設定や簡単な解説は後書きにて。
澤ちゃんはいいぞ!
「遅れちゃったな」
放課後の廊下を、梓は玄関へと急ぐ。
無論走りはしないが、話しながらのんびり歩く何人もの生徒を追い抜きながら。
いつもなら練習を始めている時刻であり、今日も例外ではない。
真面目な彼女が遅刻するなど、普段であればあり得ない事だ。
が、梓は戦車道の副隊長以外に新学期から別の役目に選ばれていた。
学級委員長。
大洗女子学園では立候補ではなく、推薦で選ばれる。
リーダーシップがあり、真面目な梓が推される事になったのは必然とも言えた。
梓自身は辞退しようとしたが、副委員長に選ばれたクラスメイトからも懇願されては断り切れず。
戦車道チームの副隊長と二足のわらじを履く羽目になっていた。
今日は間近に迫った生徒会役員選挙についての会議があり、どうしても出席せざるを得なかった。
それでも会議終了と同時に部屋を出て、少しでも遅れを取り戻そうとするあたりが梓らしいとも言える。
……と。
梓は自分の前に二人、同じように急ぎ足の生徒がいるのに気付いた。
偶然ではなく、連れ合いのようだった。
何処かで見たような気がする梓だが、後ろ姿だけでは特定が出来ない。
そう思っていると、会話が耳に入ってきた。
「もう! えりがのんびりしてるから遅れちゃったじゃん!」
「そう言われましても。花壇の手入れは大切なんですよ、安祐美さん」
「それはそれ! 西住先輩、軍神なんて呼ばれる人だから怒ったら怖いよきっと」
「そうですかね。優しそうな方ですし」
どうやら、二人ともに戦車道履修者のようだ。
梓もまだ全員の名前と顔は一致させられてはいない。
その点、みほは例の特技を存分に発揮して全員をしっかりと把握しているようだ。
最も、沙織と華にみほらしいと笑われていたりするのだが。
「じゃあ、副隊長の方はどうなのさ。確か、同じ一年生だよね?」
「ええ、澤さんですね。真面目な方と伺いましたが」
「ヤバいじゃん、それ。やっぱ怒られるのかな」
声を掛けようとした梓は、思い止まった。
自分がどう思われているか気にならない訳ではなく、悪いとは思いながらもついつい聞き耳を立ててしまう。
「優秀な方なのは間違いないですね。あの西住先輩直々の指名とか」
「じゃあ、次期隊長って事? そういや、あのチームは渾名があるって聞いたっけ」
「『大洗の首狩り兎』でしたっけ」
「くわばらくわばら。そんなチームの車長だからきっと怖いって。急ぐよ!」
「ちょっとお待ち下さいな!」
後ろ姿を見送りながら、梓はガックリと肩を落とす。
渾名については、梓も耳にしている。
全国大会の黒森峰戦で、ウサギさんチームはエレファントとヤークトティーガーを撃破するという大戦果をあげた。
あの活躍がなければ、IV号とティーガーの一騎打ちに持ち込む事すら叶わなかった……そう指摘する専門家もいた。
無論、弁慶よろしく立ち塞がった
梓達もそれは弁えていて、それで思い上がるような事はなかった。
それでも、渾名を賜る程活躍が評価された事はやはり嬉しい事には変わりない。
……が。
他校に恐れられるのなら兎も角、自分の学校でもその扱いとなると話が違ってくる。
ましてや、共に戦車道でチームメイトとなる人々にそう思われるのは尚更だ。
そして、そのリーダーは梓。
(私、そんなにみんなに怖がられてる……とか?)
凹みそうになり、梓はハッと我に返る。
「いけない! 急がないと!」
息を切らせながら、梓は戦車用倉庫へと駆け込んだ。
T-28を除いた全車両が既に出払っていて、いつになく広々としていた。
ハッチが開き、桂利奈が顔を出した。
「梓! 早く早く!」
「う、うん!」
姿は見せないが、車内で紗希も待っている筈。
梓は砲塔に登ろうとして、倉庫の隅にいる人影に気づいた。
戦車道用倉庫は実弾が保管されている上、重量のある戦車が走り回るだけに危険でもある。
興味本位から覗きに来る一般の生徒がいたりするが、基本的には立ち入り禁止区域。
それでも時折入ってきてしまう事があり、もしそうした生徒ならば梓の立場上看過は出来ない。
「桂利奈ちゃん、ちょっと待っててね」
「え? どーしたの、梓?」
梓は桂利奈に向けて手を挙げ、それから人影に向かって駆け出した。
向こうもそれに気付いたようだが、逃げ出す様子はない。
「あの!」
「は、はい!」
そこにいたのは二人連れ。
パンツァージャケットではなく、普通の制服姿だった。
「此処は戦車道履修者以外は立ち入り禁止ですよ?」
「いや、一応あたし達も戦車道取ってるんですが。な?」
「はい。実はちょっと遅刻してしまいまして……。西住先輩もいらっしゃらなくてどうしましょうかと」
梓は、聞き覚えのある声だと思い記憶を巡らせた。
そして、ついさっき見た二人連れだと気付いた。
話の一部始終を聞いていたとは言えず、一人気まずくなる梓。
彼女が黙っているので、二人は不安になってきたらしい。
「ごめんなさい! あたしが悪いんです、クラスで話し込んでしまって」
「ち、ちょっと何を仰いますの安祐美さん。あれはわたくしが」
「えりは黙って! こいつは何も悪くないんです!」
安祐美と呼ばれた娘が、頭を下げて謝り続ける。
「ま、待って下さい。遅刻は遅刻として、一先ず頭を上げて下さい!」
「や、やっぱり罰があるんだ。それなら、あたしだけで!」
「安祐美さん、それはおかしいですわ。副隊長さん、わたくしのせいです。安祐美さんはわたくしを庇っているだけなのですわ」
「で、ですから二人とも落ち着いて!」
「どーしたの、梓?」
「…………」
桂利奈と紗希が、三人のところにやって来た。
なかなか梓が戻らない上に、何やら騒がしいので気にしたのだろう。
やっと、頭を下げていた二人も静かになった。
「兎に角、まずは落ち着いて下さい。私は澤梓、副隊長をやらせていただいています」
「阪口桂利奈、操縦手でっす! あ、こっちは丸山紗希。装填手だったけど今は砲手やってます!」
「…………」
二人連れは顔を見合わせてから、頷いた。
「失礼致しました。わたくし、一年の片岡えりと申します」
「あ、あたしは同じく一年の吉田安祐美です!」
「片岡さんと吉田さんですね。遅刻はわかりましたが、こんな場所で何を?」
「はい。西住先輩も澤さんもいらっしゃらないようでして、どうしたら宜しいのかと」
「べ、別に隠れてた訳ではないんです。本当、何もわかんなくて……」
「そうですか。ちょっと待ってて下さいね」
梓はT-28に駆け寄り、ハッチから車内に潜り込むと無線機に手を伸ばした。
「こちら澤。あんこうチーム、聞こえますか?」
「はい、こちらあんこう。梓ちゃん、会議は終わったの?」
沙織の声で応答があった。
「はい。西住隊長はいらっしゃいますか?」
「みぽりんなら、車長集めて話をしてるよ。呼ぼうか?」
「いえ。私もこれから参加しますとお伝え下さい」
「了解。以上、通信終わり!」
マイクを置き、梓はハッチから上半身を出す。
「詳しい話は後にしましょう。片岡さん、吉田さん」
「はい」
「は、はい!」
まだ怖がられているのかと梓は落ち込みそうになるが、何とか気を取り直した。
「お二人も乗って下さい。片岡さんは通信手、吉田さんは装填手をお願いします」
「え?」
「ええっ?」
「紗希、桂利奈ちゃん。いいよね?」
「…………」
「あい!」
「あの、わたくし通信手はやった事がなくて」
「あたしも、装填手なんてわかりませんよ」
不安を隠さない二人に、梓は努めて笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ。誰でも最初は初心者ですから」
「…………」
「そーそー! 紗希も、乗れば楽しいって言ってますよ?」
「……それ、命令ですか?」
「え?」
安祐美が、怯えたように梓を見る。
「いきなりなんて無理ですよ。今までも、誰かについて貰って乗った事しかないんですから」
「そうですわね。安祐美さんと同じで、わたくしも一人では」
「……同じでしたよ、私達も」
「え?」
梓は砲塔から下りて、二人の前に立った。
「戦車道を始めた頃は、右も左もわからなくて。ね、桂利奈ちゃん?」
「操縦レバーとかスイッチとか全然わかんなかったもんね。動かすだけで精一杯」
「そ、そうだったんですか?」
「でもみなさん、とても慣れていらっしゃいますし。それに、最初は陸上自衛隊から教官をお呼びしたとか」
「教官……ね」
「あはは、確かに来て貰ってはいたね」
苦笑する梓と桂利奈に、えりと安祐美は目を白黒させる。
「いきなり実戦形式の模擬戦からだったんですよ?」
「しかもどうしたらいいかわからないから聞いたら、アバウト過ぎる事しか言わないし。大変だったよね、紗希?」
「…………」
コクコクと頷く紗希。
「じ、じゃあ西住先輩が指導を?」
「いいえ。その時はまだ西住先輩は隊長じゃなかったんですよ、吉田さん。それどころか、車長ですらなかったですね」
「あらあら。なら、どうやって指示を出していたのでしょうか?」
「河嶋先輩が隊長だったけど、なんか指示あったっけ?」
「なかった……かな? うん」
「……それで、良く模擬戦なんかやれましたね」
「全くですわ」
二人には衝撃の事実だったらしい。
大洗女子学園の生徒とは言え、戦車道チームに関しては派手な活躍ばかりが知られているのは当然かも知れない。
桃の支離滅裂な指揮ぶりとか、みほが無理矢理戦車道をやらされた経緯とか……新メンバーに積極的に知らせるような事でもない。
数年経ってから、思い出話として語られる事はあるかも知れないが。
「だから、未経験と言って尻込みする事はないんですよ? なんなら、車長やってみますか?」
「操縦もやるなら教えますよ! あ、紗希も教えるって言ってます」
「あ、いえ……」
「わたくしは、通信手でお願い致しますわ」
そして、二人は駆け足でT-28に向かって行った。
「どうしたんだろう?」
「さあ?」
「…………」
梓達三人は首を傾げつつ、後に続いた。
「遅くなりました、すみません」
「ううん、大丈夫」
IV号を見つけた梓は、桂利奈に横付けするよう指示。
桂利奈も見事な操縦を見せ、ピタリと並べてみせた。
その腕前には、見ていた麻子ですら感嘆の声を上げた程だ。
みほと梓は互いに砲塔のハッチから上半身を出し、話を始めた。
「そう言えば、ヘッツァーを見かけませんでしたが。何方が動かしてるんですか?」
「うん、優花里さんに車長をお願いしたの。二年の人を三人選んで貰って」
「そうでしたか。私も二人、装填手と通信手として乗って貰いました。報告が事後になってすみません」
「梓ちゃんが決めたのなら問題ないよ。今はいろんな事を試せる時期だし」
「そうですね」
「今日は習熟に充てる事にしたから、梓ちゃんもそのつもりでね」
「わかりました。では、行ってきます」
梓は砲塔に入り、車内を見渡す。
全員が梓に視線を向けていたが、特にえりと安祐美はさっきまでとは何かが違っていた。
「澤さん、西住先輩に本当に信頼されてるんですね」
「あたしも同感です。伊達に副隊長任されてる訳じゃないんですね」
みほの事だ、二人が遅刻した事も把握している筈だった。
だが、その事には一言も触れない。
梓を信じ、任せているという言葉にも嘘は感じられない。
面識のない二人にも、みほと梓が固い絆で結ばれている事を認識せざるを得ない。
その驚きと、幾分かの敬意。
二人の中には、それがあるのだろう。
「私には過分な扱いだと思います。ですが、いただいた信頼には全力で応えるしかありません。西住隊長のお役に少しでも立つように」
「吉田さん、片岡さん。梓は、毎日とっても努力してるんですよ? 頑張り過ぎじゃないってぐらいに」
桂利奈の言葉に、紗希も頻りに頷く。
「私は西住隊長のように人を魅了する事も出来ませんし、戦車道の経験も知識もまだまだ不足してますから。だから、いくら努力してもし過ぎる事はないと思ってます」
「……凄いですね」
「……本当に、副隊長はあたし達と同じ一年なんですか。信じられない」
そして、えりと安祐美は顔を見合わせて頷き合った。
それから、梓に向かい頭を下げた。
「澤さん。わたくし、感動致しました。通信手として、頑張らせていただきますわ」
「あたしも。装填手、一生懸命やります。色々教えて下さい!」
「え? は、はい」
あまりの勢いに引きながらも、梓は二人の想いを受け止める事にした。
「……では、最初に質問です。通信手の役目は何だと思いますか、片岡さん」
「はい。文字通り、他車との通信をしてそれを乗員のみなさんにお伝えする事でしょうか」
「確かにその通りです。ですが、戦闘が始まればそれをゆっくり遣り取りする余裕などなくなります。通信を正確に聴き、発信しなければそれが命取りになる事だってあるんです」
「……はい」
「だから機器の扱いに慣れる事は勿論ですが、それ以上に如何なる状況でも冷静に。そして正確に行動する事が求められる……私はそう思っています」
梓の一言一言を、噛みしめるように聴き入るえり。
「では吉田さん。装填手とは何でしょうか?」
「えっと……。主砲の弾を装填する役目……ですか?」
「そうですが、それだけでは駄目です。当たり前ですが、主砲は弾が込められていなければ目標を撃破する事が出来ません。そして、撃ち合いになればその速度が重要になります」
「はい……」
「ご覧になったかも知れませんが、黒森峰女学園との決勝戦で敵フラッグ車と一騎打ちになった場面です。西住隊長の指揮や冷泉先輩の操縦は確かに素晴らしいものでした。ですが、そこまで持ち込めたのは五十鈴先輩の砲撃で相手を上手く牽制したからでもあります。それを支えたのは、秋山先輩の素早い装填です」
「…………」
「お二人に限った事じゃないんですが、砲手や操縦手に比べて通信手と装填手は軽く見られがちです。でも、戦車に乗り込んだら役割に軽重なんてありません。……片岡さん、吉田さん」
「はい」
「はい!」
「繰り返しになりますが、私自身まだまだ経験不足です。西住隊長のように、的確な指示は出せないかも知れません。もしかしたら、お二人にはもっと適したポジションがあるかも知れません。ですが、今は目の前にある事に専念してみて下さい。私に教えられる事なら、何でも聞いて下さい。答えられなければ、答えられるようにしますから」
「畏まりましたわ」
「おっしゃあ、やってやる!……あ」
固まる安祐美。
それを見て、梓は微笑んだ。
「いいんですよ、普通にしていて下さい。それが普段の吉田さんなんですよね?」
「あはは……参ったな」
「うふふ、良かったですわね。澤さん、怖い方ではありませんでしたね」
「ち、ちょっとえり!」
自然と、車内に笑いが巻き起こる。
「じゃ、行きましょうか。パンツァー・フォー!」
「あいあいあいー!」
そして、練習終了。
えりと安祐美は、肉体と精神両方で疲労困憊。
すっかりフラフラになりながらも、表情は満足そのものだった。
「お疲れ様でした」
「今日はありがとうございました」
「じゃ、明日もよろしく!」
下校する二人を見送ってから、梓は倉庫に引き返した。
まだ、梓にはやるべき事があった。
「チーム名、どうしよう」
宿題という訳ではないが、とりあえずチームの体制が決まった事でみほから言われていた事もやらなければならない。
T-28の前に立ち、梓は考え込んでしまう。
「……せーの」
「わっ!」
「ひゃっ!」
いきなりの事に、梓は慌てて振り向いた。
「も、もう! びっくりしたじゃない」
「梓、また一人で悩んでるんだもの」
「だったら、驚かせちゃおうかなってぇ」
「私達にも相談してって言ったじゃない」
「あゆみ、優季、あや……」
「私も、梓に相談に乗って欲しいからお互い様だけどね」
あはは、とあゆみが笑う。
「そっか。じゃあ、私の話も聞いて貰える?」
「もっちろん! ね、紗希?」
「…………」
こうなれば、もう梓は悩んでいる余裕などない。
いつも通りに振り回されるのみ。
……が、それでいい。
梓に取っては、掛け替えのない仲間との時間なのだから。
翌日。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
朝練前の時間。
梓はみほの声に、手を止めた。
「梓ちゃん、何か……わあ、可愛い!」
「そ、そうですか?」
「うん! そっか、新しいチーム名決めたんだね」
「はい」
T-28の側面にペイントされたパーソナルマーク……それは、サングラスをかけたモグラ。
「モグラさんチーム、どうでしょうか?」
「いいと思うよ。ふふ、何だか嬉しいな」
「ええ、私もそう思います」
そう言って、梓は再び刷毛を手にした。
その様子を、優しく見守るみほ。
静かに、時間は流れていく。
新キャラの設定です。
◇片岡えり◇
学年:一年生
容姿イメージ:艦これの熊野
ポジション:通信手
趣味:読書、花壇の手入れ
好きな戦車:61式戦車
◇吉田安祐美◇
学年:一年生
容姿イメージ:艦これの鈴谷
ポジション:装填手
趣味:ランニング
好きな戦車:メルカバ
名前ですが、実在の女性野球選手からお借りしています。
お二方の名前を入れ子にしています。