「この部屋で提督が待っているわ」
戻ってきた明石に連れられて、一階の医務室からニ階の提督がいるらしい執務室の前までやってきた。
明石は自分と我の襟等がおかしくないか軽くチェックを終えてから扉をノック。扉の向こうから入室を促す声が聞こえたことで、明石が扉を開ける。明石に続いて入室すると、いくつかの本と重ねられた紙束が乗った作業机に座る人間の男とその傍で控えている眼鏡をかけた艦娘が目に入った。
机から少しだけ距離を開けた位置で立ち止まった明石の横に並んで立つ。
「提督、菊月を連れてまいりました」
明石の声色は我に話しかけた時より固い。入室して目に入った時点で予想はしていたが、提督は人間だったようだ。提督は軽く頷き、切りだした。
「自己紹介は後にして単刀直入に聞こう。君はどこの鎮守府の艦娘なのかね? 君が運び込まれた時点で、いくつかの鎮守府に問い合わせた。しかし現時点では睦月型駆逐艦九番艦菊月の脱走報告、遠征または出撃中の行方不明報告は存在しなかった。もちろん、怪我も艦装も無しに漂流していた理由も合わせて答えて貰おう」
圧力をかけているつもりなのか、重々しさを込めた声で我に問いかけてきた。我としてはコイツ等に本当のことを言う気はない。言ったところで得することはないことぐらいはわかる。それに「お前たちが戦ってきた存在だ」と正直に話してもきっと信じてはもらえない。
「それらの質問には答えることはできないな」
「菊月さん、提督に対してそのような言い方はどうかと思います」
提督が口を開くより先に、控えていた艦娘が口を挟んできた。黙っていればいいものを。
「いいんだ、
提督が大淀を落ち着かせる。それからわざとらしい咳を一度して言葉を続けた。
「それならば、答えられない理由は言えるかね。機密だとか上の方、もとい大本営と関係しているとかな」
「理由は単純だ。過去の記憶は殆ど失っているから答えられない。それだけだ」
「つまり君は記憶喪失していると?」
「そういうことになる」
「ううむ……」
提督は唸りながら自らの顎を撫でる。
「君の記憶状況を把握するためにいくつか質問する。構わないな?」
「問題ない」
断ったところで意味はない。それに拒んだ途端、二体の艦娘で我を抑えつけさせて無理に聞き出しにかかる可能性も零ではない。
「
「知らないな。なんだそれは」
聞いたことはなく、持っている記憶にもない単語だ。
「人類と艦娘が戦っている相手さ」
「理解した」
人間たちは我の……いや、変わる前の我と他の存在をそう呼称していたのだな。
◇ ◇ ◇
提督からの質問に受け答えをした後、「君はこれからどうしたい?」と訊かれたので、この鎮守府に置いて欲しいという望みを言ってみると許可を貰うことができた。鎮守府に置いていても危険性はないだろう、とひとまず判断されたらしい。
書類をいくつか見せられたり諸注意を受けたりしたが、要は場合によっては他の鎮守府に移すとのことだ。
執務室を出た後は、明石にこれから住む場所として寮に案内された。
明石の説明によると寮は艦種の駆逐、戦艦、空母、軽巡、重巡、その他、と大きく分けられておりそれぞれに寮長を任命されている艦娘がいるとのことだ。執務室のある本館から寮へは繋がっていたので、移動の際に外に出る必要はなかった。いきなり我が使う部屋に行くのではなく、まずはニ階の寮長を担当している艦娘がいる部屋に行き、軽く顔見せを行う。
「私が駆逐艦寮の寮長をしている
「わかった。その時はよろしく頼む」
顔見えを終えて一階にある我の部屋の前に移動すると、既に部屋のドアには『菊月』のネームプレートが入っていた。執務室にいた間に知らせを受けていた寮長が用意したのだろう。
寮長から渡されていた鍵でドアを開けると中はベット、一人用の机とイス、桐箪笥が置いてあり窓は一つという内装。
「他の皆への紹介は明日にしたいから、今日の夕食は食堂に行って取るんじゃなくて私が部屋に持ってくるのを食べて頂戴ね」
「空腹感はないので今日の食事は必要ない」
「そう? なら、なにか訊きたいことはある? ないなら私は戻るけど」
「今の我は記憶がないせいで色々と情報がない。だから本を読める場所を教えて欲しい」
「なら蔵書室を教えるわ。ついてきて」
案内されるままに本館のニ階へ移動して蔵書室に辿り着く。
ここまで案内してくれた礼を言って明石とは別れた。横開きのドアをガラガラと音を立てながら開けて中に入る。中はカーテン越しの夕焼けと室内灯の光で明るい空間。そこには多くの本棚と大きめのテーブルとイスがあった。
他に目についたものは、端にあるイスに座りテーブルの上で本を開いている一人の少女。髪色は緑で服は我と同じデザイン、そして睨むように我に目を向けている。コイツも艦娘、なのか?
ふむ……艦娘だな。一人の少女ではなく、一体の少女だったか。人間や他の艦娘は見当たらない。今現在、この蔵書室にいるのは我とコイツだけだ。
「誰だお前は。なにをしにここへ来た」
「我か? 我は……我だ」
菊月だ、とは言えなかった。なんとなく言う気が起きない。
「ここに来たのは情報を求めて本を読みにきただけだ。それで、お前の方こそ誰だろうか」
相手は訝しげな表情をしながらもハッキリと答えた。
「私は
だから我と同じ格好だったか。長月以外にも睦月型が他にもいる可能性は高いと予測できる。資料となる本に、ちゃんと目を通さないと色々と面倒そうだ。
「そうか。ところで訊きたいことがある。艦娘と深海棲艦のことが書かれた本はどこにあるだろうか。この蔵書室に来たのは初めて故に、どこになにが置いてあるのかわからなくてな」
「……まぁ、いいだろう。そこの棚に纏まってある」
「感謝する」
長月が指差した本棚にいき、艦娘や深海棲艦に関する本をそれぞれ一冊だけ抜き取る。テーブルまで行き、長月が座っている端の反対側に座る。長月は読書を再開してはいたが、どことなく我を警戒しているように感じたので離れた位置にしておいた。
では早速、本を読むとしよう。