雪ノ下と葉山の反応を見て、自分で口にした電波発言に激しく後悔する。
雪ノ下は俺を哀れむような目で、葉山は同情するような目で俺を見る。
まぁ仕方ない。2人はここまでで俺の言ったことと陽乃さんに関してはまったく繋がりが見いだせていないはずだ。
ここから繋げていくにはやはり俺のすべてを話すしかない。
俺は2人に話を聞く気があるのかを問う。
「姉さんの名前を出して、ここまでトンチンカンなことを言ったのはあなたが初めてよ。逆に興味が出たわ」
「そうだね。こんなのは初めてだ。それに陽乃さんのあの力に何かついて知っているようだし」
2人ともまだ完全に疑いが晴れたようではなさそうだった。それから雪ノ下さん?いい加減その可哀想な人を見るような目をやめていただけませんかねぇ?
「ということはあなたは異世界人ということなの?どういうことか説明しなさい」
「もしかしてSF好きだったか?」
「ふざけているのなら帰るわよ」
「はい」
雪ノ下は鋭い眼差しで俺を睨め付ける。怖いからやめて!
俺はそこから長々と語った。
俺と雪ノ下の出会いや由比ヶ浜とのいろいろな話。それだけではただの妄想話になってしまうので、この世界の俺が知りえないであろう雪ノ下や葉山の情報も付け加えておいた。その際、雪ノ下が携帯電話を取り出して、どこかへ通報しようとしたのは葉山が止めてくれた。
「驚いたわね。一見、作り話にも思えるけれど、私のことや葉山くんのこと。それに姉さんのあの仮面に気がついているなんて。これがすべてあなたの妄想話と片付けるのは少々無理があるわね」
雪ノ下は顎に手をやり、考える人のポーズ。葉山も思案顔だ。
「最初から話してくれればよかったのに」
「いや、絶対信じなかったろ」
「ええ、今でもすべて信じているわけではないもの」
そういうものの雪ノ下もここに来て初めての笑みを浮かべている。ようやく警戒心を解いてくれたようだ。
葉山はコーヒーを一口啜ってから尋ねてくる。
「比企谷、君は一昨日この世界に来たということでいいのかい」
「ああ」
「何かきっかけというか、前兆みたいなものはなかったのかい?」
知り合いの女の子たちとの甘々な恋愛妄想をしたら、なんてことは口が裂けても言えないのであの日、部室で聞いた雪ノ下と葉山の会話と慌てた陽乃さんについて話す。
「あなたの世界の私たちは何をしていたのかしらね」
「さすがに思いつかないな」
だよね。わかるなから今すぐ解決してるっての。
さぁ、今度は俺が聞く番だ。
「お前らの知っている雪ノ下さんについて教えてもらってもいいか?」
俺の言葉を聞いて、2人は顔を見合わせ、頷き合う。
少しだけ視線を下に落として、雪ノ下は語り出した。
「姉さんのあの力を知ったのは今から10年ほど前。その頃から私と姉さん、葉山くんは親の仕事の関係でよく3人で遊んでいたの」
それを聞いて葉山は懐かしそうな、けれどもう1つ何か含むような顔をしている。
「私たちは家の近くの公園でよく遊んでいたの。その日もかくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたりしていた。夕方になって姉さんが突然、猫の声がするって言い出して」
「あれは雪乃ちゃんが言い出したんじゃなかったかい?」
「いいえ、姉さんよ」
葉山がそう思い出したように言ったが、なぜか雪ノ下は強く否定した。
「しばらく探していると、ダンボールに入れられた捨て猫を見つけたの」
心なしか雪ノ下の表情が緩くなったように見える。もしかして雪ノ下の猫好きはこの出来事が原因だったりするのか?
そんなことを思いながらも、俺は黙って続きを待つ。
「まだ幼かった私たちはその猫に名前をつけて世話をすることにしたの」
飼うと言わなかったところから見て、2人の家はおそらくペット禁止だったのだろう。
「私たちの家は動物を飼うことは禁じられていたの。だから隙を見て家を抜け出し、その猫に食べ物をあげに行ったりしていた」
ここまで聞く限りでは、その力とやらに繋がっていくようには思えない。
そんなことを思っていると、雪ノ下は表情を暗くした。
「そんなことが数日続いたある日、事件が起きたの」
「事件?」
そう言いながら俺は首を傾げてしまう。事件ってなんだよ。捨て猫からどう事件が起きるんだよ。
雪ノ下の表情はどんどん辛そうになっていく。なに?そんなにやばいことが起きたの?
一方、葉山はなぜかやれやれとした顔している。
この件は2人とも知っていると言った。なのになぜこんなにも2人には温度差がある。
雪ノ下は少しだけ間を空けてから続きを話す。
「いつものように私たちは3人でその公園に行った。でも猫の姿はどこにもなかった」
ああ、そういうことね。猫大好きフリスキーな雪ノ下さんからしたら猫がいなくなってしまったことは大事件なんですね。わかります。
こんなことを考えていたことを顔に出したつもりはなかったのだが、雪ノ下は目付きを鋭くして俺を見てくる。
「真面目に聞いているかしら?」
「ああ、聞いてるよ。超真面目に聞いてる」
「そう」
やっぱり彼女は雪ノ下だ。こんだけ猫が好きならこっちの雪ノ下もパンさん好きなのかな?
まずいな、どんどん脱線して行っている。彼女の言う通り、真面目に聞こう。
「私たち3人は死に物狂いで猫を探した」
死に物狂いって。
葉山を見ると、やんわりと首を振っていた。オーケー、わかった。雪ノ下、お前が一番真面目にやれ。
まだ脱線していくようならマジで言わないといけなくなるな。
「しばらく探し回って、猫を見つけ出すことはできたのだけれど……」
「だけれど?」
そのまま口を閉じてしまった雪ノ下に変わって葉山が口を開く。
「その猫はかなり弱ってしまっていてね。たぶん何かの病気だったんだと思う」
なるほど。まぁ雪ノ下からすれば大事件だな。
「俺たちはまだ幼くて、知識がなかったというのもあるが、猫のことを両親に知られたくなくてね。たぶん怒られると思ってたんだ。今考えればそんなことにはならなかったような気がするけど」
「いいえ、母さんは絶対に許さなかったわ」
「お、おう」
なんでそんなに強く否定するんだってばよ。まぁ雪ノ下の母親が怖いってのは聞いたことがあるが。
雪ノ下が割って入ったことにより、話の主導権がまた彼女に戻る。
「結局、動物病院に連れて行くこともできず、ただ弱っていく猫を私たちは見守ることしかできなかった」
まぁそんな経験は誰にでもあるだろう。
「その日、陽が暮れるまでその猫に付き添った。でも猫は回復することなくそのまま息を引き取った。3人でワンワン泣いたわ。自分たちの無力さを痛感しながらね」
幼い頃の切ない思い出。
ここからどう繋がる。
「私たちは猫を埋葬してあげることにした。でもどうしても埋めてあげることができなくて、私が愚図ったの。姉さんはそんな私を優しく宥めてくれた。そして私が一番年上だからと言って姉さんが猫を埋葬することになったの。掘った穴に猫を入れて、砂をかける前に姉さんが猫を撫でたの。そうしたら……」
俺は息を飲んで続きを待つ。
雪ノ下は真っ直ぐ俺を見据えてこう告げた。
「死んでいたはずの猫が生き返ったの」
おいおい、マジかよ。大当たりじゃねえかよ。
やはり陽乃さんはハルヒに近い力を持っていたのか。
俺は確かめるように尋ねる。
「その猫は本当に死んでいたのか?」
「ええ、間違いなくね」
「間違いないよ。あれは間違いなく生き返った。猫は死ぬ前、自力で動くこともできなかったのに陽乃さんが撫でた後、嘘のように元気に走り回っていたからね」
葉山もこう言っている。嘘を言っているようには思えない。
「その猫はその後どうなったんだ?」
俺の問いには雪ノ下が答える。
「姉さんの知り合いに里親を見つけて引き取ってもらったわ」
「そうか」
もしかしたら喋るかもとか思ったが、いまさらその猫に会っても意味がないな。
俺はさらに深く質問をする。
「その後のことは?その力を見たのは他にもあるのか?」
「いいえ、それが最初で最後よ。姉さん自身も驚いていたし、どれだけ尋ねても何も教えてはくれなかったわ」
雪ノ下は言葉の最後に”でも”と付け加える。
「姉さんがあの仮面をかぶるようになったのはその頃からよ」
あの強化外骨格の秘密はそんなところに隠されていたのか。
陽乃さんはそこで自分の力に気がついたのだろう。
しばらく考え込んでいると、葉山が訪ねてくる。
「このことは俺たち3人しか知らないはずなんだ。陽乃さんが他言するとは思えないし。なんであの力のことを知っていたんだい?これが君とどう関係する」
ここから述べるべき言葉をまとめていこう。
陽乃さんの力が発現した幼少の頃。完全に改変前だ。ということは俺のいた世界でも陽乃さんはその力を持っていたはず。
「実はな、知っていたわけじゃないんだ。カマをかけるようなことをしたのは謝る」
「謝罪は結構よ。カマをかけたということはある程度推測していたということでしょう?どうやってそんなことを?」
まだまだ話さねばならないことがたくさんある。
俺はあの小説の内容と今、自分が置かれている状況を事細かに説明していく。
俺のことを受け入れてくれているのかはわからないが、2人は親身に聞いてくれた。
「なるほど。その小説もそうだけれど、この話自体が小説のようね」
「突拍子もないことを言っていることは重々承知だ。俺の頭がおかしくなった可能性も捨て切れない」
「でも妄想にしては辻褄が合いすぎているね」
2人は疑いながらも、そこそこ信用してくれている。
「その小説の登場人物と俺の知っている人間を当てはめて、いろんな推測をした結果、俺はここに辿り着いた」
雪ノ下は笑みを浮かべながら言う。
「あなたの想像力には本当に驚かされるわ。何か別の分野に生かした方がいいのではないかしら、という茶々を入れるのはやめておきましようか」
「いや、入れてるからね、それ」
俺の言葉を聞いて、雪ノ下はふふっと声を上げて笑った。葉山はそれを見てなぜか嬉しそうな顔をしている。
何か特別なものを含んだその表情を見ていると、葉山が俺の語った情報をもとに仮説を立てていく。
「考察するなら説は2つだね。1つ目は君がこの世界に来たというのと、2つ目は世界自体が改変された。こんな感じかな?」
さすが葉山と言ったところである。
雪ノ下も葉山の言った説にうんうんと頷いている。彼女も彼女なりの仮説を立てているのだろう。
そんなことを思っていると、不意に尋ねてくる。
「あなたはどっちだと思う?」
「正直なんとも言えん」
それ以上、答えることができない。
1つ目なら俺が元の世界に帰ればいい話だが、2つ目となると、今の2人を否定することになる。
俺は気がついてしまう。
こんなにも親身に話を聞いてもらっておきながら俺は彼女らを利用しているだけなのだと。
1つ目にしても2つ目にしても、彼女らの問題を解決することはできない。
世界線を飛び越えてきたとしたなら、俺は彼女らの問題を放り投げることになる。
世界が改変されたとしたなら、元に戻すことになるだろう。結果的に陽乃さんを見つけ出すことはできる。でも今の雪ノ下と葉山は消えてしまうことになる。
それは解決したと言えるのか?
今の彼女らの気持ちを無視することになるのではないか?
偽物だとか、本物だとかなんてのはもういい。
今、目の前にいる2人を救うにはどうしたらいい。
なぜだかはわからない。でも自分だけが救われるというのはどうも収まりが悪い。
自分の考察を述べるべきか。
いや、述べるべきだ。ちゃんとすべてを語って、自分がやろうとしていること。彼女らの願いを果たせないかもしれないということ。
それらをすべて説明した上で納得してもらう。それで協力を仰ぐ。
そうでなければ対等ではない。
そう自分の中で決着させるも、なかなか言葉を出せない。
そんな俺を見た雪ノ下が尋ねてくる。
「まだ何かあるのよね?それにまだあなたの目的を聞いていないわ」
「ある。けど、な」
「けど?」
俺は頭を下げながら言う。
「こんな話に付き合ってもらって、自分勝手なのはわかっている。俺のやろうとしていることは雪ノ下さんに繋がるかもしれない。だが、2人の願いを叶えることができないかもしれない」
彼女らがどんな表情をしているだろう。
また怒っているかもしれない。
落胆しているかもしれない。
しかし、聞こえてきた声音はどちらでもない優しいものだった。
「頭を上げてちょうだい」
言われた通り、面を上げる。
「聞かせて。これからあなたはどうするつもりなの?なぜ私たちに会いに来たの?」
「俺は元の世界に帰りたい。そのためには鍵を揃えなきゃならない。その鍵は雪ノ下と由比ヶ浜。それとたぶん俺だ」
「何か確証は?」
「ない。ただ状況があの小説と酷似している。きっと何かが起きるはずなんだ」
確証などどこにもない。
あるのは俺の願望だけだ。
俺の言葉を聞いた雪ノ下は瞑目し、しばらく考え込んでいる。
そしてゆっくりと目を開いた彼女は言う。
「あなたの言いたいことはわかったわ。あなたは元の世界に帰りたい。そのためには私の協力が必要。でも姉さんを見つけ出すことには繋がらないかもしれない」
俺は頷く。
「そうね。姉さんが持っていた力が原因であなたがここに来たのなら、その責任は私が負うべきだわ」
「いや、そんなつもりは」
「いいのよ。私がそうしたいの。それに少しでも姉さんに繋がる可能性が少しでもあるならあなたに付き合うわ」
雪ノ下の声には優しく強い何かが込められていた。
「ありがとう。助かる」
素直にそう告げた。
その後、雪ノ下は何かを思いついたようで企むような顔をする。
「あなたの居た世界には姉さんはいたのよね?」
「ああ」
「協力するための条件というわけではないけれど、もし何か起きて、あなたが元の世界に帰れたならその時はその世界に連れて行きなさい」
それはちょっと横暴すぎやしませんかねぇ?なんでそんな発想になるんだ。どんな愉快な頭してんだ。頭ん中がハレ晴れユカイになっちゃってるよ。
葉山は小さく笑い声を上げて、雪ノ下の案に同意する。
「それはいい案だね。違う世界があるなら俺も行ってみたいし」
「待て待て、1つ目の仮説で行くなら、あっちの世界にもお前らはいるぞ?」
俺の説得も虚しく、雪ノ下はどんどん話を進めていく。
彼女は立ち上がり、俺たちを促す。
「さぁ、行きましょう」
「行くってどこに?」
「総武高校よ。鍵を揃えるのでしょう?由比ヶ浜さんという方にも会ってみたいわ」
雪ノ下はいい笑顔でそう言った。
まだ由比ヶ浜が部室に残ってくれてるのいいが。
これで鍵を揃えることができた。一時はどうなるかと思ったが、上手くいった。
俺の中に不安と期待が渦巻いていく。
まったくこの期に及んでまだビビってんのか俺は。しゃきっとしろ。やるしかねえんだ。
俺は残っていたコーヒーをグイッと飲み干した。
3人で席を立つ。
雪ノ下が先に外に出て、タクシーを捕まえに行く。タクシーで行くのかよ。リッチだな。
ということで会計を済ませるために俺と葉山はレジへ。
レジで金額を聞いて、財布を取り出そうとすると、それを葉山が制する。
「いいよ。ここは出す」
「なんだよ。俺に奢っても何もでねえぞ」
「いや、お礼だよ」
結局、会計は葉山がすべて払ってしまった。店を出る葉山を追って外に出る。そこで俺は葉山の言った言葉の意味を尋ねる。
「おい、お礼ってどういう意味だ?」
「ん?雪乃ちゃんのことだよ」
「雪ノ下?」
怪訝な眼差しを送っていると、葉山は少しだけ憂いた顔をした。
「雪乃ちゃんがあんなに楽しそうに会話しているのを久しぶりに見たよ。君のおかげだ」
「いや、俺は」
葉山は憂いた顔を笑顔で隠す。
「最初、君が声をかけてきたときは驚いたけどね」
「わ、悪い」
「陽乃さんがいなくなってからはあんなに楽しそうに笑うことなんてなかったんだ」
確かに一番最初に見た雪ノ下の表情はとても暗いものだった。
「彼女がまた笑顔で話してくれることは俺にはとても嬉しいことなんだ」
葉山は本当に心から喜ぶようにそう言った。俺はその言葉を聞いて、ある可能性が頭に浮かんだ。それを口に出すべきではないとわかっていたのだが、勝手に口が動いていた。
「お前、雪ノ下のこと」
「それを聞くのは野暮じゃないかい?」
そう返されて、俺は自分の間違いに気がつく。
「そうだな。悪い」
「いいよ。さ、行こう。雪乃ちゃんが待ってる」
俺たちは雪ノ下が捕まえたタクシーに乗り込んで我が総武高校に向かった。
×××
というわけで、我が総武高校に到着したわけなのだが、またもや1つ問題が発生した。
その問題というのは、雪ノ下たちをどうやって学校の中に連れて行くかだ。
2人とも見てくれはかなりいい。他校の制服で学校の中を闊歩すれば目立つことは間違いないし、すぐさま教員たちに見つかるだろう。
あの小説ではどうしたのだったかと考えていると、雪ノ下が案を出してくる。
「比企谷くん。あなたの着ているコートを私に貸してくれるかしら」
「ああ、その手があったか」
彼女の案を聞いて、あの小説で取った手段を思い出す。確か、体操服を着て、運動部員のフリをして潜入したんだった。彼女は俺の着ているコートを変装に使おうと考えたようだ。
俺はコートを脱いで、雪ノ下に手渡す。彼女は俺から受け取ったコートに袖を通す。
「うん。問題ないわ」
総武高校では、防寒着は学校指定の物を着用することが義務付けられている。その校則を無視している輩も少数いるようだが、大半の生徒がその校則を守っている。よって俺も例外ではない。
この学校指定のコートを着ていれば総武高校の生徒に扮することができる。雪ノ下はそう考えた。それに今、彼女が着用しているのは男性用のコート。細身の彼女が着用すれば、すっぽりと身を隠すことができる。若干、スカートの裾が見え隠れしているが、問題ないだろう。わざわざ中を覗いてくる輩もいまい。中ってスカートの中じゃないからね!
そんなどうでいいことを考えていると、冷たい視線が突き刺さる。
「比企谷くん。今、何か下卑たことを考えなかったかしら?」
怖い怖い。コートを脱いでしまって、ただでさえクッソ寒いってのにその凍てつくような笑顔でこっちを見ないで!もう凍っちゃうから!この世界でも氷の女王は健在なんですね。あとその鋭さも。
これで雪ノ下の変装が完了したわけだが、問題は葉山だ。
「葉山はどうする?」
「比企谷くん、制服を脱ぎなさい」
「マジですか」
「マジよ」
雪ノ下は依然としていい笑顔を浮かべている。
確かに俺は制服のズボンの下に学校指定のハーフパンツを履いている。上も一応、無地のTシャツを着ているから運動部員に見えなくもないけど。
だが、しかし今さっき会ったばかりの男子に制服を脱げって、ちょっと変なこと考えちゃうだろ!そういうのやめて!
「比企谷くん」
「は、はい!」
「ふざけてないで早くしてちょうだい」
何も言ってないのになんでふざけてるってわかったんですかねぇ。
「いや、葉山に制服を貸すってのはわかったが、この寒さで半袖半ズボンになんかなったら風邪引いて死ぬ」
「ワイシャツが残ってるじゃない」
「いやいや、ワイシャツにハーフパンツって追剝ぎにあったんじゃねえんだから」
「いいじゃない。ボンタン狩りに遭ったみたいで箔がつくわよ?」
お前、何歳だよ。ビーバップでも見たの?とツッコミみたくなったがやめておく。
葉山の方に目線を変えると、申し訳なさそうに笑っている顔があった。
「雪乃ちゃん。もしあれなら俺はここで待ってるよ。さすがに悪いからね」
「ダメよ。もしこの男が嘘をついていて何かあったらどうするの?」
相変わらずの雪ノ下である。
知らぬうちに口元が緩んでいた。
俺の知っている雪ノ下とほとんど変わりのない彼女に安心感を感じていたからだ。あの喫茶店で話していたときから。自分がこの世界の人間ではないと暴露した時点から彼女らの対応を見て、気持ちに緩みが出てしまっている。
同じ轍を踏むわけにはいかない。
もうこれがラストチャンスだと言っていい。
踏ん張れ俺。この世界から絶対に抜け出すんだ。
そう強く自分に言い聞かせる。
そんな強い決意はつゆ知らず、雪ノ下は口を動かす。
「ほら、見てみなさい。下卑た笑みを浮かべているわ」
雪ノ下は自分を抱くようにして、一歩引く。たっく、ならなんでついてきたんだよ。
しかし何も言わない俺を見て、自分の発言が行き過ぎていたことに気がついたのか、彼女は謝罪を述べる。
「ご、ごめんなさい。つい……」
呟くようにそう言って俯く。いや、そんなに怒ってないんだけど。
それを見た葉山も黙っていられず。
「気を悪くしないでくれ。その……」
葉山も同じく俯いてしまう。
2人の様子を見て、なんとなくわかってしまった。
たぶん雪ノ下は人との距離感を計り兼ねているのだろう。ここからは完全な推測に過ぎないが、この世界でも雪ノ下はボッチなのだろう。まぁ葉山がいる時点でそうではないのかもしれないが、葉山以外にそう言った人間がいない。それに陽乃さんがいなくなってからは笑顔すら見せなくなっていた。
この世界には由比ヶ浜のような心を溶かしていく人物が現れなかったのだろう。
そんな中、俺は異世界人だとかぬかす完全なる異端が現れ、陽乃さんのことも知っている。
つまり、何が言いたいかというと、雪ノ下は少しだけ俺に心を許してくれていたのではないか。
自分で言っていて物凄く恥ずかしい。はっきり言って自意識過剰だ。だが、こんなことが思えるのはもう1人の雪ノ下のことを知っているからである。
彼女の繊細さや不器用さ。出会った頃の雪ノ下やあの日から変わらぬ微笑を浮かべ続ける雪ノ下。
それらを知っているからこそ、彼女の心理を読み取ることができる。
心理を読み取ることはできても、感情を理解することはできない。
それは今までの俺だ。今の俺は違う。
断言したが、実行できているかはわからない。でも、それでもそうするべきだと、そう思う。
この世界で彼ら彼女らが俺に教えてくれたことはちゃんと俺の心に残ってる。
彼女らの感情を汲み取る。
これが100%正解ではないだろう。
それでもいい。完全無欠になるつもりはない。ただ少しだけわかる男になりたいだけだ。
だから発するべき言葉は決まってる。
「その、なんつーか、怒ってないから気にすんなよ」
俺の言葉を聞いた雪ノ下はやっと顔を上げる。
「え?」
「俺もボッチだし」
雪ノ下は少しだけ笑みを浮かべる。
「それはフォローしてくれているのかしら?」
それは恥ずかしいから言わないで頂きたい。
なんとなく照れくさくなって頭をガジガジ聞いていると、雪ノ下はこう告げる。
「比企谷くん。ありがとう」
「ど、どういたしゅまして」
どもった。しかも噛んだ。
やはり上手く決まらないのが俺である。
話を戻そう。
「葉山、ちょっと来い」
俺は葉山を連れて人目のつかない場所へと移動する。
素早く制服を脱いで、葉山に渡す。
早々と済ませ、葉山は総武高生に変身する。”少し小さいな”なんて聞こえた気がしたが、気にしない。
脱いだ制服を畳んでいる葉山を見て、俺はあることを思いついた。
海浜総合高校の制服は紺色。うちの高校とは似ても似つかない色だが、俺は正規の総武高生。つまりだ。正規の在校生である俺が多少色の違うズボンを履いていてもバレないんじゃね?って話だ。いや、バレるな。
しかしだ。いくらボッチの俺とて、ワイシャツに短パンという格好で学内を闊歩するのはさすがに抵抗がある。何より寒い。
それに雪ノ下や葉山の見てくれはかなりいい。一緒に歩いていればきっと俺なんかには目もくれないだろう。なんとも悲しい話だが、存在感の無さに定評のある俺にはバレない自信があった。
俺はすぐに葉山に提案する。
「俺の制服を?別に構わないけど」
「おう、悪いな」
葉山から制服の下だけを受け取ってすぐに履いて、ベルトを締める。おう、ズボンの裾が長いぜ……。イケメンは足まで長いのかよ。
制服の交換を完了し、雪ノ下の元に戻る。
「なぜうちの制服を履いているのかしら?」
「大丈夫だ。バレない」
「あなたがそういうのならいいけれど」
雪ノ下はやや納得がいかないようだが、それ以上はなにも言ってこなかった。
「よし、行くか」
俺がそう告げると、ともに俺たち3人は校内へと踏み入れる。
グラウンドからは部活動を行なっている生徒たちの声が響く。校内からは吹奏楽部が奏でる音が聞こえる。
まだ下校時刻にはなっていない。まだ由比ヶ浜が部室にいることを願って一歩一歩進んでいく。
下駄箱に辿り着き、また1つ問題が発生する。上履きだ。
たぶん優等生であろう2人に知らない誰かの上履きを拝借させるわけにはいかない。さて、どうするか。
そんなことを考えていると、恐れていた事態が起きてしまう。
下駄箱の向こうから教員が姿を見てたのだ。名前なんだっけな。
その教員はこちらへと向かってくる。
姿を隠す間もなく教員は俺たちに気がつく。やばい、バレた……。