貴様は前回生き残った。
そして貴様らは今回生き残った。
ならば貴様らは我の敵だ!
次、相まみえるときには、この我が、全力でもって狩ってやろう」
一拍置き、一言。
「我ら"王"同士は無視しあうか、不戦の盟約を結ぶか、終生の敵と見定めるかしかない。
貴様らの"共闘"などという関係は長くは続かん。
覚えておけ、神殺しどもよ」
「覚えとくのはてめえだ爺!」
「次は全力で殴ってやるから覚悟しとけ!!」
最初が俺、あとが護堂君だ。
ただし、現状、残っている俺の手札はアフラマズダとアンリマンユのみ。九割強がりだ。
アンリマンユの方は闇の掌握が残っているだけで、神獣の召喚などはできないし、もとより弱体化の効き目が薄い相手だった。それに、先ほどまで掌握していた夜の闇も、朝日によって払われてしまった。
窮奇の神獣は消し飛んでいるし、サタンの翼は巨狼と切り結んでいる時点で数枚、その後の疾風怒濤に対する突撃と、護堂君との激突の余波で全滅。サマエルの毒を警戒している相手にそれを叩き込む余裕もなし。
護堂君の方もあまりよい状況ではない。
制約のある権能を多く使い、ほとんど手札が残っていない状況で呪力的にも厳しいようだ。悪意の吸収と信仰による回復で有り余っている俺の呪力を分けてやりたいくらいだ。
もしも戦いが続いていたら、俺が二十四時間ほど時間を稼ぐ羽目になっただろう。何度死ぬ羽目になったことだろうか。
アヌビスで相当に弱体化しているはずなのにこれとは、たいそう元気な爺さんである。自己強化系の権能でも持っているのだろう。
"最古の魔王"、"戦争向き"、積み上げた歴史は伊達ではないようだ。
だが、日は昇る。
夜を徹して行われた"戦争"は終わりを告げた。