無免ライダーが超人血清(仮)でパワーアップした結果 作:磯野 若二
街を恐怖に陥れた桃源団の事件から三日後、街は急作業で修復の手が伸びており、平穏を取り戻しつつあった。
雲ひとつない青空の下。
しかし、F市のとある病院の一室だけは、ひどく重たい空気が漂っていた。
その原因は、病室で寝かされた青年を睨んで動かない見舞客の雰囲気によるものが大きい。
「・・・・・・」
監視カメラに手足を生やして座らせたような様子に、青年ーー無免ライダーはすっかり参っていた。
桃源団との激闘後、すぐに倒れ伏した無免ライダーは病院へと担ぎ込まれ、十時間近くにわたる大手術で一命を取り留める事が出来た。
全身打撲、胴体部分の粉砕骨折、出血多量など、煮込んだ豚バラのような全身ぐすぐすの重症で社会復帰は不可能と言われた無免ライダーは、今やリクライニングベッドを傾けて背もたれにして、雑誌や新聞を読めるほどに回復していた。
この常識外れの回復力は、鍛えられた身体をもつ無免ライダー自身のそれが、投与された薬により何十倍にも高まった事によるものだ。
彼のベッドに置かれた新聞の記載には、無免ライダーによって桃源団が鎮圧されたとある。
幸いにして死者は無く、重傷者も一人(無免ライダー)のみ。
誰も命を落とさなかったという意味で無免ライダーは安堵していたのだが、彼の目の前にいる人物は随分と不満が溜まっているように見えた。
引き攣った笑みを浮かべる無免ライダーの姿を鋼の身体の表面に反射させながら、見舞客は淡々と音を発した。
「"パワー"デ大キク勝ル複数ノ相手ニ勝チヲ収メタ事ダケハ想定内ダガ、制圧時間、被害規模、損傷度ナド、ソノ他多クノ面デ予想ヲ大幅ニ下回ル結果トナッテイル。
ソノ事ヲ十分ニ反省シ活カス事ガ、オ前ノ課題ダ」
反響がかった壮年の男の声に、無免ライダーは身体が縮こまらんばかりであった。
無免ライダー自身の失態を叱り、周りの被害に心を痛めているような言葉だったが、その口調に感情は微塵も浮かんで無かった。
あるのは、実験結果に不満を抱く研究者のような冷徹な視線。
冷徹に状況を見つめ問題点を探す事だけにしか向いておらず、今の言葉も実験動物に刺激を与えるぐらいの意味しか持ち合わせていない。
モルモットを見るようなその態度を、無免ライダーはどうしても苦手にしていた。
「あなたのおかげで桃源団に立ち向かう事が出来ました。ありがとうございます。
感謝を述べた無免ライダーに対した反応も見せず、見舞客ーーメタルナイトは、顔面部分にあった二つの穴を彼に向けて、更に音を投げかけた。
「今回ハ君ノ身体能力ヲ測ル良イ機会ダッタト考エヨウ。
ダガ、次モ不甲斐ナイ結果ヲ残シタ時ハ、オ前ニ渡シタ物ハ返シテ貰ウ」
アレハ貴重ナ金属ナノダカラ、と最後に言い残し、メタルナイトの操るロボットの姿がゆっくりとぼやけていく。
筆で色を重ねていくようにしながら、メタルナイトの姿は五秒もかからずに消えた。
パイプ椅子を視界の真ん中にとどめたまま、彼はメタルナイトの言葉から、自身の力不足を痛感していた。
今の無免ライダーには技術が足りない。高性能の肉体を最大限に活用する為の知識が必要だった。
退院したら武術などを学ぼうと決意した無免ライダーは、ふと自分の腕を見る。
ほんの数日前とは違い、長く、しなやかに伸びた男の腕。
無免ライダーは、癖でかけていた眼鏡を外す。
視界も広くなり、それでも以前より明瞭に物の細部を捉える事ができていた。
大きく変わってしまった肉体なのに、その変化に一切戸惑いを覚えない自分の身体が、無免ライダーは恐ろしかった。
彼に注ぎ込まれた薬についてが、彼の心を悩ませていた。
常識外れの身体能力、感覚器官の向上。
見た目に現れていないだけで、自分は既に"怪人"へと変わったのではないかという恐怖が、心の中に巣食っていた。
怪人とは人類の敵となる脅威存在の総称であるが、その正体は人間であったケースが多く確認されているのだ。
だとすれば、もう既に自分は怪人なのかもしれない。
いつかは自分の意識を切り離し、怪物として人々に襲いかかるかもしれないと考えると、震えが止まらなかった。
多くの被害を出す前に、決着をつけたほうがいいのではないか。
そんな暗い考えが頭の隅から這い出てくる。
その時、無免ライダーの病室の扉の外から声がかけられた事によって、思考の悪循環は引っ込められた。
「おはようございます。お見舞いに来た者ですが、お入りしてもよろしいでしょうか。」
すらすらと話す女の言葉に不意を打たれた無免ライダーはすぐに眼鏡をかけ直す。
考え事をしていたせいで多少声が上ずりながらも、入室の許可を出すことが出来た。
失礼しますと丁寧に入ってきたのは、結い上げた金髪を複雑に三つ編み等で後ろにまとめた、涼やかな美貌の女性だった。
後ろ手にゆっくりと扉を閉め、ワンレンズ型のサングラスを外しながら、女性は自己紹介をする。
「はじめまして。ヒーロー協会のケイトと申します。"無免ライダー"様へのお見舞いに参りました。」
スカートスーツをきっちりと着こなし、微かに笑みを浮かべるケイト。"出来る女"の見本のような女だった。
予期せぬ訪問客に驚きながらも、無免ライダーは丁寧な口調で椅子に座るように提案した。
"怪人"について考えていた途中にヒーロー協会の職員が来たせいで挙動不審気味だった無免ライダーは、ケイトの笑みが若干強張っている事に気づく事が出来なかった。
先ほどまでメタルナイトが座っていたパイプ椅子に腰を軽く下ろしたケイトは、無免ライダーにお見舞いの品を渡しながら、彼の容体について聞いてきた。
それに対して、メタルナイトの事は匂わせずに回復の具合を話す無免ライダー。
普段通りの誠実な態度に戻った彼の様子を、ケイトは観察するようにじっと見つめていた。
「そんなに怪我の様子が酷く見えますか。」
「いえ。普段はヒーロースーツでわからなかったのですが、意外と身体がかっしりしていますね」
ケイトの指摘に、無免ライダーの表情が固くなった。
彼は投薬の影響で、一七〇センチから一八○代後半まで身長が伸びていた。
肩幅も相応に大きくなっており、上体を上げた今の状態では
何か言いたげなケイトの様子に焦った無免ライダーは、別の話で誤魔化す事にした。
「最近筋トレの成果が出始めまして。それのせいかメガネのフレームが合わなくなったのが悩みですね」
「それは災難でしたね」
「ええ。せっかくなのでボレイのスポーツタイプに新調しようかと」
「ボレイは元々スポーツメーカーですから、オススメだと思いますよ。あとはバレンシアやライバンなども似合うかもしれないですね、あとーー」
強化された視力でケイトの胸ポケットに掛けられたサングラスのブランドロゴを読み取った無免ライダーは、どうにかして、そちらの方に話題を変えようと努力していた。
「ですが、やはりボレイの方がデザインという点で私の好みですね。あの未来的なーー」
なぜかメガネの話をしながら、二人は穏やかに談話していた。
最初の時よりも雰囲気が心持ち柔らかくなったケイトだったが、話がひと段落したのをキッカケに、表情を締めて切り出した。
「そういえば、申しあげるのが遅れてしまいました。本日は、無免ライダー様のお見舞いと合わせて、B級昇格のお話をさせていただきたいと」
その言葉に、思わず彼は拳を握る。
無免ライダーは有名だったのは、その誠実な姿勢もあるが、長くにわたりC級一位の座を動かなかった事にもあった。
C級は、ヒーロー協会の科した試験を合格したプロヒーローが例外を除いて最初に登録される階級であり、その人数は約四百人にも昇る。
週一回の活動をしなければ除名させられるC級は最もランキングの入れ替わりが激しいクラスとなっているが、その中でも、無免ライダーは半年近くにわたりC級一位の座から大きく離れた事がなかった。
「ご存知の通り、各クラスの一位ヒーローは、上級クラスへの昇格権が与えられます。
今まで無免ライダー様は昇格を辞退しておりましたが、今回のご活躍によりB級昇格を熱望する声も高まっております。
もちろんお断りしても何ら問題はありませんが、出来れば昇格を考えてみてはと思い、お邪魔させて頂きました。」
C級一位は、ヒーローの登竜門たるB級へ。
B級一位は、一流ヒーローの代名詞たるA級へ。
そしてA級一位は、スーパーヒーローの称号であるS級へ。
それぞれ、昇格権を与えられていた。
よりランクの高いヒーローになれば報奨金も上がることや、C級ヒーローにとっては週一活動のノルマから解放される事もあって、昇格権を与えられてすぐに次のランクへ足を踏み出すヒーローが殆どだ。
だが無免ライダーはそれを断り、長らくC級ヒーローとして活動してきたのだった。
その原因は、彼のコンプレックスーー自身の弱さに悩んでいたせいだ。
自分はB級ヒーローでは通用しない。
正義の味方であろうと努力し、数え切れないほど倒れてきた彼だからこそ、その思いは強かった。
だが、以前の彼と、今の彼は違う。
「今回は、B級昇格を希望したいと考えています。」
彼はこの戦いで、自分の力を実感し、覚悟を決める事が出来た。まだまだ強くなれると確信していた。
今はまだ弱いけれど、いずれ強くなれるという自信がついた。それがB級昇格する理由である。
「ご了承いたしました。本来であれば役員による面接がございますが、今回は素晴らしい活躍をした特例として、それらを免除してB級昇格することが可能です。」
今までと違う無免ライダーの姿に目を見張りながらも、ケイトは審査委員会からの言葉を伝えた。
目的を達した為だろう。ケイトは腕時計を確認し、長居したことを詫びて席をたった。
慇懃な仕草でお辞儀をし、帰りの挨拶をしたケイトへ無免ライダーは会釈を返す。
ケイトが病室から帰り、無免ライダーはやっと一息つく事ができた。
どうにか誤魔化せたと安堵した無免ライダーは、ケイトからお見舞いに手渡された紙袋の存在を思い出す。
高さ五十センチほどの大きな紙袋には段ボールの箱が横にして入っており、取り出した感触が軽さや音は、おそらく菓子の類では無い事を無免ライダーに伝えていた。
段ボールを丁寧に開けた彼が目にした物は、様々な柄、様式の手紙の山だった。
目についた一つを優しく開けて見ると、それは無免ライダーに対して感謝の言葉を連ねたファンレターだった。
助けてくれてありがとう。かっこ良かった。
無免ライダーは、最高のヒーローだ。
早く怪我を治してね。頑張って。
丸っこい字のものや、角ばった字。薄い筆跡や濃いものなど、その人の個性が表れた手紙の数々に、無免ライダーは思わず顔がほころぶ。
それらを長い時間かけて読んでいた無免ライダーの心の中は、次第に、窓から覗く雲ひとつ無い澄み切ったものへと変わっていった。
部屋から出てすぐ、ケイトは携帯電話を取り出して凄まじい勢いで何かをタイピングしていた。
確かな足取りでエレベーターに乗り、病院のエントランスを抜けて建物の外へと進む。
メールらしき形式のそれには、無免ライダーに対面した時の印象などが、事細かく書き込まれていた。
彼の人格や印象などが書かれたそれには、彼が変貌した理由が書いておらず、代わりにこのような文が残されている。
『今後、無免ライダーに対して更なる調査が必要。最悪の事態を想定しながら、慎重に進めていく。』
そう打ち込んでメールを送信した彼女は、後ろに聳える病棟を見上げる。
大人しい顔立ちの青年を思い浮かべたケイトの表情には、一瞬だけ、哀しげな色が映し出された。
すぐさま
誤字訂正
最悪の"辞退"を〜→最悪の"事態"
訂正してくれた方、報告ありがとうございます!