「…………」
月光が照らす下、とある場所の一室でワインを注いだグラスを傾ける影があった。
「ふぅ……」
彼女はアンリエッタ姫……いや、今は女王陛下になった彼女は元々酒を余り好まなかったが女王陛下としての重責、さらに息吐く暇もないほどの人間がやって来ては胡麻を擦って帰っていき、毎日天井をもっと高くするか、部屋を大きくしないとその内部屋に収まらなくなるんじゃないかと思うほどの書類の山々と戦う……酒を飲まずにやっていられないのは仕方のないことだ。
ゆっくりと心の中にあるただのアンリエッタが削られ、消えていく感覚……そしてそこに新たにアンリエッタ・ド・トリステイン女王陛下が形成されていく。
思わず吐き気に似た感覚が来るがそれをワインで強引に流し込んだ。
自分は一人だ。誰も助けてはくれない。求めてもいけない。女王として弱さを見せる訳には行かない。強くいなければならない……そう覚悟を決めても限界が既に見え隠れしているのをアンリエッタは自覚していた。
その時……
「アンリエッタ……」
「え?」
アンリエッタは振り替える。外の空気を吸いたかったアンリエッタがバルコニーの窓を開けていたのだがそこに見えた影に奇妙な既視感を覚えた。だが咄嗟に近くにおいてあった杖を取りいつでも魔法を放てるように準備だけする。
「誰ですか?」
「忘れてしまったのかい?アンリエッタ」
ゆっくりとした足取りで部屋に足を踏み入れる影に警戒心を抱きながら見る……すると、
「え?」
アンリエッタは今自分の見ているものが信じられなかった。何故ならそこにいたのは……
「ウェールズ……さま?」
「そうだよアンリエッタ」
だがアンリエッタはキッとウェールズ?を睨み付けた。
「嘘!ウェールズ様は死んだ……その筈です!」
アンリエッタは杖を持つ手に思わず力が入った。親友とその使い魔から確かに聞いたのだウェールズは死んだのだと。だがウェールズ?はそれを気にしていない。
「それこそ嘘だよ。アルビオンの貴族派の連中から姿を隠さなくてはならなくてね。その為に一芝居打ったのさ」
「そんなの……」
信じられない……その筈なのに何処かでそうであってほしいと願う自分がいる。
そんなアンリエッタをわかっているかのようにウェールズ?は歩を進める。そこまで距離があった訳じゃない。直ぐに目の前に来てソッとウェールズ?はアンリエッタを抱き締めた。
「どうしたら信じてくれる?君が昔僕とこっそり会うときに身代わりをしてくれた女の子を答えようか?それとも……」
ラグドリアン湖での誓いを言おうか?と耳元で囁かれアンリエッタは目を見開いた。それは誰も知らないはずだ。つまりそれを知っていると言うことは……
「本当に……ウェールズ様なの?」
「あぁ、そうだといってるじゃないか」
アンリエッタは胸が高鳴った。会いたくて堪らなかった愛しい人が今目の前にいる……それが彼女の崩れ始めていた精神をどれだけ癒したのだろう。
そんな彼女は必死にウェールズ?を抱き締めた。もう離れないように……もういなくならないように……そう願いながら華奢な腕に力を込める。
「ひどい人……私がどれだけ心配したと……」
「すまない。追っ手を巻くのが大変でね。それに何とかトリステインまできたのは良いけど君が一人になる時間を調べるのに手間取った。まさか死人が謁見を求めるわけにいかないだろう?」
ウェールズ?もアンリエッタの求めに答えるように腕に力を込めつつ言葉を返す。暫しそうやって互いを確かめ会うと一度顔を離した。
すると次にウェールズ?が発した言葉にアンリエッタ凍りついた。
「僕はこれからアルビオンに戻る」
「な、何を言っておられるのですか!既にあそこは貴族派の領地……今度こそ殺されます!」
アンリエッタの言葉は尤もだった。しかしウェールズ?はそれに首を振る。
「彼処には僕を待ってくれているものたちもいる。彼らを裏切る訳にはいかない」
「ウェールズ様……」
だけどね……とウェールズ?は悲しげな表情を浮かべるアンリエッタに言葉を投げ掛ける。
「これから苦しい戦いになると思う。そんなときに信用ができて……尚且つ愛しい人が隣にいたら力になるんだ。だからアンリエッタ……」
僕と一緒にアルビオンに来てほしい……そうウェールズは言った。
「え?」
アンリエッタは一瞬言葉が理解できなかった。一緒に?アルビオンに?
「頼むアンリエッタ……」
「ですが……」
アンリエッタは渋った。自分には女王と言う立場がある。勿論ウェールズ?の申し入れは嬉しい。それは偽らざる感情だった。しかしそれを素直に受けていい立場でないこともわかるくらいには大人だった。そこで、
「とにかく疲れていらっしゃるんですわ。明日またムグ!」
お話ししましょう……とは続けられなかった。何故ならアンリエッタの唇をウェールズ?の口が塞いだからだ。
「ん……む……」
永い……永遠にも思えるキスだった。思わずそっとウェールズ?の顔が離れてもボウっとしてしまう。
「それじゃ遅いんだ。困らせるのは分かってる。でも君じゃなきゃ駄目なんだ」
愛してる君じゃなきゃ……そうウェールズが呟くと、アンリエッタのなかでなにかが崩れていった。ガラガラと壊れていくような感覚……
理性が崩れ、本能が赴くままに足を進め……アンリエッタ女王は姿を消したのだった。
「いちち……」
「あ、あんたも少しは抵抗しなさいよ……」
一方その頃、トリステイン魔法学校では闘夜は頬をさすり、ルイズは申し訳なさそうに顔を背けていた。
何せ先程までの惚れ薬の際の怒り赴くままに闘夜をボコボコにしてしまったのだ。
だが冷静に考えてみれば今回闘夜に非はなく、完全に自分の八つ当たりだったのは言うまでもない。くっついたのも一緒に寝てたのもキスしたのも全部自分から……そう思うと恥ずかしさで死にそうだった。
(キ、キキキキキスしちゃうとか私ほんとバカじゃないの!?あ、相手は15よ!?社交界も知らない子供よ!?そんな相手にキスして甘えて……アホか私は!)
悶々と思考の波に身を任せ、ふと闘夜の顔を見る。童顔であるが年齢と使い魔であると言うことに加え平民であると言うことを除外して見てみれば中々見た目は良いと思う。
ふむ……これなら一時の気の迷いがあったとしてもまだ許されるだろうか?いや、許されなかろう。
やはり全部薬のせいだ。間違いない。そうルイズは自分に言い聞かせる。そしてますます闘夜をボコったのはお門違いだと思うと落ち込む。我ながら素直にご免なさいも言えないのか……
「だってルイズ様おっかないから体すくんじゃうんですもん」
「う……」
そこまでさっきの自分は恐ろしかったか?そう聞きたくなった。確かに怒ってはいたが、そこまでじゃないだろう。
「まぁこのくらいならすぐに治りますけどね……」
そう言って闘夜はパンパンと砂を払って立ち上がる。相変わらずの頑丈さとこのおおらかと言うか細かいことを気にしなさすぎの心……それにルイズはため息を一つ吐いて一緒に立ち上がった。すると、
「話はまとまったのかしら?」
「い!」
ルイズは突然かけられた声により顔をしかめた。い、今のは幻聴だと自分へ必死に言い聞かせようとしたが……
「ちょっとお!無視しないでよ」
と、ムニュっと自分も頭に乗っかる感触にルイズはますます表情を曇らせた。自分にはないものに思わず嫉妬する。だがそのまえに、
「あ、あら奇遇ねキュルケ」
努めてルイズは冷静に言葉を発した。まあ完全に動揺していたのが丸分かりだが彼女にとっては完璧な演技だったのだ。次にキュルケが言葉を発するまでは……
「あら、惚れ薬はもう治ったの?」
「んなぁ!」
ルイズは後ろにひっくり返りそうだった。いや、記さなかっただけで惚れ薬状態のルイズは勿論キュルケと会っておりばれてて当然なのだがそれでも僅かな希望にすがりたいと思うのは間違っていただろうか……
「んふふ、顔真っ赤にしちゃってもう」
「う、うるさい!」
そうルイズが叫ぶ中ケラケラキュルケはルイズで遊ぶのに飽きたらしく。笑いすぎて出てきた涙を指先でとり、なにかを思い出した顔をした。
「そんなことよりね?」
「そんなことじゃないでしょ!」
ルイズがガルル!っと唸ったがキュルケはどこ吹く風であり、そのまま話を続けた。
「ここにくる前に見かけたんだけどアンリエッタ女王陛下がウェールズ皇太子と歩いてたのよ。彼生きてたのね」
『っ!』
そんなキュルケの言葉にルイズと闘夜は目を見開く。そんな筈はない。何故ならルイズは見たのだ。目の前でワルドがウェールズの胸を貫くところを……闘夜も見た。冷たくなって動かなくなったウェールズを……そして!
「タバサお願い!お城まで運んで!」
ルイズはキュルケの隣にいたタバサの肩をガシッと揺らして懇願する。それに驚いたのはタバサよりキュルケの方だ。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ」
「私達は見たのよ。ウェールズ様が死んだのを……間違いなく死んでたわ!」
「え?でも確かにウェールズ皇太子だったと思うわよ?私良い男の顔は忘れないから」
「だからこそでしょ!とにかく一度姫様に会いに行くわよ!」
「……わかった」
タバサはコクりと慌てた様子もないが素早く行動を起こすと使い魔を呼びルイズ、闘夜、キュルケ、タバサの四人は城に向かったのだった……