億千万の悪意と善意   作:新村甚助

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日本に向かう話。


12:望郷

 会議で決まったものは。もちろん魔術結社の名前だけではない。

 表の会社の名前、吸収合併し巨大化した会社の名前も決まった。

 

 「トルコ中小商会連合」、通称「トルコ商会」だ。

 

 構成人数はともかく、その取引規模においてはトルコ最大の商会となっている。

 「トルコ商会」の名も嘘ではない。

 

 いろいろなものが終わった会議から数日、"聖魔教団"、もとい"アナトリアの巨人"はうまく回っているように見える。

 幹部連中も自身の担当分野をきっちり統制しているようであるし、安心してみていられる。

 

 ただ、会長たる俺に、見逃せない書類が回ってきたので社長(筆頭枢機卿)を呼ぶ。

 

「これ、何?」

「情報収集をつかさどる部門の発足をお知らせする書類になりますが、何か?」

「"主の闇を払うもの"って…」

「組織の名前になります」

「教主の名のもとに異端者を粛正するって、仕事内容に書かれてるんだけど?」

「スパイのあぶり出しも任務のうちにございます」

「そもそも俺はそんなことに名前を貸した覚えはないんだけど!?」

「御身の加護は、我らに常に気を配っておりますので、常にご存じのことだと…」

 

 そんなに万能であってたまるか!

 

「とにかく、危ないことはするなよ。

できる限り人殺しはしないでくれ。

君らはまだ若いんだから、そんな罪を背負わないでくれ。

まあ、組織の設立自体は認めるよ。情報は大事だしね」

 

「(御身が甘いからこそ、我らは…)ありがとうございます。

では早速、仕事にとりかからせることにいたします」

 

 苦い顔をしたような感じだったが、その後の礼に隠れ、再度上がった顔は既に元通り。そのまま退室してしまった。

 

 苦い顔の理由。

 加護を通してのぞき見するような必要もなく、その理由は理解できる。

 俺は甘いのだ。しかし、自覚はしていようと直す気は毛頭ない。

 神殺しという存在は世俗の権力に縛られない。ならば世俗の常識に縛られなくたっていいだろう。

 

 子供たちに、自分より若く未来ある人たちに罪を背負わせることなど俺には選択できない。

 アヌビスの権能が叱咤するように吠える。自分の意思で切り捨てよと。

 俺は神を殺した大罪人だ。それは確かなことである。

 しかし、俺は人を殺したことはない。死にかけで苦しむ男を介錯したことはあるし、病人が息を引き取る瞬間に立ち会ったこともある。父の死はできなかったが、母の死には立ち会った。祖父母の死についても同様。

 だが、自分の意思で、自分の手で、明確な悪意を持って人間の命を奪ったことはない。

 多分、それが俺が人間としての自我を保っている一線。ヴォバン侯爵のように魔王としてふるまわない、まつろわぬ神のように、自分の欲望に忠実にふるまわない、その理由。

 いや、自分の欲望には忠実だ。人を殺したくない、人を殺させたくないという欲望。

 そのせいで、俺を信じてくれる人が減ったとしても、俺はおそらく、その欲望を切り捨てることはできない。

 

「とりあえず、"無意味な人殺しだけはするなよ"って周知させとくか」

 

 一人言い、思考を後回しにし、動く。

 

 

--トルコ、アンカラ、"アナトリアの巨人"本拠にて

 

「報告します。

"主の闇を払うもの"より、日本に神器が持ち込まれた可能性が高いとの情報がもたらされました。

主様は、その、日本出身とのことですので、すぐさまお知らせするべきと思い…」

 

 報告するのは最初に接触してきた、現"筆頭枢機卿"の妹だ。名前はディライというらしい。

 隠ぺいや情報収集に適性があり、情報部門の幹部職を自力で得ている。

 言葉が尻すぼみになってしまったあたり、姉のようにもう少し慣れてくれていいのにと思う。

 しかし、発足して少しの期間で神器に関するこれだけの情報を持ってくるあたり、優秀なのかもしれない。

 いや、元々、各組織ごとに持っていた情報収集部門を再構築しただけか。

 

 だが、確かに気になる情報ではあった。

 「母国」というような感傷は、すでに薄れているが、それでも何か感じるものはあったか。

 

「どこからの情報だ?」

「イタリアは赤銅黒十字の情報を収集していた者からの情報であります

詳しくはこちらを」

 

 言いながら、差し出された書類を受け取る。

 ちゃんと寝起きできる場所があるのは悪くない。髭も安定して剃れる。これで「おっさん」から「イケてるおっさん」くらいにジョブチェンジすることができるだろう。

 その剃ったばかりでツルツルの顎に手を添え、思考に入る。

 

 内容は簡単に言うと、イタリアにおいて、8人目の神殺しが「ゴルゴネイオン」と呼称される何らかの神器を受け取り、日本の東京へ持ち帰った。ということになる。

 ことが起こったのは昨日。神器は既に神殺しとともに日本の東京にある。

 

 しかし、この報告書、主観が入りすぎている。

 特に報告書の最後のページの半分を埋め尽くすほどの大きさの、「俺も愛人とか欲しいっす!」はまさしく魂の叫びだろう。

 合わせ、赤銅黒十字が実質的に"8人目"の傘下に下ったことと、イタリアの主要な魔術結社3つが"8人目"をほかの王と同格の存在であると認めたともある。

 報告の内容と精度は非常に優秀なのに、なんというか残念な人材だ。

 

 しかし確かに、気になる情報だ。

 いや、神器そのものについてではない。神器に興味が向いていないわけではないが、アンリマンユの権能が騒いでいる感じもなく、そもそも8人目も神殺しだ。単独でも何とかするだろう。

 どちらかというと「日本へ」、詳しく言うなら「東京へ」という点だ。

 東京には高校卒業まで世話になった叔父夫婦が住んでいる。

 十年も行方不明で申し訳ないと思わなくもないが、目に見える不幸がそこに近づいているのををただ見守るというのも精神的にきつい。

 

 沈黙し、思考していたが、女性(ディライ)を待たせていたことを思い出す。

 案の定、不安そうな、心細そうな顔をしていた。俺は怖い顔でもしていただろうか?

 まだ未成年だが、年齢よりも年下に見え、そんな女の子を不安げにさせていることにも心が痛んだ。

 最初の接触からこっち、この子は俺の心を痛める才でも持っているのではなかろうか。

 

「大丈夫だよ、少し気になる情報があっただけさ」

「気になる情報ですか?やはり8人目の?」

 

 報告書には確かに8人目の名前と外見とともに、その権能「東方の軍神」の持つ能力の一部も記載されていた。

 しかし、今は違う。

 

「いや、この場合は東京へ向かったっていうことかな。

東京、日本の首都には俺の叔父夫婦が住んでいるのさ」

 

 言いながら、すでに心は決まっている。

 言葉を続ける。

 

「だから、被害が出ないように手伝うくらいはしようかと思ってね。

ちょっと東京まで行ってくるよ」

「行ってしまわれるのですか!?」

 

 ありていに言って、絶望のどん底、という表情だ。

 

「大丈夫、すぐ戻るよ。

遅くとも6月中旬くらいかな。

俺の本拠はここだから」

 

 本拠は既に定めたのだ。

 師匠にもすでに手紙を送っている。

 領土に対する加護もすでに与え終わった。

 そのあたりの事情も説明する。会社の幹部クラスにはすでに連絡したことだが、一部門の幹部クラスに対しては周知していない情報だ。

 

 彼女は見捨てられる可能性がないことを知り、安堵したらしく表情が弛緩している。

 

「ぜひ、お供させてください!」

 

 正直、来るとは思っていた。

 だから返す。

 

「いや、これまでと同じように双子たちだけ連れていくよ」

 

 戦力的な不安も残るし、そういう選択も妥当であると考えていた。

 

「少々お待ちください、姉を呼んできます!」

 

 飛び出していったと思ったら1分経たずに戻ってきた。

 彼女の姉に、双子も一緒だ。

 

 今度は姉が矢面に立つらしい。

 

 

 結論から言おう、負けた。

 熱意に負けたし、理路整然とした正論にも負けた。

 

 よく考えたら今の俺はパスポートも何もない、身元不明の怪しい男なのだ。

 その点を、政府とも繋がりを持つトルコ最大の魔術結社"アナトリアの巨人"が補填する。

 具体的にはパスポートの発行。これは政府がちゃんと発行したものなのだが、偽造な気がしないでもない。

 それによると、俺の名前は"イルハン・バヤル"というらしい。名前の意味は「支配者」だそうだ。

 合わせて、双子のパスポートも用意された。この子たちも俺同様に身元不明だ。これはこれで教育に悪い。

 

 次の問題、現地の魔術結社との折衝。

 日本にも当然魔術を司る組織がある。正史編纂委員会がその名前だ。

 そういった組織がある以上、単独で乗り込んでどうこうということもできない。今の俺はある程度名前が知れ渡り、おまけに名前だけとはいえ、一国の魔術結社の主をしてしまっているのだ。

 そこを彼女「たち」が担当する。実際の交渉担当と情報収集担当(筆頭枢機卿とその妹)だ。仕事も安定してきて、部下に放り投げる余裕があるとも言っていた。

 

 これではもう、拒否する余地も理由もない。

 戦闘への参加を厳禁とすることを条件に彼女たちの同行を認めた。

 出発は明日。急ではあるが、明日の出国ならパスポートが間に合うという理由からだ。

 多分相当に早い。

 しかし、すでに神器は日本国内にある。猶予はないと思っていいだろう。

 

 

 こうして俺は、俺たちとして、十二年ぶりに日本の土を踏みしめることになった。

 

 この選択は、俺自身は意識していなかったものの、決して今までのように状況に流され決めたものではなかった。

 明確に、自分の意思で、自分から、俺は日本でここ数週間の間に起こるであろう騒動と、"8人目の神殺し"草薙護堂に関わることを決めていた。


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