どーも、にが次郎です。
佳境に入ってまいりました。
さて、更新途切れることなく最後まで走れるかどうか……。
では、どーぞ。
落ちかけた弱々しい陽が差す寒々しい廊下に向かい合うように座り込む。
服越しから伝わる冷え切った床の温度が少しだけ俺の思考を復活させる。
俺の目の前にはほんのり頬を朱色に染めた三浦がいる。
なぜここに三浦が?
その疑問を口に出す前に三浦が口を開く。
「八幡どうしたん?大丈夫!?」
「ああ」
俺の消え入りそうな掠れた声が彼女の心配を加速させてしまう。
「なに?何があったん?」
「大丈夫だ……」
「全然大丈夫じゃない!!」
声を荒げた彼女の瞳は潤み始めている。
場を取り繕うようにたいして意味の込められていない言葉を吐く。
「なんでここに?」
「戸部が八幡が戻ってきたって連絡くれたから」
戸部か。おそらく部活中に雪ノ下たちと校内を歩いている俺を目撃していたのだろう。
そんなことを考えていると、三浦は目線を下に落とし、呟くように言う。
「八幡、いきなりいなくなるし、それにかおりにあんなこと言って……」
三浦は掴んでいた肩から手を離し、俺の右手を強く握る。
「悪い」
そんなことしか言えない自分が嫌になる。
俺は自分のことしか考えていなかった。彼女がこんなにも心配をしてくれているというのに。まただ。また彼女の感情を無碍にしてしまった。すべてを汲み取ることができないことはわかっている。でも。
これまでの俺の行動はすべて自分のためだ。人の気持ちを無碍にしないように装ってきただけ。
逆に言うなら、皆が俺の気持ちを汲み取ってくれていたのだ。
彼女もその1人。
三浦は俯いたまま尋ねてくる。
「かおりのことはいい。冗談だってわかってるし。でもさ、八幡……」
言葉はそこで切られてしまった。
俺の手を握る力は弱くなっている。
情けないことに俺は何も言うことができない。
手に一粒の雫が落ちてくる。続けて一粒、二粒。彼女の肩は微かに揺れていた。
三浦は静かに涙を流していた。
それを目にして、言い表すことのできない罪悪感を感じた。
慰めるようなことも、その涙の意味も問うことはできない。
あんなにも激しかった頭痛は少しだけ収まりつつあるが、身体はまだ言うことを聞かず、彼女が流す涙を拭ってやることすらできない。
身体が動かないから。それだけが理由ではない。
慣れていないから。初めてだから。
そんな理由でもない。
こんな最低な自分にそんな資格はない。そう思ってしまったからだ。
俺は彼女らを欺き、嘘を吐いた。
仕方がない。しょうがない。
そんなもので自分を騙すことができなかった。
どんな理由があろうと、彼女は俺と同じ人間なのだ。俺と同じように心がある。
本当に今更だ。今更になってその心を傷つけた自分が許せなかった。
三浦はふーと大きく息を吐き出し、制服の袖で流れる涙を拭う。
そして何かを決意したように顔を上げて、俺を見据える。
「もう我慢できないから言う」
三浦はグイッと俺の方に詰め寄ってくる。
「何があったん?」
その言葉の真意をわかっていながら、俺はまたはぐらかすようなことを言ってしまう。
「大丈夫だ。ちょっと……」
「違う。今のことじゃない。全部!」
遮るように言われた言葉に気圧される。
三浦はゆっくりと、途切れそうになりながら言う。
「八幡、なんか変だし。なんていうか、全然違う!……わかんない。こんなこと言うのおかしいのわかってる。頭がおかしくなったんじゃないかと思われるかもしれないし。でも……」
彼女が何を言おうとしているのかわかってる。ずっと自分の中に押し込めてきた”疑問”をぶつけようとしているのだ。
もう取り繕うことも誤魔化すことも許されない。
瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。拭っても拭っても止まることない涙が俺に訴えかける。
それでいいのか?と。
三浦は流れる涙に構うことなく、真っ直ぐに俺を見据え、思いの丈を述べた。
「今の八幡は八幡じゃない。あの日から全然違う!八幡だけど……あーしの知ってる八幡じゃない!!ねぇ、あーしの知ってる八幡はどこに行っちゃったの?今の八幡は誰なの?」
「それは……」
「ねぇ、答えてよ!あーしの……あーしの”好きな八幡”はどこ行っちゃったの!?」
胸を貫く言葉で俺は理解した。
俺はこれまで皆から向けられている感情は葉山に向けられていたものだと思っていた。そう思い込もうとしていた。
でもそうじゃなかった。三浦が抱いてくれている好意は葉山からすげ替えられたものでも、ましてや誰かに作られたものでもない。
これは他の誰でもない比企谷八幡に向けられた好意だ。
この世界にも確かに俺はいたんだ。
必死にもがき苦しんで、たくさん傷ついて、もう1人の俺がようやく手に入れた”本物”だ。
それを掻っ攫うような真似をして、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回して、彼女に涙を流させた。
今の俺に”好き”なんて言葉を言ってもらえる資格はない。それは俺に向けられていい言葉じゃない。
この世界の俺が言われるべき言葉だ。
だからって逃げる気はない。
三浦が決死の思いで告げた言葉を踏み躙ることは絶対に許されない。
彼女にこんな思いをさせたのは全部俺のせいだ。
すべて俺に責任がある。
責任は取るべきだ。
だからちゃんと伝える。
大きく深呼吸をして、彼女の手をギュッと強く握る。
「三浦」
「優美子!」
「いや、三浦。俺にお前を名前で呼ぶ資格はないんだ」
三浦はしゃくりを上げる。それを必死に押し込めようと、口を噤み、歯を食いしばっている。
俺は言葉を選び、今、出せる限りの優しい声音で話す。
「悪い。お前に謝らなきゃならない。落ち着いて聞いてくれ。三浦の言う通り、俺は三浦の知ってる俺じゃない。まったくの別人だ」
俺の言葉を聞いて、閉じている口から声が漏れる。
「俺はお前を騙していた。俺は今、信じられない現象に巻き込まれていて、それを解決するために動いていた。俺は自分のことしか考えてなかった。自分が助かるためにみんなを利用してた。本当にすまない」
胸の奥が痛む。
許しを請う気はない。
それでも心を込めたつもりだ。
彼女を傷つけた、泣かせてしまった罪悪感が俺の言葉を遮ろうとする。
でもそんなものに負けるわけにはいかない。責任を取るとはそういう意味だ。
彼女が求めているものを取り戻す。
それが今できる最大の償いだ。
「それでな、三浦……」
「ダメ!!」
三浦は俯いていた顔を上げ、強く手を握り返してくる。
どうやら俺の言おうとしたことが先にわかってしまったようだった。
「ダメ!行かせない!絶対に行かせないし!」
「三浦……」
「意味わかんないっ!全然わかんない!でも絶対に行かせない!」
駄々をこねる子供のように彼女は言う。
「もうやだ!八幡が八幡じゃないとか意味わかんないし!でももういいの!八幡が八幡じゃなくてもここにいてくれればいいの!」
叫ぶようにそう言った三浦はまた俯いてしまう。
「三浦、ごめんな。でも俺は行かなきゃならないんだ」
「やだって言ってんじゃん……」
「俺はこの世界の人間じゃない」
「意味わかんない」
「悪い。でも帰らなきゃならないんだ」
三浦は愚図る子供のように首を横に振る。
その姿を見て鼻の奥がツーンと痛み出す。
ダメだ。俺が泣いていい場面じゃない。
込み上げてくるものを堪えるために口を噤む。それのせいでそれきり言葉が出てこなくなってしまった。
少しの沈黙。
それのおかげか三浦は少しだけ落ち着いたようだった。
顔を上げた彼女の瞳はまだ涙で濡れていた。目を赤くして、声は鼻声になっている。
三浦はため息をついてから諦めたように呟く。
「わかってたし」
「え?」
「最初からわかってた。でも八幡が何も言わないからあーしも何も言わなかった」
「悪い」
最初からと言うのは一緒に帰った日のことだろう。あの時も三浦は堪えてくれていた。
ちゃんと伝えよう。俺がやろうとしていることを。
「三浦。聞いてほしい」
「ん?」
「これは俺の推測だが、この世界の俺はちゃんといる」
「当たり前だし」
「その、なんというかだな」
「わかった」
「え?」
「八幡の言いたいこと。ちゃんとわかった」
彼女に伝えるべき言葉は言っていない。具体的なことは何1つ言っていない。
それなのに彼女はそれを理解したと言った。
三浦は少しだけ笑みを浮かべる。
「2年近く一緒にいるし。そんなの当たり前だし」
何も言わなくても伝わる関係。分かり合える関係。そんなものは幻想だと思っていた。でも今、実際に体現してしまった。
なぜかはわからない。その言葉は俺の心を温めてくれているような気がした。
三浦は握っていた俺の手を離す。
「行っていいし。その代わり」
「その代わり?」
「絶対戻ってくること。いい?」
「お、おう」
言葉は後に彼女は精一杯の笑顔を見せてくれた。わかっている。この笑顔は無理をしている。
彼女はちゃんと理解した上でそうしてくれているのが俺にはわかった。
また助けられてしまったな。本当、あーしさんには敵わない。
「ありがとな、三浦」
約束は必ず守る。
ここに戻ってくるのは俺ではなく、この世界の俺。
それが約束を守るということだ。
ここにいていいのは俺じゃない。
行かなきゃならない。
約束は守るためにはあの場所に行かなければならない。
いつの間にか身体は自由に動くようになっていた。
ふと、我に帰る。
すぐ目の前に三浦がいる。
こういう言い方をすると、いやらしく感じるが、今現在、三浦とはいろんな部分が触れ合ってしまっている。
なぜかそのことが急に恥ずかしくなり、立ち上がる。
そんな俺を見た三浦は尋ねてくる。
「急にどうしたん?」
「いや、なんでも」
ふふっと笑みを溢れる。
「やっぱ八幡は八幡だし」
それはどういう意味ですかね?
女の子と生で触れ合うのは刺激が強いんです。
そんなことを考えていると、後ろから声をかけられる。
「ようやく見つけたわ」
振り向くと、そこには雪ノ下、葉山、由比ヶ浜と折本の姿があった。
まさか見られてたのん?
頭が沸騰するほどに恥ずかしくなる。
そんなことは御構い無しに折本が三浦に駆け寄っていく。
「優美子、どうしたのー?」
「八幡にやられたし」
座り込む三浦の隣にしゃがみ込んだ折本が俺を睨めつけてくる。いや、確かに泣かしたのは俺だけと。折本の目にはいろんな意味が含まれている気がした。
気まずい雰囲気に包まれていると、雪ノ下が尋ねてくる。
「行かなきゃいけない場所とはここのことなのかしら?」
「いや、ここじゃない」
そう告げた後に葉山が驚いたように言う。
「君は本当に超常現象の類に巻き込まれていたんだね」
「どういう意味だ?」
この場において葉山の言う超常現象について証明できるものは何もない。
何について言っているのか疑問に思っていると、その答えを雪ノ下が答える。
「髪の毛よ」
「髪の毛?」
「さっきあなたが部室で倒れた時、あなたの髪は半分ほど金色に染まっていたわ。でも今は」
そう言われて自分の髪を触る。
「真っ黒よ」
マジか。マジで危ないところだったんだな。
どうして髪が元の色に戻ったのか。
たぶん俺の決意が関係しているのだろう。
そんなことを思っていると、葉山が笑みを浮かべる。
「君の髪が金に染まっていった時は何かに覚醒したのかと思ったよ」
「悪いな。残念ながら俺はサイヤ人の末裔じゃない」
「そんなのは後にしてちょうだい」
雪ノ下は男同士にしかわからないネタに遺憾の様子。葉山とこんな冗談を言い合うことになるとは思わなかった。まぁどうでもいいな。
俺は雪ノ下たちに先ほどのことを謝る。
「さっきは悪かった。なんの説明もせずに」
「それはもういいわ」
雪ノ下は複雑そうな顔をする。
「話を戻すけれど、ここではないということはまだ行かなければならないのでしょう?」
「ああ」
「そこに行けば何かにわかるの?」
「断言はできない。でも……」
言葉に詰まる。
断言はできない。その場所に行けば何か起こるというのか俺の勝手な希望だ。
もしかしたら罠かもしれない。今よりも酷い目に遭うかもしれない。
それでも俺は。
言葉に詰まった俺を見て、葉山が言う。
「そこに一緒に行くことはできないのか?」
「それはダメよ。これは彼の問題だもの」
そうだ。雪ノ下の言う通り、これは俺の問題だ。俺が解決すべき問題。
こんなにも迷惑をかけてしまったのだ。ちゃんと礼くらいは言っておこう。
「雪ノ下、葉山。ありがとな。お前らには本当に助けられた」
「私は何も」
「いや、助けられたんだ。ありがとう」
「そう。そう言ってもらえるなら協力した甲斐があるわ」
雪ノ下はそう言いながら微笑んだ。
結局、陽乃さんの情報を提供することができなかった。それが本当に心残りだ。
顔に出したつもりはなかったが、雪ノ下は俺の心情を読み取ったようで。
「姉さんのことは気にしなくていいわ。あなたが戻ってきたらたっぷりと恩返ししてもらうつもりだから安心して」
「そうか、悪い」
その言葉を交わした後、ここにいる皆に1人1人に目線を配る。
折本は何がなんだかわからない様子。まぁ後で説明してもらってくれ。
三浦は知らない顔がいることに少々驚いていたが、柔らかな笑みを浮かべている。
雪ノ下と葉山は納得したような顔をしていた。
そしてもう1人。
ちゃんと決着をつけておかなければいけない人がいる。
それは由比ヶ浜結衣。
由比ヶ浜はここに自分がいるのが場違いなのではという顔をしている。
そんなことはないのだ。
お前にも助けられた。
ちゃんと礼言わなくてはいけない。
俺は雪ノ下と葉山の後ろに隠れるように立っている由比ヶ浜の元へ向かう。
「由比ヶ浜」
「は、はい」
「お前にも助けられた。ありがとう」
「う、うん」
「話は聞いたのか?」
「雪ノ下さんからちょっとだけ……」
由比ヶ浜はやや俯き気味になりながら目線を泳がせている。
「悪い。俺はお前を助けた俺じゃないんだ」
「うん」
「だからお前にお礼をされるのは俺じゃないんだ」
由比ヶ浜の瞳には涙が見える。
「騙すようなことをして悪かった」
「ううん、そんなことない」
涙が零れないように必死に堪えているのがわかる。
由比ヶ浜は辿々しくなりながらも、思いの丈を告げる。
「お礼を言うのは…私の方。比企谷くんがいなかったら……友達もできなかったし。あの時、比企谷くんが部室に来てくれなかったら。……だからありがとう」
「おう」
由比ヶ浜の言った”部室”という言葉でやっておかなければいけないことを思い出す。
「雪ノ下、俺のコートの右ポケットから”入部届”を取ってくれないか?」
俺にそう言われた雪ノ下は貸しているコートのポケットに手を入れて、紙を一枚取り出し、俺に手渡してくる。
あの日、由比ヶ浜から受け取ってポケットにしまいこんでしまったせいで少ししわがよってしまっていた。それを受け取ってから言うべき言葉を告げる。
「由比ヶ浜、これは返すよ」
「あ、う、うん」
俺は由比ヶ浜に入部届けを差し出す。
彼女はとうとう耐えきれなくなったのか、顔には涙が一筋流れる。
きっと由比ヶ浜は思い違いをしている。これは入部を拒否しているわけじゃない。やり直すんだ。
「さっきも言ったけど、事故のお礼を言われるのは俺じゃない。だから本来言われるべき俺にこれを渡してやってくれ」
「わ、わかった」
由比ヶ浜は力なく入部届けを受け取る。ちゃんと意味が伝わらなかったかもしれない。
でも、それでもいい。俺が解決することができれば、きっと本物の俺が帰ってくるんだ。その時になれば、わかるはず。
よし。これでもう心残りはない。
後はこんなことをやらかした奴のところへ行って取っちめてやるだけだ。
もう一度、皆に目線を配る。
「行ってくるわ」
「ええ」
「ああ」
「う、うん」
「うん!」
「うん?」
皆、それぞれに笑みを浮かべ、頷き、返事を返してくれる。
1人だけよくわかっていないような感じを受けるが、まぁ許してくれ。
俺はその場から身を翻して、あの場所へと向かう。
いつか間にか頭の痛みは綺麗さっぱり消えている。
逸る気持ちは俺の足を急かし、気づけば俺は走り出していた。
今からラスボスに会いに行くというのに気持ちが随分と軽い。
全部あいつらのおかげだ。
今まで人との繋がりを大事にしてこなかった俺だが、初めてこんなにも人に素直に感謝したかもしれない。
ああ、悪くない。
なんでも1人でやってきた俺だ。
でも今日、初めて皆でやるのも悪くないと思えた。
今までの自分を否定する気はない。
ただ新しいやり方を覚えただけだ。
そんなことを思いながら、廊下を走る。
あの場所へと続く廊下を曲がろうとした瞬間、曲がり角の向こうに人影が見える。間一髪のところで避けるも、相手の女子生徒は突然走ってきた俺に驚いて転んでしまう。
女子生徒は持っていた段ボールを床に落として、尻餅をつき、”イタタ〜”と腰をさすっている。
「悪い、大丈夫か?」
「あ〜、大丈夫ですよ〜」
その女子生徒は甘ったるい猫なで声で首を傾げながら言う。
「って比企谷先輩じゃないですかー」
「一色だったのか」
俺に名を呼ばれた一色は口をへの字に曲げている。ごめんて、いろはす。
「なんで苗字で呼ぶんですかぁ?」
「いや、今それどころじゃないんだ。悪いな。それじゃ」
「ちょっと待ってくださいよー」
一色はそう言いながら、俺の足を掴んでくる。
「いや、マジで急いんでるんだっての」
一色は俺の足を離す気は全くないようだ。訝しむ顔で不満たっぷりな視線で俺を見ている。
「急いでるってどこに行くんですかぁ?」
「どこでもいいだろ。離してくれ」
「てか、あれ?比企谷先輩、なんでここにいるんですかぁ?」
「ここにいちゃ悪いのかよ」
「だってついさっきう……あっ!」
一色が言い終える前に彼女の手をどうにか振りほどいてまた走り出す。
「ちょっとー!比企谷先輩ー!」
「悪い。またあとでなー」
その他にもいろいろ叫んでいたように聞こえたが、それに構うことなく俺は階段を駆け上がっていた。
×××
階段を2段飛ばしで駆け上がり、ようやくあの場所へと辿り着いた。
相変わらず鍵は壊れたまま。
そう、俺が向かっていた場所は屋上だ。
まぁラスボスと対峙するには絶好の場所。
両膝に手をついて、上がった息を整える。
もう体に異常はどこにもない。
頭痛も倦怠感も綺麗さっぱりとなくなっている。
だからと言って体調が万全というわけではない。寧ろ、満身創痍だ。今日、どんだけ走ってんだよ、俺。
あの声が聞こえてからもうだいぶ経ってしまった。
あの声の主が、俺をここに呼んだ奴はまだここにいるのだろうか。
そんな不安が過る。
ダメだ。弱気になるな。
もう引き返しようがないんだ。ビビったってしょうがない。
あいつらにあれだけ強く背中を押してもらったんだ。
絶対に取り戻す。
俺は屋上の外へと繋がる扉にゆっくりと近づいていく。
そして静かに手をかける。
よし、行くぞ。
そう意気込んで勢いよく扉を開けて外に出る。
と同時に肌に突き刺さるような冷たい風が俺を出迎える。
真っ赤に染まった夕陽が屋上のコンクリートの床を朱色に染めている。
朱色に染められている床には1本の長い影。
その先には1人の男が立っている。
その男は総武高校の制服を着ていて、金色に輝く髪を風になびかせていた。
夕陽に向かい立つように立っていた男は扉を開けた音で俺が到着したことを気がついたようだった。
ゆっくりとこちらに振り向く。
その男の顔を目にして、俺は体の機能がすべて停止するほどの衝撃を受ける。
望んでいたことだ。
この男の存在を切望したのはこの俺だ。
しかし驚かずにはいられなかった。
あまりの衝撃に開いた口が塞がらない。
思考が正常に機能しない。
なぜここにいる?
俺をここへ呼んだのはこいつなのか?
予想外過ぎる。
もう俺の口は言葉を忘れてしまっていた。
自分の”影”に驚くとはこのことか。
まさに”ドッペルゲンガー”に出会ってしまったような衝撃。
いや、ようなという表現は間違っているな。
今、俺の目の前に立っている男は紛れもなく”俺”。
金色の髪。
濁りのない瞳。
この世界で聞いた”俺”の情報と合致する。
何1つ言葉を発することもできず、さながら石のように固まる俺。
そんな俺を見て、”俺”はニヤリと口元を歪ませた。
そして告げる。
「”やっはろー”俺」