比企谷八幡の消失。   作:にが次郎

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驚愕の中に彼は1人、取り残される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球をアイスピックでつついたら、綺麗に真っ二つにカチ割れるんじゃないかと思うくらいに冷え切った朝だった。

 

 

徐々に意識が覚醒していく。カーテンの隙間から見える窓には霜が降りていた。それを見て、昨日よりも気温が低いことを確信し、布団を頭まで被る。あー、布団から出たくない。

 

 

昨日の材木座の話を聞いたおかげで、寝る前にいろんな妄想に耽ってしまった。先に言っておくが、いやらしいことではない。断じてない。

 

 

考えていたこと。それはリア充についてだ。

 

 

それは常に俺の憎悪を対象だった。しかし、彼らの内情に触れ、心情を理解し、そして彼らも俺と同じ人間なのだと確信した。別の生物だと思っていたわけではないが、俺とは違うものだと思っていた。

なぜそう確信したのか。それは少なからず現在の俺は彼らと同じことをしているから。

全く同じなわけではないが、人間関係に悩み、苦しみ、もがいている。

 

 

自分がこんなふうになるなんて毛ほどにも思わなかった。

別にリア充になったわけではないが、これほどに他人のことを考えているのはたぶん人生で初めてだ。

 

 

というわけで、現実逃避の意味も込め、現状の俺がリア充になったらなんて妄想に耽ってしまった。誰でもやったことあるだろう。あれだ、中学校のときにテロリストに学校を占拠された妄想みたいな感じ。

 

 

で、だ。

考えているうちにどんどん道を外れていき、深夜のテンションということも重なり、ここでは到底書き出すことのできない内容になった。俺と誰かの甘々な青春。例えば、文学少女との純愛。例えば、他校の生徒との明るく楽しい恋愛。リア充になった俺は……あぁぁああ!!

 

 

自分の恥ずかしい妄想を思い出して布団の中で身を捩る。

この作品はそういう作品ではない。

それは得意な方たちに任せよう。

 

 

 

ゴロゴロと身を捩っていると、足にモフモフした何かに触れた。

そのモフモフは俺に蹴られたことに腹を立てたのか、布団の中から這い出てくる。

 

 

そのモフモフ。正体はうちの飼い猫のカマクラだ。なぜ俺のベッドに潜り込んでいたのかはわからない。いつもは小町と寝ているはずなのだが。

 

まぁ理由はどうだっていい。間違って入り込んできたのだろう。それにしてもどうやって部屋のドアを開けたのかしら。ドアの方に目をやると、きっちり閉まっている。ということはカマクラは自分で開けて閉めたのか?カマクラよ。お前はいつの間にそんなに賢くなったのだ。

 

 

ベットから這い出たカマクラを一瞥すると、不機嫌そうにふすんと鼻を鳴らしている。ごめんね、蹴っちゃって。

 

カマクラはそのままドアの方にのしのし歩いて行き、腰を下ろす。そしてドアを爪でカリカリし始める。ここから出せという意味だろう。お前、自分で開けられるんじゃないのかよ。

 

 

そんな飼い猫の姿を見ていると、部屋の外をパタパタと軽快に駆ける足音が聞こえてくる。愛しのマイスイートシスターの登場だ。

 

その足音は俺の部屋の前で止まる。

ここから出せというカマクラの願いを聞き届けるようにドアが開け放たれる。

 

 

ガチャリと音を立てて開かれたドアの先にいたのは俺の知っている妹とは少し違うものだった。

 

 

「兄貴、そろそろ起きないと遅刻するよ」

 

「お、おう」

 

 

あ、兄貴?

そう俺を呼んだ小町の姿は俺の知っているものではない。着ている制服は少し着崩され、目つきはややキツめになったように見える。え?なに?どうしちゃったの、小町ちゃん?

朝で機嫌が悪いのかもしれない。それにしたって俺を兄貴なんて呼んだことはない。もしかして不良化した?いや、そんなわけない。昨日はいつもと変わらなかった。

 

 

しばらく小町の姿を見つめる。

あ!そうか。あれか。あれなんだな。

あれだよ、あれ。毎月大変だのう。画面の前のみなさんはもうわかりましたよね?

 

 

そんなことを思いながら、ボーッと小町の姿を見つめる。そんな俺に小町は訝しむ視線を返してくる。

 

 

「兄貴、髪染めたの?」

 

「髪?」

 

「いつの間にやったの?まぁそっちもいいと思うけど。あ、今の私的にポイント高い」

 

 

そう言った小町が浮かべた笑顔にはいつものあざとさなど微塵も感じられず、それよりもお姉さん感が強く出ていた。どうしたの小町さん?一人称まで変わってるってばよ。

 

 

「こ、小町……?」

 

 

ベットから半身を起こして、名を呼ぶも、小町は足にまとわりつくカマクラを抱き上げて、身を翻す。

 

 

「私はもう行くから。マジで早く起きないと遅刻するかんね!」

 

 

そう言い残して去っていく。

一体、なにが起きた。なにが小町を変えてしまったんだ!その原因を突き止めようとしてももう家の中には小町の姿はなかった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

なんとも言えない気分になりながらも、学校へ行く支度を始める。

 

 

洗面所で顔を洗い、何気なく自分の髪を見る。いつもと変わらぬ黒々とした髪についた寝癖を手櫛で治しながら、先ほど言われたことを思い出す。

小町は髪を染めたのかと聞いてきた。なぜそんなことを言い出したのか、まったく見当がつかない。

これまでの人生で髪を染めたことなど一度たりともない。まだ俺の髪はバージンヘアだ。

 

 

小町の言動や行動を寝ぼけているなんて理由では片付けるのは少々無理がある。

 

 

リビングに行くと、いつものように朝食が用意されていた。朝起こしに来て、朝食の段取りをしておいてくれるほどに世話親いてくれているのだ。グレてしまったわけではないのだろう。それに小町が漂わせていた謎のお姉さん感。あれは一体なんだったのだろうか。

姿形は小町でも、中身はまるで別人。いや、しかしいつものポイント高い云々の発言はあった。全てがまるっきり違うということではないのか。

 

 

いつもと違う妹の言動や姿にやや頭を悩ませる。

 

 

こんなに深く考えるべき事柄ではないのかもしれない。小町はまだ中学生。何かをきっかけにイメチェンでもしたくなったのかもしれない。ほら、そのくらいの年頃って意味もなくそういうことしなくなるじゃん。突然、影のある主人公を演じてみたくなったり。もしや小町の奴、厨二病を発病したのか?ちょっと遅くないですかね?

 

 

受験生の癖になにやってんだかなんてことを思いながら、制服に袖を通す。

 

 

今日帰ってきたら、それとなく聞いてみるか。

 

 

手早く朝食を済ませ、家を出る準備を完了させる。

戸締りを確認し、自転車に跨って学校へと向かう。

 

 

今日も今日とて自転車を走らせる。

なぜ俺はこんなにも苦行を強いられているのだ。マジで寒い。

どんなに辛いことでもやり続けていれば次第に慣れていくなんて聞いたことがあるが、この寒さにまったく慣れる気がしない。なんなら慣れるのに諦めてもう家から出なくなるまである。

毎年やってくるシベリア寒気団の連中もまたにはルートを変えたらいいのに。

 

 

日本の四季に不満を抱きつつ、自転車を漕いでいるどうも俺です。

 

 

キコキコと気怠げにペダルを漕いでいると、いつの間にか学校付近までやってきていた。

俺の通っている道の先には我が校の生徒たちの姿がたくさん見える。その中にまたあの茶色いコートの後ろ姿を見つけてしまう。やばい。何がやばいってまじやばい!

 

またあいつに捕まれば、どうせデートする彼女の話をされるに違いない。またあの惚気話にも似たものを聞かされることになる。それは避けねばならない。なぜかって?そんな話を聞けばまた夜な夜な現実逃避に走ってしまいかねない。

 

 

俺は自転車から降りて、先に歩く材木座に追いつかないように押して歩く。しかし、次第に材木座との距離は縮んでいく。その理由。それは材木座の足取りがとても緩やかなものだったから。なぜそんなにゆっくり歩いているのかはわからない。が、材木座は時より立ち止まり、咳き込むような仕草を取っている。もしや、風邪を引いたのか?

 

 

そんなことを思いながら、自転車を押していると、とうとう材木座に追いついてしまった。そうなってしまった以上、一応は知った顔である材木座を無視するのはなんだが気が引けた。

俺はらしくもなく、こちらから声をかける。

 

 

「よう」

 

「……」

 

 

材木座はこちらを一瞥しただけで、挨拶が返してくることはなかった。

材木座はマスクを着用している。やはり風邪を引いたのか。あの材木座が声も出せないほどに消沈している。ということは結構重病なのだろう。そんな状態で学校に来るとはなかなか気合が入っている。逆に考えればいい迷惑だが。

さらに言えば、こいつの右に出る者はいないというほどにヘタレで通っているはずの材木座。今のこいつの姿からは普段の様子からは少しかけ離れる印象を受けた。

 

 

俺は言葉を発しない材木座にさらに問いかける。

 

 

「風邪か?」

 

「……」

 

 

またも無視。少々苛立ちを覚えるも、この程度で憤慨する俺ではない。声を出せないほど落ち込んでいる。もしや、あの彼女とのデートがご破算になったのではあるまいな。

少しばかりデリカシーに欠ける発言だが、それよりもその件が気になり、口に出てしまった。

 

 

「なんでそんなに元気ないんだ?もしかしてデートの件、ダメになったのか?」

 

 

材木座はそう尋ねた俺の顔を少しばかり睨みつける。そしてようやく口を開いた。

 

 

「君は何を言っている?デートとはなんの話だ?」

 

 

そう言った後、ゲホゲホと咳き込む。中々に重症だ。この分だとデートがご破算になったのも当たりのようだな。風邪とダブルパンチをくらった感じか。ああ、可哀想に。

あれだけ威勢良く公言していた手前、俺と顔を合わせるのは心苦しかろう。いつものキャラも消え失せてるし。

 

 

「そうか。まぁ気を落とすな」

 

 

励ましのつもりで言った言葉に余計腹が立ったのか、材木座は歩くスピードを早めて先に行ってしまった。

 

 

そうか。余程、ショックだったのか。しかし、材木座には少し申し訳ないことしたか。次、顔を合わせたときに謝るか。まぁその頃にはあいつも普通に戻ってるか。

 

 

少しばかり罪悪感を覚えつつ、学校に到着した。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

いつも通り、下駄箱で上履きに履き替え、教室へと向かう。

 

 

その道中、なぜか多数の視線を感じた。が、気にしない。こんなものは過剰な自意識からくる勘違い。というか昨日、あんなことを考えたせいだ。

 

 

少し足取りを早めて教室へと辿り着く。既に大半の生徒が登校している。

まただ。なんというか、これまでの異物を見るような視線とは違う。何と言い表せばいいのか。こんなものを向けられたことがない。

 

 

俺は出来るだけ平静を装って自分の席に向かう。

机の上に鞄を置いて、椅子を引き、席に着こうとする。だが、すぐに声をかけられた。声のする方へと目を向けるとそこにはこのクラスに所属している男子生徒の姿があった。

 

 

「えっと、そこ、俺の席なんだけど」

 

「は?」

 

 

何とも間抜けな声で返答してしまった。喋ったことのない人間に話しかけられたからではない。

この男子生徒は何を言っているのか、それが理解できなかったからだ。俺の知っている限りで昨日の時点で席替えなどは行われていない。では、なぜこんなことを言ってきたのか。ああ、あれか。お前の席ねぇから!的な感じか。しかし、俺の前に立っている男子生徒は一見大人しそうでそういったいじめの類を行うようには見えない。だが、見た目で判断するのは良くない。人は見かけによらないって言うしな。

 

 

俺はその理由を尋ねる。

すると、その男子生徒は少しだけ引き気味に答える。

 

 

「いや、ここはずっと俺の席だよ。比企谷くんの席はあっち」

 

 

そう言って教室の後ろの角の方に指を指す。何を言っている。そっちは葉山たちの席だろ。それに何だってそんなに怯えるような顔をする。その顔はカースト下位の人間が上位の人間に向けるようなそんな顔。一体なぜ?それにだ。俺の名前を間違えずに呼べる人間がこのクラスにいなかったはず。

 

 

それなのにこいつは正しく俺の名前を呼んでいる。

名前を正しく覚えてもらえることは本来なら嬉しいことだ。なのに今の俺には異質にしか感じられない。

 

 

おかしい。何かがおかしい。

 

 

朝からそうだ。小町や材木座の変調。

それにこの男子生徒や俺の知らない席替え。それに皆から向けられる謎の視線。なんなのだ、この状況は。

 

 

理解し難い現状に俺の思考は停止する。

 

 

なぜこんな状況に至っているのか。思いつく限りの様々な要因が頭を過る。俺は困惑のあまりその場に立ち尽くすことしかできない。すると、俺に後ろから声がかかる。

 

 

「比企谷くん。おはよー」

 

 

聞き間違えることなど絶対にない。だが、俺の知っているその声の主は俺をその名では呼ばない。俺は今、持ち合わせているすべての勇気を振り絞り、振り返る。

そこには想像を絶する光景があった。

 

 

「ん?どうしたの?あ、髪黒くしたんだ!」

 

 

彼、いや彼女と呼ぶべきなのだろうか。彼女の口から発せられた言葉は俺には届いていない。

彼がそれをふざけて着用しているならば大いに似合っているし、天使を超えてもう女神様と言っても過言ではない。しかし、俺の知ってる彼ならばそんなおふざけはしないだろうし、おそらく嫌がる。だが、彼はそれを平然とやってのけている。それがあたかも当たり前のように。

 

 

彼の登場は今、現在、俺の身に何か異変が起きていることを決定付けることになった。

 

 

「比企谷くん?なんか顔色悪いけど、大丈夫?」

 

 

そう言って一歩近づき、心配そうな顔つきで手を伸ばしてくる。

俺はその手を後ずさるように避ける。俺の行動を見て、さらに心配そうな顔をする。やめろ。そんな顔をしないでくれ。お前は男の子だろ?お前は女の子じゃない!

 

 

そう。俺の目の前にいる人物。

それは女子生徒の制服を着た戸塚彩加。

 

 

俺が知っている戸塚よりも幾分、髪が伸びている。身長や体格にそれほど変化はない。しかし、なにより彼が女の子になっているのを決定付けた点。それは彼の胸部だ。本来あるはずのないその控えめな膨らみが彼の変貌を決定的なものにした。

 

 

どういうことだ。一体何が起きている。なんで戸塚が女になっている。意味わかんねえ!

もしこれが壮大なドッキリなら納得がいく。しかし、この男子生徒と俺に接点など何1つない。戸塚だってこんな趣味の悪いドッキリを仕掛けたりはしない。

 

 

ただ呆然と立ち尽くす俺に後方からさらに声をかけられる。

 

 

「八幡?なんでそんなことに突っ立ってんだし」

 

「うっす!八幡!」

 

「ハロハロ〜。ハチハチー」

 

 

俺の目の前に現れた3人。右から三浦、戸部、海老名さん。風貌は全く変わらない。しかし、以前の決定的に違う点がある。なぜ、彼女らはこんなにも俺に親しげに話しかけてきている。これではまるで友達のようではないか。俺とお前らはこんなにも仲良く朝の挨拶を交わせる間がらではないはずだ。

 

 

誰1人として、俺の名前を間違って呼んだりはしない。そのことが堪らなく気持ちが悪い。

 

 

やめろ。なんなんだ。お前ら。

ドッキリだと言うのなら、もうネタばらしの時間だろう。既に最高のリアクションが取れているはず。もう取れ高は出た。

 

 

気が付けば、近くの机にぶつかってしまうほど後ずさっていた。その間にも彼ら彼女らは俺に言葉を投げかけてくる。

なぜそんな視線を送ってくる。どうしてそんなことを言う。それでは友達の急変に心配しているようではないか。

次第に教室全体の視線がこちらに向く。どうしてだ。昨日までチリほどにも気にしていなかった人間になぜそんな温かい眼差しを送っている。

 

 

俺にそんな資格はない。あるわけないのだ。

文化祭での事件で俺は学年全体からそういう目で見られていた。なのに、その当事者である相模でさえも、心配するような眼差しを送っている。おい、忘れたのか?俺はお前に最低なことをしたんだぞ?

 

 

違う。そうじゃないんだ。やめろ。

俺にそんな権利はない!

 

 

そうだ。俺ではない。こんな視線を送ってもらえる権利を持つ人間は別にいる。葉山だ。このクラスの中心人物であるあいつなら納得できる。あいつなら皆に心配され、声をかけてもらえる。

 

 

俺はふと、あることに気がつく。

 

 

葉山がいない。

 

 

なぜ葉山がいない?

 

 

黒板の上にある時計に目をやる。

いつもならもう登校していてもいい時間だ。だが、奴の姿は教室内にはない。

 

 

俺は掠れる声を捻り出して、彼らに尋ねる。

 

 

「は、葉山はどうした?」

 

 

ようやく発せられた言葉に皆一様にキョトンとした顔を作る。おいおい、嘘だろ。お前らが大好きな葉山隼人だぞ?

 

 

「葉山?戸部、知ってる?」

 

「うーん、海老名さんは?」

 

「まぁこのクラスの人ではないよね。えーと、何組の人?」

 

 

嘘だろ。あの葉山を忘れたってのか。しかし、こいつらが演技しているようには見えない。それにここにもう1人いない奴がいる。

彼らの困った顔や仕草にとうとう耐えきれなくなってやや強い口調で問い質す。

 

 

「おい、嘘だろ?それに由比ヶ浜はどうした?」

 

「由比ヶ浜?」

 

 

またも一様に首を傾げる。

は?もう意味わかんねえよ。由比ヶ浜もいない?もしこれがドッキリだとしてもうその趣旨がわからない。戸塚だけだって計り知れないインパクトがあったのに、なんであいつら2人の存在を消す必要がある。カースト最上位のこいつらが俺にドッキリを仕掛けるなんてことが最初から理解できない。1つ可能性があるとするなら由比ヶ浜だ。あいつが皆に頼んで俺をドッキリに嵌めようとした。あいつがそんなことをするとは到底思えない。かなり強引な解釈だということはわかっている。しかし、その可能性である由比ヶ浜までもいない。

 

 

この状況はなんだ。確かに昨日の夜、自分がリア充になる妄想はした。それが現実になったとでも言うのか?いや、こんな妄想はしていない。俺と誰が恋に落ちるような妄想はした。でもあいつらの存在を消すようなことはなにも考えていない!

 

 

俺はそれきり言葉を失ってしまった。

理解の範囲を超える事態に完全に機能が停止してしまったのだ。

 

 

そして、今、俺の目の前で起きていることがすべて現実だと知らしめる人物が登場する。

 

 

その人物は短いスカートを翻し、皆に挨拶を交わしながら、俺の前にやってくる。

 

 

「あっれー?みんななにやってんのー?」

 

 

その女子生徒は三浦たちにも挨拶を交わす。そして俺を一瞥。

 

 

「え?なに?どうしたの比企谷。大丈夫?」

 

 

勝手に口から言葉が出ていた。

 

 

「お、折本……」

 

「よっす」

 

 

現れた折本は笑顔で軽く手を挙げ、そう言った。

彼女はうちの高校の制服を着用している。なぜだ。頭で考えるよりも先に口が動く。

 

 

「な、なんでお前がここにいる……?」

 

「え?なんでって言われても。あ、もしかしてあれ?新しいネタ?」

 

「ネタでもなんでもねえよ!答えろ!なんでここにいる!」

 

 

突然、憤慨する俺にもう周りはドン引き状態。比企谷くんどうしたのー?なんて声がちらほら聞こえてくる。もうそんなもんどうだっていい。

 

 

問い質された折本は困ったように答える。

 

 

「マジでどうしたちゃったの?頭打ったとか?」

 

「俺は真面目に聞いている!お前は海浜総合の生徒だろ!」

 

 

そう。今、俺の目の前に立っている折本かおりは本来、海浜総合高校の生徒。別の高校の生徒であるお前がどうして!

 

 

「比企谷ー、なに言ってんの?あたしはずっとここの生徒だし。1年の頃も同じクラスだったじゃん。それにあたしじゃあんな頭のいい学校行けるわけないし。同中なんだからあたしの学力ぐらい知ってるでしょ?」

 

 

折本は、”でも中学の時はあんまり関わりなかったから仕方ないかー”と続けた。

 

 

マジでなに言ってんだこいつ。

頭イかれたのか?偏差値で言うならうちの高校の方が上のはずだ。

 

 

もうダメだ。頭が痛い。勝手に息が上がっていく。

 

 

 

俺は自分の周りにいる人間たちを掻き分けて教室を飛び出した。

 

 

 

×××

 

 

 

教室を飛び出して、一目散に走って、俺が向かった場所。それはJ組だ。そこには雪ノ下がいる。

 

 

こんなに悪質なイタズラにあいつが加担するわけがない。

 

 

必死にそう自分に言い聞かせ、足を動かす。

 

 

葉山や由比ヶ浜がいなくなるわけがない。ましてや、俺がリア充の仲間入りなんてするはずがない。

 

 

あいつが、雪ノ下雪乃がすべてを証明してくれる。

 

 

今の俺にとってはあいつが最後の砦だった。どこまでも正しかったあの雪ノ下ならすべてを正してくれるとそう信じた。

 

 

 

しかし、そんな希望はすぐに打ち砕かれることになる。

 

 

 

廊下で駄弁る生徒たちの喧騒の中を走り抜け、ようやく辿り着く。

 

 

俺は自分の目を疑った。

 

 

 

俺の辿り着いた先に雪ノ下はおろか、国際教養課であるJ組そのものが消失していた。

 

 

 

「うそ…だろ……?」

 

 

 

教室自体はある。しかし、その中には人っ子1人いない。それどころか、机すら並んでいない有様。

 

 

本来並んでいるはずの机は教室の後ろに積み上げられ、教室名を記すプレートには何も書かれていない。

 

 

ここから確認できる限り、ここが昨日まで使用されていたようには思えない。すべてが綺麗に片付けられ、ここで生徒たちが授業を受けていた痕跡が何1つない。

この教室はJ組ではなくなっている。完全にただの空き教室だ。

 

 

俺の頭の中を困惑と恐怖が支配する。頬には冷や汗が流れていた。

 

 

なんなんだ。マジで意味わかんねえ。

J組の奴らは何処へ消えた。クラス丸ごとなくなってるなんてありえない。

 

 

もうドッキリなんて規模じゃない。

俺の身に起きている事態が本当に現実なんだと知らしめられた。

 

 

いや、理解などできていない。できるわけがない。

 

 

放心してと立ち尽くしていることしかできない。

 

 

一体、何が起きたというのだ。

 

 

俺は一瞬にして深い奈落の底へと突き落とされた。

 

 

 

 

 

 

 


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