「長月、みんなで出かけるのは楽しみだと思うか」
アイツからの問いかけ。
私は想像してみる。今回の件が片付き、自分の中にある物に恐怖することもなく他のみんなと過ごす様を。もう長いこと味わっていない、日常の穏やかな空気と居心地の良さを。
「もちろんさ」
「そうか」
一言だけでアイツは満足した様子で駆け出した。遠くなる後姿を見ながら、自らの口元に手で触れる。自分でも気がつかないうちに、自然と口角が上がっていたことに気付く。
いつ以来だろう。明るい気持ちで微笑むだなんて。
──アイツが施設に入ってから幾らかの時が経ち、変化が起きた。
頭の中で響いていた不愉快なノイズがなくなり、脳内がクリアになる。
「上位体の指令が消えた?」
施設から絶えず送られていた指令という形式の毒電波が感じられない。弱くなったとかではなく、完全に消えている。
現状を認識して、ジワジワと歓喜の感情が湧いてくる。意識のねじ伏せに抗わなくてもいい。なんて素晴らしいことか。上位体から離れていないところでも、頭をかき乱したくなるのを我慢しなくてもいいなんて。
清々しい気分ではあるものの、いつまでも浸っているわけにもいくまい。
「さて、と」
変化が起きたのはアイツが入ってからだ。
上位体の破壊か停止、もしくは他の要因によるものだとしてもアイツがなにかしたことは誰だってわかる。
《おい。中でなにを……ダメか》
繋がらない。距離は通信範囲だから施設に原因があると取れる。
なんだが胸騒ぎがする。
「迷うまでもない」
おとなしく待つのはしょうに合わん。もはや施設に近づいても影響がないのに棒立ちなどできるか。
私は駆け出す。後悔しないために。
海を突っ切り、岸辺に寄ってジャンプして上陸。加速艦装の駆動は止めずにガリガリと地面を削り散らす。施設の入口に到着、開いたままのゲート右横につく。
壁に身を隠しながら顔の左半分と左片手持ちの連装砲を出して入口内部を覗く。このリーン撃ち式で視認した限りでは敵の姿は見えない。
一度、深呼吸をして集中。入口から飛び込んで、構えながらの周囲警戒。敵の影も気配もない。
「クリア」
室内を見渡すと隔壁が降りていない通路が一つだけあった。念のため、施設内の案内図を確認してから通路に行く。長めの通路を走りぬけると鋼鉄製の頑強なゲートにたどり着いた。管理区画と書かれている。近づいて耳を押し当ててみるが、なにも聴こえない。中が見られないので、防音性や厚みといったゲートのせいか、中で音が起きるようなことが起きていないかの判断はつかない。
ゲート横に取り付けられている開閉パネルを見てみる。縦長で小さな液晶が上下に二つあり、間には数値を打つ物理ナンバーキー。上は暗証番号の入力を促す文字と数字の反映、下には過去五回分の開閉記録が表示されている。セキュリティの一種だな。一番新しい記録日時によってアイツがここを通ったことがわかった。
「アイツが入室パスワードを入力した? それとも招かれたのか」
アイツがどう入ったにせよ、私では正規の方法でゲートを開けない。電子ハックしてパスワードを解析するのも時間がかかる。
左足の雷撃艦装を外して手に持ち、ゲート前に置く。弄って、ある程度の衝撃を受けたら誘爆するように調整。ゲートから離れて雷撃艦装に照準を合わせる。
「この方法が手っ取り早い」
放たれた砲弾が雷撃艦装に直撃。誘爆による大きな衝撃波が起こり、ゲートが文字通り吹き飛ぶ。煙が晴れきる前に目的の室内に進入。
煙を突き抜けた私の視界が捉えたのは、首のない不気味な個体と握りつぶされそうなアイツだった。
考えるよりも先に体が動く。巻き込まないように火薬抜き砲弾の装填。右肩への照準合わせ。砲火。一連の動作を、敵への怒りで全身に帯びる熱量に気付く頃には終えていた。砲弾は飛翔音で空気を震わせ、個体の肩に抉り刺さる。個体がアイツを落として私に向きなおる。アイツよりも私を優先目標として定めたな。
肝心のアイツはピクリとも動いていない。気になるが、目の前の個体は他に気を散らしていて勝てるような相手ではない。じゃなければアイツがやられたりはしない。 早急に個体を片付けてアイツを助ける。
個体が左手を引き、始動する。残像が見えるのではないかと思うような初速。装備が無く重量という拘束具がないからこその殺人的な加速。演算するまでもなく、私の次弾装填よりも個体の貫手が速いのは目に見えている。いくら速くても貫手で来ることがわかっているのならば対処は容易。アイツのような搦め手でないのであればどうにでもなる。
個体が距離を詰める一方で、私はその場から移動せずに右足の加速艦装を駆動させた。
数秒と経たずに眼前にきた個体が速度の全てを乗せて貫手を繰り出す。
私は加速艦装の前進する力、速力を利用した下から上への蹴りを放つ。
狙い通りのタイミング。
私の右足が個体の突き伸ばしていた腕を打ち抜き、あらぬ方向へと折り曲げさせる。
まだ終わりじゃない。
右足に残っている雷撃艦装。蹴りで脚を上げた関係上、下に向いている発射口から魚雷を一発だけ射出。落ちる魚雷を手に取り、足を引き下げる。
蹴りで攻撃を成功させた私と違って、蹴りを受けて攻撃を潰された個体は体勢を整えきれていない。その隙を逃さず、アイツがやったと思われる腹の傷穴に魚雷をねじ入れる。腕力に物を言わせ強引に肉を押しのけて深くまで入れ込み、突き飛ばす。
合わせて、ここで次弾装填が完了。狙うは当然、いましがた体内に埋め込んだ魚雷だ。
「アイツは私のだよ」
私にとってたった一人の同類を死なせるものか。それに私を壊していいのはアイツくらいで、アイツを殺すことがあるのならばきっと私だ。お前ごときにやらせはせん。
近距離から放つ砲撃。寸分たがわず目標を撃ち、魚雷を爆発させた。
個体の体内から引き起こされる破壊の熱と衝撃。肉を焼き、分断させ、身体を上半身と下半身の二つに引き裂く。焼け焦げた肉と蒸発しそうなほどに熱い緑の血と体内の物を全てぶちまけ、ボトボト水面に落ちる。一つから二つに分かれた肉体は動くことも再生することもなく水中へと吸い込まれていった。
始末できたことを確信したので、アイツのもとへと駆け出す。
◇ ◇ ◇
ふっ、と意識が覚醒した。
閉じている目蓋ごしに光を感じる。意識が落ちる直前までにあった痛みがない些細な戸惑いに襲われる。すぐに違和感は薄れて、なぜか安心感に満たされた。
ゆるゆると目を開けば、優しい色をしており奥まで見えそうなほど透き通った瞳と視線がぶつかる。
「起きたか寝坊助」
長月が覗き込んでいた顔を引っ込める。
我は起き上がり横になっている場所を確認する。いつのまにか手術台のようなものに寝かせられていたようだ。
「ここはいったい」
「製造区画だ。お前の傷が深く、私の力だけでは手に負えなかったのでね。そこらにあった機材と資材を使用して治しておいた」
なるほど。それはそうと、殺されかけていた我がここにいるということは。
「長月が新規個体を倒したのだな」
「新規個体? ……アレのことか。きっちり処分したさ。あんなのにやられるようでは、お前もまだまだだな」
長月の言葉にムッとする。
「すこし落ち度があっただけにすぎない」
やられていたので言い訳にしかならない。我だってわかっているが強がって言いたくはなる。
台から降りて、全身の状態を確かめる。どこにも不調はない。だが気になる箇所があった。手のひらをグーパーと開いて閉じてを数度おこなう。我とは別の、熱というか暖かみの残滓を感じられる。
「治してから目覚めるまで我の手を握ってくれていたのか」
「バカ言え」
長月が我から顔が見えない方へと体のむきを変える。態度に加え、やっていないと明確に言わないことから察せられる。我としては普通に嬉しいので照れなくてもいいのに。
我はそっと近寄り、背中から抱き着いた。
「なんだよ」
「本当は怖かった」
「なに?」
ほんのりと体重を預けて本音を吐露する。
「殺されそうになって、なにもできなくて、全身が冷たくなって、意識が薄れていく中で。みんなに逢えなくなると考えると嫌だった。たまらなく怖かった」
「……いまもなのか?」
長月の体温と匂いが我に安心感を与えてくれる。抱きしめている感触が生きている実感をくれている。
「違う。けれど、しばらくはこのままがいい」
我がまわしていた腕に長月が手を重ねる。
「好きにしろ」
「そうさせてもらう」
たっぷり時間が経ってから体を離す。それから解除コードのデータを渡した。
「ほんとうに、なんというか。長く苦しめられた呪縛が無くなる日が来るとはな。……ありがとう」
「感謝しているなら一つ、我のお願いを聞いてくれ」
長月が怪訝な表情を見せる。
「ここにきて対価の要求か? いやまぁ、私が叶えられることならいいが」
「名前で呼んで欲しい」
我の言葉を聞くと、長月はしたり顔をして言う。
「だったら、自己紹介をしなおせ。自分の名をちゃんと言ってみろ」
言われて気づく。我はいままで自分を菊月と呼んだことはなかった。
最初の頃は戸惑ったり、気になったり、迷ったりして誤魔化していた。言えずにいた。それでも、いまならば。
我は。
我が名は。
「我は菊月だ。……共に生きよう」
◇ ◇ ◇
鎮守府の中庭、ここは相変わらず静かでいい。以前は一人でベンチに座っていたが今日は違う。我の右側には黙って本を読んでいる長月がいる。
さっきまでは同じように読書していたが、木陰とおだやかな風が気持ちよくて横になりたくなってきた。
「寝る」
体勢を変えて、長月の膝を枕にして横になる。
「おいこら菊月。勝手に私を枕にするな」
「他に枕がない」
口ではするなと言うが、長月は押しのけたりはしない。軽く我の頬をいちど撫でて読書に戻る。
眠り落ちきるわけでもない緩やかな心地の中で、あれからを振り返る。
我と長月で手分けして施設の中やデータベースを調べ漁った。わかったのは、あの施設は日米が協力して管理していた生物兵器研究所だ。存在を秘匿しつつ、研究員を互いの国から寄こして運用されていた。
メンバーの中には、艦娘を開発した浦戸博士の名前も記録されていた。多くの研究員がいたが、彼が中心となってNOVAこと上位体や深海棲艦の大部分を作り上げたらしい。
深海棲艦に対抗できる艦娘を作成した浦戸博士こそが、人類の敵を生み出した張本人だったわけだ。
居住区画や研究区画などには白骨化している死体が散らばっていた。監視カメラの記録で、浦戸博士を除く全員が深海棲艦によって殺されていることが確認できた。それと、艦娘に関するデータも残されていた。浦戸博士が艦娘を開発したのは深海棲艦よりもずっと後だというのに。
どうやらNOVAと深海棲艦を完成させた時点で艦娘も実現可能レベルだったらしい。
我の読みだと、浦戸博士はそこまで至ったところで研究員を深海棲艦に始末させて自らは自国に戻った。おそらくNOVAの暴走事故などで言いつくろい、処刑は対深海棲艦となる生体兵器の開発を約束して免れたとかだろう。
ではなぜ、浦戸博士はそのようなことをしたのか。実現可能な艦娘を、深海棲艦が人類の敵となり何年も経ってから世に出したのか。
理由と思わしいのはデータベースの最下層に存在した。厳重なファイアウォールを組んだ上で保存されていたのは浦戸博士の日誌。詳細は書かれていなかったが、人間同士の争いに巻き込まれて娘と妻を失ったらしい。日誌の内容から人間の争いそのものに対して歪んだ憎悪の感情を読み取れた。
浦戸博士の目的は人類共通の敵と味方を作り出すことによる、人類間の大きな争いと戦争の根絶。
艦娘を遅めに出したのは、戦争の道具を破壊させて減らすのと役に立たないことを沢山の人間に認知させるため。国が使える予算には限りがあるのに、深海棲艦に役に立たないものを増産したら世論の風向きが悪くなる。戦争を起こす余裕を奪い、準備もしにくい情勢にしたわけだ。
一方で、施設の存在を知っている日本とアメリカが施設を全力で潰しにかからなかった理由。
人類の敵を生み出したのが日米だという後ろめたい情報を絶対に他国へと漏らしたくなかったのと艦娘という独占状態の産業利益を惜しんでいると考えている。同じ傷を持つ者同士、なにかしらの契約なり決め事が秘密裡にされて金の受け渡しをしていてもおかしくない。
もしかしたら、前にあった遠征任務。アメリカ本土から日本への貨物船も後ろの繋がりが関係していたのかもな。
それはさておき、国の利益や浦戸博士の意志なんて我と長月からすれば興味は薄い。我にとって大切なのは国や世界情勢より仲間だ。その上で施設の深海棲艦を製造している区画などを稼働させたままにしている。深海棲艦が世界からいなくなれば、深海棲艦がいて手を出せなかった土地や海洋の豊富な資源をかけた争いが起きかねない。そうなった場合、人類間の殺し合いに使えない艦娘は廃棄処分されてしまう。
そもそも、施設を解体してもすでに世界各地へ散らばっている深海棲艦は止めらないし、深海棲艦によって造られた基地での製造も中止できない。せいぜい太平洋付近での深海棲艦の出現率と艦娘の需要を下げるくらい。我と長月からすると利点がない。
なので、施設で弄って処理したのは新規個体と我と長月のデータだけ。他はそのままにしている。
「みーつけたっ!」
遠くから聞き覚えのある声。皐月の声がした。目を開けてみれば、いつもの三人がこちらへ向かって歩いている。
「いい天気でよかったねぇ」
「そろそろ出かける準備しようよー」
起きて伸びをおこなう。立って、まだ座っている長月に手を差し伸べる。
「いくぞ」
「調子のいい奴め」
長月はギュッと握り返してくれた。
この先、どうなるかなんてわからない。
ただ、一つわかるとすれば、みんなと生きていける我々は幸せだ。
一年弱に渡って書き続けた長編作品がようやく本編完結を迎えることができました。
そして、vs長月後の長月とは変わって、最後に上がる菊月のヒロイン力。主人公とヒロインの魅力を持つタイプっていいですよね。菊月と長月、どちらもヒロインと言えます。
本編の最後まで、菊月主人公かつ作者が読みたい作風、要素、ストーリー、と作者の好みを詰め込んだ作品になりました。
本編の最後まで、ご愛読ありがとうございました!
良かったら後日談も読んでみてください。