Another side EPISODE 01【未来への出会い】
戦いがあった。
胸の歌と共に奇跡を身に纏った三人の少女が、我欲に暴走し人類確殺の兵器を使役する永遠の巫女の凶行を止めんが為に。
後に世界を巻き込む大災害に繋がる小さな戦い……。バラルの呪詛を放ち続ける月を損壊させ、永遠の巫女フィーネはその破片を地球に引き摺り落としていった。
だが奇跡を身に纏った少女たちはそれの危機を良しとはせず、生命の全てを歌に変え、血を吐きながらも
この戦いは後に、【ルナアタック】という名の特異災害の一つとして処理されることになる。
流れ星、燃えて落ちて尽きて――
その戦いから約三週間、小日向未来は文字通り毎日通い詰めていた。
己が親友――【立花響】の居ない、形だけの墓に。
このような形式になった仔細は特異災害対策機動部二課の司令官である風鳴弦十郎から聞き及んでいた。だが、それを全て飲み込み納得出来るほど未来は大人ではなく……いや、もし大人であろうとも彼女にそうは出来なかっただろう。
小日向未来にとって立花響とは、それだけ大切で、大きな存在だったのだから。
「……はい、じゃあコレね。お代は――」
女性の店員が言うと同時に財布から金を出し、無言でレジ横のトレーに置く未来。それと交換する形で店員から商品である白百合の花束を受け取る。それは見る者を笑顔に出来る美しい花。だが、未来の面持ちは重たく沈んだままだ。しかし店員の方も料金を受け取り確認する間にも特別未来に話しかけることは無かった。
私立リディアン音楽院を中心としたノイズの大量発生とそれに伴う破壊活動。市街の人間が識る僅かばかりの情報ではあるが、ノイズともあれば犠牲者が付いて回るのは最早常識と言ってもいい。
店員からしたら、沈痛な面持ちを続けるリディアンの制服を着た少女もまた、この大型の認定特異災害で親しい誰かを喪ってしまったのだろうと容易に想像がついていた。故に、赤の他人である自分が其処へ足を踏み入れる事は無かったのだ。
花束を抱えながら街を歩く未来。空には太陽を覆い隠す雲が敷き詰められ、時間と共に濃さを増していく。
だからとて歩みが速くなるわけではない。彼女の胸中を占める想いもまた重く、一人で居る時は特に他の事に気を回す余裕など無かったのだから。
向かう先は、郊外へと走るバスに乗れるバス停。いつものように――この三週間でもう慣れ親しんだ道をただ歩いていく。その時――
「痛ッ!」
「あっ……」
談笑していたガラの悪い男たち、そのうち一人の肩にぶつかってしまった。
未来の方へ振り向く男達。その形相は怒りと言うよりも、他者を見下しながら威圧する下賤なものだった。
だが一方で未来は、それすらも意に介さないような暗い表情のまま返事をしていった。
「ってぇ~……。どこ見て歩いてんだよ、えぇッ!?」
「……すいません、でした」
「オイオイ止せよ。でも、人に怪我させといて、すいませんで済むワケないことぐらい分かるよね?」
「……申し訳ありません。お金は今、持ち合わせが無くて……」
「ふ~ん……」
男の眼が未来を捕える。何処か粘着質なものを感じるその視線に、思わず持っていた花束に力を込めて抱き締めていた。
「あ、あの……」
「まぁ金がねぇってんなら、他のモンで支払ってもらうしかねぇわなぁ」
下卑た嗤い声を洩らしながら未来に詰め寄る男たち。恐怖は僅かにあったが、不思議と抵抗しようという意志は湧いてこなかった。もしこのまま穢されようとも、親愛なる友を喪ったこの痛みに比べれば些細なものだろう……。そんな何処か投げやりな考えが、未来の胸中を埋め尽くしていた。
この三週間で積もりに積もった想いは、それほどまでに彼女を追い込み蝕んでいたのだ。
思案する間も無く男の手が花束を抱く未来の細い腕を捕まえる。飽くまでも本能的に僅かにその場へ留まろうと抵抗をする未来だったが、そんなか細い抵抗では男の力に抗えない。彼女自身意外なほどにアッサリと手を引かれ数歩踏み出してしまった、その時――
「その娘を離してあげてください。彼女、嫌がってるじゃないですか」
未来の手を捕まえていた男たちの前に、一人の青年が立ち塞がっていた。
自分達の邪魔をされて静かに怒りを滾らせる男達と、冷静にそれと相対する一人の青年。そしてその姿を傍観する未来。予想外の混乱に先程までの無表情も少しばかり崩れ、僅かに怯えを覗かせていた。
「イキがってんじゃねぇよテメェ……。痛い目見たくなけりゃ財布の中身置いて失せな」
「――僕は、争い事をしたいんじゃありません。ですが、困っている人は見過ごせない……ッ!」
胸座を掴まれても一切怯むことのなかった青年。次の瞬間彼が行った動きは一切の迷いを見せず、掴まれた腕を易々と振り払いつつ足を掛けて男たちをその場に転ばせた。
そしてすぐに未来の空いた腕を優しく掴み、微笑みながら駆け出していった。
「てっ、てめぇッ!!」
「走るよッ!」
「は、はい……」
青年に手を引かれ一緒に走り出す未来。中学時代は陸上部でランナーとして研鑽を続けていただけあって、最初こそ手を引かれていたものの身体が速度に乗っていくと共に自然と脚も上がり回転数が増していく。
街中を駆ける二人はやがて追い駆けていた男たちを撒くことに成功。彼女のその足の速さに、青年は思わず感嘆の息を洩らした。
「足、速いんだねッ!」
「い、いえ……その……」
小さく息を切らしながらなんとか相槌を打つ未来。これでも足には自信があったのだが、優しく自分の手を引く眼前の男はまだまだ余裕そうな笑顔で声をかけてきた。自然に――とても純粋な眼で。
そんな優しくも強く手を引く姿を、明るくて無垢な笑顔を見て、未来は思わず被せてしまっていた。最も大切な存在である、喪った親友の姿を。
太陽のようなその姿を幻視してしまった瞬間、未来は青年の手を振り払い立ち止まってしまった。
「えっ……?」
思わず戸惑ってしまう青年。振り返った彼が見たモノは、花束を強く抱えて大きく息を切らしながら目を腫らす少女の姿だった。
まるで彼女の想いに呼応しているかのように、空に広がる雲は色濃さと分厚さを増し、今にも落ちて来そうだった。
「大、丈夫?」
青年はそんな少女の表情にも気後れすることなく、変わらずに笑顔で聞いていく。だがたった一歩、歩み寄り距離を詰めようとした瞬間、少女は同じように一歩下がってしまう。そこでようやく、自分が彼女にこんな辛そうな顔をさせているのだと気付いた。
自覚したその事実に顔を歪め、それでも恐れることなく彼女へと真っ直ぐ想いを放っていった。
「ごめんなさいッ! 僕が、君を困らせてしまったばっかりに……ッ!」
突如深々と頭を下げる青年に、未来の思考は更に困惑する。悪漢から自分を救い出してくれた彼に対し、未来が責めることなど何もない。自らの心の乱れが引き起こした事だと言うのに、彼は自分の行いが軽率で愚かだったと言いながら大きく頭を下げていたのだ。
「ち、違います……! 貴方が悪いんじゃない……誰も、悪いんじゃ……」
またも被らせてしまった。自責とともに謝罪する彼の姿に、最も大事な人の幻影を。
それは眼前の彼に対して失礼だと思ったのか、それとも重ねてしまった『彼女』の幻影に惑わされてしまったからか……。
「誰かが悪いなんてことはなかったのに……。みんなただ必死に、生きることを諦めずに頑張って、歌って、守護ってくれただけだったのに……!
どうして翼さんは……クリスは……響は……――ッ!!」
取り留めもなく、事情を知らぬ者には到底理解し得ない言葉を吐き散らす未来。その言霊が彼女を逃げ場のない思考の坩堝へと落とし込んでしまう。そして天までもが、痺れを切らせたかのように大粒の雫を落とし始めていった。
僅かな時間で雨は強く振り出し、少女と青年を濡らしていく。その雨はまるで、少女の想いを代弁しているかのようにも感じられた。言葉にすら出せなくなった彼女の感情が往き場を失い、涙になって零れ落ちるかのように。
最早雨粒とも涙滴とも判らぬものが、未来の眼尻から頬へと流れそうになる。だが――
「――あっ……」
青年は何も言わず、小さなハンカチで潤んだ未来の目頭を優しく拭い去った。自分も同じように濡れているにも拘らず。そしてそのまま冷えた手を握り、降り注ぐ雨など事も無げに微笑みながら語り掛けていった。
「……どんなに辛い状況でも、
「え……」
「僕が、尊敬する大先輩から教えてもらった言葉。それで全てが上手くいったわけじゃないけど、僕を支えてくれる言葉の一つになっているんだ」
彼の言葉を未来は黙って聞いていた。あまりにも前向きで非現実的で、しかしとても強い言葉だと思った。なんだかそんなところまで、『彼女』が言いそうな言葉だとも。
その言葉を聞いていると、少しだけだが先ほどまでの心の乱れが収まったようでもあった。
「僕は君に起こった悲しみの理由を知らない。こうして涙を拭うだけで、悲しみの元を取り去ることも出来ない。だけどせめて……君がそこまで想う大切な人たちのことは、信じてあげて。
たとえ、世界の誰もがその人たちを信じなくなっても……世界の誰もに忘れられようとも」
その言葉は、捉えようによっては未来の心に追った傷を深く抉るものだったのかもしれない。
何よりも大切な人を、かけがえのないモノを信じれなくなるなど――忘れてしまうなど、何があっても有り得ない事だ。だからこそ彼の発言には強く異を唱えようと、反射的に考え口を開きかけた。しかし……
(――なんで、そんな見透かしたような……)
彼の真っ直ぐで澄んだ目を見た瞬間、起きそうになった怒りの感情も凪のように消えてしまっていた。
彼は見透かしたのではない。識っていたのだ。
信じる心が不可能を可能にしてきた様を……。それが、勇気という絶大な力に変わるという事を。他の誰でもない”彼”は。
「……ごめん。君の気持ちを考えれば、言うような事じゃなかったかもしれない。だけど、忘れないでほしかった。無くさないでほしかった。
【本当に大事なもの】を信じるっていう、何よりも大切なことを」
雨の中にはあまりにも不釣り合いな、優しく爽やかな笑顔を向ける青年。彼に何か言葉を返そうとした矢先、郊外へ向けて走るバスが近くのバス停に到着した。未来が乗るつもりだった車輌だ。
何処かそんな雰囲気を読み取った青年は、起ち上がり彼女の背を押すように声をかけた。
「気を付けて。行ってらっしゃい」
雨の中、最後まで爽やかな笑顔を崩さずに放った彼に向けて小さく会釈をし、小走りでバスに駆け込んでいった未来。バスはすぐにエンジン音を上げ、走り出していった。
郊外の目的地に向かう為にはバスの乗り継ぎが必要だった。ベンチだけが置いてある小さなバス停……そこに辿り着いた時には、既に未来の体は雨で濡れ切っていた。
街中の時よりも更に強さを増す雨の中、傘もささずに居たらそうもなろう。だがそれすらも意に介さぬように、未来はただ次のバスが来るのを待っていた。
先ほど出会った青年のことなど、既に思考の中から消え去っていた。まるで、雨と共に流れ落ちていったかのように。
窓の外を流れる風景は、すぐに雨にも負けぬ流麗さを失い荒廃とした惨状に変わって来た。約3週間前の大規模な認定特異災害の発生跡である。
その風景を見る度に、未来の胸中は重く昏い影を落としていく。新しく繋がった友達を、憧れの先に繋がった先達を、そして何よりも大切な親友を喪ったことを、否が応でも思い出してしまうからだ。
溜め息すらなくボンヤリと外を眺め続けていると、やがて彼女の目的地……共同無縁墓地近くのバス停が近付いたことを報せるアナウンスが流れた。
考えることなく停車ボタンを押す。数分後、到着と共にバスが止まり扉が開く。未来は雨で濡れたその身体から水を滴らせながら、ただ淡々と降りていった。
石階段を上がった先、墓地の半ばに建てられた真新しい墓。美しい花で彩られているも、名前すら彫られていない寂しい墓標。飾られた一枚の写真は、土草で汚れたあどけない少女の気の抜けた表情をしている。
それだけが、
何も変わらない場所。変えようのない無機質な石塊。少女はその前で、崩れ落ちるように膝をついた。押さえつけていた感情と共に涙は止め処なく溢れだし、嗚咽と未練の声を上げていく。
「――会いたいよ……ッ! もう会えないなんて、私は嫌だよ……ッ! 響ィ……ッ!
私が見たかったのは、響と一緒に見る流れ星なんだよ……ッ!? ううぅ……うああぁぁぁぁ……ッ!!」
雨音に掻き消されながらも哀哭の声を漏らし続ける未来。だが突然、それら全ての音を吹き飛ばす轟音が鳴り渡った。
思わず顔を上げる未来。一瞬周囲を回り見るが特別なにも見当たらない。だが今の轟音は、僅かにだが助けを求める悲鳴は、確かに彼女の耳に届いていた。
思わず立ち上がる。近くで誰かが助けを求めている事に気付き、一歩踏み出したところで足が止まってしまった。恐怖ではなく、自分の中で動く意味を問うために。
自分が行ってどうなると言うのか。何の力もない自分に、一体何が出来るというのか。
大きすぎる理不尽の前には、奇跡を纏い歌った彼女らでもどうにも出来なかったというのに――
(忘れないでほしかった。無くさないでほしかった。【本当に大事なもの】を信じるっていう、何よりも大切なことを)
さっき聞いた言葉が突如として蘇る。
そこから引き出されるように映し出されてきたものは、亡き大切な親友がいつものように見せてくれていた明るい笑顔の数々。彼女の生き抜いた証――胸の歌が導いたもの。
足は独りでに、悲鳴があった方へと走り出していった。
電柱に衝突した車から這い出てきた女性と、其処に迫っていた特異災害であるノイズの小規模な群れ。絶対的な死に直面し恐怖に慄く女性の手を握り、すり抜けるように手を引いて走り出す未来。力強く大地を蹴って、一秒でも早く遠くへ行くために。
(諦めない――絶対にッ!)
絶えず浮かぶは親友の顔。彼女にとって本当に大事なもの……『生きることを諦めないで』と言い残して言葉。
だが全力での走駆は、かつて鍛えていた未来はともかく手を引かれるままの女性にとってはものの数分で限界が訪れていた。
「あぁ……私、もう……」
「お願い、立ってッ! 諦めないでッ!!」
強く激励をするも、女性に起ち上がる力は残っていなかった。其処へ迫る極彩色の異形の群れ。ヒトを殺す為だけに存在する世界の”雑音”。絶対的で確実な死の象徴を前にして、膝を付いた女性は遂に諦観に支配されたのか意識を落としてしまった。
そんな彼女の前で、未来は小さな手を可能な限り大きく広げその身を盾にしていた。理解っている。そんな事をしていればどうなるかなど。ノイズに触れられた瞬間その身は炭化し、黒い塵となって風と共に消えていくだろう。
だが、理解っていてもなお止めようとしなかった。止められるはずが無かった。死への恐怖を押さえ付けてでもこうする理由が、彼女にはあったのだから。
(信じてる……。本当に大切なもの……響の事を。響がやって来た【人助け】を。それは決して間違いなんかじゃないってことを……ッ!)
確殺の概念であるノイズに対し、それはちっぽけな意地だったのかもしれない。自らの身を捨て誰かを守護る、前向きな自殺衝動だったのかもしれない。
だとしても、それを成してきた者たちを知っているから。
その為に血を吐きながらも歌い続けた大切な人の姿を、覚えているのだから。
『生きることを諦めないで』と、
ただその想いだけが、小日向未来の持つ最も強い力なのだから――。
――どんなに辛い状況でも、
瞬間、爆音と共に極彩色のノイズたちが一匹残らず黒灰と化し消えていく。
呆然とした未来が見たのは、三つの光。坂道の上、その光たちが降りたところに眼をやると、最後に降りた一つから声が聞こえてきた。
とても聞き馴染みのある……それでいて、この三週間聞くことが無かった声。
もう二度と、聞くことが出来ないと思っていた声を。
「……ごめん。色々機密を守らなきゃいけなくて……。未来にはまた、本当の事が言えなかったんだ」
申し訳なさそうに笑う少女。その姿を、その笑顔を見た瞬間未来の眼から涙が溢れ出した。
そこに居たのは他ならぬ……彼女にとって本当に大切なもの――
響の名を叫びながら力一杯に跳び付き抱き締める未来。涙を流しながら歓喜と怒りが入り混じったように声を上げ続ける彼女を響は優しく抱き留め、微笑ましくもあるその姿を同じシンフォギア装者である翼もクリスも、彼女らを送る為に車に乗っていた弦十郎や慎次も、二人のその姿を優しく見守っていた。
――そして、物陰でもう一人。街中で未来と出会った一人の青年もまた、その喜ばしい姿を笑顔で見守っていた。
やがて踵を返し、気付かれぬよう立ち去っていく。その時にポツリと、彼女らに向けてある言葉を投げかけた。
彼にとって、幾千の時が経とうとも決して忘れることのない言葉を。
「……『君の、”日々の未来”に、幸多からんことを』――」
end.