億千万の悪意と善意   作:新村甚助

17 / 36
16:闇の女神、貶められた女神2

 意識が回復する。

 夢を、いや、確かな事実として、この世界のすべての悪意が内包する可能性を見た。

 そして、決断は既に終えた。

 

 自身の肉体の確認。四肢の欠損もすでに治っている。無論、首と胴もつながっている。

 しかし、体と同じく細切れにされた衣服は今はない。つまりは全裸。

 自分の周辺、社一帯の暗闇を掌握し、即席のシャツとズボン、そしてマントを生み出す。

 

 闇の掌握。

 おそらくは、可能性に対する決断が、原初の闇(アンリマンユ)を楽しませた結果だろう。

 同時に、「切り捨てない」ことを決断したことによりアヌビスの権能が活性化している。

 アヌビスの権能が無秩序に吐き出す、悪意のによって生まれた負の感情の情報を今は無視し、状況の把握を優先する。

 

 方法は、服の製作と同じく闇の掌握。

 闇に記憶があることは、この社の闇を掌握する際に理解した。

 空を覆う闇は、俺と女神の戦いのときよりもさらに拡大している。感覚的に、東京全土を覆うほど。

 とっかかりは既に得ている。触れさえすれば、(俺のもの)であることに違いはない。

 そのとっかかりから空の闇に()()し、一瞬のうちに支配権を奪い取る。

 しかし、すべてではない。女神と闇はつながっていた。気取られるには早いと判断し、女神の接続は拒まない。

 同時に女神の居場所も知れた。神格は変わらず、いまだ動き回っている。

 そしてその神の名前も。《アテナ》。しかし、いまいち闇のイメージがないのは俺が無学だからだろう。

 とりあえず、女神の考察は後回しにし、闇の記憶に接続する。

 

 

 最初の記憶は、七雄神社の上空に発生した直後のもの。

 少し後、おそらくはエリカ嬢が乗ってきたであろう4人乗りのスポーツカーにエリカ嬢、万里谷さん、護堂君が乗り込み、

 次いで、どこからともなく甘粕が乗り付けた、4人乗りの乗用車にうちのメンツが乗り込むのを確認する。

 そして、2台の車が闇の下を脱したところで、その集団に対する記憶は一旦途絶えた。

 

 次に闇の下に現れたのは護堂君。近くにエリカ嬢の姿も見える。

 そして神殺しを認識した女神が護堂君と対峙する。

 俺のときとは違い、少しの会話ののち、接吻により死の呪詛を流し込まれ、護堂君は死んだ。

 記憶上は死んだようだが、俺にはわかる。伊達に一日一回ペースで死んでいない。心臓の鼓動が止まる寸前に呪力の集中が感じられた。

 おそらくは権能。どうにかする手があるのだろう。

 エリカ嬢が死体の護堂君を連れ、女神から離脱したところで、その記憶は途絶える。

 

 皆の現在地を探す。

 検索は一瞬、皆の現在位置の把握が終了する。

 護堂君は死んだままでエリカ嬢と公園。結界を敷いて女神の索敵から隠れている。

 ほかのメンバーは、いつの間にか封印を施したゴルゴネイオンを携え、女神の索敵を逃れるために徒歩で移動している。

 姉妹の姉のほうが合流している。何らかの呪術的な代物を万里谷さんに渡し、それで簡単に封印を施したという情報を空を覆う闇を経由して地上の暗闇から引き出す。

 移動方向は、エリカ嬢が結界を敷いている公園がある方向だ。

 丁度良いので、俺も合流しよう。

 

 

 全員の無事を確認し、少しの安心感から気を抜いた。そして抑えていたアヌビスの権能が吠える。

 現在、俺の知覚可能な範囲は、東京都内を覆う闇の中にあるすべての闇だ。

 その範囲内にある、すべての負の感情が叩き込まれ、一瞬、立ちくらみのように意識を失う。

 目と耳と鼻から血が流れる。物理的に脳が壊れるほどの情報だったらしい。

 

 東京都内(俺の認識範囲内)において、悪意によって生じた負の感情は約百万。その大半が女神の呼んだ、今は俺の手中にある闇を原因とするもの。百万都市(メトロポリタン)は伊達ではない。しかし、それ以外は殺人事件に発展しそうなものが1つだけ。そんなことをしている場合ではないだろうにと思いつつ、その殺人未遂犯の悪意を、最も近くに存在する闇を媒介として吸収しきることで次善の策とする。

 負の感情の根源は女神だけになった。

 

 当初の目的に戻る。

 皆との合流。まずは万里谷さんたちとだ。これも一瞬。神速を超える瞬間移動。闇から闇への転移。

 突然の出現に驚く皆に、取り敢えずの状況を説明する。「闇の掌握」については濁しつつだ。「皆」に言える話ではない。

 

 次いで移動。方法は徒歩。もともと、車が止まってしまったから徒歩で移動していたのだ。

 目的地は公園。

 

 

 まあ、まさか濡れ場を見ることになるとは思わなかった。

 というか、濡れ場をみんなに見せることになって本当に申し訳ない、護堂君。意識しなければ闇からの知覚は得られないのですよ。

 

 濡れ場といっても接吻。だがしかし、濡れ場と思わせるだけのディープなそれを、公園のベンチで致していた二人は対照的な反応を返した。

 護堂君はこれ以上ないほど焦り、エリカ嬢は小悪魔的な瞳で万里谷さんと護堂君を交互に見る。特にエリカ嬢、この状況で煽るとはいい性格をしている。俺と甘粕、そしてうちのメンバーは蚊帳の外だ。

 一応、教授の魔術であり、護堂君の剣を研ぐために必要なことではあったらしい。まあ、万里谷さんは、少なくとも頭から信じているわけではないようで、少々とげが出ているが。

 ()()()は既に、現状の違和感に気が付いている。さっさと行動方針を決めてしまおう。

 

「で、準備はいいのかい?」

「ああ、アテナを止める」

「殺さなくていいのかい?」

「殺す必要なんてないだろ!

俺はただ平穏に過ごしたいだけなんだ。

物騒な世界に俺を巻き込むなよ!」

「まあ、同感だ。

お痛した分、お灸は据えなきゃならんけどな」

 

 この言葉通り通り、俺に殺すつもりなどさらさらない。

 これが女の子の姿でなければもう少しハードなお仕置きになっただろうなと思う反面、俺の権能(中の神々)が反応せず、女神自身が俺を拒絶する現状では、俺がこの女神を弑逆するという結末はないだろうと思う。

 俺の持つ権能はすべて、まつろわぬ神が俺という存在を認めたからこそ与えられた(形見)でもあるのだ。

 

 方針は決まった。打ち合わせも最低限は行った。最終決戦の幕開けだ。

 二人で呪力を開放し、戦闘態勢に移行する。俺はさらに空に広がる闇から文明の灯を消し去る能力を消し去り、同時にアテナとの接続を切る。

 これ以上ないほどの挑発。しかし、神器を求める女神は乗らざるを得ない。

 

 

 一手先んじたのはアテナのほうだ。

 ゴルゴネイオンを持っていたのは未だ万里谷さん。隣にエリカ嬢、その周囲をうちのメンバーが固めているとはいえ、まつろわぬ神の相手は無理だったらしい。

 囲いの中、万里谷さんの目の前に出現したアテナは、万里谷さん以外の守備陣を呪力の放出によって吹き飛ばし、万里谷さんの胸元のゴルゴネイオンに手を伸ばす。

 ゴルゴネイオンを万里谷さんに持たせたままだったことを完全に失念していた。吹き飛ばされた守備陣を、そこら中にある闇をクッション代わりに受け止めつつ、万里谷さんに向けられた石化の呪詛を含んだ魔眼を同じく闇で相殺する。加速度的に闇の扱いがうまくなっている自覚はあったが、そこで手が止まってしまった。

 女神がゴルゴネイオンに手をかけたタイミングで護堂君が突進する。今度は神速をまとった突撃だ。

 しかし、足りなかった。女神はその闘神としての側面を開放し、神速の突撃を最小限の動きで回避する。万里谷さんを巻き込まないように意識したせいもあるだろう。ゴルゴネイオンは遂に、女神の元に返った。

 

 

 三位一体を成した女神は高らかに謡う。幼い少女だった姿は十七、八歳ほどにまで成長し、その身にまとう装束は古風な白い長衣となる。この姿なら「女神アテナ」の名も納得だ。それほどの、ある種完成された美しさがあった。

 

 しかし、その姿に拘束されなかった男が二人。二人の神殺しはまず女神を人から引き離すことを優先する。

 

 先に動いたのは護堂君。近くにいた彼は攻撃を仕掛け、それに対し攻撃を受け、闘神としての側面が持つ人間離れした、しかし、本来の闘神には及ばない怪力を受け、同じく怪力の権能を開放する。

 女神の意識をひきつけつつ、向かう先は公園の中心部。人のいない、存分に戦える場所。

 

 それを見ながら、こちらも戦うための準備をする。皆を守る闇のクッションはそのままに、空に広がったままの闇を圧縮し、文字通り掌握す(手のひらに握)る。

 そして、護堂君たちの後を追う。

 

 二人の戦闘は相当に苛烈なものだった。特に密度。

 女神はフクロウと大蛇を尋常ではない数使役し、それを護堂君は黄金の剣で片っ端から切り裂いていく。刃こぼれ一つする様子も見せないあの剣が、8人目の魔王の切り札たる権能、「神格を切り裂く剣」だろう。

 しかしうらやましい。

 俺は話しかけなかったからかもしれないが、あの女神と会話することはできなかった。

 しかし護堂君と女神は今も会話している。まあ表情は鬼気迫るものであったし、女神のほうの罵りはこちらまで響いてきた。

 

 その量と質のぶつかり合いも、会話も長くは続かない。質が量を凌駕する。

 護堂君がアテナの来歴を明かし、その神格を切り裂いていく。

 護堂君が剣を振るう。そのたびに、アテナの周囲の軍勢が消し飛んでゆく。

 しかし、「完全に抜かれた」ことにより、剣にかかる負担も増えているようで、刃こぼれ一つする様子がなかった剣にひびが入るのを確認する。

 

 同時に、アテナが呪いの言葉を吐き、呪力を集中する。

 護堂君の切り裂いた神格はアテナのもの。アテナが呪力を集中した場所は目。三位一体のゴルゴン三姉妹が司る石化の邪眼。

 神殺しにとっても直感的にまずいと思わせるその一撃が、護堂君に到達する前に闇による防御を行おうとするも、剣の持つ光により減速する。

 剣が切ったのは闇に属する大地母神たる神格。その影響をこちらまで受けた。剣が石化し、その呪いが護堂君に到達する寸前にやっと闇が届く。

 

「俺も混ぜろよ!!!」

 

 声をあげ、自身の存在を女神に認識させる。()()()()()()()護堂君に動揺はない。

 

 女神ともう一人の神殺しの生んだ空白は、白馬を天から招来するには十分な時間だった。

 

 "聖句"が終わる。

 

「…汝の主たる光輪を疾く運べぇ!!!」

 

 夜中、アテナの闇が払われたとしても変わらぬ闇の世界。

 それを白く染めたのは、白馬の運ぶ天の炎であった。

 

 

 完全に不意打ちであった一撃は、アテナが一瞬早く立ち直ったことにより拮抗した。

 天の光の対極。地の闇を司る神格を利用した、闇を用いた防御の壁。

 しかし、拮抗できたのは一瞬だった。闇の壁は先ほど存在を示したもう一人の神殺しにより拭い去られ、そして、女神は白き炎に飲まれ、見えなくなった。

 

 

 俺たちの設定した計画は、計画というほどたいそうなものではない。

 どちらかが正面で戦闘し、残りの一人が支援に回る。もともと神殺しは一対一が基本だ。自分の思い通りになる部下や神獣ならともかく、自分の思い通りに動かないどころか、その手の内がわからない神殺しなど、近接で共闘する相手に選べるわけがない。

 だからこそ、その支援の方法だけはいくつか決めた。

 その一つが「アテナの気を引く」だ。その点、俺は最高の仕事をしたと自画自賛してもいいくらいだ。護堂君とアテナの語らいを邪魔したとかは考えない。

 

 そして、俺はもう一つの役割を自分に課していた。護堂君が最大火力を放てる環境を作ること。

 護堂君が殺した神の名はペルシアの軍神ウルスラグナ。彼の神は十の姿に化身し敵を滅ぼした英雄神であったらしい。その伝承の一つ、大罪人を裁く天の炎を運ぶ白馬。

 ここまでは推理、そして、次は答え合わせ。その白馬の化身は、太陽のフレアに匹敵する火力を誇るらしい。つまり火力が高すぎて発動条件が整っていたとしてもそう簡単には使えない。

 天の光の対極は地の闇だ。そして俺は、その最大火力を受け止める役目を買って出た。

 

 

--日本、東京、某所にある高級旅館

 

 数日たった。

 天の炎に焼かれたものの、アテナは生存していた。もっとも相当に弱体化し、もとの少女の姿に戻っていたが。

 天の炎を受け止めるために俺が展開した、かつてアテナ(自分)のものだった闇を吸収することで生きながらえたらしい。この点は、いや、この点に関しても俺は迂闊だったわけだ。

 闇の掌握というある種の全能感に酔っていたのかもしれない。しかし女神とはいえ女の子を焼き殺すなんてことにならずによかったと考える。

 護堂君はアテナを見逃した。この点は最初に決めた通り。ついでに、できればトルコにも来ないでくれとは言っておいた。無視はされなかったが、「どこだそれは」と言われた当たり、あまり期待しないでおく。いや、アナトリアとか、古い時代の名前を使えば通じたのかも、と今思う。

 

 俺は天の炎を受け止め切った。アテナが展開した闇のすべてを放出した結果とはいえ上々だろう。

 原初の闇(アンリマンユ)が見せた可能性の一つに、天の炎により蒸発し、大穴が空く公園の池が見えた。

 少なくともそれに近かった戦いが、最悪の光景を生み出すことなく終わりよかったと思う。

 

 万里谷さんと護堂君の距離はなぜか縮まったようだった。吊り橋効果という奴だろうか。大体の場合、助けたのは俺のはずなんだが。俺の知らないイベントがあったのだろう。

 エリカ嬢とのやり取りを見る限り、護堂君は意外と男女関係にだらしなさそうな感じがすごくするし、「いい子」そうな万里谷さんが不安だ。

 是非とも自分の信念をもって、流されることなく男女関係を選択してほしい。護堂君も万里谷さんも。

 …流され続けてこんなところにいる俺が言っていい言葉ではないと思うので言葉にはしないが。

 

 彼ら若人は次の日が修羅場だったらしい。深夜にまで及んだ神との決戦、そしてその後始末が終わったのは朝。そして曜日は金曜日。普通に学校である。護堂君はともかく、まじめで通っていた万里谷さんが授業中に居眠りをしたとのことで騒動になっていたという話を聞いた。

 

 週末は一番最初に約束した通り、先達として教えられるだけの知識を教えた。

 どんな神、どんな神殺し。俺が戦った神獣の話。師匠の修行の話。トルコの魔術結社(ウチ)の話。

 特に強調したのは狼公の爺の話だ。今回の戦闘で、護堂君の基本戦闘は大体わかった。わかってしまった。神格を切り裂く剣は切り札だが、その神格を複数持っているのが普通の神殺しに対しては必勝たり得ない。その点、護堂君とあの爺の相性は相当に悪い。

 出会ったら逃げることも頭に入れておくように念を押す。

 まあ、イランでの戦闘の後は療養をしていたはずだし、まあ、しばらくは大丈夫だろう。

 

 週が明け、月曜日。エリカ嬢が転校してきたらしい。それも「愛人」と明言しながら。

 万里谷さんも現状は敵、エリカ嬢は言うまでもなく、護堂君の妹も万里谷さんの側についているらしい。結果として泣きつかれたのは俺だ。だとしても俺にはどうしようもない類の問題だ。俺は女性と付き合ったことはない。一夜の関係は意外とあるが、それが長く続いたことはないのだ。大体の場合、何らかの不幸によって。

 「イケメン死すべし」と考える俺の中の闇を抑えつつ、「ガンバレ」とだけ声をかける。

 

 

 しかし、日本に向かうことを決め、次の日にはトルコを立ち、日本について四十八時間以内に女神と二回戦って一度殺されてすらいる。

 まあ、アヌビスの権能の活性化と、認識範囲内の闇の掌握という力が増えたことは、一度死ぬ程度でと考えると相対的にはプラスかもしれない。

 

 現在滞在している宿は、正史編纂委員会が準備したものだ。露天風呂がある宿という注文で用意してくれた。これも雇用契約のうちに入っていたらしく、宿の選択は姉妹の姉の(抜かりない)ほうである。なんでも双子に「日本には露天風呂というものがあるらしい」という話を聞いていたらしい。トルコに向かう道中の話だったはずだ。

 まあ、おかげで露天風呂を堪能している。隣で美人さんが酌でもしてくれれば最高だったと思うが、生憎と、隣で酌を交わしあっているのは甘粕だ。むしろどうしてここにいる。

 なんでも、監視任務は継続中とのことだ。というか、今回の仕事は明らかに給料以上だから休ませろといった結果の妥協案らしい。こちらは姉のほう経由で聞いた沙耶ノ宮馨の証言だ。

 精神的に安らいでいることは確かだが、アンリマンユの権能とアヌビスの権能は常時発動している状態だ。トルコ全土やアジア各地に点々とする自身の領域において、悪意によって負の感情が生まれたことをアヌビスが知らせ、すぐさまアンリマンユの闇の掌握によりその悪意を拭い去る。自身の領域で発生した悪意は絶対に見逃さない。

 ある種聖域化したトルコ国内における犯罪は、この一週間で激減したらしいとニュースで見た。もちろん俺のせいだ。発生したのは事故が数件と、偶発的な事件が数件。先進国クラスとしては異常に少ないだろう。警察組織の困惑ぶりがうかがえる内容だったが、悪いことが起きないのはいいことだ。それは間違いがない。

 

 

 

 俺は、俺以外の悪意を認めない。

 

 悪意はすべて俺のもの。

 善意はすべて、あまねく世界の人々のために。

 




以上でアテナ戦、終了になります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。