無免ライダーが超人血清(仮)でパワーアップした結果   作:磯野 若二

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流水岩砕拳

  子供が泣きべそをかいている。

 

  F市の大通りの近く、大きな並木が連なる街路でのことだった。

 

 

  燦々とした太陽の日差しを遮る並木の下で、男の子の潤んだ目は、上の方へと向いていた。

 

 

  その先にあったのは、広がる枝葉に引っかかった赤い風船。

 

  飛び出たブロックに躓いた幼児が、咄嗟に手を開いた隙に逃げてしまった物だ。

 

 

  その子の傍らにいた両親は、今にも泣きそうな我が子の様子に困り果てた様子だった。

 

 

  取ってあげたいのは山々だが、風船は地面から五、六メートルは高い位置に引っかかっていた。

 

 

  飛び跳ねても到底届かない場所にあり、登った大人の体重を支えられそうに無いほどに幹は細い。

 

 

  代わりの風船を買おうにも、先ほど風船売りがいた場所から大きく遠ざかっている。

 

 

  辺りを見回したが、似たような物を売る露店商は居なかった。

 

先週の事件で台無しになった三歳の誕生日のかわりに遊びに出かけた帰り、最後の最後でケチがついてしまった事に夫婦は心を痛めていた。

 

 

  口を結んだ息子を慰めるように、母親は小さな柔らかい手を優しく包む。

 

  仕方なしに息子を連れ出そうとした父親は、ぐずる息子へと手を伸ばそうとした。

 

  「大丈夫ですか? あの枝に引っかかった風船は任せて下さい!」

 

 

  そんな父親の背中に、声がかけられた。

 

  溌剌とした青年の声に振り向いた父親は、その人物の姿を認識した瞬間、大きな驚きに襲われた。

 

 

  息子の手を握っていた母親も同様に、驚きで声も出せなかった。

 

 

  驚かせてしまった事を詫びながら、青年は乗っていた自転車を邪魔にならないように停め、鍵をかけた。

 

 

  リング錠が、かしゃんと軽やかな音を鳴らす。

 

 

  眦に大きな涙の粒を溜めた子供の視界に、ゆっくりと歩いてきた一人の青年の姿が映る。

 

 

  緑のヘルメットにゴーグル、黒いスーツに橙のプロテクターを縫い付けた、背の高い男の姿。

 

 

  気づいた子供の視点に合わせるように、大きな身体を小さく屈めた彼は、ゆっくりと優しげな口調で語りかける。

 

 

  「風船を取ってくるから、少しだけ待っててくれ」

 

 

  安心させるように微笑んだ青年は、目を丸くした両親に後ろに下がるようお願いした。

 

 

  呆然とした様子で返事をし、ゆっくりと親子は後ろへ下がる。

 

  それを確認した青年は、腕を後方へ振り上げながら上体を沈み込ませ、溜め込んだ力を爆発させるように、大きく飛び上がった。

 

 

  親子の髪が揺れるほど、大きな風が巻き上がる。

 

 

  強弓から放たれた矢のように、青年の身体は上方へと昇っていく。その高さは、ゆうに五メートルはあった。

 

 

  軽やかに跳んでいく青年は、ぐんぐん近づく赤い風船に手を伸ばし、持ち手の紐を掴み取る。

 

 

  割れないように丁寧に抱え直した青年は、二階建てと同じ高さから落下していくにも拘らず、彼は人を巻き込まないよう気を配る余裕があった。

 

 

  徐々に加速しながら地面へと迫っていくが、彼は上手に膝を畳んで着地し、跳ね返った衝撃を上に逃がすように立ち上がる。

 

 

  軽やかな動きで風船を取り戻した彼は、すっかり泣き止んだ様子の子供に風船を手渡すと、自転車のもとへ戻っていった。

 

 

  後ろに銀色の円盤を備えた彼の背に向けて、話題の有名人に遭遇したショックで口が固まっていた両親よりも先に、明るい子供の声がお礼を述べた。

 

 

  「ありがとう、むめんライダー!」

 

 

  その言葉を聞いた青年ーーB級九十位ヒーロー"無免ライダー"はサムズアップで答えた。

 

 

  その後の恐縮しきった両親の感謝と親子の声援を貰った無免ライダーは、バイク顔負けの速度で街中を走っていた。

 

 

  車の流れにすいすいと乗る無免ライダーはひどく目立っており、道行く人たちからの視線を集めている。

 

 

  現在、無免ライダーの話題は世間を騒がせていた。

 

 

  一撃でビルを破壊するほど強大な力を持つテロリスト集団へ真っ先に立ち向かい、最終的には勝利をもぎ取ってみせたヒーロー。

 

 

  血反吐に塗れ、誰よりも酷い怪我を負いながらも復活した勇者の姿。

 

 

  ランキング一位とはいえ、C級ヒーローでありながらA級ヒーロー顔負けの功績を上げたのだから、その驚きも一入(ひとしお)であった。

 

 

  明らかな変貌も話題を呼んでおり、筋トレが成功した、ステロイドの結果、悪の秘密結社からの改造手術など、様々な噂が飛び交っている。

 

 

  だが、おおむね市民は、無免ライダーの鮮やかな活躍に好感度を大きく高めていた。

 

 

  信号待ちで自転車を止めれば、記念写真をせがまれるほどだ。

 

  事件の後を調べる為やパトロールを兼ねてヒーロースーツを装着していたが、これは間違えたと無免ライダーは後悔した。

 

 

  今回は多くの警察官やヒーローが身を挺して戦った事もあり、自分だけが特別扱いされるのは違和感や罪悪感があった為だ。

 

 

  行く先々でサインおねだり攻撃を食らったり、小さな人助けを行いながらもあって、無免ライダーは目的地に中々近づけずにいた。

 

 

  どうにかファンの包囲網を突破して自転車をこぎ出した無免ライダーは、商業地から高層ビルが軒を連ねるオフィス街へとやってきた。

  ここまで来ると周りは忙しいビジネスマンが多くなるので、声を掛けられる事は極端に減る。

 

 

  怪人の出現や事故の発生を注意しつつ道路を走っていた無免ライダーは、視界の端に奇妙な人物を捉えた事により、進路を変えざるを得なかった。

 

 

  リクルートスーツを着たその男は、採用試験の実施を掲げている会社のビル前に居り、ブツブツと何かを呟いている。

 

 

  緊張しているのだと分かるが、身長二メートルを超えるスキンヘッドの厳つい男がやっていれば怪しいとしか言えなかった。

 

 

 

 

 

  それは、数日前世間を震撼させたテロリスト達の頭目であった男、ハンマーヘッドだった。

 

 

 

 

 

  事件現場からは遠く離れている為か気付く者は居ないようで、無免ライダーは混乱無き今の現状にとりあえず安堵した。

 

 

  つるりとした後頭部に絆創膏を貼り、自身無さげな表情をしているハンマーヘッドの様子に疑問を抱いた為、無免ライダーは余計な騒ぎを起こさぬよう慎重に自転車を進め、目立たない場所に自転車を止めてハンマーヘッドに近づく事にした。

 

 

  「・・・志望した理由については、御社の企業理念に深く共感し、社会に貢献していきたいと考えているからでありまして・・・」

 

 

  近づいてみれば、面接練習をしている事が分かった。だが、以前は働きたくないと豪語していたと知っているだけに、無免ライダーは今の状態が余計に気にかかっていた。

 

 

  声をかけてみれば、ビクリとした様子で振り返り、驚愕の表情で無免ライダーの顔を凝視する。

 

 

  「お、お前は無免ライダー! いや待て、俺は悪い事してるんじゃない。ちゃんと心を入れ替えて働こうとしているんだ! 勘違いするなよ!」

 

 

  大慌てで(まく)したてるハンマーヘッドに色々聞きたい事はあったが、無免ライダーは一つだけ聞くことにした。

 

 

  「その心変わりは何があったんだ?」

 

  「・・・お前と戦ってから、俺にも色々あったんだよ。きちんとコツコツ働こうって母ちゃんたちにも誓ったしな」

 

 

  無免ライダーとの対戦で懲りたのか、その後よほど恐ろしい目にあったのか。

 

 

  どこか遠い目をしながら神妙な顔で語るハンマーヘッドは、嘘をついているようには見えなかった。

 

 

  言葉を端折っていたので事情は全然掴めなかったが、悪事を働くつもりが無いだろうと判断した無免ライダーは、一言声をかけ、その場から立ち去った。

 

 

  受付社員の声かけにより続々とビルの中へ入っていく人の群れ。それに混じっていくハンマーヘッドを確認した 無免ライダーは、ペダルを漕ぎ出す。

 

 

  風のように街中を駆ける無免ライダーの目標は、戦闘技術を高めることだった。

 

 

  垂直で五メートル近くを跳ぶなど、肉体については文句のつけようが無い。あるのは一つ、無免ライダー自身の中身についてのみ。

 

 

  今の彼は、喧嘩殺法じみた素人程度の技術しか無い。背中に仕舞(しま)った変形チャリンコ"ジャスティス号"を盾として扱う為にも、彼自身が技を身につける事は必須だった。

 

 

  そのために無免ライダーが選んだのは、彼の育ったZ市にある、一つの道場。

 

 

  それは、中心街から遠く離れ、自然を色濃く残す地域にある幾つもの山々のなかでも、一際険しい高山を登った先にあった。

 

 

  舗装されていない、踏み固められただけの地面を走っていた無免ライダーは、目指す山の麓へと辿り着く。

 

 

  人の世を遥かに超える年月を風雨に当てられた為か、地層を晒した断崖絶壁の独立峰。

 

 

  首を限界まで持ち上げなければ見えない高さに、目的の道場の姿が小さくあった。

 

 

  道端の草むらの近くに自転車を止め、無免ライダーは登ることにした。

 

 

  石を削り出して作られた千段近くある階段を苦もなく登っていく。

 

 

  道中、厳しい岩肌に木々が根づいていたが、丁寧に掃かれているお陰で階段に枝葉が積もっておらず、歩くのに支障を(きた)すことは無かった。

 

 

  途中振り返ってみた無免ライダーは、Z市を一望できるほどの高さまで来ていた。

 

 

  晴天のもと、パノラマのようなZ市の眺めに怪人などの姿は無く平和だった。

 

 

  知らず深呼吸をした無免ライダーは、気持ちを澄ませて残りの階段を早足で登る。

 

 

  普段から自転車を漕ぐ無免ライダーの大腿筋は、その力を十二分に発揮して、すらすらと彼の身体を目的地へ運んでいた。

  また、メタルナイトに注入された薬剤の効果により、筋肉に疲労が残りずらくなっている事も理由の一つである。

 

 

  千段近くある階段を二十分ほど掛けて登り、無免ライダーは黒瓦を()いた木造の建物の前まで辿り着く。

  主殿を表に置き、後方の左右に小さな建物を付属させた造りは、現代ではあまり見慣れない。

 

 

  どこから訪ねるべきか迷ったが、無免ライダーは正面の建物から声をかける事に決めた。

  入り口に至るための階段は数段ながらも、無免ライダーの心臓は激しく脈打っている。それは、ここに居を構えた人物への敬意が強くあったからだ。

 

 

  曰く、武道界の大御所にして最強の一角。

 

 

  流水の動きで翻弄し、激流の一撃で巨岩を粉砕する拳法の達人。

 

 

  そして、ヒーロー協会が認定したプロヒーローでも最高の武を誇る超人。

 

 

  戸を開いた先にいたのは、勇名を轟かせる一人の老人だった。

 

 

  「お、もしかして入門希望者かのう?」

 

 

  S級三位ーー"シルバーファング"。

 

 

  軽い身のこなしで道場の拭き掃除を行っていたシルバーファングは、緊張で固まっていた無免ライダーをリラックスさせる、気さくな口調で話しかける。

 

 

  「流水岩砕拳のバング先生に、弟子入りしたく参りました!」

 

 

  無免ライダーの少し固めな挨拶の言葉に、現在唯一の弟子であるチャランコに新しい後輩が出来ると嬉しそうにしながら、シルバーファングーー本名バングは無免ライダーを道場に招いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  無免ライダーのB級昇格は、一般市民だけで無く、プロヒーロー達にも衝撃を与えた。

 

 

  プロヒーローは、所属するランクで一位になれば昇格できるが、その座は、特定の人物の称号として、長らく不動のものとされてきた。

 

 

  A級一位"イケメン仮面・アマイマスク"。

 

 

  B級一位"地獄のフブキ"。

 

 

  そして、C級一位"無免ライダー"。

 

 

  彼らが立ちはだかる壁となり、各ランクの人数が大きく変動する事は無かった。

 

 

  だが、無免ライダーがC級一位の座を降りた事により、B級、C級のランカーたちは俄かに活気づくことになる。

 

 

  C級ヒーローたちは、今まで目の上の痣瘤(たんこぶ)が居なくなり、B級昇格への道が大きく開いた事に喜んだ。

 

 

  B級ランカーたちは、新たに増えるであろうライバルたちに対して、今以上の努力が必要になり、新たに気を引き締めた。

 

 

  高みにいるA級ヒーローは、新たなライバルとなるであろう無免ライダーの力量に大きく着目し、その力の原因に考えを巡らせることとなった。

 

  自らの勢力を拡大せんと画策するヒーロー、新たな必殺技を生み出さんとするヒーローなど。

 

 

  ヒーロー業界に、小さくない波紋が広がっていた。

 

 

  そんな中、全く気にせずにヒーロー活動に励むものが一人。

 

 

  「来ないならこっちから行くーー」

 

 

  「ここにいた」

 

 

  それは、奇しくも無免ライダーと同じZ市にいた。

 

 

  街を混乱に陥れた忍者を一瞬で倒し、とぼけた顔で明日の心配をする禿頭の青年。

 

 

  C級ヒーロー最下位の三八八位。

 

 

  ヒーロー・"サイタマ"。

 

 

  誰よりも低いランクながら、誰よりも強い男。

 

 

  立ち塞がる強敵を一撃で瞬殺する彼が、本来の歴史よりも早く表舞台に登場することになろうとは、誰も察することは出来なかった。

 

 




・ハンマーヘッド就活への流れ
組織の口封じでバトルスーツが自爆。
混乱に乗じてハンマーヘッドが逃げ出す。

忍者「ゼニールの使いだ」
埼玉「一身上の都合によりお前を倒す」
組織「わざと泳がせていたのだ。馬鹿な男め」

ハンマーヘッド「母ちゃん、俺、ちゃんと働くよ(泣)」

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