戦車用倉庫の一角。
教室用の机や椅子が並べられ、ホワイトボードが置かれている。
そこに、各チームのリーダーが集められていた。
中心にいるのは勿論、みほと梓。
「……では、始めます」
やや緊張の面持ちで、梓はマーカーを手にする。
三年生が引退し、この場にいるのは二年生と一年生ばかり。
それでも全員の視線を浴びるというのは、なかなかに慣れないものらしい。
「まず、
一同からどよめきと拍手が巻き起こった。
T26の最終形をどうするか、議論の末にE4に落ち着いた。
大洗女子学園チームの身上はやはり変幻自在さと身軽さ。
重戦車とはいえ、そこは譲れないという事で重量の増してしまう
検討を重ねた結果、改良型の90ミリ砲を搭載したE4に。
とは言え、大洗女子学園チームで最大の火力を誇る事に変わりはない。
当然、期待の新戦力だった。
「大変だったけどね~。でも、コンディションは完璧だよ」
「お疲れ様でした、ツチヤ先輩。……車長ですが、西住隊長」
「うん。車長は島田愛里寿さんにお願いしようと思います、皆さんもいいですか?」
みほの言葉に、異論の声はなかった。
年こそ若いが、経験も実績もみほを上回る。
それに、大学選抜チームでは量産型である
ただでさえ未経験者を多く抱えてしまっている以上、反対意見など出る筈もなかった。
「……ないですね。愛里寿ちゃん、お願いね?」
「……わかった。でもみほさん、戦車は私一人じゃ動かせない」
みほは頷き、一同を見回す。
「新メンバーが加わって、皆さん大変だと思います。ですが、
「西住隊長、はっきり言って欲しい。うちのチームから、誰を動かすんだ?」
「カエサルさん……」
カエサルは帽子を被り直すと、みほを見つめた。
「メンバーが動いていないのは、あんこうとうち……それにアヒルさんだけ。そうだろう?」
「は、はい……」
「西住隊長の配慮なんだろうけど、それは無用だ。我らは例え別のチームになっても、魂で繋がっているからな」
カメさんチーム、アリクイさんチーム、レオポンさんチーム、カモさんチームは三年生が引退の為にメンバー入れ替えが発生。
ウサギさんチームは半分に分かれ、梓らがモグラさんチームに移った。
カバさんチームとアヒルさんチームがそのままだったのは、みほがこれ以上メンバーを入れ替える事により戦力の低下を危惧した事は確かだった。
だが、愛里寿に車長を任せるという事であればメンバーを未経験者のみという訳にはいかない。
彼女の求めるレベルは当然高いものになる事は明白であり、みほの悩みもそこにあった。
「西住隊長! アヒルチームも同じです」
「磯辺さん?」
「バレー部と八九式は切っても切れない縁ですが、お別れという訳じゃないですから。私達も出来る事は協力します!」
典子の言葉に、みほは頷く。
「梓ちゃん、どう?」
「え? あ、はい……」
「思うところを聞かせて。梓ちゃんの意見を」
みほの言葉に、一同の視線が梓に集まる。
戦車道を始めた頃の彼女なら、間違いなく気圧されていただろう。
……だが、みほに副隊長を任されてからの梓は明らかに変わった。
元々比較的冷静な性格ではあったが、更に磨きがかかったようにすら周囲には受け取られていた。
物事にいちいち動じているようでは、副隊長どころか車長としても不向きでしかない。
その意味でも、梓は着実に成長していた。
みほに試されている、梓はそう受け止めた。
「はい。一時的にチームごとの戦力が低下したとしても、避けては通れない事だと思います」
「私も賛成かな。じゃあ、誰をどう動かそうか?」
「…………」
梓は両チームのメンバーを思い浮かべた。
車長であるカエサルと典子は除外。
他のメンバーは、それぞれに持ち味がある。
みほの腹案は聞かされていないが、もし齟齬があるなら指摘があるに違いない。
そう思いながら、梓は考えをまとめた。
「カバさんチームから、野上先輩を。アヒルさんチームから、近藤さんでどうでしょうか?」
「おりょうか」
「うちからは、近藤……」
「はい。三突の砲撃はやはり今後も鍵となりますから、そうなると砲手である杉山先輩は動かさない方がいいかと」
頷くカエサル。
「八九式は火力こそ落ちますが、偵察や撹乱……牽制には欠かせない存在です。河西さんと佐々木さんはそのままにしたいと思います」
「じゃあ、近藤は通信手として?」
「いいえ。ただでさえ不慣れな選手が多い中ですし、通信手は車長と兼任でいいと思います。愛里寿ちゃん、どう?」
「私は構わない。みほさんと梓さんの判断に従う」
「……うん、ありがとう。砲手か装填手、どちらかを任せたいと思っています」
典子と愛里寿の反応を確かめてから、梓はみほに目を向けた。
みほは首を傾げてから、
「梓ちゃん。私達……あんこうチームはどうするの?」
そう問いかけた。
再び、全員の視線が梓に集まる。
「あんこうはそのままで行きましょう」
「そう考える理由は?」
「言うまでもなく、あんこうチームは私達大洗女子学園の象徴であり最強のチームです。全国大会も、大学選抜チーム戦でも最後はあんこうチームが飾りました。もし誰かを入れ替えたとして、西住隊長の思う通りに動けるメンバーが他に作れるとも思えません」
あんこうチームのメンバーは、一人ひとりが大洗女子学園の中でも飛び抜けて優秀な選手揃い。
経験も多く積んでいる事から、車長として配置すれば戦力アップの期待もある。
だが、Ⅳ号は単なる隊長車ではない。
これに手を付ける事は容易いが、結果として絶対的エースを欠く事になっては本末転倒。
それはみほに問われる以前から、梓の信念と言っても過言ではなかった。
「ただ……」
「うん」
「西住隊長以外の方にも教官役はお願いしたいと思います。つきっきりは無理でしょうけど、少なくとも私達の時とは事情が異なりますから」
「そうだね。いきなり戦車を動かせとか実戦形式で練習とか、無茶だものね」
みほの言葉に、カエサルや典子達が苦笑する。
何もかもが手探り状態だったとはいえ、今から考えても亜美の指示はメチャクチャだった。
そのアバウトな訓練から何とかしてしまった彼女達もまた、尋常ならざる存在としか言えないのだが。
「じゃあ、そうしよっか。優花里さん達には、私からお願いしておくから」
「はい、お願いします」
「メンバーの割り振りは、梓ちゃんの意見に賛成。磯辺さん、カエサルさん……いいですか?」
「はい!」
「現状を鑑みるに、やむを得ないだろう」
「ありがとうございます。他に……」
と、みほが言いかけた時。
ドサリ、と何かが倒れる音がした。
「あゆみ!」
慌てて駆け寄る梓。
他の面々も、驚きながら近寄った。
「あゆみ! 大丈夫?」
「さ、澤さん。と、とりあえず落ち着きましょう。動かさない方がいいです」
カメさんチームの智子が、カバンから計器を取り出した。
そして、手慣れた手つきで脈を測ったり呼吸を確かめたりし始めた。
その様に、一同が呆気にとられてしまう。
「……だ、大丈夫みたいですね。とととりあえず、保健室に……」
「……えっと、上野さん? その診察器具とか、いつも持ち歩いてるの?」
「へ? あ、あああっ、す、すいません西住隊長! こ、これは私物でして……その……」
「あ、別に怒ってるとかじゃなくって。どうしたのかなぁ、って」
苦笑するみほ。
「あ、はははい! ち、父が開業医でして……その。使わなくなった聴診器とかを、も、貰ったりしてまして」
「そうなんだ……」
「そ、そんな事より。ははは、早く保健室に」
「西住殿ーっ! 担架持ってきました!」
優花里と安祐美が駆け込んできた。
どうやら、みほが手配したらしい。
「……あれ?」
「気がついた?」
保健室のベッドで、あゆみが目を覚ました。
傍らに椅子を出して腰掛けていた梓が、ホッと息を吐く。
「私……一体」
「倒れたんだよ、ミーティング中に。気分はどう?」
「う、うん……。平気、かな。ごめんね、心配かけて」
「ううん、いいよ」
「あれ? でも練習は?」
「今日は西住隊長の講義にするんだって。実地だけじゃなくて座学も必要だしね」
「でも、梓は……」
「それも大丈夫だよ。他のリーダーにも許可貰ったから」
「そっか……」
溜息をつくあゆみ。
「でも、急にどうしちゃったの? 体調が悪いなら言ってくれたら良かったのに」
「…………」
「あゆみ?」
「梓……。私、やっぱりダメかも知れない」
「ダメって……?」
「……車長。梓の代わりなんて、私には無理だよ」
「そんな事ないって。あゆみはあんなに頑張ってるじゃない」
「違う! いくら頑張ったって私は……私……」
梓は絶句する。
いつものさっぱりした、快活な親友の姿はどこにもない。
涙こそ流していないが、その顔は暗く沈んでいた。
「あやや優季だっているじゃない。あゆみ一人じゃないよ?」
「でも、梓がいないじゃない。一緒にやりたかった……それだけなのに」
「…………」
「わかってるよ、これが私のワガママだって。チームは違っても、梓が近くで見ていてくれるって事も」
あゆみはボーイッシュな性格をしているが、反面ストレスを貯めやすい。
梓が副隊長に抜擢され、新たなチームを任された事も頭では理解していた。
ウサギさんを分けるとなった時、新たな車長に自分が任命された事にも驚きはしたが反発や不満があった訳でもなかった。
……が。
砲手と車長というポジションでは当然、求められるものが違う。
車内外の状況に常に目を配り、各担当に適切に指示を出す。
常に緊張を強いられるだけでなく、冷静さや咄嗟の判断力も問われる。
あゆみにそれがないとは言わないが、彼女の頭にはどうしても梓という存在がある。
勿論経験も実績もみほには及ばないが、大洗女子学園チームの中でも車長に相応しいのは誰かと尋ねれば間違いなく梓の名が挙げられるだろう。
そんな手本とも言える存在の後を任されたあゆみ、プレッシャーも相当なものだった。
だが、それを口にはできない。
車長が弱音を吐けばチーム全体に伝播するだけでなく、みほや梓もすぐに気づいてしまう。
二人の信頼を損なう事にもなるが、何より梓に余計な負担をかけてしまう……あゆみにはそれが怖かった。
「あゆみ……。辛かったんだね、気づかなくてゴメンね」
「梓は悪くないよ……。でも、でも……」
梓は立ち上がると、あゆみをそっと抱き締めた。
「梓……?」
「今は、私しかいないから。思いっきり、泣いてもいいよ?」
「…………」
「ね?」
「……ヒック。う、うわぁぁぁ!」
堰を切ったように、ボロボロと涙を流すあゆみ。
その背を優しく擦る梓。
静まり返った保健室で、ただ時間だけが流れていく……。
数十分後。
コンコンと、ドアがノックされた。
「あ、西住隊長」
「どう?」
「寝ちゃいました。……泣き疲れて」
「そっか。大した事ないみたいで良かったね」
養護教諭の見立てでも、一時的なもので医者に行く必要まではないだろう……との事。
明らかにストレスが原因であり、みほもそれを聞かされていた。
「ずっとそばにいたんだね」
「はい、親友ですから。……でも、こんなに悩んでいるのに気づかないなんて」
「だからじゃないかな。親友だから、大丈夫なんじゃないかって思い込んじゃったのかも」
「……かも知れませんね。あの、西住隊長」
梓は、居住まいを正した。
「うん」
「……あゆみの事なんですけど」
「車長交代、かな?」
「え? ど、どうしてわかったんですか?」
驚く梓に、みほは微笑んだ。
「言ったよね。距離が近すぎるから気づかない事もある、って。……最近の山郷さん、車長として悩んでいるようには見えたんだ」
「……そうでしたか。私、自分の事で精一杯だったんですねきっと」
「梓ちゃん、自分を責めるのは良くないよ?」
「でも……」
「私こそ、いつ切り出そうか迷っていたんだから。あんまりはっきりはいいにくい事だし」
「……西住隊長」
「いいよ、入って」
「失礼しま~す」
「失礼します~」
ドアが開き、姿を見せたのはあやと優季。
「二人共どうしたの?」
「あゆみが倒れたって聞いたから、それで」
「な~んか調子悪そうだったしねぇ」
「……そう」
「ほら、だから自己嫌悪に陥らないの。梓ちゃん、山郷さんを起こして貰える?」
「あ、はい。……あゆみ、起きて」
優しくあゆみを揺り起こす梓。
「……ん。……あれ、梓?」
「気分はどう?」
「……大丈夫。……あれ、西住隊長? それに、あやと優季まで」
あやと優季が、あゆみに向かって手を振る。
「すみません……西住隊長」
「気にしなくていいから。それよりも、山郷さんに大事な話があるの」
「……はい」
上半身だけ起こした姿勢で、背筋を伸ばすあゆみ。
「山郷さん」
「……はい」
「今日付けを以て、ウサギさんチーム車長の任を解きます」
「西住隊長!」
梓を手で遮り、みほは続けた。
「山郷さん、いいよね?」
「……わかりました」
「代わって、ウサギさんチームの車長だけど。宇津木さん、お願いできるかな?」
「え~っ? 私ですかぁ?」
指名された当人は、あまり驚いた様子もない。
物事に動じない、という事があるのかも知れないが……。
寧ろ、梓とあゆみの方が驚きが大きかったかも知れない。
「あの、西住隊長。あゆみの代わりが優季って……いきなり過ぎませんか?」
「そうです。確かに、私は車長失格かも知れませんけど……」
苦笑するみほ。
「誰もそんな事言ってないよ。それに、宇津木さんには前にお話したよね?」
「あれぇ? そうでしたっけ~?」
「そ、そうだよ。……大丈夫だよね?」
「わかりましたぁ。やってみます~」
「あははは……。それで、山郷さんだけど」
「……はい」
みほは、梓に目を向けた。
「モグラさんチームに入って貰おうと思うんだ。お願いできるかな?」
「え? でも、紗希は……」
「代わりに、丸山さんがウサギさんチームに。そう考えてるの」
「…………」
「今のままじゃ、山郷さんは戦力になれないから。でも、私達と一緒にこの学校を守った仲間だから。後はみんな次第だけど」
梓は、腰を上げるとみほに向き合った。
そして、頭を下げた。
「梓ちゃん?」
「……ありがとうございます、西住隊長。紗希には、私から話します。……優季」
「なぁに?」
「……車長、お願いね。できるだけ、私もフォローするから。あやも、サポートお願いね?」
「梓がそういうなら、頑張るよぉ」
「私もいいよ」
「ありがとう。……あゆみ、また一緒に頑張ろ?」
「梓……」
じわりと、あゆみの眼に涙が溢れ出した。